穏やかな日差しの下、どこまでも晴れ渡った青空と満開の桜。  
そして、その境界を彩るうっすらと積もった雪が鮮やかなコントラストを作った3月10日。  
とうとう僕たちにも、慣れ親しんできたこの部室に別れを告げる日がやって来ました。  
 
それにしても、涼宮さんには困ったものです。  
つい一昨日までの十数年ぶりの大寒波が一転、一月早い桜吹雪ですからね。  
面目丸つぶれになった気象予報官達の泣きっ面が目に浮かびます。  
もっとも、低温域が大活躍だった温度計は、彼の受験の進捗状況を如実に表していましたし、  
桜の開花も彼と涼宮さんが一緒に受けた大学の合否がウェブ上にアップロードされた瞬間でしたからね。  
その原因を改めて問うのは、野暮というものでしょう。  
涼宮さんの力もだんだん弱まってきているとはいえ、我々の仕事は、まだまだ終わらないようです。  
 
 
それぞれのクラスで最後のSHRを終えた我々は、中庭で待っていてくれたスーツ姿の朝比奈さんと一緒に、  
高校生活最後の団活をするため、部室へと向かいました。  
その道すがら、先頭の涼宮さんはずっと後ろ向きで歩きながら、SOS団の今後について、途切れることなく熱く語り続けています。  
しかしながら、このテンションの高さは、久しぶりに5人が部室に揃うから、という理由だけではなさそうですね。  
式では答辞を読むふりをして、あの叩きつけるような力強いヴォーカルでGod knowsを歌いだし、  
最後には卒業生一同の足踏みと手拍子で老朽化した体育館を存続の危機に陥れ、してやったりな涼宮さんでしたが、  
さすがにSOS団の総仕上げとあれば、感慨深いものがあるのでしょう。  
 
部室に着くなり涼宮さんは、長くなったポニーテールを揺らしながら、いつかと同じ満面の笑顔でピョンと団長席に飛び乗りました。  
「これよりSOS団第一期総括ミーティングを始めます!みんな湿っぽい顔なんてしてちゃだめよ!  
SOS団は永遠に不滅なの!卒業なんて、ただの一区切りに過ぎないわ!私たちの伝説が始まったこの部室は・・・」  
そこまで言いかけた涼宮さんが、絶句したかと思ったら、急に顔をゆがめ、へたり込んでしまいました。  
とっさに彼が自分のブレザーを頭から被せ、卒業パーティーの買出しだ、などとぶっきらぼうに言いながら外に連れ出します。  
相変わらず不器用なフォローですが、涼宮さんも彼以外には泣き顔を見せたくないでしょうからね。  
見ているこっちが照れてしまいそうになるほど見事な処置です。  
 
それにしても、涼宮さんが涙を見せるとは、正直言って驚天動地でした。  
もちろん彼女の繊細さは、文字通り痛いほどよく分かっています。  
ただ、涼宮さんは最後の最後まで団長としての意地を張り続けるだろうと思っていただけに、不意を突かれたとでも言いましょうか。  
長門さんも同じ思いだったのでしょう。この3年間で豊かになった表情で、微笑ましく涼宮さんを見つめていますからね。  
朝比奈さんは逆に、彼の適切な処置を、お姉さんの微笑みで満足そうに頷いています。  
鶴屋さんと一緒に進学した名門女子大での1年が、いかに充実したものであるかを物語っていますね。  
まあその微笑みにちょっとだけ苦いものが混じったのは、見なかったことにしましょう。  
 
「これ」  
感慨にふける僕を尻目に、何を思ったか、涼宮さんと同じように団長席に立った長門さんが声をかけてきました。  
「あなたも来るべき」  
彼女に促され、僕も団長席に立ってみることにました。実は一度やってみたかったんですよね。これ。  
 
 
・・・・・・そして、涼宮さんが泣き崩れた理由が分かりました。  
 
見慣れない位置から見ることで強調される、がらーんとした部室。  
張り紙の跡が生々しい壁。徹底的に磨かれてチリひとつなく光る床。  
彼女が目をつけた当時の配置に戻された机。  
この部室の本来あるべき姿は、こういうものなのでしょう。  
でも、あるべき所にあるべきものがない寂寥感は、ぬぐいようがありません。  
 
いつの間にか山積みになっていたコスプレ衣装も。  
好評につき、定期刊行物となって積み上げられた機関紙も。  
増設した本棚さえはみ出すほどに集められた本も。  
ボードに張られた数々のイベントを切り取った写真も。  
型遅れになりつつ、現役で頑張っていたパソコンも。  
そして何より、みんなで持ち込んだ思い出も。  
すべてを掃き清めてしまったような罪悪感に、思わず僕までへたり込んでしまいました。  
 
 
「古泉一樹」  
どれくらいそうしていたでしょうか。  
黒曜石の優しい眼差しが差し出してくれたハンカチを見て、初めて自分が涙目になっていることに気づきました。  
「おやおや、参りました。こんなのは、僕らしくありませんね」  
まったく。似合わないことこの上ない。  
さあ、胸を張れ古泉一樹。この部室と、かけがえのない仲間に感謝を込めて。  
いつもの笑顔で締めくくってやろうじゃないか。  
 
 
しかし、  
顔を上げ、精一杯の意地を総動員して、最後まで貫こうとしたスマイルは、  
 
「あなたは、頑張った」  
 
小さく暖かい声によって粉々にされてしまいました。  
 
怖かった、楽しかった、痛かった、嬉しかった、辛かった・・・  
世界崩壊の恐怖に震える日々。その中でゆったりと流れる日常。  
世界を瀬戸際で支える重圧。灼熱の太陽のように輝く数々のイベント。  
一時として休まることのない緊張。腹の底から笑い転げた日々。  
仲間と自分を欺かなければいけない矛盾。何気ない日常にある幸せ。  
 
人生の1/3を共に過ごした仮面が崩れ落ちた瞬間、塞き止められていた喜怒哀楽の全てが、  
決壊したダムのように、涙となって止め処なく噴き出しました。  
 
遠くのグラウンドから、野球部のバットがボールをはじく音が風に乗って響き、  
どこからともなくブラバンの調子の外れたラッパの音が流れてきました。  
今日までは、当たり前に聞き流していた音。  
今日だけは、やけに強く聞こえる音。  
仲間と過ごしたかけがえのない日常が流れていく音。  
この音に浸っていられた幸せ。  
それに気付かないほど充実した日々。  
 
どれくらい泣き続けていたのでしょうか。  
長門さんの温かい鼓動を感じているうちに、心の底にヘドロのように溜まった澱は、きれいさっぱり洗い流されていきました。  
そして、そのぽっかりと開いた心の隙間に、潮が満ちていくようにゆっくりと、  
何かをやり遂げたのだという充実感が湧き上がってきました。  
これが何なのかは、まだ分かりません。  
ただ、何年後かに、この瞬間を振り返る日が来るだろうという、痛みにも似た切ない確信がありました。  
 
 
ようやく涙の止め方を思い出して顔を上げると、そこには柔らかい微笑みが、僕の目をいたずらっぽく覗き込んでいました。  
 
まったく。照れ臭いことこの上ない。  
さあ、胸を張れ古泉一樹。この部室と、かけがえのない人に万感の想いを込めて。  
誰かさんにも負けない、灼熱の笑顔で締めくくってやろうじゃないか。  
 
「やれるだけの事は、やりました!」  
 
「そう」  
 
一陣の風が、桜吹雪を伴って、窓から吹き込んできました。  
視界をいっぱいに舞う陽だまりのように暖かい雪。  
僕にもようやく、遅い春がやってきたようです。  
 

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