『ながみく』  
 
 放課後の文芸部室。わたしが本を閉じる音とともにSOS団の活動は終了する。  
「それじゃ今日は解散!」  
 涼宮ハルヒが言い、  
「では、僕も失礼します」  
「それじゃ、お先に」  
 古泉一樹と彼が続く。  
 
 部屋には朝比奈みくるとわたしだけが残った。  
 
「あの……長門さん。鍵はあたしがかけますから、先に帰ってもらっていいですよ?」  
 少々おどおどと朝比奈みくるが言ってくる。しかし、今日はそれを聞き入れることはできない。今日のわたしには使命がある。  
「あなたに頼みがある」  
 と、わたしが言うと案の定、彼女は目を白黒させた。  
「ふぇぇ!? た、頼み、ですか? あたしに?」  
「そう」  
 わたしは頷く。彼女を抜きにして、わたしのこの使命を果たすことはできない。朝比奈みくるはなおも混乱の体を示しながら、言った。  
「えっとぉ、その、何でしょうか? あたし、あんまり難しいことはできないんですけどぉ……」  
「とても簡単。あなたの胸を、揉ませてほしい」  
 
 ――彼女は十数秒間、固まった。  
 
「な、なな……何を言ってるんですか!? 長門さん!?」  
 硬直が解けた後の彼女の第一声がこれだった。わたしはもう一度繰り返す。  
「あなたの胸を、揉ませてほしい」  
 ――彼女の二度目の硬直はそれほど長くは続かなかった。数秒で立ち直った彼女は言った。  
「――あの、長門さん? 何で、いきなりそんなことを……?」  
「わたしにとってはいきなりのことではない。前から考えていたことを、今日実行に移すことにしただけ」  
 わたしがこう言っても、朝比奈みくるはなかなか理解できない様子。しかたがないので、少し補足する。  
 
 地球人類女性体の胸部には、夢が詰まっていると聞いた。  
 この場合、夢というのが何らかの『素晴らしいもの』の比喩であることは当然理解している。  
 また、有機生命体女性体の胸部の隆起が、本来的には異性に対する性的なアピールのためのものであることも承知している。  
 ――しかし、それだけではない何かが、胸部のふくらみには隠れている気がする。  
 例えば(わたしの恋しい)彼も、あなたの胸に対して非常な高評価を与えている様子が見て取れる。  
 彼は、性的なことに関しては、どちらかといえばストイックであるように感じられる。その彼をして、あなたの胸に執着せしめる何かが、あなたの胸に隠されているのではないだろうか。  
 その『何か』こそが、わたしの知りたいもの。『夢』の内容。  
 わたしは、それを調査したい。だから、わたしの知る限り最も豊かな胸部のふくらみを持つあなたの胸を揉ませてほしい。  
 
 ここまで説明すると、朝比奈みくるはようやくこの調査の重要性を理解してくれた。  
「ふえぇぇぇん……。あの、長門さん、あたし何か長門さんの気にさわるようなことしましたか〜?」  
 と、その可愛らしい双眸に涙をたたえながら、わたしの計画に全面的な賛意を表明した。一年間でここまでの信頼関係を醸成できたことを好ましく思う。  
 
――――では、調査を開始する。  
 
「あのぉ、長門さん。……ちょっとだけですよ?」  
 と言う朝比奈みくるの服装は、もはやお馴染みとなったメイド服。彼女のやる気の強さを感じさせる装いである。  
「座って」  
 と、わたしが言って指差したのは、長机の上。  
「机の上に座るんですか?」  
「そう」  
「えっとぉ、どうしてですか?」  
 またもや不思議そうな表情を見せる朝比奈みくる。今日の彼女の言葉にはいつもに増して疑問符が多い。  
 わたしは細かい説明など抜きにして、すぐにでも調査に取り掛かりたかったが、彼女は大切な被験者。情報の相互伝達に齟齬を発生させうる要因はできる限り事前に排除しておくべきだと判断した。わたしは説明する。  
 
 わたしたちがふたりとも立ったままだと、わたしはともかく、あなたは途中で疲れてしまうだろう。この調査にどれだけ時間がかかるのかは推測困難。ゆえにこの方法は却下。  
 わたしが立ち、あなたがイスに座った場合、わたしがあなたの胸を揉みにくい。この方法も却下。  
 わたしたちがお互いにイスに座った場合、わたしとあなたの距離が開きすぎる。却下。  
 そういうわけで、あなたが机に座り、わたしがその前に立つというのが、ベストな方法だと判断した。これならわたしが胸を揉むのに不都合がないし、長時間の調査でもあなたが疲れることはない。  
 
「長時間って……あのですね、長門さん。さっきあたしがちょっとだけなら、って言ったのを聞いてましたか?」  
「聞いた。言外にあなたのやる気をひしひしと感じた。感謝する」  
「うううううぅぅぅ……。聞く耳なしですかぁ……」  
 ほろほろと涙をこぼす朝比奈みくる。わたしの心遣いに感極まったのだろう。わたしは言う。  
「脱いで」  
「ほぇえ!? 服着たままじゃだめなんですか!?」  
 
 ――またまたご冗談を。着衣のままで済ませることができるなら、ふたりきりになった段階で勝手に揉みしだいている。  
 しかし、そんなことは口には出さない。必要以上に彼女に警戒させるべきではない。ここは、黙して彼女が自主的に脱ぐのを待つのが正解。わたしはただ、彼女の目を見つめるだけでいい。  
 
 二秒経過。彼女の肩がびくりと震える。  
 五秒経過。彼女が「うぅぅぅ」とうめきだす。  
 八秒経過。彼女の心が折れる。――容易い。実に容易い。  
 
「ふぇぇ……脱ぎます、脱ぎますからぁ……。そんなに睨まないでくだしゃぁぁい……」  
 と言って、ようやく脱ぎ始める。わたしは特に睨んだつもりはないが、彼女がその気になってくれたのだから結果オーライと言うべきだろう。  
 彼女はエプロンを肩から抜き、胸元をはだけさせる。そうして次第にあらわになる彼女の胸。涼宮ハルヒあたりが見たら理性のタガが一瞬で外れることは間違いないであろう、それはそれは扇情的な姿と言えた。  
 しかも朝比奈みくるはブラジャーを着けたままなのだ。これはつまりわたしにこの薄布を剥ぎ取れという意思表示なのだろう。つまり――  
 
 ――目元に涙を浮かべたメイドが、羞恥に打ち震えながら服を少しずつ脱いでいく。  
 そしてただ一枚残ったブラジャーも、主人によって荒々しく引き剥がされてゆき――  
 ……ああ、乙女の絶対秘密領域が今まさに蹂躙されようとしているのだ……  
 
 こんな感じだろう。  
 ――朝比奈みくる、よくわかってる。メイドの何たるかを、実によくわかっている。彼女の空気を読む能力は尋常でない。いつか空気と同化してしまわないかが心配になるくらいに。  
 それでは、いただきます。  
 
「ふぇぇ!? 長門さん、どこ触ってるんですか!?  
 ……ひえっ!? なななな、何でホックをいじってるんですか〜!?」  
「やはり、無理矢理引きちぎるべき?」  
 わたしとしては物を粗末にするのはできるだけ避けたいところなのだが。しかし、彼女の言葉はわたしの予想の斜め上を行った。  
「そ、そうじゃなくてぇ! ブラの上から触ればいいじゃないですかぁ!」  
 
 
 ――それはひょっとして、ギャグで言ってるのか?  
 
 
 二ミリほど、首を横に傾げる。わたしの困惑が彼女にも伝わるように。彼女は続ける。  
「で、ですからぁ、そのぉ、何といいますかぁ、感触を知りたいだけなら何も全部脱がなくてもぉ……ううう、睨まないでくださぁい……」  
 先ほどと同様、別にわたしは睨んでなどいない。しかし、だからと言って彼女の提案を受け入れることはできない。  
「えっとぉ、やっぱり、全部脱がなきゃだめですか?」  
 と、彼女は言った。その表情には観念の色が見え隠れしている。わたしは即座に答える。  
「できれば」  
 もちろん、何があろうと『できて』もらうつもりでいるのだが。  
「それに、今さら照れることはない。あなたとわたしは、長期休暇中の合宿において、何度か入浴をともにしている。あなたの胸も見慣れている。別に減るものでもない」  
「いや、いろいろ減りそうな気がするんですけどぉ……」  
 彼女にしては珍しく抵抗の気配を色濃く見せる。しかたがない。エマージェンシー。リーサルウェポン。  
 
「……図書館。楽しみにしてた」  
 ぼそっと言う。見る見るうちに彼女の顔面が青ざめていく。  
「あ、あの時は本当にごめんなさ――」  
「彼がわたしを誘ってくれた時、わたしはこれ以上ないというくらいの喜びを覚えた」  
「そ、それは――」  
「しかし、わたしたちの約束の場所には、先客がいた」  
「ううううう――」  
「そこいたのは、誰だと思う?」  
「……あのぉ、長門さぁぁぁん。こんなけちな胸でよろしければもう好きなようにしちゃってくださぁい……うううううう……」  
 落涙しながら降参の意を示す朝比奈みくる。効果は覿面。予想以上だったと言ってもよい。  
 ――別にわたしは彼女に怒りを抱いているわけではない。もちろん、彼に対しても。いずれまた彼はわたしを誘ってくれるだろう。わたしはそう信じている。……しばらく待って誘ってくれなければ暴れよう。  
 しかしこれほどまでに彼女が負い目を感じているとは思わなかった。わたしの方がむしろ、少し申し訳なく思ってしまう。  
 彼も、朝比奈みくると同様に、あのことに少しは負い目を感じてくれているだろうか――  
 
 ――こんなことを考えながら、わたしは朝比奈みくるのブラジャーをひん剥いた。  
 
「……素晴らしい」  
 この一言に尽きる。大きさといい、形といい、重量感といい、彼女の胸にはこの世のあらゆる完全調和が内包されているとしか思えない。何度か浴場で見たことはあるが、メイド服に包まれた彼女の胸にはまた違った趣がある。  
「あ、あんまりじっと見ないでくだしゃい……恥ずかしいですぅ……」  
「恥ずるものなど何もない。誇りに思うべき」  
「……いや、なんかそれ恥ずかしいポイントがずれてませんか?」  
「わたしには有機生命体の恥の概念がよく理解できない」  
 こんな会話を交わしながら、わたしは彼女の胸を観察した。どの角度から見ても完璧。これは有機生命体の創りだした奇蹟の結晶なのだろうか。  
 
 
 ――では続いて、直接触れることにする。これこそが今回の調査の主要目的。気を引き締めて取り掛かる。  
 手を伸ばし、彼女の胸に触れる――――。  
 
 
 ――それは――  
 まったく未知の感覚だった……。  
 掌と胸との中間点で  
 反発係数を司る神々が永遠の戦いを繰り広げていた。  
 そして、何か他のものに例えようと思っても、何も思いつかないので  
 ――そのうちわたしは、考えるのをやめた。  
 
 
 
「――さんっ!? 長門さん!」  
 朝比奈みくるの声で意識が戻った。わたしは、一体……?  
「大丈夫ですか、長門さん!? 胸に触った途端に、急にぼーっとしちゃって、呼んでも返事してくれないから……心配しちゃいましたよぉ……」  
 と言って、安堵の表情を見せる。にわかには信じがたいが、わたしは意識を失っていたようだ。  
「わたしは、どれくらい停止していた?」  
「停止って……動かなくなってたのは十秒くらいだと思いますけど……」  
「そう」  
 外見だけは冷静に見えるように取り繕いつつ、内心わたしは驚愕していた。彼女の胸に触った瞬間、わたしの処理しきれる限界値を遥かに超えた情報圧がわたしを圧倒した。雪山の山荘で『敵』の攻撃を受けた時にも、ここまでにはならなかった。  
 そう、まさにこれは彼の元同級生――中河と言ったか――が情報統合思念体にアクセスしてしまった時と類似した状況。わたしは彼女の胸に、超越的な弾性力と蓄積された脂肪を感じ、その解析を試みるもあえなく失敗してしまったのだ。そしてわたしは――――  
 
「夢を、見ていた」  
「夢、ですか? あの短時間に?」  
 わたしは一ミリだけ顎を動かすことで首肯する。  
「あなたの胸には、本当に夢が詰まっていた。とても、すてきな夢が。」  
「ほ、本当ですか……? 一体、どんな夢でしたか?」  
 彼女の問いに答えるのは難しい。あれはどんな夢だったか。想起しつつ、わたしは言う。  
「あなたは、朝倉涼子を知っている?」  
「えっと、朝倉さんって……たしか、十二月の改変世界でキョンくんをナイフで刺し殺そうとしてた人ですよね?」  
 それだけ知っていれば十分。  
「わたしの見た夢の中で、半身を機械化されて蘇った朝倉涼子が、『統合思念体急進派の戦闘力は宇宙一ィィィィィィ!!』と絶叫しながら、ナイフを振り回し大暴れしていた」  
「…………はい?」  
「その前に立ちふさがったのが、あなた」  
「なんでですかっ!?」  
「あなたは言った。『いきますよ朝倉さん――――武器の貯蔵は充分ですか。ちなみにあたしの戦闘力は53万ですが』と。そして――――  
 ――――あなたの胸に触れた朝倉涼子は、泡になって消えた。世界は平和になった」  
「……武器とか戦闘力とか意味ない気がするんですけど」  
「まるで人魚姫。とてもロマンティック」  
「え……どのあたりがですか?」  
「ぜんぶ」  
「そ、そうですかぁ……」  
「そう」  
「あたしはなんだかむなしいんですけど――」  
「気のせい」  
 
 答えてわたしは、彼女の胸に手を置きっぱなしでいたことに気付く。とても、やわらかく、あたたかい。  
「調査を再開したい。いい?」  
とわたしが尋ねると、彼女は驚いたように言った。  
「ええっ!? まだ続けるんですかぁ?」  
「もちろん。まだ研究は始まったばかり」  
「でもでも、長門さんっ。今日はお疲れみたいですから、また今度にした方がいいですよぉ! ね、そうしましょう?」  
 彼女はしきりに中止を勧めてくる。わたしのことを気遣ってくれているのだろう。しかし、なればこそわたしは誠意でもって彼女のやさしさに応えなければならない。  
「だいじょうぶ。わたしは負けない」  
「ふぇぇぇん……」  
 また彼女は落涙する。わたしの心意気に感銘を受けたのだろうか。  
 
 しかし、どうしたものか。先ほどと同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。通常の方法での解析は不可能。思考回路がショート寸前になる。  
 ――――ならば、答えは一つ。  
 
「考えるな、感じるのだ」  
 声に出して、自分に言い聞かせる。朝比奈みくるの肩が少し震えたようだが気にしない。  
 
 掌に少しだけ力を加えて、彼女の胸がその力を吸収するのを感じる。  
 
 むにゅっ。  
 
 ――エラーが大量に発生。落ち着け、落ち着くのだわたし。インターフェースはうろたえない。  
 
 掌の力を弱めて、彼女の胸の反発を感じる。  
 
 ふにゅっ。  
 
 ――今度のエラーは三倍速い。ええい、朝比奈みくるの胸は化け物か。  
 
 …………ここでわたしは思考を手放した。ただただ無心に、手を動かし続けた。  
 
 ふにふにふにふにふにふにふにふに――――――  
 
 
「――ひゃうっ!?」  
 朝比奈みくるの悲鳴で我に返る。  
「あの、長門さん……? あんまり勢いよく揉まないでほしいんですけど……」  
「ごめんなさい。ゆっくり揉むことにする」  
「いやあの、もう揉んだことですし、もういいんじゃないでしょうか……?」  
 うん、それ無理。  
「ひいっ!? はぅん……。な、なんでやめてくれないんですかぁ……はぁっぁぁん」  
 だって、わたしは本当にあなたの胸の感触が癖になってしまったのだもの。  
「あの、あのぉ……。長門さぁぁぁん。あの、その触り方はちょっと危険と言いますかひうぅっ!?」  
 ついに、ついにわたしは朝比奈みくるの胸部を克服した。インターフェースに備えられた、優れた解析能力・思考能力を敢えて手放すことで、わたしはこの難攻不落の城を攻略したのだ。わたしがまた一歩人間に近づいた証ともいえる。  
「――この胸の感触は、試練を克服したわたしに対するご褒美に違いないと認識した」  
 
 ふにゅ、むにゅ、ふに、ぷに、ぷにゅ、むにゅ、もにゅ、ぽよん――――  
 
「素晴らしい感触。宇宙開闢以来これほど触覚を愉しませるものは存在しなかった。わたしが断言する」  
「いや、そんなことより、あっ、揉むのを、ひゃっ、やめて、はぅん、ほしいんです、ひぃ、けどぉ」  
 朝比奈みくるのあえぎ声をBGMにしながら、わたしはこんなことを考えていた。  
 
 地球上の知性を持つ有機生命体、すなわち人類の歴史は、闘争の歴史だったと言ってよい。  
 小さなものでは個人間での無数のいざこざ、大きなものでは世界大戦。  
 最も知性的に進化した生命体が、原始的な闘争を最も多く引き起こすという矛盾。  
 そこでは生存競争の原理を逸脱した闘争が散見される。何故か。  
 情報統合思念体は地球人類の未熟と結論した。本当にそうだろうか。  
 人間の多くは、彼らにしかわからない何かのために戦っているのかもしれない。  
 もしかしたら――そう、もしかしたら。  
 
「人間は皆、女の胸を揉みたいがために戦っているのではないだろうか」  
「どこをどうすればそういう方向に話を持っていけるんですか……ひゃんっ、あぁん、ご、ごめんなさぁいぃぃぃ」  
 ――BGMに雑音が混入した。即座に修正。  
 
 どこまで思考を進めたか。  
 そう、人間は女性体の胸部のために戦っているのかもしれないという仮定。  
 もしこの仮定が正しければ、地球人類が肉体を有しながらも知性を獲得するに至った理由が説明できる。  
 人類は、女の胸を揉むための戦いに勝つために進化を望み、より高度な情報処理能力を望み、そしてそれを実現してきたのだ。そうさせるだけの価値が、この胸の感触にはある。  
 つまり、女性体が胸部のふくらみを獲得したことこそが、地球人類の進化の本質的要因だったのではないだろうか……?  
 正解かどうかはしらない。そんな推測も成り立つというだけの、ここで『読者への挑戦状』を挿入したら正気を疑われるだけの、そんな脆弱な基盤だが、いったん思いついた妄想は簡単には去ってくれない。  
 しかし、有意義な仮定ではあるように感じられる。統合思念体本体に報告すれば、涼宮ハルヒに次ぐ進化の可能性として考慮されるかもしれない。  
 もしその可能性が認められれば、わたしの胸のふくらみも大きく設定されるだろう。そうすればわたしは誰はばかることなくこの感触を心行くまで愉しむことができる。それはとても素晴らしい想像。  
 
 
 と、ここまで考えたところで気付く。朝比奈みくるの息が上がっている。顔が上気している。目が潤んでいる。体表面からフェロモンの分泌を確認。さらに言うならば胸部の先端が強く強く自己主張していたりする。  
 
 はっきり言う。非常に愛らしい。情熱を、持て余すほどに。  
 
「――な、長門さん。あたし、もう……もう、だめです。んんっ…………あっ、そ、そんな……あぁっ!!」  
 わたしが先端を少し強くつまむと、彼女はこう言ってその体を小さく、しかし何度も震わせたのだった。  
 
 もう一度言う。彼女はとても愛らしい。ついつい、やりすぎてしまうほどに。  
 
「ごめんなさい。……少し、やりすぎた」  
 彼女の服を整えながら、わたしは謝った。朝比奈みくるの顔には、僅かに非難の色が見える。そう、何というか『少しってレベルじゃねぇぞ!』という感じの気配が。しかしそれもほんの短い間だった。  
「……いいですよ、別に。  
 ――――いつもお荷物なあたしでも、今日は少しくらい長門さんの役に立てたんですよね……?」  
 ほんの少しだけ涙を浮かべながら、それでも同時に微笑みを浮かべて、彼女は言った。  
 
 もう一度だけ、言わせてほしい。彼女はとても愛らしい。  
 ――思わず、抱きしめてしまうほどに。  
 
「ふぇぇ!? 長門さん!?」  
「とても、助かった。ありがとう。  
 ……あさひな、せんぱい」  
 
 数瞬の後。  
「な、ながとさぁぁんっ!」  
 嬉しそうに涙を流すという器用な芸当を見せる朝比奈みくるが、わたしに抱きついてくるのを受け止めながら、わたしはもう一つ別の仮説を構築していた。  
 
 もしかしたら、彼女の胸の、この心地よさは、彼女だけに備わったものなのかもしれない。少なくとも、わたしは自分の胸を触ってもこんなに穏やかな気分にはならない。  
 たしかにやわらかいとは感じるが、それだけだ。彼女以外の女性体の胸を触っても、彼女の時と同じ気分になれるという保証はない。  
 そう、もしかしたら、彼女もまた特別な存在なのかもしれない。人類の歴史には時折、大変革が起こる。たった一人の人間が、世界の姿を一変させることがあるのだ。  
 それは人間が進歩するための原動力になっている。あるいはその積み重ねが、種としての進化につながっているのではないだろうか。そうであるならば、朝比奈みくるが進化の可能性の一端を担っている可能性は高い。  
 何故なら、わたしに触れるこの胸は、わたしさえも――この人間でない、一介のインターフェースに過ぎないわたしでさえも――えも言われぬしあわせな気持ちにさせてくれるのだから。  
 根本的な存在基盤の違いさえも乗り越えて他者を幸福な気分にさせるという、彼女の胸の持つ不思議なちから。これを進化の可能性と言わずして何と言おうか。  
 もし、この仮説が正しいと認められ、朝比奈みくる自身が涼宮ハルヒと同じく、統合思念体にとっての進化の可能性になりうると判断されたら。  
 ――朝比奈みくるは、涼宮ハルヒと彼女の『鍵』たる彼に並ぶ、最重要観測対象となるだろう。  
 
 わたしの、この報告が通った時のことを少しだけ考える――  
 朝比奈みくるの観測者には、もちろんわたしが抜擢されるだろう。他のインターフェースでは現状、彼女への接近はあまりにも不自然。三人同時の観測は困難だが、わたしはやり遂げてみせる。そう、きっとこんな風になる……  
 
 ――放課後の文芸部室。  
 わたしを決して飽きさせない、横暴なようで仲間思いの団長・涼宮ハルヒ。  
 ブツブツ文句を言いつつ、結局いつも涼宮ハルヒのために東奔西走する彼。  
 いつもにこやかな笑顔を浮かべ、勝てないボードゲームに興じる古泉一樹。  
 未来から来たのに、何故かお茶の淹れ方だけに熟達してきた朝比奈みくる。  
 そんな彼女の淹れたお茶を、お礼もなしに飲みながら、読書に耽るわたし。  
 
 ――――そして毎日、調査と称して朝比奈みくるの胸を揉みしだくわたし。  
 
 ……悪くない。むしろ、いい。とてもいい。  
 毎日、統合思念体のお墨付きで彼女の胸の感触を愉しめるのだ。  
 これは、わたしの胸囲が大きくなることより好ましいように感じられる。  
 しかし、そうなるとわたしとしてはこの二つ目の仮説を推したいところ。  
 そのためにわたしがすべきこと。それは。  
 
「……他の女性体の胸も揉む必要がある」  
 わたしは言った。  
 それを聞いて、朝比奈みくるの肩が揺れる。  
「――あの、長門さん……?  
 やっぱり、あたしじゃ、役に立ちませんでしたか…………?」  
「ちがう。そうではない」  
 言下に否定する。  
 
 あなたの胸は、それはそれは素晴らしいものだった。  
 わたしは、そこに夢を見た。とてもロマンティックな夢を。  
 そしてその夢は、統合思念体にとっての進化の可能性を示すものでさえあった。  
 進化の可能性云々を抜きにしても、わたしはこの胸の感触を四六時中感じていたい。  
 そのためには、あなたの胸がいかに優れたものであるかを証明しなければならない。  
 そこでわたしは、あなたの胸の特異性を証明するために、他の女性体の胸を揉む必要を感じているのである。  
 
「わかってもらえただろうか」  
「いや、よくわからないんですけど……えっと、あたしは結局、長門さんの役に立てたってことでいいんでしょうか……」  
「大いに。というより――」  
「……?」  
 弱々しく微笑む彼女の姿を見て、わたしは普段であれば絶対に思っていても口には出さないようなことを言った。  
 
「あなたは、自分で思っている以上に、皆に大切に思われ、必要とされているということを認識すべき。あなたが考えている以上に、あなたは上手に任務をこなし、同時に周囲にいる者をしあわせにしている。  
それは別に、今日に限ったことではない。いつでもわたしは、あなたの淹れてくれるお茶を楽しみにしているのだから。だから。  
 ――――あなたは、役立たずなどでは、決してない。……決して」  
 
 彼女はポカンとした表情のまま、わたしを見続けている。  
 わたしは自分の口から自然と飛び出した言葉に呆然としながら、彼女を見つめていた。  
 
 ――これが有機生命体の言うところの、恥の概念なのだろうと、不本意ながらわたしは明晰判明に理解した。これは、たしかに……少し、はずかしい。  
 
 ……一分近くそうしていただろうか。  
 朝比奈みくるは突然窓の方を見て、言った。  
「ああたいへん、もうこんなじかんですか。そとなんてまっくらじゃないですか。これはいけませんね。ながとさん、かぎはあたしがかけますからさきにかえってくれていいですよ」  
 見事なまでに棒読みになっている。彼女も少し気恥ずかしいのだろうか。  
 わたしは……わたしは、彼女以上に混乱していたのであろう、こんなことを言ってしまった。  
「待ってる。もう外は暗い。家まで、送る」  
 勢いというものだろう。一年に二回くらいはわたしだってハイになる時がある。十二月に世界改変をしてしまったのもそのせい。たまたまそれにかち合ってしまったのだ。  
 それが今日は朝比奈みくるの悲しげな微笑みやら健気な心意気やらが何というか、こんがらがってわたしもふらふらになってしまったのだ。  
 この情動を放っておけば朝比奈みくるを押し倒すくらいのことをしてしまいそうだったので、ここで解消しておくことにしたわけである。  
 ――何故わたしはこんな言いわけをしているのだろうか。  
「え……? あ、あの、ありがとう、長門さん」  
 何という純粋さ。彼女は衷心からわたしに感謝している。  
 彼女は、もう少し人を疑うということを知った方がいい。  
 ――きっとそれが彼女のいいところなのだろうとは思うが、時々、少し心配になる。  
 
 
 ――――――――――――――――――――  
 
 長い長い下り坂を、ふたり、手をつないで歩いていく。  
 手をつないでいるのには大した意味はない。近くにいてくれた方が緊急の時、対処しやすいと判断したため。  
 わたしは、一歩前を進む。並んで歩くのは……何故だか、恥ずかしい気がする。  
 
「ところで、長門さん。あたしの家、どこか知ってるんですか?」  
「もちろん。無事に送り届ける。心配は無用」  
「ふふ。長門さんと一緒なら暗くても安心ですよっ。  
 ああ、そういえば、話は変わりますけど。今度は誰の胸を調査するつもりなんですか?」  
「適役がいる。涼宮ハルヒ」  
「ふええっ? 涼宮さん、ですかぁ? でもそれは……難しそうですねぇ」  
「うまくやれるよう、綿密な計画を立てる」  
「まあ、長門さんがそう言うなら、きっと大丈夫なんでしょうけど……。  
 ――――それよりも、長門さん?」  
「なに?」  
「いつか、キョンくんともこうやって手をつないで歩けるといいですねっ」  
 
 
 長い長い下り坂を、ふたり、手をつないで歩いていく。  
 手をつないでいるのには大した意味はない。ただ、冷たい夜気の中、つないだ手だけがあたたかかった。  
 わたしは、半歩前を進む。彼女に心の中を見透かされるのは……少しだけ、心地よかった。  
 
 

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