僕はいったいどうしてしまったんだ?  
忘れたいはずなのに、あの時のあの感触が今も手に残っている。  
これまで、こんなことなどなかったというのに……。  
でも……、今まで必死にこの気持ちを否定してきたけれど、もう抑え切れそうにない。  
僕は彼女のことを……。  
しかし、この初恋には大きな障害がある。策が必要だ。  
 
しばらく黙考した後、僕はあるものを携えて、重く立て付けが悪くなった部室のドアを開け  
て、SOS団の部室へと足を向けた。  
 
 
 
「ねえ、キョン。あんたの理想のタイプってどんなの?やっぱりみくるちゃんなの?それと  
もミヨキチって子みたいなのが好みなのかしら?」  
春休みを間近に控えたある日の放課後、SOS団部室で二人きりになるという偶然のなか、  
束の間の時間にハルヒはそんな突拍子もないことをのたまった。  
一瞬背筋に冷たいものが走り、驚きを隠せないまま、俺は油の切れた扇風機のごとくギギギ  
とハルヒの方に視線を向けると、彼女は俺の顔を直視はせず、腕を組みあぐらをかきつつ窓  
の外へ視線を向けたままだった。  
 
ハルヒがこんなことを言うなどとは、かの高名な予言者エドガー・ケイシーでも彼女の奇矯  
な言動や行動の予測は不可能だろう。無論、一般人の俺に予想できようはずもない。  
これは天変地異の前触れか?それとも何か悪いものでも食ったのか?  
いずれにしても、ハルヒの意外すぎる質問に、俺にできることといえば驚愕と困惑、それと  
なぜかはわからないが、浮気を責められるしがない亭主のような感情が入り交じった表情を  
浮かべることだけだった。  
 
 
「はあ?何言ってんだ、お前……。あれだな、さては昨日の夜に『檸檬』や『葡萄』なんか  
の漢字の書き取りでもやってて熱でも出したのか?」  
返答に窮した俺としては、考えをまとめる時間稼ぎにこんな答えを返すしかないわけだ。  
すると気に入らない返答だったらしく、ハルヒは俺の方に顔を向けてギロッと睨め付けると、  
「はあ?あたしがそんなことをするわけないでしょ!いいから教えなさい!」  
……逆効果だった。  
ハルヒはまさに猪突猛進の字を体現するかのごとく、俺の席の前まで神速で移動し、顔には  
泣く子も黙るほどの威圧感のある笑みを浮かべながら、俺の胸ぐらをつかんで顔を近づけて  
きた。  
「ほら、キョン。隠すと身のためにならないわよ!」  
「なんでそこまでされて、お前に教えなきゃならんのだ」  
俺にはハルヒのこの詰問の意図するところがまるでわからないが、妙に寒気がするのは気  
のせいか?  
 
「何をためらっているの?ただ、あたしに好みのタイプを教えてくれればいいだけじゃない」  
「……それを聞いて、お前はどうしようと言うんだ?」  
ハルヒは少し答えに詰まりかけたが、すぐに答えを見つけたのか、こう切り返してきた。  
「別にどうもしないわ。ただ、あんたがデートした相手って、どっちも少し似た感じの  
女の子じゃない?だから、あんたみたいなさえない男は、そういうのが好きなのかなと  
思っただけ。別に深い意味はないわ」  
 
……深い意味がないと言うなら、お前のその形相と、全力で疾走するディープインパクトさ  
え跳ね飛ばしてしまいそうなその勢いは何なんだ?  
 
しかし、こんな問答をしているうちにもさらに迫り来るハルヒ。これは精神的にもそうだが、  
ハルヒを阻止しようと精一杯の抵抗を見せる俺の腕のあたりに2つのプレッシャーを感じる  
のは落ち着かない。  
なにやら、不覚にも妙な気分にもなっちまいそうだ。  
・・・・・・こんなところを他の部員にでも見られでもすれば、いらぬ誤解を与えてしまうことに  
なるに違いないだろうぜ。  
 
「ガチャッ」  
 
「遅れちゃってごめんなさぁい」  
……最早説明するまでもないだろう。俺の脳髄をしびれさせるえもいわれぬその声、だが……。  
お約束ですね、朝比奈さん。  
まるで、タイミングを見計らって入ってきたとしか思えない、未来からやってきたポンコツ  
天然少女(失礼)我が天使の朝比奈さん。  
彼女は謝罪の言葉を口にしつつ、俺とハルヒが繰り広げる攻防戦を目撃し、その光景に唖然  
とした。そして彼女は熟れたリンゴのように頬を真っ赤に染め上げた。  
「お…お取り込み中でありますか。ご…ごめんなさぁい!」  
微妙に口調が変だが……。  
 
こんなこと前にもあったな、と俺があきらめと悟りの境地で、もごもごしながらあたふたして  
いる挙動不審の朝比奈さんを見つめていると、第二の目撃者がやってきてしまった。  
解説好きのスマイル野郎、古泉だ。  
古泉は、端から見れば修羅場か、あるいは遺憾ながらじゃれあっているようにしか見えない  
この状況を認めると、微笑ましそうな表情を浮かべ、朝比奈さんを促して部屋の外へとU  
ターンしようとした。  
 
すると時を同じくして、珍しくも遅れてきた長門が部室にやって来た。  
 
長門は遅れてきた割にはいつものごとく一言も発さず、喧噪甚だしいこの部室のその状況に  
反比例するかのような静寂を伴って入ってきた。  
そして彼女は俺とハルヒを一瞥したが、この騒動には興味がないらしく、テーブルの上に鞄  
を置いてパイプイスに腰をかけ、ダンベル代わりになりそうな一冊の極厚本を取り出しそれ  
を広げた。  
 
その長門の落ち着いた行動の効果と言っていいのか、ハルヒにとって幾分の鎮静剤となったよ  
うで、まるで業務用冷蔵庫に放り込まれた温度計のように、興奮のバロメータをみるみるう  
ちに引き下げ、繊維がバラバラになってもう修復不可能かと思えるような俺のシャツから  
ようやく手を離した。  
そしてハルヒは俺から顔をそらすと、何事もなかったかのように自分の席まで戻り、イスに  
静かに腰を下ろした。  
 
それにしても、俺に迫っているを皆に目撃されて、恥ずかしがったり照れたりすりゃ、ち  
ょっとはかわい気があるんだが、ハルヒの奴、平然としていやがる。  
まあ、ハルヒのそんな姿なんぞ想像できないし、した日には体中に湿疹が出そうだ……。  
そのハルヒはといえば、パソコンの画面を見つめながら、制服姿のままの朝比奈さんにお  
茶を要求し、それを受け取ると高級茶葉の価値をみじんも感じさせないほどにすぐさま飲  
み干した。  
 
そしてハルヒは、さっきまで俺に迫っていたことは、まるで忘却の彼方に追いやったかの  
ように、朝比奈さんに対するセクハラ行為を行っている。  
廊下で足音がこいらに向かってきたようで、部室のドアの前で立ち止まった。  
 
「たのもう!」  
ここはいつから道場になったんだ?  
だが、ハルヒは部室の外から聞こえる声を完全に無視して、朝比奈さんの口から悩ましげな  
声が漏れるほどに、彼女の胸を揉みしだいている。  
「だから、たのもう!と言っているじゃないか!」  
こちらからの返事を待ちきれず、ある人物が部室のドアを開け、押し入った。  
不機嫌そうな表情を見せるハルヒ。  
いいところだったのにちょっと惜しい、と思ってしまった青い自分が呪わしい。  
だが、俺は入ってきたその人物の顔を見るやいなや、再び騒動の種が持ち込まれたことを感  
じざるを得なかった。一難去ってまた一難だ。  
その人物とは、お隣さん兼SOS団下部組織と成り果てたコンピ研の部長氏だ。  
 
部長氏の姿を見た朝比奈さんは、最早彼女にとって、トラウマと化したかつてのパソコン強奪  
事件における恐怖体験を想起させるのか、気の毒にも怯えの表情を浮かべた。  
もちろん、悪いのはハルヒであって部長氏ではないのだが、彼自身が朝比奈さんのトラウマ  
の対象となってしまっていることには同情の念を禁じ得ない。  
 
「あら、誰かと思えばコンピ研の部長じゃない。なぁに?またパソコンをくれるの?でも、  
今のところ間に合っているから無理しなくてもいいわよ」  
……この女は、罪の意識というものを感じたことがあるのか?  
コンピ研の部長氏はSOS団に――というよりハルヒにだが――目をつけられたがために、  
その運勢が凋落の一途をたどることになった気の毒な存在だ。  
だが、その部長氏のことを、ハルヒはパソコンの配達業者程度にしか思っていないようだ。  
 
「ちがう!僕はそんな用で来たんじゃない。別のことで来たんだ。それとも、君たちはこれ  
以上僕たちからパソコンを巻き上げるつもりか?なんなら、以前君たちがやった卑劣きわ  
まりないパソコン強奪劇のことを生徒会の耳に入れてもいいんだぞ」  
ああ、あれだ、こんなことわざがあったな。馬の耳に念仏ってやつが。  
さしずめハルヒの耳に苦情。とでも言った方がいいか。  
言葉の通り、こんな抗議や脅しでは、ハルヒのチタン合金より頑強な神経は、地球の裏側で  
おきた地震ほども揺るがない。  
 
だがそんな部長氏の勢いは、ハルヒが一言も発さず昂然としていることに怖じ気づいて、まる  
で商店街のアーケードに引っかかったゴム風船のように、徐々にしぼんでいった。  
「そ、そんなことはどうでもいい。実は、今日おもしろいイベントを提案しに来たんだ」  
と、ついには前言を撤回し、本題に入った。  
 
イベントと聞いて、退屈を嫌うことの甚だしいハルヒは、俄然瞳の色を輝かせた。  
「なに?校長の髪の毛を本人に気づかれずに全部抜いてくるとか、それとも『テロが起き  
た』って警察にイタ電でもするの?」  
どんな罰ゲームだ?それは。……おまえは無期限停学処分でも食らいたいのか?  
「違う!僕が持ってきたのはこれさ」  
と部長氏が差し出したのは、一枚のDVD−ROMだった。どうやらゲームソフトらしい。  
「なあに、これ?またゲームで対戦をやるの?それに勝ったらパソコンを返せっていうん  
だったら容赦しないわよ。今度は北口駅前であんたたちのストリーキングをやってもらうか  
ら覚悟しなさい。その時には村上ショージのギャグを叫びながら歩くのよ」  
 
……二重の意味で寒さと羞恥に打ち震えることになるような、およそ常人には考えもつかな  
い世にも恐ろしい罰ゲームを提案するハルヒ。  
しかし、これは俺の勘だが、おそらく部長氏の目的はパソコンの返還などではなかろう。  
彼は、前回の件でSOS団に勝負を挑むことがどれだけ実のないことかわかったはずだ。  
なにせ完璧超人の長門に、超がつくほどの負けず嫌いのハルヒが相手では、彼らには荷が  
重い。相手が一般人じゃないのだからな。  
程なくしてハルヒの一方的な罰ゲームの発表が終わると、部長氏はいささか顔を引きつらせ  
て口を開いた。  
「ち…違う。パソコンのことはもういいんだ。実は……」  
 
部長氏の説明によると、今回は純粋にゲーム大会だ。このSOS団の面々に部長氏を加えた人数  
だけで行うということで、コンピ研の他メンバーは参加しないとのことだ。  
ただ、今回の大会における最大のポイントは、優勝者にある特典が与えられるということ。  
それは部長氏提供のファミレスの食事券。そしてそれに加え、優勝者にはそれを使ってメン  
バーのうちの誰かを誘う権利が与えられるらしい。もちろん指名された者は拒否できない。  
 
……俺には正直、部長氏の意図を計りかねた。  
誰かを誘いたいというなら、直接誘えばいいのだが、これまでパソコン一筋の部長氏には無  
理な話か。だが、こんな提案をハルヒが受け入れるわけがないよな。  
だろ?ハルヒ。  
「……いいわ。おもしろそうじゃない?やりましょう!」  
……って、即決かよ。  
 
「みんなは不服はないわよね?古泉君は問題なし。有希も反対意見はなしと。みくるちゃんも  
OK……なに?その顔は。みくるちゃん、い・い・わ・ね?……はい決定と」  
俺たちに、拒否権などありはしないのさ。ハルヒ独裁体制のこのSOS団にな。  
「みんな賛成してくれてるし、やりましょ」  
しかもあからさまに俺をスルーしていきやがった。この女は。まあ、どうせ俺が反対したと  
ころで、無駄な努力だろうがな。  
 
 
「でも、食事券だけじゃ優勝賞品としては貧弱よね。……そうね、あたしからはこれを提供  
してあげるわ。だからこれも賞品にしてちょうだい」  
と、ハルヒが鞄の中から取り出し、テーブルの上に差し出したのはペアの映画鑑賞券だ。  
しかし、そんなものをハルヒが持っているなんて、どういう風の吹き回しだ?  
それに、なんでハルヒはこれほどまでに乗り気なんだ?  
まさか朝比奈さんを誘って、映画館の暗闇に乗じてイタズラし放題をもくろんでいるのか?  
というか、ハルヒは日常からやってるから関係ないな。  
他に何か意図があるのかもしれんが、これ以上は考えないでおこう。いや、考えてはいけな  
い気がする。  
 
「これはね、昨日、新聞の勧誘員からもらったものよ。もちろん新聞は取らなかったけどね」  
などと、満面の笑みを浮かべ、武勇伝を語るかのように誇らしげに胸を張っているハルヒ。  
……お前は鬼か?  
運悪くも、ハルヒの家を訪問してしまったその勧誘員に、俺は同情するぜ。きっと精神的に  
追い詰められて、チケットを提供せざるを得なかったのだろう。  
おそらく金輪際、蟻地獄のようなハルヒの家を訪れる勧誘員はいないだろう。  
 
部長氏の説明が終わった後、全員ゲームのマニュアルに目を通し、さあ今から始めるわよと  
ハルヒが言い出しのだが、あとわずかで下校時間となるため、今日のところは操作の練習に  
とどめておくことになった。ハルヒも不承不承頷いた。  
「しょうがないわね。今日のところはこのぐらいにしておきましょう。でも、明日は授業が  
午前で終わりだから、お昼ご飯食べたらノンストップでやるからね。勝者が決まるまではみん  
な返さないから、そのつもりでいなさいよね」  
 
せいぜい、夕方までには終わらせてくれよ。よもや理科室の標本が動き出すような時間ま  
で、ってのは勘弁だぜ、ハルヒ。  
「じゃあ、あたしがみんなのお弁当を作ってきましょうか?」  
なんと、朝比奈さんはお優しくも、お手製の弁当をその美しい御手で作るとおっしゃっている。  
なんという幸福。まさしく重畳の至りだ。  
朝比奈さんが作った弁当なら、俺はたとえ中身が白いご飯だけでも、跪いてそれを頂戴するね。  
 
「ねえ、みくるちゃん。お弁当もいいんだけど、どうせなら調理室で何か作ってくれない?  
もう授業もないし、自由に使えるでしょう?」  
おいハルヒ、あそこは自由に使っていいところじゃないぞ、先生の許可がいるんじゃねえか?  
「そう?『ご自由にお使いください』って書いてなかったかしら」  
書いてねえよ。  
「そうだったかしら?まあ、いいじゃない。学校の施設はみんなのものなんだから、あたし  
たちが使ったって問題ないわよね」  
いかにもハルヒらしい。まさしくハルヒならではの論理だ。  
 
俺はハルヒの言葉を聞いて、すぐさま古泉に目配せした。すると、古泉はわかりましたとい  
う表情を浮かべて、微笑した。  
断っておくが、俺と古泉は目と目で意思の疎通が図れる特別な関係というわけではもちろん  
ないのであしからず。ただ、俺は無用なトラブルを避けるため、古泉に調理実習室の使用許  
可を取らせるべく合図をしたわけだ。  
このように、無茶で無謀で猪突猛進のハルヒの陰には、苦労して根回しなり、後始末なりを  
する俺たちの姿があるわけで、それがなくなればどんなにいいかとも思うが、なければない  
で物足りなくなるのかもしれんな。  
 
なんにしろ、朝比奈さんの手料理がいただけるわけで、俺にとっちゃ願ったり叶ったりだ。  
明日は至福のひとときを過ごさせてもらうぜ。  
「じゃあ、みくるちゃん、明日はお願いね。でも、もし一人で大変ならあたしも手伝うけど、  
どう?」  
殊勝にも朝比奈さんの手伝いをするというハルヒ。だが、朝比奈さんは軽くかぶりを振って、  
「大丈夫です。あたし一人でできますから」  
「そ、そう?」  
なぜか少し残念そうに見えるハルヒ。  
 
「何かリクエストありますか?あったらそれを作りますけど」  
朝比奈さんは柔らかなほほえみを浮かべて、そう提案した。  
いえいえ、朝比奈さんが作るものなら、たとえ冷凍食品を暖めただけでも、高級懐石さえも  
凌駕する味に変貌します。  
それでも、何かリクエストしようかとしばし考えていると、ある女子生徒が唐突に口を開いた。  
「……カレー」  
 
さて、誰の発言かは言うまでもないだろう。  
カレー大好き宇宙人、長門有希その人である。  
ちなみに、俺は今日、初めて長門の声を聞いた気がする。  
「カレーですね、わかりました。じゃあ、みなさん、明日は楽しみにしていてくださいね」  
もちろんです。俺はこれまで、明日という日をこれだけ待ち望んだことはありません。  
もはや、ゲーム大会のことなど、はるか銀河の果てである。  
などと、俺の浮かれた気持ちが顔に出ていたのか、ハルヒのジト目にギクッとさせられた。  
そんな時、明日の準備のために早めの帰り支度をしていた朝比奈さんが小声で俺に囁いた。  
「キョン君、あの、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」  
 
何でしょう、朝比奈さん。  
「カレーって、以前長門さんの家でご馳走になったあの料理でいいんですよね?」  
……?未来人である朝比奈さんは、カレーを食べたことがあまりないのだろうか?と、訝しげ  
に思いながらも取りあえず肯定しておく。  
そうですよ、朝比奈さん。あの時の料理がカレーです。  
「やっぱりそうだったんですね。じゃあ、『黄レンジャー』がよく食べていたものと一緒  
なんですね?」  
……なぜカレーのことはよくわかっていないのに、黄レンジャーは知っているんだ?ってい  
うか、あなたは本当は何歳ですか?  
 
朝比奈さんが、まともなカレーを作れるのかを少し不安を感じた俺は、明日悲劇を招かない  
ため、念のために助言をしておいた。  
「難しい料理ではありませんし、スーパーにはカレーのルーも売っていますから、それを使  
えば簡単に作れますよ」  
「キョン君、ありがとう。うん、カレーを作るのは初めてだけど、今日お料理の本を読んで  
予習するから、たぶん大丈夫。だから、安心して明日を待っててね」  
 
朝比奈さんの天使の笑顔に促されて頷きはしたものの、なんだ、この言いしれぬ不安感は?  
朝比奈さんが、決して料理下手というお約束スキルを保持しているわけではないことは、以前に実証済みなのだが、明日何かが起きそうな予感がしてならない。  
 
 
 
下校時間の到来とともに、ハルヒによる解散宣言を受けて、俺たちは三々五々帰路につくわ  
けだが、校舎を出ようとしたころ、意外にも明日のイベントの企画者であるコンピ研の部長  
に声をかけられた。  
「君!キョン君と言ったっけ?ちょっといいかな」  
何が悲しくて、コンピ研の部長にまで渾名で呼ばれねばならんのだ?  
「ええ、かまいませんが、どういうご用件でしょうか?」  
「ここじゃなんだから」  
というわけで、俺たちは学校の裏庭に移動し、部長氏から手渡されたコーヒーを手に、ベン  
チに腰掛けた。  
 
部長氏はやや思い詰めた表情にも見え、次の発言が待たれた。  
「実は話というのは他でもない。君に朝比奈さんのことを聞きたいんだ」  
どういうことでしょうか?  
「忘れられないんだ」  
は?  
「だから、あの時のあの感触が忘れられないんだ!」  
ますますわからん。部長氏は何が言いたいんだ?  
「去年の春、君のとこの団長さんの策略にはめられて朝比奈さんの胸を触ってしまったわけ  
だが、それ以来、僕の中にもやもやとした感情がくすぶっていたんだ。それからというもの、 
ことあるごとにあの日の感触が思い出されてしまって、勉強も手につかないことがあったのさ。 
それで最近、これが恋だと言うことに気がついてしまったんだ」  
 
古今東西、恋のきっかけというものは人それぞれだろうが、部長氏は朝比奈さんの胸を触っ  
てしまったことで目覚めたという。  
俺は16年間生きているが、胸を触って恋に落ちるなどと言う話を聞いたのは初めてだ。おそ  
らく、今後も耳にすることはないだろうが。  
あまりに突飛かつ、意外な話に呆気にとられている俺にかまわず、部長氏は話を続けた。  
「前にもゲームの対戦をしたことがあったろう?あのとき、団長さんは朝比奈さんを賭の対  
象として差しだそうとしたしたけど、僕が断ったのは君も知ってのとおりだ。あのころはお  
互いトラウマの対象であることの方が大きかったし、僕はこの気持ちを必死に否定していた」  
 
では、今回こんなイベントをハルヒに提案したのは……  
「そういうことなんだ。君も回りくどいことだと思っているんだろうけど、今、朝比奈さんに  
告白しようとしたところで、彼女は怖がってまともに相手にはしてくれない。だったら、  
こんなことでもいいから彼女とデートをして、そこで僕のことを知ってもらって、さらに僕  
に対するわだかまりを取り払ってもらった上で告白しようと思ったんだ。幸い、僕のもくろみ  
通り、というよりそれ以上にあっさりと団長さんも乗ってきてくれたしね。」  
 
ですが、どうして俺に話をしようと思ったんです?  
「君が、あのなかで一番話せる人間だろうと思ったからさ。こんなことを聞いてくれるの  
もね」  
そういうと、部長氏は本来の目的であったはずの朝比奈さんのことを俺から聞くこともなく、  
礼を言って去っていった。  
部長氏が去った後、両手に持ったコーヒーカップのぬくもりを感じながら、俺は赤く染まり  
つつある空を見つめていた。  
 
日は変わって翌日の放課後、待ち望んでいた昼飯時だ。  
授業の終了とともに帰り支度を始めた谷口が、お前も気の毒だなという哀れむような表情を  
浮かべていたが、俺は谷口に対する優越感でいっぱいだった。  
理由は簡単、今日は朝比奈さんの手料理を味わえるという貴重な一日なのだ。これでは憂鬱になろうはずもない。  
 
俺は教室を後にし、昼食担当である朝比奈さん以外のSOS団全員と、コンピ研部長がすでに  
いるはずのSOS団部室に向かった。そこで時間調整の後、ハルヒを先頭に、俺たちはぞろぞ  
ろと調理実習室へと移動する。  
さて、今日はカレーがテーブルに並ぶはずだ。心なしか長門もうかれて見える。もちろん俺  
も楽しみにしている。  
 
俺たちは調理実習室にたどり着いた。そこからはカレーのいいにおいが……  
しない……?  
これはひょっとして……。  
ドアを開けると、実習室のテーブルに並べられていたものは……  
 
なんと、ハヤシライスだった。  
 
皆の驚きに、まるで気づいていないメイド姿の朝比奈さんに、俺はあわてて耳打ちする。  
「朝比奈さん。これはカレーじゃなくて、ハヤシライスですけど……」  
「ええ!?そうなんですか?……あたし、間違ってハヤシライスのルーを買っちゃったみた  
いです」  
驚く朝比奈さん。ていうか、匂いでわかってください。いや、それより前に、ルーの外箱  
の表示が違うことに気づいてください。  
「……」  
長門は少し、ムッとしているようだ。  
 
朝比奈さんのポンコツぶりにますます磨きがかかっている最近の様子を見ていると、今の朝  
比奈さんがあの朝比奈さん(大)につながっているとは、正直とても考えられない。  
俺には朝比奈さんの健やかな成長を祈るしかなかった。  
さて、多少のトラブルは勃発したが、気を取り直して、俺たちは朝比奈さんの手製の料理を十  
分に堪能することができた。  
若干一名、まあ、朝比奈さんなんだがな、長門の視線に少し怯え気味だったのが気の毒では  
あったが……。  
 
そして時は過ぎ、俺にとって幸福きわまる昼食が終わり、いよいよメインイベントであるゲーム大会の時間となった。  
俺たちはSOS団部室に戻り、パソコンを立ち上げ各々の席でスタンバイし、ハルヒの開始  
宣言を待っていた。  
ちなみに言い忘れていたが、ゲームの内容はこうだ。  
タイトルは『足利氏の野望』といい、歴史シミュレーションゲームで、コンピ研オリジナル  
と言うことだ。なお、内容的には世間的にも有名な某ゲームを踏襲している。ただ、シリー  
ズのいいとこ取りをしたシステムということで、ある意味本家を凌駕しているといえなくも  
ない。  
最後に勝利条件だが、それぞれが好きな戦国大名を選択し、最後まで生き残ったプレーヤーが  
優勝者だ。なお、跡継ぎによるプレーの続行は認められない。担当する大名が死ねばそこで  
ゲーム終了だ。  
 
ハルヒは部室を見渡し、全員の準備が整ったことを確認して開始の宣言を行った。  
「さあ、みんな、準備はいーい?じゃあ、始めるわよ。戦闘開始!トラ・トラ・トラよ!」  
おいハルヒ。それ時代も使うシチュエーションも違うだろ……。  
とにもかくにもゲーム大会はが開始されたのだ。  
ところで、それぞれが担当する大名だが、ハルヒはその性格に共通点があるのか、予想通り、  
織田信長だ。そして、朝比奈さんは当時松平元康と名乗っていた徳川家康。長門は松平家の  
直上、甲斐信濃を支配する武田信玄。ハルヒの忠実なる太鼓持ち古泉は、意外にも少し離れ  
た相模周辺を統治する北条氏康だ。そして、この大会の提案者であり、優勝を誰よりも欲し  
ているであろうコンピ研の部長氏は、このゲームのタイトルもなっている将軍家である足利  
氏、足利義昭だ。  
ちなみに俺は、人材、地の利など、境遇に恵まれている島津義久を選択しておいた。  
 
さて、ゲームが開始したが、俺はすぐには攻め込まなかった。  
ますは内治に努めて国力の増強を図り、力を蓄えることにした。1ターン目は内政のコマン  
ドの実行で終えた。  
しかし2ターン目、早くも波乱が起きた。  
長門担当の武田信玄が、朝比奈さんの担当する松平家の支配する領土にいきなり攻め入った  
のだ。  
ここで、朝比奈さんは致命的なミスを犯した。彼女はどうも操作がよくわかっていないらしく、 
籠城戦をすべきところを野戦決戦に出てしまい、武田信玄自ら率いる最強の騎馬軍団により  
1兵たりとも残らないという、全滅ではなく殲滅の憂き目にあった。  
何が起きた理解できず、茫然自失の朝比奈さん。いくらゲーム音痴の彼女とはいえ、2ターン  
目にして早くも敗退するとは思いもよらなかっただろう。  
 
しかし、長門……。おまえ、カレーのことで根に持っていただろ?  
普段、ドライアイスのような冷静さを持ち合わせる長門の、意外な一面を垣間見たようだ。  
 
その後、長門は余勢を駆って、疾走する馬のごとく、猛烈な勢いで主に北陸、北関東、東北  
をほぼその手中にし、勢力を拡大していった。  
この勢いにはさしもの古泉もなすすべがなく、南関東と、東海東北の一部をその版図に入れ  
たに過ぎず、現状は長門に圧迫されつつあった。  
ハルヒはというと、北陸の一部から美濃、近畿のほとんどを奪取し、現在部長氏の足利将軍  
と対峙している。  
 
そして、現在ハルヒと対決中の部長氏だが、本拠である山城の国と、中国地方の東半分をその  
勢力下におくことで精一杯だった。  
ただ部長氏にとって幸運だったのは、ハルヒが勢力を拡大し続ける長門信玄を無視できず、  
その牽制に軍勢を割かれ、部長氏攻略を疎かにせざるを得ないことであった。  
これで部長氏は、かろうじて一息ついたと言うことか。  
とはいえ、足利氏は将軍家であっても、この時代一個の中堅大名に過ぎず、正直なぜ部長氏  
がこの大名を選んだのか疑問ではあるが。  
 
そして、数ターンが過ぎ、長門に包囲されていた古泉は徐々にその勢力を縮小し、ついには  
堅固な城である小田原城に籠もることになり、さらに数ターンの兵糧攻めの後、滅ぼされた。  
かくしてプレーヤーで生き残っているのは、ハルヒと長門、部長氏に、そして九州を制圧して  
その版図を中国四国地方に拡大しつつある俺であった。  
 
それから数ターンが経過したとき、突然、部長氏が史実の通り、ハルヒ追討令を発布した。  
これはこのゲームの独自機能というべきもので、さらに言うと、足利氏のみに与えられた  
特権であり、史実よりも遙かに諸大名に対して強制力があった。  
つまり、全大名には信長であるハルヒに対して、軍事的圧力をかける義務が課せられたのだ。  
その命令を受け、古泉を滅ぼしたことによりほぼ東日本を制圧した長門は、次の攻略勢力で  
もあったハルヒにターゲットをしぼり、全力を傾けて圧迫を加えてきた。  
戦線は膠着状態にあるが、多方面から侵略を受けるハルヒに対して、兵力の逐次投入を続け  
る余力のある長門が徐々に押してきた。  
押されて、後退を余儀なくされるハルヒ。  
「ちょ、ちょっと有希!少しは手加減しなさいよ!」  
たまらず、悲鳴を上げるハルヒだが、長門は容赦しなかった。  
長門をそこまで本気にさせているのは何なのか?俺には皆目見当がつかなかった。  
そして時間の経過とともに、クレヨンで塗りつぶすかのように、ハルヒの支配地域を浸食し  
てゆく長門。もはや戦局は決したか?  
 
そんな長門とハルヒの戦いを傍観しながら、自分の思い通りの展開になりつつあるのか、ほ  
くそ笑みながら、朝比奈さんの方をしきりにチラ見する部長氏。  
なるほど、彼が足利家を選択したのはこのためか。自分の力を使うことなく、敵対勢力を  
苦しめることができる。さらにその攻撃に参加した連中の力をもそぐことができる。  
つまりは一石二鳥か。少し、やり方が気に入らないがな……。  
再び戦局に目を向けると、なぜそこまでとおもえるほどに全力の長門に押されに押されて、  
ハルヒの運命はもはや風前の灯火だった。  
だが、運命の女神は残念ながらというか、それとも幸運にもと言うべきか、ハルヒを見捨てな  
かった。  
なんと、武田信玄が突然病死してしまったのである。これでも史実よりも遙かに長く生きた  
わけではあるのだが……。  
突然の死という、まったく思いもよらないことで退場を余儀なくされる長門。彼女は無表情  
ではあるけれど、さすがに残念そうに見えるのは俺の気のせいではないだろう。  
 
最強の敵の死により、九死に一生を得たハルヒは、朝鮮戦争での国連軍のように、またたく  
まに領国を奪還し、国力を急回復させた。  
するとすぐさま身を翻し、まるでネズミを捕食しようとする蛇のように、自分を苦しめる原因  
を作った部長氏に対して、全力を持って猛然と襲いかかった。  
俺は当初、多少おもしろくなかったとはいえ、朝比奈さんを思う部長氏には理解を示し、や  
や協力的ではあった。しかし、かといってこの絶好の機会を逃すわけにも行かず、意を決し、  
ハルヒに呼応して部長氏の領国へと攻め入った。  
その攻撃は質量ともにすさまじく、戦術を考慮するまでもなく、ほぼ力攻めで押し切ること  
ができた。その結果、俺とハルヒの二大強国の挟撃により、部長氏はなすすべもなくあっさ  
りと滅びた。部長氏はまさしく、蜘蛛の糸が切れて地獄にまっさかさまに転落したカンダタ  
のようだった。  
 
俺は、部長氏の計画を頓挫させてしまったことに、いささか後味の悪いものを感じざるを得な  
かったが、同時にほっとする感情も否定できなかった。  
優勝を逃してしまった部長氏は、恐らくあきらめきれずに、玉砕覚悟で朝比奈さんに告白で  
もするのだろう。  
ただし、玉砕する確率は九割、いや九割九分か?まるで、竹ヤリ一本もって単身硫黄島に乗  
り込んで、そこで勝ち目を見いだすようなものだが……。  
 
結局、最後まで残ったのは俺とハルヒだった。  
部長氏の滅亡とともに一時的な協力関係を解除し、改めて対峙する俺とハルヒ。  
勢力は拮抗していると言いたいところだが、ハルヒは滅亡の危機を経験していながら、長門  
の撤退後、以前よりもその勢力を拡大し、今や俺を凌駕する存在に成長していた。  
ハルヒは己の勝利を確信しているのか意気軒昂、今や飛ぶ鳥を落とす勢いだ。  
 
そして、ハルヒは何が嬉しいのか、高輝度発光ダイオードもかすむほどの笑顔を満面に浮か  
べ、今にも鼻歌を奏でんばかりであり、隣の古泉がニヤニヤとしているのが気に入らない。  
…って、古泉、なぜ俺に向かってニヤついているんだ?  
朝比奈さんもです。そんな微笑ましそうに、なぜハルヒでなく俺を見ているんです?俺に  
は関係ないはずですが?……たぶん。  
 
さて、どうしたもんだろうな。ハルヒの笑顔を見ていると、その笑顔に免じて負けるっての  
も悪かない、なんて不覚にも思ってしまったのだが、だからといって、このまま負けるとい  
うのはおもしろくない。  
現在、投入し得る兵力にしても配下の武将の質にしても、ハルヒの方が勝っていると認めざ  
るを得ないのだが、何かつけいる隙はないものかね。  
俺は、団長席に座っているハルヒの様子を窺いながら、しばし沈思黙考していた。  
………まてよ、あの方法ならば可能か。  
 
と、突如として、俺はあることがひらめいた。今大会の勝利条件と、ハルヒの性格とを利用  
すれば、勝ち目は出てくるのではないかと。  
ただ、この策はハルヒに気がつかれる可能性もあるのだが、今のままではジリ貧の憂き目に  
あう。それならば、それに賭けてみる価値はあるのではないか?俺はその策を実行に移すべ  
く、すみやかに周到な準備を行った。  
 
まず手始めに、今現在ハルヒと隣接している備中とその西隣の備後の二国から、金と兵糧を  
必要最低限のみ残し、後は周辺国に送った。そして、次のターンには目的とは異なるハルヒの  
領国を攻める体を装い、二地域から兵力を送る欺瞞工作を行った。だが、あくまでも減らし  
すぎないことが要点だ。  
これで、ハルヒへの勝利という豊かな実りへの種まきはほ完了したが、ハルヒはこの策に乗  
るか、それとも気がつくのか。  
「フッ」  
どうやら俺の意図することに、古泉は気づいたようだ。ということはもちろん長門も気づい  
ているはずだ。ただし、部長氏と朝比奈さんはまるで気がついていないようだ。  
 
すると、俺が兵力を減らしたことに目をつけたハルヒは、絶好のチャンスとばかりに、大軍  
を擁して、隣接する俺の領国である備中へと侵攻した。  
―――食い付いた。  
自らが指揮官として参戦したハルヒ軍との合戦が起こると、俺はなるべく長期戦を志し、さら  
には兵力の消耗を抑えた上で敗戦した。  
予定通りだ。  
ハルヒは俺の領土どころか、そこの敗残兵まで飲み込んだことに、有頂天だ。  
気をよくし、次のターンを迎えたハルヒは、ふくれあがった兵力のまま、さらに西の備後へ  
と攻め込んだ。  
 
後方からの補給を待たずに、だ。  
 
ハルヒが攻め込んだことを確認した俺は、先ほどハルヒにより陥落した備中を、北方から軍  
勢を起こし、速戦即決で奪還した。  
これにより、現在備後を奪取してまもないハルヒ軍は、補給路と逃走路を遮断されることに  
なった。  
包囲され、孤立無援の状態となったハルヒ。ここにいたって、彼女はようやく俺の真の目的  
に気づいたようだ。  
 
つまり、この大会の勝利条件としては、ハルヒの領国をすべて攻めつぶす必要はなく、ハル  
ヒ一人さえ倒してしまえばことは足りるのである。しかもハルヒは本国でじっとしていられる  
性分ではなく、主要な戦いには必ず指揮官先頭で参戦してくる。  
俺はそこに勝ち目を見いだしたのである。幸いにも、俺の考え出した策は見事に図に当たった。  
といっても古泉には見破られる程度のもではあったが、ハルヒは騙せたようだ。  
 
俺は最後の戦いとばかりに、動員できる限りの軍勢をハルヒがいる備後へと投入した。ただし、  
戦いと言っても無闇に兵力を消耗するつもりも、ハルヒにさせるつもりもなかった。  
ただ単に、長期戦を繰り広げればいいだけなのだ。そうすれば大軍団を食わせている兵糧  
はやがて尽き、兵士は干涸らび、そして自動的に俺の勝利となるわけだ。  
それに今更のように気づき、悔しさと焦りの感情を前面に押し出しているハルヒ。  
ハルヒは勝利への執着があるためか、俺をにらめつけたり、画面を凝視したりを繰り返して  
いる。だが、もう遅い。  
ゲームオーバーだ。  
 
ハルヒ軍の兵糧が、残りゼロを示したことで、俺の勝利が決定した。  
 
「あんなことをするなんて、卑怯よキョン!」  
と言うものだと予想していたのだが……。  
ハルヒは妙にしょんぼりして、実にハルヒらしくない。  
「よかったわね、キョン。あんたは、みくるちゃんか有希でも誘うんでしょ?」  
と意外なことを言い、先刻ハルヒが勝利を目前にしているときには、遠足前の小学生のよう  
に喜色を満面に浮かべていたというのに、今はやけにあっさりしている。  
 
いささか拍子抜けをした感は否めないが、このたび行われたゲーム大会は、俺の優勝で幕が  
閉じた。  
したがって、最初の取り決め通り、俺には優勝賞品のファミレスでの食事券と、映画鑑賞券、  
それに、その相手を指名する権利が与えられた。  
……俺はいったい誰を誘うのか?朝比奈さんか?あるいは長門か?それとも……?  
俺は誰かを念頭に置いてゲームに参加したわけではないので、いざ、誰かを選べと言われると、  
とたんに躊躇してしまい、にわかには選べないのである。  
 
「さあ、キョン!いったい誰を指名するの?」  
気を取り直したハルヒが、挑むような窺うような視線で、俺に結論を急がせようとする。す  
ると、部屋にいた人間が俺に一斉に照準を合わせた。  
なにやら、期待と好奇の籠もったみんなの視線を一身に受け、逃げ出してしまいたくなる俺  
であり、実際一時退却することにした。  
「悪い、ハルヒ。忘れ物をしたから、ちょっと教室へ戻るぜ」  
ハルヒが声を発する間も与えず、俺は部室から飛び出した。  
だが、実際には忘れ物をしているわけではなく、単に考える時間がほしかったのだ。  
 
そういうわけであるから、俺は教室には向かわず、ベンチに座って春の暖かな空気のなか、  
誰を指名すべきかを呻吟していた。  
「やあ、やっぱりここでしたか」  
と言う声が聞こえ、俺の前に立った古泉が、スッと紙コップに入ったコーヒーを俺に手渡した。  
何の用だ?もしやお前を誘えって言うんじゃないだろうな?  
それを聞いて、古泉はさも愉快そうに相好を崩し、  
「それは非常に魅力的な提案ですが、今回は遠慮しておきましょう」  
 
俺はコーヒーを胃に流し込み、あたりまえだ、と一言返した。  
「どうやら、悩んでいるようようですね。僕はもうあなたは誘う相手を決めているものだと  
思っていましたが?」  
まだ決まっちゃいないよ。ところでお前は何をしに来たんだ?  
「いえいえ、僕はあなたにきっかけを与えて差し上げようと思いましてね」  
なんのことだ?というと、古泉はやや改まった様子で口を開いた。  
 
 
「ところで、あなたは、朝比奈さんやミヨキチさんと以前デートをしましたね?」  
何を藪から棒に。  
……あれがデートだったとは思わないが、確かに一緒に出かけはした。  
「それに、長門さんとも図書館デートをしているそうですね?」  
なぜお前が知っている、っておい、みんな誤解だ。俺は誰ともデートをしたつもりはないぜ。  
「ですが、そう思わない方もいるようで。彼女はそのことをなにやらうらやましく思い、あ  
なたと二人きりで出かけてみたいと思いつつも、だからといって素直にあなたを誘うことも  
できない。そんな彼女にとって、今回のイベントはまさにうってつけ、渡りに船だったわけ  
です。彼女が優勝の暁には、なんだかんだと理由をつけて、あなたを誘うつもりだったので  
しょう。ただ、残念ながら、彼女の思い通りの結果にはなりませんでしたが……」  
 
……馬鹿な奴だよ。  
古泉が名前を出さずとも、それが誰であるのか、俺にはわかってしまっていた。だが、誰だ  
かは言わないでおく。  
それで、お前は何が言いたいんだ?  
と俺が言うと、古泉はかぶりを振りつつ、  
「いえ、これ以上は何も。ただ、ここまで聞いてしまうと、あなたとしては動かざるを得ないでしょう」  
と言い、ベンチから立ち上がると、古泉は校門へと向かった。しかし、歩みの途中で振り返  
ると、  
「ああ、そう言えば、彼女はまだ部室にいるはずですよ。春休みにおけるSOS団の活動を検  
討すると言っていましたからね」  
とだけ言い残して、再び歩き出した。  
 
古泉が去った後、少し躊躇したが、意を決して俺も立ち上がり、いったん背伸びをすると、  
部室に向かって足を進めた。  
 
俺がSOS団の部室のドアを突然開けると、そこにいたハルヒがあわてて何かを隠した。  
まあ、それはいいんだが。  
「キョン、やけに遅かったのね。あんたが遅いからみんな帰っちゃったわよ。残念ねえ、み  
くるちゃんも有希もいなくて」  
ハルヒはアヒル口をしながらそううそぶいた。  
いや、いいのさ。ハルヒ、お前に用があるんだ。  
「……あたしに?な、なんなの?さっさと言いなさいよ。どうせろくでもないことなんで  
しょうけど」  
やや動揺したが、あわてて体裁を取り繕うように、意味もなく胸を反らせ、俺をにらみつけた。  
「……お前がくれた映画のチケットだけどな、あれ上映が来週の金曜日までしかないじゃね  
えか。と言うことは、今週の土日のどっちかに行くしかないんだよ」  
「そうだっけ?じゃあ、明日にでもみくるちゃんか有希を誘えばいいじゃない?」  
「二人とも週末は予定があるそうだぜ」  
もちろん、これは俺のハッタリだ。  
「なら、古泉君でも誘えばいいじゃない」  
なぜ、そっちにいく?  
 
「だから、俺が言いたいのはだな……こんなチケットを提供した、お前が責任をとれと言って  
いるんだ」  
とうとう言ってしまった。すると、ハルヒの頬にわずかに朱が差し、  
「バッ……そ、そう?本当に、相手のいない男はしょうがないわね。……わかったわ、しょ  
うがないから、あんたがどうしてもって言うんなら、つきあってあげなくもないわよ」  
そうかい、ありがとよ。  
「か、感謝しなさいよね。それと、当日1秒でも待ち合わせに遅れたら、全部あんたのおご  
りだからね」  
ハルヒは俺でさえ惹きつけてしまいそうな、とびきりの笑顔を見せて言った。  
 
当日、わざと遅れていくか。そうすりゃ、『遅いわよ、キョン。約束通り、今日は全部あんた  
におごってもらうからね』などと、嬉しそうに言うのだろうな。などと、ハルヒの笑顔を眺  
めながら、俺は不覚にもそんなことを考えてしまった。  
 
 
 
ああ、それと部長氏のことだが、あのイベントの後、勇者部長氏は朝比奈さんに告白し、見事  
玉砕、名誉の戦死を遂げたと言うことだ。  
合掌  
 
 
終わり  
 

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