「涼宮さんの様子はどう?」  
「どうって、俺にそんなこと訊かれても困るんだがな」  
 彼は訊くたびにこんな反応をよこす。  
「大体どうして俺なんだよ。意味が分からん。納得も行かん」  
「あなたが一番近くにいるからよ」  
 
 そう。あらかじめ分かっていたこと。  
 涼宮ハルヒが彼に接近すること、彼が涼宮ハルヒに接近すること。  
 
 そして、わたしが彼を殺そうとすること。  
 
 わたしが、消えてしまうこと。  
 
 
――わたしたちがいなくなる日――  
 
 
 朝倉涼子。高校一年生。  
 広域宇宙体たる情報統合思念体急進派の対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェー  
ス。  
 同主流派のインターフェース、長門有希のバックアップを兼任。  
 
 
 ……このマンションで暮らして、三年になる。  
 
 観察対象、涼宮ハルヒの動向は高校入学を期にふたたび変化を始めている。  
 
 わたしの時間制限も、間もなく尽きる。  
 それはあらかじめ決まっていたことなのだ。  
 
「長門さん。今日の夕飯はどうする?」  
「ひとりで作る」  
「あ、また簡単に済ませちゃうつもりでしょう。ダメよそれじゃ。あなたはわたしより観察期間も長い  
んだから。もっと有機体としての自分の身体をいたわらないと」  
 長門有希は涼宮ハルヒが作った団体の部員。  
 統合思念体が配置したインターフェースの中で最も対象に近い位置にいる。  
 
 わたしたち端末に、思念体の意図はわからない。  
 わたしたちは基本的には観測に徹し、時に課せられる役割を全うする。  
「そろそろだなぁ。あと二週間と少し」  
 それでわたしの役目はおしまい。   
 
「……」  
 長門有希は黙って味噌汁をすすった。  
「これまでありがとうね」  
 わたしは言った。なぜそのような事を言ったのか、特に理由はない。  
「……べつに」  
「ふふ」  
 長門有希は思念体のインターフェースの中でも特別制限が多い。こと感情面において。  
 彼女でなくてはならない理由があることはわたしにも推測できるが、それが何故なのかは分からない。  
 
 予定ではわたしの消失日が今月二十五日午後五時五十二分四十一秒。  
 長門有希の消失日が十二月十八日午前四時二十三分。  
 
 そこでわたしたちは役目を終える。  
 わたしに関して言えば、この星の生命体そのものに未練はない。  
 
 ならば彼女はどうなのだろう。  
 涼宮ハルヒと彼女に関わる人間に近い場所にいる彼女なら。  
 ……その性格ゆえに、わたしよりもっと無関心だろうか。  
 
「わたしは長門さんと違って読書は好きじゃないし、これまで退屈だったわ」  
「……」  
 
 このやり取りすらもね。  
 どうして端末単体の思考能力まで与えられているのかしら。  
 観測ができればいいのなら、何も人型をしなくてもいいんじゃない?  
 
「それが、あなたに与えられた仕事」  
 長門有希は言った。……いつもこう。あなたにはわたしの退屈は分からないのね。  
 
 
 ――――  
 
 
 <高等監察院‐インスペクタ>より送信。  
 インターセプタ。  
 貴君の責務は固体名「神田健一郎」の時間的ループの解除。  
 あくまでも指定の処理を正確に行うこと。余計な行動は慎むこと。  
 
「わかっております。高等監察院」  
 わたしは交信を解除した。  
 
 五月二十日。今日はいい天気ですね。  
 この世界は、どれくらいぶりでしょうか。  
 
 ……彼に会うのは、どれくらいぶりでしょうか。  
 
 
 わたしには大切にしている記憶がある。  
 それは、幼い頃の恐怖と共にあった、果てしない安堵。  
 
「もう大丈夫だ」  
 
 差し伸べられた手、優しい笑顔、茶色がかった髪、  
 射しこんだひとすじの光。  
 
 彼はわたしをいつまで続くかわからない暗闇から救い出してくれた。  
 まだ幼かったわたしは、本来、彼と同一の世代となる人間ではなかった。  
 
 しかし、わたしは彼と同級生になることを許される。  
 それは、ほんの一時。……わたしが持つ特異な力によって。  
 
 今日はまだ彼にコンタクトをとることはない。  
 事前に一度だけ、監視の任務が与えられた。  
 平たく言えば、わたしは彼の暮らしぶりを遠くから見ることになる。  
 
 わたしはドアを開いた。  
 駅から程近いマンションの507号室。かりそめのわたしの住居。  
 予定では、六月十日から十三日まで、彼とここで暮らすことになる。  
 
 彼と……。  
 
 ……。  
 
 
 物語とは、常に予定された調和と共にある。  
 それは、わたしの使命そのものでもある。調和。  
 この場所に住む多くの人たちは、隣の世界の存在や上下に位置する世界の存在を意識していない。  
 あまたの者は介入の手を必要としない物語に登場し、それぞれの結末へと己が道を歩いていく。  
 
 そして、わたしは稀有な世界に干渉する存在。  
 真実の世界をわたしは持たない。……ただ、下位世界の矛盾を取り除く役割を負っているのみ。  
 
 この役目がいつ終わるのか、知らされていない。  
 この力がEMP能力である以上、有限であり終わりがあるはずだと、わたし個人は考えている。  
 以前、高等監察院にそのような問いかけをしたら冗談扱いをされた。  
 
 
 ……。  
 
「おいユウキ! やめろっての! つうか許せよあのくらい!」  
「人の着替えから財布抜き取って使うなんて行為のどこを許せって言うのよ! どう見たって泥棒じゃ  
ない!」  
「そこはほら、腐れ縁の顔利きってことでひとつ!」  
 彼と彼女が走って来る。  
 固体名、神田健一郎、海老原ユウキ。……彼らは幼馴染み。  
 
 わたしが彼について干渉する使命を負っていると知らされたのはごく最近だ。  
 わたしはこれまで、年表干渉者という立場から介入を続けてきたが、よもや彼に再会する筋書きが用  
意されていようとは思わなかった。  
「許すわけないでしょうが! こら待ちなさいよバカ!」  
「待つかっての。お前に捕まったら死んだも同然だからな。あばよ! 達者でな!」  
 
 ……。  
 
 わたしの前を彼が通り過ぎた。  
 
 
 彼は、まだわたしを知らない。  
 わたしの過去は、彼との出会いは、ここより未来にあるのだから。  
 
 
「くっそ逃げ足だけは速いんだから! アホ健一郎め……」  
 
 
 わたしは、この世界の住人ではないのだから。  
 
 
 ――――  
 
 
 わたしは買い出しに家を出るところだった。  
 彼女と出会ったのは、丁度ドアを開けた直後だ。  
「あっ」  
「あら」  
 出会いがしらにぶつかりそうになった。  
「ごめんなさい」  
 咄嗟に謝る。  
「いいえ、こちらこそ」  
 彼女はつつましくお辞儀をした。  
 
「……?」  
 
 こんな人、住んでいたかしら?  
 
 彼女は気がついたように小首を傾げる。  
「あの、どうかされましたか?」  
「いいえ。あの、あなた……お名前は?」  
「星名サナエと申しますが」  
 
 パーソナルネーム、星名サナエ。  
 
「ここに住んでる方ですか?」  
「はい。あの部屋です」  
 彼女が指差したのは507号室。……そこには誰も住んでいないんじゃなかったかしら。  
「そうですか。わたしは朝倉涼子です。どうぞよろしく」  
「えぇ、よろしくお願いいたします」  
 彼女はにこりと笑った。  
 
 
 スーパーへ向かいながらわたしは考えていた。  
 彼女のパーソナルデータを参照したところ、エラーとなった。  
 ……と、いうことは、少なくとも彼女は通常の人間ではない。  
 わたしは他の派閥からインターフェースがあのマンションに送られてきたのかと検索をかけた。  
 しかし、そちらのヒットもなし。  
 ……ならば彼女は何者なのだろうか。彼女も、涼宮ハルヒに関係する人物なのだろうか。  
 
「のわっ!」  
「きゃ!」  
 本日二度目の出会いがしら。  
「ごめんな! どっか痛いとことかなかったか?」  
「いいえ……大丈夫」  
 視覚情報よりパーソナルネーム照合。……神田健一郎。一般人。  
 取り立てて特筆する点もなし。  
「そっか。ならよかった。おーいユウキ! 帰るぜ!」  
「何で今日はあたしがあんたに主導権握られてるわけ? 意味が分からないわ」  
 彼を追いかけるように走ってきたのは同世代の少女。  
 照合。……海老原ユウキ。一般人。  
「ん、健一郎。この人誰よ」  
 海老原ユウキが言った。  
「今ぶつかった知らない人だ」  
 神田健一郎が気軽な調子で返す。  
「ちゃんと謝ったんでしょうね」  
「当たりまえだろ。どっかのバカじゃあるまいし」  
 彼らは中々親密らしいことがうかがい知れた。  
「何ですって!」  
 彼女は彼に拳骨をかました。  
 
 わたしは同時にあることに思い至った。  
 さきほど星名サナエと名乗った彼女は、視覚情報からのデータ照合を不可能とさせていた。  
 
 ……何者なのだろう。  
 
 
 ――――  
 
 
 わたしは時刻を確認した。午後七時。この世界への駐留は本日中に限られている。  
 用件は全て片付いていたので、早く戻ってしまっても構わない。  
 しかし、わたしにはそうする気などないのだった。  
 ……このような時間が与えられることなど、滅多にないのだから。  
 たとえ一人であっても、久しぶりに羽を伸ばせようというものだ。  
 
 わたしは春の夜を川の方まで散歩することにした。  
 街に降り立ち、いつもと違う視点で見渡せば、そこには確かなものとして世界が広がっている。  
 時間はたゆまずに動き、人々は行き交い、家々に灯がともり、それぞれの物語が紡がれている。  
 
 
「あっ」  
「あ」  
 出くわしたのは偶然でしょうか? ……偶然など存在すると、そう思いますか?  
 彼はぶつかる直前だった自転車を慌てて引っ込めて、  
「すまん。ぼーっとしててな。ちょっと考え事っていうか、まぁその……」  
 わたしにぎこちなく謝る。  
「よくあることなのです、考え事は」  
 わたしには初対面の人と旧知であるかのように話せる力がある。それがEMP能力によるものなのかは、  
わたし自身もよく知らない。  
 
 
 わたしたちは近場の公園に立ち寄りました。  
 少しだけ、どの筋書きにもないイタズラをしましたけれど。  
「君も北高生だったのか。いや、見かけたことなかったから気がつかなかった」  
「わたしは人の影に隠れてしまいがちですので……くふふ」  
 そう言うと彼は慌てて頭を掻き、  
「いや! 別に存在感ないとかそんなことじゃないんだ。それに、存在感の希薄な奴なら心当たりがあ  
るしな」  
「SOS団……ですか。あなたのことも聞き及んでおります」  
「知っててほしくなかったんだが……」  
 彼の物語を紡ぐは別の存在。彼の世界も別にある。  
 気まずいとばかりに目を背ける彼にわたしは言う。  
「なかなかにうらやましい境遇なのです」  
「そうか? なら今度君も仮入団してみたらどうだ。不思議話のひとつでもしてやれば涼宮は喜ぶだろ  
うさ」  
「ふふ、そうですね。機会がありましたら」  
 
 機会がありましたら――。  
 
 
 ――――  
 
 
 わたしは階段で長門有希の家から自宅まで戻るところだった。  
 彼女にふたたび会ったのはその時だ。  
 
「あら、あなた」  
「また会いましたね。ふふ」  
 
 これまで一度も見たことがなかったふたつ隣の住人。  
 今日だけで二回目の遭遇になる。  
 
 今、気がついたことがもうひとつある。  
 彼女に対し、位置特定の感知モードが働かない。  
 
「あの、朝倉さま?」  
 星名サナエはわずかにかがんで上目がちに、  
「よろしかったらわたしの家に寄っていきませんか?」  
 
 
 ――――  
 
 
 この部屋にはほんの一時家具が置かれている。  
 そこでわたしは以前からここに住んでいるかのように振舞うことができる。  
 
「紅茶とコーヒーでしたらどちらが好みでしょうか」  
「……えっと、紅茶をお願いします」  
 
 彼女を誘ったのはなぜだろうか。  
 何か、わたしに通ずるものを感じ取ったから?  
 
 固体名、朝倉涼子。  
 彼女もまた、筋書き上の使命を持っている。  
 わたしは詳しく知らないが、彼女もわたしと似たような憂いを持っているように思うのだ。  
 
 理由のない出来事があったとしても、それが額の外にあるいたずら書きならば、許されるのではな  
いか。  
 
 
「星名さんは一人暮らしですか?」  
「えぇ。両親を早くに亡くしまして」  
「あ……ごめんなさいね。わたしったら不謹慎なこと」  
「かまいません。それに、あなたはこうしてわたしとお話してくれていますから。ふふ」  
 
 
 ――――  
 
 
 時折、星名サナエはその瞳にわたしには判読不能の光を宿らせる。  
 表情の変化は視覚情報であるがゆえ、わたしにも読み取ることができる。  
 しかし、『感情』と呼ばれる概念については、厳密な意味でわたしに理解することはできない。  
 
「学校はどこですか?」  
「光陽園女子です」  
 
 星名サナエはにこりと微笑む。  
 その言葉が真実かは分からない。もしかしたらどちらでもいいのかもしれない。  
 現に、ひさびさにわたしは退屈していない。  
 繰り返しと既知の連続による日々の中、彼女はわたしにとっての『未知』だからなのかもしれない。  
 
「朝倉さんは北高生なのですよね?」  
「え? えぇ……そうですけど」  
 星名サナエはティーカップをことりと受け皿に置いて、  
「学校は楽しいですか?」  
 屈託なく微笑む。  
 思えば彼女はそうして笑っている時間が一番長い。  
 わたしはしばらく彼女の表情を見つめてから、  
「そうね。実はあまり……」  
 そう言うと、星名サナエは不思議そうな顔をして、  
「あら。そうなのですか?」  
「えぇ。退屈……って言ったらいいのかしら。明日あることがもう分かっている、みたいなね」  
 
 
 ――――  
 
 
 彼女はやはりわたしと近い立場にあるのだと思う。  
 わたしは彼女について詳しく知らないし、彼女もわたしを知り得ない。  
 
「わたしも同じようなことを考えることがあります」  
 そう言うと彼女ははっとしてこちらを見る。  
「あなたも……?」  
「えぇ。なぜわたしという存在がこの場所にいて、この立場にあるのか。疑問に思うことがあります」  
 それは、普段誰にも口にすることのない、本音の一端。  
 わたしが彼とふたたびまみえるのは、今から先の数日間だけ。  
 彼のクラスメートを装った、年表干渉者として……。  
「そうなの。……意外だわ」  
 彼女はカップを手に持ったままで言った。  
「人は見た目によらぬもの、とは古事にもある教えですね。わたしもそのように思います」  
 だから、わたしはあなたを分からない、あなたはわたしを分からない。  
 
 けれど、わたしたちは同じ時を共有している。  
 
 今、この時限定で。  
 
 
 ――――  
 
 
「楽しかったわ」  
「えぇ、わたしもです」  
 彼女は終始穏やかな笑みを崩さなかった。  
 その時、なぜだか分からないけれど、わたしは次のように言った。  
「また来てもいいかしら? せっかく家も近いんだし」  
 サナエは一瞬だけぽかんとした表情になった。  
 ややあって笑みが戻り、  
「えぇ。お待ちしているのです。お茶を用意して」  
「それじゃ、またね」  
 
 ドアが静かに閉まった。  
 サナエの微笑が、うっすらと記憶に残っていた。  
 
 
 わたしは五日後には役目を終えて統合思念体急進派の意識に戻る。  
 だからおそらく、もう彼女と会うことはない。  
 
 分かっていた。  
 
 それなのにまた会う約束をしたのは、どうしてだろう。  
 
 わたしは結局、自分でその答えを出すことができなかった。  
 
 ――――  
 ――――  
 
 朝倉涼子が舞台から去ったのは五日後のことだった。  
 しかし、年表干渉者はそれを知り得なかった。  
 彼女はそれから二週間あまり後に、つかの間舞台に上がり、また同じように退場した。  
 
 
 二人が一時出会っていたことを知る者はごくわずかである。  
 ここにいるわたしと、  
 
 ……あなたと?  
 
 
(了)  
 
 

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