人は誰しも仮面を被って生きている、と言っていたのは誰だったか。中々含蓄のある言葉だと思う。
誰だって仮面を被って生きている。そして、その仮面……人格・性格は、本人も知らないものも眠っている事もあるだろう。
かくいう俺だってそうだ。俺自身は自分が極々平凡で一般的な男子高校生である事に間違いは無いが、しかし俺の中にそれ以外の仮面が
眠っている可能性だって否定出来はしない。
ひょっとしたら、龍虎のスーパーロボットに乗って巨乳な彼女と一緒に地球を守って戦ったり、神にも悪魔にも凡人にもなれる男として
可愛い女の子に好かれまくりになれる仮面も眠っているかもしれない。
もちろん、まぁこれは考えたくは無い事ではあるが……よろしくはない仮面が眠っている可能性も否定は出来ない。
女の子の下着を「白布返しっ!!」と剥ぎ取る事を至上の喜びとする変態や、糖尿病寸前のダメ万屋の仮面が眠っている可能性も……
まぁ、認めたくはないが、可能性としてならありうる。言っておくが、あくまで可能性だからな。
何故俺がこんなことを考えているかと言えば、つい先日それを思い知らされるようなことが起こったからだ。見知った人間とはいえ、知ら
ない部分はやはりあるものだと痛感した。
それは、とある日曜日のことだった……。
「キョーン! 早く早くー! 早く来ないと置いてっちゃうよー!」
俺より先を歩いていた国木田が、くるりと振り返って俺に向かって手を振った。向日葵のような笑顔を浮かべている。
俺は苦笑しながら歩くのを早めた。まったくコイツは元気だね。
国木田に追いつくと、その頭をくしゃり、と撫でてやった。国木田はくすぐったそうに笑った。頬を少し赤く染めている。
今日は日曜日。俺は国木田に誘われて買い物に来ていた。
とはいえ、日曜にコイツと出かけるのはよくあることだ。特に土曜に不思議探索があり、それで俺とペアになれなかったりするとよくお呼び
がかかる。俺はいつでも暇をもてあましているような人間なので、誘われた時には基本的に応じるようにしている。お姫様の相手を務める
従者のようなものだな。
ただ、こんな俺でもたまに国木田以外からもお呼びがかかる場合がある。昨日もそうだった。
不思議探検から帰り、晩飯を食ってのんびりくつろいでいた俺に、早速国木田から連絡が入った。昨日は国木田とペアになることが無かったので、
それを予期していた俺は二つ返事でOKした。電話の向こうで国木田が嬉しそうな声を上げる。
『じゃあキョン! また明日ね! 遅刻したら罰金だからね!!』
今日も団員全員の分を支払った俺に対してそんな御無体な事を言うなよ。それにお前、最近ハルヒに似てきたぞ。頼むから俺の残り少ない預金
にこれ以上ダメージを与えないでくれ。
国木田は電話の向こうであははと笑い、それじゃあおやすみ、と言って電話を切った。俺は明日のことを考えながらシャミセンの喉を撫でて
やった。
シャミセンが俺のテクででろーんとだらしなく伸びた頃、俺の部屋にコードレスホンを持った妹が入ってきた。妙に嬉しそうな顔をしている。
「キョンくん電話ぁー。」
「誰だ?」
「女のひとー。」
そう言って俺に電話をおしつけた妹は、にへらっと笑ってくるりと身体を回転させると、ホップステップジャンプという感じで部屋を出ていった
……ってこの展開はどこかで見たな。
俺がそう思って電話に出ると、その相手はやはり想像した通りの少女だった。
『あの、お久しぶりです。わたしです。吉村美代子です。こんばんは。今、大丈夫ですか? お忙しくなかったでしょうか?」
相変わらずの低姿勢かつ落ち着いた声音だ。俺は思わず頬が緩むのを感じた。全くうちの妹は同い年のくせに何でこうなってはくれないのかね。
そんな事を考えながら俺はミヨキチと話し始めた。
「ああ大丈夫、特に忙しくはないよ。それよりどうした?」
『あの、すみません。実は、明日、お買い物に付き合って欲しくて……。』
「俺が? 君と?」
『はい。……駄目でしょうか……?』
俺は思わず頭をかいた。彼女の事は気に入っているが、しかし今回は間が悪かった。
「すまないな。実は、明日は先約が入っちまっているんだ。」
『そう、ですか……。』
ミヨキチの声が、一気に暗くなる。俺は慌ててフォローを入れた。
「あ、でも、もしまたそんな機会があったら、その時は喜んでつき合わせてもらうよ。」
『ほ、本当ですか?』
ミヨキチの声に少しだけ元気が戻る。俺は少しほっとした。
その後彼女と少し世間話をして電話を切った。罪悪感が少し残ったが、今回は仕方ないだろう。また家に遊びに来た時に、何かサービスして
やろうか。シャミセンを気持ちよくさせる撫で方を教えてやるとか。
そんな事を考えつつ電話機を戻そうと廊下に出ると、妹に出くわした。珍しく、何か不機嫌な顔をしている。
「キョンくん、ミヨちゃんのお誘い断ったの……?」
何だお前、盗み聞きしていやがったのか。
罰代わりに電話機を押し付ける。妹はそのまま俺を見つめていたが、「キョンくんのバカ!」と言い放つと、そのまま去っていった。
何だありゃ。電話機を元に戻させるのがそんなに嫌だったのだろうか。割と頼んでいるような気がするが。
まぁあいつのことだから、一晩経てばケロリとしているだろう。念のため、おかずを一品分けてやるか。
そうして部屋に戻った俺は、明日に備えて早めに就寝した。
でもって今日だ。俺は自転車を駐輪場に停めると、国木田との待ち合わせ場所に向かった。
時間には遅れなかったが、国木田は既に来ていた。俺が来た事に気づくと、笑顔を浮かべてこう言った。
「遅い! 罰金!!」
おい国木田、朝っぱらから胃が痛くなるような台詞を吐くな。勘弁してくれ。
「あはは、ごめんごめん。一度言ってみたくってさ。」
そう言って国木田は俺にぺこり、と頭を下げる。いや分かってくれればいいんだけどさ。
「ところでキョン、今日のボクの服装、どうかな?」
国木田はくるり、と一回転して俺にそう尋ねてきた。
今日の国木田の服装は、涼しげなワンピースだった。こうして見ると、良家のお嬢様という風に見えなくもないな。中々似合っているぞ。
「ありがとうキョン! でもさ、もう一声……何か言ってくれないかな?」
もう一声? 国木田は俺に何を言わせようというのだろうか。腕組みをして考える。
国木田は期待に満ち溢れた瞳で俺を見上げている。そんなに期待されても困るんだがな。
と、その時頭に閃いたことがあったので早速告げてやる。
「おい国木田。」
「う、うん! 何だいキョン!?」
「ワンピースはひらひらしてるから、腹を冷やさないよう注意しろよ。あと、強い風が吹いたりしたらめくれあがっちまうだろうから、
それも気をつけた方が良いな。」
国木田は口をOの形に開けたまま俺の顔を凝視していたが、やがて肩を落とすと「やれやれ」と呟いた。
何だ、お姫様の期待には添えなかったか? あとどうでもいいが俺の真似をするのはやめろ。何か腹が立つ。
国木田は何故かじっとりとした視線を俺に向けながら言った。
「……まぁ、素直に言ってくれるとは思ってなかったからいいけどね……。今回は、『似合っている』と言ってくれただけでも良しとするよ。」
お前は何を言ってほしかったんだ? 大体、俺がさっき言った事だってかなり重要なことだぞ。
妹がワンピースを着た時は色々大変だったんだからな。
「分かったよキョン。さて、それじゃあ時間ももったいないし、行こうか?」
国木田は俺の隣に来ると、自然な動作で腕を絡ませてきた。思わず見下ろす俺に、とびっきりの笑顔を向けてくる。
俺は腹の中でいつものフレーズを呟いて肩を竦めると、一緒に歩き出した。
ところで買い物に付き合うとのことだったが、国木田は別に何か欲しい物があってそう言った訳じゃない。
俺と一緒にいる口実として無難なものを選んだだけだ、というのは俺も最近になってようやく分かってきたことだ。
俺の腕から離れ、店先を覗いていたかと思えばまた戻ってきて腕に飛びつく。俺が頭を撫でてやると、くすぐったそうに笑う。
まるで小動物だ。しかし、周りからは俺たちはどう見えているのだろうか。兄妹? 友達? 恋人……も、可能性はあるか。
まさかペットとそのご主人ということは無いだろうが。
そんなこんなでそれなりに楽しい時間を過ごしていた俺たちだったが、予想外のアクシデントがすぐそこまで近づいていた事に気づかなかった。
「あれ? キョンくん?」
聞きなれた声で呼ばれ、俺は振り向いた。そこには妹と、ミヨキチが立っていた。そうか、俺を誘えなかったから代わりに妹と来たのか。
俺はミヨキチに挨拶しようとしたが、しかし出来なかった。何故かって? 俺はミヨキチの事はそれなりに知ってるつもりでいたのだが、
その時の顔が、まるで知らない少女のように見えたからだ。いや、少女ではなく、その時の俺には……般若のように見えた。
もちろんミヨキチはかわいい娘で、その時もただこちらを見ていただけだ。
何がどう間違ってもそんな般若顔に見えるはずは無いのだが、その時の俺には何故かそう見えた。
それと同時に得体の知れないプレッシャーを感じ、冷や汗をかき始めた。何だ? 俺は一体どうしちまったんだ?
別に何も疚しい事はしていないのに。何でこんなに胃が痛むんだ?
と、ミヨキチがその可愛らしい口を開いた。
「お兄さん……。そちらの方とは、どういう関係なんですか?」
昨日電話で聞いた声。しかし、それもまた俺には全くの別人の声に聞こえた。上手く言えないが、昨日の声をそよぐ春風とするならば、
彼女が今出した声は吹き荒れるブリザードだった。
俺は国木田を紹介しようとしたが、上手く口が動かなかった。くそ、何で喋れないんだ。そして何故かミヨキチの隣で面白そうに、そして
まるで「ざまぁみろ、天誅!」と言わんばかりに笑っている妹の姿が見えた。苦しんでいる兄の姿がそんなに面白いか妹よ。家に帰ったら
5時間耐久くすぐり地獄の刑だな。
いやそんなくだらない事はどうでもいい。今はここを何とかしなければ。
俺が必死に言葉を探していると、国木田がつ、と前に出た。そのままミヨキチ・妹ペアと対峙する。
「初めまして、かな。ボクは国木田。キョンとは……今のところ親友、かな。出来ればそれ以上の関係になりたいと思っているけどね。」
般若と化したミヨキチの前で、さらり、と国木田は告げた。ミヨキチの表情に変化は見られないが、その代わりにプレッシャーが凄まじく
なった。俺は身体が理由もなく震え始めたが、国木田は眉一つ動かさない。凄いな国木田。お前いつの間にこんな……!
「確かに凄いプレッシャーだけどね。涼宮さんや長門さんや朝比奈さんや古泉君の方が、もっと凄いよ。涼宮さんは、無意識に出してる
みたいだけどね。」
そうか、それでお前は……って今言った名前で明らかに間違った奴の名前が入っていたのは俺の気のせいか?
しかし国木田は俺の問いに答えることなく更に一歩彼女らに近づくと、驚くべき提案をした。
「君たち、今は何をしているの?」
「……貴女に答える理由はありません。」
「そう? 折角だから、このまま四人で遊ばないかなー、って思ったんだけど?」
「……え?」
ミヨキチから放たれていたプレッシャーが一瞬で霧消する。かなり驚いたようだ。かくいう俺も驚いているが。
国木田は次に俺の妹にも声をかけた。
「君はキョンの妹さんだね? どう? ボクらと遊ばない?丁度これからお昼を食べようかと思ってね。おいしいデザートがあるお店を知っ
てるんだけど、一緒にどうかな?」
すると妹は極上の笑みを浮かべ、「いくいくー!」とあっさり国木田の意見に従った。
その時のミヨキチの顔は凄かった。「ブルータス、お前もか!」と言った時のシーザーはこんな顔をしてたんじゃないかって思うくらいに
友人の裏切りに落胆した顔だった。
結局、それで決まりになり、俺と国木田はミヨキチ、妹と昼食を食べ、一緒に遊びまくった。
妹はあっさりと国木田になつき、小動物のようにじゃれついていた。
ミヨキチは最初は表情も固く、国木田を避けていたようだが、国木田からの積極的なアプローチにより、次第に表情を和らげ、笑顔を浮かべ
て談笑するまでになった。
ちなみに一番盛り上がっていた話題は何故か俺についての事だった。
妹やミヨキチが家での俺のことを話せば、国木田は学校での俺のことを話す。もちろん正体がバレるといけないので、SOS団の活動につい
てはあくまで他の生徒が知っている範囲のことしか話さなかったが。
しかしそれでも中々盛り上がっていたようだ。正直に言うと、自分がネタにされているのはあまり気分が良いものではないのだが、雰囲気が
良いので何も言わずにおく。俺自身が我慢すればロクでもない状況を防げるというシチュエーションにはもう慣れちまったしな。慣れちまっ
たのは正直悲しいが。
楽しい時間というのはあっという間に過ぎるもので、もう夕方となった。俺は全員を送っていくつもりだったのだが、ミヨキチと妹に断られた。
「私達は大丈夫ですから。今日はもともと国木田さんと過ごしていたんですし、彼女を優先してあげて下さい。」
ミヨキチはまるで大人のような物言いをした。全くこれで本当に妹と同い年なのかね。今度試しに妹をミヨキチの家に一ヶ月ほど預けてみるか。
見違えるように大人になって帰ってくるかもな。
俺がそんな益体も無いことを考えていると、ミヨキチが国木田に近寄り、ぺこり、と頭を下げた。
「今日はありがとうございました、国木田さん。それと……ごめんんさい、初対面の時に、あんな、その、不機嫌な顔をしちゃって……。」
そうか、やっぱりミヨキチは不機嫌だったんだな。しかしあれは不機嫌というレベルを超えていた気もするが。
「ううん、大丈夫だよ、気にしないで。むしろ、君が本気なんだなって分かって嬉しかったよ。また同志が増えたってね。」
国木田はミヨキチにウィンクをしながらそう言った。
二人はひとしきり笑ったが、やがてミヨキチが真剣な顔になって国木田に言った。
「……ですけど国木田さん。譲るのは今回だけですからね? 私も……負けませんから。私はまだ子供ですけれど、いつか貴女のような素敵
な女性になって……彼を射止めてみせますから。」
ミヨキチはちらり、とこちらを見た。同じくこちらを見た国木田が、にこっと笑ってミヨキチに手を差し出す。
「いいさ、お互い頑張ろうね。言っとくけど、ライバルはボク以外にも沢山いるからね?」
そう言う国木田に、望む所です、と答えてがっちりと握手を交わすミヨキチ。何かこう、友情の一シーンという感じだな。
しかしそんな感動の場面も「わーい、あくしゅあくしゅー。」とはしゃぎながら自分の手を二人に重ねる妹の所為で台無しだ。
お前は本当に意味分かってやってるのか。いや、俺も何でこんな流れになってるか良く分からんのだが。
そして二人は帰っていった。全く今日は何だか疲れたな。
「つまらなかった?」
俺を見上げてそう訊いてくる国木田。俺はその頭に手をぽんと置いた。
「そんな訳ないだろ。楽しかったさ、とってもな。」
俺の言葉に国木田は笑顔を浮かべる。こいつも楽しかったみたいだな。何よりだ。
だが俺には疑問が一つあった。
「なぁ国木田。お前、ミヨキチのことを同志って呼んでたが、ひょっとしてミヨキチも……。」
そう。国木田が『同志』と呼ぶのは俺に対して恋愛感情を持っている者だけだ。それをミヨキチに使ったということは……。
しかし俺の問いに国木田は、シニカルな笑みを浮かべただけで答えてはくれなかった。その様は、まるで自分で判断しろ、と言っているように
見えた。
「さて、キョン。ボクらも帰ろうか。あ、でも一つお願いがあるんだけど……。」
国木田はもじもじしながら俺にそう言ってきた。まぁ、俺は今日は従者のつもりでいたからな。よっぽど無理めなことでなければ聞いて
あげるぜお姫様?
「ありがとうキョン! 実はね……。」
国木田が切り出してきた『願い』は意外なものだった。
「なぁ国木田。本当にこんなのでいいのか?」
「うん! 一度乗せて欲しかったんだぁ!」
俺の自転車の荷台に乗っかっている国木田が少し大きめの声で答えた。
そう、国木田のお願いとは、俺の自転車の荷台にのっけてもらうことだった。そして今、二人乗りで国木田を送っている最中である。
「だけど嬉しかったなぁ……。ボクが素敵な女性だって。」
そう言って国木田は笑った。
そう、こいつは確かにどんどん女の子らしくなってきている。以前はこうやって会う事も正体がバレてしまわないかひやひやしていたが、今では
他人の空似といって誤魔化せるレベルに達したような気もしなくはない。
だけどまだまだ子供だな。同い年の俺が言うのもなんだが、自転車の二人乗りをしたいだなんて言うところが、な。
「何言ってるんだいキョン。ただ自転車の二人乗りをしたかった訳じゃないよ。君と二人で乗りたかったんだ。……羨ましかったんだよ、
彼女が……。」
国木田は俺に身を寄せてきた。背中に国木田の柔らかく、温かい体の感触を感じる。
しかし自転車の二人乗りがそんなに羨ましいものなのかね。第一俺と佐々木は恋人でもなんでもなかったというのに。
俺は国木田の感触で熱くなりそうな頭を冷やすために心の中でこう呟いた。
やれやれ。