その日はどうにも嫌な感じが朝からしていた。  
別に俺は宇宙人でも未来人でも超能力者でもないのだが、その日は何故かそう感じた。  
例えば、毎朝恒例の妹によるダイビングプレスが当たりどころが悪くみぞおちへのダイビングエルボーになってしまったり。  
例えば、学校へ行こうとしたのに自転車の車輪の空気が抜けていて時間が無いのに必死で空気入れをする羽目になったり。  
例えば、学校への坂道の途中で足がつってしまい、衆人環視の状態で悶える羽目になったり……。  
一つ一つは大した事は無いのだが、積み重なるとボディーブローのように効いてくる。いや、食らったことは無いけどな。  
まぁそんな日くらいは動物園のナマケモノの如くひっそりと過ごしていたかったが、そもそもSOS団に入っている時点でそんな  
ひっそりとした生活には絶縁状を叩きつけているようなものなんだよな、ということを俺が再認識したのはその日の放課後以降で  
あった……。  
 
 
 
「ねぇ長門さん! この間の催眠術を教えてよ!」  
そう言って国木田が読書中の長門をゆさゆさとゆすっている。どうやら長門の力を催眠術だと信じてくれているようだ。  
しかしお前、催眠術なんて教わって何をするつもりなんだ?  
「えっ……。キョン……それを僕に言わせるのかい?」  
頬をかすかに染めながら、そう言ってこちらをちらちらと見てくる。お前は一体何を妄想して、何をしようと考えてるんだ。  
大体前回はあっさりかかっちまったが、俺はひねくれてるからそう簡単にはかからんぞ。  
「だから長門さんに頼んでるんじゃないか。ねぇ長門さん、頼むから教えてよぅ!」  
お願いだからー、と長門を再びゆすり始める。ゆすられる度にかっくんかっくんと長門の頭が揺れる。そんなんで読書が出来るのかね?  
しかしこの二人は仲良くなったな。こうして見てると仲の良い姉妹みたいだ。  
 
あの長門の宣戦布告以降どんな修羅場が展開されるかと戦々恐々としていたが、とりあえずそんな事態には至っていない。  
それよりも、お互いを知ることに時間を割いているようだ。個人的には仲良くなっていると考えたいが、  
まず相手の情報を得てから戦略を練ろうという魂胆があるように思えなくも無い。まったく女は怖いな。  
「何!? 有希、催眠術なんか使えたの!? ちょっと早速あたしに教えなさいよッ!」  
二人の会話を聞きつけたハルヒが参戦してきた。国木田の反対側で、長門を激しくゆさぶる。長門の頭もがくんがくんと激しく揺れている。  
これで3姉妹という感じだな。ダメな長女、しっかり者の次女、甘えん坊の三女、といったところか。  
 
しかし何だかやり過ぎだな。見かねた俺は、二人に声をかけた。  
「おいお前ら、その辺にしておけよ。長門が可哀想だろうが。」  
古泉と花札をしながら俺は二人を嗜めた。まぁ正直あれぐらいで長門が気分も頭もおかしくする訳はないのだが、こちらの精神衛生上  
よろしくない。見ているこっちの気分が悪くなりそうだったしな。  
「何よキョン! あんた催眠術を使ってみたくは無いの!?」  
いやまぁ使ってみたいかと聞かれればそりゃ興味はあるさ。誰だってそうなんじゃないか?  
そう俺が答えると、ハルヒはトイレに出てきたカマドウマを見るような目付きで俺を一瞥した後鼻を鳴らして言い放った。  
「ふんッ! どうせあんたの事だから、みくるちゃんに催眠術をかけて、色々卑猥な事でもするつもりなんでしょこのエロバカハレンチキョン!  
お生憎様、あんたなんかに催眠術なんて教えてあげないわ!!」  
教えるのは長門だろ。しかしお前は俺を一体なんだと思ってやがるんだ。盛りのついたサルじゃあるまいし、誰がそんなことするか。  
……まぁ、全く考えなかったと言ったら嘘だけどな……。  
そんなことを考えていると、急にハルヒが何かを思いついた時の100万ワットの輝きの笑みを浮かべた。  
「そうだ! 催眠術をマスターするにしても実験台が必要よね! この際だから、誰かを実験台にして実践してみるわよ! 実験台はもちろん……!」  
……その場の全員の視線が俺に突き刺さった。勘弁してくれ。大体そんなことしたら長門あたりに何されるか分からん。  
俺は最終防衛ラインまで攻め込んだ敵軍を一気に駆逐せよとの命令を受けた将軍のような悲壮な覚悟でハルヒの説得を試みた。俺の貞操がかかってるしな。  
アヒル顔を作ってハルヒは渋っていたが、何とかその場は上手く丸め込むことに成功した。もっともまだ完全には諦めてはいないから油断はできんが。  
 
 
その日はそれ以降大した事もなく部活は終了した。ふと思いついて長門に声をかける。  
「おい長門。」  
「……何?」  
小首をかしげて俺を見上げてくる長門。何だか国木田との一件以来、こいつの感情表現が……ナメクジが進む程度の早さではあるが……豊かに  
なってきている気がする。これは良い傾向かもしれないな。まぁそれはともかく。  
「いや、今日はハルヒと国木田に激しく揺さぶられたからな。大丈夫だったかと思ってさ。」  
「問題無い。あの程度の振動では私に何らかのダメージを与える事は出来ない。」  
そりゃそうだ。だが気遣いというのははっきり言葉にしないと伝わらんしな。俺が長門にしてやれることなんてタカが知れてるが、  
それでも長門の事をちゃんと見ているぞ、と遠まわしに伝えたかったのさ。  
ふと見ると、長門がじーっと俺を見つめている。何だ長門、どうしたんだ?  
「……あの程度の振動では私にダメージを与える事は出来ない。……しかし。」  
しかし?  
「……その所為で、今日は読書に集中できなかった。」  
そうなのか? 長門だったらスカイダイビングの最中でも正座しながら読書なんかできそうな感じがするが。  
「……だから今の私は、少しだけ傷ついている。落ち込んでいる。しょげかえっている。」  
そ、そうなのか? そんな風にはとても見えんのだが……。  
だが長門が落ち込んでいるなら何とかしてやりたい。おい長門、俺に出来ることは無いか?  
「……なでなで。」  
はン?  
「……なでなで。」  
そ、そうか……。お前、前回結局なでなでされなかった事を忘れてなかったのね……。  
「……落ち込んだ者を慰めるには、なでなでするのが一番だと本に書いてあった。だからなでなで。」  
わかったよ長門。これでお前が元気になるなら安いもんだ。  
俺は妹やシャミセンをなでるような感じで長門の頭をなでてやった。長門は目を閉じてされるがままになっている。  
長門の髪もさらさらしていてとても気持ち良い。ずっとなでていたい気持ちになるが、そういう訳にもいかんだろう。  
俺がなでるのを止めると長門はゆっくりと目を開いた。どうだ長門、満足したか?  
「……とても気持ち良かった。」  
そうか、そりゃ良かった。  
「出来ればもっとやって欲しい。」  
そうか、でもまた今度な。  
そう言って帰り支度を始めると、周囲から視線を感じる。  
……俺の気のせいだろうが、長門を除く全員が羨ましそうな、そして「自分にもやって」という目を向けている気がする。まぁ俺の気のせいだろうけどな。  
 
俺が家へと帰ってくると、近くの電信柱からゆらり、と人影がまろびでた。こんな登場の仕方をするのはあいつしかいないな。  
「……部活が終わってすぐに他人の家で張り込みか。ストーカーに付きまとわれてますって俺が警察に駆け込んでも文句の言えない状況だな。」  
「いやはや手厳しい。ですが親友の帰りをひっそりと待つ事が犯罪行為だとは思えませんがね。」  
その笑顔で親友だなんて言うな。気持ち悪い。それで今日は何だ? どうせまたハルヒ絡みの事なんだろ?  
俺がそう問うと、古泉にしては珍しく歯切れの悪い返答が返ってきた。  
「ええ……まぁ……そう、そうですね。恐らくは涼宮さんにも関わってくるはずの事です。とにかく、貴方の真意を問いたいと思いまして……。」  
俺の真意だと? どうにも話が長くなりそうだったので、自転車を置いていつもの公園へと向かう。野郎二人で来るのにはそぐわないかもしれんが、まぁ仕方ないな。  
俺たちは並んでベンチに腰かける。で、古泉よ、俺の真意を問いたいとは一体どういうことなんだ?  
「えぇ……そうですね……。」  
古泉は真剣な顔をしてそう呟くと、そのまま黙り込んだ。何を言うか考えているのだろうが、  
俺を待つ間に時間はあったのだからきっちりと考えていつものようにインチキ臭い台詞を吐けば良いものを。  
何だからしくないなコイツ、と俺が考え始めた時、古泉がぽつり、と呟いた。  
「貴方は……。」  
うん? 何だ?  
「貴方は……国木田氏とは、どういう関係なのですか……?」  
俺は一瞬どきり、とした。まさかこいつ、国木田が女だという事に気がついたのか?  
しかしまぁ古泉にそれがバレたといっても大したことにはならんだろうと思い直す。こいつは軽薄な詐欺師みたいな奴だが人の秘密をべらべら喋るような奴じゃないしな。  
だが俺が率先してばらす訳にもいかんだろう。ここは普通にただの友達だ、と答えておこうか。実際そうだしな。  
俺がそう答えようとした時、古泉が先に口を開いた。  
「……言えないような……関係なんですか……。」  
何を言ってるんだ古泉。俺と国木田はただの友達……  
「やめて下さいッ!!」  
……だ、と言おうとした俺は古泉の怒声に思わずたじろいだ。  
「お二人がかなり親密な間柄だというのは見ていれば分かります!! そんな見え透いた嘘をつくのは止めて下さい!!」  
そう言って古泉はにじりよってきた。どうした古泉、らしくないぞ。何をそんなに怒ってるんだ!?それとそんなに近づくな気持ち悪い!!  
「僕は……僕は悔しいんです! 貴方が……両刀使いだったことに気づけなかったなんて……!」  
……おい。  
「国木田氏と貴方の関係を知った時、最初は貴方が同性愛者だと思いました……! でも、貴方のハルヒさんへの愛は疑う余地も無い!  
ならば貴方は両刀使い! バイです!! もしそれをもう少し早く知っていれば、僕は……!」  
……おい古泉よ。  
「……笑って下さい。涼宮さんと貴方が結ばれることに自分の心の折り合いをつけたくせに、国木田氏の存在に心を惑わされる……。  
いえ、むしろ殴ってください!こんな卑しい僕を、貴方の手でっ……てふがぁっ!?」  
……どうだ古泉、お望みどおり殴ってやったぞ。少しは頭が冷えたか?  
「……。」  
古泉は頬を押さえて呆然としながらも何とかうなずいた。どうやら少しは落ち着いたようだ。  
俺は心の中で国木田に謝りながら、古泉に語りかけた。  
「……いいかよく聞け古泉。俺は人の秘密を暴露する趣味は無いんだが、お前があんまりにもな妄想を抱いているんで仕方なく言うぞ。  
いいか、国木田は……女なんだ。だから俺は両刀使いなんぞじゃない。これからなる予定もない。未来永劫ない。分かったか?」  
 
……この時の古泉の顔は凄かった。是非写真を撮って額に飾ってやりたかったね。  
どんな顔をしていたかというと、イケメン顔の古泉が、思いっきり眉間に皺を寄せて「はァ?」という顔をしやがったのだ。  
疑っているんなら機関に確認させてみろ。大体、俺がこんな嘘をつく理由は無いだろうが。  
俺がそういうと古泉は顔を両手で覆って俯いた。……まぁ、勘違いとはいえ自分の性癖をバラしたんだ。  
そんな風になる気持ちも分からんでもない。もっとも、俺は近くで自分を狙っている危険な肉食動物の存在が分かって大変有難かったが。  
と、古泉が顔を覆ったまますう、と上体を起こした。そして両手を開く。  
その下からは、いつも通りの古泉のニヤケ顔があらわれた。  
「やはりそうでしたか。僕の思ったとおりです。」  
……お前は一体何を言い出すんだ、古泉よ。  
「一芝居打たせていただいたんですよ。国木田氏が女性だということは分かっていました。その彼女と貴方が最近仲睦まじかったものですから、  
貴方たちの関係がどんなものなのか確かめたかったのですよ。涼宮さんが、国木田氏が女性だと気づく前にね。気づいてしまったら、それこそ  
大問題ですからね。」  
まぁ国木田が女だとバレると色々面倒そうなのは確かに間違いないしな。  
「僕としては早く貴方と涼宮さんにくっついて頂いて、世界を憂うことから僕を解放して欲しいのですが。」  
黙れ。何で俺がお前のためにハルヒとくっつかにゃならんのだ。  
そう言ってやると古泉はくっくっと笑ったが、急に真面目な顔をしてこう言った。  
「しかしどうするのですか?涼宮さんが、国木田氏が女性だと気づくのにさほど時間はかからないでしょう。そうなった場合、最悪世界改変  
が行なわれる可能性が高いです。出来れば……。」  
「……国木田との距離をとれ、か?」  
古泉は無言で頷いた。こいつに悪気は無いのだろう。本当に世界のことを考えてのことなんだろう。  
……だが。  
「……そいつは聞けない頼みだな。」  
「何故です?」  
古泉が先ほどとは違い、静かに尋ねてくる。俺の心には、傍若無人ながらいつも太陽のような明るさをふりまくハルヒの姿と、俺の事を一途に慕う国木田の姿があった。  
「……そんな事を理由に距離を取るなんて国木田に失礼だし、ハルヒに対しても失礼だ。お前らはあいつを神様仏様と崇め奉っているが、  
俺に言わせりゃあいつも一応女の子だ。例えどんなに凄い力を持っていたとしてもな。だから俺は、俺の気持ちに従って動く。世界の都合なんぞ知ったことか。  
もしそれでハルヒの奴が何かしでかそうとしたら、俺がブン殴ってでも止めてやる。いい加減にしろってな。」  
古泉は黙って俺の言葉を聞いていたが、やがて、いつものニヤケ顔を浮かべやがった。  
「……流石ですね。それでこそ貴方です。惚れ直しましたよ。」  
気持ち悪い事を言うな。今日これで何度目だこの台詞を言うのは。まったく。  
古泉はまた笑うと、ベンチから立ち上がった。  
「それでは僕はこれでお暇させて頂きます。また明日、学校でお会いしましょう。」  
前髪を払いながらそう言って古泉は歩き出した。俺はその背中に声をかける。  
「……おい古泉。どうせ聞いても正直には答えないんだろうがそれでも一応聞いておくぞ。お前はやっぱり……ソッチ系なのか?」  
俺の問いに古泉は足をとめた。奴の頭上には、いつの間にか月が上っている。月光を浴びながら古泉は振り向いた。  
「残念ですが、それは────」  
ふわり、と人差し指を唇に当て、ウインクしながら古泉は言った。  
「────禁則事項、です。」  
 
 
 
 
 
古泉が立ち去るのを見送った後、俺も歩き出した。  
古泉の奴は禁則事項と言いやがったが、かなりの高確率でそうだろう。今度から奴の動向には注意を払わないといけないな。  
俺は古泉と同じように月光を浴びながら呟いた。  
 
 
 
 
やれやれ。  
 
 

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