甘ったるい春
阪中の一件が終わった翌日に長門の家に呼ばれた俺であった。理由に思い当たらないまま、玄関をくぐる。
「どうしたんだ? まだ何かあるのか」
長門は黙ってキッチンに引っ込んだ。どうやらお茶の用意をしているらしい。
戻ってきた長門は、阪中家謹製シュークリームを山のように乗せて運んできた。出てきたのも緑茶ではなく紅茶だった。
「長門……?」
「食べて」
食べてってお前、これは阪中母がお前に持たせてくれたシュークリームじゃないのか。
事態解決に一番貢献したからこの量も納得だし、長門が一人で食べきれないとも思えない。
だが、誰あろう長門が食べてと言っているのだし、紅茶も出してもらったことだし、ここはご相伴に預かろう。
俺がもって帰った分は妹と家族にほとんど食べられてしまったしな。
「いただきます」
別に食事ではないのだが、なぜかそう言ってしまう俺であった。どことなく厳粛な気持ちになる魔力がこの部屋にはあるのだ。
「どうぞ」
そう言った長門もシュークリームを食べだした。
「ところで、本当に何も用がないのか?」
長門は首を縦に振った。それじゃわざわざお茶するために俺を呼び出したということだろうか。ハルヒたちを呼ばずに……。
ふいに、長門は俺のすぐ傍に近寄って、人差し指を俺の頬に伸ばしてきた。
「ついていた」
頬についていたらしいクリームを拭うと、長門はそれを自分の口に運んだ。
……。何だろう、妙に心拍の上がってしまう俺である。
「ありがとな」
またティータイムの続きに戻る俺たちだったが、数分後、やはり長門は俺の傍に近付いて、今度は顔を寄せてくる。
「な、長門!?」
どぎまぎする俺の頬を、長門の舌が短く伝った。
「クリーム」
長門は言った。ははは。そっか……にしても、ずいぶんと大胆だな。
そう思った矢先、長門は俺の口を自分の口で塞いできた。
「……!」
俺は勢い込まれて仰向けに倒れてしまう。……!? 何だこれは? 長門が俺に……?
思考不能な程の脈拍急上昇を受けて、俺は身体中の感覚が柔らかくなってしまう感じがした。
この、シュークリームのように。
長門は俺の両頬と唇を子犬のようになめると、ふたたび唇を重ね、舌を口の中に入れてきた。
俺のほうは混乱する一方だった。まったくわけが分からないぞ。何だって急に長門はこんな……
気がつけば、長門は俺の背中に両手をまわして、そっと抱きしめていた。ふいに口が解放される。
「わたしは、ずっと」
そこから言葉は続かなかった。俺が見た長門の瞳には、迷うような、恥じらうような、かなしむような色があった。
俺は答える前に長門の小さな頭を両腕で引き寄せた。硝子の彫刻品を扱うように、そっと。
「そうか……」
それしか俺は言えなかった。いつか言ってたな。うまく言語化できない、そうだろ? 長門……。
「まだ、ついてる」
長門は俺を真っすぐに見てそう言った。
何もついていない事くらい、俺だって、分かっていたさ。
だが、だから何だっていうんだろう。そんなこと、どっちだっていいのだ。
「お前もついてるぞ、クリーム」
そういうと、長門は両手で自分の頬を一度押さえてから、
「そう」
と言った。俺は笑って、それから長門をふたたび抱き寄せた。
(了)