台風並み、といわれた低気圧が通り過ぎたその朝はすっかりと晴れ上がり、  
空だけ見ていればまるで今が8月のような印象を受ける。  
それでも、足元でサクサクと鳴る降ったばかりの雪と顔に突き刺さる冷気、そして、  
「よう、長門。待ったか?」  
公園に居る待ち合わせ相手のコート姿が、今が紛れも無く冬である事を教えてくれるのだった。  
 
 
 
 
 
 
冬休みも残り少なくなってきたこの週末に強風とドカ雪が直撃してくれたお陰で、  
昨日とおとといは実に有意義に過ごすことができた。  
その心は、と問われれば、ずばり答えは冬休みの宿題である。  
 
年末から年明けにかけては冬合宿やら過去へのタイムトラベルやら初詣やらの  
SOS団的イベントが満載でとてもそんな余裕が無かったが、  
冬休みの残りが a few days という英語で表現できるようにる頃には、  
いかな俺でもマジメに宿題をせざるを得なくなっていた。  
 
台風並みに発達した冬将軍のおかげか、ここ数日はハルヒからの強制命令電話もかかってこず、  
最後に残った数学の問題集もあと2,3時間ほどでおしまいといった冬休み最終日。  
朝起きてカーテンを開けると、昨日までの陰鬱な雲と暴風が嘘だったかのように晴れ上がった空が見えた。  
 
うーむ。何度見てもいい天気。  
昨日おとといとずっと家で篭りきりだった身としては、宿題なんか後回しにして外に遊びに行きたいところだ。  
 
「……」  
寝ぼけまなこにはまぶし過ぎる朝日を眺めながら、考えることしばし。  
寝ぐせ頭を撫で付けながら、俺は携帯電話を手に取った。  
今は朝の8時ちょっと前、電話をかけるには多少はばかられる時間帯だが、相手が相手だ。気にしない。  
「おっす、俺だ。おはようさん。  
 突然でなんなんだが…なあ、今日、図書館行かないか?」  
 
誘った相手といえば、もちろん長門有希である。  
ハルヒや朝比奈さんでも良かったのだが、  
先月の世界改変未遂以降、長門に負荷をかけさせ過ぎないようにしようと思っていたのに、  
合宿中の雪山遭難の際に、アッサリとそれが守れなかった事の罪滅ぼしだ。  
『……わかった』  
座って勉強できるようにとの、多少早めの時間指定にも長門は電話の向こうでこっくりと頷いて(多分)、  
こうして俺は冬休みの最後の一日を長門と過ごすことになった次第である。  
 
 
 
 
古泉? そんな選択肢は元より存在しないね。  
 
 
 
 
公園の隅にはゆうべ吹き荒れた風のせいで飛ばされた看板やゴミなんかが溜まっていて、  
さらにその上には一晩で降った雪による薄化粧がされていて、なんだかよく分からないオブジェになっている。  
そんな中を、ダッフルコートのボタンをぜんぶきちんと留め、  
フードをすっぽりと被った長門がぽつんと立ち尽くしているのを見ると、  
まるで、300年ほど昼寝していたら自分の住んでいた家をいつの間にか失ってしまっていた座敷童子のようにも見えた。  
 
「すまんな、こっちから誘っておいたのに後から来て」  
「いい」  
待ち合わせの時間に遅れたわけじゃないんだけどな。  
悪路を見越して早めに着くようにしたのだが、相手のほうがさらに早かったわけで。  
横に振った長門の首の角度がいつもよりも大きく感じるし、  
こいつも好きな場所に行くってんでテンションが上がってるんだろうか。  
 
 
「じゃあ行くか」  
フードに覆われた頭がわずかに傾くのを確認して歩き出すと、後ろから雪を踏む音がついて来る。  
 
 
例年、雪などほとんど降らないここらでは、わずか10センチ程度の積雪でも大騒ぎで、  
市の交通局だの商店街のおっちゃんだのが盛んに雪かきをしている姿が観察できる。  
それでもまだとても手が足りないようで、駅前通りから一本抜けて図書館へと通ずる公園の中の並木道に入ると、  
ほとんど手付かずの雪の平面が広がっていた。  
 
「ここいらにしちゃだいぶ降ったよな。……こういう誰も踏んでない雪道ってのは、いいよな」  
よしよし、このためにわざわざ下駄箱の奥からスノーシューズを引っ張り出してきたんだ。  
我ながら子供っぽいなとは思うが、まっさらな雪を多少ワクワクするような心持ちで踏みしめる。  
しばらくそのままざくざくと雪の感触を堪能し、  
木々の間から図書館が見えたところで「もうすぐだ」と言うために振り返り、  
そこで俺はやっと気がついた。  
 
長門の格好はといえば、いつものダッフルコートにいつものセーラー服、その足先も学校指定のローファーだ。  
10センチと積もっていないはずだったが、たっぷり水気を含んだ雪は長門の靴にべったりと付きまっていた。  
 
「長門、足元寒くないか……つうか、濡れてないか、それ!?」  
 
長門の足元にしゃがみこむ。  
自分で雪を払うこともせずに棒立ちになっているので、とりあえず俺は手でそれを払ってやった。  
「濡れてる、が、平気。有機組織の代謝機能を制御させてる」  
「寒くないってことか?」  
いつも長門が履いている紺色のソックスも、濡れて色が変わっちゃってていかにも寒そうなんだが。  
「冷たいという感覚は認識している。しかし、機能保持はできているから大丈夫」  
「そうか」  
おまえがそう言うんならそうなんだろうけどさ。でも、見てるこっちが寒くなりそうだよ。  
 
立ち上がってもういちど長門の格好をしげしげと眺める。  
今まで気付かなかったが、よくよく見ればこいつは手袋もマフラーもしてない。  
 
「あー、なんていうか……。長門、おまえの格好って誰が決めたんだ?」  
「情報統合思念体が私を作成する際に設定した。  
 北高校の生徒服装規則を参考にしたものと考えられる」  
おいおい、情報統合ナントカさんよ。そりゃリサーチ不足ってもんじゃないのか。  
制服やカーディガン、靴、コートについては生徒手帳にも載ってるから設定できたけど、  
マフラーや手袋、ブーツについては想定の範囲外だった、と。  
 
「意外と間が抜けてるんだな、おまえの親玉も」  
「そう?」  
「そうだ」  
きっぱり答えて再び歩き出す。  
「いいか長門、おまえの体の構造がどうなってるのか知らんが、  
 人間てのはな、首、足首、手首と『首』の字がつくところから熱が逃げるようになってるらしいんだ。  
 だから、そこを覆うと体温が保持できるワケでな……」  
道すがら、この国の冬季服装文化について講釈を垂れながら。  
立ち話で体温を浪費するのもいやだし、動けば少しは体が温かくなるしな。  
 
「俺の足跡を踏むようにしろよ。そうすれば少しは足に雪がつかないだろう?」  
歩幅をさっきより小さめにして歩く。後に続く長門が、俺の足跡を辿るのを楽なように。  
 
自動ドアをくぐると、暖かい空気に包まれてこわばった頬が緩むのが感じられた。  
ほうと息をついてマフラーと手袋を外す俺を、長門が興味深そうな無表情で眺めている。  
「マフラーは毛糸、手袋は革製が多いかな。これはニセモンの革だけどな」  
俺が丸めて手渡したマフラー、長門が両の手のひらに載せて小首をかしげているのが印象的だった。  
「巻いてみるか?」  
「……別に、いい」  
試しに声をかけてみると、すぐにマフラーを突っ返された。  
 
 
 
開館直後の図書館には人がほとんどおらず、これなら問題集やら参考書やらを存分に広げて勉強できそうだ。  
奥まった席の一角にノート類を置いて占領し、  
とてとてと本棚の迷宮へと入って行こうとする長門を小声で呼び止める。  
早く本が読みたいそぶりを見せる長門だったが、すぐに俺の元へとやってきた。  
 
「今日な、俺は宿題をやるつもりでここに来たんだが」  
こくん、とも、こく、とも表現しづらい、長門のわずかな頷き。  
「2時間、いや、1時間半で終わらせる。そしたら他の場所に行くから、読みきれないようなあんまり厚い本は選ぶな」  
「……わかった」  
どこに行くのかという疑問もあるだろう、わずかに間を置いて長門は頷き、すぐに踵を返して歩いていく。  
 
 
本棚の向こうへと長門の姿が消えるのを見送って俺は問題集を開く。  
 
「さあて、一丁やったるかい」  
駅前のデパートの新春初売りセールは今日までだったっけ? 冬物割引、やってるよな?  
 
今日の午後いっぱい、長門に冬季服装文化の実践を教えてやるのもいいかもしれない。  
お年玉という名の臨時収入でまだ俺の懐も暖かいわけで、防寒具の一揃いも買ってやることも不可能じゃないだろう。  
 
両手の指をポキポキ鳴らした。シャーペンを指先でくるくる回す。  
試験前よりもはるかに真剣になりながら、俺は数式との睨めっこを開始した。  
 

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