涼宮ハルヒ と 誘拐。
短編 「園児ランド」
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事件の前には必ずといっていいほどなんらかの伏線が敷かれるものだが、それは小説や映画やドラマといったものにのみ当てはまるのであって、
現実世界に生きている俺たちにとっちゃあそんなものは関係ない。なぜなら俺たち人間は常に突発的な危険や事件に巻き込まれることが多々あるし、
もしも伏線たるものが存在するとすればそれら事象を事前に回避する事ができるだろうからだ。
もっとも、誰々がキレル寸前にあるとか、そういったものは伏線じゃあない。兆候だ。
兆候と伏線は大きく違う。伏線は必ず消化されなければならないが、兆候は無理に消化する必要はない。怒りが自然と鎮火する場合だってあるだろ?
ま、とりあえずだな、話を要約すると、伏線なんて便利なものは現実には存在しないってことがいいたかったわけさ。
「はぁ・・・・・・」
朝。教室である。俺のうしろの席のハルヒはいつになくメランコリックな表情で、皮肉をたっぷり込めたはずの講話を聞いているのかいないのか、
さっきからため息を連発している。
「なぁ、俺の話、聞いてたか?」
「うるっさいわねぇ。伏線だとか、なんだとか。キョンは考えすぎなのよ。そういうの考えるのは、ボケ老人になってからゆっくりとしなさい」
頬杖をついたハルヒの眉間が、いままさに不機嫌であることをあらわしていた。触らぬ神になんとやら、か。というわけで話を打ち切り、前を向こうとした俺に、
ふとハルヒの独り言が聞こえたきた。
「子供の頃に戻りたいなぁ」
そのときの俺は、ハルヒのその一言に重大な意味が隠されているとは思ってもみなかった。 そしてのちに嫌というほど実感するのだが、
とにかく俺は先ほどの言論を撤回しなければならないようだ。なぜならハルヒこそが、この世界で唯一の生きた伏線である事を俺は見逃していたからだ。
盲点だった。そしてその伏線は、早くもその日の放課後に消化されることになる。俺の最も忙しい一日が始まりを告げるのだった。
1
放課後である。掃除当番をおえた俺は部室棟の廊下を歩いていた。
「なんだ?」
文芸部の扉のドアノブをまわそうとしたとき、部屋の中から騒がしい声が聞こえてきた。どうも、
ハルヒと朝比奈さんの声のようである。
またハルヒのやつか。おそらく天使のように純粋な朝比奈さんにいらぬちょっかいを出しているのだろう。いい加減、
注意をしなければいけないな。俺は手の甲でドアノブを叩いた。
「入っていいですよ」
予想に反して、部屋のなかから聞こえてきたのは古泉の声だった。俺は訝しげにドアノブを回し、前方に押しだした。
「誰だ、それ」
部屋に足を踏み入れた俺の第一声はそれだった。椅子に掛けている古泉の足元でじゃれ合っている二人の幼児を指さしながら、
俺は呆然として言った。
視線を、花柄のスモックを着た二人の幼女に向けたまま、とりあえず鞄を机に置く。長門は我関せずとばかりに、
部屋の隅で分厚い本と戦っている。ハルヒと朝比奈さんの姿はなかった。 嫌な予感がした。
「それ、どこからさらってきたんだ?」
古泉はいつものスマイルのまま、
「心外ですね。彼女たちとは今しがた会ったばかりです」
「嘘をつけ。なんで高校に幼児がいるんだ。長門はあの通りだし、消去法で考えて、犯人はお前しかいない。白状しろよ」
言いながら、俺の声は弱冠震えている。頭のなかではわかっちゃあいるんだ。でも、絶対に認めたくないことってあるだろ?
とそのとき、髪の黒いほうの幼女が、とてとてと歩いてきて、俺の太ももにガッツリ抱きついた。
抱いてほしそうに見あげてくるので、とりあえず膝に乗せてみた。
「キョン〜、キョン〜〜」
幼女は覚えたてのママを発音するときのように、俺のあだ名を呼んでいる。いてっ!
髪の毛を引っ張るんじゃありません!
「懐かれたようですね。僕はてんでダメですよ。子供は嫌いではないのですが、なかなか好いてくれません」
古泉はまかせた、とばかりにもうひとりの幼女の背中をぽんと押す。栗色のふわふわした髪の毛が揺れて、
こっちにむかって歩いてきた。これまた抱いてくれと目で訴えてきたので、膝にあげる。やれやれ。
そこで俺はついに折れた。現実と向き合わなきゃいけないときだってあるさ。
「で、いつから俺たちの部室は託児所になったんだ?」
「僕が来たときには、すでにこの状態でした。長門さんはあとから入ってきましたが、いつもの通りです」
そうだろうよ。思い当たる節は?
「さぁ、それはあなたが一番知っているんじゃないでしょうか?」
今朝がた、ハルヒの呟いた言葉を思い出した。俺は無言のまま頷いた。
黒い髪の幼女が俺の首にしがみつく。膝からずり落ちそうになっているもう一人の子を、改めてかかえあげた。
「ハルヒが望んだからだろ?」
古泉の笑顔は「正解です」と言っていた。
「で、どうすれば、元に戻るんだ、これ」
「知りません」
「うそをつけ」
「本当です。今回の件については、僕はまったく関知していません」
他の件なら、少なくとも関知していると言う事か。
閉鎖空間とやらは?
「神人があらわれたとの報告はありません。どうやら今回の件は、それとはまた別の力が働いているようです。
ですからゆっくりと、彼女達を元に戻す方法を見つけてください」
簡単に言いやがって。
というより、俺の首に巻きついているこの子がハルヒなら、おおぴらにこんな話をしてもいいのか。
ハルヒに自覚されると、まずいんじゃなかったのか。
「心配は要りません。元に戻ったときの涼宮さんは、この状態のときの記億をうしなっているはずです」
なぜそうと言い切れる?
古泉は、ふふっと微笑んだ。
「彼女が子供だからです」
2
早くも次の日の放課後である。部室棟の廊下を不機嫌な足取りで歩いた俺は、これまた不機嫌な調子で部屋の扉を開けた。
部屋のなかでは古泉が、待っていましたとばかりに、爽やかなスマイルをこちらに向けていた。
「どういうことだ。古泉」
つかつかと歩み寄り、いい加減見慣れてきた微笑を見下ろした。
「何の話です?」
小首を傾ける古泉。俺はいつかのハルヒみたいに、そのネクタイを引っ張った。
「おまえ知ってたんだな」
「だから、なにをです?」
「とぼけるな。おれはとくに、これといってなにもしてないぞ。ただ遊んで、一緒にフロはいって、寝ただけだ」
そう、あれからハルヒと朝比奈さんをを家に連れて帰った俺は、
息子がとつぜん連れてきた二人の幼児を訝しがる様子をまったく見せない両親の承諾を得て部屋に泊めた。
妹は妹ができたとかナントカ言っておおはしゃぎしていたが、風呂やら便所やら子守唄やらなにからなにまで俺が面倒を見る羽目になった。
疲れ果てた俺はハルヒと朝比奈さんと一緒に、仲良く川の字になって眠った。
朝、妹の甲高い声に眠から目覚めた俺だったが、布団をめくるとハルヒと朝比奈さんの姿はそこになかった。
もしやと思い妹と両親に話をしてみたが、そんな子供は昨日家に泊まらなかったという。
ふふ、と古泉は笑った。そして、
「正解です。ぼくはすべて知っていました。しかし、前もって言うほどの事ではなかった」
「だからって――」
俺は掴んでいたネクタイをはなした。
「いいですか、子供とはそういうもの、いつかは必ず大人になるものなのです。ネバー・ランド。そんなものは実在しません。
変化こそが、生物の本質なのです。そしてそのことを誰よりも知っているのが、私たち人間なのですよ」
うまくやり込められた気がしてならない。俺はなかばあきらめたように、鞄を机に放り投げた。
過ぎたことをとやかく言っても、仕方がない。
ただ、ひとつ疑問が胸に残っていた。
「でも、なんでハルヒは幼児なんかになりたかったんだ?」
今回の騒動は、いままでのとは違う気がしていた。
古泉は外国人のように手の平を上に向けながら、
「さぁ」
”甘えてみたかっただけなんじゃないですか、あなたに”
owari