涼宮ハルヒの演奏
1/そんなお年頃
今日のハルヒは朝から不気味なまでに大人しかった。何か思いつめてるのかと思えば途端に唸りだして独り言を呟き出したり、昼休みも学食から帰ってくるとすぐに着席し、哲学家のように思想に耽っていた。
そんなローテンションなハルヒは放課後のSOS団団室でも何やら思い悩んでいるようであった。時折小さく独り言を呟いている辺り、相当なレベルまでキテいるのだと思われる。
「……ん題はみくるちゃんよね……か出来ないのかしら……」
さっきからうっすらとこんな事が聞こえるが、どういう意味なのかはさっぱり分からない。おまけ程度にハルヒが部室に来てからつけっぱなしにしてあるコンピューターのファンが鳴っている。
朝比奈さんはハルヒが大人しいからか椅子に座って居眠り、長門はいつも通りハードカバーの本を読んでいた。
古泉、もしかして閉鎖空間は発生してないだろうな。
「ええ。機関でも確認している閉鎖空間の数はゼロです。今から発生する可能性も極めて低いと思いますよ」
それは本当だろうな。
「今嘘をついたとしても僕に利益はありません」
古泉はね、と肩をすくめて俺の半数以下となった駒から最後の切り札となるクイーンを苦し紛れに斜めへと進ませた。
お前、わざとやってないか? そこに置くとポーンで取れてしまうんだが。
「そうだな。もしご機嫌斜めだったとしたらどうなるもんかと考えていたんでな」
ポーンを古泉が置いたクイーンのマスへと移動させる。古泉は変わらずニヤケ面のままだ。
「そのときは何としてでも涼宮さんを退屈させないことです」
遂にキングを移動させる古泉。
本当にそこでいいのか。ルークでチェックメイトなんだが。
「ハルヒを楽しませる為に無駄な労力を使うのは御免だ」
ルークを移動させ、チェックメイト。
「最近は楽しませるだけでは駄目みたいですがね」
古泉はムカつく事にニヤケ面を更にニヤケさせた。ずっと笑ってて疲れないのかね。
「それより盤見ろよ、盤」
「おっと、どうやら今回も僕の負けのようですね」
良い加減ボードゲームで俺に勝とうとするのはやめた方が良いぞ。
はぁ、と溜息をついて古泉が自分の表に黒丸を付けているのを見ていると、眠れる獅子の如くハルヒが立ち上がった。
「やっぱり時代はロックよね」
今まで押し黙っていたと思えば、今日一番の台詞がこれか。変に心配していた時間を返してくれ。
帰ってきた我らが団長は更にこんなことを言い出した。
「本格的にSOS団でバンドを始めようと思うの」
まさかの一言である。唖然として言い返せない。
「そこで私なりにパートを考えてみたわ。ボーカルは勿論あたしね。ギターも弾くやつ」
ハルヒがボーカルなのは反対しないが、それ以前の問題だ。バンドなんてそう簡単に出来るはずがない。
「待てハルヒ、バンドを組むにしても俺は楽器が出来ない」
「それも考慮した上での話よ」
いつもは無駄に唐突なハルヒにしては珍しい。明日は雨の他に飴も降ってくるんじゃないか。
そんなのどうとでもなるわよ! とか言ってくるのかと思ったが、今日のハルヒはやはり違うらしい。
「珍しいってどういう事よ。まあそんなことはどうでもいいわ。
とりあえず発表するわよ。キョンはギター、古泉君はベース、ドラムは有希……のつもりなんだけど、ギターあれだけ出来るなら出来るわよね?」
「出来る」
重厚な本をずっと置いたままにしている手の平は皮が厚くなったりはしてないのだろうか、本に目を向けたまま長門が言った。
ドラムって大丈夫なのか、長門。
「大丈夫。情報統合思念体から世間で上手いと思われるドラマー数十人のドラムパターンを今、記憶した」
よく分からないが大丈夫だということだけは分かった。頼りにしてるぞ、長門。
心なし長門が頷いてるような気がした。
「なら有希がドラムで決まりね。みくるちゃんは相当悩んだんだけどキーボードが良いと思うわ。最悪コードを鳴らすだけで何とかなるし」
いつの間にか起きていた朝比奈さんはふぇーと悲鳴にも似た声を発し、驚きを隠せない様子だった。そのエンジェルボイス、堪りません。
はっ、俺も言うべき事があった。
「俺ギターなんて弾いたことないぞ」
「その点抜かりはないわ。私がみっちり教えるわよ。ギターも前に私が使ってたのを貸すから」
何処か得意気にハルヒはジャラーンとエアギターをしてみせた。様になってるからか妙に説得力がある。
今回はいつも突拍子に持ってくる企画とは違うようだ。
しかし、俺のような初心者がギターをやるより長門のような上手い人がやる方が見栄えするんじゃないか?
「馬鹿ねー、バンドはリズム隊よ。り・ず・む・た・い。
ベースとドラムがしっかりしてないとギターも歌も目茶苦茶になっちゃうじゃない」
俺がCDを聴いてる限りではベースやドラムに重点を置いて聴いた事はないのでそこまで重要性が分からない。
歌とギターさえ目立っていればどうにかなるもんじゃないのか?
「はー、全く馬鹿キョンね。リズムがバラバラだと全員が合わせられないでしょうが」
なるほど。ようやく理解出来た。要するにメトロノームのようなモノなんだな。
「そう考えても良いとは思いますが、ドラムソロやベースソロを聴くとメトロノームなんて比べ物になりませんよ」
得意気に説明してくれるのはいいが、その僕まだまだ知ってますよ的な顔をしないでくれ。
お前に長々と説明されると居眠りどころか無性に腹が立つ。
「いや、今の俺ではこれ以上理解しようとすると今日覚えた授業の内容を全て忘れてしまいそうだ」
ほとんど聞いていないので忘れる事も出来ないがな。
「あんた今日の授業聞いてたっけ?」
朝比奈さんに何やら語っていたハルヒがいきなり振り返って俺の顔を見た。
鋭い。ずっと考え込んでるだけだと思っていたが、しっかり監視していたのか。
「それはそうと、僕がベースなのはどうしてでしょう?」
「古泉君ならやったことなくてもすぐに出来そうだし、何せ副団長だからね」
おい古泉。勝ち誇ったような顔で俺を見るな。全く羨ましくないぞ。
「あのぉ、私、どうすれば……?」
メイド服姿の朝比奈さんが上目遣いでハルヒを見つめている。
ハルヒ、羨ましいから替わってくれ。チワワのような瞳を独り占めさせてくれ。
「みくるちゃんは誰かに教えて貰いなさい。そうね、鶴屋さんならお嬢様だしピアノも上手いかもしれないわ。
もし鶴屋さんに教えて貰えなかったら私が教えるけど」
「は、はい……」
何とも言えない表情で俯く朝比奈さん。
急に他人任せだな。いきなりキーボードってのは無理なんじゃないか?
「でも、他に合いそうなパートがないのよ。タンバリン持って踊るだけってのはロックじゃないし」
「いやしかしだな」
「い、良いんです、キョン君。私もキーボードやってみたいですから」
もしかしてこれも規定事項ってやつなのだろうか。瞳をウルウルとさせて何かに耐えている朝比奈さんは非常に悲しげで、更に萌え度が高かった。
すいません。今のハルヒを止めるのはどうやら不可能らしいです。
「なら話は早いわよ。みくるちゃん、キーボード頑張ってね。
キョン、明日ギターとその他諸々持って行くから。あ、そうそう。古泉君はベース持ってる?」
「ええ、最近は弾いてませんが」
「そう。調達の手間が省けたわ。有希は大丈夫そうね。
じゃあ、明日!」
それだけ言うとハルヒはそそくさと部室を出て行った。本当に台風のようなやつだ。
理解するのに何分もかかる事を喋るだけ喋って出て行きやがった。
「お前ベースなんて持ってたのか?」
ハルヒに残されたが、早々帰る気にもなれなかったので聞いてみた。いつも終了の合図となっている長門も本を読み終えていない。
「いいえ。あの場面では持ってると嘘をついた方が面倒は少なくなると思いましたので」
キザだけが取り柄なのか、前髪をピンと指で弾いて言った。
「もし持ってないと言ってたら何処かからまた強奪するつもりだったんだろう」
やれやれ、と肩をすくめる。余りやらないつもりだったんだが、やらずにはいられなかった。
ハルヒのトンデモ企画には毎回寿命が縮まるよ、全く。
「恐らくそうでしょう。僕としてはそういう事で能力を使われる方が嫌だったりしますが。まあベースの方は機関で用意して貰う事にしましょう。
――それより今回の件ではあなたの行動が過去以上に重要となってきます」
古泉の顔がいつものニヤケ面からキリッとした瞳を開けた真面目なものになった。その瞳に何人もの女子が虜になったのかは知らないが、やはり美少年と無理にでも気付かされる。
いつもそうやっていれば俺的ムカツキ度は半減するのだが。
「どういうことだ?」
「涼宮さんがあなたを同じギターというパートにしたのは非常に大きな意味があります。
教えるという結果、あなたに密着出来ると考えたのでしょう。まさに手取り足取りと言ったところですか」
人さし指を立てて名探偵になりきっている古泉は、中々説得力に欠けた。
真面目な顔だが、面白がってるように見えるぞ。
「俺に密着して何の意味があるんだ」
「……」
古泉は呆気にとられたような顔をするとやれやれ、と肩をすくめた。本日二回目である。
「もはや鈍感の域を超えてますね。全くあなた達も素直になればいいのに。
とりあえずあなたは涼宮さんと一緒にギターを練習していて下さい。それだけで涼宮さんの機嫌はすこぶる快調になるはずですから」
ね、と微笑み、古泉はいつものムカつく顔へと戻った。
「よくわからんがハルヒとギターの練習をしてれば良いんだな。古泉の言ってることは合ってるのか、長門」
ここで何でも知ってる長門に正しいかを聞いておく。古泉の話だけでは信用ならんからな。
「合ってる。涼宮ハルヒはあなたと一緒に居たいと感じている」
本から顔を上げて吸い込まれそうな瞳をこちらに向けて言った。
長門とずっと目を合わせているとマジックポイントが消費されていくような気がする。
「そうか。なら信用していいようだな。
……朝比奈さん、キーボードって大丈夫なんですか? 未来にもあります?」
隅の方でメイド服のエプロンを掴んで縮こまっている朝比奈さんに聞く。
その姿、今すぐにでも抱きしめたくなります。本当に。
「似たようなものはあるんですが、今のよりは簡単に弾けます」
なら今のキーボードは未来人の朝比奈さんにとって難しいという事になる。大丈夫なのだろうか。
「いけそうですか?」
「な、何とか出来ると良いんですけど……」
そう言って目を反らす朝比奈さん。ああ、可能性は低い……!
「ハルヒは鶴屋さんに教えて貰えとか言ってましたけど、鶴屋さんってピアノ弾けるんですかね?」
「多分弾けたと思います。明日教えて貰うのと一緒に聞いてみます」
「そうですか。辛くなったら言って下さいね」
俺は生涯これ以上に格好良い顔は出来ないだろうという顔を作って朝比奈さんに微笑みかけた。
どうだ、キマってるだろ。誰に問う訳でもないが。
「は、はい。大丈夫です」
まさに天使のような笑顔です。可愛すぎます。その笑顔、プライスレス。
若干引きつってるようにも見えるが、そこは仏のように気にしない。
しかし、俺にギターなんて出来るのだろうか。長門が本を閉じる音が部室に響き、さて終わりかと立ち上がったとき思った。
「先に帰ってて下さい」
朝比奈さんが部室に残り、朝比奈さんの着替えを待つこともなく、古泉、長門と共に校門まで古泉のつまらん音楽話に付き合い、俺は家路についた。
何故か今日のハイキングコース下りはいつもより短く感じたが、特にセンチメンタルな感情はない。きっと気のせいだ。
さて家に着き、妹を難なくスルーし部屋に戻った俺は、音楽に大した興味もない人間がマジでギターを弾けるようになるのかと自問していた。
あんなに速く指が動く訳がない。それでも、もしハルヒが誠に勝手ながら俺に超絶技巧ギタリストになる事を期待しているなら、即刻出来ない、無理だと言いに行く必要がある。それはもう超特急で。
でも、流石にハルヒはそこまで俺に期待してないだろうと、とりあえず俺はその辺に放置されているCDを何ヶ月も使われていないコンポに放り込んだ。昔流行っていたポップスが流れ出す。
音楽というのはその時に聴いていたものを聴くとその時の記憶が溢れ出すらしく、俺も例によって懐かしさを感じていた。
いや、そうじゃない。今日はハルヒが言っていたリズム隊というのを重点に聞いてみる事にする。
……よくわからん。ドゥンドゥンしてるのがベースか? そもそも俺はベースの音すら理解出来てなかったようである。
本当にこんなヤツがバンドなんて出来るのだろうか。
漠然と不安に思っていると、携帯の着信音が鳴った。この音は電話だな。
背面ディスプレイに映し出された名前は……古泉一樹だった。
「もしもし、古泉です」
「何だ。また閉鎖空間か」
「違いますよ。機関からベースを頂きました。ベースだけではなくシールドやアンプまであります」
何だ、そのシールドとアンプって。盾とランプの仲間か?
「はは、シールドはギターを繋ぐケーブルですよ。アンプはアンプリファイアの略で、エレキギターやエレキベースの音を変換してスピーカーで音を出すエレクトリック楽器には必須な機械です」
自慢気に話してる古泉にイライラしつつも、専門用語を何とか覚えようと試みる。
「えーと、シールドとアンプだな。ていうか、ベースを貰えるなんてどんな機関なんだよ」
「それは秘密です。それより聞いて下さいよ、このベース、フェンダーUSAのジャズベースなんです」
これは話が長びきそうだな。
「わかったわかった。もう切るぞ」
無駄に長電話になって電話代がかさむのも可哀想なので電話を強制終了した。
古泉の説明癖はどうにかならんものかね。うんちくじみた長話をされると興味のないこっちは堪ったもんではない。
俺は明日から始まるバンドSOS団に胃を痛めつつ、はぁと溜息を吐いた。
もう夜の十時を回っている。風呂に入って寝よう。明日も大変そうだからな。
「はぁ……」
俺はもう一度、今度は深く溜息を吐いた。