2/Rock 4 U
昨日はいつもより早く寝たはずなのに何故こんなにも眠いものかと妹のヒップドロップを受けながら考えていた俺は、今日からまた騒がしい日々が始まる事に多少ながらも期待みたいなものを感じていた。
いやいや、期待ではないな。不安だ。それも非常に大きな不安だ。
昨日ハルヒがバンドをやるなんて言い出した時は眼球が飛び出してもおかしくないくらいの衝撃を受けたものである。
それに俺がギターをやる事になるとは全く以て予想していなかった。本当に俺なんかが弾けるようになるのかねぇ。
はぁ……自然と溜息が出る。
何が悲しくて朝からこんなに運動をしなくてはならんのかと言いたくなる坂道もいつもより長く感じられた。体感速度四分の一である。
教室に入るとハルヒが顔を窓の外へと向けて何やら気怠そうなオーラを放っていた。
朝からそんなだと放課後まで持ちませんよ。
「どうした?」
「ギター二本があんなに重いとは思わなかったわよ」
「何の話だ」
「今日から練習する為に持ってきたのよ、ギター二本」
あー、と口をだらしなく開けながらうなだれるハルヒを見て、ギター二本を両肩に担いで無理矢理歩いている姿が頭を過ぎった。
中々辛そうだったが、頬を朱く染めているのを可愛く感じたのは何でだろうな。
「それはご苦労だったな」
「ええ、今度キョンに駅前のケーキ屋で奢ってもらいたいくらいよ」
「へいへい」
貰いたいと言っておきながら奢らせる気満々なのは何故だろう。それはハルヒの辞書にある遠慮という漢字二文字が修正液で二重にも三重にも消されているからである。
日本人ならもっと自虐的になっても良いと思うぜ。まあ言っても無駄だと思うが。
「何ブツブツ独り言言ってんのよ」
「いや、何でもない」
担任岡部が来るにはまだ早い時間ではあるが、俺はハルヒに背を向けて体を黒板へと向けた。
今日のSOS団はどうなるんだろうね。やれやれ。
これからの人生で役立つはずのない授業を有意義に就寝に使い、気付けば四時限目終了の鐘が鳴っていた。
学生にとって至福の時間、昼休みの到来である。これだけの為に登校してくる奴も居るとか居ないとか。
後ろの席に座ってる団長様も食堂へと走っていった。たまには弁当にしないのかねぇ。
そうすれば教室で昼食ってのも可能なんだが……。たまにはゆっくり食べたいだろうからな。
さて、いつも通り国木田や谷口と机を合わせて弁当を食べるとしよう。
「また涼宮が何かやらかすそうじゃないか」
こいつ、ハルヒがいなくなったからこんな話題を振ったのか。
「何だって?」
「今日涼宮が怪しげなもん提げて学校に来たってのが噂になってんぞ」
ギターを担いで来るだけでもう噂になってたのか。すっかり有名人だな、ハルヒ。
それにしてもギターが怪しげなもんと言われるなんてな。言われたギターも不憫なもんだ。
「何もねぇよ。いつもと変わらん」
「そうかねぇ。涼宮との二人だけの秘密かぁ?」
ケケケ、と茶化す谷口。こいつだけはいつか一発殴っても良いのではないかと思う。
「俺とハルヒはそんなんじゃねぇよ。お前も見てりゃ分かるだろ。
俺はただあんな意味分からん部でコキ使われてるだけなんだよ」
「だから、今の涼宮とお前を見てると付き合ってるようにしか見えん訳よ」
半ば諦めに入った俺は箸を進める事に専念しようと決めた。
白米を頬張りながら喋るな。マナーがなってないぞ。
「どう見たらそうなる」
「どう見てもだよ」
「最近の涼宮さんはキョンといると楽しそうだしね」
ここまで弁当を食べながら傍観しているだけだった国木田までがこんな事を言い出した。
勘弁してくれ。何故俺がハルヒなどと。
「その話はもういいだろ。それより……」
急に話を替えた俺に谷口はやっぱりな、と得意気に呟いたが、気にしない事にした。楽しい昼休みにしたいからな。
弁当を食べてる最中も、食べ終わった後も、中々ハルヒは教室に戻ってこなかった。食堂で大食い大会でもやっているのだろうか。
やっているなら長門が出れば確実に優勝なんだが。小さい身体であの食べ方は凄い。やはり宇宙人と言うだけあって地球でのエネルギー消費は大きいのかもしれない。
そんな事を考えながら、特にやる事もなく教室でそのまま谷口達とたわいもない会話をしていると、昼休みは終わってしまい、チャイムギリギリでハルヒが教室に入ってきた。
まったり過ごすべき昼休みを忙しく駆け回っていたのか、息を切らしている。
「何処に行ってたんだ?」
「放課後になれば分かるわ」
北校に来てからもう何度見ただろうか、ハルヒは左手で髪をかき上げた。汗で溶けたシャンプーの香りがする。
放課後? また何かやらかしたんではないだろうな。
「やらかすって何よ。まるで私がお騒がせ者みたいじゃない」
お前がお騒がせ者じゃないと言うのなら、テレビで騒がれてる芸能人の結婚報道ですら新聞の隅っこに追いやられるだろうよ。
なんて事は言える訳もなく、五時限目の教師が来たところでこの話は終わりになった。
午後の授業も大半を就寝時間へと費やした俺は、ハルヒのされるがままに久しぶりとなる引き摺られながら部室へ行くという学校内羞恥プレイを実行させられていた。
襟が伸びて仕方がないので、なるべくというか絶対やって欲しくはないのだが、ハルヒはそんな事はどうでも良いらしい。
いつも以上に張り切っているハルヒは、部室の前に着くと俺の襟から手を放し、扉をこれでもかと言わん力で開け放った。いつも思うがいつか壊れてしまうのではないか。
襟を直しつつ、部室の中を覗くと、ギター二本とこれがアンプというのか小さなスピーカーのような物が用意されていた。いつも古泉とボードゲームをしている机には何かごちゃごちゃと置かれている。
「どう? ちゃんとギターを練習出来るようになってるでしょ」
ふふん、と誇らしげなハルヒを余所に俺はギターというのはこんな物なのかと少し関心していた。
光るボディとシャープなシルエット。男として格好良いと思わざるを得なかった。
「お前だけで用意したのか」
一つは二つの角が生えたような形で黒く、一つはVの字を逆さにしたような形で白いギターが光を反射させている。
「そうよ。さ、みんなが来るまでにチューニングくらいはしておきましょ」
「えーっと、確かチューニングって音を合わせるんだったな」
「バカキョンの癖に知ってるのね。このチューナーってのを使って音を六弦から順にミ・ラ・レ・ソ・シ・ミに合わせていくのよ」
ハルヒはチューナーとやらを古泉が言っていたシールドというケーブルでギターと繋ぎ合わせ、椅子に座りギターを膝に乗せた。
そのピコピコ言いそうな長方形の物体がチューニングをしてくれるのか。
「してくれるんじゃなくて鳴らした弦の音程を知らせてくれるだけよ。弦を鳴らしてこれの真ん中に合わせるの」
そう言ってギターの一番上の弦を指でハジいた。重い音が響く。
チューナーのデジタル画面にEというアルファベットが表示され、針を模した線が真ん中より左で止まった。
「これだと少しズレてるわね」
今度はギターの上にあるゼンマイのような物を右に回す。回すにつれ音が伸びて音程が高くなっていく。
へぇ、これで弦の音程を調整している訳か。
「これで良いわね」
何回かグリグリと回しながらチューナーと睨めっこをしていたハルヒが顔を上げ六弦をハジいた。
「これがミか。それとさっきから気になっていたんだが、Eって何だ?」
「ミの英語表記よ。ドレミファソラシドは英語で書くとCDEFGABCになるの。
まあこの辺は理論とかになるし難しいからまた今度」
ドレミだけで精一杯なのに英語でなんか表記するなと言いたいが、誰に言えばいいのだろうか。
これから覚えなくてはならないであろう音楽専門用語に頭を抱えつつ、ハルヒが全弦をチューニングするのを見ている事にした。
しばらくすると、長門がやってきた。ギター二本がある部室に何も言わず、いつもの椅子に座って鞄から取り出した本を読んでいる。
本のタイトルはドラムテクニック全集というその外見には全く似つかわしくないものだった。案外楽しもうとしているのだろうか。
長門も最近になって地球人を炭酸ジュースに含まれている果汁程は理解してくれたのかもしれない。
「ロックフォーユー」
今長門が呟いた言葉に深い意味があるのかどうか考えてしまったが、特に意味はないだろうとスルーした。
ロックフォーユー?
ハルヒが二本目のギターのチューニングを終わらせると、ベースを背負い、部室にあるのと同じようなアンプを持った古泉が何かを話したそうな顔で現れた。
「これが昨日話したベースです。どうですか?」
得意気な顔でケースからベースを取り出す古泉。
お前は見るからに今回の件を楽しんでいるな。
「よくわからん」
「古泉君これフェンダーじゃない。しかもUSAだし。意外だったわ。こんな良い物持ってるなんて」
古泉と俺の間を割って、目を丸くしているハルヒが言った。中々見せない珍しい表情をしている。
「流石は涼宮さん。この良さが分かりますか」
俺に話しかけてきたはずなのだが、古泉は俺を無視してハルヒに媚びている。いや、自慢しているのか。
とにかく古泉は嬉しそうに語っていた。ハルヒと話が弾む古泉なんて殆ど見たことがない。たまにはこういうのも良いかもしれん。
……さて、放置プレイ中の俺はどうすればいいのかねぇ?
「そこに教本がある」
きょうほん? 何だそれは?
「ギターを練習する為の本。言わば、ギターの教科書」
長門にしては分かり易い説明だな。少し読んでみるか。
俺はハルヒが持ってきたであろう機材の横にある教本とやらを手に取った。
「あっ、何勝手に始めようとしてんのよ」
古泉と何やら語っていたハルヒが、急にこっちを向いてつまみ食いをする子供を叱るような口調でそう言った。
「ハルヒと古泉が話に花を狂い咲きさせてる間、ちょっと暇だったんで読もうと思っただけだ」
「ふーん。向上心は大切だわ。でも、キョンはまだまだわかんないんだから、私と練習しないとね」
古泉を放置して俺の方へとやってくるハルヒ。古泉との話は良いのか。盛り上がってたように見えたが。
「今はヘタなあんたの練習を優先するべきなのよ」
もしかして昨日言ってた事ってこういう事だったのか。ハルヒは俺に教えたい、そして密着したい。
密着はよく解らんが、どうやら古泉の言った事は当たりそうである。
古泉のハルヒ分析能力も履歴書の特技欄に書けるくらい上達してきているようだ。
「そうか。なら、ヘタな俺は何をやるべきか教えてくれ」
「今あんたが手に持ってる本に書いてあることを一から順にやっていきなさい。
難しいからって凹まなくても良いわ。私が教えてあげるんだから」
こうしてハルヒ先生のギター授業が始まった。
「手はこう。押さえる事だけに集中しないでフレットボードを丸く包むように心がけて」
とりあえず最初はCのコードを押さえてみようと言う教本通り、俺はハルヒが持ってきた黒い方のギターと格闘していた。
Cって何だ。くそ、全くハルヒのようなジャラーンって音が鳴らんぞ。俺とハルヒは指の作りが違うのかもしれん。
「ぶつぶつ言ってないで指を動かしなさい」
いや、だからだな。お前と俺とでは指の作りが違うという新事実が発覚したんだよ。同じ人間なのに何でだろうな。
「馬鹿言ってないで。ほら、こうよ」
急にハルヒが俺の背後に回り、その朝比奈さん程ではないが高校生にしては豊か過ぎる胸を押し当ててきた。
なんて言うと誤解されそうだが、今の状況を説明するにはこうしか言いようがない。
ハルヒは俺の左手の指を一本ずつ正しいCの押さえ方へと矯正していく。ハルヒ曰く正しい押さえ方なんてないんだけど、私がやりやすい押さえ方だからキョンでも大丈夫よ、だそうだ。
その間鶴屋さんには負けるだろうが、つい最近のCMで流れてるような艶やかな黒髪から発する香りが俺の脳を揺さぶり出したのは錯覚、いや白昼夢であったと思いたい。
気を取り直して右手にピックを持ち、弦を引っ掻いてみるとハルヒにはまだ及ばないが、コードらしき音は出た。
「ま、私が教えれば一日でコードストロークは余裕よ、余裕」
髪をかきあげてテレビの通販並に胡散臭いセリフを吐くハルヒ。何でも私が凄いと思い込んでいるらしい。この性格は一生治らんだろう。やれやれ。
じゃ、そのままリズムを取っていきなさいというハルヒの指示通り右手でリズムを取る練習をし始めた頃、我等の天使朝比奈さんがやって来た。
「みくるちゃん、キーボードはどう?」
「え、えーと、つ、鶴屋さんに教えて貰そうです」
しどろもどろで答える朝比奈さん。目線が泳ぎすぎな辺り、どうやら鶴屋さんに教えて貰うってのは嘘のようだ。
「それならみっちり教えて貰いなさい」
全く疑おうともしないハルヒに鈍感だな、と思いつつ俺はギターの練習を再開した。
結果から言おう、一日でコードストロークをマスターするのは無理だ。
そして夕方。ほんとにギターなんて弾けるようになるのかね、と昨日と同じ疑問を脳内にぐるぐると満たしてベッドに寝そべっていると、携帯の着信音が鳴り響いた。思わずビクッとしたのはお約束である。
この着信音からすると、メールだな。背面ディスプレイを覗くとそこには「朝比奈さん」と表示されていた。
本当ならここで可愛い先輩からメールだ、いやっほうなんて喜びを表すべきなのだが、SOS団メンバーから来る連絡というのはいつもハルヒ絡みであって俺に嬉しい事は殆ど舞い込んでこない。そう、期待はしないさ。
とか言いつつも若干期待しつつ携帯を開きメールを読むと、やはり期待すべき内容ではなかった。
「実はキーボードを鶴屋さんに教わってません。でも、大丈夫です。何たって私は未来人ですよ?
心配しないでキョン君は涼宮さんとギターの練習をしてね」
未来人だからと言ってキーボードを弾けるようになるのだろうか。ましてやはわわ系の朝比奈さん、不安過ぎるが……。
「そうですか。無理はしないで下さい」
長門のように二行にも満たなかったが、こんな感じで良いだろう。俺は送信ボタンを押し、はぁーと溜息を吐いた。