『鍋奉行vs鍋創造主』
「さあさあ、2ラウンド目は何がいいかしら?
キムチ鍋は最後が良さそうだし、豆乳でも入れる? 肉団子は?
まだまだ材料たっくさんあるんだし、第4回戦までは行けるわね。
ほら、キョン、あんた残り物片づけ係なんだから、どんどん食べる!
あんたが片付けないと、次に進まないじゃない」
目を燦然と輝かせこちらに菜箸の先を突きつけてくるハルヒに、
俺はただ苦笑して肩をすくめて見せた。
ハルヒの頭には、クリスマスに必需品の円錐型をしたパーティ帽子の先っちょを切って
メガホンと帽子の一石二鳥アイテムが乗っかっている。
普段の3割増しでテンションの高いこいつは
そのメガホン帽子を使って鍋が始まるやいなやああだこうだと口を出し、
そのリーダーシップというか絶対君主ぶりを遺憾なく発揮している。
ちなみに仕切る以外に食う方でも大活躍で、
鍋の第1ラウンドが始まって5分足らずで半分ほど無くなってるのもこいつのせいだ。
「いいよ、俺ァ、さっき強制されたトナカイ芸のせいでハラ一杯だ。
次かその次のラウンドから本格的に参加するから、先にやっててくれ」
朝比奈さんとハルヒが買出してきた鍋の具材は
オーストラリア産牛肉や得体の知れない冷凍白身魚が満載という、
由緒正しき「金に余裕の無いコーコーセーの鍋」だったのだが、
遅れてやってきた鶴屋さんが抱えていたトロ箱のおかげで状況は一変した。
「ウチからいま届いたよっ! 頂き物だけど、どうせウチじゃ食べきれないからさっ! 」
の台詞と共に開けられた箱には、すでに切り身となった鮟鱇やら鮭やらがぎっしりだったのである。
こうして”質より量”がコンセプトだった鍋は、質も量も兼ね備えたスーパー鍋へとクラスチェンジし、
肉と野菜と魚介類の山の存在感は、もうそれだけで明日の胃もたれを約束してくれそうだ。
材料は沢山あるんだからさ、しばらく見てても食いっぱぐれる事はないだろ?
俺がそう言うと、ハルヒはつまらなさそうにフンと顔を横に向け、
山盛りになっている菓子の中からうまい棒をつかみ出すとむしゃむしゃやり始めた。
鍋とうまい棒チーズ味の食い合わせはどうなんだろうという疑問は尽きないが、
とりあえずここでハルヒと愉快な討論を始めるつもりはないので黙っておく。
クリスマスイヴのSOS団の部室はいつもよりも一人多いせいか、
鍋なんか食わなくても、コーラをおとなしく啜っているだけで充分に暖かい。
それに、と心の中でひとりごちて、俺は部屋の中を見渡した。
鍋の向こうで鮟鱇のゼラチン質がお肌に…などと声高に話している鶴屋さんとそれを聞いている朝比奈さん。
うまい棒を食い終わったところで、やはり鍋に取り掛かるべきだと判断したらしく再びトリ肉にかぶりつくハルヒ。
テーブルの脇に立ちながら、ポン酢とゴマだれのどちらがいいか悩んでいる古泉。
一度は消失してしまった光景。
これを取り戻す為に自分がどれほどの決意をし、
そして後戻りできないところまで来てしまったかという事を思うとちょっぴりおセンチな気分になったりもするのさ。
自分の選択に後悔はない。だからこそかけがえのないこの風景を大切に……などと、
明るく賑やかなパーティに相応しくない、モヤモヤと胸中にくすぶり始めた想いをコーラで流し込んで、
俺は本日4杯目となるお代わりを注ぎ足した。
飲み物のペットボトルを元に戻して自分の定位置となった椅子にだらしなく座ると、
隣でちょこんと腰掛けているショートカットの小柄な姿がこちらを窺う気配がする。
紙コップに口をつけながらそちらを見返すと、
もぐもぐと動く頬と、こちらを見上げる無表情だけど無表情じゃない瞳と目が合った。
この場に居るべき俺たちの仲間の最後の一人、長門有希。
――おまえの親玉にくそったれと伝えろ。お前の居ない世界なんて認めやしないぞ。
深夜に見舞いに来た長門に対して威勢よく啖呵を切り、
以来(心の中で)ずっと情報統合思念体とやらに臨戦態勢だった俺だが、
こうして長門が何一つ変わらない様子でいるのを見て、ほっと心が緩むのが感じていた。
いつもどおり、殆ど言葉を発することはないが、手の届くところに長門がいる。
すぐ横を見ればその黒くてつめたい瞳がある。
そして……これまたいつもどおり、むしゃむしゃと旺盛にものを食っている。
それが、こんなにも嬉しいことだったなんて。
入院中に処分の可能性を告げられた時から、すでに数日が過ぎている。
いままで何も起こらなかったということは、この件で長門に対する咎めはなかったということか。
それとも、それはこれから起こるのか。
ちくしょう、やるなら早くやれってんだ。
まるで酔っ払いの愚痴のようなことを
目の前でぷつぷつ泡を立てている真っ黒なコーラの水面に呟きながら、
それでも俺は、何も起こらない事を強く祈らずはいられなかった。
そんな俺の胸中を知ってか知らずか、長門は無言でこちらを見上げている。
ウサギのようにその口が小さく動いているのは、さっき摘んでた春菊のせいだろう。
俺が小さく首を横に振り、心配要らないとの意を伝えると納得したのか、やがて前へと向き直った。
「……」
「……」
ふたりとも前を向いているので、そのままではお互いの姿は見えないが、
長門が鍋に箸を突き入れるために軽く腰を浮かせるたびにその白い横顔が視界に映る。
無言で鍋をつつき、これまた音も無く椅子へと戻る。
その箸の先に鮟鱇の切り身が挟まっていた。
なあ、長門。旨いか?
「……」
こっくり頷く気配。
いつもより角度が大きいように思われるのは、味に感動しているのかパーティで多少なりとも興奮しているのか。
そうだな、鶴屋さんちの鮟鱇だもんな。きっと料理人が吊るし切りにして解体したんだぜ、多分。
「吊るし切り?」
そうだ。鮟鱇をだな、こう、フックで吊り下げて、水を飲ませて腹を膨らませたところを捌くんだ。
『旨しんぼ』って料理漫画で読んだ事あるぞ俺は。
「……ユニーク」
ちなみに今の長門の返事にタイムラグがあったのは、単に食べかけの鮟鱇を飲み込むのに時間がかかったせいだ。
そんな会話をしながら、俺は開いていた片手の指を長門の椅子の背もたれにかけた。
「……」
やはり無言のまま、鍋にかがみこんでひときわ大きな鮭の切り身を鍋からつかみ出す長門。
手にした椀のポン酢にそれをつけると、椅子に戻る体の動きそのままに、
ちいさな音をきしませて背もたれへとその身を預けた。
ふわん、と指にかかる重み。
途端に俺の心臓は跳ね上がる。
長門はいつもキチンとした姿勢で座るから、椅子にもたれかかるなんて事は記憶にない。
だから俺も安心して行き場のない指先を持っていくことが出来たのだが。
「おい」
小声で呼びかけると、椅子に寄りかかったまま長門はチラリとこちらを見上げ、
そのまま鮭の切り身を口元へと寄せ、端っこへと噛み付いた。
「……」
「……」
人差し指と中指、そして薬指の先に長門の体温が触れている。
スレンダーな体型を思わせるしなやかな硬さと女の子特有の柔らかさを同時に併せ持つ、なんとも不思議な感覚。
「どうした? 行儀よく食わないと……汁がこぼれるぞ」
背筋を逸らしたような格好で食べ続ける長門。
ほとんど力もかかっていないのに、その背中と椅子に挟まれた俺の指はピクリとも動かせない。
「へいき」
俺の忠告にもならない忠告に従ってか、自分のあごのすぐ下に椀をあてがいながら、
長門はもぐもぐと鮭を噛んでいる。
生物の成績も大して良くない俺には如何なる解剖学的神秘に因るものかは分からないが、
長門のあごが動くと同時に背中の筋肉だか筋だかもピクピク揺れていて、
カーディガン、セーラー服、そしてアンダーウェア越しに、その存在を伝えていた。
わけもなく頬が熱くなる。
挟まれていないほうの手にあったコップに顔を埋める様にして目を逸らすと、
そこにあったコーラを一気に飲み込んだ。
やけにぬるくなった液体が喉を滑り降りていく。
くそ、こんなことなら氷も用意しておくべきだったぜ。
こくん。
長門が鮭を飲み下した音が、指への感覚となって伝わってくる。
そこで彼女は次の目標を探しに鍋のほうへと向か……わなかった。
「……」
「……」
長門はそのままじっと俺の顔を見つめている。
ちらちらと横目でそれを窺うだけの俺は、その目をまともに見ることも出来ず、
せいぜいが空っぽの紙コップのふちを歯でがしがし噛むくらいだった。
「――私の処分の検討は、」
すう、と小さく息を吸う音。その後に、長門が何の前置きも無く切り出した。
背もたれに体を預けながらも、彼女の背中がこころもちぴんと伸びる。
同時に緊張が俺の体に走った。
紙コップはぎしりと音を立ててひしゃげ、もう片方の手の指はパイプ椅子の貧弱なクッションへと食い込む。
「撤回された。処分される事は無い。少なくとも、この件では」
そう言って長門は大きな呼吸と共に肩を上下させる。
その肩甲骨がこつんと俺の指に当たって、それが何かの合図だったように俺の体から力が抜けた。
「……本当か?」
「ほんとう、だと思う」
だと思う、ってなんだか頼りないな。お前の親玉がハッキリ言ったのか?
「そう。だから私は居なくなったりはしない」
そう呟いて長門は部室を見渡す。
「ここからも、」
ハルヒ、古泉、朝比奈さん(と鶴屋さん)の顔を一人一人眺め、最後に俺を見上げると、
いつもよりもずっと力強い、摂氏ゼロ度ぐらいに熱くなった視線で、こう囁いた。
「あなたの前からも」
うぐ。
長門の視線に貫かれ、声にならないうめきが肺から漏れる。
いつ決まったんだ、なんで早く言ってくれない、とか、
親玉とやらはホントにホントの事を言ってるんだな、とか、
問い詰めたい事は沢山ある。
でも、長門が、
その強さと弱さのおかげで誰よりも信頼できると信じられる長門が言っているんだから、
ここはまあ、ぐっと言葉を飲み込んでおこう。
「そうか。良かったな」
ややあってそれだけを呟いた俺に、長門がこくんと頷いた。
「……ところで、そろそろ俺の指を解放してくれないか?」
別に万力で挟んでいるわけじゃないから、引っこ抜けばそれでいいんだけど。
長門が椅子に寄りかかってこちらをじっと見つめている状態で、
この指先のぬくもりを自分から放棄する為には強固な意思が必要で……その、なんだ。困る。
「どうして?」
どうしてもだ。それに、そのままだったらお前も鍋を食えないだろ。手が届かなくてさ。
「……そう」
こらこら長門さん。どうして箸と椀をテーブルに置いちゃうのかな。
大食いキャラ属性の君なら、そこは「うかつ」とか言って鍋に向かうところじゃないのかな?
「……」
「……」
「こぉらっ! なにやってんのよバカキョン!」
ばちんっ!
摂氏ゼロ度を通り過ぎ、280ケルビンぐらいの温度の長門の視線に射抜かれて身動きできない俺を助けたのは、
罵声と共に顔に投げつけられたうまい棒だった。
「なにをイイカンジで有希と見つめ合っちゃったりしてんのよ!
有希は純情な子なんだから、あんたのエロ視線だけでもう犯罪なの犯罪。
バツとしてあんたは野菜の刑だからね! 肉か魚を食べるたびに、その5倍の野菜を食べなさい!」
笑いながら怒るという器用な表情をみせながら、ハルヒがお手製メガホンで怒鳴っている。
その腕には、いつの間にこしらえたのか『鍋奉行』という腕章が輝いていた。
あまりのハルヒの剣幕に飛び上がった拍子に、長門の背中に廻されていた指がすぽんと抜ける。
一見無表情、でもどことなく不満そうな長門に構う隙も与えられず、
追い立てられた俺はひしゃげた紙コップを放り出し、自分の箸と椀を慌てて掴んだ。
「ほらほら、底に沈んでるキノコの切れっ端だとか半分溶けてる白菜だとか、
まだまだあんた用に残ってるわよ。とっとと鍋空けちゃってよ。次に進まないでしょ?」
「残り物、というかすでに野菜くずの世界だな」
「いいのよ。病み上がりのくせにエロキョンでバカキョンなあんたにはそれがお似合いよ」
ふーんだ、と顔を背けるハルヒにを前に、俺は箸で鍋をかき回す。
あらら、ダシ昆布以外には、もう本当に野菜の欠片しか残ってないな。
「心配ない」
と、横合いから俺の椀を摘み上げる手。
「私が取る」
俺がやったように、ぐるぐると箸で鍋をかき回す長門。
パーティの喧騒に紛れがちであるが、その素早く動く唇から
テープの早回しをしてるような音が聞こえるのは気のせいか……。
ざばぁっ!
「!」
特大鮟鱇と特大鮭と特大牛肉と特大豚肉と特大鶏肉を一掴みで取り出すと、
長門は俺のお椀にぎゅうぎゅうに盛り付ける。
ついでに2すくい目でこれまた特大の葱と白菜とキノコを出現させると、肉と魚の上にどかんと載せた。
「はい」
はいって言われてもどこから出したんだこれ……ていうか山盛り過ぎて重っ!
「昆布の陰に隠れていた」
直前に俺が探した時は無かったけどな、絶対。
「え、あれ? あたしがさっき見た時はあんなの無かった……」
ほら、ハルヒだって目を白黒させてるだろうが。
あいつだって鍋にカスしか残ってないのを知っててイチャモンつけてきたんだろうし。
「あなたたちの探し方が悪い」
あーあーそうですかそうですか。
もう反論するのも面倒くさいんで何も言わず、正直なところ食欲も大分湧いてきたので
とりあえずぷるぷるとゼラチン質を震わせている鮟鱇に齧り付く。
小首をかしげて俺を見つめている長門。
その目が「おいしい?」と聞いてきているので肩をすくめて答える。
「ふまひよ」
熱々の切り身を舌で転がしながらの返事は、どうにも間が抜けたものだった。
かけがえの無い仲間を、そして無口で無表情なお姫さんを守る騎士にしちゃあ情けないせりふだけど。
まあ、今日ぐらいはこれで勘弁。