帰りのホームルームを終え放課後を迎えたある日の事。さて今日もまた惰性的に部室へ
行こうかねと後ろを振り向くと、ハルヒが文庫本を枕にして机に突っ伏していた。
どうした。お前が待ち望んでいた放課後だぞ。それとそんな扱いしたら文庫本が傷むぞ。
「うん……何だかちょっと熱っぽくてね。今日は帰るってみんなに言っておいて頂戴」
珍しく体調不良を訴えてくる。ハルヒを参らせるウィルスがこの世にあったとは驚きだ。
「うるさい。とにかく今日は帰るわ。じゃあね」
ああ、お大事に。帰りに拾い食いとかするなよ。俺はゆっくりと静かに歩くというレア
なハルヒの姿を見つめ、その背に小さく手を振って見送りだしてやった。
ハルヒが不調を訴えた事を「レア」だと思った時点で、俺は気づくべきだった。
この時、既に何かが起こり始めていた事に。
文芸部室を訪れた俺は朝比奈さんとのドッキリハプニングを避ける為、至って紳士的に
扉をノックする。しかし扉の向こうから返ってきたのは「はぁ〜い」という朝比奈さんの
甘く蕩けそうな言葉でも、古泉の「少々お待ちください」という社交辞令ばった言葉でも、
長門の「…………」といった無言の応答でもなかった。
「どうぞ」
扉の中から少し高く澄み渡る、それでいて凛とした女性の声で入室許可が示される。
聞き覚えの無い声に頭をひねりながら、俺は声の示すとおりに扉をそっと開けた。
部屋の中央にパイプ椅子が置かれ、そこに見知らぬ黒衣の少女が座っていた。
腰まで伸びる黒い長髪は差し込む光で天使の輪を作り出し、その顔は公正に判断しても
美人に入る部類である。唯一、前に垂らされた一房の髪に結ばれたピンク色のリボンだけ
が黒一色の中で色彩を放っていた。
少女の後ろに従うよう、一歩隣には少年が立っている。やはり見覚えは無い。
少年は黒衣の少女と違い制服らしい服を着ている。だがその制服は北高のものではなく、
また俺の乏しい知識が知るどの高校の制服でもなかった。
見たこと無い制服だという事以外は特に外見的に目立った特長は無い少年だが、こちも
唯一目を引く部分がある。黒衣の少女とお揃いにしているのか、少年もまた水色のリボン
を鉢巻のように頭に巻いているのだった。
「事後承諾になるけど、お邪魔させてもらっているよ」
「こんにちは。あなたがこの文芸部の責任者でいらっしゃって?」
少年の挨拶に続き、黒衣の少女が問いかけてくる。
一体これは何だって言うんだ。またしても俺はトラブルに巻き込まれたのか。
心のどこかでそんな現状を認識し、俺は目頭を押さえて首を小さく振った。
「……もしもし、聞こえていますの? 聞こえているのでしたらわたくしの質問に答えてい
ただけませんでしょうか」
あぁ、悪かった。部屋へと入りカバンを置きながら俺は答える。
「文芸部の責任者は俺じゃありません。長門という一年生です。ですが──」
俺はこの整然とした混沌状態の部室をざっと指差しながら説明した。
黒衣の少女がこの部屋の異常性について聞いているのならば、現在この部屋はとある非
公式団体が見ての通り寄生している状態であり、もし万が一ひょっとしてそちらに用があ
るとした場合、責任者、いや責任を取ってるかどうか全く以って怪しいので責任者という
表現はどうかと考えてしまうがそれはともかく、この混沌たる部室とそこにたむろう異能
集団を取り仕切る、全く以って団体名を語る事すら恥ずかしいその一国一城の主をあげる
とするなら、それは当然この人物に他ならないだろう。
「──ハルヒです。涼宮ハルヒ」
「だ、そうだよ。知ってるかい、光明寺」
少年が黒衣の少女に尋ねる。光明寺と呼ばれたその少女は、その白い肌の指を一本だけ
のばすとこめかみに当てて考える仕草をとる。
「……生憎と存じませんわ。ですがその涼宮ハルヒさんですか、このただ事ならぬ部屋が
そのお方の仕業だというのならば、よほど凄いEMP能力者だと思われます」
黒衣の少女が少しだけきつい眼差しを見せて部屋を見渡す……って、EMP能力者?
何だか微妙に聞きなれない単語だ。ESP、つまり超能力なら知っている。ついでに自
称超能力者も該当するヤツが一人いる。それとは違うのだろうか。
「まあ似たようなもんだね」
「違います」
二人の意見がきれいに分かれた。いったいどっちなんだ。
「同じと括って良いモノならばわざわざ別称などつけません。つまりEMPはEMPであ
りESPとは違うものなのです」
「光明寺。キミの思考、少しずつ班長さんに似てきてるよ。朱に交われば何とやらかい」
少年の言葉を無視し黒衣の少女は更に続ける。
「ついでに申し上げるのならば、あなたからEMPの気配は全く感じ取れません。あなた
はただの一般人です」
そんな事はわかってる。宇宙人、未来人、超能力者と異彩放つ三人からのお墨付きだ。
それよりもわからないのはお前たちだ。そんな訳で俺からも一つ訪ねさせてもらおう。
「構いません。わたくしの知る知識内で答えられる範囲でしたらお答えします」
黒衣の少女はどう見ても俺よりこの部屋の住人っぽい存在感と態度を見せてくる。例え
るならば傲岸不遜。天上天下唯我独尊、傍若無人なハルヒに近い感じだ。
俺は額に眉を寄せながらとりあえず思いつく限りの可能性をぶつけてみる事にした。
結局お前たちは何者なんだ。とりあえず宇宙人か未来人か超能力者か、はたまたそれ以
外の存在なのか。まずはそこから教えてくれ。
「まあ何て失礼なお方でしょうか!」
俺の質問に黒衣の女性は目に見えて怒りの表情を見せてくる。その反応はまるで馬鹿に
されて怒る一般人のようだ。
……もしかして、格好がアレなだけで実はこいつら一般人なのだろうか? 俺が失敗した
かと考えていると黒衣の少女は指を突きつけて怒り出した。
「未来人や超能力者はともかく、宇宙人に例えるとはどういう所存ですか。あなたの常識
と言うものを疑いたくなりますわ。
わたくしを見てこれは何の撮影か、それともどっきり撮影かとか、そういう疑い方をす
るのでしたらわかります。わたくしはわたくしの容姿が、人より多少なりとも好感が持て
る姿を持っている事を理解しています。それは言うなれば自然の理、懐疑的になるのも仕
方がない事と言えるでしょう。
ですが。このわたくしを、よりにもよって銀色の頭でっかちやイカタコの発展系と同列
に並べるという、その常識外れた思考はいかがなものかと思いますわ。ここはわたくしが
怒っても当然の場面、その結果あなたに突然不慮の事故が発生したとしてもそれは身から
出た錆と考え、どうぞ清潔な白いベッドの上で自戒してくださいませ」
そう言って黒衣の少女がこちらに向けて指を指す。と、その伸ばされた腕を少年が後ろ
からそっと抑えた。
「そんなむきになるなって、光明寺。俺たちも言ってしまえば謎の生命体のような存在じ
ゃないか」
「全然違いますわっ! 少なくともわたくしは──!」
二人の掛け合いを見ながら考える。どうやら失敗したわけではないようだ。
宇宙人に対しての認識は常識人っぽい事を言っているが、未来人や超能力者に関しては
「ともかく」と一言で流せるようなヤツらだった。つまりこの連中はその系統の人間であ
り、また何か始まったのかと俺は二人を見ながらがっくりと肩を落とし溜息をついた。
俺のこの憂鬱気分、誰か何とかしてくれないもんだろうか。
- * -
二人の喧騒を尻目に、俺はこういう時の切り札をいきなり使う事にした。あまり長門に
頼るのもどうかと思うが、どう考えてもこいつらがSOS団を巻き込む事になるのは目に
見えている。それなら相談ぐらいしておくべきだろう。
先日の朝比奈さん誘拐の時のくじ引きで、その辺はイヤというほど思い知らされたしな。
ついでに一度やってみたかった事でもあるので丁度いい。
「長門、今すぐ部室に来てくれないか?」
俺は首をやや上に向けて、天井を見つめながら言葉を出した。手に携帯でも持っていれ
ば誰かと話しているように見えるだろう。だが俺は携帯をかけている訳ではない。
ただ何も無い中空に語っただけだ。
「……へぇ、やるねぇ。アポーツ能力かい? それなら俺も」
そう言って少年がすっと手を前に伸ばす。ポンという小気味良い音がすると、少年はい
つの間にかボールペンを手にしていた。
「うーん、やっぱりうまくいかないね」
「あなたのその子供だましな手品と比べているのでしたらレベルが違いますわ。それであ
なた、今一体何をしたんです?」
ボールペンをもてあそぶ少年に一度突っ込みを入れた後、黒衣の少女が訝しげにこちら
を伺う。何をしたかと聞かれても別に……ああ、さっきの長門への呼びかけか。
いきなり手品なんて見せられたからすっかり忘れていた。いや、何でもない。こうやっ
て俺が呼ぶだけで知り合いが飛んできたらちょっと面白いかなと思っただけだ。
俺の言葉に、しかし黒衣の少女は表情を崩さない。少年は少年でそんな黒衣の少女を見
つめながら微笑み続けている。ボールペンは既に手にしていない。
「あなたに聞いたのではありません。この人の言う通り、あなたが呼び寄せたかもと考え
もしました。ですがわたくしなりに何度チェックをしてみても、あなたからEMP能力は
全く感じとれません。という事は、いくらあなたが思わせぶりに何か行動を起こしても、
それによって起こった行為があなたの仕業で無い事だけは事実なのです。
ですからわたしはあなたにではなく、あなたの後ろに現れた、そちらの物静かな女性に
尋ねているのですわ」
は? 後ろ? そう言われて俺が振り向くと、
「…………」
そこにはいつの間にか長門が立っており、無言でじっと俺の事を見つめていた。
正直に言おう。本気でびっくりした。思わず悲鳴を上げたりその場で飛び上がったり失
禁したりしなかった事をどうか褒めてもらいたい。
そして長門よ、頼むから無音で俺の背後に立つのだけはやめてくれ。この調子で驚いて
いたらそろそろ一回ぐらい心停止を起こしそうだ。
「…………」
俺が何に驚いているのかがわかっていないのか、長門はただ首を数ミクロン程横へ傾け
ながら見つめてくる。まあいい。人間が驚くアルゴリズムなんてものを長門に説明しよう
ものならば、その話題だけで今日一晩徹夜してしまいそうだ。それはまた今度、機会があ
ったときにでもしよう。今はとりあえずおいておく。
それよりも長門。もしかしてもしかすると、お前は俺が呼んだ声を聞きつけて部室まで
かけつけて来てくれたのか?
「わたしの取れる、考えられる限り最速の手段で来た」
廊下に上履きで作ったドリフト痕が無い事を俺が祈っていると、長門はすっと俺の前に
立ち闖入者たちを見つめだした。ややあってから再度俺に向き直る。
「物理、精神、情報、その全てにおいて防御障壁が展開されている。解析不能。発生源は
リボンと思われる」
何だそりゃ。まさかあのリボンが情報思念統合体からの力を上回るって言うのか。
「そう」
「……何人たりとも、このリボンに籠められた力を打ち破る事はできませんわ」
黒衣の少女は俺たちを見つめながら、優しくリボンに手を添えた。
「このリボンは……二度と戻る事のないわたくしたちに対して、わたくしの親愛なる友人
が贈呈してくれた大切な物。
彼女のばりやーは────無敵です」
よりにもよってばりやーかよ。もっとイージスの盾とかそういう表現は無かったのか。
「ありませんわ。ばりやーという名前は、この失くしたはずのリボンを渡してくれた、わ
たくしの敬愛すべき親友がつけた名前。彼女の意思を尊重する事に比べれば、名称のチー
プさなど全く以って問題ではありません」
黒衣の少女がリボンに静かに触れながら優しく微笑む。その表情は谷口でなくても最高
ランク評価を与えたいぐらい、正直に言って可愛かった。
「とまあ、そう言う訳さ。それに彼女のはともかく、俺のはただの盾じゃないしからね。
イージスの盾と呼ぶいう呼称はちょっと変かな」
少年が水色のリボンを指して続ける。黒衣の少女は少年に厳しい視線を送ると一喝した。
「わざわざ手の内をばらしてどうするのですか、あなたは!」
「別に彼らは敵じゃないんだから構わないと思うね。それに万が一彼らが敵だったとして、
俺たちじゃどうがんばってもあの子には勝てないよ」
少年は肩をすくめた後、こちらへ改めて向き直る。
「さて、そろそろ重要な事を話そうか。実は俺たちはわざわざこの部室を訪れたくやって
きた訳ではない。俺たちは気づいたらこの部室の前に立っていたんだ。
俺も彼女も生憎と偶然って言葉は信じないタイプで、つまりここにこうして俺たちがい
るのは何らかの必然なんだと、俺は思う。
では何故俺たちはここにいるのか。これから俺たちはどうしたらいいのか。キミたちの
知恵を貸していただきたい。
俺たちは何の為の登場人物なのか、それを解き明かすために」
少年はターン終了と言わんばかりの視線を投げつけてくる。さてこれは一体何の前兆だ。
俺は一旦長門を見つめ、そして再び闖入者たちへと視線を戻した。
- * -
部室のドアがノックされる。部室内にいるメンバーを見渡し、仕方なく俺が応対に出る
と
「あぁ、あなたでしたか。ちょうど良かった。涼宮さんは?」
我らSOS団きっての自称超能力者が、いつもより笑みを三割ほど減らして聞いてきた。
ハルヒなら今日は休みだ。体調不良だって言って帰ったぞ。
「体調不良……やはりそうですか。ちょっと失礼」
古泉が扉から離れて携帯を取り出し、何処かへと電話をかける。どうした、また何処か
で閉鎖空間でも発生したのか。
部屋の連中に聞こえないようにと、俺は廊下へ出て扉を閉める。
「まだ僕にもわかりません。ですが、何だかおかしいんです」
携帯に何か一言二言だけ告げると、古泉は携帯をしまいながら告げてきた。
「涼宮さんの精神波が今までに無い波長を示しています。閉鎖空間を発生させている時の
感覚にも似ているのですが……実際のところはわかりません。閉鎖空間が発生したと言う
報告も今のところは受けていません」
なるほど、それでハルヒを確認しようとしたわけか。
「ハルヒのヤツ、熱っぽいとか言ってたな。案外アイツの病気が影響してるんじゃないの
か?」
「いえ、涼宮さんが熱病やその他病気にかかった時にも確かに閉鎖空間、そして《神人》
は発生していました。ですが今回の様な不完全な感知なんて前例がありません。少なくと
も僕は知りませんし聞かされた覚えもありません」
それなら一体何が────とそこで俺は今回のイレギュラーな存在たちを思い出した。
「古泉、EMPって言葉に心当たりないか」
「EMPですか? ……いえ、残念ですが。それは一体」
「俺にもわからん。だがそれが今回の件に関わっているのはおそらく間違いない」
俺はそう言いながら、古泉にあの二人と会わせてやろうと部室の扉を開けた。
「こんな状況でわたくしたちを放って、一体何をなさっていたのですかあなたは!
こちらのお方は何を話しかけても我関せずと、先ほどから本を読んだまま全く反応を示
しませんし! 全く以って不愉快この上ありませんわ!」
黒衣の少女が俺の姿を確認するなり指を突きつけて指摘してくる。視線を横に走らすと、
長門はいつもの位置でいつもの様に分厚い本を読み始めていた。
「まあまあ、彼らには彼らの事情があるんだろうって。それよりどうだい、お茶でも飲み
ながらオセロでも」
少年は給湯設備を一瞥しながら棚を漁り、俺が持ってきたオセロを取り出していた。
「あなたはあなたでもう少し遠慮と言うか危機感を持つべきですっ! 罠でもあったらどう
するおつもりですか!」
「部室に罠を仕掛ける部活なんて滅多にないよ。そうだな、<黒夢団>ならありえるかも
知れないけれどね」
悪びれもせずに答える少年。少し目を離しただけで部室内は大騒ぎ状態になっていた。
「……えっと、彼らは一体?」
流石に引きつった表情を浮かべながら、古泉が俺に説明を求めてきた。
俺に答えを求められても困る。
「すいませぇん、お掃除が長引いて遅れました〜。……あれ、キョンくんに古泉くん。二
人して廊下に突っ立ってどうしたんですかぁ?」
入口で立ち尽くす俺たちにエンジェルボイスが投げかけられる。俺は声のした方を振り
向き、我が青春の理想郷である朝比奈さんをじっくり見つめて心技体全てを癒すと、とり
あえず古泉と朝比奈さんを部室に通してから緊急会議を開く事にした。
何かが起こっている。この状況はそれを承けた結果に過ぎない。珍客二名に視線を送り
ながら、俺は体調不良を訴えてきた元気のないハルヒの顔を思い出していた。
- * -
・継承
黒衣の少女は光明寺茉衣子、少年は観音崎滋と名乗った。
「さっきの光明寺の考えで言うと、俺たちがこの名前を使っていいのか実に悩むところだ
けれどね」
「わたくしは生まれた時から光明寺茉衣子です。ですからわたくしが光明寺茉衣子と名乗
っても何も問題はありません」
「ま、名前なんてただの記号だと言うヤツもいる事だしね。別に俺も構わないさ」
そんな禅問答のような自己紹介の後、俺はお盆にお茶を持ってきた朝比奈さんに尋ねた。
「そうだ。朝比奈さん、ハルヒの家って知ってますか?」
「え、あ、はい。知ってますけど、どうしてですか?」
最後に古泉へお茶を渡してお盆を抱きかかえると、朝比奈さんは俺に興味を示す純粋無
垢な瞳を向けてきた。ちなみに今日は衣装に着替えてない。来客者がいるのもあるが、俺
なりに考えがあって、着替えるのを待ってもらった。
「知ってるなら話は早いです。実はハルヒのヤツが調子悪いって言って帰りまして」
「え……涼宮さんが?」
俺は朝比奈さんにハルヒの状態を伝えた。そして俺なりに考えたその原因も。
古泉の言葉を信じる限りハルヒの体調不良は《神人》関連、つまりは古泉サイドがらみ
とみて間違いないだろう。その場合ハルヒに必要なのは休息や医者などではない。《神人》
を何とかするための力だ。
「朝比奈さんにはハルヒのお見舞いに行ってもらいたいんです。できれば今からすぐに。
俺たちとの連絡係もかねて、ハルヒの様子を見ていてもらいたいんですよ」
「ふふっ、キョンくんったら素直じゃないですね」
朝比奈さんは少しだけ成長したやんちゃな弟を優しく見守るお姉さんの様な表情を浮か
べて俺の事を見つめていた。何かもの凄い誤解をされているようだ。
「わかりました。そういう事でしたら、みなさんの分もちゃんとお見舞いしてきます」
朝比奈さんはお盆を片付け帰り支度を整える。一瞬ナース服に目をやりつつ悩んだのが
何ていうか朝比奈さんらしい。これ着て看護したらハルヒが喜ぶと思いますよ。
「やっぱり、そう思いますよね。それじゃこれ借りていきま〜す」
ナース服とカバンを持ち、朝比奈さんは部室を後にした。これでハルヒの方に何かあれ
ば朝比奈さんがすぐに連絡してくれるだろう。
観音崎が一連の動作を見つめ、光明寺に視線を移し、最後に俺に向かい合った。
「……今の人、何でナース」
おっと、それは禁則事項だ。聞くな。
「なるほど。あなたがここでの高崎兄の役割なのですね。しかし無能者な存在であるとい
う部分まで同じとは」
光明寺が頷く。無能で悪かったな。そして誰だそいつは。これ以上まだ誰か増える予定
があるとでもいうのか。
「いえ、こちらの話です。お気になさらず」
多少気にはなるが気にするなと言うのなら放っておこう。こっちは既に山のような懸案
事項で思考が飽和状態だからな。
さてどうするかね。俺はとりあえず手持ちのカードを思い切りよく切ってみる事にした。
「まずはそちらに聞きたい。閉鎖空間、そして《神人》という言葉に心当たりはないか」
「ちょっ……!」
流石に古泉が止めようと動くが、俺はアイコンタクトでそれを制止させる。
「閉鎖空間、《神人》……いえ、どちらも存じませんわ」
「《神人》は知らないけれど、閉鎖空間と呼べそうな状況なら知っている」
またしても意見が分かれる。だからどっちなんだ。
俺があきれながら突っ込もうとしたら、光明寺も観音崎の意見に対して意外だといった
表情を浮かべていた。
「あなた、知っているとはどういう事ですの?」
「どうもこうもないさ、光明寺。キミもよく知ってる場所だよ」
「わたくしが? それはいったい何処ですの。わたくしはそういう勿体ぶった言い方は嫌い
だと前に申し上げたはずです」
光明寺が更に聞き返す。観音崎はそうだったねと微笑むと
「俺たちのいた学園だよ。あそこはEMP能力者が数多くいた為、学園全体は物理的、能
力的にある種の結界が展開されていた。想念体だって学園内にのみ発生して外には出てい
かない。全てひっくるめて、あそこは閉鎖空間だったじゃないか」
観音崎は主に光明寺に教えるように答える。あまり事情が飲み込めないが、どうもEM
Pと呼ばれる謎の能力者が集う謎の学園がどこかにあるらしい。知ってたか、古泉。
「いえ初耳です。……そして実に興味深い話です」
そして視線を長門へ送る。
「創作文献で読んだ事はある。でもこの世界においてそのような学園の存在は知らない」
まあ超能力学園だなんて設定があるなんて、どう考えたってファンタジー小説の世界だ
よな。
「全く同感です」
お前が言うな、超能力者。
- * -
その後、彼らと古泉の情報提供と腹の探りあいが一時間ほど続いたのだが割愛する。
こいつらが何を言っているのかわからない事の方が多かった事もあるし、古泉なりに解
釈したEMPの定義についてなど今回の件に必要ない部分もかなり多かったからだ。
その間二回ほど朝比奈さんから連絡があり、ハルヒの状態が伝えられる。
どうも家の人がいないらしく、ハルヒは一人で寝込んでたという。朝比奈さんを看護に
送りだして正解だったようだ。
『えっと、何か身体の中で知らない人が暴れてるみたいな、そんなイライラする感じらし
いです。私にはよくわからないんですけど、キョン君わかります?』
すいません、何が言いたいのか全然わかりません。病状に関してはとりあえずおいてお
く事にし、俺はハルヒに電話を代わってもらえるよう告げた。
『……何よ』
とりあえず生きてるみたいだな。何だかよくわからん病気みたいだがとっとと治せよ。
『ふん、あんたに言われるまでも無いわ。こんなの一過性、大した事なんて無いんだから。
見てなさい、明日のSOS団課外活動までには絶対完治してみせるわよ』
そうか、そいつは頼もしいな。だが明日も体調悪かったら無理せず休め。一時の意地で
体調を更に悪くしたりしてみろ、それこそ団員みんながお前の事を心配するぞ。
『……それも、あんたに言われるまでも無いわ』
そうか、そうだったな。それじゃあ、今日はゆっくり寝てろ。病人のわがまま範疇内な
ら朝比奈さんに色々頼め。朝比奈さんも頼られるためにそこへ行ったんだから。
『……あんたに』
あ、そうそう。もし明日治ってなかったら団員全員で見舞いに行くから。それじゃ。
『な! ちょ、ちょっと待…!』
ぷつっ。ハルヒの叫び声を聞かず俺は通話を切り、ついでに電源も切っておいた。
- * -
さて、情報提供の〆として行われた古泉の長ったらしく遠まわしな解説から、なんとか
俺が理解できた事だけを述べていこう。
彼らはEMPと呼ばれる能力を持ち合わせている。それは思春期の少年少女にのみ現れ
る、まさに不思議な能力なのだそうだ。
その力や、テレポートやサイコキネシスといった世間一般で言われている超能力のよう
な力から、おみくじで必ず中吉を引くといった何の役に立つのか全く持ってわからない能
力まで多種多様。また一人で何種類の能力を持つ者もいるという。
能力が現れる人間はまれで、世間ではEMP能力についてトップシークレットとなって
いる。また時期は人によってまばらだが、平均して思春期を終えるころになるとEMP能
力は消失してしまう。これは今のところ例外無しの事項だそうだ。
さて、世間一般の目には秘密にしておかなくてはならないEMP能力。それが発動して
しまった少年少女たちは政府が秘密裏に運営するEMP専用の全寮制学園に編入させられ
る。それが彼らのいたEMP学園なのだそうだ。
彼らのいた学園の状況は、古泉の背後関係である『機関』によく似ていた。
彼らの不思議能力は時として『想念体』と呼ばれる謎の存在を生み出すという。生徒た
ちが放射する不思議な精神派が寄り集まり形を持つようになった存在、想念体。彼らの定
義で言うのなら、《神人》はハルヒの能力が生み出した一種の想念体と呼べる事になるだ
ろう。
想念体は基本的に迷惑な存在として認識される。人を襲ったり物を破壊したりといった
破壊活動を行うからだ。そんな想念体を倒し学園と生徒を守る為、対想念体の能力を持っ
た人間には対想念体業務が割り当てられる。
そして俺の目の前にいる黒衣の少女、光明寺。彼女は高いカウンター想念体能力を持っ
ているのだそうだ。ちなみに観音崎の方はどんな能力を持っているのかはぐらかされた。
「まったく……見世物ではありませんでしてよ」
そう言いながら、光明寺は自分の指先に蛍火の様な光の弾を生み出した。同時にリボン
が淡く光りだし、光明寺の身体を薄いオーラが包み込む。あれがリボンのばりやーか。
「なるほど。感覚的に感じ取れるのですが、この蛍火は僕のあの紅い超能力に似ています。
これはあくまで僕の推測ですが、この力でも《神人》にダメージを与える事は可能では
ないかと思われます」
古泉が蛍火を見つめながら答えた。
まあ予想していた通りだ。そうでなければ彼らがここに存在する理由が思いつかない。
「そうだね。それが俺たちの必然なのだろう」
観音崎がすっと手を伸ばし、ぱちんと指を鳴らす仕草を取る。次の瞬間にはその手に小
さく包まれた飴玉をつまんでいた。
だから何なんだその手品は。長門がさっきから微妙な好奇心を見せているじゃないか。
「必然とは、どういう事ですの」
光明寺が尋ねてくる。だがそれには俺ではなく彼女に付き添い立つ観音崎の方が答えた。
「必然は必然さ。俺たちがこうしてこの場所に立っているのは、まず間違いなく彼らのト
ラブルを解決する為なのだろう」
「でしょうね。彼らが訪れたのはおそらくは何者かの──そう、僕たちの力が遠く及ばな
い何者かの力によってでしょう」
モザイクをかけて語っているが、古泉が言いたい事は一つだろう。
つまりこれもまたハルヒの望んだ結果だと。
「長門。閉鎖空間、神人、あるいはそれっぽいのが発生している場所があるか」
俺の問いかけにしばし長門が目をつぶる。こう見えてもの凄い力を使いもの凄い勢いで
索敵しているのだろう。その証拠に、目の前の二人からいきなり余裕の表情が消えうせた。
どうもこいつらは長門の力も感じ取れるらしい。
「な……何なんですの!? こんな、こんな力が一個人になんて……ありえませんわ!」
「想像以上、だな。正直言って、彼女が人間なのかどうかすら疑いたくなってくる」
二人のリボンが淡く輝き、主を守護する不思議な光が二人の身体を覆っているのが見て
取れる。長門のハイスペックでこんな状態になるんだったら、もし覚醒したハルヒとか出
逢ったら一瞬にして気絶するんじゃないだろうか。
ピルルルルル。
と、突然部室に電子音が鳴り響く。固唾を呑んで長門の事を見つめていただけに、この
不意打ちには驚いた。それは光明寺も同じだったようで、突然の音に胸元を手で押さえて
驚きをの表情を浮かべている。古泉と観音崎はあまり表情を動かしてないが、顔に出して
ないだけでどちらも似たようなものだろう。
長門が目を開けて懐から携帯を取り出す。鳴り響く携帯を見つめ、次に何故か俺の方を
見つめた後、長門はゆっくりと携帯を取った。
「……、……、……、……わかった」
数度沈黙の頷きの後、やはり俺を見つめて一言だけ相手に返す。アイコンタクトではな
くただ単に俺を見ていたいだけのようだ。
短い返事をした後、長門は携帯を切らずにすっと観音崎へと差し出す。
「え、俺?」
観音崎は首をかしげながらも携帯を受け取る。そりゃびっくりするよな。
「はい、もしもし。……は? キミ誰? ……ああ。……いや、俺は……その話、本当なん
だな? ……わかった。……あぁ、確かめたら渡してやる」
やはり最後には納得をみせ、今度は携帯を古泉に渡す。おいおい、一体何なんだその電
話は。
「はい……わかりました、信じましょう。それで……何ですって!? そ、それは本当の話な
んですか!?」
古泉が珍しく表情を変えて驚いている。もう何が何だかわからない。同じように電話が
回ってきていない光明寺を見ると、彼女もまた何事かわからず苛立ちを覚えているよう
だった。騒いでないのは自分にも電話が回ってくるかもしれないと思っているからだろう。
「……それで僕らは……はい、わかりました。すぐに対処します。……はい、では」
古泉が電話を切り長門に返す。なんだ、俺と光明寺は仲間はずれか。
「ちょっと何でしたの、今の電話は。何故あなたにまで電話がかかってくるのですか」
光明寺が観音崎に詰め寄るが、それは古泉の有無を言わせぬ制止によってさえぎられた。
「すみませんが光明寺さん、その件に関しては後にしてください。それと」
古泉が俺のほうを向く。何だ。
「携帯の電源が切れっぱなしでは、朝比奈さんと連絡がとれませんよ」
忘れていた。ハルヒ対策にと切りっ放しだったんだったっけ。俺は慌てて電源を入れた。
「さて、緊急事態です。《神人》が現れようとしています……いえ、現れたようです」
《神人》の気配を感じ取ったのか古泉が真剣な眼差しで告げてきた。長門や光明寺たち
も何かを感じ取っている様子だ。
俺は携帯の電源が入るのを確認してポケットにしまう。そして状況を尋ねようとした途
端、狙ったかのようにたった今しまった俺の携帯が鳴り響いた。設定した専用の着信音、
そして取り出した携帯のディスプレイに表示される名前が朝比奈さんからである事を告げ
ている。
「あ、すいません。さっきまで電源を落としてて……」
『キョ、キョン君! た、大変なんです!』
俺の謝罪をさえぎり、朝比奈さんが必死の声で伝えてくる。
「どうかしましたか、朝比奈さん」
『涼宮さんが、涼宮さんが突然倒れて! 凄い熱で、わ、わたし一体どうしたら……』
とそこで何か大きな音が電話の向こうから聞こえてくる。
『うひゃあっ!! ……え、キョ、キョン君!? ええっ!? こ、これって一体……!?』
妙な叫び声と共に電話が切れた。
何だ、何があったんだ!? 俺は朝比奈さんに電話を返そうとした。
だが、そんな俺と部屋にいるメンバーに掛けられた古泉の言葉は、慌てふためいていた
俺の動きを完全に停止させてしまうぐらい、とんでもないものだった。
「ですが閉鎖空間は発生しておりません。《神人》が現れたのは閉鎖空間じゃありません。
我々の住む通常空間────────この現実世界に、です」
ハルヒの病状悪化、朝比奈さんの叫び、そして《神人》の顕在化。
何処かで何かが起き、俺たちがそれを承けた結果、事態は考えた以上に急転する。
- * -
・急転
俺と長門、そして光明寺と観音崎の四人は『機関』の用意したミニバンに乗り込んで
《神人》の待つであろう現地へ向かう。対《神人》のエキスパート古泉は
「申し訳ありません。僕は別の場所へ向かわねばならなくなりました」
そう言い残しバンに乗らなかった。
いったい《神人》討伐に優先される用事って何なんだろうね。
「わたくしの方は詳しくは知らされておりません。ですがこの《神人》討伐に並ぶぐらい
重要な任務なのはわかります。数少ない能力者の一人である古泉を送り込むぐらいなので
すから」
バンに同乗しているメイド姿の森さんが答える。古泉に代わり、今回は彼女が俺たちと
一緒に行動し、みんなのサポートと『機関』との橋渡しをしてくれるのだそうだ。
ところで何でメイド姿なんでしょうか。
「それは、そうですね。禁則事項ということにしておいてください」
どうも今年の流行語大賞は『禁則事項』で決定のようだ。
朝比奈さんにはあの後少ししてから連絡がついた。
『ご、ごめんなさいキョン君、わたし、慌てちゃって……。えっと、こっちは大丈夫です。
あ、その、涼宮さんは全然大丈夫じゃないんですけど。でも応援が来てくれました』
古泉がそっちにつきましたか。
『はい。それとEMPの人も一人来てくれています。えっと、さいばー何とかって能力者
だそうです。……あ、ちょっと長門さんにかわって欲しいそうですよ』
何でそのEMPのさいばーさんは長門を知っているんだと考えつつ、俺は長門に電話を
渡す。長門は一言二言相手に何かを告げるとすっと目を閉じた。
「……涼宮ハルヒならびに朝比奈みくると同席する者に対し、電子ネットワークを通じた
接続を確認した。彼女は自分の事を志賀侑里と呼んでいる」
ややあって長門が再び目を開けると、携帯を俺に戻しながら告げてきた。
「志賀侑里ですって!?」
「なるほど……確かに条件は揃ってるからね。彼女がいたって別におかしくはない」
結局登場人物が更に増えた。その志賀さんとやらはお前たちの知り合いなのか?
「彼女の友人の友人さ。直接面識は無いけれどね」
「しかし、侑里さんは何故涼宮ハルヒさんの家にいるのです? 訳がわかりません」
全くだ。
「経緯は俺にもわからない。でも、そこにいる事が彼女の必然なのだろう。俺たちがここ
にいるのと同じ理由でね」
観音崎が長門をみる。長門は小さく頷くと、
「わたしと彼女を介する事で、どのような状況下においても双方向通信が可能」
よくわからんが、朝比奈さんたちといつでも連絡が取れると考えて構わないのか。
「構わない。閉鎖空間内からでも問題ない」
「それは頼もしい話です。これで万が一の時でも外界との連絡手段が断たれる可能性が低
くなりましたね」
森さんは薄く微笑むと、再び誰かへと電話を掛けだす。彼女は彼女なりに、そして『機
関』なりに色々作戦を練っているのだろう。
『キョン君。こっちはわたしたちが何とかします。ですからキョン君は神人さんの方をお
願いします。……本当にお願いします、キョン君。涼宮さんを、助けてあげてください』
わかってます。そこで看病する朝比奈さんのためにも、そして苦しんでいるハルヒのた
めにも。
このメンバーの中で何ができるかわからないけれど、俺もやれる事はやろうと思います。
朝比奈さんからの激励に、俺は力強く答えた。
- * -
バンの中で俺たちはこの異常事態について話し合っていた。
「先ほど申したとおり、私たち『機関』の『超能力者』の力は閉鎖空間限定です。《神人》
の顕在化に際して、《神人》の近くでなら能力者たちの能力も使用可能かもしれないと期
待されましたが……やはりそう旨い話はないようです。先に現場に到着しているわたし達
の仲間が確認しました」
森さんが力なく、それでも微笑を絶やさずに教えてくれる。案外古泉にあのアルカイッ
クスマイルを教えたのは彼女なのではないだろうか。
まあそれはともかくだ。つまり古泉のお仲間である超能力者たちは、《神人》を倒す為
のあの紅い力は全く使えないと、そういう訳ですね。
「はい、そうです」
長門はどうだ。お前なら《神人》を倒す事ができるんじゃないのか。
「情報思念統合体は、あなた達が《神人》と呼ぶ存在も涼宮ハルヒの一部と認識している。
わたしがあの存在に直接干渉する行為は禁止されている」
それで今まで《神人》へは不干渉だったのか。妙な部分で俺は納得した。
「という訳で、我々が《神人》へ対抗できる手段は全く無くなってしまった……と、本来
ならばなっていた事でしょう。ですが──」
言葉を受け、この為に俺たちの元へとやってきたのであろう、光明寺が頷く。
「ええ。その《神人》と呼ばれる存在が想念体と同じ存在であるならば、わたくしの出番
なのでしょうね」
「光明寺さまにお一つお伺いいたします。光明寺さまが過去に退治された想念体で、最大
の大きさは一体どれくらいのサイズでしょうか」
「最大ですか……教室程度の大きさでしたら倒した事がありますわ。それが」
その回答に俺は苦虫を噛んだ様な表情を浮かべる。森さんをみると表情自体は変わって
いないが、やはり同じような気持ちなのか、俺のほうを見つめて薄く微笑んだ。
想念体の標準サイズがどれくらいの大きさなのかは知らないが、やはり《神人》と比べ
ると明らかに小さすぎるようだ。
何せ《神人》は────
「光明寺さま、そして観音崎さま。《神人》と会う前に先にお二人にお伝えしておきます。
《神人》とは十数階のビルに匹敵する大きさを持つ、まさに巨人といった存在なのです」
「……なんですって? 今、何とおっしゃいました?」
光明寺の表情が目に見えて固まる。隣に座る観音崎の顔からも笑みが完全に消えた。
「無駄だと思うけど、あえて聞かせてくれ。……本当なのかい、それは」
「はい、我々も常にその存在自体嘘であって欲しいと思っていますが、本当の事です」
観音崎は空を仰ぐ。ミニバンなので天井しか見えないと思うが、別に天井を見たい訳で
はないのだろうから構わないだろう。
「光明寺さま。数十メートルの巨人、光明寺さまのお力で何とかできますでしょうか」
「……倒せるかどうかと聞かれれば、わからないと答えるしかありません。心に正直に言
うならば、そんな化け物サイズの想念体がいるなど、わたくしは知りたくもありませんで
したわ」
目をつぶり、膝に置いた手を握り締める。それでも背筋を曲げたりせずピンとしている
のは、彼女の心が気丈な証拠か。
「ですが」
光明寺は目を開く。そこにはある種の強い決意が現れていた。
「力ある者が逃走すれば、力無き者が虐げられます。それはわたくしの知る常識において、
許されるべき道徳ではありませんわ
何故わたくしにこのような力があるのか────それは当然『力を使う』ためであり、
それ以外に理由など無く、また必要もない。
これがわたくしが班長より教わった、心の底から共感できる数少ない言葉です」
「そう言ってもらえると助かります。我々も、そしてこの世界も」
森さんは憂いを消した微笑を浮かべてきた。
さて、何で一番の役立たずというかどう考えたってお荷物確定の俺が、この超常集団の
集う対《神人》攻撃部隊にいるのかというと特に殊勝な理由があるわけでもなく、
「あなたが必要」
と長門に言われたからである。
そうでもなければ俺は自分の領分をしっかりとわきまえ、わざわざこんな危険極まりな
い戦場へと赴くバンになど乗らず、今頃ハルヒの見舞いにでも向かっているところだ。
ところで長門よ。もうこれで何回目なのかわからないがもう一度聞かせてくれ。
俺は本当に必要なのか?
「必要。あなたがここにいる事、それが涼宮ハルヒを救う事になる」
どういう計算でその答えが導き出されたのか、長門はきっぱりと言い切った。長門がそ
う言うのなら俺は従うしかない。俺に何ができるのかはわからないが、こいつが俺に言う
事は正しい。それだけは絶対に疑ってはならない部分だ。
「……見えてきました」
森さんの言葉に全員が窓の外を見る。かつてハルヒの陰謀の元、俺たちが宝探しを行っ
た鶴屋家所有の山。その山頂で木々に足元を隠しながら、まるで空に浮かぶ人影のように、
直立不動の黒い巨人が下界を見下ろしていた。
- * -
すでに『機関』の力によって《神人》の立つ山を中心にかなりの距離に避難勧告が出さ
れている。
「表向きは映画撮影と言う事になっています。報道規制は十分に行っておりますわ」
それがありがたい事なのかどうだかわかりませんが、世間への騒ぎはやはり小さい方が
いいんでしょうね。できれば俺も逃げ出したい気分でいっぱいですし。
ところで森さん、一つ聞いても宜しいでしょうか。
「何でしょう」
俺は過去二回しか見たことが無い上に二度目の時は観察してる暇すらない状況だったの
で聞くのですが……《神人》ってあんな姿でしたっけ?
「いえ、違います。あれが《神人》なのは確実なのですが、少なくとも『機関』が今まで
に知る《神人》ではありません。『機関』の見解では亜種、あるいは《神人》の新しい形
態なのかもしれないという声もあがっているようです」
流石に新種はヤバイでしょう。せめて亜種かアルビノ程度にしておいてください。
「……想念体、ですね」
「ああ。流石にこんな化け物的なヤツは始めてみるけどね。あの班長が見たら狂喜乱舞し
て勝手な行動を取りまくっていただろうね」
「ええ。あんなのがいたら事態が悪化するだけですわ。いなくてせいせいしてます」
光明寺が少しだけむきになる。どうも班長とやらは光明寺に対してNGワードのようだ。
どこの世界もリーダーには苦しめられるものなのさ。
対《神人》作戦はこうなった。
長門と光明寺の二人がコンビとなって《神人》に近づく。そしてある程度近づいた所で
光明時が攻撃。長門は防御とサポートを行う。
それに離れて俺と観音崎。観音崎には攻撃手段がないが、防御障壁が展開できる事から
前後の中継に入ってもらう事になった。俺が観音崎と一緒なのはこの《神人》攻撃の間、
ヘタな場所に避難するよりはこいつの障壁に守られていた方が安全だと判断されたからだ。
彼らのリボンによる障壁の強度は既に検証済みで、彼らは先の実証実験で数発の銃弾と
長門の強烈な一撃をその障壁で見事防ぎきってみせた。
防御に関しては問題ない。後は光明寺の蛍火次第だ。
『我々機関の方も、ありとあらゆる攻撃手段を用いて殲滅行動を開始します』
耳につけた通信機から森さんの声が届く。森さんは機関と合流し戦闘態勢を引いていた。
『──頑張りましょう。まだ明日を後悔なく捨てられる程、わたし達は生きていません』
わかっている。そんなのは当然の事だ。大体一高校生たる俺たちにこういう怪獣大戦争
は似合わない。
俺たちは明日以降も、いつも通りハルヒを交えて笑いあっていればいいのさ。
『連絡。涼宮ハルヒの状態に変化発生』
長門の声と共に前方二人が動きをみせる。光明寺が手のひら大の蛍火を生み出している
のが遠くからでも見てとれた。
同時に今まで沈黙を守っていた《神人》が右手をゆっくりと振り上げ、左足を踏み出す。
そのまま《神人》振り上げた右手を斜めに勢いよく下ろす。右手の軌道上にあった木々
の殆どはその勢いで吹き飛び、また残った木々も例外無く全てなぎ倒れていた。
『────こちら第三EMP学園妖撃部、光明寺茉衣子。攻撃を開始致します!』
光明寺が生み出した輝く蛍火、その第一射が漆黒の影の如き《神人》へと撃ち放たれた。
- * -
《神人》のサイズ対比で見ると線香花火の灯火程度しかない蛍火は、《神人》の身体に
あたるとパンッという音と共にはじけた。意外に大きな爆発になったのか、蛍火がぶつか
ったあたりの黒い肌が青白く円状に輝いている。だがそれも僅かな間の事で、まわりの黒
い部分が青白い円を侵食し、すぐにもとの漆黒な状態に戻ってしまった。
『攻撃は効いています。光明寺さん、続けてお願いします』
『わかっていますわ! 後ろのお二方、お気をつけて。少々派手に撃たせてもらいます!』
言うなり《神人》へ伸ばされた光明寺の指先から立て続けに蛍火が撃ち出される。
一点集中と機動力削減を狙っているのか、全弾を左足の太もも部分に対して集中砲火。
《神人》は踏み出していた左足をガクッとさせて立てひざをついた。
『どうですっ!』
「上だっ、光明寺!」
《神人》が立てひざをついた勢いを利用し、左腕を長門と光明寺目掛けて勢いよく振り
下ろす。
『くっ、ばりやー展開っ!』
『…………』
二人がそれぞれ障壁を生み出し左腕を防ぐ。直接的な衝撃は二人の防御障壁で防いだも
のの、地面に伝わる振動で光明寺がよろめいた。長門がとっさに手を伸ばしてそれを支え、
光明寺が転ぶのを寸前で防ぐ。
『た、助かりましたわ。礼を申し上げます』
『いい。それより、来る』
『え?』
声につられ光明寺が、そして後ろに立つ俺と観音崎もまた《神人》を見る。《神人》は
目の前の二人を敵と認識したのか両手を振り上げ、その驚異的な質量を二人に対して次々
と交互に振り下ろしてきた。
『きゃああ──────────っ!!』
「光明寺っ!」「長門っ!」
光明寺の悲鳴に俺と観音崎の叫びが重なる。もどかしい事に俺と観音崎も地面に伝わる
振動のせいで、二人の元へ駆けつけるどころか立っていることすらできていない。
くそっ、これじゃ本当に役立たずじゃねぇか! 森さん! 観音崎! 何とかならないのか!
『APFSDSや対戦車ミサイルなら既に使用しています! ですが、《神人》に対して気休め程
度にもなっていませんっ!』
「さっきからやっている! だが何も起こらないんだ! おい、本当に俺に能力が残ってい
るのか!?」
そんな事俺が知るわけないだろ! くそっ、長門! せめて場所を移動しろ!
『それはできない』
長門はあっさりと俺の意見を否定した。どうしてだ。お前ならば光明寺を抱えてその場
を移動ぐらい難なくできるだろう。
『わたしたちが移動したとき、この存在があなたを狙う可能性がある』
長門は遠くからこちらを見つめて言ってきた。何てこった、長門は俺たちの為に盾にな
りその場を移動しないと言うのか。
「だったら俺たちも連れていけばいい! とにかく撤退しろ!」
『わたし達が全員撤退すれば、この存在は何を始めるか予想できない』
長門はこちらを見つめたまま小さく呟いた。
『────だが涼宮ハルヒが生み出したこの存在が、世界を次々と蹂躙していくのは事実。
その現実を、あなたは受け入れられる? わたし達が撤退すると言う事は、あなたがそれ
を受け入れるという事になる。でも、あなたはきっとそれを望まない。
それにこの存在が涼宮ハルヒに影響を及ぼしているのは明らか。何らかの対策が必要』
長門はそう言葉を締め、再び《神人》の方へと視線を戻した。
正直、俺は何も言い返せなかった。
- * -
『もう大丈夫ですわ、長門さん。そのまましっかりわたくしを支えていてくださいませ。
攻撃を再開します!』
光明寺から蛍火が射出される。振り下ろされる両腕に対しとにかく撃ちまくるという、
狙いもへったくれもない乱射状態だ。その攻撃に《神人》の動きが鈍るも、《神人》の攻
撃自体は止まらない。
『……長門さん、どうか正直におっしゃってください。わたくしのこの攻撃で、あの巨人
を倒せると思いますか?』
次々と蛍火を撃ちながら光明寺が尋ねる。長門は一呼吸分だけ時間を取ると絶望的な回
答を述べた。
『攻撃による損傷を《神人》の回復速度が上回っている。この攻撃のみでは不可能』
『……やはりそうですか。さてどう致しましょう。こうなってはもう機械仕掛けの神にで
も祈るしかないでしょうか?』
そう言いながらも攻撃を続ける。無駄だとわかっていても止めるつもりはないらしい。
「無茶だ、光明寺! 一度退いたほうがいい!」
『この振動の中をですか? 長門さんが退くと言わない限りそれは無理と言うものです。
それに、わたくし自身この場を退くつもりなど毛頭ありませんわ。無駄になっているとは
いえ、想念体にダメージを与えられているのはわたくしのこの力のみ。そのわたくしが退
いて、一体誰がこの想念体を倒すというのですか』
「無駄だ! キミはどこかで期待しているのかもしれないけど、いくらあの班長さんでも
ここには絶対にやってこられない!」
俺たちは地面の振動で転がりながらも、地道に長門たちの元へと向かっていた。
『…………わかりませんわよ。あのでたらめな存在の班長の事、もしかしたら意外な所か
ら現れるかもしれませんわ。そして、そのような可能性がほんの僅かでも残っている限り、
わたくしは無様な姿をみせる訳には参りません。
万が一醜態を晒している姿をあの班長に見られようものなら、わたくしはその場で班長
をくびり殺した上で自害します!』
もはやムチャクチャな理論で光明寺が撤退を拒否する。だが観音崎も必死だ。
「キミだって感覚的にわかっているんだろう! ここは俺たちの世界から見て異世界とか
そんなレベルの場所じゃない。ここは……俺たちがいた世界よりも『遥か上位』の世界な
んだ。俺たちの世界から何かが来るなんて絶対に無理なんだよ!」
『──それでも、です。わたくしは生徒自治会保安部対魔班、その班員なのですから』
ダメだ、意志が強すぎる。観音崎の言葉で光明寺を退かせる事はできない。
俺は転がりながら、覚悟を決めて長門に告げた。
「もういい! 長門、光明寺をつれて今すぐ退くんだ!」
ハルヒがどうの言っている場合ではない。このままでは目の前の二人がやばい。
だが。
『まだ』
長門が返す。そして今までの話の流れが何だというぐらい謎な事を告げてきた。
『まだ、あなたの指示した鍵が揃っていない』
事態は集結する。