- * -  
・終結  
 
「古泉、数で押せ!」  
「仰せのままにっ!」  
 俺の言葉に古泉が素直に応え、作れるだけの紅玉弾を生み出して一斉攻撃した。  
「何をするつもりかは知りませんが、付き合ってあげましょう」  
 優弥が爽快な笑いを見せながら紅玉弾を迎え撃つ。そしてもうすぐ届くかといった所で  
俺は朝比奈さんに合図を出した。  
「今です!」  
「は、はいっ! ええぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いっ!!」  
 朝比奈さんの叫びと共に何か強烈な力が発生する。直後、優弥目掛けて飛んでいた紅玉  
弾が全て地面目掛けて急降下した。  
「念動力? しかし何故地面に」  
 優弥の言葉を聞き終える前に紅玉弾が全て地面に着弾する。激しい爆音と共に地面の砂  
は巻き上がり、優弥の姿を砂煙の中へと完全に沈めた。  
 
「これでどうだぁ────────っ!!」  
 更に優弥がいた辺り目掛けて俺はナイフを投げつける。自慢じゃないがこれでも上ヶ原  
パイレーツ相手に三振をとった実績持ちだ。まああの時はインチキだったし、今回もイン  
チキ投法な訳だが。  
「朝比奈さん!」  
「ははははいっ! とわぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」  
 軽い放物線を描いていたナイフが凄い速さで砂煙目掛けて突撃していく。さらに古泉が  
追い討ちをかけるように砂塵の中へ紅玉弾を撃ち放った。  
 
 砂煙が上がる攻撃地点を見つめる。あれで倒せてれば一件落着なんだが……。  
「それで、次の手はどうするのです?」  
 突如背後から声がかけられる。振り向くと俺たちの後ろ、障壁のすぐそばに砂の一つぶ  
も浴びていないであろう姿で優弥が立っていた。手には律儀にも俺が投げつけたナイフを  
受け止めたのか、こちらに対してちらつかせてくる。  
 
「目眩ましにナイフ投擲、まさかこんなザル計画で終わりだなんて言わないですよね?」  
 まさか、もちろん次の一手は用意してあるさ。  
 優弥の声に振り向いた朝比奈さんすら驚かす、王を殺す最強最後の一手が。  
 
 
「はい、チェックメイト」  
 その少女は規格外の強さを誇る優弥に全く気づかれること無く背後を取ると、その手か  
らすっとナイフを取り上げ、優雅な動作のまま一気に優弥へとそのナイフを突き刺した。  
 
 
「な──がはあっ!? ……くっ!」  
 優弥が一度鈍く叫び、ついで一気に距離を開ける。痛々しく押さえるわき腹からは黒い  
もやのような物が見え隠れしていた。あの黒いもやこそが、優弥の姿をとる想念体の真の  
姿なのだろう。  
 北高の制服を着た少女は、手にしたナイフを一振りして刀身についた黒いもやを散らす。  
軽くなびくセミロングの髪を片手で抑えながら俺のほうを見ると、少女はまるであの夕焼  
けに染まる教室でみせた、みんなに慕われる事が楽しげな委員長のような慈愛の笑みを浮  
かべてきた。  
 
「久しぶりね。涼宮さんの事、ちゃんと幸せにしてあげてるかしら?」  
 余計なお世話だ。第一声がそれかよ。もう少し話すべきことがあるんじゃないのか。  
 俺の答えに機械仕掛けの女神──朝倉涼子はただ微笑んだままだった。  
 
 
- * -  
「……木々や昆虫ですら微弱な精神の波長は出しているし、それが出ているなら僕はどん  
な微弱な波長でも感じ取れる。精神の波長を全く感じさせない存在なんて、生きている限  
りはありえない事だ。それなのに……朝倉涼子。キミからは精神の、生命の波長を一切感  
じ取れない。キミはいったい何者、いや何なんだ」  
 流石の優弥も驚きを隠せないでいる。  
 そりゃそうだろう、ハルヒの記憶では朝倉はただのカナダへと転校していった委員長で  
しかない。そんなただの一般人という認識しかないクラス委員長が、自他共に認める最大  
にして最強な能力者の力をあっさりと凌駕したんだ。驚くなという方が無理な話である。  
 
「そうね、別に教えてあげても良いけど」  
 相変わらず女友達と休み時間に談合しているような笑顔を浮かべながら、朝倉は自分の  
持つナイフを軽く持ち直す。そして優弥の方を向くと、  
「聞き終わるまでちゃんと生きててよね?」  
 まるで子供に優しくお願いをする近所のお姉さんのような口調でさらりと告げた。  
 
 
 朝倉が軽やかな動きで走り出す。かなり距離を開けていた優弥にものの数秒で近づくと  
手にしたナイフを躊躇いも無く突き出した。  
「この銀河を統括する情報思念統合体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒュー  
マノイド・インターフェース。しかし情報思念統合体の意思に叛いた為に情報連結を解除  
された存在、それがわたしよ」  
 優弥は今まで以上の火炎を生み出して朝倉を包む。だが朝倉はその炎を難なく突破する  
とナイフを優弥の心臓目掛けて突き出した。  
「くっ!」  
 優弥は一瞬にして自分の姿をかき消し、再度距離をおいた場所へと出現させる。  
 
「稚拙といえど、コンピュータネットワークは情報だけが存在しえる世界。連結解除され  
たわたしが情報の塵としてたゆたうには適した空間だったわ」  
 朝倉が距離を開けた優弥に左腕を向ける。その腕が白く輝いたかと思うと、一瞬にして  
光の触手に変化して伸び、優弥の右肩を深々と貫いた。直後に古泉が放った紅玉弾が優弥  
を次々と襲う。  
「ぐああっ!」  
 優弥の身体が一瞬ぶれて黒いもやになる。すぐに優弥の姿を取り戻すが、貫かれた右肩  
から先は黒いもや状態のままだった。  
 
「この空間はあなたの情報制御の元、物質存在に対しては強固な障壁を展開しているわ」  
 朝倉が触手と化した手を元に戻しつつ、律儀に優弥に語り続ける。  
「だけどこの制御空間と外部との間で通信はできた。つまり情報という非物質な存在の侵  
入は可能だったって事ね。情報だけの状態で存在していたわたしにとって、この空間に対  
してメッセージを送る事も、そして実際に侵入するのも造作も無い事だったわ。  
 でも、いくらこの空間へ侵入したとしても情報だけの状態のままじゃ何もできないわ。  
そこで彼にわたしの<シム>を作ってもらう事にしたの」  
 元通りになった左手を撫でながら、朝倉が俺を見つめてくる。  
「あとはその<シム>の身体をわたしが乗っ取れば、こうしてめでたくオリジナルの朝倉  
涼子が復活できたって訳。わかったかな?」  
 俺にとってはあまりめでたい話ではない。今の話が本当なら、こいつは正真正銘本物の、  
春先の教室で長門によって情報連結解除された、あの朝倉涼子って事になる。  
 
 それで今の話はマジなのか? マジでお前はあの朝倉だって言うのか。  
「うん、マジよ」  
 朝倉は相変わらず腹の底が見えない無垢な微笑を浮かべてくる。  
「ついでに言うと長門さんの改変劇も知っているわよ。涼宮さんの力で情報思念統合体を  
消去するなんて、本当に思い切った事するわよね。わたしもそれぐらい思いきった事をす  
ればよかったのかな」  
 よくねえよ。全く何てこったい。  
 どこをどう間違えたのか、俺は間違って機械仕掛けの死神を呼び寄せてしまったようだ。  
 
「と・こ・ろ・で。対想念体の力を真似て触手に付与してみたんだけれど、どうかな?」  
「……何故だ。キミも<シム>、つまり想念体のはずだ。それなのにキミは何故、この触  
手に込めた対想念体の力で自滅しないんだ」  
 右腕はもやのままだが、それでも優弥は冷静さを取り戻しだしたようだ。俺たちと初め  
て対峙した時ほどではないが、その顔に爽やかな笑みが戻りつつある。  
 しかし優弥の意見ももっともだ。対想念体の力は相手を特定しない。それ故、<シム>  
であった光明寺も自滅する事を恐れ、蛍火を射出する際にはリボンで防御障壁を自分に展  
開していたのだから。  
 
「それってそんなに悩む事かしら? それとも確認を取りたいだけなの? ま、いいけど」  
 朝倉は簡単な問題に悩む妹に対し、いったい何を悩んでるのかと言いたげな目で見つめ  
る兄のような表情を浮かべて首をかしげていた。  
「自分の身体を再構成したからよ。この身体は既に<シム>と呼ばれる物体ではないわ。  
だから対想念体の力もわたしには利かないと、そういう事」  
 流石元インターフェース、そのでたらめっぷりは相変わらずだ。  
 自分の身体を<シム>からそれ以外の物質に再構成するなんてもう反則だろそれ。  
 
「全くですよ。……ふう、実力の差がここまで歴然としてるとはね。キミに隙でも生まれ  
ない限り、どんな策を練ろうともキミに勝つ事はできないみたいだ」  
 優弥は炎を全て消し去ると、肩をすくめた後に左手を上げて降参のポーズをとった。  
「涼宮さんを解放してください」  
 古泉が紅玉弾を手に俺たちのそばまで近づいてくる。もちろん障壁は展開したままだ。  
「わかりました」  
 その一言を告げた途端、ハルヒの表情が目に見えて和らいでいった。苦しがっていた声  
も消えて大人しくなる。  
「す、涼宮さん……よかったぁ。キョンくん、涼宮さんがぁ」  
 ハルヒをずっと抱きかかえていた朝比奈さんも、ハルヒの様子に安堵の息を  
 
 
 
「だから隙を作りましょう」  
 
 
 
 刹那、優弥の全身からこれまでに無いぐらい勢いよく火炎が噴き出した。  
 地獄の業火は気を抜いた朝比奈さんが展開していた障壁をあっさりと打ち破り、その場  
にいた俺たちを一瞬にして飲み込んだ。  
 
 俺は朝比奈さんとハルヒを守ろうと二人に覆いかぶさった。  
 同時にラジオの砂嵐を大音響で流しているようなノイズが脳内に鳴り響く。そしてノイ  
ズと共に嫌悪感しか感じないクサビが俺の中につき立てられた。  
 くそっ、いったい何が起こってるんだ。わかる事と言えばコイツが最後まで打ち込まれ  
たら俺がやばいだろうって事だけだ。  
 全身全霊を持って抵抗しようとするが、炎がまとわりつき動きが取れない。  
 何かとてつもない力でクサビが打ち込まれる。一撃で半分足らずが埋め込まれた。  
 
<無駄です。如何にあなたと言えど僕の精神干渉は防ぎきれませんよ>  
 優弥の声が遠く響く。そうか、これも奴の攻撃か。  
 このクサビが最後まで打ち込まれたら、俺は優弥の傀儡になってしまう、そういう事か。  
 しかしおかしくないか。俺たちは優弥の炎で焼かれたはずじゃなかったか?  
 いや、そんな事はどうでもいい。俺がまだ生きているのなら、早いところ優弥を倒さな  
ければ。俺が抱きかかえている、この温もりを守るためにも。  
 
<おや、動くつもりですか? そうですね、この攻撃で僕はかなり無茶をしています。あな  
たが攻撃すれば僕は簡単に倒される事でしょう。  
 おめでとうございます、あなたは確実に生き残る事ができました。  
 ですが、あなたが今盾になっているその方々はどうでしょうか。あなたの動き方次第で  
は、彼らは消し炭も残らない状態まで焼き尽くされてしまうかもしれません>  
 ……くそっ、そうくるか。そう言われてしまうと動けなくなる。  
 しかしどうする。このままじゃクサビを心に打ち込まれ洗脳されてしまうだけだ。しか  
もこのクサビが俺だけに打ち込まれているという保証も無い。朝比奈さんや志賀、それに  
ハルヒにも襲い掛かっているかもしれないんだ。  
 
 ガツンという音と共にクサビが再度打ち込まれる。同時に全身を苦痛と快楽の束縛が駆  
け巡る。心を握られ始めている証拠だ。  
 たった二撃でその殆どが埋め込まれてしまった。もう一発食らったら今度こそおしまい  
だろう。その前に……その前にどうしろと? こんな攻撃どうやって防げというんだ。  
 何かいい手段があったはずだ。だが、クサビから響く音が邪魔をして思い出せない。  
 
<さあ、これでおしまいです>  
 その言葉に反応してか、俺の手を誰かが握ってきた。その手は暖かく、そして柔らかく、  
それでいて力強い感触だった。  
 握られた手から力が注がれたのか、俺は閉じていた目を開く。懐にハルヒと志賀を抱き  
よせ、まるで我が子を守るかのように、朝比奈さんが二人の上にかぶさっていた。震えて  
いるのか頭に巻いた水色のリボンが微妙に揺れ動いている。  
 
 リボン? リボンリボンリボン……リボン! そうだ、リボン!  
 俺は朝比奈さんのリボンに触れると、ありったけの思いをリボンに込めて叫んだ。  
「ばりやぁ────────────────っ!!」  
 思いっきり恥ずかしい言葉を叫んだような気がする。そもそも別に叫ばなくても良かっ  
たような気もするが、こういうのは気合の問題だ。  
 とにかく俺のこっ恥ずかしい呼びかけに対しリボンは青白く輝いて応え、俺たちの周り  
には一瞬にして防御障壁が展開された。それと共に心の中が青白く暖かい力で満ち溢れ、  
突き立てられたクサビがその差し込む光によって崩壊していく。  
 どうやら間に合ったようだ。俺の下にいる朝比奈さんたちの表情を見ると、苦悩してい  
た表情が少しずつ和らぎはじめていた。  
 そして俺の手を握ってきていた手の先を追いかけると  
 
「……キョン」  
 ハルヒが小さく呟きながら、やはり小さく微笑んでいた。  
 
 
 機械仕掛けの神は、招かれた。  
 
 
- * -  
・<機械仕掛けの神>  
 
「バカな……リボンの記憶は真っ先に封印したはずなのに」  
「それでも何とかしちゃうのよね、彼ったら。何の力も無いただの一般人のはずなのにね。  
でもだからこそ一番頼もしく、そして恐ろしいの。あなたもそう思っているんでしょ?」  
「そうですね。だから僕は彼の事を素直に尊敬しているのです」  
 背後から優弥と朝倉、そして古泉の声がする。振り向くと朝倉がナイフを持った手を腰  
に、もう片手を頭に置きなびく髪を抑えつつ、いつも通り優等生の微笑みを浮かべていた。  
 そのそばでは古泉がぼろぼろの制服から砂を叩き落としながら立っている。ぼろは着て  
ても心は錦を心がけているのか、こちらも相変わらずの爽やかな笑みを浮かべていた。  
 優弥は俺の位置から二人をはさんで更に後ろ、防御障壁の外側で腕を組んで立っている。  
いつの間に治したのか、その右腕は黒いもやではなく元通りの状態になっていた。  
 
「おはよう。調子はどうかしら」  
 まだ頭ががんがんするが、とりあえず大丈夫だ。俺も他の連中も火傷した形跡とかは無  
いし、ちゃんと息もしている。ハルヒは小さな笑みを浮かべたまま静かに眠っていた。  
 本当に眠っているのかどうかはわからないが、とりあえず苦しんでいる様子は伺えない。  
 俺の答え古泉がほっと安堵の胸を撫で下ろす。  
 俺にしてみれば、お前たちの方が大丈夫なのかと問い返したいぐらいひどい姿だ。  
「長門さんに情報連結解除を受けたあの時よりは余裕があるかな」  
「僕もまだ大丈夫です。《神人》に殴られた時に比べればこれぐらい」  
 揃いも揃ってサラリときつい事を言うな。  
 全く無茶しやがって。お前らが何をしたのかなんて地面を見れば一目瞭然だ。  
 
 黒い砂地に朝倉と古泉の白い影が伸びている。光と影が反転したかのようなこの不思議  
な状況は、優弥の炎で辺りの殆どが黒く焼け焦げてしまっているこの砂の大地でただ唯一、  
二人の足元から俺たちの倒れていた場所までの短い空間だけが白い砂地のままだからだ。  
 
 ハルヒの上に覆いかぶさるようにして気絶している朝比奈さんからリボンを外し、自分  
の手に巻きつける。そして朝比奈さんをそっと抱きかかえてハルヒの横に寝かせた。  
 その間に志賀がゆっくりと身体を起こしてその場に座り込む。大丈夫か、お前。  
「はい、みなさんが守ってくださったおかげです」  
 志賀もまた陽だまりのような微笑を浮かべてきた。  
 
「さて……これが最後の攻撃になると思われます。先ほど強がっては見せましたが、見て  
の通り僕はもうぼろぼろでして、実の所こうして動くのがやっとの状態なんですよ」  
「なぁんだ。正直に言うと、わたしもこうやって立ってるのがやっとかな。こう見えて、  
有機生命体のあなたに負けたらちょっと恥ずかしいかなって思って、少し強がってただけ」  
 朝倉と古泉は口の端だけで小さく笑い、そのまま優弥の方へ身体を向けた。  
 
 それまでじっと二人を見つめていた優弥が、静かに口を開く。  
「朝倉涼子さん。あなたに一つお伺いしていいでしょうか」  
「なに?」  
 優弥は腕組みを解くと、両手を胸元で合わせて合掌の形をとった。  
「何故あなたは彼らに協力をするのですか? そのように献身的に彼らに協力したとして、  
いったいあなたに何のメリットがあるというのでしょう」  
 確かに朝倉が戦う理由は全く無い。普通に考えれば、本来の目的であるハルヒの観察と  
かは長門に情報連結解除された時点で解任されているだろう。だとすれば、今の朝倉には  
身を挺してまでハルヒや俺たちを守る理由はない。  
 
 朝倉は指を頬に当てて考える。そして「うん」と頷き出した答えは  
「彼を殺すのは他の誰でもない、わたしの役目だから──って言うのはどうかしら?」  
「なるほど、それは確かに。これ以上無いぐらい素晴らしい回答です」  
「全くですね。僕もいつかはそんな台詞を口にしてみたいものですよ」  
 何処の格闘マンガのお約束だそれは。  
 そしてそこのWイケメンバカ野郎共、お前らもそんなので納得するな。  
 
「想念体によってコピーされた存在とはいえ、死ぬのは遠慮したいですからね。最後の攻  
撃に相応しいよう、ここからは手加減なしでお相手させてもらいます。……はああっ!!」  
 手のひらの隙間から炎が現れ、一瞬で世界を煉獄に変える。古泉は障壁でガードしつつ  
距離を開け、朝倉は迷わず炎の中に突撃をかけてナイフを振るった。  
 こうなると俺にできることは障壁を張りみんなを守ることだけだ。手に巻いたリボンに  
祈りを込めて障壁を作り続ける。  
 
「……キョン……くん」  
 ふと後ろから声がかけられた。か細いながらこの天使のような麗しい声はあのお方のだ。  
 気がつきましたか、朝比奈さん。俺は後ろを振り向かずに声だけかける。優弥から目を  
放す事がどれだけ危険なことかつい先ほど思い知ったからだ。  
「ごめんなさい……ヒクッ、わたしの、せいで、ヒクッ、みんなが……」  
 泣き声と共に途切れ途切れの言葉が震えて聞こえてくる。  
 いいんですよ。あの時油断しなかったメンバーなんて朝倉ぐらいのはずです。俺がリボ  
ンを持っていても同じ結果になってましたよ。  
「でも……でもぉ! わたしが! もっと……役立たずじゃなかったら!」  
 いいんです。役立たずのレベルで言うなら俺の方がはるかに上ですから。  
 俺が恥ずかしい言葉を告げると、背中にぎゅっと暖かい温もりが伝わってきた。  
「……キョンくん、ありがとう……」  
 
「……あ」  
 抱きついてきていた朝比奈さんが軽く震える。どうしました?  
「通信です……未来から……は、はいっ! 名誉挽回なんていいんです! わたしに、わた  
しにできる事があるんでしたらっ!」  
 なんだかわからないが勢いよく返事をすると、朝比奈さんがリボンを持った俺の手に自  
分の手を重ね合わせてきた。  
「上司からあの人を倒す方法を教わりました。キョンくん、それと志賀さんも。わたしに  
協力してもらえますか?」  
「ええ、わたしにお手伝いできる事があるのなら……ですよね」  
 志賀の笑みを受け俺も頷く。もちろん協力させてもらいますよ、朝比奈さん。  
 
 朝比奈さんは俺たちに作戦を説明し、最後に志賀へと触れる。二人の視線が交差すると  
志賀は朝比奈さんを見つめながら薄く微笑んだ。  
 俺もまた頷きながら、空いた方の手でハルヒの手を握った。無意識にかハルヒの方も俺  
の手を小さく握り返してくる。  
「……ハルヒ、わかるか。あそこで古泉たちと戦っている優弥がお前を苦しめているんだ。  
 今からみんなで優弥を倒してやる。だから、お前はここで安心して寝てろ」  
 俺の呟きに、ハルヒは目を瞑ったまま何も応えない。眠りについた状態のままだ。  
 
「それでよろしいんですの?」  
 ハルヒを握る俺の手に志賀の手が重ねられた。それはどういう意味なのかと思ったが、  
どうやら志賀は俺ではなくハルヒに話しかけているようだ。  
「キョンさんたちに任せきりで、あなたはよろしいんですの?」  
 再度問いかける。その言葉にハルヒが少しだけ反応したように見えた。  
 志賀はそれ以上は何も言わず手を離すと、じっと俺の方を見つめてきた。何だその微妙  
に優しげな眼差しは。いったい何を期待しているんだお前は。  
 
 俺は一度ため息を吐く。わかっている、確かに志賀の言うとおりだ。このまま俺たちに  
任せきりだなんてスタイルは全然お前らしくない。  
 少しだけ手を強く握り、俺は眠るハルヒをたきつけてみる事にした。  
「ハルヒ。お前このままアイツにやられっぱなしでいいのか? お前の事を苦しめてるのは  
間違いなく奴だ。  
 無意識でかまわない。どうせお前はいつも無意識でトンデモパワーを使ってんだから。  
 だから眠ったままで聞け。もしお前が奴に対して怒りを感じているのなら……」  
 かすかに握りあっていた手に力が加わった気がした。  
 
 
「お前自身の力で、奴に一発ぶちかましてやれ」  
 
 
- * -  
 朝倉と古泉の攻撃を器用にかわしつつ優弥が距離を置いた時、それは起こった。  
「……なっ!?」  
 優弥の立つ位置を中心に突如砂が激しく隆起し始める。遠くから見ればその砂が巨大な  
手の形をしているのがわかっただろう。優弥はその手のひらに立っているような状況だ。  
 ハルヒの手を握る力が強くなる。それに合わせて、砂の手は優弥を捕まえるかのように  
一気にその手をこぶし状に握り締めた。  
 優弥が爽快な笑みでこちらを見つめてくる。  
 笑っているのも今のうちだ、優弥。俺たちは今度こそお前を倒す。  
「できますか? それにしてもこれが彼女の力……何て強大で素晴らしい。ですが、この  
程度で僕を捕らえられるつもりでいるのならば、それは甘い認識というものです」  
「そうでしょうか? そう易々とは逃がしませんよ!」  
 古泉の紅玉弾が器用に動き、砂の指の隙間をぬって優弥へと襲い掛かる。だが手と攻撃  
が襲い掛かる直前、優弥は瞬間移動を行った。  
 朝比奈さんが未来から聞いた、既定通りの時間に、既定通りの場所へ。  
 
「たぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」  
 優弥が出現すると同時に、俺の手に巻かれたリボンを掴んでいた朝比奈さんが念動力を  
発動させて優弥の動きを全て封じる。  
「っ!?」  
 優弥は異変に気づきこちらへ向けて炎を一気に捻出したが、俺が生み出し続ける障壁に  
よってその全てが阻まれた。  
 一人で障壁と念動力の同時操作が難しいのならば、二人でそれぞれ行えばいい。実にシ  
ンプルな答えだ。そして優弥の動きを封じるのはほんの数秒で構わないのだ。  
 朝比奈さんを中心に俺たちがしたことは三つ。  
 
 ハルヒに無意識的に攻撃させ、優弥を瞬間移動させること。  
 
 瞬間移動した優弥を縛りつけて、更に優弥の意識をこちらへと向けさせること。  
 
 そして朝比奈さんが知りえた優弥の転移時間とその座標を、あらかじめ志賀を経由して  
朝倉へ秘密裏に伝えておくことだ。  
 
 優弥は朝倉に対してわずか数秒の、だが致命的な隙を作ってしまった。  
「──チェックメイト。二度目の待ったは無しよ」  
 優弥の後ろに現れた朝倉がナイフを深く突き刺す。そのまますぐにナイフから手を離し、  
優弥を捕まえるような感じに両手を開くと、十本の指を一気に伸ばして優弥の身体をこと  
ごとく貫いた。  
「これはおまけですっ!」  
 最後に古泉が紅玉弾を撃ち込む。これが最後と全ての力を込めたのか、優弥に当たった  
途端に大爆発を起こした。  
「ぐああぁ──────────────────………!!」  
 爆発の中で優弥が黒いもやへと変質し、そのまま徐々に霧散していく。  
 それと共に砂漠状態の情報制御空間も徐々に崩壊し、気づけば俺たちはハルヒの部屋へ  
と戻ってきていた。  
 
 
- * -  
「それじゃ朝比奈さん。ハルヒの事、後はよろしくお願いします」  
「はい。……本当に今日はお疲れさまでした」  
 ハルヒが目を覚ます前に退散しておこうと言う事になり、最初から来ていた朝比奈さん  
だけを残し、俺と古泉、志賀の三人はハルヒの家を後にした。朝倉は俺たちがハルヒの部  
屋で意識を取り戻した時には姿を消していた。  
 志賀には長門へ連絡を入れておいてもらった。ハルヒが無事だと連絡するのも既定事項  
だったはずだからな。  
 
「僕はこれから『機関』のメンバーと合流します。それでは、また」  
 そう言って古泉は黒塗りのタクシーで去っていった。最初は志賀も一緒に連れて行こう  
と言っていたのだが、  
「わたしはここでお別れいたします。あちらの<シム>の方々と直接面識があるわけでも  
ありませんから」  
 そういって志賀は辞退した。  
 
 二人で黒塗りの車を見送りだす。俺の方はこのままこの時間に残る事になる。元々いた  
数時間先に戻っても構わないのだが、どうせ後一時間程度でこっちのキョンが連れて行か  
れるんだ。このままいても問題ないだろう。せいぜい他人から見た俺の寿命が数時間分だ  
け早まって見えるだけだ。  
 
 
「キョンさん、少しお時間よろしいでしょうか」  
 志賀が微笑んでくる。俺が頷くと志賀は俺を連れてゆっくりと歩き始めた。電車に乗り  
俺たちが集合場所にしているいつもの駅で降りる。  
「こちらです」  
 志賀に案内され更に歩く。何だか見覚えのある道筋を辿っているのはただの偶然なのか。  
 
「キョンさんは、わたしに聞きたいことがありますよね」  
 少し前を歩きながら志賀が聞いてくる。そうだな、確かにお前に聞きたいことかある。  
例えばどうして<シム>であるお前が、この世界の者でないお前が、こうして目的地を目  
指して歩くことができるのか、とかな。  
「そうですね。不思議ですよね」  
 まるで他人事のように笑ってくる。そうしている間に目的地へと俺たちはたどり着いた。  
 
 俺たちが歩きついたマンションの前では四人の集団がたむろっていた。制服二人に黒の  
ゴシック少女に白衣姿の男とSOS団に負けず劣らずの怪しさ大爆発な集団だ。その中の  
一人、制服姿の少女が俺に近づいてきて小さく告げる。  
「……遅刻、罰金」  
 一度ハルヒに対し長門への影響について話し合う必要があるようだ。  
 
 
- * -  
「ふむ、やはりそういう事だったか」  
 宮野がこちらを見て大きく頷く。どうもこいつは一人で納得し完結してしまう節がある。  
頼むから何がそういう事なのかが伝わるよう言語化してくれ。  
「頼まれれば語るのもやぶさかではないが、私が語ってもよろしいのかな? 志賀侑里よ」  
「構いませんわ。わたしが全てを語るよりその方が盛り上がるでしょうから」  
 志賀がにっこり笑って告げる。では、と宮野が片手をびしっと志賀に指差して語りだそ  
うとした時、光明寺がその腕を掴んで叩き落した。  
「ちょっと待ってください! 班長、あなた今何とおっしゃいました?」  
「どうしたのかね茉衣子くん。今までの私の発言に何か問題でも?」  
「今までといわれるならその大半以上が問題発言と括れてしまえますが、とりあえずそれ  
は置いておいて、私が問うているのはつい先ほどの発言ですわ」  
 そして宮野に代わり光明寺が志賀を指差すと、はっきりと聞いてきた。  
 
 
 
「何故、彼女を志賀侑里と呼ぶのです? 彼女は確か……音透湖、だったはずです」  
 その指摘に今度は宮野が光明寺の伸ばした腕を掴んで天に掲げる。  
「その通りだよ茉衣子くん! 流石は私の唯一の弟子、よく気がついた! そう、私たちが  
かつてのミッションで関わった時より成長してはいるが、彼女は間違いなく音透湖だ」  
「何をなさるのですかこのセクハラ班長! 手を離してください!」  
 その訴えにあっさりと手を離す。だが彼の言葉は止まらない。  
 
「そして彼女こが、私が常日頃から考えに考えて届かんとしている上位世界の存在が一人、  
《年表干渉者[インターセプタ]》と呼ばれる者なのだよ!」  
 
 
- * -  
・<年表干渉者>  
 
 俺たちは志賀に連れられてマンションの507号室に招待される。ちなみに二つ隣はか  
つてハルヒと玄関前まで訪れた朝倉の家であり、さらに二階上には長門が住む部屋がある。  
「どうぞ」  
 志賀と名乗っていた音透湖にしてインターセプタの案内でリビングへと通される。  
 部屋にはソファーやテーブル、テレビといった生活観溢れるものが整然と置かれていた。  
ふと阪中の家を思い出し、まるでいいとこのお嬢さんの部屋に通された気分になりながら、  
俺たちはそれぞれソファーへと腰掛けた。  
 
「『学校を出よう!』の世界で、溢れかえった想念体<シム>に対して大掛かりな攻撃が  
展開されたことがあったのです。宮野さんたちは当然ご存知ですよね」  
 台所でやかんに火をかけながら、インターセプタが話し出す。  
「ええ、痛いほどに。何せわたくしたち<シム>が学園から消去された攻撃でしたから」  
「CIOB、確かカウンター想念体パラージだったか。で、それがどうしたんだい?」  
「CIOB攻撃は想念体の存在を0にするものだとあなたがたは考えています。ですが、  
実際は想念体を別世界へ移項する攻撃方法なのです」  
「自分の世界からは同じ消失したように見えるからな。間違えてもおかしくはない」  
 インターセプタのいるダイニングへ乱入し何やら焼き菓子を発掘してきた宮野は、手に  
した皿にざっと盛ると俺たちのいるリビングの机に出し、勝手にぼりぼりと食い始めた。  
 某団長が人の家で賞味期限切れのわらび餅を漁ったシーンが思い出される。  
 
「あのCIOBのせいでこの世界に想念体が出現したと、そういう事なんですね」  
「はい。殆どの想念体は同レベルの別世界に移項しました。ですが力の強い想念体が移項  
の力を利用して上位世界へと流れてしまったのです」  
「彼と涼宮ハルヒが接続していたラインを辿られたと思われる」  
 宮野に負けじと菓子をほおばりながら長門が続ける。  
 と、沸いたお湯を別容器に入れる音と紅茶のいい匂いが漂ってきた。人数分のカップと  
琥珀色の液体が入った透明なティーポットをお盆に載せ、インターセプタがリビングへと  
戻ってきた。  
 
 注がれた紅茶にそれぞれが砂糖やミルクを落とし、香りと味を楽しみながら一息ついた。  
紅茶を出す技術に関しては朝比奈さんと張っているのではないだろうか。  
「俺と光明寺を彼らの部室に送り込んだのは、やっぱりキミなのかい?」  
「はい、わたしです。あなたがたなら想念体相手に戦えると思いましたので。光明寺さん  
の能力で自滅しないように、あのリボンも用意しました」  
 と、そこで未だ預かりっぱなしだった二本のリボンを取り出す。光明寺にお礼を告げて  
返すと、光明寺はそっとリボンを撫でて小さく微笑んだ。その様子を見て他のメンバーも  
薄く微笑む。まるでそれは自分の意思を汲み取ってくれた相手に対し、喜びを表現してい  
るかのようだった。  
 
「上位世界で意思のある想念体<シム>が活動すれば下位世界がどうなるか。その危険性  
はわかっていただけますよね」  
 ああ。もし優弥をあのままにしていたとして、優弥が『学校を出よう!』の世界にこち  
らからちょっかいを出したらどうなっていただろうか。  
「まず間違いなくはぐれEMP、あの《水星症候群》の派閥が勝利する世界になっていた  
事でしょう」  
「それぐらいで済めばかわいいもんさ。最悪、こっちの世界に想念体やEMP能力者たち  
が流れて来ていたかもしれない」  
 しかも今回以上の規模で、か。まさに最悪だな。  
 
 何だかんだで、お前たちのおかげで俺たちもハルヒも、ついでと言ってはなんだがこの  
世界も助かったってわけだ。ありがとよ。もちろんお前にも礼を言うぜ、長門。  
「いい。それがわたしの役割」  
 まあそう言うなって。それとインターセプタ、お前にも礼を言わせてくれ。  
「構いませんわ。わたしにとって望まない事態を避ける為に行った結果ですから」  
 それでもだ。経緯はどうあれ、彼女がハルヒを救ってくれたという事はかわらない。そ  
れに俺が朝倉の<シム>を生み出した時や、ハルヒに無意識に力を使わせようとした時、  
実はこっそり俺をサポートしてくれてたんだろ?  
「ばれていましたか」  
 いくらなんでもあの二つの行為、ぶっつけ本番にては上手くいき過ぎていた。だが彼女  
がサポートしてくれていたと言うのならば納得がいく。  
 
 
- * -  
「かくして真犯人は自白を遂げ、ここに事件は幕を下ろす……でいいのかな」  
 ハルヒが助かったんだ。俺たちとしてはそれで問題ない。後はお前たちの存在ぐらいか。  
「そうですね。どうしますか? この世界にい続けるか、他の世界へ渡るか。あなたたち  
がいた元の世界や、わたしたちの世界に来るという選択肢も用意できますよ」  
「それは興味深い。キミの言う『わたしたちの世界』とは私たちに介入し続ける世界かね?  
それとも、本来キミがいるべき世界の事かね」  
 何だその禅問答の様な質問は。  
 
「考えても見たまえ。キミは本の中の人物を自分の世界に呼ぶことはできるかね。もしか  
したらキミにそのような能力が存在しており可能かも知れん。だが一般的には不可能と答  
えるだろうし、不可能という答えこそここでは期待されている。  
 では、Aという話の人物をBに出すことはどうかね。これは可能なはずだ。キミ自身が  
Bの話にAが登場するよう手を加えればいいのだからな」  
 つまり、俺たちのこの世界に<シム>を介入させる事ができるインターセプタは、俺た  
ちの世界よりも高位の世界の存在だとそう言いたいのか。  
 
「ええ、そうです。あなたがたの考えるとおり、本当のわたしはここよりも更に上の世界  
の存在です。ですから下位であるこの世界に、更に下位世界の<シム>を転移させる事が  
できました」  
「更に言うならば、キミはインスペクタ達をも騙している。彼らが私たちより上位にして  
この世界より下位なのは明らかだ。何せ『学校を出よう!』に出ているのだからな。さて、  
そうなると、キミはあたかもそこの世界の者のように振舞っている、と言うことになる。  
 実に興味深い話だ。キミはいったいどれだけの高みにいる存在なのかね」  
「語りましょうか?」  
「結構だ。私には考える為の脳も行動する為の手足もある。いずれ自力で向かわせてもら  
うとしよう。その際には同伴者がいても構わぬかな?」  
「班長について異世界めぐりをするなど、よほど奇特な人間がいるのですね」  
「そうだな。そして人間とはえてして自分が奇特である事に気づかないものだ」  
「わたくしを見るより鏡を見て語ったほうが説得力ありますわよ」  
 
 会話がどんどん電波と痴情のもつれになっているように感じるのは俺だけだろうか。  
 適度な喧騒をバックミュージックに、俺は紅茶を飲み干すと今日一日の疲れを癒すべく  
ソファーに身体をゆだねた。途端に全身がだるくなり、一気に疲れが押し寄せてくる。  
 やばい、ふかふかのソファーもあってあっさり撃沈してしまいそうだ。  
 睡魔に囚われ少しずつぼける思考と視界の中、俺はある仮説を考えていた。  
 
 なぁ、長門。情報思念統合体というのは……もしかしてそういう奴らの事なのか?  
 そしてハルヒの力は、それよりも上位の存在から渡されている、ないしハルヒの望むよ  
う改変している……という事なの、か……?  
 
 
 長門は珍しくうっかり指紋をつけてしまい曇ってしまったガラスのような透明度の瞳で  
俺を見つめ返してきた。  
「情報思念統合体についてはそうとも言えるし違うとも言える。一概に上の世界の住人と  
割り切れる物ではない。涼宮ハルヒの力については全く不明。あなたの考えを否定するだ  
けの材料も、肯定する理由付けもわたしには行えない。  
 だがそのような回答は全て些細な事。今、ここで何よりも重要なのは──」  
 
 俺の頭が動かされ、そのまま身体が横向きにソファーへと倒される。ただ頭の下だけは  
何か暖かく柔らかいものが敷かれていた。  
 頭を優しく撫でられ、俺のギリギリだった意識が完全に飛んだ。  
 
 
 
「──重要なのは、あなたの休息」  
 
 
- * -  
・終幕  
 
 目が覚めた時、俺は慣れ親しんだ愛用のベッドで横になっていた。あまりに日常どおり  
な状態に、昨日の騒動が実は夢オチだったのではないかと思えてくるほどだ。  
 だが俺は知っている。ハルヒがらみでこういう夢か現実かわからない状況に陥った場合、  
その九割以上はまぎれもない現実だという事を。そんな事はこの一年でいやと言うほど思  
い知らされてきた。  
 
 さてそうなると気になるのは光明寺たち<シム>の事だ。彼らはインターセプタの部屋  
で話を聞いた後、どういう決断を下したのだろう。  
 彼女が差し出した異世界への切符を受け取り、別世界へと移動したのだろうか。  
 ……いや。あの宮野がいる限りその選択肢は考えにくい。少し話しただけだが、あいつ  
はどうもハルヒと同じで、自分で自分の道を探していくタイプのようだ。  
 きっとインターセプタからの提案をあっさりと断り、今頃どこかで光明寺と漫才トーク  
でもしながら自力で何とかする方法でも考えている事だろう。  
 
 気になる事といえばもう一つある。昨日の騒動で見事に復活してしまった朝倉の事だ。  
あいつはあいつでこれからどうして行くつもりなのだろう。もう命が狙われるような事も、  
いきなりナイフで腹を刺されるのもご免被りたい。  
 まあ光明寺たちと朝倉の件に関しては長門や古泉に聞いてみることにしよう。  
 
 大きな問題を二つ後回しにした所で、俺の脳内に次の大きな問題が浮かび上がってくる。  
 俺は布団からもれている自分の右腕に視線を送った。俺の手を取り握りあっている暖か  
い右手を見つめ、そこから伸びている腕をゆっくり経由し、最終的に俺が寝るベッドに寄  
りかかるようにうつ伏せて眠る少女へと視線を移した。  
 部屋に入る風と少女自身の呼吸で、髪と黄色いリボンの飾りが揺れる。  
 
 問題とはまさにこの少女の事だった。さて何でこいつは俺の部屋にいるんだろうね。  
 このままこうしていても仕方がないので。俺はうつ伏せの少女の頭を軽く撫でて起こし  
てやることにした。顔が見えていれば前みたいにつねってやるのだが。  
 
 ほら、起きろハルヒ。  
 
「……ん」  
 ハルヒがゆっくりと頭を起こして目をこする。そのまま一度あくびと共にのびをすると、  
まだ少しぼうっとした表情で俺を見つめてきた。  
 おはよう、良く眠れたか。  
「全然。まだちょっと眠……ってこらバカキョン! それはあたしの台詞よ! あんた一体  
今何時だと思ってるのよ!」  
 さあ。何せ今まで寝てたからな。それで何時なんだ?  
 俺の問いかけにハルヒが左手にはめた腕時計を見て、それを俺に見せ付けてきた。  
「見ての通りもうすぐ正午になるわ。集合時間は九時だから約三時間の遅刻、しかも集合  
場所は駅前だから、今なおあんたの遅刻時間は記録更新中って事。これはもう罰金レベル  
じゃ済まされないわよ?」  
 そうかい、そいつはすまなかった。ところで何でお前はここにいるんだ。他の連中は?  
「いないわよ。みんな急用とかで朝からは出られないって言うから、今日の活動は午後か  
らって事にしたの」  
 三人とも急用ねえ。本当は急用じゃなく休養なのかもしれないな。  
 って午後から集合だったら俺だって遅刻じゃないじゃないか。  
 
「みんなはちゃんと集合時間の三十分前には連絡してきたわよ。だからいいの。でもあん  
たは連絡が無かったから遅刻。  
 集合時間過ぎても来ないし、携帯に電話しても電源切れてるって言うだけで出ないし。  
 どういう事よと家の方に電話かけて妹ちゃんに様子を聞いたら、あんたが死んだように  
眠っててどんなに起こしても起きないって言うじゃない。だからこうしてあんたの様子を  
見に家まで来てあげたのよ。  
 それにしても本当ぐっすりと眠ってわね。あたしがいない間にSOS団で何か疲れるよ  
うな事でもしてたの?」  
 ああ思いっきりしたさ。こっちは《神人》戦に優弥戦とヘビーな連戦だったんだ。緊張  
の連続で身体はともかく精神が磨耗しきっていたんだろうよ。だがそんな事をハルヒに言  
える訳もないので、相変わらず苦しい説明を行うことにした。  
 
「ああ、ちょっとしたごたごたがあってな。解決はしたんだが随分とくたびれさせられた。  
何があったかは古泉から聞いてくれ。俺よりもあいつの方が把握してるから」  
「ふうん……古泉くんって事は生徒会がらみ? まあいいわ、後で来た時に聞けばあんたが  
本当の事を言ってるのかすぐにわかるから」  
 おい、何だその『後で来た時』って言うのは。  
「あんたが起きそうも無かったから、午後はみんなであんたのお見舞いをする事に決めた  
のよ。だからもう暫くしたらみんなもやって来るわよ」  
 邪神の微笑みを浮かべてハルヒが告げる。くそっ、間違いない。こいつは昨日俺が見舞  
いに行くぞとからかった仕返しをするつもりなんだ。  
 
 やれやれ、客人が更に来るというのならこうして寝てもいられないか。  
 俺は溜息をつくと身体を起こす。そして未だに握られている右手をじっと見つめてから  
ハルヒに何で俺の手を握っているのか聞いてみた。  
 ハルヒは言われてから気づいたのかぱっと手を離す。そして少しだけ挙動不審な態度を  
見せながらもきっと睨み返してきた。  
 
「あ、いや、何となくよ! ほら病気の時ってさ、こうやって手を握ってあげるとどうし  
てか安心して眠りにつけるじゃない。団員の事を気遣うのも団長の務めだからね。  
 後はキョンがあまりにもぐっすり眠ってるから、激しく疲れてるのかなって思ったのよ。  
だったらあたしの溢れんばかりのやる気をこうやって手から注入してあげればいいじゃな  
いって思いついてね。あんた目を閉じてるし。  
 どう、体がぽかぽかして発刊作用とか促進されたでしょ」  
 わかった、そのネタはもういいから。一度着替えるから部屋を出てくれるか。  
「じゃ、妹ちゃんにあんたが起きた事伝えてくるわ。ご飯どうするんだって言ってたから」  
 ハルヒは立ち上がり扉を開ける。だが何かを考えているのか、出て行こうとしない。  
 
「……ねぇ、キョン。あんた昨日……」  
「にゃん」  
 ハルヒの言葉は意外な来客によってさえぎられた。見ればハルヒの足元でシャミセンが  
部屋に入ろうと待ちわびている。  
「あ、シャミセンごめん」  
 ハルヒがどくとシャミセンはゆったりと入ってきて、俺のベッドにあがると丸くなる。  
 俺たちはその様子をただじっと見ていたが、やがて  
「……ううん、やっぱ何でもないわ。それじゃ妹ちゃんに伝えてくる」  
 それだけ言い残してハルヒは部屋を出て扉を閉めた。  
 
 ……ハルヒの奴、一体何を言い出すつもりだったんだろうな。何とはなしに言葉を邪魔  
したシャミセンに聞いてみる。シャミセンは珍しくただ一言「にゃん」と答えてきた。  
 
 
 まるでハルヒに対して『まだ早い』と制止したかのように。  
 
 
 俺は昨日から切りっぱなしだった携帯の電源を入れる。着信履歴やメッセージが流れて  
くるが確認は後回しだ。俺はアドレス帳の中から一人を選び出すと電話を掛ける。数回の  
コール後、電話の相手と簡単な挨拶を交わし本題に入った。  
 
 
「問題だ。昨日俺たちSOS団はハルヒがいない隙をつかれて、メンバー全員が精も根も  
尽きるようなトラブルに巻き込まれてしまった。  
 さてそのトラブルとは何か。……悪いが俺の家に着くまでに考えておいてくれ、古泉」  
 
 
 シャミセンは俺の行為に興味を無くしたのか、  
 
 
<インターセプタ・1>  
 
 意外だった、《高等監察院[インスペクタ]》。  
 あなたもまた高次の存在であるのは知っていた。涼宮ハルヒをも監査している事も。  
 しかし、よもやあのような手段で監察していたとは。  
 
 
 
<インスペクタ・1>  
 
 人間は常識に縛られる。故にこの様な存在に自分が監察されているとは誰も思わない。  
 危機的状況は何度か訪れているが、現在対象に接近する事ができている。そもそも涼宮  
ハルヒの監察はお前に関係ない話。文句はあるまい、《年表干渉者[インターセプタ]》。  
 
 
 
<インターセプタ・2>  
 
 ああ、わかっている。だがあえて意見させてくれ。  
 ……あなたのお姿、とても可愛かったですよ。  
 
 
- * -  
・終幕・B  
 
 
 ──ただゆっくりと目を閉じた。  
 
 
 
- 了 -  
 

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