- * -  
・集結  
 
 同時に観音崎が突然右手を空へと向ける。  
 
「何だこの感覚は!? まさか、本当に何か呼べるというのか!? ……ならば、来いッ!!」  
 観音崎の呼びかけに掲げた右手が輝いて応える。刹那、光が弾けたかと思うと観音崎の  
右手には一冊の本が握られていた。手の平より大きい文庫本サイズのちょっと薄めな本だ。  
ポップなイラストとふざけたタイトルがいわゆるライトノベルである事を示している。  
 ……ん? どっかで見たことあるような本だと俺が記憶を漁ろうとすると  
『それを、わたしに』  
 間髪いれずに長門が告げてきた。  
 そうだ、それどころじゃない。俺は反射的に叫んでいた。  
 
「観音崎、その本を長門へっ!」  
 言ってからどうやって渡すんだと考える。長門たちの場所までまだ距離がある。投げた  
ところで届かないし、そもそも地面の振動がそれを許さない。だが観音崎はわかったと応  
えると何も考えずに本を放り投げた。  
「この大きさなら俺でも操れる……頼むぜ、寮長の妹さん! 飛んでけええッ!!」  
 観音崎の水色のリボンが光ったかと思うと、放物線を描いて飛んでた本がいきなり空中  
に静止する。そして長門目掛けてありえないぐらいまっすぐに飛んでいった。重力なんて  
完全に無視、まるで野球大会の時のインチキボールだ。  
 長門が右手を真横に伸ばし、後ろから飛来する本を振り向きもせずに受け取る。左手で  
光明寺を支えているというのに、なんとも器用なものだ。  
 
 
『媒体を入手、鍵は揃った』  
 そのまま手にした本を額に当てる。  
 鍵だと? さっきから長門は何をしようとしているんだ。  
 
 
『機械仕掛けの神より接続。確認。《自動干渉機[アスタリスク]》、わたしにも機会を』  
 恐ろしく静かな声で淡々と長門が呟く。いつもと違い、まるで機械音声のようだ。  
 驚く俺たちをよそに、長門はそのまま抱きかかえる光明寺に告げる。  
 
 
『対象より条件提示。機械仕掛けの神の名を入力せよ』  
 あっけにとられたような、雰囲気にのまれたのか、光明寺の息を呑む音が聞こえてくる。  
『き、機械仕掛けの神?』  
 機械仕掛けの神、デウスエクスマキナ。「状況を一気に打破するご都合主義」の事だ。  
 決して万能インターフェースである長門の事ではない。と、思う。  
 
『あなたが信用せず、だが信頼するモノの名を』  
 長門があくまで冷淡に告げる。ややあって、今度はふぅとため息に似た息遣いが耳に届  
いてきた。  
 
『……こんなふざけた状態をどうにかできるようなふざけた存在など、わたくしはたった  
二人しか存じておりません。そしてわたくしの前に立つのは想念体。ならばわたくしが呼  
ぶのは不本意なれどただ一人です。  
 ええ、良いでしょう。わたくしが全く以って信用せず、だが全身全霊を以って信頼する  
その機械仕掛けの神の名、お教えして差し上げますわ。  
 其れは第三EMP学園の恥部、<黒夢団>首領にして生徒自治会保安部対魔班班長!  
 そしてわたくしを勝手に一番弟子と呼び付きまとう天上天下唯我独尊なあの男!  
 常に被害を拡大し事態を最悪へと動かす故に誰からも信用されない存在でありながら、  
それでいて全てを終結させる力を兼ね揃えるが故に誰よりも信頼される存在である、第三  
EMP学園きってのトリックスター!  
 
 
 ──その名、班長、宮野秀策っ!』  
 
 
 
 
<正解だ、茉衣子くん! 我が愛すべき後輩にして唯一なる弟子よ!>  
 そんな男の声が届くと共に、《神人》の足元を中心に闇のように昏く巨大な同心円が出  
現した。  
 
 
- * -  
 突如現れた闇の法円から無数の黒い触手が伸び始め、《神人》の身体をがんじがらめに  
捕らえて動きを封じる。  
「はっはっはっ! なかなかに楽しい状況になっているではないか、茉衣子くん! 私もも  
ちろん参加させてもらうとしよう!」  
 触手の拘束によって《神人》の動きが、攻撃が止まった。俺と観音崎は《神人》から受  
け続けた振動で三半規管がいかれた状態だったが、ふらつきながらも何とか立ち上がると  
長門たちの元へと走り出した。  
「光明寺! これはいったい! あの闇の法円はまさか!」  
「ええ……冗談半分で期待したら本当にやってきてしまったようですわ、あのアホ班長」  
 光明寺が前方を指差すと、そこには白衣を纏い両手をバンザイ風に広げて笑いながら  
《神人》と向き合う人物の姿があった。どうやらあれがその班長とやららしい。  
 それで、このブラックライトのような法円と今夜の夢に出てきそうな薄気味悪い触手は  
そこで笑っているちょっとアレっぽく見える彼の仕業か。  
「そうですわ」  
「だ、だけどどうやって!? ここは彼の表現でいえば『上位の世界』だっていうのに!?」  
「話は後にしたまえ! 今は議論を行う時ではない。実務の時間だ!」  
 班長──たしか宮野だったか、は振り向いて檄を飛ばす。言ってる事は格好良いがその  
心底楽しんでいるという笑みが全て台無しにしていた。どこかの百ワット団長を思い出す。  
 
「ええ、確かに。ですがこれだけは言わせてください。いったい誰があなたの愛すべき後  
輩で唯一なる弟子なのですか!」  
「無論キミに決まっていよう、茉衣子くん!」  
 宮野は何を言っているんだと言わんばかりに返す。そしてこちらに近寄るとおもむろに  
光明寺を抱き寄せた。  
「なっ! ……何をなさるのですか、この変態!」  
「全て後だと言ってるだろう。キミは何よりも先にすべき事がある。違うかね」  
「違いません! ですからわたくしを放してください! 班長がわたくしに抱きつく理由が  
全く以ってわかりません!」  
「意味などない。ただムードを盛り上げただけだ。久しぶりの抱擁にこう元気が注入され  
やる気がふつふつと沸いてくるかと思ってな!」  
「余計そがれます!」  
 白と黒のかけあい漫才が続く。こうも息がぴったりだと二人に気を取られ《神人》の事  
すら忘れてしまいそうだ。  
 
「やれやれ、一安心みたいだね。光明寺も緊張が解けたようだ」  
 観音崎もなにやら安堵の息を漏らしている。どうしてそこまで余裕になれるんだお前ら。  
「あの二人が組んで解決しない事など一つもなく、生き遂せた想念体もまた一体もいない。  
それが俺たちのいた学園で常識だったからさ。  
 そう言う訳でお二人さん、早いとこ何とかしてもらいたいんだけど」  
 観音崎が二人に水を向ける。光明寺たちは再会の抱擁状態から、いつの間にやら光明寺  
の肩を宮野が背中から支える姿勢へと変わっていた。  
「わかっておる! さあ茉衣子くん、キミの力であの巨人の外側に群がる想念体どもを派手  
にぶっ壊したまえ!」  
 びしりと肩越しに《神人》を指差す。って、外側? なんだそりゃ。  
「うむ! アレは想念体が巨人に纏わりついておるのだ。だからあの巨人は本来あるべき力  
を揮えないでいるのだろう。内面で葛藤しているのがヒシヒシと伝わってくるぞ!」  
 本来の力──つまり閉鎖空間か。《神人》が、ハルヒが閉鎖空間を生み出せないのは取  
り憑いている想念体が原因だと、そう言うのか。  
「そう。涼宮ハルヒの意思に纏わりつく意思を破壊すれば、あの存在も涼宮ハルヒも正常  
状態に回復すると思われる」  
『そうなったら、後は我々能力者たちの出番です』  
 長門が俺の意見にうなずき、森さんがそれを受ける。まさにその通りだ。  
 
「さぁキミの力を見せてやれ、茉衣子くん。キミはあんな想念体などに遅れをとるような  
やつではない。キミの力もまた然りだ。前にも言ったがそれはあちらの茉衣子くんだった  
ようが気がしなくもないのでもう一度言おう。しかとその心に留めるのだ。  
 ──信じることだ、茉衣子くん。限界を設定しているのは自分自身の心だ。EMP能力  
を持つ者に力の強弱は本来ない。相手が超回復を持つのならば、キミはそれを上回る圧倒  
的な力をぶつければいい。そう、思い込みさえすればいいのだよ」  
 光明寺が両手を伸ばす。右手の中指と人差し指を伸ばし、銃のような形をとる。左手は  
右手首をしっかり握り支えて揺れを止める。  
 光明寺が見据えるその指先に今までとは段違いに輝く、こぶし大の蛍火が灯り始めた。  
 
 
「信じたまえ、茉衣子くん。キミは無敵だ」  
「────当然です」  
 
 
 それを合図に心のトリガーが引かれ、蛍火はまっすぐ《神人》目掛けて飛んでいった。  
 触手をすり抜け《神人》に蛍火があたる。着弾地点を中心にして黒い身体に光のヒビが  
無数に走り、乾いた音と共に砕け散った。黒い外側が弾け飛び、中から青白い《神人》が  
姿を現す。青白い《神人》が自由になった身体を伸ばし声なき声を叫ぶと、《神人》から  
強烈な波動が打ち出される。俺はとっさに長門を庇おうと抱き寄せ《神人》に背を向けた。  
 
 いつの間に目をつぶっていたのか。  
「大丈夫」  
 長門の声に意思を取り戻し目を開くと、そこは先ほどと同じ景色で、しかし灰色が支配  
する空間だった。どこからともなく飛び出してきた紅玉の光が《神人》に突撃していく。  
 
『光明寺さま、観音崎さま、そして宮野さま。我々はお三方に心の底から感謝いたします。  
もちろん、SOS団のあなた方にも。……さあ、下がっていてください。後は、閉鎖空間  
で《神人》を倒すのは、我々の役目です』  
「うむ、そうしよう。この空間もキミたちも、もちろんあの巨人も実に興味深い。さあ茉  
衣子くん。我々の出番は終わりだ。後は特等席でじっくりと見物させてもらうとしようで  
はないか」  
 
 
- * -  
 二つのリボンと長門の障壁展開で安全地帯を生成し、俺たちは腰を下ろす。もしこれを  
破れる力が襲い掛かってきたとしたら、その時すでに世界は終わっている事だろうよ。  
 
「班長さん、キミはどうやってこの地へ来たんだい?」  
 一息ついてまず切り出したのは観音崎だった。確かに今回最大の謎だ。ご都合主義にも  
ほどがある。だが宮野はその場におもむろに立ち上がり腕を組むと、質問に対し  
「つまりキミたちは私が宮野秀策だと信じて疑わないのだね」  
 と妙な質問で返してきた。  
 
「信じても何も、班長は班長ではないですか。それとも班長は何か別の生命体だとでも?  
ああそれとも、実は班長は何か別の生命体で、ついにわたくしたちにその事実を暴露しよ  
うと、そういう事なのですね」  
「ふむ、さすがは我が最愛なる弟子だ。迷う事無く核心を突くとは、いやはや師として嬉  
しい限りで今にも踊りだしそうだ!」  
 光明寺の表に出まくりな皮肉に、宮野はまるでご褒美を貰った子供のようににこやかに  
微笑むと光明寺の手を掴み、引っ張り上げ、両手を取ってぐるぐると回りだした。  
「な、何をなさるのですか! 紙一重の先を行きすぎですわ! その手を離しなさい!」  
「……で、どういう事なんだい班長さん」  
 いつもの事だからと特に驚いた様子も見せず話を進める観音崎に、宮野は素直に手を離  
し踊りをとめるとあっさり解答を告げた。  
 
「判らないかね。私はキミたちと同じ存在なのだよ、茉衣子くん。  
 私もキミたちと同じく人の意思──私の場合この少女だったがまあその辺りはどうでも  
いい。詰まるところ、誰かの意思によって生み出された存在だと言う事だ。キミたちは確  
か<シム>と呼んでいたか? この私もそれだ。だから正確には宮野秀策がこの世界にやっ  
て来たわけではない。私のコピーが、つい先ほどこの世界に誕生したのだ」  
 
 なんだかとんでもない事をさらりと言わなかったか、こいつ。話についていけていない  
部分が多いが、ひとつ質問させてくれ。  
 つまりお前、いやお前たち三人は、実は人間じゃないってことなのか?  
「その通り。そして元をただせば私たちとあの巨人に群がっていたモノは同じ存在である。  
私たちはより明確な意思によって生み出された故にこうして人としての身体をとり、人と  
しての知性を持ち、人としての意思を宿している。  
 オリジナルとの相違がどれだけあるのかという点はともかく、私たちは限りなく人間に  
近い存在なのだ。彼女と共に居るキミならば、この意味が判るだろう?」  
 宮野はそういい長門に視線を送った。確かに彼らが人間かどうかなど既に些細な事なの  
かもしれない。今更人間っぽい人間外生命体が現れたところで、驚く感情は品切れ状態だ。  
 
「世界は今、涼宮ハルヒの力によって<シム>が生み出せる状態になっている」  
 長門が静かに語りだす。  
「涼宮ハルヒの力によって想念体が生み出され、その想念体が涼宮ハルヒに取り憑いた事  
で世界はこの状態になった。  
 だがこれは一過性のもの。涼宮ハルヒから想念体が分離した為、あと一時間程度でこの  
特殊な状況は収束する」  
 つまり《神人》に取り憑いてたような想念体がこれ以降もわらわら出現する、って事は  
無いんだな。それを聞いてとりあえずは安心したよ。しかし、だ。  
 
「ちょっと待ってください。班長がわたくしたちと同じ<シム>だというのはわかりまし  
た。わたくしの力を当てればそれが真実かどうかはっきり致しますが、そこはぐっと堪え  
て我慢しておきましょう。ですがその場合、新たな疑問が生まれます。  
 わたくしがこうして見る限り、班長はどう見ても本物の班長と寸分違わぬ存在に思えま  
すわ。そう、まさにあの時のわたくしと同じように。百歩譲って、長門さんが若菜さんと  
同じく他人に色眼鏡を付加せず観察する事ができる人だと致しましょう」  
 その点は一歩も譲らなくていい。長門は殆どの物事に対し、それをありのままに捉える  
事が可能なやつだ。  
 
「そうですか。ならば尚更大きな疑問が残ります」  
 ああそうだな。問題は長門がいつ、何処でこの宮野の事を知ったかと言う事だ。  
 長門、お前いつの間にこんな訳わからんやつと知り合いになっていたんだ?  
 
「……」  
 長門は物言わず、すっと一冊の本を差し出してくる。それはさっき観音崎が召喚した文  
庫本だ。赤い背景に吸血鬼の扮装をした女の子が描かれたその表紙には、やはりどこかで  
見た記憶が残っている。  
 俺が頼りない自分の記憶を探していると、横から伸ばされた手に文庫本を取り上げられ  
てしまった。もちろん宮野である。  
「ふむ、これが我らか……なるほど『学校を出よう!』とはまさに的を得た表題だな」  
 なにやら呟きパラパラとめくって中を確認する。ざっと見終えた後、本をこちらに投げ  
て返すと宮野は長門に問いただした。  
「キミが私と繋がっていた存在なのかね?」  
「違う。あなたと繋がっていたのはその本の持ち主」  
 そう言って一度長門がこちらを見ると、再度宮野に視線を戻して言葉を続けた。  
 
 
「あなたと繋がっていたのは、涼宮ハルヒ」  
 
 
 その言葉に、俺は今日の放課後だるそうにしていたハルヒの事を思い出していた。  
 ハルヒが枕にしていたこの文庫本の存在と共に。  
 
 
- * -  
 観音崎が俺の手にする文庫を見つめて頷く。  
「……そうか、そういう事か。班長さんの言う上位下位の世界とは、つまりこういう表現  
になるのか。そして長門さんはその本の既読者だったが故に班長さんの事を知っていた。  
そうだね?」  
「その通り。わかったかね茉衣子くん」  
「全然わかりませんわ」  
「ふむよろしい。ヒントは与えていたつもりだったが、これまたキミが消された後に話し  
たのかも知れんので教えよう。  
 私たちのいた世界には、私たちの世界に似た平行世界がある。同じ理屈で上位下位の世  
界も存在するのだ。例えばその小説。この世界の住人からすればその小説の世界は下位に  
あたる。この世界の人間がやろうと思えばいくらでも自分たちの気に入るようにその小説  
の文章を、つまり世界を書き変える事が可能なのだからな」  
 
「……ちょっと待ってください、班長。もしかして……あの本は、まさか……」  
 光明寺がそれに気づいたのか、俺の持つ本をまるで忌むべき対象物であるかのような何  
ともいえない表情で見つめてきた。  
「その通りだ。表紙に描かれている二人のイラストを見れば一目瞭然であろう?」  
 そう言われて俺は改めて表紙を見直した。観音崎は興味心身に、光明寺は覚悟を決めて  
俺が二人にも見えるように差し出した文庫本を覗き込む。  
 
 
 文庫本の表紙には、吸血鬼の扮装をした少女に抱かれる『黒衣の美少女』の姿が描かれ  
ていた。  
 ……後で光明寺にサインでも貰っておくか。これはハルヒの本だがな。  
 
- * -  
 その後も宮野の禅問答のような講座が続く。何を言っているのかちんぷんかんぷんだと  
なかば聞き流していた所で、俺の携帯にメールが届いた。  
 
『またね。by SOS』  
 
 なんだこりゃ。変な広告か間違いメールか? 俺が謎のメールに頭をひねっていると  
「連絡」  
 長門が俺に顔を向けながら告げてきた。どうやら長門の方に朝比奈さんたちからの連絡  
が入ったようだ。  
 
「トラブルは回避した。涼宮ハルヒはもう大丈夫……以上」  
 そんな長門の報告とほぼ同時に、目の前で繰り広げられていた《神人》との戦いも決着  
がついていた。崩れていく《神人》を、紅玉の光が大きく取り囲む位置で待機する。  
 
『みなさん、お疲れさまです。《神人》は無事に討つ事ができました』  
 耳につけたイヤホンから森さんの終戦宣言が伝えられる。これで一件落着のようだ。  
「うむ。中々に興味深い戦闘だった。《神人》とやらについてキミ達『機関』とやらの見  
解をぜひとも伺いたい所だが後にしよう。さてそこの少女よ、先ほどサラリと言ったトラ  
ブルとは一体なんだね」  
 宮野が長門を指差し聞いてくる。白衣を着ているのもあってまるで教師のようだ。  
 指された生徒長門は返事をする事も立ち上がることも無く、少しだけ顔を動かして海洋  
深層水を汲み出す深さの海の色のような瞳を宮野に向けた。  
「涼宮ハルヒの精神に想念体が寄生していた」  
 
 ……何だって?  
 
「涼宮ハルヒの体調不良とあの存在の顕在化は、涼宮ハルヒの精神に想念体が寄生してい  
たのが原因。こちらで想念体をあの存在から分離させた為、涼宮ハルヒ自身からも想念体  
が分離した。想念体は涼宮ハルヒの思考から一つの個体となって攻撃。その場で護衛して  
いたメンバーでそれを撃退。涼宮ハルヒは現在小康状態で眠りについている」  
 俺の与り知らぬ所でそんな事が行われていたとは驚きだ。  
 
「これが、この世界の既定事項。そして」  
 
 《神人》が倒れ、閉鎖空間が終焉を迎える。空にヒビが入り、鈍色の空間は砕け散った。  
 砕けた世界の破片の向こうに、現実世界で俺たちを迎え入れる一人の女性の姿が見える。  
 その麗しい姿をしたスーツ姿の女性は、長門の言葉に続けて告げてきた。  
 
 
「──そして、その既定事項を実行するのはあなたです。キョンくん」  
 集結した事態は、再起する。  
 
 
- * -  
・幕間  
 
 少しだけ先の話になる。  
 朝比奈さん(大)によって行われた時間移動の際、俺は何かを見た、ような気がした。  
 
 
 男子生徒は教室に似た一室でメガネを外し、窓の外を眺めながらタバコをふかしていた。  
 その部屋に一人の女子生徒が入ってくる。男子生徒は特に驚くでも取り繕うでもなく、  
そのままゆっくりと煙をのむ。  
「……珍しいですね。会長がそんなきついタバコを吸われるなんて」  
「たまにはな。騒がしい連中がいない時に限って、これを吸う事にしている」  
 会長はタバコの箱を放り投げる。女子生徒は受け取るとラベルを見つめ  
「涼宮ハルヒもSOS団も帰宅した、今の学校の状態ですか」  
 会長へ向けて優しく微笑みながら、女子生徒は自分のポケットへとそのタバコをしまった。  
 そんな視線にも会長は少しも微笑まず、振り向きすらせずにただ遠くを見つめてタバコを  
黙ってのんでいた。  
 
「さて、と。今日はもう閉めるか」  
「後片付けしておきます。会長」  
 そうかと告げて会長が女子生徒へと近づく。女子生徒は会長が咥えていたタバコを取ると、  
その開いた唇へ自分の唇をそっと交わらせた。  
 そのまま手に持ったタバコに気をつけながら軽く抱きつく。  
 ほんの数秒そうしてから会長から離れると、女子生徒は春の日だまりのような柔らかい暖  
かさを感じさせる微笑みを浮かべてきた。  
「匂い、落としておきました」  
「悪いな、喜緑。じゃ、後は頼む」  
「はい」  
 会長が部屋を後にする。残された喜緑は開いた窓に火の点いたタバコを掲げた。  
「……それとも、先ほどまで戦われていた友人への餞ですか」  
 喜緑は会長が吸っていたタバコをピンと器用に弾き、窓の外へと放り出した。  
 
 だが、弾かれたタバコは放物線を描くことなく──  
 
 
- * -  
 危ないところだった。もう少し遅ければ、完全に消滅していた。  
 その存在は静かに空間を漂う。  
 だが生き残った。今は無理でもいずれ自分は力を取り戻す。その時には……。  
<それは無理な話よ>  
 突然の精神干渉にその存在が静止する。対抗策を考えるも、全てが手遅れだった。  
<はい、これでアンタはおしまい。終劇。ジ・エンドよ。恥さらしなお兄ちゃん>  
 バカな、何故お前がここにいる。  
<そりゃ茉衣子ちゃんが頼るもう一人の存在ですもの。それじゃ消えちゃいなさいな>  
 精神干渉する声が別れの声を告げると同時に、制止させられたその存在に対して急速に  
接近する物体があった。  
 飛来する物体──喜緑の放ったタバコがその存在を貫く。タバコに残っていた火種がそ  
の存在に触れた途端その存在は一瞬にして焼失し、今度こそ完全に消滅した。  
 
<完全に消えたわ。ありがと>  
 窓からポイ捨てした途端にありえない物理法則が働き、あたかもロケット花火のごとき  
速度で空の彼方へと飛んでいった、『平和』の名を冠する吸殻タバコの行方を見つめてい  
た喜緑に対してどこからか声が掛けられる。  
「お礼は必要ありません、《黙示録[アポカリプス]》。わたしの今回の役目は後片付け。  
あなたのご助力があって、逃げた想念体を迅速に捉える事ができました。おかげで思いの  
ほか早く後片付けが済みましたわ」  
 喜緑が姿無き声に応える。  
<そう? でもまぁお礼ぐらいは言わせてよ。アイツを倒すのはわたしの使命っていうか  
宿命みたいなもんだった訳だし>  
「でしたらわたしもあなたにお礼を申し上げます」  
 窓の外に向かって、喜緑は静かに頭を下げた。  
 
<……さて、それじゃわたしも消滅しようかな>  
「あら、彼らみたいに留まらないのですか?」  
<まぁね。アンタみたいに思考が全く読めない相手がいるっていうのは、凄い魅力的よ。  
こっちの世界のユキちゃんや坊やもちょっかい出したら面白そうだし。  
 でも私にとってユキちゃんはやっぱアイツなのよ。そのユキちゃんがいない世界じゃ、  
面白さも魅力も半減以下に感じちゃうわ。  
 ま、そんな訳でわたしは消える事にするわ。それじゃ〜ね、宇宙人さん>  
 
 それを最後に軽げな声も、その気配も完全に消える。  
 喜緑は換気を終えた窓を閉めると荷物を持ち、夕焼けに染まる部屋を静かに後にした。  
 
 
 
 ──俺が見たのは、こんな風景だった。  
 
 
- * -  
・再起  
 
「それじゃ、過去に向かいます。酔わないように目を閉じてください」  
 帰りのバンの中で俺はこれからの事について説明を受けた。後はそれを実行するだけだ。  
 
「あ、忘れてました。時間移動の際は、携帯電話の電源をお切りください」  
 朝比奈さんの不意打ちに思わず笑ってしまったが、どうやら冗談ではないようだ。  
「この時代の携帯には時間の概念が組み込まれていませんから、同じ携帯電話が二つある  
と通信障害が起こっちゃうんです。ですから」  
 なるほど。過去の俺が取るはずの電話を、こっちの携帯で取ってしまう可能性がある訳  
か。俺は言われたとおり携帯の電源を落とすとポケットへとしまった。  
 
 ついでにもう一度持ち物を確認する。俺がみんなに渡されたのは全部で三つだ。  
 まず観音崎が呼び寄せた文庫本。これはハルヒのだ。本と友達を大切にする長門いわく  
「持ち主に返すべき」  
との事で、勝手に持ち出した文庫本を持ち出す前の時間に返却することになった。  
 次に光明寺たちから借り受けたリボン。これがあれば無敵の障壁が展開できる。ピンク  
に比べ青い方は障壁の力がやや落ちるが、代わりに念動力の力が付与されているらしい。  
 最後に長門が精製し宮野や光明寺が力を込めた、対想念体用の軍事用ナイフ。かつて俺  
が二度ほど襲われ、しかも一度は腹に刺された記憶まで蘇ってくるあの忌まわしきデザイ  
ンだが、その記憶はとりあえず封印しておく事にする。  
 まるで戦争だな。俺はいつからダイハードな人生を送るはめになったんだろうか。  
 
 目を閉じ朝比奈さん(大)の匂いを感じながら、地面が消失した感覚を覚える。  
 何度体験してもこれだけは馴れない。身体全体がシェイクされるような感覚が続き、何  
やら見たことあるような連中を遠くから眺めるような気分に陥り、そろそろ俺の三半規管  
がギブアップを告げようとした所で重力が正常にのしかかってきた。  
 
「お疲れさま、キョンくん。着きましたよ」  
 朝比奈さんの声に目を開けると、黄昏時だった世界は太陽光降り注ぐ昼となっていた。  
 同時に見覚えのある家が視界に飛び込んでくる。もう何年も慣れ親しんだ我が家だ。  
「……何で俺の家なんですか」  
「下校する涼宮さんと落ち合わない為です。それともう一つ」  
 朝比奈さんが玄関を指し示すと、俺の家を見上げている少女がそこに立っていた。  
 何を見ているのかと視線を追えば、俺の部屋の窓際ではシャミセンが少女の事を見つめ  
返していた。  
 シャミセンが俺に気づき顔を向ける。それに合わせて少女もこちらを振り向くと  
「始めまして。あなたがキョンさんですね」  
 見た事の無い制服を着た少女は優しく微笑んできた。  
 
「あんた……えっと、志賀侑里さんか? <シム>の」  
「はい。今し方キョンさんのお話を伺っておりました」  
 志賀が微笑んだままそっと手を差し握手を求めてくる。俺はそんな雰囲気に微妙に照れ  
ながらその手を握り返した。  
 ところで俺の話を聞いてたって、誰にだ? 妹も親もまだ帰ってきてないと思うが。  
 尋ねると志賀は「彼からです」と再度俺の部屋の方を向く。それに応えるように俺の部  
屋からシャミセンの短い鳴き声が聞こえた。  
「シャミセンさんからお話は伺いました。それにしても、本当に彼の言うとおりですの。  
 キョンさんが何故わたしの名前や、わたしの正体が<シム>である事まで知っていらっ  
しゃるのか、わたしはとても不思議に感じてなりません。  
 でも確かに、そんな不思議なキョンさんならわたしの事を何とかしていただけそうな気  
が致します」  
 日向ぼっこが似合いそうな微笑を浮かべ続けながら志賀が語ってくる。  
 
 ってシャミセンの言った通りだと? まさか……シャミセンの奴が喋ったのか?  
 俺は慌てて部屋のシャミセンを見る。シャミセンはというと既に我関せずといった様子  
で日向ぼっこに明け暮れていた。  
「その考えは違いますの。シャミセンさんが実際に言葉を喋った訳ではなくて、わたしが  
シャミセンさんの言葉を理解できただけです。ですからシャミセンさんは何も言葉を発し  
ておりませんわ」  
 猫の言葉を理解した……それは初耳ですが、それもまたEMP能力ってやつですか。  
「はい。……これはわたしの本来の能力ではありませんけれど」  
 志賀が少しだけ寂しそうにして微笑む。彼女自身の力でない、という事は彼女もまたこ  
のリボンのように誰かからその力をわけてもらったのだろう。  
 
「そろそろ時間です、キョンくん。涼宮さんの家に移動しましょう。あ、志賀さんもご一  
緒にお願いします」  
「はい」  
 朝比奈さん(大)は俺と志賀を伴い、近くの大通りでタクシーを捕まえる。いわくつき  
の黒塗りじゃない、ごく普通のタクシーだ。三人で乗り込み、朝比奈さん(大)の指示で  
俺たちはハルヒの家へと向かいだした。  
 
「キョンくん、そろそろ皆さんに頼まれた電話を」  
 ああ、そうでした。ですがどうやって掛けましょうか。俺の携帯は電源を切っちゃって  
いる状態なんですが。  
「キョンくんの携帯で大丈夫です。そろそろ向こうのキョンくんが携帯の電源を切ってし  
まうはずですから。そういえばどうして電源を切ったんですか?」  
 ああそうか。たしかあの時ハルヒの事をからかった後、電話が掛かってこないようにと  
携帯の電源を落としたんだった。  
「番号を教えてくだされば、その携帯が接続されているか調べてみますけれど」  
 志賀が隣から告げてくる。彼女が本来持っている能力はサイバーテレパス。コンピュー  
タのネットワークにインターフェースなしでダイレクトアクセスできる感応力だそうだ。  
その力を応用すれば携帯が繋がるかどうか調べることができるのだろう。  
 
 俺が番号を告げると、志賀がゆっくりと目を閉じる。  
「……大丈夫のようですの。その番号を持つ端末には現在接続できません」  
 ありがとう。俺は素直に礼を言うと携帯の電源をいれ、早速長門へと電話を掛けた。  
 
 
- * -  
「……長門か、俺だ。未来から来た。わかるか? 一時間ぐらい前に部室でお前を呼んだは  
ずだ。頼みがある。お前たちはこれから《神人》へ攻撃するはずだが、その場にはそこに  
いる今の俺を必ず連れて行ってくれ。そうしないと今の俺がここに立てない。そうなると  
ハルヒがやばいらしいんだ。だから頼む。  
 それともう一つ、機械仕掛けの神への鍵は本と光明寺だ。わかったか。  
 ……そうか、それじゃ観音崎に電話を代わってくれ」  
 
 
「……観音崎か。  
 ……俺はそこでお前の目の前にいるヤツだ。但し未来から来ている。証拠はないが、お  
前が光明寺に贈った一輪の花が証明してくれる、と未来のお前が言っていた。俺には意味  
わからんがこれで信じてくれるか?  
 ……わかってもらえて助かる。それでお前に伝えたい事があるんだ。  
 いいか、観音崎。お前にはEMP能力がある。お前が手品でごまかしている《物質をそ  
の手元へと召喚する能力》アポーツ。今のお前にはその力がある。  
 
 ……お前の能力は失われてない。お前の力は限定能力に変質したんだ。だから普段は何  
も手繰れなくなっただけなんだ。それが誰かによって望まれた必然だからだと未来のお前  
は言っていた。俺は知らんし意味もわからん。文句なら未来のお前に言え。  
 
 ……ああ。それでお前の力なんだが、さっきも言ったが俺にはよくわからんので言われ  
たままを言うぞ。お前の能力は変質した。無作為な物を手繰り寄せるんじゃなく、自動的  
になった。だから普段は何も起こらないんだ。お前が何かを手繰れたとしたら、それは全  
て必然的な行為であり、どんな物体であれそれは必ず何らかの意味がある。わかったか。  
 
 ……それともう一点。お前たちはこれから巨人を倒しに行くはずだが、それが終わった  
らお前たち二人のリボンをそっちの俺に渡して欲しい。それがこっちの俺に必要なんだ。  
 頼む。  
 ……それじゃ、薄笑いを浮かべてるキザ野郎に電話を代わってくれ」  
 
 
「……古泉か、俺だ。未来から来た。時間が無い、長門が信じてるんだからお前も俺を信  
じろ。信じないなら雪山の山荘、オイラー問題の前で俺に誓ったお前の言葉を一字一句そ  
のまま告げてやってもかまわないぞ。  
 ……宝探しをした鶴屋さんの山を覚えてるか。そこにこれから《神人》が現れる。だが  
その《神人》はいつものヤツじゃない。いいか、そいつは閉鎖空間じゃなく、こっちの世  
界に、俺たちの世界に直接現れる。  
 ……ああ、さっきそこで話し合われた想念体、そいつらが《神人》に取り付いたんだ。  
ハルヒの体調不良もそれが原因だ。  
 
 ……今すぐそこにいる全員で討伐に向かってくれ。そこにいる俺も、客人二人も連れて  
だ。『機関』にも連絡するんだ。  
 ただし、お前はこっちに向かってくれ。どうもこっちでもトラブルが起こるようで、そ  
の解決にはお前の力が必要らしい。  
 ……ハルヒの方へはこっちの俺も向かう。そっちは長門たちに任せろ。どうにかなるの  
はわかってるんだ。それじゃ、急いで来いよ……っと、もう一つ言うのを忘れるところだ  
った。そっちにいる俺に携帯の電源を入れろと伝えておいてくれ。それじゃ」  
 
 電話を切るとすぐに電源を落とし、朝比奈さんからの電話がこっちの俺に掛かって来な  
いようにする。これで俺が知る限りの伏線は張り終えたはずだ。後はこの俺がやるべきこ  
とをやるだけだ。  
 タクシーが一軒の家の前に止まる。俺は志賀と共に初めて見るハルヒの家を眺めていた。  
 朝比奈さん(大)が躊躇う事無く玄関の扉を開ける。  
 
「わたしが案内できるのはここまでです。……キョンくん、涼宮さんの事頼みますね」  
 
 俺にとっては二度目のトラブル。朝比奈さん(大)の願いを承諾すると、俺は志賀と共  
にハルヒの部屋へと向かっていった。  
 
 
- * -  
・承諾  
 
 ハルヒの部屋だと教えられた扉の前で一度深呼吸をする。まさかアイツの部屋にこんな  
形で入ることになるとは思いもしなかった。  
 気持ちを落ち着かせ、扉を開けようとドアノブに手をかける。と、同時に部屋の中から  
朝比奈さん(小)の切実な声が聞こえてきた。  
 
「キョ、キョン君! た、大変なんです! 涼宮さんが、涼宮さんが突然倒れて!」  
 何だって? 朝比奈さんの言葉に俺は勢いよく扉を開けて飛び込んだ。  
「朝比奈さん、ハルヒが倒れたってどういう事です!?」  
「凄い熱で、わ、わたし一体どうしたら……うひゃあっ!!」  
 ナース姿の朝比奈さんは携帯を掛けたままこちらを見て驚く。  
「……え、キョ、キョン君!? ええっ!? こ、これって一体……!?」  
 朝比奈さんが携帯を切り俺に話しかけてきた。  
 
 確かに電話をしていた相手が目の前に現れたら、通話を切って直接相手と話すのが普通  
の反応だろう。なるほど、あの時の大騒ぎの相手は俺だったのか。  
 時間移動したんだなぁと妙な所で納得しながら、俺は朝比奈さんにハルヒの事を尋ねた。  
「あっと、驚かせてすいません。それで朝比奈さん、ハルヒの様子は」  
「あ、え、そうです! 涼宮さんが倒れて! さっきまでは普通にベッドで起きていたのに、  
突然苦しみだして……どうしましょう、キョンくん……」  
 おそらくその倒れた時に《神人》が発生したのだろう。俺はハルヒに近づくと額に手を  
あててみた。  
「……熱があるな。朝比奈さん、氷嚢か氷枕、無ければ濡れタオルをお願いできますか」  
「は、はいっ!」  
 朝比奈さんが台所へと飛び出していく。俺はハルヒを見つめたまま後ろに立つ志賀に聞  
いてみた。  
「やっぱり想念体が原因か?」  
「言い切ることはできませんけど、おそらくはそうだと思いますの。このお方の潜在能力  
がもの凄くて、寄生している想念体の事が感じ取りにくいですけれど」  
 やはりそうか。そうなると、あっちの連中が《神人》に取り憑く想念体を倒すまでこの  
状態は続くという事になる。わかっている結果と言えど早いところ頼むぜ、光明寺。  
 
 とんとんという階段を上る音が二つ聞こえてくる。何で足音が二つなんだと扉を見ると  
朝比奈さんが古泉を引き連れて戻ってきた。  
「すいません、お待たせいたしました」  
 全然待ってない。むしろ早すぎだ。お前はどこでもドアでも持っているのか。  
「あのぅ……涼宮さんは《神人》さんのせいで病気になっているんですよね? それなのに  
古泉くんがこちらに来てしまっていいんですか? 《神人》さんは?」  
「さあ、僕には何とも言えません。僕は彼にこちらへ来いと呼ばれただけなもので。です  
が、未来から来た彼が言うのでしたら、僕は掛け値無しで彼の事を信頼します」  
「未来から……えええっ!? キ、キョンくんは未来から来たんですか!? どうしてですか、  
どうやってですか!?」  
 それは後でちゃんとお話します。それよりも朝比奈さん、今はそのタオルでハルヒの事  
を少しでも楽にしてやってくれませんか。  
 
 
- * -  
 朝比奈さんが洗面器に入った氷水でタオルを絞り、ハルヒの額に乗せる。俺はその様子  
を眺めながら、みんなに今回の全容を伝えた。  
「……では、その想念体が涼宮さんの体内にいる限り、涼宮さんはこの状態から回復しな  
い、そういう訳ですね」  
 ああ、そうだ。だが想念体がハルヒから追い出されるのは既定事項だ。何せさっきまで  
向こうのメンバーと一緒に《神人》討伐に参加してたんだから間違いない。  
「信じましょう。この時間では未来の事象ですが、お疲れさまと言っておきます」  
「でででも、キョンくんはどうやって未来から来たんですか? 前から不思議に思っていま  
したけど、キョンくんはどうして未来の事を知っているんですか?」  
 
 すいません朝比奈さん、それは『禁則事項』なんです。ですが朝比奈さんの知る未来か  
らの命令で俺は動いてるって事だけは言っておきます。間違ってもあのいけ好かない野郎  
の未来じゃありません。  
 俺の真剣な訴えに、朝比奈さんは少し残念そうに、でもいつもの様に宝石のような瞳の  
輝きと共に微笑んでくれた。  
「……わかりました。キョンくんの事、信じます」  
 それだけでやる気が倍増しそうなありがたいお言葉と共に。  
 
 
- * -  
「ご、ごめんなさいキョン君、わたし、慌てちゃって……。えっと、こっちは大丈夫です。  
 あ、その、涼宮さんは全然大丈夫じゃないんですけど。でも応援が来てくれました」  
 朝比奈さんが向こうの俺に電話を掛ける。俺がこちらにいる事については、向こうの俺  
には秘密にしておくように頼んでおいた。  
「はい。それとEMPの人も一人来てくれています。えっと、さいばー何とかって能力者  
だそうです」  
「サイバーテレパスですの」  
 志賀がにっこり微笑んだまま訂正する。朝比奈さん、向こうの俺に長門に変わってもら  
うよう伝えてくれますか。  
「あ、長門さんにかわって欲しいって言ってます……はい。あ、長門さんですか。こっち  
のキョンくんにかわりますね」  
 朝比奈さんが俺に携帯を回す。  
「長門か、俺だ。お前、インターフェース無しで地球のコンピュータネットーワークにア  
クセスできる力があるよな? それを利用して繋がってもらいたい人がいるんだ。今からそ  
の人に代わるから、どうすればいいのかはその人と相談して決めてくれ」  
 そういって電話を志賀に渡す。志賀は少しだけ戸惑うと  
「その長門さんってお方もサイバーテレパス能力者なのですか?」  
 厳密に言うと違いますが、ある意味それ以上の力を持ってます。  
 長門が本気を出せばコンピュータネットワークの全てを牛耳る事すら可能なはずです。  
俺が太鼓判を押すと志賀は頷いて電話を受け取り、長門とネットワーク接続を行う為の方  
法を話しあいだした。  
 
 ややあって、志賀がすっと目を細めて右手を天に伸ばす。くるりと手を回すと何かを掴  
み取るかのように手を閉じ、そのまま自分の胸元へ握った手を引き寄せた。  
「長門さんと接続しました。なるほど、キョンさんの仰るとおりですの。長門さんの力は  
わたしのサイバーテレパス能力を遥かに凌駕しています。長門さんが自分にフィルターを  
かけてくれていなければ、わたしは今頃情報過多を起こしていた事でしょう」  
 驚きを表しながらも志賀は微笑む。どうにも掴みがたい性格だが、とりあえず長門と接  
続できたのならよしとしておこう。  
 
 志賀が電話を朝比奈さんに戻す。  
「キョン君。こっちはわたしたちが何とかします。ですからキョン君は神人さんの方をお  
願いします」  
 そこまで言うと朝比奈さんが真剣な表情で俺を見つめてくる。そして。  
 
「……本当にお願いします、キョン君。涼宮さんを、助けてあげてください」  
 
 向こうの俺に伝えられたメッセージ。それは俺に対しても向けられていたものだった。  
 わかっています、朝比奈さん。俺は黙って朝比奈さんに頷き返した。  
 
 
- * -  
「涼宮さんに取り憑く敵の正体。そして想念体の変化。僕がこちらに呼ばれた理由……。  
 あなたが知る未来は先ほど語られたもので全てですか?」  
 志賀の件が一段落したのを確認してから、古泉がいぶかしみながら聞いてくる。  
 あぁ、残念だがこれで全てだ。想念体とどう対峙してどう倒せばいいのか。一番重要な  
未来は何故か俺には教えてもらえなかったからな。  
 
「さっき言われていた想念体の変化とその能力、それが理由でしょう。想念体の精神攻撃  
を受けた時に、情報が想念体に漏れる事を防ぐ為だと思います。ここは敵となる想念体の  
能力がわかっただけでも良しとしておきましょう」  
 古泉はそう言いながらハルヒの部屋の本棚から一冊の本を取り出し、ぱらぱらとページ  
をめくり出した。読むというよりは何かを探しているようだ。  
 
 ……そうか、なるほど。確かに想念体や敵の事をもっと知りたければそれが一番早いな。  
「ええ。この『学校を出よう!』でしたか、この本の中の存在がこの世界に出現している  
のでしたら、この本こそ彼らについて全ての答えが載っている賢者の石となるわけです」  
 古泉はハルヒの部屋にあった六冊の文庫本を取り出す。  
 と、その内の一冊の表紙を見て俺は持ってきたモノの存在を思い出した。  
 観音崎が呼び寄せ長門から返しておいてほしいと預かった『学校を出よう!』の六巻。  
俺は預かってきた本をポケットから取り出すと、他の六冊と一緒に置いた。  
 ついでに一緒に持ってきたリボンとナイフも取り出して机の上に置く。  
 
「ひゃっ! キョンくん、そ、その危なっかしいナイフは何ですか?」  
 朝比奈さんが抜き身のごついナイフに驚きの表情を浮かべた。あぁ、これは長門が作り  
出してくれた、対想念体の力を宿したナイフですよ。  
「敵をこのナイフで倒せと言うことなのでしょうか。……それでこのリボンは?」  
 古泉に示唆され、俺は二本のリボンについても説明する。完全防御のピンクのリボンと  
防御力はやや劣るが念動力付の水色のリボンだ。  
「なるほど。このリボンの防御障壁なら、想念体の精神攻撃も防げるというわけですね」  
 光明寺や宮野の言う事が本当ならな。防御壁が変化した想念体の力を退けられるのは既  
に立証済みらしい。  
「わかりました。まずはこのリボンとナイフを誰が持つか、それが最初の作戦ですね」  
 
 話し合いと実験の結果、ピンクのリボンは古泉が、水色のリボンは朝比奈さんがつける  
ことになった。そしてナイフは俺が預かる。  
 想念体へのアタッカーとして呼ばれた古泉は、おそらく戦闘時は単独行動になるだろう。  
そうなると古泉一人に対してリボンが必要なのは確実だ。残ったメンバーは戦力に不安が  
ある以上、ひと塊となって防御に専念する。ナイフは防衛手段だ。  
 朝比奈さんがリボン役に選ばれたのには二つの理由がある。朝比奈さんが持つ空間把握  
能力がずば抜けており、更に念動力と相性が良かったからだ。  
 時間と空間を指定して時間移動するTPDD、それを操るのに空間把握は絶対必須の能力な  
のだという。朝比奈さんは謙遜していたが、彼女の空間把握能力は正直言って普段のメイ  
ド姿なドジっ娘からは想像できないぐらい高かった。  
 そして思った場所へ物体を移動させる念動力についても、朝比奈さんは誰よりも上手に、  
そして確実に操ってくれた。今まで黙っていたのが勿体無いぐらい、人に誇っていい力だ。  
 
 
- * -  
「う……うああああっ! あああああああっ!」  
 ハルヒが突然苦しみだす。濡れタオルを交換していた朝比奈さんが驚き、ハルヒの肩を  
しっかりと捕まえた。  
「涼宮さんっ、どうしたんです! しっかりしてください、涼宮さぁんッ!!」  
「志賀、長門にハルヒの容態が変わったって連絡してくれ! 向こうで《神人》が動き始め  
たはずだ!」  
「わかりました。……はい、向こうでも《神人》が活動を開始したみたいです」  
「くうっ……うああ……っ!」  
 小さな声でうなされ続けるハルヒを見つめる。布団から落ちた手が何かを掴もうと動い  
ていた。俺はハルヒの手を握ってやる。妹が病気の時、こうして手を握ってやるとなぜか  
安心して眠りにつけるって言っていた。  
 
 もう暫く辛抱してくれ、ハルヒ。向こうでも長門や光明寺たちがお前の為に戦ってくれ  
ている。だからお前ももう少しだけ頑張ってくれ。なんなら俺のやる気を注入してやって  
もいい。体がぽかぽかして発刊作用が促進される効果か望めるのだったら、お前に取り憑  
く想念体だって参るだろうよ。  
 
 
「あっ」  
 ずっと小説を確認していた古泉が小さな声で驚く。どうした。  
「いえ、本が一冊消えてしまったものですから」  
 観音崎が本を呼び寄せたか。ならばもうすぐのはずだ。俺と志賀は朝比奈さんのそばに  
近づく。古泉も本を閉じて机の上に置きリボンをもう一度確かめた。  
 
「……来ます」  
 志賀の言葉と共にハルヒの身体が激しくのけぞる。やる気注入にと繋いでいた手がかな  
りの力で握り返された。  
「うあっ、あ、ああああああぁ─────────────ッ!!」  
 ハルヒの叫びと共に、全身から黒いもやのような物体が勢いよく放出される。霧散する  
かと思われたそのもやはやがて一つの場所へ集いだし、  
 
 
 そして、世界は一瞬にして暗転した。  
 
 
- * -  
・暗転  
 
 見渡す限り広大な砂漠が広がっている。  
 朝比奈さんはとっさにリボンの力でばりやーを展開してくれたらしい。朝比奈さんを中  
心にドーム型の障壁が展開されていた。そのまま朝比奈さんはしゃがみこみ、倒れていた  
ハルヒを抱きかかえる。ハルヒのそばにいた俺と志賀も一緒のドームの中だ。  
 古泉のほうも障壁を展開したらしく、同じようなドームの中にその身を置いていた。  
 
「カマドウマの時を思い出す光景ですね、これは」  
 古泉は辺りを一通り見回した後で右手を前に伸ばす。すると古泉の手のひらに紅玉の光  
が生まれ始めた。《神人》相手に使う力の縮小版で、これもカマドウマ戦の時に見られた  
現象と同じだ。  
 古泉がアンダースローで紅玉の弾を投げる。紅玉は障壁をすり抜けて飛び出し剛速球と  
いう名に相応しい速度で飛んでいくと、距離をおいて存在していた黒いもや──想念体に  
ヒットした。  
 爆煙と砂煙があがり想念体の姿を隠す。来るぞ古泉。障壁だけは絶対に消すなよ。  
「わかっています。精神を乗っ取られ操られるなんて想像しただけでごめんですからね」  
 
 ハルヒに取り憑いていた想念体は、分離する前にハルヒの記憶を読み取っていった。  
 そして奴は、自分の世界において最強と思われる人物の姿とEMP能力を手に入れる。  
 
 
「──随分と激しい歓迎ですね。これがこの世界での歓迎方法なんですか?」  
 声と共に爆煙が一瞬にしてかき消される。そこに黒いもやは無く、代わりに一人の青年  
が古泉のような爽やかな微笑を浮かべて空中に立っていた。  
 古泉の力を食らって無傷かよ。光明寺たちに言われたとおりでたらめな奴のようだ。  
 
 『学校を出よう!』作中最大最強の難敵。  
 火炎能力、精神干渉能力、迷彩移動能力など数々の能力を持ち合わせるEMP能力者。  
 宮野を始めとしたメンバーが総力をあげて戦っても全く動じなかった男。  
 
 
 想念体が自らを変異させ形成した<シム>。  
 それは《水星症候群[メルクリウス・シンドローム]》の二つ名を持つEMP能力者、  
抜水優弥の姿をとっていた。  
 
 
- * -  
「どうやら自己紹介の必要は無いようですね。どうぞ僕の事は優弥と呼んでください」  
 ああ必要ないぜ、優弥。だから俺から尋ねるのは一つだけだ。  
「何でしょうか」  
 お前は想念体からめでたく意思を持つ<シム>になった訳だ。それならもうハルヒの事  
を苦しめず、俺たちにも干渉しないでどこか遠いところで適当にのほほんと慎ましげな隠  
居生活を送ってくれないだろうか。  
 そうしてくれるなら俺たちはお前に何もしない。どうだ。  
 
「……そうですね。EMPという能力も概念も存在しないこの世界では、僕の本来の目的  
である『EMP能力について世界へ公開する』なんて全く意味が無い事ですしね」  
 優弥は額にこぶしを当てて考える仕草をとる。だがそれも少しの間で  
「ですがお断りします。僕は保証が無い事は信用しない事にしていますので」  
「その保証を得る為に涼宮さんの力を使おうというのですか」  
「ええ。どうせでしたら彼女の力を使い、僕たち<シム>や想念体にとって住みやすい世  
界にした方がいいじゃないですか」  
 古泉が新たな紅玉弾を生み出す。ハルヒを刺激し力を狙う以上、古泉の『機関』にとっ  
ては完全に敵となる存在だろう。そしてそれはこちらのお方にも言える事だ。  
「そ、そんなのダメです! 涼宮さんは、そんな風に誰かに利用するとか、されるとかって  
言う存在なんかじゃありません!」  
 朝比奈さんの言うとおりだ。ハルヒは単なる北高の一生徒で、何故か常に俺の後ろに存  
在するクラスメートで、俺たちSOS団のはた迷惑なリーダーとして君臨し続ける存在、  
ただそれだけの奴だ。  
 だからそれ以上の何かをハルヒに求めるな。そんな事は俺が許さん。何せ誰かがハルヒ  
の力を求める度に、高い確率で俺が貧乏くじを引く運命にあるらしいんでな。  
 
「主張は素晴らしいですが、それは結局のところあなたたちの都合の良いように彼女を利  
用したいだけなのでしょう? あなたたちが望む世界、望む未来を手に入れるために。あな  
たがたのその行為、彼女を狙う他の存在とどう違うというのです?」  
「違います。少なくとも僕たちは涼宮さんの事を第一に考えて動いています」  
 古泉がきっぱりと言い返すが、優弥はそんな古泉に蔑んだ笑いを見せる。  
 
「彼女を第一に、ですか。それは素晴らしい決意です。ならば彼女がこの世界に絶望し、  
心から切実に望み実行した世界改変を、そこの彼を使ってまで食い止めたのはどう説明す  
るのですか? あなたたちはあの時、自分たちが望んだこの世界が消えないように、つまり  
自分自身の保身の為だけに彼女の改変を望んだ意思を握りつぶした。違いますか」  
「な、何でそれを知っているんですかぁっ!?」  
 朝比奈さんの驚きはもっともだ。だがおそらく優弥は想念体の時にハルヒの記憶を見て  
あの五月の閉鎖空間の事を知り、そこから予想してみただけだろう。  
 
「違わねえよ」  
 俺はぶっきらぼうに返す。そうだ、俺たちだってやってる事は他の連中と同じだ。だが  
俺はハルヒの力を利用しようとした訳じゃない。ハルヒに知ってもらいたかっただけだ。  
 世界を改変なんかしなくったって、楽しいことばかり起こる世界なんか作らなくたって、  
この世界は十分に楽しいって事をな。それでもまだハルヒが世界を改変したいって言うん  
だったらその時は勝手にしろと言いたいね。  
 
「ふふっ……流石ですね。彼女がこの世界の誰よりも高い評価を与えている人物だけはあ  
ります。能力が全く無い能力者という部分も含めて、まるで彼のようですよ。  
 彼と同じ評価をあなたに対して下すとするなら、あなたという存在こそが、涼宮さんを  
手に入れる為の最大の障害となるのでしょう。ですから」  
 優弥が両手を合わせる。その手の間に小さな火が生み出された。  
「申し訳ありませんが、あなたを排除させてもらいます」  
「そうはさせませんっ!」  
 古泉が優弥の行動に真っ先に反応し紅玉弾を投げるが、紅玉弾は優弥に届く五メートル  
程前で軽い音と共にあっさりと消失してしまった。しかし古泉も負けていない。一発投げ  
て様子見なんて事はせず、紅玉弾を次々と生み出しては優弥目掛けて投擲していた。  
 まるで少年向けの格闘マンガ状態だ。  
 
「なかなかに面白い能力を持っているようですが、それだけでは僕は倒せませんね。なん  
でしたら無駄無駄無駄と叫んであげても構いませんよ。ふふっ……さて、防戦一方なのも  
面白くありませんし、こちらも攻撃を始めるとしましょうか」  
 紅玉弾を全て打ち消しながら、優弥は両手をそっと開いて小さな火を地面に落とした。  
 火が地面に落ちた瞬間、激しい業火となって俺のほうへと襲い掛かる。  
「ひ、ひえぇ〜〜〜〜〜っ!! うひゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」  
 朝比奈さんが叫ぶと同時に防御壁の輝きが増し、炎を完全に受け止めた。  
「高崎若菜さん、そして春菜さんの防御障壁ですか。なるほど、それなら僕の精神干渉も  
火炎攻撃も無効化できます。まさに天敵のような力ですね」  
 優弥は人当たりの良い笑顔を浮かべて褒め称えてくる。その仕草や表情を見ているとま  
るで古泉が二人いるようにさえ感じる。実は生き別れの兄弟なんじゃないのかお前ら。  
「冗談でしょう? 僕はこんなに腹黒くはありませんよ」  
「同感ですね」  
 無数の紅玉弾が裕也に襲い掛かり、紅蓮の炎が古泉を飲み込む。しかしどちらも相手に  
全くダメージを与えていなかった。  
 
「朝比奈さん。優弥の動きを念動力で捕まえることはできますか」  
「や、やってみます。え、えりゃ────っ!」  
 ハルヒをひざに抱いたまま、朝比奈さんは両手を伸ばして優弥に力を使う。  
「おやおや、おいたはいけませんよ。それと、あまり念動力に集中していると」  
 ピシッ。周りの障壁に小さなひびが入る。だめだ、このままじゃ破られる。  
「ひゃあっ! キョ、キョンくん、どどどどうしましょう!?」  
「念動力はいいです! 朝比奈さん、壁だけに集中してください!」  
「わかりましたぁ!」  
 朝比奈さんが障壁のみに集中を始める。ひびはあっさりと消え、障壁はその絶対的な力  
を取り戻した。  
 
 旗色が悪い。こちらは防御こそ優弥以上のスペックを出しているが、古泉の攻撃があそ  
こまで無効化されては攻める手立てが全く無い。ナイフを持って突撃しようにも、優弥は  
瞬間移動か迷彩化か、とにかくこちらに気づかれず移動することが可能だと聞いている。  
 そんな奴をいったいどんな手で倒せというのか。  
 
「通信です。キョンさんに」  
 志賀が小さく告げる。どうやらこのピンチに長門が救いの手を差し伸べてくれたようだ。  
「いえ、違います……発信者はSOSとなっています」  
 SOS? 最近どこかで聞いたような名前だが、それにしてもいったいどういう事だ。  
 長門以外で志賀を通じて俺にメッセージをよこしてきた奴がいるっていうのか。俺は頭  
を抱えながらも志賀に内用を促した。  
「えっと、『幸せかしら』……それだけです」  
 
 幸せかしら……SOS? 何がなんだかさっぱりわからん。いったい何なんだ。  
 この絶体絶命の状況を見て幸せだと言える奴がいたらどうか挙手をお願いしたい。  
「まぁ、コイツなら言いそうだけどな」  
 俺は後ろで朝比奈さんに抱きかかえられっぱなしのハルヒを見つめる。想念体が身体か  
ら出て行ったことで多少は苦しさが緩和されたようだ。だが、相変わらずうなされた状態  
は続いている。ハルヒの幸せはまだまだ遠いようだ。  
 
 
 ──ハルヒが、幸せ?  
 
 ふと思い出す。待て、昔どこかでそんなような言葉を聞かなかったか?  
 アレはどこで、そして誰から聞いた?  
 
 
- * -  
「そろそろ彼女を僕に渡してくれないかな。分の悪い千日手だと言うことは君たちにもわ  
かっているはずだよ」  
「どうですかね。時間がたてば不利になるのはあなたの方ですよ」  
「機械仕掛けの神でも待つつもりかい? 無駄だよ、この空間には誰も入ってこられない。  
通信するのがやっとのはずさ」  
「通信できるという事は完璧な閉鎖空間ではない証拠です」  
 古泉と優弥が相手を挑発しあう。その間も紅玉弾は撃たれ、炎は燃え続けていた。  
 機械仕掛けの神。優弥の元となる想念体、その《神人》に取り憑いていた方はまさにそ  
のせいで敗北した。  
 長門によって呼び出された機械仕掛けの神、新たな<シム>によって。  
 
「その方法で向こうでの危機を回避できたのでしたら、こちらにも機械仕掛けの神、つま  
り<シム>を呼び出すと言うのはどうでしょうか」  
 志賀が告げてくる。そう簡単に言うが、あれは長門だからできた事だろう。  
「そうでもありません。確かに<シム>を生み出すにはEMP能力、ないしそれに准ずる  
力が必要と思われます。ですが先ほどから空間的にその条件が満たされているような気が  
するのです」  
 空間的に条件が満たされている……そういえば長門も言っていた。  
 
『世界は今、涼宮ハルヒの力によって<シム>が生み出せる状態になっている』  
 
 長門と志賀の意見を合わせるならば、作ろうとさえ思えば俺でも<シム>を生み出す事  
が可能なのだろう。さらに考えるならば、長門があえてその事実を俺に語ったのは、俺に  
対して暗に<シム>を生み出せと伝えたかったのではないだろうか。  
 
 だが<シム>を生み出せるとして、誰を、または何を生み出せばいい。  
 優弥の繰り出す炎をかいくぐり、精神攻撃を受け付けず、潜伏行動を見破れる存在?  
 そんな人智を超えた規格外的な存在、まさに機械仕掛けの神と呼ぶに相応しい存在など、  
俺には思い当たる節が──  
 
 
 ──長門と、アイツしかいなかった。  
 
 
「朝比奈さん、お願いがあります。次に古泉が攻撃したら、俺の合図で……」  
「ええっ!? そんな、どうしてですかぁ!?」  
 それはやってもらえたらわかります。とにかくお願いします。  
「は、はぁ、わかりました、やってみます」  
 朝比奈さんに期待しつつ俺は眠りっぱなしのハルヒを見つめた。ハルヒが未だに苦しん  
でいるのは、きっと優弥が何かしているからなのだろう。  
 だったら何が何でも優弥を倒すしかない。  
 
 ハルヒの手を握り、俺は小さく耳に告げる。  
「<シム>を生み出す方法だなんてどうすればいいのか、正直言って俺には全くわからん。  
 ……だからお前の力を借してくれ、ハルヒ」  
 
 ハルヒを志賀に託し、俺は立ち上がると持っていたナイフを構える。成功する自信なん  
て全く無いがやるしかないだろう。  
 このままじゃジリ貧なのはわかっている、ならばここからは現場の判断って奴だ。  
 そうだったよな『SOS』、いや『505』の住人さんよ。  
 
 
 事態は終結する。  
 
 

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