タイムトラベルという現実とはほとほと掛け離れているはずの物も、今の俺にしてみれば三等親ほどの親密さで  
定期的に顔を合わせる程にまで近しい物になりつつある。  
 まったくもって非現実的も甚だしい話だが、これに嘘偽りなどは雀の涙ほどもありはせず、いつしか俺はそんな  
非日常を楽しいと感じる程にまで深く受け入れていた。  
 そんな俺にとっても、一般的常識範囲内での時間的イベントというものは存外、楽しいもんであり、何だか心和む  
ものでもある。  
 もしかしたら何処かで、未来の自分に向けて並々ならぬ期待や希望をペンに込め、便箋にはみ出さんばかりの  
叱咤激励メッセージを書き上げている人々、あるいは地中浅くに埋められたそんなメッセージを掘り返し取り出し  
堪能しているさなかの人々が、今も現在進行形で居るのかも知れない。  
 つまり、千言万語な説明に至ったが、ほれ、あれだ。  
 タイムカプセル。  
 冗談にも尋常とは言い難い三半規管への負荷を耐え忍ばなければならないような事もなく、加えて、三年間寝た  
きりじじいになる必要性もこれといって見当たらない健全たるイベントだ。  
 つまるところ、全一般人に対し平等に参加資格が降り注ぐ時間的イベントという訳である。  
 今回の話において、それがさほど重要な事柄という訳ではない。ないが、それが今回のスタート地点である為、今  
しがた述べた前置きを妥当だと主張したところで、そうそうブーイングは起こるまい。  
 そして、そんなことをしようと言い出しそうな奴は俺の周りでは一人以外いるはずがなく、その一人というのは  
もちろん、我らが団長、涼宮ハルヒその人である。  
 
 
 
「あんた手ぶらみたいだけど、まさか何も入れないなんてことはないわよね。ほんとにそうだったら、タイム  
カプセルと一緒にあんたも仲良く、有機栄養素たっぷりの地中に冬眠させてあげるから」  
 ハルヒが俺の鼻の数センチ近くまで指を伸ばして俺を差し、宣言した。  
「安心しろ。大人になったお前があまりの感動の涙で鶴屋山に液状化現象が発生するほどの物を埋めといてやる」  
「……ふーん。ま、楽しみにしといてあげる。開ける時のね。どうでもいいけどあんた、液状化現象の意味間違って  
るわよ」  
 ほっといてくれ。  
 
 俺は今SOS団正式メンバーと共に、ご開帳が何年後かすらも決められていないタイムカプセルを埋めるという、  
いかにもハルヒが考えそうな提案を遂行すべく、鶴屋さんの所有地であるところの、山と言うには低く、丘と言う  
には高いあの山を登山中である。  
 そう、朝比奈さん(大)のおつかいやバレンタインの為に、さんざん往復させられた忌まわしき地だ。  
 もちろん、ハルヒは俺がバレンタイン時以外にここを訪れたことなど知る由もなく、俺より往復回数が少ない  
為かピクニック気分で満面の笑顔と共に軽快なステップを踏んでいる。  
   
 さて、先ほど口から出た「SOS団"正式"メンバー」という言い方についてだが、これにはちょっとした理由が  
ある。  
 ここら一帯が鶴屋さんの所有地である手前、使用の許可を得るついでに鶴屋さんにも誘いを入れてみたところ  
快く承諾、つまりSOS団の輪の中に組み込まれる事になった。だが、直前になって何やら急用が出来たらしく、  
急遽キャンセルする旨を鶴屋さんは名残惜しそうに俺たちに伝えるということになった訳だ。  
「残念無念っ。キミたち、適当に埋めといてくれっかなっ!」  
 というわけで、プレゼンティッド・バイ・鶴屋をハルヒが受け取り、俺たちが持参した物と共にそれも埋めること  
となった。この場合の「プレゼント」は発表を意味するもんだったか? まあ、どっちでもいい。  
 俺は若者たちの言葉の乱れについて思慮を巡らせつつ、前を行くとんだトラブルメイカーの後ろ姿を眺めながら  
重い足を引きずっていた。  
 
「朝比奈さんは何を入れるんですか?」  
 俺は重い足が多少なりとも軽くならないかと、神々しさ溢れる地上の天使に話し掛けてみた。  
「わたしはですねー。このお手紙と、あと……え、えーと。あああとは女の子の秘密ですっ」  
 朝比奈さんは人差し指を唇に当て、それはそれは意味深なことをおっしゃった。  
 何やら思考が官能的な方向にシフトしてしまったのは、少なからず俺だけではないはずだ。  
「タイムカプセルというのは、そういうものですよ。僕もこれ以外の物は開ける時までみなさんには秘密です」  
 古泉は一枚の紙切れを片手に持ち、ヒラヒラとさせている。  
 何かやけに黒丸の目立つ紙だな。パンダの模写か何かか?  
「解ってたけど、バカじゃないのあんた? 何でタイムカプセルにそんなもん入れるのよ。画家志望の幼稚園児  
だって、もっとマシなもん入れるわよ」  
 もっとも幼稚園児がパンダの模写なら、十分に妥当な線だと思うんだが。  
 それはとにかく、今の議題はまがいなりにも一介の高校生として営んでいる古泉についてだ。  
「これは、これまでにあなたと対戦した数々のゲームの勝敗表ですよ。僕としては思い出深い物です。もう少し  
白丸を増やしてからにしたかったのですが」  
 古泉はいつものように肩を竦める。この仕草を見るのは、もうあまつさえ三桁にも上るのではないだろうか。  
 それはともかく、安心しろ。これ以上そのパンダに白丸が増えるかどうかなんてことは、お前のゲームの腕を  
考慮すればおのずと答えは見えてくる。今入れておいて正解だ。  
「あなたの"やれやれ"も三桁ほど耳にしているように思えますけどね」  
 ここは懸命にスルーして、俺は長門の傍に並んで立った。  
「長門、お前も何を入れるのかは教えてくれないのか?」  
「教えない」  
 長門は、両手で大事そうに持っている立方体の小箱をカタカタといわせている。非常にシュールな光景だ。  
「まさか、本だとかいう誰しもが考えそうな物じゃないだろうな……」  
「……そう」  
 こいつにしてみれば未来の自分なんてもんは、「わたしの異時間同位体」以外、何の感慨も持たないのだろうか。  
 だとしてもだな、もうちょっと捻った物でもよかっただろうに。  
 長門らしいっちゃあ長門らしいのかもしれんが。  
「でも安心して。本以外の物も入れてある。楽しみにしておいて」  
 そうか。そりゃ楽しみだ。  
 だが、まさかと思い一応言ってみることにする。  
「まさか、大量の栞だとかいう……」  
「正解」  
 偏頭痛が襲った。  
「まだ入れてある物はある。楽しみにしておいて」  
 わかった。もう何も訊くまい。  
 俺は傍から見れば小旅行に行くのかと思われそうな大きさのバッグを肩に掛け、手ぶらのハルヒの方に目を  
やった。俺が渋々と抱えているのは言うまでもなく、そう、ハルヒが持参したバッグだ。  
 やれやれ、まったく。こんなに大量に何を埋めるつもりなんだか。  
「で、ハルヒ。このバッグには何が入ってるんだ?」  
 だが、いかんせんこの流れだと、ハルヒも俺に教えるつもりは毛頭ないのだろう。  
 わざわざ罵倒を浴びせられる為に訊くのもどうかと思ったが、つい口が滑ってしまった。  
「この流れで本当に教えてもらえるとでも思ったんなら、あんたの脳はもうミジンコ以下よ。いえ、虫に例えるのも  
おこがましいわ。植物よ。トールフェスクだわ」  
 どうやら俺は、ハルヒにとって牧草と同等の存在らしい。せめて動物にしてくれ。そうだな、甲殻類ならお前の  
蹴りから身を守れそうだ。  
「ま、それでもいいわね。あんたは蟹ってことにしといてあげる」  
 何だかやたらと楽しそうに言うハルヒ。そんな風に言われると、蟹でもいいと思ってしまう自分が恐ろしい。  
 何というか、最近はこいつが無意味に高いワット数の蛍光灯のごとく楽しそうにしているのを見ると、まあ余計  
な口出しはしないでおくかな、なんて思ってしまったりするのは、俺だけの秘密だ。  
 こいつのあり余るエネルギーの根源は、やっぱりあのとんでもパワーにも関係してるのかね。  
   
 そう、とんでもパワー。ハルヒの能力。  
 今回の話の発端は一週間前に遡る。  
 その時のことを少し語ろう。  
   
 
 一週間前。昼休み。  
 俺は先日、長門の数あるブックコレクションの中から俺程度の脳でも理解可能であろう物を見繕ってもらい、  
珍しくも読書という俺らしからぬ行為に没頭していた。  
 ようやく読破まで漕ぎつけ、俺は長門が普段読んでいるものと比べ三分の一ほどの厚さの文庫本を閉じる。  
 いい具合にちょうど昼休みだ。返しにいくか。昼休みなら、まず部室にいるだろうしな。  
 別に放課後にまた部室で会うことになるし、取り入って今返さないといけない訳でもないのだが、たまには部室で  
悠々と昼休みを過ごすのも悪くはないだろうと思い、一路旧館を目指し教室を出た。  
   
 コンコン。  
 いつものように軽くノックをする。  
 だが、しかし、  
「どうぞ」  
 三点リーダではない、俺の予想に反した答えが返ってきた。  
 その声には聞き覚えがあり、事件の匂いをプンプンさせる声なのだが、ここで引き返すのは流石にあれなので  
俺は扉を開けることにした。  
「久しぶり……でもないかな」   
「そうですね」  
 窓際の見慣れた団長席のすぐ後ろに、見慣れつつあるOLルックの朝比奈さん(大)が凛と立っていた。  
「なんだかんだ言って、けっこう会ってるね。わたしたち」  
 何だか友達以上恋人未満的な関係にあるかのような台詞だ。  
「ですね。実際、まだ二桁を数えるほども会ってないってのに、俺もしょっちゅう会ってる気がしますよ」  
「わたしは毎回、キョンくんに会えるの嬉しいわよ。ふふっ。可愛いし」  
 朝比奈さん(大)は微妙に照れたような仕草を見せる。  
 いえいえ、例えそこに長門の保障があったとしても、誓ってあなたの方が可愛いでしょう。そこは譲れません。  
「長門にはまた席を外してもらったんですか?」  
 俺は無表情な美白宇宙人の顔を思い出しながら訊く。  
「いえ、今日は最初から居なかったわ。わたしがいるのに気付いて、来なかったのかもしれないわね。なんか悪い  
ことしちゃったかな」  
 朝比奈さん(大)は人差し指を頬に当て、少し上を向いて言う。普通ならブリッコ極まりない仕草だが、この朝比奈  
さん(大)の場合は、例えばハルヒがK−1に出場するくらいさまになっているのだからたいしたもんだ。  
「で、今回は俺に何をさせるつもりですか?」  
 俺は早々に本題に入ろうとした。  
「なんだか、ちょっと冷たい言い方だなあ……」  
 最近、俺はどうもこの朝比奈さん(大)に対して微少の猜疑心を抱いてしまう。態度に出すつもりは毛頭なかった  
のだが、どうやら無意識の内に出てしまったようだ。ミスった。  
「あのね、今回はキョンくんに何か仕事をしてもらうってわけじゃないの。……いや、もしかしたら、してもらう  
っていうか、することになっちゃうかもしれないんだけど……」  
 後半になるにつれ、徐々に声が小さくなるデクレッシェンドで朝比奈さん(大)は呟く。  
「じゃあ、またヒントとかそういうのですか?」  
「そうね。そんな感じかな。あのね、よく聞いてね……」  
 朝比奈さん(大)はスッと軽く息を吸い込み、  
 
「今日から二週間後の午後七時十五分、涼宮さんの力は封印されます」  
 
 俺の目を真っ直ぐに見据え、朝比奈さん(大)は宣告した。  
 
 え? 何だって?  
 封印とか何とかって。俺の聞き間違いでなければ、確かにそう言ったはずだ。  
 マジかよ。なんてこった。  
 あろうことかハルヒのとんでもパワーが消えるとは。お前もめでたく俺と同じ一般人の仲間入りだなハルヒ。  
 ん? いや、まて、今"封印"って言ったよな?  
 消滅ではなく封印。  
 誰かの仕業ってことなのか?  
「涼宮さん自身の無意識によって、力が封印されるの。そこには誰の介入もないわ」  
「そうですか……。ハルヒの力が弱まっているとは聞いていましたが……」  
 以前、古泉が言っていたことを思い出す。  
「うん、でもね、封印だから消えちゃうわけじゃないの。もしかしたら何らかのきっかけで、また力が解放される  
こともありえるの」  
「てことは、一時的なものなんですか?」  
 朝比奈さん(大)はふるふると顔を横に振りながら、  
「ううん。よほどのことがない限り、もうずっと封印されたままになるわ」  
 ……いや、何というか。もちろん、世界が安定するわけであり、それは喜ばしいことに相違ないのだが。  
「うーん。なんだかあまり驚かないのね」   
「いや、十分驚きましたよ。……でも、何というか」   
 そう、喜ばしいことには違いないのだが……。  
 この非日常的な日常を楽しいなどと、まがいなりにも俺の脳がそう判断しているのはもうすでに認めている。  
 そんな俺にとっては、やはり、そうだな。ちょっとは寂しいと思うもんさ。  
「わかりました。で、何が起こるんですか?」  
 おそらく、これは禁則事項とやらに該当するだろうと思いつつも一応訊いてみた。  
「ごめんなさい。詳しくは言えないの」   
 朝比奈さん(大)は少し顔を俯けて言う。予想通りの答えだ。  
「あのね、二週間後までに、あなたやSOS団にとって大きな分岐点が訪れるの。その分岐方向によっては、あなた  
は涼宮さんの力が封印される日を絶対に忘れちゃダメなの」  
 絶対に、ですか。つまり俺にとっては、とんでもなく壮大な厄介事になると思って差し支えないですね?  
 忘れちゃってもいいでしょうか、なんてことを俺が言えるはずもなく、  
 朝比奈さん(大)は、あとね、と付け加えて、  
「これは、キョンくんだけの胸に仕舞っておいて欲しいの。他言は厳禁。ほんとはね、キョンくんにもこの事を  
伝えるのは許されなかったの。今言った分岐点っていうのは、わたしのいる未来全体にとっては全然重要ではない  
こと。そういうことをむやみに過去に教えるのは禁止されてるの。ううん、もちろんこの時代のわたしにとっては  
重要よ。あなたやSOS団にとってはとても重要なこと。だから、どうしても伝えたかったの」  
 ぐっと手に力を入れて、俺に熱弁する。  
 正直、さっきまで猜疑心オーラ全開でしたなんて、とても言えたもんじゃない。すいません朝比奈さん(大)。  
 俺は軽い自己嫌悪に陥りつつも、朝比奈さん(大)の言葉に耳を傾け続ける。  
「キョンくんに伝える許可を取るために、すっごくがんばったんだから。なんとか、キョンくん以外には知られない  
ようにするって条件で許可してもらったの。だから、他の人に言っちゃダメだからね」  
 と言いつつ、両朝比奈さん十八番のウィンクが飛んできた。稀に見る直撃してしまいたい類の遠距離攻撃。  
「わかりました。絶対に言いません」  
「ありがとう。頑張ってね、キョンくん」  
 いつものことです。何とか頑張ってみましょう。結果は保証しかねますが。  
「……ちょうどタイムリミットだわ。じゃあ、そろそろ帰るわね。じゃあね、キョンくん」   
 長い髪をふわっとなびかせて後ろを振り向き、朝比奈さん(大)は扉に手をかける。  
「あ、ちょっと待って下さい。ヒントは……」  
 危うくも大事なことを聞きそびれるところだった。  
 そう、これを訊いておくかおかないかで、致命的な状況を打開できる可能性が大きく変わる。  
「そうねえ……。ふふ、もうすでに言ってあるはずよ」  
「……え?」  
「じゃあ、もう行くわね」  
 俺に訊き直す間も持たせず、朝比奈さん(大)は言うが否や颯爽と部室を出て行った。  
 
 すでに言ってある?  
 そこまで注意して聞いてないですよ朝比奈さん(大)。ボイスレコーダーでも用意すべきだったかもしれん。  
 まあ、解らないものは仕方がない。案外、その時になって追い詰められると、ふと閃いたりするもんだ。  
 だが悲しきかな、俺の脳が一休さんの数十分の一ほどのスペックだという事実は、俺自身がよく理解している。  
 そんな俺の低脳さを悲観しつつも、俺はまだこの時は楽観的に考えていた。  
 俺の予想を遥かに上回る事態に陥るなど、思いもせずに。  
   
 これを言うのは二回目になる。だが、もう一度言っておく。  
   
 それは、俺にはちっとも笑えないことだった。  
   
 
 
 
 
 
 
 朝比奈さんの宣告から一週間後。  
 つまり、現在。  
 話を元に戻すことになる。  
 
 俺たちの登山はようやく終盤を迎えようとしていた。  
 俺がピラミッド建設の為にどでかい石を運ばされる奴隷の気分で、バッグを持ちながら重々と足を動かしている  
のとは対照的に、そのまま自転車に乗せれば空を飛んでしまうのではないかというほど軽快にスキップをしている  
ハルヒが、  
「見えたわ。確かあの石だったわね」  
 ようやく目的地が視界に入る。そう、俺がせっせと西方向へ三メートル動かしたあの石の場所だ。  
 ハルヒが、いの一番に到着。言うまでもない。生粋の体力に加え、なんせ手ぶらだ。  
 そしてハルヒに数十秒ほど遅れ、俺もようやく鶴屋山の制覇を果たす。  
「前よりも数倍遠かったような気がするぜ。……ああ、このバッグか。この重いバッグなんだな。違いねえ」  
「……あんた、この数十分の間で、何かすんごく性格が曲がったような気がするわ」  
 ハルヒは、蔑みを含んだ哀れみの目を俺に向けてくる。それこそ谷口を見るに同等の目だ。  
「マジで重いぞ、このバッグ。何の修行だ。SOS団が運動部になった覚えはないんだが」  
「何よ、使えないわね。それに、SOS団が"運動部"なんていうちゃちな枠で括られるわけないじゃないの」  
 そりゃそうだ。こんな怪しげな団体が部として認められようもんなら、まず俺は早急に生徒会連中や教師たちの  
思考回路を疑わねばなるまい。  
「とりあえず、マジで疲れた。ちょっとばかし休憩を挟んでくれ」  
「……もう、しょうがないわね、まったく。じゃああんたは三分休憩。さ、みんな埋めるわよ」  
 聞いたか? 三分て。俺といわゆる馬車馬の気持ちが今、一つになった。感動の瞬間ってやつだ。   
「どこに埋めるべきですかね? やはり、この石の下が最も適当でしょうか」  
 古泉が、石に手を掛けながらハルヒに言う。  
「そうねえ……」  
 それを聞いてハルヒは、直線で二メートルほどの距離を行ったり来たりしながら考えている。  
 何かぶつぶつ言いながら、しばらくそうしていたが、  
「そこに埋めたら、時間を待たずに誰かが勝手に開ける可能性も考えられるわね」  
 と言って俺の方を見てきた。  
 しねえよ。  
「そう? あんた、さっきみんなに持ってきた物をしきりに訊いてたじゃないの。十分に疑う余地はあるわね」  
「わざわざ一人でこんなとこまで足を運んで、そんなめんどくさいことするかっての」  
 もちろん俺は否定。当然だ。  
「……うーん、有希なら大丈夫ね」  
 聞いてないですか、そうですか。で、長門がどうしたって?  
「有希なら確実に信用できるわ。ねえ有希、あたしたちにわからない場所に埋めてきてくれない?」  
 長門はハルヒが言い終わるやすぐに、自分の足元に置いた小箱を再び手にする。  
 
「お前、そんなに俺が信用ならんのか」  
 心外にも程がある。  
「まあ、そうね。あと、あたしが我慢できずに開けてしまいそうだからよ。だってそうでしょ? 基本的に数十年よ  
数十年。そんなの待てる方がおかしいに決まってるわ」  
 アホか。じゃあ何でタイムカプセルを埋めようなどと思い立ったのか、その経過が知りたい。  
「彦星と織姫でも待たせられるのは十六年よ? それを地球上内の内輪で、自分たちで勝手に何十年とか意味わかん  
ないわ」  
「お前が言っていることの方が、さっぱり意味がわからん」  
「別にあんたに分かってもらおうなんてミジンコほども思ってないわよ」  
「……やれやれ、そうかい」  
 埒が明かないので、俺は会話に終止符を打つべく、もうお馴染みとなったお決まりの台詞を言ってやった。  
 ハルヒは、ふん、と横を向き、古泉はこちらを向き肩を竦めて見せる。この辺もお決まりだな。  
「まあ、有希一人にさせるってのは冗談よ。穴掘りはあんたと古泉くんの仕事だからね」  
 ハルヒはそう言いながら、俺と古泉を交互に指差す。  
「もちろん、僕はそのつもりで来ましたからね」  
 古泉はすでにスコップを肩に抱えてやる気まんまんな態度を示しつつ、あろうことかヘルメットまで被っている。  
 ヘルメットて。  
「よう、元気か」  
「元気ですが……いきなり、どうしたんでしょう?」  
「昨日、悪夢を見て全然寝れなかったとか、そういうことはなかったか?」  
「……特にありませんが。いったいどうしたんです?」  
「そうかい」  
 クライマックスに差し掛かる。  
「古泉」  
「なんでしょう?」  
 ヘルメットの被り際から見せる前髪を微妙にかき上げる古泉に、俺は言ってやった。  
「似合ってるぞ」  
「…………」  
「…………」  
「……恐縮です」  
 俺は今言ったことに対し、そこはかとない後悔を感じつつ、他の連中に聞かれてないだろうかと一抹の不安を  
抱いていた。  
 だが、それに関しては嬉しくも杞憂に終わったようで、  
「あ、長門さん。あれ? てて手が……すごく汚れてますぅ……」  
 朝比奈さんが、どこかから戻ってきた長門を見つけた。  
 おい、ちょっとまて、あいつマジで一人で埋めてきたのか……。しかも素手で。  
「終わった」  
 自らの手の汚れなど全く気にする様子もなく、淡々と長門は任務完了を告げる。  
「……え? 終わったって、有希、あなたほんとに一人で全部埋めてきたの?」  
 長門は視線のみで頷くという器用なことをやってのけ、そのあと俺の方に視線を送ってきた。  
 たぶん、これでよかったのか、という確認だろう。俺は微妙に顔を引きつらせながらも、肯定の意味を込め、  
頷いて見せた。  
「そ、そう。……悪いわね、なんだか有希一人にやらせちゃって。それにしても、人間業とは思えない早さだわ。  
さすが有希ね!」  
 文字どおり人間ではないからな。しかし、ハルヒはそんなことは全く気にしていない様子で、言葉を続ける。  
「でも、これでほんとに、どこに埋めたのか有希以外は誰もわからないわね。願ってもないことだわ」  
 ハルヒは非常に満足そうに、腰に手を当てうんうんと頷いていた。  
   
 兎にも角にも、こうして目的を果たした俺たちSOS団一行は、ハルヒを先頭に鶴屋山を下山、そこで解散という  
ことになった。  
 俺は行きの修行の後遺症で満身創痍であり、残体力が我が家に辿り着くまでの必要最小限分を満たしているのか  
さえも疑問に感じつつ、なんとか一路自宅を目指していた。明日は筋肉痛だな。  
 
 
 
 明けて翌日。  
 俺は予想通りの筋肉痛に苛まれることになり、まず最初の試練である日課の早朝強制ハイキングコースに対し、  
普段の数倍であろう悲鳴を上げざるを得なかった。  
 そんな情けない我が足腰の弱さに失望しつつ、この歳にもなって格闘漫画の主人公の強さに心底憧れを抱いて  
いたさなか、  
「よっ、キョン。どうした? なんか歩き方がぎこちないぜ」  
 それこそお世辞にも綺麗とは言えない歩き方で、谷口が声をかけてきた。  
「残念だが、今の俺にお前の相手をしている余裕はない。この坂を登り切ることに全身全霊をかけねばならん」  
「なんだなんだ。捻挫でもやっちまったのか?」  
 谷口はそう言って、俺の足首を覗き込む。蹴りを入れるにはちょうどいい位置だ。  
「……いや、筋肉痛だ」  
「ぶわっはっは! なんだそりゃ、心配して損したじゃねーか。どーせ涼宮にこき使われた結果ってとこで当たらず  
も遠からずだろ?」  
 もっとも、間違ってはいないのだが、何故かこいつに言われると無性に腹が立つ。  
 俺は無視を決め込み、坂を登るという行為に集中することにした。  
 そうすると谷口は、  
「ったく、仕方ねえな」  
 と言いつつ、あろうことか俺に肩を貸してきた。  
「お、悪いな」  
 なんだ、けっこういいとこあるじゃないか谷口。見直したぞ。  
「これで貸しを作っちまったなあ、キョン。後日を楽しみにしてるぜ」  
 前言撤回。  
 
 こうして、谷口との悲劇とも喜劇ともつかない寸劇を繰り広げつつも、なんとか学校へ到着。だが、一時限目が  
体育だという事実を国木田に知らされ、俺は再び暗澹たる気分に駆られずにはいられなかった。そういえばそう  
だったな。  
 地獄の体育を半マネキンと化したスモールフォワードとしてチームメイトの非難を浴びつつも、なんとか乗り  
切り、あとの授業は適当に聞き流して早くも放課後に突入。短縮授業バンザイ。  
 そしていつものように俺は、この世の天使が淹れるお茶を啜るべく、部室へと足を運んでいた。  
   
 コンコン。  
「どうぞ。開いていますよ」  
 まったくもって聞きたいとも思わない声が鼓膜に響く。  
 だがじっとしていても始まらないので、俺は仕方なしに扉を開ける。  
「なんだ、朝比奈さんはまだか」  
 まだ部室には、ニヤケ古泉とハードカバリスト長門の二人の姿しか見当たらない。  
「朝比奈さんは確か、昨日の帰り際に、明日は日直だと言っていたように思いますね。おや、もしかして涼宮さんも  
ですか?」  
「いや、あいつは掃除当番だ」  
「なるほど。では、ここへの到着は涼宮さんが最後になりそうですね」  
 俺は仕方なしに自分でお茶を淹れるべく、鞄を置いて湯呑みを取りに行く。  
「古泉、お前も飲むか?」  
 大サービスだ。泣いて感謝するがいい。  
「おや、淹れて下さるのですか? 恐縮です」  
「長門も飲むか?」  
 長門は顔を上げこちらに視線をやり、またすぐに俯き活字の海に視線を泳がせる。今のはYESだな。  
 俺は三人分のお茶を淹れ、各々に配り終えると、お茶を啜りながらしばらくぼーっとしていた。  
 ああ、至福だ。  
 これでお茶が朝比奈さん製なら、ここがこの世の天国だと言われようが俺はなんら疑問を持たないことだろう。  
「どうやら、少しお疲れのようですね」  
 古泉は、いつもより少しだけニヤケ加減を抑えた感じで言う。  
「まあ、足だけだ。足以外は全くなんともない」  
   
 パタン  
   
 俺が言い終えてすぐだ。  
 その時聞こえたのは、いつもなら下校時間前後に耳にするものであり、俺たちはそれを合図に一日の活動を終える  
ことになる。  
 そう、つまり長門が本を閉じる音だ。早すぎる。  
「ん? どうした長門?」  
 今まで一度たりとも、そういう事がなかったという訳ではない。  
 だが俺はその時、何か長門に妙な違和感を感じずにはいられなかった。  
「図書室」  
 長門はそう言って席を立つ。  
 俺はとっさに、  
「お、俺も一緒に行っていいか? こないだお前に借りた本読んでから、読書も悪くないと思い始めてな」  
 まず長門について行く口実を発した。  
「おやおや、では僕もご一緒させてもらっていいですか? ここに一人で居るのも何ですしね」  
 続けて古泉もついてくる意志を表明し、俺の方を見て微妙に頷く。どうやらこいつも違和感を感じたに違いない。  
 長門は十秒ほど俺の目を見つめ、やがてゆっくりと目線を逸らし、  
「……そう」  
 くるり、と背を向け、足を進め始めた。俺と古泉もその後ろをついて行く。  
 何だろう。雰囲気というかオーラというか、いつもの長門とは何か微妙に違う。だがそれはほんの僅かなことで、  
俺たちのように毎日長門と接していなければ絶対に気付かない程度のものなのだが。  
「お前も長門に何か違和感を感じたのか?」  
「ええ。気のせいと言われれば、それで済まされるかもしれないほど僅かですが」  
 長門を先頭に、俺と古泉が少し距離を置いてついて行く。  
 先頭の長門が階段に差し掛かろうとしたその時、長門の足が止まった。嫌な予感がする。  
 俺と古泉も長門に並び、階段の下側の踊り場が視界に入る。  
 俺の視線はそこに存在する人影を捉え、俺は思わず顔を歪めた。  
 そこには、できればもう一生会いたくない奴の姿があった。  
 
「よう。不本意だがまたあんたに会わないといけなかったんでな」  
 ネガティブな感情を顔に浮かべ、朝比奈さんを誘拐するという許すまじ行為に及んだ下衆野郎。  
 あの第二の未来野郎がそこにいた。  
「何の用だ」  
 俺は精一杯の凄みを効かせて言い放つ。だがこいつはそれを軽く受け流し、  
「ふ。今日は別に誰かをさらったりなんぞしないから安心しろ。大した用事じゃない。僕にとって規定事項と  
いう訳でもない。今さっき、会わないと"いけなかった"と言ったのは言葉のあやとでも思っておけ」  
「なら今すぐ消えろ。できればお前とは一生顔を合わせたくない」  
 これから先、またこの野郎と対峙する機会が来るであろう予感は、なんとなくしてはいるが。  
「ほう、あなたが朝比奈さんを誘拐した張本人ですか。僕とは……初めまして、でよかったですかね?」  
 ここで古泉が割り込んでくる。  
「ああ、間違ってはいない。あんたが副団長さんとやらか。確か……」  
「古泉一樹です。以後、お見知り置きを」  
「ああ、そうだった。調べてはいたんだが、名前なんぞいちいち覚えてなくてな」  
 いちいち癪に障る言い方だ。  
「消えろと言ってるだろう? 用がないんならとっとと帰れ」  
 俺は殺意を込めた顔を保ったまま言い放つが、相変わらずこの野郎は全くこたえていない。  
「ふん。人の話をよく聞くんだな。そう母親に教えられなかったか? 僕は大した用事じゃないとは言ったが、  
用がないと言っていない」  
「ほほう。それはどういった用件でしょう?」  
 古泉はこんなムカつく野郎に対しても無意味な笑みを崩さない。だが、あの長門が改変した世界で初めて俺と  
言葉を交わした時と同じだ。警戒心が現れている。  
「用といってもお遊びみたいなもんさ。僕にとってはな」  
 前にも言ってやったが、こんな回りくどく遠まわしな喋り方の人材は古泉一人で十分だ。  
「では、手短に言ってやろう。そこの宇宙人が何やらおもしろいことになってるらしいのでな。忠告に来てやった  
だけだ」  
「…………」  
 宇宙人ってのは長門で間違いないよな? 何言ってんだ、こいつ?  
 まあ、確かに長門はある意味おもしろい奴だ。認めよう。だがそれが解るのは、俺のように長門の表情が読める  
レベルにまで到達しているのが前提であり、あろうことか長門と初対面であるこの野郎に長門ワールドを理解  
できる訳がない。ならば、こいつの皮肉的嘲笑的解釈だと捉えるのが妥当だろう。  
 そんな俺と古泉の"?"な表情を目の当たりにし、この野郎は、  
「ふ。やはり、あんたたちはまだ知らないのか。傑作だな」  
 下衆な笑いじみた顔で俺たちを嘲った。  
「……どういうことだ」  
 俺は不本意ながらこの野郎に解答を求める。  
「本人に聞くがいいさ。今日の遊びはこれで十分だ。僕の予定表に記されている以上に楽しかったよ」  
 そう言うが否や、さっと後ろを向いて歩き始めようとした。  
 またもや言いたいことだけ言って、早々に姿を消そうとしてやがる。何か言ってやろうと思うのだが、適当な  
言葉が浮かばない。  
 くそっ。何かないか。言われっぱなしってのはえらく癪だ。  
 俺が言葉を選びあぐねていると、横から古泉が反撃の狼煙を上げた。  
 
「あなたは、本当にこの為だけにここへ来たのですか? 何か別の任務があり、そのついでという訳ではなく」  
 この野郎は立ち止まり、古泉の方を振り向き、  
「ふん。だからどうした? 本当はもっと言ってやろうと思っていたんだがな。どうやら、禁則のようだ」  
「なるほど。今のは非常に興味深い発言ですね」  
「何がだ」  
 明らかに苛ついている顔を古泉に向けている。だが古泉は一ミリも笑みを崩さず続ける。  
「あなたの属する組織にも禁則事項というものが存在するあたり、時間遡行という物を軽率に捉えている訳では  
ないようですね。法律で定められている線も大いにありうるでしょうが。まあ、同じことです。よって、普通なら  
時間遡行を実行するに至るまで、様々な審査や許可が必要になってくるのでしょう。朝比奈さんが実際そのよう  
ですしね。ですが、あなたはさほど意味もなさない用件の為に時間遡行をし、今僕たちの目の前にいる」  
「……だからどうした」  
 これは下衆野郎の言葉だ。  
 だが、古泉の言わんとしていることはわかる。俺と朝比奈さんが最初にこいつに出くわした時も、こいつは  
それに対して遊びだという内容のことを仄めかしていた。  
「お解りでないですか? なぜあなたがそのような行動を取ることができるのでしょうか。一つ考えられるのは、  
あなたが高い権限を持っているということです。ですが、あなたの容姿を見る限りでは、僕たちとほぼ同年代と  
考えて間違いないと思います。その年齢で高い権限を持つ役職に就くことはまず不可能でしょう。朝比奈さんや  
僕のようにね。よって、この考えは却下です。そして、もう一つ考えられるのは、」  
 古泉は、ここまで言って一つ息を整え、  
「あなたに非常に近しい血縁者が、非常に高い権限を持っているということです」  
 この言葉に、ネガティブ未来人がピクッと僅かに反応した。  
「……ふん。だから、どうしたと言っているだろう?」  
 おお、下衆野郎の勢いが微妙に失せている。いいぞ古泉。もっと言ってやれ。そして止めを刺してやれ。  
 今に限っては百パーセントお前の味方となろう。  
「率直に言わせてもらいますと、あなたの親御さんがそちらの世界では有名な方だということではないですか?  
調べれば簡単にわかる程のね。正に親の七光りですよ」  
 古泉の遠まわしな嫌味がこれほど清々しく感じる瞬間が来ようとは。人生、何があるかわかったもんじゃないな。  
「言いたいことはそれだけか?」  
「ええ。あくまで単なる僕の好奇心からの推測ですので、お気になさらず」  
 古泉は、ニッコリ笑いながら手を胸の高さに上げ、掌をあの野郎に向けるジェスチャーをする。  
「……ちっ。いけ好かん野郎だ。またあんたとも顔を合わせないといけないのは非常に不愉快だ」  
「おやおや、そうですか。僕としては、同年代で一人称を"僕"と言う友人が皆無に等しいもので、親近感を抱いて  
いたのですが。いやはや、非常に残念です」  
 ここで古泉のお決まり、肩を竦めるジェスチャーが炸裂する。  
 国木田、お前の存在は俺の尊厳を賭けて証明してやるから安心しろ。たかが古泉に忘れ去られたくらいで気に  
するんじゃないぞ。  
 いや、そもそも古泉にとって国木田とは友人というには浅すぎる関係だな。せいぜい知り合い程度が関の山と  
いったところだろう。  
「……もういい。あんたの声を聞くのも我慢に耐えかねる」  
 あの野郎はドライアイスを噛み砕いているかのように顔をしかめている。  
「お前、これを言う為だけって、それを俺たちに言って何の意味がある?」  
 タイミング的に今だと思い、俺は古泉の反撃のさなかにふと浮かんだ懸案をぶつけてみた。  
「解らないか? 俺は決められた線をなぞるだけなのは嫌いだ。これは前回の顔合わせであんたに言った。つまり、  
あんたたちにその宇宙人の現状を教えておいた方が、僕はおもしろい。それだけだ」  
 何だかハルヒみたいな物言いだな。  
「敵に塩を送る、というような解釈で問題ないでしょうか。いや、感謝しますよ。ご苦労様です」  
「いちいち癪に障る言い方だ……。あんたはその喋り方をなんとかしろ」   
 そう言ってあの野郎は足早に俺たちの下を去っていった。  
 いいザマだ。おととい来やがれってんだ。いや、本当に一昨日に来られても困りもんだが、俺には一昨日あいつに  
会った記憶はないので、そこんとこは大丈夫だ。  
 しかし古泉、よくやった。スカッとしたぜ。副団長の腕章が輝いているぞ。  
「あなたからお褒めの言葉を頂くとは、恐縮です。腕章は着けていないですが」  
 古泉は、自分の左腕の袖の付け根あたりを軽く引っ張る。  
 やはり前にも思ったとおり、あの野郎の相手は古泉が担当だな。適材適所ってやつだ。  
 
「しかし、どうやら只ならぬ事態になっているようですね。……長門さん」  
 そうだった。  
 あまりの爽快感に忘れそうになっていた。  
 俺と古泉が感じた長門への違和感。それを裏付けるようなあの野郎の台詞。長門に何かが起こっているのは  
間違いない。  
「エラーが許容量を超えている」  
 どういうことだ?  
「わたしに蓄積されたエラーデータの量が、すでに限界値を超えている。わたしが異常動作を起こし、処分が検討  
されたあの時以降からも、着実にエラーは蓄積され続けてきた。現在、わたしは非常に危険な状態にある」  
 俺は、あの病室での長門との会話を思い出していた。情報統合思念体によって、長門の処分が検討されていた  
こと。長門にまともな性格を与えなかった情報統合思念体に対して、俺は心底腹を立てたこと。  
「長門、俺はあの時言ったはずだ。くそったれだ。お前がいなくなるようなことがあれば、俺は暴れるとな」  
 俺の言葉を聞いているのかいないのか、長門は淡々と話を続ける。  
「今異常動作を起こせば、前回を上回る規模の時空改変になりかねない。そして、今のわたしはいつ異常動作を  
起こしても不思議ではない。そう判断した情報統合思念体は、今度こそわたしの処分を実行しようとした。けど、  
わたしは反対した。あなたが病室でわたしに言ってくれたこと、それを考慮して。結果、一つの条件と引き換え  
に、わたしの存続が決定された」  
 どうはともあれ、長門が消されなくてよかった。安心したよ。で、  
「それはどんな条件なんだ?」  
 条件次第うんぬんで、結局俺は暴れることになるかもしれんぞ。  
「異常動作を起こす直接的なトリガーとして、一番高度な危険性を持つのが情報操作能力の使用。その条件という  
のは……」  
 ここで言葉を止めて三秒ほど俺を見つめ、瞬き。  
 
「一定以上レベルの情報操作能力を、今後一切使用しないということ」  
 
 正直、戸惑った。  
 もう、これからは一切長門に頼れないことになる。どんな厄介事でも、長門の力を借りずに解決しなければ  
ならない。できるだろうか。いや、しなければならないのだ。  
 だが、そんな気持ち半分、よかったという気持ちも半分ある。  
 もう長門に辛い思いをさせずに済む。これからは、一女子高生、一文芸部員兼SOS団団員として、普通に高校  
生活を送らせてやれる。俺たちがそうさせてやらなければならないんだ。  
 
 ああ、やってやるさ。  
 
 長門、今度は俺たちがお前を守る番だ。ゆっくり休んでくれよな。  
 俺はもちろん、古泉や朝比奈さん、それにハルヒだって全力でお前を守ってくれるさ。そうだろう?  
 古泉、雪山で異空間に閉じ込められた時に言ってた事、忘れたとは言わせないぜ。  
「ええ、もちろんです。僕はそんな薄情な人間ではありませんよ」  
「そういうことだ、長門。お前は何一つ心配しなくていい。今までの恩をたっぷりと返させてもらうからな」  
 長門は、俺と古泉を五秒くらいずつ交互に見つめ、それを何度か繰り返す。瞬きの頻度が普段より少し高い気が  
した。  
 きっと、長門なりのお礼なんだろうさ。  
   
 
 結局、あのネガティブ野郎がロールプレイングゲームのモンスターの如く突如現れたおかげで、俺たちは思いの  
ほか大きなタイムロスを食らい、図書室に行きそびれた。そのまま部室へとんぼ返りである。  
 古泉は、部室到着までの僅かな時間をも有効活用しようと思ったのか、  
「長門さん。先程、"一定以上レベル"の能力は使用できないとおっしゃっていましたが、具体的に使用可能な能力  
とはどういったものなんでしょう?」  
 ハルヒの前ではタブーなやり取りをギリギリまで続けている。近いぞ、部室。  
「情報統合思念体への記憶データの送受信。これができないと涼宮ハルヒの観察報告が不可能。あとは感知能力。  
これはデフォルトの状態で無意識に作動している為」  
「それだけですか?」  
「そう」  
 つまり簡単に言うと、第三者が目で見て取れるような魔法パワーは使えないって訳だな。割と厳しいシバリだ。  
「長門、実際に力を使っちまうと、どうなるんだ?」  
 続いて俺からの質問。  
「わたしを構成する有機情報の連結解除プログラムが作動する」  
「長門さん自身が消滅してしまうということですね……」  
 縁起でもない。  
「あの未来人が長門さんの状態を知っていたとなると、非常に危険ですね。今まで彼らにとって、僕たちの中で  
一番脅威だったのは、もちろん長門さんだったに違いありません」  
 そりゃそうだろう。ハルヒを除いた長門以外の俺たち三人と長門一人を比べても、スペックに天と地ほどの差が  
ある。  
「問題なのは、そんな長門さんの状態を知って、長門さんを潰しに来るかどうかです」  
 どうあっても避けたい事態だな。  
「可能性は高いか?」  
「どうでしょうか。そこまで大胆な行動に出るのかは疑問です。ですが、一度朝比奈さんを誘拐するという十分に  
大胆と言える行動を起こしていますからね。何とも言えません。油断は禁物でしょう」  
 
 ここらで部室に到着となった。  
 中に入ると、すでにハルヒと朝比奈さんが部室で待機しており、  
「何やってたのよ、あんたたち! 団長を置いて出掛けるなんて無礼千万よ! キョン、あんたはあたしとみくる  
ちゃんに今すぐジュース奢りなさい!」  
 やれやれ、なんでまた俺だけなんだ。不公平な。  
 今回に限らず、タイムロスの代償が常に現金なのは俺にとって規定事項なのか? 時は金なりとはよく言った  
もんだ。  
「ぶつぶつ言ってないでさっさと買ってくる! わかってると思うけど、あたしは果汁百パーのやつね」  
 はいはい。あ、朝比奈さんは何がいいです?  
「……いつもすみません、キョンくん。えと、レモンティーでお願いします」  
 あなたのご要望であれば何なりと。  
「長門、お前も何か飲むか?」  
 ついでだ。  
「玄米茶」  
 けっこう難しい注文だぞ、それ。  
「申し訳ないです。僕はホットミル――」  
「お前は自分で買え」  
 むしろ長門の分はお前が出せ。  
 俺の無情ともつかない返答を受け、古泉は得意のあのジェスチャーを出す。  
 そんな古泉を微かに視界に写る程度に見つつ、俺は部室を出ようとしたのだが。  
 そういえば俺、筋肉痛だったっけ。  
 思い出したかのように、足の筋肉を構成する細胞達が痛み出し、俺の歩みを阻害する。  
「あんた、何? その歩き方」  
「うるせー、筋肉痛だ」  
 笑いすぎだろ、ハルヒ。  
 俺は痛みに構わず、とっとと部室を出ることにした。  
 
   
 変わらない。  
 いつもと何も変わらないSOS団の面々。雰囲気。部室の光景。  
 長門が危機的な状態であることなど、微塵も感じさせないほどに。  
 ずっと続けばいい。そう思う。  
 そう願ってやまない。  
 そして、すべてが終わった時、俺は今度はこう言ってやりたい。  
    
 
 それは、俺にはとても笑えることだった、と。  
 
 
 
 長門の衝撃告白から五日。  
 俺たちSOS団は、特にこれといった事態に陥ることもなく、平々凡々と日々の生活を営んでいた。  
 それが一般的に平々凡々なのかは定かでないが、どっかの暴走爆走女があたしらSOS団夜露死苦的な迷惑事を  
しでかすのを、SOS団にとって平々凡々と言うのは周知のとおり、事実である。  
 だが、つい先日タイムカプセルという未来人朝比奈さんにしてみれば原始的極まりないであろう時間的イベント  
を敢行したおかげか、ハルヒの満足感は今だ持続中であり、突飛なことを言い出すにはまだ時期早々のようで  
あった。  
 
   
 俺は終業式という、ここぞとばかりに生徒各々の忍耐力を試すかような校長の長々しい話を聞き流しつつも、  
明日から春休みという事実を目の当たりにしている為か、そんな長話も悪い気はしない。  
 ハルヒはといえば、そんな長話を聞き流すどころか全く耳にもせず、ぐーすかと眠りこけっている。若いって  
いいな。  
「おい、谷口。そこのナマケモノ女だが、涎を始め、できうる限りの乱れを整える努力をしてやれ」  
 情けなくも、生物学上は一応女だ。  
「はあ? そりゃお前の仕事だろうが。俺がそんなことをしてる最中に涼宮が目を覚ましてみろ。俺に明日は  
来ないことになるぜ」  
「まあねえ。キョンがしてあげても日常茶飯事って感じだし、おもしろくないからね。いいじゃん、谷口。して  
あげたら? もしかしたら涼宮さん、谷口に乗り換えるかもしれないよ」  
 よほどの地獄耳で聞きつけたのか、数人を挟んだ前の方から、国木田が俺の企てに参加してきた。  
 何から谷口に乗り換えるかはしらんが。  
「国木田もこう言っていることだ。どうだ、谷口。男を上げるまたとないチャンスだぞ」  
 こいつがアホだという俺の認識を信じて、さらに煽ってやる。  
「うーん……」  
 谷口は数秒ほど考え込み、  
「って、いやいやいや。どう考えても無理に決まってんだろ!」  
 惜しい。だが、一瞬でも迷った谷口はやはりアホだ。俺の認識は間違っていなかったようだ。  
 国木田は、くくく、と笑いと噛み殺し、  
「惜しかったね」  
 ああ、実に。  
 
 こうして、谷口のアホさ加減を再認識させられた終業式を終え、教室での短いHRの後、いよいよ春休みに突入と  
なった。  
 いい加減、これを言うのにもそろそろ飽きてきたが、習慣とは誠に恐ろしいもので気が付けば文芸部室前に立って  
いるというあたかも夢遊病患者のような事態に俺は直面していた。  
「何ぼーっとしてんのよ。春の陽気で脳みそが溶け始めたんじゃない? もともと少ない脳みそがこれ以上  
減ったら無くなるわよ。とりあえず、早く扉開けなさい」  
 俺の後から来たハルヒに突然、声をかけられた。  
 気付かなかったな。マジでぼーっとしていたらしい。  
 直立状態から一転、俺は電池を取り替えたばかりの玩具のように動き出し、扉を開けた。  
「うーっす」  
「みんな! 今日昼食の予定ある?」  
 俺のやる気のない挨拶は、ハルヒによって見事にかき消された。  
 今から春休みだというのに、律儀にもSOS団のメンツは全員揃っているようだ。  
「僕はありません。昼食をどうするか迷っていたところです」  
「そう。みくるちゃんは?」  
「あ、わたしも大丈夫です」  
「有――」  
「ない」  
 なんて暇な人間の集まりだ。多少なりとも青春というものを真剣に考えた方がいいぞ。  
 ……まあ、俺もその内の一人なのは言うまでもないが。  
「じゃあ、決定ね。久しぶりにみんなで昼食に行くわよ!」  
 言うが否や、ハルヒは今しがた入ってきたばかりの部室を、ものの数十秒も経たないうちに出て行く。  
「お前、とりあえず俺にも予定くらい訊けよ」  
「あんたはどうせ予定なんてないでしょ。ないものを訊いたところで時間の無駄よ! 異議があるなら昼食後に  
文章で提出してちょうだい」  
 昼食後なら、もう異議も何もないと思うが。  
 などと、今更もう反論する気にもなれず、俺は結局そのまま昼食会への参加を決定した。  
   
 昼食は、市内不思議探索でお馴染みとなったあの喫茶店で取ることになった。意外と久し振りだ。  
 俺はランチセットを注文し、料理の到着を待ちわびている傍で、ハルヒは先に到着した大盛りナポリタンを  
ずぞぞぞと啜りながら、  
「今日はSOS団の活動は休みにするわ。ていうか、あたし四年振りくらいに、明日から帰省することになった  
のよ。今日は、ちょっとその準備とかしなきゃいけないし。まあ、準備って程の準備でもないんだけどね。買い  
出しとか」  
 甚だしく以外だ。  
 何というか、俺はハルヒに対して、そういうファミリー的なイベントをするイメージを持ち合わせてなかった  
からな。  
「で、その買い出しがけっこうな量になりそうなのよ。というわけで」  
 ハルヒは、俺の方を向いて俺を指差し、  
「雑用係キョン! あんたは、この後もあたしの荷物持ちに大決定だから。まあ一人いれば十分だから、みんなは  
一年の疲れを今のうちに癒しておいてちょうだい。あたしが帰ってきたら、ぶっ倒れるまで遊びまくるからその  
つもりで!」  
 それを聞いた古泉から寄せられる生温かい視線をわざとらしく無視し、俺は盛大に溜息をついた。  
 やれやれ、どうやら俺の春休みはまだ来ていないようだ。   
 
 そういう成り行きで、俺は今ハルヒと共にショッピング中である。  
 一応断っておくが、デートなどという心躍るようなものでは、決してない。断じてない。  
 ハルヒは店という店を片っ端から出入りし、俺の持つ荷物は大家族の洗濯物かのようにかさんでいった。  
「あーこれも要るわね。あと、これとこれも必要だわ」  
「待て、それは要らんだろ。お前、買いすぎだ」  
「うるさいわね! 何であんたにあたしの必要不必要がわかるのよ。せっかく久し振りの帰省なんだから、色々  
サービスしてあげることにしたのよ」  
 ハルヒは笑顔で俺に文句をのたまいつつも、次々と商品を品定めし買い物カゴを埋めていく。  
 百ワットスマイル・イン・百円ショップ。  
「それは誰に向けて何のサービスだ、いったい」  
「お爺ちゃんお婆ちゃんに決まってるでしょ。こんなに可愛い孫に四年も会ってないのよ? 可哀想じゃない。  
これくらいの心構えは当然だわ」  
 可愛いとか自分で言うな、自分で。  
「……そうかい。そりゃ大層喜んでくれることだろうよ」  
 俺はやる気無さげに答えてやった。  
 ハルヒは百ワットの笑顔をそのままに、  
「当然よっ! さっ、キョン。次行くわよ!」  
 そう言って俺の手を取ろうのしたので、あろうことか俺は慌てて荷物を片手に纏めてしまった。  
 つい条件反射で手が動いてしまったが、これではまるで、俺がハルヒに手を取られたかったみたいじゃないか。  
パブロフの犬もビックリの反射だ。  
 だが、まあ、なんだ。それほど卑下するようなことでもないだろう。  
 たまにはそういうことも悪くないと思っている自分が居るのも、また事実なのさ。  
 
 さて、バーゲンセールに飛び込む主婦のような買い物の嵐に付き添うこと、数時間。  
 俺たち、というかハルヒは一通りの買い物を終え、満足そうに俺が両手に抱えている紙袋ビニール袋を眺めながら  
歩いていた。俺にしてみれば、ひたすら重いの一言に尽きる。  
「これで完璧よ。後は明日を待つばかりだわ」  
 当然だ。これだけ買ってまだ完璧じゃないという方がありえない。  
「ねえ、キョン。あんた春休みに何かしたいことある?」  
「それは、俺の個人的な事ではなくて、SOS団でのイベントって意味か?」  
「もちろん、そうに決まってるじゃない」  
 春休みに入る前も、この春休みも遊び呆けるであろうという確信めいた予想はしていたのだが、実際にどんな  
イベントになるかはまったくもって考えてなかった。  
 うーん、この一年でかなり色々なことをやり尽くした感はある。となると、やっぱ季節事になるよな。  
 けど花見くらいは、ハルヒならとっくに考えているだろうし。  
 あとは、そうだな、  
「四月一日にドッキリ企画なんかどうだ?」  
「エイプリル・フールね。うん、そうね。悪くないかも」  
 ハルヒは口をへの字にして、うんうんと頷く。お偉い老教授のようだ。  
「そうだな、古泉あたりを騙すのがおもしろそうかもしれん」  
「……うーん。でも、古泉くんならすぐに見破っちゃいそうね。けっこう洞察力とか鋭そうだし」  
「じゃあ、朝比奈さんか?」  
「みくるちゃんは簡単に騙されてくれると思うけど、何かそういうみくるちゃんを見慣れてる感がものすごく  
あるわ。物足りないわね」  
「となると、あとは長門しかいないぞ。あいつは……無理だろ」  
 実行する以前に、企画段階ですでに見破られている可能性が大いにありうる。  
「……そうねえ。やっぱり……あんたしか適任者はいないわね。ということであんた、今の会話を記憶から消し  
なさい」  
 無茶苦茶な。  
 そんなハルヒの無茶な要求に俺はもちろん答えることはなく、両手に下げた袋が強制的にダンベルと化しつつも、  
俺はなんとか足を進めていた。ハルヒの満面の笑顔を見ながら。  
   
 まったく、なんて楽しそうな顔をしやがる。  
 入学当時のハルヒを見た何人が今のハルヒを想像したであろうか。いや、誰も想像しなかっただろう。  
 
 そんなハルヒの笑顔は、長門の状態のことを忘れそうになってしまうほど眩しかった。  
 
「なあ、ハルヒ」  
「何?」  
「この春休み、思いっきり楽しむぞ」  
 そう俺が言うと、ハルヒは今日一番の笑顔で、  
 
「あったりまえじゃないっ!」  
 
 
 
 その翌日。  
 春休みという名目上の下、俺は昼過ぎまでのうのうと夢心地を堪能してやろうと計画していたのだが、これまた  
現実というのはそう都合良くいくものではなく、俺のビューティフルホリデイは儚くも夢に散ることとなった。  
 おかげで俺は、普段さながらの生活リズムを春休み初日で崩すことなく、現在、眠気と共に自転車を長門の部屋  
へと向かわせている。  
 
 
 そんな俺の怠惰生活計画に待ったを掛けることになったのは、昨日の夕方のことだ。  
 ハルヒの専属荷物持ちをいよいよ両腕がもげるかという思いで終え、なんとか我が家へと生還を果たした直後の  
一本の電話だった。発信者もまた、涼宮ハルヒ。  
『忘れたわ』  
 何をだ。  
『あたしとしたことが、タイムカプセルに大事な物を入れるのを忘れてたわ』  
 だからそれは何だ。  
『機関紙よ。こないだ、文芸部として作った機関紙を入れようと思ってたのよ。いいと思わない、キョン? 何か  
いかにも、って感じで』  
 どう、いかにもなのかはわからんが。  
「まあ、悪くないんじゃないか? 昔を懐かしむには、いい素材だと思うぞ」  
 これといって反論する理由もないので、俺はハルヒに賛同してやった。  
『でしょ? 数少ない、文章として残るSOS団の活動記録だからね! これはどう考えても入れるべきだわ!』  
 これまた、何をどう考えてなのかもよくわからんが。  
 何だろう、このあとに続くハルヒの台詞は、俺にとって面倒な内容であるという確固たる自信が湧いてくる。  
 まあ、大体想像は付くが。  
『でも、あたしは明日からここにはいないのよ』  
 それはさっき聞いた。  
『そして、埋めてある場所は有希しか知らないのよね』  
 そりゃお前の一存でそうなったんだろうが。  
『でも、有希一人で行かせるのもなんだし』  
 それは俺も思う。  
『だ・か・ら、あんたが有希と二人……いや、古泉くんも連れて行きなさい! 古泉くんも! 三人よ! この際、もう  
埋めてある場所をあんたたちが知るのは許してあげる! 機関紙をタイムカプセルに入れてきなさい!』  
 と、忌々しくもほぼ予想と寸分たがわぬ結果となった訳である。  
『ちなみに、携帯の電波も届かない程のど田舎だから、文句は直接言いに来た場合のみ受け付けるから!』  
 やれやれ、まあ未来に一つ楽しみが増えるのもそうそう悪くはない。と、自分に言い聞かせつつ、俺はこのあと  
ハルヒご指名の人物に宛て、二度受話器を上げた。そうだな、鶴屋さんにも断りを入れておいた方がいいだろう。  
 いやに饒舌な受信相手と、いやに無口な受信相手という全く対極を成す通話をさっさと済ませ、俺は晩飯に  
ありつこうとしたのだが。  
 ここでまた、携帯のバイブレータが作動し始めた。  
 今度は誰だ。いやに可愛げな発信者なら大いに許すところだが。  
 
 『着信 朝比奈みくる』  
 
 許す。大いに許す。  
 先程の電話に比べ数倍のテンションを保ちつつ、俺は再び通話ボタンに指を掛ける。  
『あのぅ、明日、またタイムカプセルのところに行くんですよね?』  
 携帯の音質の粗悪さですら、なんと美しいお声。お電話ありがとうございます。  
「あ、はい、そうです。誰に聞いたんですか?」  
『いえ、誰っていうか、未来からの指令で……あの、わたしも付いて行けって……』  
 どういうことだ。  
 少なからず朝比奈さんが必要になるような事態といえば、未来的な何かだと考えるのが自然だ。  
 まあ、俺の心のスキマは常に朝比奈さんを必要としているのは純然たる当然なのだが、今はそういうことじゃ  
ない。  
 未来的な、何か時間絡みのイベントが待ち受けているのだろう。俺にとっては良くない、というオマケ付きの。  
「何があるとか、具体的なことは……聞いてないですよね?」  
 今までの経験上、十中八九朝比奈さんは知らされていないだろうが。  
『ふぇ、ごめんなさい、教えてもらえなかったです……。あ、でも、あれをやれって言われたから……でも、あれを  
やるっていうことは……そんな状況がある訳で……』  
 徐々に声がデクレッシェンドしていき、最終的には一人で呟いているようだ。  
「いえいえ、そんな、謝らないでください。意地悪で言ったわけじゃないですから。俺は朝比奈さんが一緒って  
だけで十分嬉しいです」  
 そして、心は日本晴れです。  
『あ、ありがとう……。でも、あたしにそんなこと言っちゃ、ダメですっ。キョンくんっ』  
 ぷくっと頬を膨らませている朝比奈さんの顔が脳裏に浮かぶ。  
「ははっ。一体どうしたんです?」  
『もうっ……あたしを困らせないで下さい……』  
 誰だ、一体。朝比奈さんを困らせるなんて、ふてえ野郎だ。  
 俺は犯人が自分であることを現実逃避しつつ、逸れた話を元に戻すことにした。  
「まあ、とりあえず、明日十一時に長門の部屋に集合ですから」  
『あ、なな長門さんの部屋にですかぁ。あの……マンションの前にしてもらっていいですか?』  
 まだ朝比奈さんは苦手分野を克服できていないようだ。  
 いい加減、もう慣れてきてもよさそうなんだが……。どうにも、女同士というのは難儀なもんだ。  
「わかりました。じゃ、十一時にマンション前ってことで」  
『……ごめんなさい。我が侭言っちゃって』  
 いえいえ、この程度で我が侭になるんだってんなら、ハルヒなんて戦前の天皇陛下ばりの独裁者ですよ。  
 用件を一通り伝え終えたので、俺は「じゃまた明日に」と言って電話を切った。  
 
   
 とまあ、昨日の夕方に大体こんな感じのやりとりがあったって訳だ。  
 つまり、ハルヒを除くSOS団団員による鶴屋山登山再び、ということである。  
 だが、単なる登山で終われそうにないことを、朝比奈さんとの電話が否が応にも予感させる。そんな予感なんぞ  
的中しないよう、俺はひたすら祈るばかりだ。  
 だが祈ろうにも、釈迦やキリストやアラーといった各宗教の崇拝対象者たちは、無宗教の俺に対しては手厳しい  
もので、無残にも俺の祈りは受け入れられることはなかった。  
 
 教会にでも通っておくべきだったと、このあと後悔させられることになる。  
   
 
 長門のマンション前に到着すると、古泉はすでに、俺より長めの髪を悠々と風に遊ばせながら立っていた。様に  
なっているのが何故か腹が立つ。  
「やあ、おはようございます。絶好の登山日和といったところでしょうか」  
 古泉は無意味な笑みを俺に向け、手を挙げる。  
「なんだ、朝比奈さんはまだか」  
「おやおや、なんだか先日も部室で全く同じ台詞を聞いたように思いますが。やはり僕一人では役不足でしょう  
か。まあ特に、今日は肝心な人物がここには来ないというのが大きいようですけど」  
 その肝心な人物ってのは誰のことを言ってるんだ。  
 まったく、朝っぱらからものの見事に不愉快な気分にさせやがる。ただでさえ眠いというからに。  
「もう一年近く経ちます。そろそろ自分に正直になるには十分な頃合いかと……」  
 お前と比べりゃ間違いなく正直者なのは、まごうことなき事実だろうよ。  
「いやはや、実に手厳しいお言葉です」  
 とまあ、トイレットペーパーを三角に折るほどの意味もなさない会話で時間を潰していると、ようやく朝比奈  
さんがトタトタとこちらへ向かって小走りしているのが見える。  
「すいませーん。遅れちゃいましたぁ……」  
 朝比奈さんは、ピンクのカーディガンに、インナーは白のカットソー、そのカットソーのVネックからベージュの  
シャツを覗かせていて、その色に合わせたのかスカートもベージュという、とても春を感じさせる出で立ちをして  
いらっしゃる。  
 それに比べ、一方俺はといえば、縄文人でも着ていそうなダサダサ縄文シャツに、カーキの縄文パンツ、足元は  
縄文スニーカーときたもんだ。  
 山登りに行くにも服装に気を使うところは、さすが女の子といったところだな。  
「では、行きましょうか」  
 俺たちは、古泉を先頭にマンションに入っていく。  
 だが、ここからは何だか俺の役目のような気がしてやまないので、前に出て慣れた手つきで長門の部屋をコール  
する。  
『…………』  
 いつもの応答。  
「……俺だ。古泉も朝比奈さんも居る」  
『入って』  
 エレベーターに乗り込み、すかさず七階のボタンを押す。  
 そして、毎度お馴染みとなった長門の部屋に通された俺たちは、コタツテーブルを囲んで座り、当の長門はお茶を  
淹れにキッチンへと姿を消している。  
 数分後、急須と人数分の湯呑みをお盆に乗せた長門が姿を現し、各々へお茶を配り終えると、コタツテーブルの  
空いた残りの一席に無駄な動きなく腰を下ろした。  
「古泉、機関紙は持ってきたか?」  
 そう、これを忘れたとなると、今日集まった意味は皆無に等しい。それに伴い、俺の怠惰生活計画も無意味に  
壊されたことになる。それだけは勘弁してくれ。  
「ええ、もちろん。朝、学校に寄ってきたところですから」  
 それはご苦労なこった。  
「じゃあ、お茶をご馳走になったら、早速用事を済ませに行くか」  
「ええ、それで構いません」  
「……あ、はい」  
 
 雑談をお茶請けにし、俺たちはしばらくほのぼのとした雰囲気を楽しんでいた。  
 メンツはいつもと変わらないのだが、部室と長門の部屋とでは、またちょっと違う雰囲気になるのが興味深い。  
 だが、そんな朗らかな雰囲気を古泉の一言が変えた。  
「しかし、今長門さんを人気のない場所に連れて行くのは得策ではないですね。機関の情報によると、どうやら  
最近、相手側に何らかの動きがあるようですので」  
 そうだった。こんな重大なことを俺は忘れてかけていた。  
 俺の脳が小動物並だという事実が、今決定された。そういえばこないだ、ハルヒに蟹にされたような気がしない  
でもないが。  
「長門、なんとか俺たちに埋めてある場所の記憶を植え付けられないか?」  
「不可能ではない。でも、それはわたしが情報操作能力を使用することになる」  
「……そうか。じゃあ駄目だな」  
 長門が消えちまうのは金輪際御免だ。長門に限らず、もう誰かが居なくなるなんてことは俺の小指を賭けてでも  
避けたい。やくざは嫌だからな。  
 あの世界でハルヒの存在を見失った時に味わった、立っている事が困難なほどの喪失感、吐き気。あれだけは  
何があろうと二度と味わいたくない。  
「……ふぇ」  
 さっきから朝比奈さんが俺と長門のことを、まるでデパートで迷子になった子供が従業員に助けを乞うように  
キョロキョロと見ている。そういえば、朝比奈さんにはまだ言ってなかった。  
「朝比奈さん、ええとですね……」  
 長門の今の状態、そして再びあの未来人に会ったこと、それらを俺は、古泉の所々に挟まれる解説と共に掻い  
摘んで説明した。  
「……そ、そうだったんですかぁ。でも、長門さん……長門さんが、そんなのって……ひど過ぎますぅ」  
 ああ、まったくもってひど過ぎる話だ。  
 いかん、また腹が立ってきた。何やら最近、カルシウム不足的な事態なのかもしれん。  
 俺は明日から毎日欠かさず牛乳を摂取することを心に誓っていると、  
「なな長門さんっ。安心して下さい。わたし……がががんばりますからっ!」  
 そんな朝比奈さんの決意たる叫びを脳に響かせ、俺たちは勇ましくも目的地へ向かうこととなった。  
 玄関に向かっている途中、長門が、  
「わたしの感知能力も、ここ最近は正確に作動しないことが多々ある。当てにしないで」  
 と、不安要素たっぷりの一言を呟いてくれたのが気に掛かる。  
 長門、ほんとに普通の女子高生になっちまったな。だが、それでいい。お前は今まで十二分に働いたんだからな。  
 今度は、俺たちが働き蟻のごとく走り回ってやるさ。  
 
 
「おおうっ。元気だったかいキミたちっ! 春休み初日からご苦労なこっさねっ。しっかしみくるっ、今日も  
めっちゃめちゃ可愛いじゃないかっ。お姉さんどうにかなっちゃいそうだっ!」  
 とかく俺たちは、山の所有者である鶴屋さんに一言挨拶をする為、一路鶴屋邸へ足を伸ばした。  
 鶴屋さんから、ありがたい超ハイテンションボイスを頂き、脳裏でBGMとして流しつつ、一路タイムカプセルの  
下へと登山を開始した。  
「おそらく、機関の者がどこからか付いて来てくれているはずです。ですが正直、大したフォローは出来かねる  
かと思います。注意しながら行きましょう」  
 こんな古泉の言葉を聞いて、森さんと新川さんの顔を思い出していた。  
 しかし、どうしても最初に脳裏に浮かぶのが、朝比奈さん誘拐事件の時、森さんが敵に見せたあの凍り付くような  
微笑みだ。森さんが見た目どおり俺たちとほぼ同年代だとすれば、たった十数年の間に数多の修羅場を潜り抜けて  
きたに違いない。それだけ凄まじい表情だった。  
 いや、まったく、そんな修羅場に身を投じている森さんなんて、俺が持つイメージに全くそぐわないね。  
 
「……やっと半分といったところか」  
 俺的には割と歩いたように感じたものの、周囲に注意して気を張っている為か、思ったほど進み具合は良くない。  
これが牛歩戦術ってやつなんだろ、きっと。  
 パンツのポケットからマイ縄文電話を取り出し、時刻のみをチラッと見る。さほど時間も経っていない。  
「あなたは、どうやら気を張りすぎのようですね。もう少し、気楽にしてもいいかと」  
 古泉はそのあと、「最近、これに嵌ってるんですよ」とボトルガムを勧めてきたものの、俺は何も口に入れる気が  
起こらず、  
「いや、俺はいい」  
 とっとと目的を済ませるべく、足早にあの石の場所を目指すことにした。  
「人間の気配がある。気をつけて」  
 何やら長門が妙な物を感知しているらしい。  
 朝比奈さんはその言葉にビクッと反応し、こわごわといった感じで周囲を見渡している。  
「長門さん、それは機関の者以外の人間でしょうか?」  
「……わからない。今は感知能力が正常に作動していない様子。そこまでの特定は不可能」  
「……そうですか。機関の者だといいのですが……」  
 まるで自分の状態を他人事のように淡々と答える長門に対し、古泉は顎に手をやり唸っている。  
「だだ大丈夫ですよね……キョ」  
   
 その時。  
 
 山側の側面。その上の方から、何やらこちらへ向かってくる物音がし始めた。かなり大きい。  
 皆一斉にその方向を見上げる。  
「ひええぇぇぇぇ!」  
 それを見た朝比奈さんが叫ぶ。隣のホールに注意を促すキャディさんも真っ青だ。  
 などと言っている場合ではない。そんな状況が迫っている。  
「全速力で急ぎましょう! なんとか間に合うかもしれません!」  
 木やら石やらがかなりの横範囲で側面の上から転がり落ちてくる。中には身の丈の半分ほどもあろうかという  
岩も混在している。  
 まるでハリウッド級SFアクション映画のような光景。制作費に何十億費やしたかなんてことは今はどうでも  
いい。  
「朝比奈さん! 早く!」  
 腰を抜かしそうに足をガクガクさせている朝比奈さんの手を取る。そして走る。全速力。   
 ったく。何だってんだ、これは!  
「おい、古泉! 下った方が早かったんじゃないのか!」  
「……ええ、そのようですね。どうやら僕も動揺していたようです」  
 だが、今さら引き返すとなると、事態は輪を掛けて悪い方向に向かうのは明らかだ。仕方なしに登ることに全力を  
尽くす。  
 俺は全力で走りながらもチラッと山側の上の方に目をやった。人影が視界に入る。  
 一瞬だが、その人影の顔を認識することができた。  
   
 ――あの野郎!  
 
 あいつらの仕業か! なんてわかりやすい攻撃をしやがる!  
 こんなのなら、いっそ手の込んだ小難しいことでもしやがれってんだ!  
 
 見えたのは一人じゃなかった。居るのはあの野郎だけじゃない。  
 そりゃそうだ。これだけの範囲で一斉に木やら岩やらをわんさか転がさにゃならんというのに、一人というのは  
あの野郎が宇宙人でもない限りありえない。あの野郎の属性は未来人だったはずだ。  
 しかし、なんというか、もっと精神的な攻撃で来るかと思っていたんだが。  
 単純な上、大胆すぎるだろこれは。  
「キョンくん! まま間に合わないかもぉ!」  
「間に合います!」  
 とは言ったものの、このままでは間に合わないのは必至だ。  
 くそっ! どうすりゃいい!?  
 必死で逃げおおせるSOS団一行。  
 俺と朝比奈さんより少し先を逃げる古泉長門組でさえ、逃げ切るのは困難に見える。  
「……残念ですが、もう……」  
「いらんことを言うな! 古泉!」  
 認めたくはないが、もうそこまで迫っている。まともにそれに目を向けるのはぞっとする。  
 古泉が諦めの言葉を吐いたその時。  
 ――長門!  
 あろうことか長門が立ち止まり、襲ってくる物体に向けて手をかざした。  
 能力が放たれる直前。  
「駄目だ長門! やめろ!」  
 俺は長門に追いつき、長門の手と制すと同時に、開きかけた口を掌で塞いだ。  
「今の状況では最悪の事態になる」  
 確かにお前の言うとおりだ。けどな、今長門が力を使えば、百パーセント長門だけは助からない。俺はどんなに  
低い確率であろうと、全員が助かる方向に動きたいんだ。  
 だが皮肉にも、長門の消滅の回避に費やした時間が致命的だったんだろう。  
 気付いた時には、もう全くと言っていいほど逃げ切れる状態ではなかった。  
 
 例によって久々の台詞が口を出る。  
 マジでくたばる五秒前。  
 情けなくも、こんなくだらないことを口走る余裕があるほどに、俺はもう諦め切っていたのかもしれん。  
   
 だが、俺が完全に諦めかけたその時。  
 
「そ、そうだ……あの指令ってこの時のこと……。み、みなさぁん! あああたしに掴まってくださぁぁい!」  
 何だか解らんが理由を問いただす時間など今の俺たちにあるはずがなく、藁にもすがる思いで朝比奈さんに手を  
伸ばす。めくるめく官能の世界へといざなってくれるのだろうか。  
 古泉、長門、俺の順に全員が朝比奈さんの手を掴む。木や岩はもうあと数メートルのところまで迫っている。  
「いい行きまぁす!」  
 何処へだ。やっぱり官能の世界か?  
 何だか諦めて開き直ったからなのか、今さら冷静に頭が回ってきているようだ。  
 だが冷静になったからといって、頭に浮かぶのがこんなアホっぽいことでは何の意味もなさない、と悟りを開いた  
直後。  
   
 目が回る。  
 足が地に着かない無重力的な感覚、上も下も認識することができず気持ち悪くて酔いそうな浮遊感がウネウネと  
体中を回る。吐き気を催してきた。  
 って、ちょっと待て。この感覚にはすさまじく覚えがある。  
 そう、時間遡行だ。  
 こんな非常事態に、いつの何処へ連れて行くつもりなんだ朝比奈さんは。  
「なんだ?」  
 気付くとすでに足が地に着いていた。何かこれまでに経験した時間遡行に比べ、遡行開始から終了までに費やす  
時間が大幅に少ない気がするのだが。  
 それはともかくだ。  
 今いる場所はといえば、さっきとなんら変わらない鶴屋山の登山コースじゃないか。  
「うおっ! あれは……」  
 少し下った辺りの道を、先程まで俺たちを震え上がらせていた岩やらが、横切って転がり落ちていく。  
 そういえば、今俺たちが居るのは、先程まで居た辺りより少し上に登った位置だ。  
「……よかったぁ。成功したみたいです」  
 そのはちきれんばかりの胸に手を当て、朝比奈さんはホッと息をつく。  
「朝比奈さん、今のは時間遡行なんですか?」  
「あ、はい。一応そうなんですけど、普通の時間遡行とは少し違って、今のは場所の移動が目的なんです。でも、  
TPDDを使うには一応時間の設定もしないといけないから、時間設定はゼロ・コンマ・ゼロ五秒前。場所の設定が  
百メートルほど登った位置です」  
「ほほう、なるほど。瞬間移動、ということでしょうか」  
「はい、そのとおりです。TPDDを応用した瞬間移動のようなものです」  
 何というか、もう長門と朝比奈さんさえ居れば何でもアリだな。出来ない事を探す方が難しいだろ。  
「でも、よっぽどのことがない限り、これをするのはダメなんです。とても危険なことなの。遡行前と遡行後の  
時間と場所が極端に近い場合は、遡行した人にとっては危ないんです」  
 一瞬、それがなぜなのかを愚かにも訊こうとしてしまったのが悪かったんだろう。  
「時間平面上に発生する波紋同士の影響」  
 長門の、ハーバード大学院生にも理解困難と思われる例の一言解答が、俺の頭の中を文字通り爆発させた。  
「ええと、何て言えば……そうですね、例えば紙に太い水性ペンで点を打ちます。その点を遡行前の地点だと考えて  
下さい。次にその点の中心から一ミリずれた所にまた点を打ちます。これが遡行後の地点。でも、ペンが太いから  
点の半径は大きいし、紙にインクは滲んでるしで、二つの点がごっちゃになっちゃいますよね? それと同じこと  
なんです」  
 解ったような解らないような。  
 
 いや、でもだな、それなら、  
「別にもう少し前の時間に設定にして、場所もいっそタイムカプセルのところにしてしまえば、危険度は軽減  
されるし、一気に目的地にも着けるしで良かったんじゃないですか?」  
 俺の指摘を受け、朝比奈さんはアッという感じの表情で、  
「ふぇっ。……そ、そのとおりでしたぁ。ごめんなさい……これって、つい……これくらいの時間と場所の設定  
っていう先入観があって……ごごごめんなさい……」  
 目をウルウルさせて責任を感じていらっしゃる姿が壮絶に可愛らしいので、俺は大いに許すことにした。  
「はは。いえいえ、結果として助かったことですし、朝比奈さんがいなければ、今頃僕たちは見るも凄惨な姿だった  
ことでしょう。時間遡行というとても貴重な体験もさせて頂きましたし、僕としては非常に満足ですよ」  
「そうですよ、朝比奈さん。俺たちを助けてくれて、ありがとうございます」  
 長門も朝比奈さんと目を合わせ、はっきりと分かる角度でコクリと頷く。  
「ぐすっ……み、みなさん……ぐすっ……ありがとうございますぅ……えぐっ」  
 皆の心温まるフォローを受け、朝比奈さんはとうとう泣き出してしまった。  
 周知の如く解ってはいたが、なんと人情味深く涙もろいお人なんだろう。生まれは葛飾柴又、先祖はふうてんの  
寅さんなのかもしれん。  
「ほらほら、朝比奈さん。早いとこタイムカプセルまで行っちゃいましょう」  
 俺は動かない朝比奈さんの手を取り、これでもかというほど優しくリードする。シャル・ウィ・ダンス?  
 男はつらいね、まったく。  
 
 力を合わせて皆で危機を乗り越えた後に深まる絆というものは、どうやら漫画や特撮ヒーローものの特権という  
訳ではないらしい。  
 先程の岩や木たちとの生死を賭けた鬼ごっこの最中に比べ、皆の顔が明るく変わり、楽しさを取り戻している。  
それこそ本当に鬼ごっこでもやりかねない雰囲気だ。  
 俺もその明るい顔の一人なのは今となれば言うまでもなく、春のピクニック気分を盛大に満喫し始めていた。  
   
 だが、それが良くなかったんだろう。  
 俺を始め、皆が完全に油断し切ってしまっていた。  
 
 
   
 正にその時だった。  
 
 
 
「いやぁぁぁぁ!!」  
 本日、二度目の朝比奈さんの絶叫。  
 だが、明らかに声が大きさが前回の比ではない。  
 
 俺は後ろを行く朝比奈さんの方へ振り向く。  
 朝比奈さんが目を向けている方向に、古泉の顔があった。  
 だが、その顔にいつものスマイルはない。  
 苦しさを堪えているような表情。  
 俺は顔から下に目を向ける。  
 
 
 目を疑うような光景だった。  
 
 
 背中に近い脇腹の辺りから腹にかけて、鋭い金属のような物が古泉の体を貫通していた。  
 
「こ、古泉っ!!」  
 血が止めどなく溢れ出している。  
 やがて、古泉は目を閉じてその場に崩れ落ち、倒れた。  
 俺は怒涛の全速力で駆け寄る。  
「古泉っ! くそっ!」  
「古泉くぅん! いや、いやぁぁぁ!」  
 俺はここから一番近い病院がどこなのかを考える。  
 いや、駄目だ。見るからに病院までもちそうにない。  
「うぇぇん! キョキョンくん、どうしよう……いや、いやぁぁ!」  
 くそっ! どうすりゃいい!?  
 山の上の方から、「うわっ、あの男に当たっちまった!」「やばいよ、一旦引こうよ!」なんて会話が僅かに  
聞こえてくる。  
 あいつら、朝比奈さんを誘拐した時の車に乗ってた奴らだ!  
 おい、そういえば機関の人間がついて来てくれてるんじゃなかったのか? 何たってこんな事態になっても姿を  
現さん!  
 森さんと新川さんではないのは確かだな。あの二人なら即座に飛んできてくれるだろう。そう信じたい。  
 俺が、無い頭を必死に働かせて古泉を救う方法を捻り出そうとしていた時。  
 長門が、すっと古泉に近づく。  
 そして、かすみ草のような白い手を古泉の腹にかざす。  
「長門!」  
 俺は再び長門の手を制する。  
「すべては、察知できなかったわたしに責任がある」  
「それは違う! お前のせいじゃない!」  
「やはり、今の状態のわたしでは、あなたたちに迷惑を掛けるだけ」  
 古泉の瀕死の姿。朝比奈さんの号泣。長門の自責の言葉。すべてが俺に混乱を促すようだった。  
 
 古泉を助ければ長門が消える。逆に長門を優先すると古泉が助からない。  
 何だよ、これは。  
 何だって俺がこんな過酷な選択を強いられなきゃならないってんだ!  
 
 ちくしょう!  
 古泉か。長門か。  
 マジでこの二択しか道は用意されてないのか?  
 
 普段なら、ましてやこんな深刻な状況とは無縁の場面であれば、二人を天秤に掛けるような状況があったとして  
俺は長門の肩を持つかもしれない。俺は長門に全幅の信頼を寄せている。  
 別に古泉が嫌いという訳ではない。好きかと言われれば否定したくもなるが。  
 古泉といえども、まがいなりにもSOS団の一員であるのは事実な……、  
 いや、違う。  
 何だか解らんが、今のは確実に間違っている。  
 俺は古泉に対して邪険な態度を取ることが多々あったりするが、それが根っからの本心であるかどうかと詰問  
されるとどうだ?  
 決まってる。答えはノー、だ。  
 古泉が悪いやつではないことは百も承知している。  
 雪山の時に至っては、機関を裏切ることになっても長門の肩を持つと言ってくれたりもした。  
   
 ああ、そうだよな。  
 古泉、長門。  
 
 そう、俺にとっては二人とも、甲乙やら優劣やらつける事なんて如何なる理由があろうと不可能な、何よりも  
大切な仲間なんだ。  
 どちらか一人を選ぶなんて芸当は、俺には到底できない。できるはずがない。  
 だから。  
 俺は、SOS団誰一人欠けることのない、そんな結果を生み出す選択肢を見つけ出さなきゃならないんだ!  
 
 
 朝比奈さん(大)、あなたが言ってた分岐点ってのは、この事だったのか。  
 確かに大きな分岐点だ。ちょっとばかし大きすぎだが。  
 だが、朝比奈さん(大)はこの事態をどうやって乗り切れと言うのだ。  
 
 
 いや、待て、何か忘れている。  
 何か大事な事を。  
 思い出せ。  
 そうだ、このあと朝比奈さん(大)は何て言った?  
 
 
 『その分岐方向によっては、あなたは涼宮さんの力が封印される日を絶対に忘れちゃダメなの』  
 
 
 
 
 ――これだ。  
 
 
 
 
 古泉と長門を救う、唯一にして絶対の手段。まあ、絶対かどうかは解らんが。  
 ハルヒ、やっぱりお前か。  
 俺はXデーを確認する為、携帯で日付を見る。  
 朝比奈さん(大)の予告から二週間後ってことはつまり、  
 
 
 ――今日じゃねえか。  
 
   
 おいおい、いくら何でもそりゃ一日に色々詰め込みすぎだろ。生き急ぐと早死にするのがオチだぜ、ハルヒ。  
 ていうか、電話が繋がらないようなところに居るんじゃあ、現地に行かなきゃならんじゃないか。とんだど田舎  
だな。  
 だが、行くのはいいとしてだ。ハルヒの帰省先って、どこだ?  
 昨日のハルヒとの会話の中で、その都道府県名が出てきた。それは覚えてる。  
 だが、そこまでだ。  
 そりゃ何気ない会話の中で、何とか市何とか町まで言う必要などないからな。たとえ言っていたところで、俺が  
その住所を丸暗記しているわけがない。  
 まあ、その辺は後から何とかなるだろ。何にせよ今は時間がない。  
 兎にも角にも、まず行動だ。  
「長門! 古泉を治療してやってくれ!」  
「え!? え? キョ、キョンくん?」  
 長門は俺を真っ直ぐに見つめ、長門的に見れば大きな角度で頷く。  
「情報連結、解除」  
 古泉を瀕死たらしめている金属が、サラサラと輝く砂となり、やがて消えていく。  
「流出した血液及び、欠落した腹部の有機情報を再構築」  
 続いて、古泉の傷がみるみる塞がっていき、元通りの体になっていく。  
「ごほっ……ん……」  
 古泉が息を吹き返した。  
「こ、古泉くんっ!」  
「古泉!」  
「ん……おや? どうしたことでしょう。確か僕は腹部の辺りに……もしや、長門さん……」  
 
 あの朝倉の最後を思い出させるかのような光景だった。  
 長門の足首から下が消えている。先程の金属のように輝く砂に変化しながら、体の下の方から徐々に消えて  
いくのが見て取れる。  
 長門の体の消滅が、早くも始まっていた。  
「安心しろ、長門。お前をこのまま消えっぱなしにはしない。すぐに元に戻してやるからな」  
 俺は右手を長門の肩にトンと乗せる。  
「……そういうことでしたか。あなた、まさかとは思いますが……」  
「そのまさかだと思うぜ」  
 その"まさか"を俺に肯定された古泉は、笑みを崩さず動揺するという器用な事をやってのけている。  
「だが、お前も安心していい、古泉。なぜかという質問には今は答えることはできんが、お前にもじきにわかる」  
 朝比奈さん(大)は誰にも言うなって言ってたしな。  
 古泉はまだ納得がいかない様子で、しきりに俺に説明を求めるような視線を送っている。  
 長門は、膝から上のみの体を古泉の方に向け、  
「心配ない。あなたが危惧しているような事態にはならない」  
 それは、一体全体どういうことだ?  
 今度は、太ももから上のみの体を俺の方に向け、  
「わたしの有機情報連結の解除が終了した後、おそらく、情報統合思念体によって記憶の改竄が行われる」  
 何の記憶を変えるってんだ。事と次第によっては、俺は黙っちゃいねえぞ。  
「わたしと関わったことのある人間から、わたしに関する記憶を消去する」  
 ……おい、何だよそれ。  
「わたしという存在は、始めから無かった事になる」  
 待てよ。何なんだよ。  
 ここまで来ておいて、最後はそれかよ。  
 そんなのありかよ!  
 何だってそんなことをしなきゃなんねえんだ!  
「長門! 何でだ! 何で古泉を助ける前に、そんな大事なことを黙ってたんだ! お前のことを忘れるだと?  
ふざけるな! そんな事があってたまるか! 今すぐお前の親玉に言ってやれ! そんなたわけた事をした日には、  
お前たちもただじゃすまない、こっちにはハルヒがいる事を忘れるな、ってな!」  
「大丈夫。その感情も、記憶の改竄で上書きされる」  
 俺はあまりのやるせなさに、あたかも風船がしぼむように力が抜けていく。  
 いつの間にやら長門の消滅は、もう胸の辺りまで進んでいる。  
 無力だ、俺は。  
 結局何にもできやしない。今ばかりは、一般人であることを心から悔やむ。  
 あまりの無力感と悔しさでいっぱいになり、俺はガクッと膝をついた。  
 地面を思いっきり殴りたい衝動に駆られるが、まるで意味のない行動に寸でのところで思いとどまる。  
 いかん、俺がこんなでは、どうにかなるものも駄目になっちまう。  
 事が事だけに、今回ばかりは何がどうあろうと最後まで諦めるわけにはいかん。  
 情報統合思念体なんぞに負けるまいと、俺は気を強く持とうとした。  
 俺は気の迷いを吹っ切るように立ち上がり、声を荒げる。  
「長門! 記憶の改竄だろうが何だろうが、俺は絶対にお前を忘れたりなんかしねえ! 必ずお前をここに取り戻す  
からな!」  
 
 俺が、いや、俺たちが長門のことを忘れるなんざ、しし座流星群が地球を蜂の巣にしようがありえねえ。  
 長門がSOS団の皆にとってどれほどの存在なのか、あいつらは何も解っちゃいねえ。  
 情報統合思念体とやらも、さぞ驚くことだろうよ。なにゆえに我々の力が通用しない、ってな。  
 
「今一度伝える」  
 
 顔だけになった長門が言葉を紡ぐ。  
 
 
「ありがとう」  
 
 
 言い終わると同時に、口が消える。  
 その言葉を最後に、長門が完全に俺たちの前から消えた。  
 
「ちくしょう! 長門!」  
「うえっ、ぐすっ……長……ぐすっ……長門……えぐっ……さん、いやぁ……」  
 そして古泉は何も言わず、表情が見えないほど顔を俯けている。  
 
 俺は再び膝をついた。今度は手も地面につく。  
 目眩がした。  
 二度と味わいたくないと思っていた、あの喪失感が再び俺を襲う。  
 やっぱり、俺には笑えないことだった。  
 朝比奈さんは先程から延々と泣き続けている。俺だって泣きたい気分だ。  
 しばらく、朝比奈さんの泣き声だけが辺りに響く。  
 
 そして、そんな中、  
「長門さんは、僕の命と引き換えに消滅したも同然です。それを黙って見過ごせるほど、僕は薄情な人間では  
ありません」  
 古泉が俯けていた顔を上げた。  
「記憶の改竄は、まだ行われていないのか、結局行われることはないのか、どちらかは解りません。ですが今は  
とりあえず、僕の記憶は正常です。あなた方もそのはずでしょう?」  
 そう言われりゃそうだ。俺はまだ長門のことを忘れちゃいない。  
 古泉の目線が俺の顔を真っ直ぐに捉え、  
「先程あなたが行おうとしていた、長門さんを救う方法。そして、それを実行したところで僕が心配するような  
事はない、と言いました。後々僕にもその理由が解る、ともね」  
 ああ、そのとおりだ。  
 
「今更ですが、僕はそれに賭けたいと思います」  
 
 こいつはまだ、諦めちゃいない。  
 そうだ。そうだよな。  
 何を俺は弱気になってんだ。我ながら自分の弱さに反吐が出るぜ。  
 記憶の改竄まで、まだ割と時間があるのかもしれない。あるいは、皆の気持ちが本当に記憶の改竄に勝ったと  
いうことも、無いとは言い切れない。  
 
 今、俺がすべき事はただ一つ。  
 
「行って下さい。彼女のもとへ」  
 
 行ってやるさ、今すぐにな。  
 
「長門さんを救えるのは、あなただけです。それと……」  
 古泉はここまで言って、一旦言葉を区切り、  
 
   
「それが無事成功した後、彼女の不安定な心を支えることができるのも、あなただけなんですから」  
 
 
 俺はすぐさま走り出した。  
 一路ハルヒのもとへと。  
   
 そして走りながら携帯の時刻を見る。  
 おそらくギリだな。  
 
 ――まってろ、ハルヒ。  
 
 俺は気持ちスピードを上げる。  
 正直、登山中のいざこざのおかげで、俺のライフゲージはすでに赤く点滅しているのだが、んなこと今は関係ない。  
 長門を取り戻す為、俺はがむしゃらに走り続ける。  
 
 そう、これは俺にしか出来ない事。  
 その為に、俺が向かわなければならない。  
 
 四年前の七夕に手にした、最後の切り札を胸にしまって。  
 
 
 飛ぶが如く。  
 
 
 
 ――いざ、最終決戦へと。  
 
 
 
 
 手にしたチケットに記されてある番号と、それぞれの座席の窓側に記されてある番号を代わる代わる眺めつつ、  
俺は車両内を不審者のごとく彷徨う。  
「お、ここだ」  
 俺が鶴屋山をせっせと下山したあと、直ちに古泉と連絡を取り、ハルヒの帰省先の都道府県を伝え、詳しい住所を  
調べてくれるよう頼んだ。  
 すると古泉は、新幹線のチケットを立ちどころに手配し、俺が新幹線を降りるまでに詳しい住所を調べておくと  
約束した。ちなみに、俺にチケットを手渡してくれたのは新川さんだ。  
 俺は自由席でも一向に構いやしなかったのだが、気前のいいことに今手にしているのはグリーン車のチケットで  
ある。こういう前向きに座るタイプの車両で膝を伸ばすなんざ、俺にとっちゃあ一生縁のない事だと思っていた  
ばかりに、いざ実際にそういう事態に直面すると、何だか反って落ち着かない。  
 そう感じながらも、俺は優雅に足を伸ばして足先をクロスさせ有名人になった気分を味わいつつも、一刻も早く  
ハルヒのもとへと、逸る気持ちを運転手に託して到着を待ちわびていた。  
 
 そして、心地良いグリーン車に揺られること一時間半。  
 目的地を告げる車内アナウンスが響き、俺は快適な列車の旅に後ろ髪を引かれつつも降車を余儀なくされた。  
 すると、俺が降りるのを見ていたかのように、妹に勝手に設定されたアイドルグループの曲の着信音が鳴り出す。  
これなら、ハルヒの「着信音1」の方がまだマシだぜ。  
『詳しい住所が解りました。今から言いますので、メモの用意を』  
 俺は古泉に言われたとおりにメモを取り、乗り換えのホームへと颯爽と足を進める。  
 
 この後、さらにもう一度乗り換え、次は三時間に一本のバスに運良く十分で乗り継ぎ、ようやく残りは徒歩となる  
ところまで辿り着いた。  
 深々とした緑や土色が辺り一面の大部分を占め、建物といえばこれまた土色に近いおよそ木造建築の住宅程度  
しか見当たらない。これぞ田舎といった様相である。  
 ここが、あの迷惑娘を作り出す過程で一役買った人々の町、というか村だなこれは。  
 などと、ハルヒの祖父母に対して失礼極まりない所存を抱きつつも、メモのとおりに歩を進める。  
 しかしだな、このままハルヒ祖父母宅に突撃するのか? そろそろ晩飯時なのは間違いないが、俺はヨネスケに  
なった覚えはない。  
 何つうか、考えてもみてくれ。いきなりこんな田舎くんだりまでやってきて、全く面識のない友人の祖父母宅を  
訪ねるなんざ、どう考えてもおかしいだろ、普通は。まあ、普通ではない状況ゆえにこうして来ているのだが。  
 都合良くハルヒの方からこちらへ向かってきてくれる、なんてことはないのだろうか。  
 俺は歩けど一向に変わらない景色をぼんやりと眺め、差し当たってハルヒ祖父母宅を訪ねる以外の手段が閃く  
こともなく、そのままメモが記す場所を一路目指していた。  
 
 そして、この変わらない景色に飽き飽きし始めていた頃、畑に囲まれた景色の中、その中の一つの畑の中だ。俺の  
視線が一人の人影を捉えた。  
 低めの背丈、肩口よりほんの少し下ほどの長さの黒髪、そして何より、両サイドにリボンをあしらった黄色い  
カチューシャが、その人影の正体を物語っている。  
 
 
 ――いた。  
 
 
 一年間ずっと見続けてきた後ろ姿を、俺が見間違えるはずがない。  
 まごうことなき、ハルヒだ。  
 結果的に、祖父母宅に今晩のご飯は何なのかを訪ねるようなことをせずに済んだのはいいが、あんなところで  
何をやってんだか、あいつは。  
 俺は、その微動だにせず突っ立っている後ろ姿に近づいていく。  
 考え込んでいるのか、俺の存在に気付く様子は全く見せない。  
 
「よう、元気か」  
 後ろを振り向き、俺の存在を確認したハルヒは、何とも言えぬ表情をしてくれた。  
「え?……な……何やってんのよ、あんた! こんなとこで!」  
 実にいいリアクションだな。俺は今、目を見開いて驚くハルヒという、すこぶる貴重な場面に直面している。  
「こんなとこも何も、ちょっとお前に用事があってな」  
「何よそれ。わざわざこんなことまで来る程の用事って何なのよ?」  
 用事という言葉が稚拙に感じるほど、程度の甚だしい大役を任されてるんでな。  
「まあ、それは置いといてだな。どうだ、楽しいか田舎は?」  
「は?……どっちなのよ、まったく。まあ、正直暇ね。ほんとに何にもないし。こうして突っ立って哲学的思考を  
廻らせる事ぐらいしかやる事がないわね」  
 ハルヒは溜息をつき、その暇さ加減をぶしつけに行動で示す。  
「なんだ、おじいちゃんおばあちゃん孝行でもするんじゃなかったのか?」  
「してるわよ。今はちょっと息抜きで外に出てるだけなんだから」  
 何だそりゃ。暇なのか息抜きが必要なほど忙しいのか、よく解らん言い草だ。  
 だが、そんな俺のつっこみをハルヒは無視して、  
「そんなことはどうでもいいわ。で、何なのよ。用事って」  
 俺は、ひとまず間を置き、目を瞑って緩んだ気持ちを入れ直し、  
「ハルヒ、SOS団が今、大変な事になってる」  
 真剣な眼差しでハルヒを見据える。  
「……ど、どうしたのよ。そんな真剣な顔、あんたに似合わないわよ……」  
「長門が消えちまった」  
 つかの間、ハルヒの動きが止まる。  
「消えたって……ちょっと、あんたが何かやらかしたんじゃないでしょうね。襲ったとか」  
「アホか。何だって俺が長門を襲わなきゃならん」  
「ならいいけど。あんた、何か心当たりはないの? ちゃんと有希が行きそうなとこは全部探した?」  
「ハルヒ、違うんだ。消えたといっても、失踪とか縁起悪いが死んだとかそういうことじゃない。文字通り、消え  
ちまったんだ」  
 ハルヒは痴呆症患者でも見るような視線を俺に向けてくる。何やら谷口視点に立ったような気分だ。  
「……は? あんた何言ってんの? もともとおかしかったけど、さらに輪を掛けておかしくなったんじゃない?  
わざわざそんなこと言いにここまで来たわけ?」  
「ハルヒ、覚えてるか? 俺がだいたい一年前に……そうだ、あの五月の二人だけの市内不思議探索の時だ。その  
時に俺が言ったことをだ」  
「覚えてるも何も、二人だけしかいなかったんだから色々会話があったでしょうが。どの話のことよ」  
「長門が宇宙人で朝比奈さんが未来人、古泉が超能力者だって話だ。どうだ、思い出したか?」  
「思い出すも何も、覚えてるわよ。で、それがどうしたのよ。実はあれは本当の事なんだ、って類の話なら一切受け  
付けないから」  
「その通りなんだ」  
「やっぱり、あんた前にも増しておかしいわ」  
「ハルヒ、俺はおかしくなんかなっちゃいない。信じてくれ。お前が信じてくれんと話にならん。長門が消えた  
ままになっちまう」  
「何であたしが信じないと有希が戻ってこないのよ」  
「簡単だ。お前にはそれだけの力が備わっているからだ」  
 俺がそう言うと、ハルヒは得意げにそのキュッとくびれた腰に手を当て、  
「まあ、確かにあたしの手に掛かれば有希の一人や二人くらい、ちょろっと連れ戻してあげるけどね。でも、いくら  
団長だからって頼りすぎはダメよ。団員を成長させる事も団長の仕事の内なんだから」  
「それも違うんだ。そういう意味での力じゃない。何というか、お前の力が一番説明し辛いんだよな」  
 SOS団の皆でも、三者三様の説明だったからな。  
 
 だが、やっぱりここはあいつの言葉を借りるべきだろ。  
「これは長門の受け売りだが、お前には自分の都合の良いように周囲の環境を操作できる力がある。まあ、要する  
にだ。お前が思ったり願ったりすれば、何でもその通りになるって訳だ」  
「あっそ。すごいわねあたしって」  
 ハルヒはものの見事に信じていない。だが、俺は構わず続ける。  
「そう、すごい事なんだ。お前が宇宙人や未来人や超能力者と遊びたいと思ったから、長門と朝比奈さんと古泉が  
SOS団にいる。それがお前の適当な人選だったとしても、結果としてお前は的確にあの三人を集めたんだ。お前  
がそう望んだからな。そしてだ。お前が長門の消滅を信じ、心から戻ってきて欲しいと思えば、きっと長門はまた  
俺たちの前に現れてくれる。ハルヒ、これは冗談でも俺の頭がイカれた訳でも何でもない。まごうことなき、事実  
なんだ。なあ、お前はこの一年の間で、何か些細な事でもいい、おかしいと感じた出来事はないか? 今のは気のせい  
だと自分に言い聞かせたような出来事はないか? 思い当たる節があるなら言ってくれ。全部真相を話してやる」  
 これほどまでに真摯に、俺が古泉ばりの長台詞を放つを目の当たりにし、ハルヒは動揺の色を僅かながら見せ  
始めた。  
「……じゃあ、仮に、仮によ。みんなの正体があんたの言うとおりだったとして、あんたは……あんたは何者なのよ」  
 そりゃもっともな質問だ。俺が一般人だということは揺るぎの無い事実だが、何ゆえに俺がお前に選ばれたかと  
いう疑問に関しては、こちとら説明しかねる。なんせ俺が説明して欲しいくらいだからな。  
「ああ、俺か。俺は正真正銘、長門と古泉お墨付きの凡庸たる一般人だ」  
「何それ……てっきり異世界人とでも言うのかと思ったわ。まあ、当然よね。あんたはどこをどう見ても普通以外  
の何者にも見えないわ。じゃあ、何で一般人のあんたが団員に選ばれたのよ」  
 そらきた。  
「それはこっちが訊きたいくらいだ。何で俺をSOS団に入れたんだ?」  
 問い質したつもりが逆に問われるという不意打ちを受けたハルヒは、一瞬戸惑い、  
「そりゃあ、何ていうか……あんたの台詞を聞いて思い付いたんだし……その……」  
「その、何だ?」  
「だから……あーもう! 雑用よ雑用! 雑用係に特別な属性なんかいらないでしょ!」  
 ハルヒは口を尖らせてフンと横を向く。見慣れた仕草だ。  
「そうか……てことはだな、俺以外の皆は特別な属性があることを信じてくれたって思っていいのか?」  
 妙な間が空く。その僅かな間に、一瞬ハルヒの目が泳いだのを俺は見逃さなかった。  
 だが、それは誠に一瞬の出来事で、ハルヒはすぐさま気を持ち直し、キッと俺を睨み付ける。  
「うるさいっ! 今更……今更そんなこと信じられるわけないでしょ!」  
 と、吐き捨てたハルヒは後ろに振り向き、ツカツカと早歩きで立ち去ろうとする。  
 だが、俺はハルヒの腕を掴み、  
「待てハルヒ! 頼む、信じてくれ。長門を取り戻せるのはお前だけなんだ!」  
「あんた、しつこいわよ!」  
「お前は長門を見殺しにするってのか!」  
「は? 見殺し? 死んだんじゃなくて消えたんじゃなかったっけ!? とうとうボロが出たわね!」  
「揚げ足を取るようなこと言わんでいい! 頼むから、長門を取り戻せるよう願ってくれ!」  
「黙れっ! もうあんたの話はうんざりよ! 急だけど、なんとか明日に帰ってすぐ有希を探しに行くから、今は  
とっととここから立ち去って家に帰りなさい!」  
 乱暴女は強引に俺の手を振り払い、今度こそ俺の前から立ち去る。  
 
 だが、俺はちっとも焦ってなどいなかった。  
 俺がこの乱暴女に対して今から投げ掛けるのは、対涼宮ハルヒ用にして最大最強のリーサルウェポン。  
 そう、俺はまだ切り札を残している。正真正銘、最後の切り札だ。  
 防御回避不能にして絶対必中。  
 遠ざかる背中に、俺はそれを放つ。  
 
 
「待てハルヒ!『あたしならここにいるから早く現れなさい』」  
 
 
 早歩きで去っていくハルヒの動きが、ピタッと止まった。  
 すぐ様こちらへ振り返り、殺気のみで小動物を殺せそうな程、ものすごい形相で俺に近づいてくる。  
 そして、俺との距離を詰めるや否や、金でも脅し取るのかという勢いで俺の胸倉を掴む。  
 まったく、あの改変世界のハルヒと似たり寄ったりのリアクションをしてくれる。  
「……何よ今の。あんた、それどこで覚えた?……」  
 先程の小動物殺しの形相をそのままに、俺に凄まじい眼光を突きつけてくる。こりゃ人間でもやばい。  
「どこでも何も、これはお前の言葉じゃなかったか? よかったじゃないかハルヒ。彦星と織姫は十六年どころか  
たった三年で、お前のこのメッセージの意味するところを実現させてくれたんだからな」  
 その凄まじい眼光は、みるみる動揺の色で覆われていく。顔はそのままの形相なばかりに、異様な表情だ。  
 同じく動揺の隠せない、端々に震えが感じられる声で、  
「……何で、何であんたがそれを……。あれは、あたしとあの時の変な高校生しか知ら……え? まさか……」  
 ようやく、俺のしょぼい胸倉が開放される。ハルヒの顔にも、もうあの形相は見えない。  
 
「ハルヒ。俺にはな、お前や皆がこぞって呼んでいるすっかり定着したマヌケなニックネーム以外に、もう一つの  
ニックネームがあるんだ」  
 
 そう。それは、四年近くにも及ぶ歳月の間、ずっと温められ続けてきた固有名詞。  
 
「だがな、そのニックネームを知るのは人口約六十億の世界でただ一人。ハルヒ、お前だけなんだ」  
 
「……うそ……そんな……」  
 
 そして、おそらくこの瞬間こそが、俺があの時の七夕へ朝比奈さんと同行させられた、一番とする理由。  
 
「そのニックネームこそが――」  
 
 
 そして今、すべてに終止符を打つべく一言を、俺は放つ。  
 
 
 
「――ジョン・スミスだ」  
 
 
 
 はっきりと力強く言うことが可能だった。  
 そう、あの時と違い、今はネクタイを締め上げられている状態ではない。  
「そんな……あんたが……キョンが……あのジョンだったって言うの? そんなの……」  
 何かが限界に達したハルヒの足元がふら付き、よろめく。  
 だが、今はもちろんハルヒの隣に古泉の姿は見当たるはずがなく、俺が手を伸ばして支えてやる。  
 何というか、これ程までにあの世界のハルヒと同様の反応を見せられると、妙に感心というか納得というか。  
 
「何で、何であんたにあんな事が……あんたは一般人なんじゃなかったの?……」  
 俺の手に支えられつつも、ハルヒは自力で立つべくして体勢の立て直しを図っている。  
「ああ、俺は一般人に間違いない。俺に特別な力など皆無だ。あの時、俺が一人の女の子を背負っていたのを覚えて  
るか?」  
 一瞬、ハルヒは思い出しているような素振りで上に目線をやり、  
「……そういえば。なるほど、わかったわ……」  
「あの女の子こそが俺を四年前の七夕へ連れて行った張本人、未来人の朝比奈さんだ」  
「……そう」  
 長門の決まり文句を拝借し、これまた長門ばりの平坦さでハルヒは言う。  
 だが、その短い決まり文句のあと、すぐさま顔を俯け口を開かなくなった。  
 ここは男として、何か気の利いた台詞なんかをほざいてやるべきなんだろうが、俺に限っては度外れな発言に  
到る危険性が高い。  
 俺が古泉のようにそううまく言えるはずもなく、不本意ながら黙っている以外に俺の脳が妙案を叩き出すことは  
なかった。笑いたきゃ笑え、どうせ俺はチキンだ。  
 しばらく、気まずくも二人揃って無言のひと時が流れる。  
 そんな気まずい沈黙を破ったのは、最初に黙りこくったハルヒ本人だった。  
「……バカみたい。みんなすごい事体験してるのに、あたし一人が普通の事して、くだらない事で楽しいなんて  
思って満足して」  
「すまなかったハルヒ。お前に黙ってた事はこの通り、謝る」  
 普段なら、俺がこいつに頭を下げるなんざ天地が何回転ひっくり返ろうがありえない話だが、まあ、流石に今は  
こういう状況だ。だから、な。俺も悪魔じゃないってことさ。  
「……もう、もういいわ。……さぞ楽しかったでしょうね、この一年。でも大丈夫、解ってるわ。今はそんなこと  
言ってる場合じゃないんでしょ。有希がほんとに消えちゃったんだもんね。……有希」  
 解ってくれたか、ハルヒ。いや、お前ならきっと解っ、  
「……でも」  
 ハルヒはまた、顔を俯ける。唇を噛み締めているのが、僅かに見て取れる。  
 そんな直後だった。  
   
 油断した。  
   
 ハルヒは俺に表情を見せる事無く、見事な速さで俺の手をするりと抜け、一目散に走り出した。  
「ハルヒ!」  
 もちろん、俺はすぐさま後を追う。  
「付いてくるな!」  
「付いていかん訳にはいかんだろ!」  
 無意識の内にしょうもないダジャレを口走りつつも、俺はなんとか離されるまいと運動不足ぎみの脚に鞭を  
入れ続ける。  
 だが、そんな出ばなをくじくかのように、俺の携帯のマヌケな着信音が鳴り始めた。  
「くそっ」  
 何だ、こんな時に。選曲が全く状況にマッチしてないのが無駄に腹が立つぜ。  
 俺は走りながらも、おたおたと電話に出る。  
『やりましたね。流石と言えるでしょう。今長門さ……』  
 プチッ。  
 よし、これだけ聞けば十分だ。長門は復活したに違いない。  
 すまんが古泉、お前の長ったるい御高説に耳を傾ける程の余裕など、今の俺には皆無なもんでな。  
 古泉のインテリジェントトークを三秒で打ち切った俺は、再びハルヒを追う事に全ての神経を注ぐ。  
 そうしている間も、休むこと無く激走を続けるハルヒ。  
 どうでもいいが、畑を踏み荒らしまくるのはどうかと思うぞ。  
「やれやれ、とんだ中距離走だぜ」  
 
 
 しかし、何なんだ。いったいどこへ行くつもりだ、あいつは。  
 
 どこへ?  
 
 ……いや、違う。  
 問題はそれじゃない。  
 この内陸部から走って海を目指そうが、チャリンコが無いために走って駅へ向かうのであろうが関係ない。  
 今問題なのは行き先ではない。  
 あいつは……。  
 いったいあいつは、  
 
 
 ――何をやらかすつもりだ。  
 
 
 そう、無意識で、だ。  
 最後のすかしっ屁か何だか知らんが、世界をどうにかしちまうような事だけは御免だぜ、ハルヒ。  
 しかしだな。それを阻止する為には、まずあいつに追い付く事が必須条件な訳なんだが。  
 何つう俊足だ、あいつは。韋駄天もいいとこだ。  
 あいつに、男の俺を立ててあげようという類の気遣いでも生じない限り、追いつける気が毛頭しないのだが。   
「はあ、はあ……頼むから止まってくれ」  
 そりゃ独り言も多くなるってもんだ。   
 
 そんな独り言オンパレードもいよいよ折り返し地点に差し掛かろうとしたその時だった。   
 
 
 ――きた。  
 
 
 この感覚。  
 長門が世界を再改変した時の、あの世界が捻れる様な感覚。それと酷似しているが、比べるとごく小さい。  
 あれの予兆のような雰囲気を感じる。  
 まずい。これは非常にまずいかもしれん。  
 この一年で培った俺の直感曰く、放っておくと直ぐにも破滅的な方向に向かいかねん。  
 
 そこでまた、俺の携帯が鳴り始めた。  
 もう無視でいいだろ。許せ。  
 
 『着信 朝比奈みくる』  
 
 よし、気が変わった。出よう。  
『キョキョンくん! じじ時空震が起き始めてますぅ! このままだと……』  
 やっぱりか。俺の直感も捨てたもんじゃないぜ。  
「はあ、はあ……大丈夫……はあ……です。俺が……はあ」  
 走りながら喋るってのは、やたらと体力を削るもんだ。  
 だが、ここで体力が尽きる事はゲームオーバーに等しく、俺は早々に朝比奈さんとの通話を切り上げ、再びハルヒ  
との鬼ごっこに専念する。相手が岩かと思えば次はハルヒかよ。  
 俺は電話を切る際に、時刻を確認した。  
 
 六時五十五分。  
 
 確かハルヒのとんでもパワー封印は七時十五分。  
 あと二十分。  
 これは長いのか短いのか。  
 どちらにしろ、タイムオーバーを狙うのはリスクが高すぎる。  
 ということは必然的に、俺がハルヒに追い付く以外に打開策は無いことになるが……。正直、体力的にはもう  
かなり厳しいところだ。追いつけんのか、これ。  
 
 だが、俺の必死の追跡も空しく、いかんともし難い運動能力の差で、先程からハルヒとの距離は開く一方だった。  
 そして、ハルヒが建物の角を曲がるところを見たのを最後に、俺はとうとうハルヒを見失ってしまった。   
「はあ、はあ……どっちだ?」   
 T字路を勘で右折する。  
 ちくしょう。徐々に時空震がでかくなってきやがる。  
 
 六時五十九分。  
 
 こりゃこの調子だと十六分経たないうちに、ハルヒにとんでもない世界にされちまう。  
 まったく、あいつは何だってこんな大それた事を仕出かそうとしてやがる。  
 もう今のハルヒなら、これほどの厄介事は起こすまいと思っていたんだが……。どうやら浅はかだったようだ。  
 まあ、そりゃ多少ショックなのは全く解らんわけでもないが……。  
 そりゃハルヒにとって宇宙人未来人超能力者というものは――  
 
 
 ――ああ、そうか。  
 
 
 そりゃそうだよな。  
 
 
 ハルヒはずっと何年も、そう、俺が漫画的特撮的な非日常にふらっと出くわすのを夢見ることをやめてからも  
ずっと、諦めることなく願い続けてきたんだよな。しかもそれは、ジョン・スミスであるところの俺のせいだと  
いう事実が、少なからずある。  
 そして、そんな心の底から願い続けてきた事がようやく実現したってのに、それを知ることはなく、むしろ今の  
今まで隠し続けられて。  
 だが、隠さなきゃならなかった、って事はハルヒも解ってくれてるんだと思う。  
 解ってるが故に俺に文句も言わず、だが湧き出てくる感情をどう処理していいのかも解らず、思いのほか走り  
出しちまったんだよな。一人になりたかったんだよな。  
 それだけじゃない。他にも色々と思うところがあるんだろう。  
 
 ……やりきれねえよ。  
    
 これは、誰かが悪い訳じゃない。つまり、諸悪の根源というものは存在しないんだ。  
 でもな、だからって何一人でウジウジしてんだ、ハルヒ。らしくもない。  
 なら、ここぞとばかりに俺に当たればいいじゃねえか。いつもの事だろ?  
 お前に唾と共に暴言を浴びせられるなんて荒事は、俺はもうとっくに慣れてるんだからよ。  
 ここ一番って時に一人で抱え込んでどうすんだ。  
 まったく。  
 しょうがねえ、今回だけだぞ。どこぞのスーパーではないが、特別出血大サービスだ。  
 仕方なしにではなく、俺自ら当たられ役に立候補してやる。  
 だから。  
 
 
 
 ――待ってろ、ハルヒ。  
 
 
   
 そんならしくないお前なんぞ、ちっとも見たいと思わねえからな。  
 
 
 七時二分。  
 
 俺がひと通りの思考を巡らせ終え、時刻を確認した直後。  
「いた」  
 倉庫らしき建造物のシャッターの手前に、膝を抱えて座り込んでいるハルヒの姿を捉えた。  
 まったく、マジでらしくもねえ格好してやがる。  
 近づく俺に対して、ハルヒはもう逃げる様子は見せない。  
「おい、何で逃げたんだ」  
「……うるさい。付いてくんなって言ったでしょ」  
 ハルヒは、俺の方に顔を向けずに言う。  
「ったく。なに塞ぎ込んでんだお前は。らしくもねえ」  
「……何よ、それ」  
「いつからそんな気弱になっちまったんだ、お前は」  
「うるさい……うるさいうるさいうるさい! あんたに……あんたにあたしの何がわかるってのよ! あんたは  
いいわよね。この一年、あんたはさぞ楽しかったんでしょうね。色んな事体験したんでしょうね。ひそひそと  
あたしに隠しながら有希やみくるちゃんや古泉くんとよろしくやってたんでしょうね、どうせ!」  
「ああ、色々と不可思議な体験をさせてもらった。二度ほど命を失いかけたがな。けどな……」  
「けど何? 隠さなきゃいけなかったって? 解るわよそれくらい!」  
「ならいつまでもウジウジしてんじゃねえ! これからいくらでも不思議的非日常的体験をすればいいだろ!  
だが、確かに隠さなきゃならなかったとはいえ、隠してたという事はマジで謝る。だからそろそろ立ち直れ!」  
「やっぱりあんた全っ然わかってない! そんな単純じゃないのよ! あんたが……あんたがあたしを北高に導いて  
おいて何そのザマ!」  
「じゃあいったい何だってんだよ!」  
「そんなの……あたしにも解んないわよ!」  
 なんだそりゃ。相変わらず目茶苦茶な物言いだ。  
「……もう、もういいわ……」  
 時空震の予兆の膨らみ方が、先程よりも勢い付き出している。  
「……おい、待て、やめろ」  
「は? 何が」  
「いいから、とりあえず落ち着け……」  
「落ち着け? あんたが……あんたが解ってないこと言うからでしょ!」  
「わかんねえよ! 俺に読心術などの能力は持ち合わせてねえ!」  
「うるさいっ!!」  
 まずい。もう予兆なんかじゃねえ。  
 くそっ。つい感情的になってしまう。  
 世界の危機はもう目の前に控えてるってのに。  
 俺は……俺はハルヒに何を言ってやればいい?  
 どうすれば……どうすりゃいいんだ?  
   
 七時九分。  
 
 あと六分。  
 無理だ。ニ、三分ももつかどうか怪しい。  
 
 何か、何か打開策は無いのか?  
 時間がない。  
 考えろ。  
 何かあるはずだ。  
 今ばかりは、世界はマジで俺の双肩に懸かっている。世界も安くなったもんだ。  
 
 ヒント。  
 そうだ、ヒント。朝比奈さん(大)のヒントだ。  
 あの時、朝比奈さん(大)はすでにヒントは言ってあると言った。  
 
 どこでだ?  
 
 どこで言ってた? あの日の会話を思い出せ。  
 何か、それらしき事を言ってなかったか?  
   
 ……くそ、解らん。  
 ていうかだな、あの日の会話とは限らないんじゃないのだろうか。  
 だとすれば、今までに交わしてきた朝比奈さん(大)との会話を全て思い出さなけりゃならん。  
 ……勘弁して下さいよ、朝比奈さん。  
 だが、今は愚痴をこぼしている時間などない。  
 全ての神経を記憶中枢に注ぎ込め。  
   
 思い出せ。全ての言葉を。  
 何か。  
 何かあっただろ?  
 
 
 
 くそっ。  
 
 ……無理だ。  
 ていうか、朝比奈さん(大)のヒントといえば、  
 
 
 
 『白雪姫って、知ってます?』  
 
 
 
 これしか思い出せねえ。  
 
 
 
 
 
 ……って。  
 
 
 
   
 ……まさか。  
 
 
 
 
 ……マジですか、朝比奈さん。  
 
 あのヒントが今の状況にも掛かっていたとでも言うんじゃなかろうな?  
 
 
 ベタだ。またしてもベタだ。  
 最後の最後で、再びこんなベタな展開が待ち受けていようとは。  
 この展開で始まり、この展開で終わるなんざ、今時てんで安っぽい昼ドラでもありゃしねえ。  
 
 
 だが、今の俺には、もう迷いなど無い。そんな時間も無い。  
 
 
 俺は、ハルヒの両肩に手を置く。  
 
 
 
 
 そして。  
 
 
 
 
「もう知ってるかとは思うが、俺、ポニーテール萌えなんだ」  
  『俺、実はポニーテール萌えなんだ』  
 
 
「……え?」  
  『なに?』  
 
 
 
 
 
 ――そう、それはまるで。  
 
 
 
 
 
「一年前に見たお前のポニーテールは、そりゃもう反則なまでに似合ってたぞ」  
  『いつだったかのお前のポニーテールは、そりゃもう反則なまでに似合ってたぞ』  
 
 
 
 
 
 ――あの場面の焼き増し。  
 
 
 
 
 
「……それって」  
  『バカじゃないの?』  
 
 
 
 それは、俺とハルヒにとって通算二回目の。  
 
 
 そして、現実世界に限っては俺たちの、  
 
 
 
 
 ――ファーストキスだった。  
 
 
 
 
 あの時よりも長く、俺たちは唇を重ねる。  
 
 
 ハルヒの肩に入っていた力はすでに抜け、俺に体を委ねてきた。  
 
 
 そんな時、またしても俺は思ってしまったのさ。  
 
 
 
 ――しばらく、離したくないね。  
 
 
 
 時空震が、  
 
 
 治まっていく。  
 
 
 そして、  
「……落ち着いたか?」  
 俺はハルヒの両手首を握る。  
「……けっこうね」  
「そうか、そりゃ良かった」  
 言葉はこれだけだった。  
 しばらく、俺たちはそのまま無言で身を寄せ合う。  
 握っていたのは手首だったところが、いつの間にやら掌に変わっていた。  
 そして、とうとう。  
 
 
 
 ――七時十五分。  
 
 
 
 すべてが今、終わりを告げた。  
 この一年に及ぶ純然たる戦いに今、幕が下ろされた。  
 
 
「……ハルヒ、今まですまなかったな」  
「……もう、いいのよ」  
 お互いに手を撫で合いながら、虫が蠢くほどの小さな声で囁き合う。  
 何だろな、これ。この状況。この状態。  
 後から客観的に考えると、どう捉えても自殺を図りたくなるであろうこと請け合いなのだが、この時ばかりは、  
まあ、何だ、ほれ。  
 ずっとハルヒとこうしてたい、などという血迷い事が脳裏をよぎったのさ。  
 たから、な、今からの俺の行動や発言も、その血迷い事の範疇だと思ってくれ。むしろ、そう思ってくれんと生きて  
いく自信がない。  
 準備はいいか?  
「ハルヒ、これからはもう何があっても一人で抱え込むんじゃない。だから、まあ、何だ、全部俺が受け止めてやる  
からさ」  
「……キョン、ありがと」  
 潤んだ瞳を伴った上目遣い、柔らかな口調、まったくらしくねえ。ハルヒの分際で、何て反則的な事しやがる。  
 俺のミジンコ並の調子なんか、狂って当たり前だ。そうだろ?  
 だから、だから俺はこんな破滅的な行動に出ちまうんだよ。  
「……ハルヒ」  
 今一度、俺はハルヒの両肩に手を置き、そして。  
 
 
 通算三度目。  
 
 
 現実世界で二度目。  
 
 
 今度は、その行為が成される前にハルヒも目を閉じるのが見て取れた。  
 
 
 ――俺の唇が、再びハルヒのそれと重なる。  
 
 
 ああ、もう、何だろな、これ。悪魔が俺の唇をハルヒと離れさせまいとしている。随分と長いんじゃなかろうか。  
 なあ、もう俺も帰るの明日でいいか? このまま離れたくないんだが。  
「……ん」  
 なんとか俺の理性が悪魔に打ち勝ったようで、長かった口付けにようやく終止符を打った。  
「……ハルヒ、俺はもう行かないと今日中に帰れん」  
「……そう」  
「そういえば長門は戻ってきたようだから、お前は明日に帰んなくてもいいぞ」  
「……ううん。やっぱり、明日帰るわ」  
「何だよ。せっかくなんだし、もっとゆっくりすればいいじゃないか」  
「……いいのよ」  
「何がだ」  
「……もう、そう決めたのよ」  
「何でだ」  
 ハルヒは、なぜかみるみる顔を真っ赤にして口を尖らせ、  
「もう! バカ! ほんとのほんっとにバカね、あんたは! 何であたしにそんな事言わせるのよ!」  
 何だかよく解らんが、ようやく元のハルヒに戻ってくれたようだ。  
 やっぱりこいつはこうでないと、俺も本調子になれん。  
 安堵の意を込めて、俺はハルヒの頭をポンポンと軽く叩き、背を向けバス停へと向かうことにした。  
 ハルヒは何やらまだ喚いていたが、それもいつもの事。  
 
 今はハルヒの罵倒が心地良く、俺の頭に響いていた。  
 
 
 
 
 
 ここからは後日談となる。  
 
 俺にとっては、とにかくあらゆる意味で大仕事となった最終決戦の直後、ハルヒは明日に帰るだの帰らないだの、  
どうでもいいような事でわあきゃあ喚いていたが、結局あれから明後日に帰って来ることになった。  
 そんなこんなで日が沈んだり昇ったりを二度ほど見送り、つまり今日がその明後日に当たるという訳だ。  
 そんな明後日な今日に、俺は何をしているのかというと、  
「本当にあなたは良くやってくれました。もう何と感謝して良いのか、それに値する言葉が見当たりません」  
「ありがとう、キョンくん。一時はもう時空震がすごく大きくなりそうで、ほんとに焦っちゃいましたけど」  
 SOS団のメンツ揃い踏みで親分どうぞとばかりに、すべからずしてハルヒを出迎えようとしていた。  
 もちろん、そこには、  
「…………」  
 無事、復活した長門の姿もある。  
 お前が戻ってきてくれて、ほんとによかったよ。  
 こればっかりは、あの時強情にも諦めようとしなかった古泉のおかげだと言ってやってもいい。実際に口には  
出さんが。  
 何事も投げ出さずに諦めない事が大事だという、とてつもなくベタな事を身を以て知らされることになったな。  
負けない事投げ出さない事逃げ出さない事信じ抜く事。ありがとう、懐かしき大ヒットソング。  
「長門さん。情報統合思念体は、記憶の改竄を行わないつもりだったのですか? それとも、もう少し後に行う予定  
だったのでしょうか」  
 そう。その事に関しては俺も疑問に感じていた。  
「行わない予定だった。統合思念体は、涼宮ハルヒの能力が封印される事を事前に知っていた。だが、今のままでは  
進化の可能性の糸口を全く掴めないまま終わってしまう事に相応しい」  
 そこまで言い終えてから、長門は俺に視線を向け、  
「あなたが涼宮ハルヒに事実を告白することによって、大きな情報フレアが起こる事に統合思念体は賭けた」  
「なるほど、その大きな情報フレアから進化の可能性を見出そうとしたのですね」  
「そう」  
「確かに、またいつ涼宮さんの力の封印が解かれるか分からないですからね。もしかすると、もう解かれることは  
無いのかもしれないですし」  
「わたしに、涼宮ハルヒの能力の封印に関する事項は、一切知らされなかった。だから、記憶の改竄は行われるもの  
と認識していた。誤算だった。けど……」  
 長門は一旦呼吸を置き、  
「誤算でよかった」  
 何だろう。古泉の長門を見る目が以前より、何というか優しさが込められているような感じを受ける。  
 そういや、さっき古泉が来る前に長門が「古泉一樹から、多大な量の謝礼の言葉を受けた」って言ってたっけ。  
 よく考えりゃ当然だな。長門は自分を犠牲にして古泉の命を救ったんだからな。何だか二人いい感じじゃない  
か。よもやこのまま古泉と長門が……。  
 ……いやいやいや、それはない。ありえんだろ。たとえあったところで、そんなことは俺が断じて許さん。別に  
俺が長門とどうこうなりたい訳ではないが、長門にしろ朝比奈さんにしろ、まあ、ハルヒにしろ、他の男とどうにか  
なるのは何だか釈然としない。  
 俺もハルヒとあんな事があったばかりだってのに、何を考えてんだかね。思春期特有の妙な独占欲だろ、たぶん。  
 
「そろそろ、涼宮さんが到着する頃でしょうか」  
 皆が、めいめいの雑談に花を咲かせているさなか、巣からわんさか出てくる蟻のように、駅の改札口から人が溢れ  
出してきた。  
 俺を含め、皆が改札口周辺に照準を合わせキョロキョロと視線を泳がす。  
 いよいよ、その改札口の一角から、  
「待たせたわね!」  
 ギラギラしたオーラを纏った女王蟻が、俺たちの前に堂々と姿を現した。  
 
 
 それからの春休み、俺たちSOS団はといえば、団長の号令のもとかの有名学園ドラマのオープニングに見る  
生徒のように金八よろしくハルヒのもとへ素早く集合し、相も変わらず様々なイベントをこなしている。  
 ハルヒの力が封印されたところで、結局やる事は一緒ってわけだ。だが今までと違うのは、差し当たり妙な厄介事  
に巻き込まれることが無くなったという事だ。  
 何だかんだ言いつつも俺はそれなりに楽しんでいただけに、終わってしまって寂しくないと言えば嘘になる。  
 まあ終わってしまったものは今さら何を言おうが仕方がない。覆水盆に返らずってやつさ。  
   
 さて、SOS団の特別属性持ち団員である俺以外の三人についてだが、どうやら現状に変わらず引き続きここに  
居座ることになったようで、俺としては喜ばしい限りだ。おそらく皆にとってもそうだろう。  
 その事について、俺は皆から三者三様の説明を受けたんだが、つまりハルヒの力がいつまた開放されるか解らない  
が故に、続けて観察の任務を全うすることになった、という事らしい。俺なりの解釈によれば三人ともだいたい  
こういった内容の説明だった。  
 だが長門に関しては、どうやらハルヒへの説明不足が仇となったのか、能力のシバリは付いたままらしい。まあ、  
ハルヒに力が皆無な現状では、そうそう俺たちにちょっかいを出してくる輩も存在しないことだろうし、さほど  
心配することでもないだろう。  
 とにかく、SOS団からは誰一人とも脱退者が出ずに来年度を迎えることができるというわけだ。  
 
 
 そうして最後になったが、ああいうことがあった俺とハルヒはといえば、  
「…………」  
「…………」  
 今日も今日とて、花見というこれまた日本人としては外すことのできない風習に我らがSOS団も乗っかろうと  
いうことで、俺は集合場所の駅前にて皆が揃うのを待ち呆けているのだが……。  
 偶然なのかワザとなのか、集合時間十五分前にも関わらず、俺とハルヒ以外のメンツはまだ姿を現さない。  
「……お、遅いわね。みんな」  
「……そ、そうだな。まあ、約束の時間まであと十五分あるしな」  
 皆がいる時はさしてそうでもないのだが、二人きりになるとどうにもお互いを意識してしまう様子で、何だか  
妙にぎこちない。唇にあの暖かい感触が蘇る。うむ、実にやーらかかった。  
「ちょ、ちょっと。あんたじーっとどこ見てんのよ」  
 まずい。何やら無意識の内にハルヒの唇に見とれていたらしい。  
「い、いや、つい、ちょっと考え事をだな……」  
「……ふーん、考え事、ね」  
 それはともかく、そのぎこちなさも嫌な感じはしない。何というか、この微妙な距離感がもどかしくも意外と  
心地良い。  
 ハルヒは、あれから俺の事をどう思っているのだろうか。  
 一方俺はといえば、たぶん、まあ、ほれ、あれだ。世間一般でいうところの、きっとそういうことなんだろう。  
   
 だが、当分はこのままの関係で十分だと俺は思っている。つまり恋愛的愛憎的な進展とやらは、まったくもって  
今は望んでいないということだ。  
 もちろん、今の俺はハルヒに対してそういう類の感情を抱いている事は否定しない。  
 だが、俺とハルヒがいわゆる恋人同士とやらにでもなろうもんなら、今のSOS団の人間関係が壊れてしまう  
ような気がしてやまない。  
 だから、当分俺はハルヒに対する接し方を以前と変えるつもりはない。  
 ハルヒだって、俺に対して普通に振る舞おうとしてるように見えるしな。  
 
 
 今の俺にとっては、SOS団が何よりってことさ。   
 
 
 お前もそう思うだろ?  
 
 
 
 ――なあ、ハルヒ?   
 
 
 
 
 
 ああ、そうだ。  
 
 ひとつ忘れてた。  
 
 
 
「ハルヒ」  
   
 
 そういや、  
 
 
「何よ」    
 
 
 最後にこれだけは言っておかなきゃならない。  
 
 
 
 
 
「それは、俺にはマジで笑えることだったんだ」  
 
 
 
「……は? 何が」  
 
 
 
 
 
 気付けばもう丸一年。  
 本格的な春を告げる暖かい風が、俺とハルヒの頬を優しく撫でていた。  
 
 
 
 
 
 
 
 
                                  ――――ラスト・ラプソディ  
 

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