「三人寄ればもう一人寄る」
北高に入学して数ヶ月。涼宮さんの電波的な自己紹介に始まって朝倉さんの急な転校なんていうショックな出来事もあったけど、もうすぐ夏休み。私は人見知りしないほうだから男女共普通に話す。涼宮さんとは未だにあまり喋れないけどね。
でもまあこの頃になると誰々は誰々の事が好きだとかそういう色恋話の噂が出てくる。けれどそういった他愛のない噂話なんてよくあることで雑談の部類に入るものね。だから10分も経てば忘れてしまうくらい気にならないことだった。
『瀬能さんと剣持さんは二人とも榊君のことが好きらしい』
なんていう特に身近な友達の噂を耳にするまでは。
その噂には、尾ヒレがついていた。
『剣持さんは、瀬能さんが榊君とくっつかないよう瀬能さんの悪いイメージを榊君に吹き込んでいる』
正直言うと、剣持が榊君のことを好きなのは知っていた。私と剣持と瀬能は部活が一緒で仲良しだから、自分が好きなのは誰かなんてことを言いっこしたことがある。その時剣持はあっさりと榊君の名前を出した。瀬能は少し黙った後
「私、まだいないのよね。」
としか言わなかった。だから剣持は瀬能も榊君のことが好きだなんて知らないはず。それとも噂で知ったのかしら。どっちにしても剣持がそんな安物の昼ドラみたいなつまらないことするわけがない。私は信じなかったけど、こういう噂に限って当事者の耳に入ってしまうものなのよね。
私が異変に気づいたのは、お弁当の時だった。
「あれ?瀬能は?」
聞いてきたのは剣持だった。私達はいつも三人でお弁当を食べるのだけれど、瀬能の姿がない。私は教室を見渡した後
「学食にでも行ったのかしら?」
と答えた。お弁当の時間ついに瀬能が姿を見せることはなかったから、やっぱり学食に行っていたんだろう。
「お弁当忘れたのお昼に気付いたの。慌ててて・・・。」
瀬能本人はそういったけど、何も言わずに学食に行ったことに何か引っ掛かりを覚えた。そしてその引っ掛かりが私たちの関係に亀裂を生じさせる危険性を感じ取ったものだったことに気付いたのは、部活のときだった。
これから本格的な夏になるというのに、手芸部ではマフラーを編んでいた。
「この季節感のない部活動の内容になぜ誰も異議を唱えないのかしらねえ。」
などと三人で無駄口をたたきながらマフラーを編むのが日課なのだけれど、瀬能は私とは話をあわすけど剣持とは口ごもったり話を逸らそうとする。これはおかしい。明らかに剣持を避けている。30人のクラスメイトがいる教室より部室での3人のクラスメイトの中の方が、その違和感がより際立つというものだわ。
帰る途中、私は思い切って聞いた。
「ねえ、今日あんた少し変よ?」
「え・・・?そ、そう、かな?」
瀬能はうつむくだけだった。そこへ
「そうよ何かあったの?悩んでることがあったら相談に乗るわよ?」
剣持も異変に気付いたのか心配そうな顔を瀬能に向けた。
「う・・・うん・・・」
やっぱり剣持に対してだけ態度がおかしい。一瞬あの噂が頭をよぎったけど口には出さなかった。けれど剣持は私との態度の違いにピンときたようで
「やっぱり私に何か不満があるの?言いなさいよ!嫌なのよね、こういうモヤモヤした感じって!」
ついに瀬能に食って掛かってしまった。こうなると普段おとなしい瀬能もヒートアップしてくる。
「き、聞いたんだもん!」
「聞いたって何をよ!」
顔を高潮させ涙目になりながら瀬能が口にしたのは、やはりあの噂だった。剣持は数秒面食らったような顔をした後今度は呆れ顔で
「何を言い出すかと思えば・・・。あんた、私がそんなことするわけないでしょ?第一あんた好きな人いないって言ってたじゃない!」
剣持、あんたニブいわよ。ここまでくれば瀬能も榊君のことが好きかもしれないってうっすら気付きなさいよ。
「私だって榊君のことが好きなんだもん!」
瀬能がついに心の内を吐露した途端、緊張の糸が途切れたのか泣き出してしまった。感情の高ぶりをコントロールできなくなってしまったんだろう。さすがに剣持も慌てて
「ちょ、ちょっと泣かないでよ!」
肩に手をやろうとしたが振り払われてしまった。大泣きする瀬能に剣持も声をかけることができなくなってしまっている。この状況、よくないわ。
「二人とも落ち着いて。噂なんかで喧嘩するのやめましょう!」
私達の周囲には、瀬能の泣き声だけが響いていた。それに耐えられなくなったのか剣持が一人走り去ってしまい、取り残された私は瀬能をなだめることしかできなかった。
「ねえ、本当に剣持がそんなことしてると思ってるの?」
「ひっく・・・、分からない。本当は剣持のこと信じてる。でも、どうにもならないの・・・。」
私は瀬能をそっと抱き寄せ頭を撫でた。明日からどうなるんだろう・・・
その心配は的中した。次の日からまるで世界が違って見えた。昨日までなら朝教室に入ったら剣持と瀬能にあいさつしてHRの前までおしゃべりして休み時間も話して、一緒にお弁当食べて、というワンパターンだけど楽しい時間が流れていたのに、今日は三人揃わない。剣持と瀬能はまだ昨日の事を引きずっていて完全に口を訊かなくなってしまっている。私が間に入って何とか取り持ってる感じね。お昼も何とか三人で食べたけどいつもより食べ終わるのが早かった。この重苦しい空気、なんでこんなことになったんだろう。部活ってこんなに退屈な時間だったかしら。
それから数日この状態が続くと、私もダウナーになってきた。精神状態が下降気味だと普段何気なくしていることも辛くなる。北高へと続く長い坂道もすっかり慣れたと思っていたのに、坂の角度が上がったか距離が長くなったんじゃないかと錯覚しそうになるくらいしんどくなっていた。そしてその錯覚が自分は何かの修行をしているんじゃないかというところまでレベルアップしてきた頃、事態は急転した。
「うぃーす!」
昇降口で日向に背中を叩かれた。レスリング部の馬鹿力で下駄箱に顔をぶつけそうになったわ。今の私に体育会系の無意味な明るさはこたえる。
「あんた最近暗いわねー!肌が荒れるわよ?」
私がとっさに頬を押さえると、日向はケラケラと笑い出した。
「美容ネタに反応できれば大丈夫ね。」
何に大丈夫なのよ。
「ねえ、ひなた。」
「ひゅうがよ!」
「どっちでもいいわ。漢字にしたら一緒だし。ところであんた、榊君の好きな子って知ってる?」
この質問には何の意味もない。別に仲を取り持とうとしてるわけじゃない。私は少し壊れかけていたのかもしれない。第一こんな質問したら私が榊君のこと好きって思われるかもしれないじゃない。
「榊君には鈴っちがいるわよ。」
そんな私に日向は衝撃の事実を告げた。次の瞬間、私は日向の襟首をつかんでいた。
「詳しく教えなさい!それと鈴っちって誰よ?」
襟首をつかまれた日向は私の腕をパンパンと叩いていた。なにそれ、私はレスリングのルールなんて知らないわよ。
鈴っちというのは、榊君の隣の席の鈴木さんだった。鈴木さんも榊君のことが好きで実はもう告白もして付き合いだしているらしい。私、ぜんぜん知らなかったわよ。まあそんなこと自慢げに言う子もどうかと思うけど、日向は鈴木さんと仲がいいから知ってるわけね。てか日向、そんなこと私にあっさり教えちゃっていいの?内緒事じゃないの?
「でもいずれ知られることだしねー。それに榊君女子に人気あるから変な虫がついたら困るし。」
困るのは鈴木さんでしょ。でもこの日向の話で、私は私達の問題が解決するような気がした。
さて、この話題をいつ二人に振ろう。私は考えた挙句お弁当の時間にすることにした。食べ物を食べながらなら、少し気も落ち着くかもしれない。
「ねえ、今日は中庭で食べましょうよ。」
私は二人を中庭に連れ出し、木の下の日陰になっている部分の芝生に座った。お弁当箱の蓋を開け、数日続くこの重い空気を打開するため口を開いた。
「今日は聞いてもらいたいことがあるの。榊君のことよ。」
剣持と瀬能の箸が止まる。
「食べながら聞いて。」
お弁当を食べるよう勧める。
「榊君、鈴木さんと付き合ってるそうよ。」
うつむいていた二人が顔を上げ、私を凝視した。瀬能は大好物のエビフライを地面に落としたことにも気付かない。
「だからね、剣持と瀬能が仲悪くなる必要なんてどこにもないの。元通り、三人仲良くやりましょう。」
しばらく沈黙。
「そっかあ・・・」
「なんか私達、ピエロみたいだったわね。」
二人の顔が、憑き物が取れたように柔らかくなった。
「変な噂に踊らされちゃったけど、榊君のことが本当に好きなら、その幸せを願うのが女ってものよ。」
私は自分に言い聞かせるように二人に話した。
「そうね。人の恋路を邪魔するほど私は野暮じゃないわ。」
剣持はそう言うと瀬能の顔をじっと見つめて
「ごめんなさい!」
私達の周りから重い空気が散っていく。瀬能も
「わっ私こそごめんなさい。ひっこみがつかなくなっちゃってて・・・」
やはり二人共、本当は仲直りしたかったのだ。なかなかタイミングがつかめなかっただけなのね。
「さあ、元の鞘に戻ったところでお弁当食べましょう!瀬能、あんたエビフライ落としてるわよ。」
「え?ああっ?!」
いつもの三人での楽しいお弁当の時間が始まった。やっぱり私達はこうでなくちゃいけないわね。失って初めて分かる友情の大切さを改めて実感していると
「でもさあ」
剣持が箸を止めた。
「ならどうしてあんな噂流れたのかしら。」
このバカこのいい雰囲気に水を差すようなこと言うんじゃないわよ。私が横道に逸れかかっている話の流れを元に戻そうと口の中のご飯を高速で噛み砕いている間に瀬能が答えてしまった。
「きっと鈴木さんよ。自分達の付き合いを邪魔されないようあの噂を流したのよ。」
ああ早くこの流れを切りたいのに今日に限ってご飯固いわねえ!
「あふ、あふね。」
まだ口の中にご飯残っていたけど私は喋ろうとした。
「そうね。榊君のこと好きな女子同士で内ゲバをさせようとしたわけね。それなら納得いくわ。」
いかないでよ!しかし私がやっと普通に話せるようになった頃には、瀬能と剣持の間には共通の敵・鈴木さんという構図が出来上がっていた。
「でも私達がそんなつまらない噂でいつまでも仲悪くなってると思ったら大間違いよね。」
「そうよ。榊君だってそのうち鈴木さんの裏の顔を知って嫌気が差すに決まってるわ。」
「その時は私達、もっといい男見つけてるかもね。」
「そうねそうね!そうしたら鈴木さんと榊君二人とも笑ってやりましょう!」
私をほっといて、剣持と瀬能二人で勝手に盛り上がっている。私が最初考えていたこととは少し違う結末になったけど、私たち三人に以前のような活気が戻ったからまあいいわね。ごめん、鈴木さん。
次の日。私が教室に入ると日向が駆け寄ってきた。
「ねえ、私の名字ひゅうがよね?」
朝っぱらから何言ってんのこのコ?今クラスの中では日向の読み方が『ひなた』なのか『ひゅうが』なのかで二派に分かれているらしい。私のネタ、いつの間にクラスに流れたんだろう。てかみんな知っててやってるでしょ。
「ねえ、あんた分かるでしょ?私、ひゅうがよね?」
記憶喪失者のようにすがってくる日向に私はこう言った。
「どっちだったっけ?」
終わり