「朝比奈みくるの告白」
本日より秋です、などと誰かに教えてもらわなくても、日が短くなってきたりだんだん肌寒くなってきたりすれば、おのずと季節の移り変わりを身を持って感じるものである。そして北高生の長袖に見慣れ、学校に植えられている木々の葉が赤からこげ茶色になってくれば、いよいよ冬も近づいてきたかと実感するものだ。しかし、
「みくるちゃん、お茶ちょーだいっ!」
文芸部室に特設されたパソコン机で明日の不思議探検パトロールの計画に精を出す団長様からは、真夏の太陽のようなエネルギーが照射されている。
「は・・・はぁい。」
その太陽風をまともに喰らった人工衛星のように朝比奈さんがふらふらとお茶を淹れるためポットへと向かう。
「みくるちゃん、何してんの?早くお茶よこしなさい!」
「は・・・はぁい。」
どうしたんだ?お茶汲みは朝比奈さんが一番的確に動く仕事なのに、ポットの給水口でも詰まったのか?俺は朝比奈さんを手伝おうと席を立った。ふわふわの髪の毛に吸い込まれるように近づいていくと
「きゅう〜」
突然メイド服を着た朝比奈さんが真横に倒れ始めた。
「あっ朝比奈さんっ?!」
ただでさえハルヒのやつにナース服やらメイド服やら着せられておもちゃにされているようなものなのに、その上床とぶつかって怪我でもされたら北高のみくるファンクラブに申し訳が立たない。俺はバレー選手のように朝比奈さんと床との間に両手を伸ばした。
「大丈夫ですかっ?」
何とか床との衝突を防いだ俺は、しっかり朝比奈さんを抱き寄せて名前を呼びかけた。
「はあ・・・ふう・・・」
ここでようやく朝比奈さんの本当の異変に気づいた。真っ青な顔。大量の汗。額に手をやるとすごい熱だ。
「みっみくるちゃんどうしたのっ?」
ハルヒも事態を理解して駆け寄ってきた。
「とにかく保健室へ連れて行こう。古泉、ドアを開けてくれ。」
「分かりました。」
朝比奈さんを抱きかかえ、古泉が開けたドアを通過する。その後ろをハルヒ達が追ってくる。俺がこの一団で先頭を歩くのはこれが初めてではないだろうか。しかし今はそんな感慨にふける暇はなく、保健室に着く頃には先頭はハルヒが歩いており、保健室の引き戸を開けるや否や
「急患よ!ベッド一台ちゃっちゃと用意しなさい!!」
月まで届くような馬鹿でかい大声を張り上げていた。
その奇声に飲みかけのコーヒーが入ったマグカップを床に落とした保健の先生は、一ヶ月前ほどに赴任してきたばかりの新米の女性だった。細く小柄でなかなかの美人だったので男子生徒ウケはよかったのだが北高に涼宮ハルヒという台風が存在することは知らなかったようだ。ハルヒに続いてメイドさんを抱えて入ってきた俺たちまでよその生徒を見るような目で見ている。せめて演劇部ぐらいに思ってください。
「あ・・・あの、あなたたちは?」
最後尾の古泉が入ってきた後、これ以上の乱入者はいないと状況把握できたのか保健の先生が開けていた口を動かした。
「何言ってんの。この制服見れば北高生って分かるでしょっ!」
「え・・・でも・・・そのメイドさん・・・」
「でもじゃない!上京してきたばかりで右も左も分からない田舎者みたいな理屈で保健医としての仕事を怠慢するんじゃないわよ!それに何なのコーヒーやらお菓子やら!ピクニックじゃないのよ!」
「そ・・・そんなあ・・・これは生徒達に・・・」
「うるさい」
ハルヒの傍若無人な理屈になすすべもなくすでに涙目の保健の先生。苦労して保健医になった自負も、たった一人の女生徒に粉々に打ち砕かれようとしている。髪を後ろに結った保健の先生にハルヒが何故こんなにからむのかよく理解できなかったが、二人のやり取りをのどかに眺めてる場合ではないので俺はそこに割って入り朝比奈さんが急病であることを告げた。先生もようやく本来の用件が理解できたのか、さっきまでの涙目とは打って変わって生徒の健康管理を任される保健医の顔になった。朝比奈さんをベッドに寝かせると聴診器を耳につけた先生が
「さ、男子はちょっと席を外して」
と俺と古泉に目を向けた。俺がその意図に気付かないでいると
「このエロキョン!みくるちゃんのおっぱいを見ようたってそうはいかないわよ!」
ベッドのカーテンを閉められた。そういうことか。
「うーん、変ねえ・・・」
数分後、腕を組んで首をかしげる保健の女先生が俺達の注目を浴びていた。
「で、どうなのよ。みくるちゃん、何かの病気なの?」
朝比奈さんが急病だというのに目を輝かせているハルヒ。こいつにとっちゃ、病気も不思議イベントなのか?
「頬の腫れぐあいがおたふく風邪っぽくて、でも食中毒っぽくもあって、でもどうしてこんなに一度に発症するのかしら。」
自分の守備範囲を超える症状に困惑する先生。
「なんなのよ?はっきりしなさいよ!それとも何?宇宙人か何かの陰謀?みくるちゃんを新ウイルスの実験台にしてるの?」
「う・・・宇宙人?」
ハルヒの宇宙人という言葉に目を白黒させていた保健の先生だったが応急処置はしてくれたということでひとまず胸をなでおろした。
「でもご家族の方に迎えに来てもらうといいわね。一人で帰るのは無理よ。」
ご家族の方?朝比奈さんの家族・・・。間違いなくこの時代にはいないだろう。しかしそんなことをこの気弱な保健の先生に説明できるわけがない。それこそハルヒだけでなく俺まで頭のおかしい人間と思われちまう。俺が事態の打開策に頭を痛めていると、いつのまにか目の前に長門が立っていることに気付いた。
「・・・部室へ行って。」
は?
「今、部室に朝比奈みくるの異時間同位体がいる。あなたに用があると思われる。」
朝比奈さんの異時間同位体・・・って、大人バージョンの朝比奈さんか?ひょっとして何かいい薬でも持ってきてくれたのか?
「・・・急いで。」
俺は朝比奈さんの荷物を持ってくると言い残し保健室を後にした。それにしても長門のあのセリフは朝比奈さんを心配して出た言葉だったのだろうか。とにかく俺は廊下をダッシュして曲がり角もイン寄りを走り文芸部室へ向かった。ドアの前で呼吸を整えるため一度深呼吸をし、そしてドアを開けた。
「キョンくん・・・」
そこには、初めて会ったときと同じ白いブラウスに黒のミニタイトスカートを身にまとった大人の朝比奈さんが俺に微笑を向けていた。そして
「よかった。長門さんなら、きっと私が来たことに気付いてキョンくんをここによこしてくれると思いました。」
と言うなり急に真剣な顔になり
「ごめんなさいキョンくん。私また迷惑かけちゃってますね。」
朝比奈さんは深々と頭を下げた。
「いえ、そんなことより、今保健室で臥せっているもう一人の朝比奈さんはいったい何の病気なんですか?何故あんなに重い症状になっているんですか?」
大人朝比奈さんとの再会に喜ぶ時間も作らず俺は質問した。
「それは・・・」
頭を上げた朝比奈さんが胸を少し揺らしながら真相を話し出した。
「予防接種をしなかった???」
文芸部室の外まで聞こえるくらいの大声だったが、声がウラ返っていたので俺のものとは気付かれないだろう。それより一気に肺の空気を吐き出してしまっため軽い酸欠になってしまった。大人朝比奈さんは終始うつむきながらバツが悪そうに頬を赤く染めながら話し続けた。
「私のいる未来では、ほとんどの病気が根絶されています。けれどそれは逆に言えば病原菌に対する体の抵抗力が昔の人より弱いと言うことになります。なので過去に行く人は必ず予防接種をしなくてはならないんですけどー、」
注射が嫌いな朝比奈さんはそれを怠ったと。
「ごめんなさい。何もなければそれでいいと思っていたんですが、まさかこんなに一度に発症するなんて・・・」
ごめんなさい、とまた深々と頭を下げる朝比奈さん。大人になってもふわふわの髪の毛が何度も頭を下げるので乱れてしまっている。
「原因は分かりました。で、解決法はあるんですか?」
一番知りたいことを切り出した。朝比奈さんは髪を直すこともせずスカートのポケットから一つの小ビンを取り出した。
それは市販の栄養ドリンクのような茶色いビンだった。しかしラベルは貼られていない。
「ウルトラ・スーパー・オールマイティ・ワクチンです。」
なんか、お腹の半月形のポケットから出てきそうなシロモノですが、これで治るんですか?
「はい。あらゆる病気に即効で30分で効きます。保健室の私にこれを飲ませてください。今回は特別に飲み薬にしてもらいました。・・・本当は、この時代の医学で対応できる段階の症状ですが、私の身辺をあまり知られるのは困りますので・・・」
朝比奈さんは俺の手をつかんで手のひらにそのワクチンの入ったビンを乗せた。そして
「不束者ですが私のこと、これからもよろしくお願いします。」
目を潤ませながら両手で俺の片手を握った。俺は肩の力を抜いて
「もちろんですよ。」
と答えた。
「ちょっとキョン、遅いわよ!」
保健室に戻ると、氷枕に頭を乗せベッドに臥せる朝比奈さんの横で早くも保健の先生を新お茶汲み係にしたハルヒがコーヒーを飲んでいた。
「朝比奈さんのカバンにこんなのがあったぞ。」
さっきの小ビンを取り出した。
「きっと常備薬じゃないかな。」
長門を見ると、無表情のままビンを凝視している。
「あんたみくるちゃんのカバンあさったの?」
つまらんことに気付くな。今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ。俺はハルヒを無視してベッドに近寄り、古泉に朝比奈さんの症状の経過を聞いてみた。古泉はニヤケ率0%の顔で
「さきほどから変わりません。熱も下がる気配ないですね。」
俺は朝比奈さんに話しかけた。
「朝比奈さん、俺です。薬ですよ。これを飲めば、すぐに治りますからっ。」
「はあ・・・はあ・・・キョ、キョンくんなの?」
「そうです。さあ、俺を信じてください。」
意識が少し朦朧としているようで朝比奈さんは何度も小ビンを受け取ろうとしたがその手が空を切る。しかたがない。
「朝比奈さん、少し我慢してくださいね。」
俺は朝比奈さんの上半身を起こし、背中に手を回して体を支えた。ビンのキャップを古泉に開けさせ朝比奈さんの小ぶりの口元に運んでいく。
ごくっ、ごくっ、ゆっくりだが、確かに飲んでいた。ビンの中身をすべて飲み終えると朝比奈さんはそのまま眠りだした。
「みっみくるちゃん?」
その一部始終を黙って見ていたハルヒだったが、突然眠りだした病人に驚いたようだ。
「ちょっとその薬大丈夫なの?急に寝ちゃったわよ?」
「大丈夫だ。俺を信じろ。」
いつになく真剣で、確信に満ちた俺の顔にハルヒも何か感じ取ったのか
「あんたがそう言うなら、大丈夫ね。」
しかし俺達の後ろで、すっかり蚊帳の外に出された保健の先生がマグカップ片手に寂しく立っていたことには気付かなかった。
大人朝比奈さんの言ったとおり、30分も経つとベッドに眠る高2の朝比奈さんの顔色がすっかりよくなってきた。汗も引き、荒かった息遣いも普段の穏やかなスピードになっている。
「驚いた。こんなに回復するなんて。」
新米保健医は医学界に発表するつもりなのか俺の持ってきた自称常備薬をキョロキョロと探していたが、すでにビンは俺のポケットの中だ。すみません、これはこの時代の品物ではないのです。
「朝比奈さん目が覚めたようです。」
古泉の声がした方を向くと、ベッドの中で朝比奈さんがきょとんとした顔をしていた。
「朝比奈さん、気分はどうですか?」
「キョンくん・・・。私、どうして・・・」
自分が何故ベッドに寝ているのか理解でいていないようだ。無理もないか。
「急性の発熱で倒れたんですよ。」
まさか大人の朝比奈さん自身が助けに来たとは言えないので適当な症状を告げることにした。
「そうだったんですか・・・。朝から体の調子が変だなとは思っていたんですけど・・・」
予防接種をしなかったせいとは思っていないらしい。いかにも朝比奈さんだ。
「キョンくん・・・」
さっきの大人朝比奈さんのように目を潤ませながら、ベッドの朝比奈さんが手を伸ばして俺の手を握ってきた。
「ずっと私のこと呼んでくれてましたね。・・・嬉しかった。ありがとう・・・」
そしてにっこりと微笑んだ。こんな無垢な笑顔を向けられたら、どんな仕事の疲れも一瞬で吹っ飛ぶってもんだ。
「朝比奈さん・・・」
思わずもう片方の手も使って暖かい朝比奈さんの手をしっかりと握り返した。これって何だ?このシチュエーション、キスぐらいいいのか?などと不埒なことを考えていると
「ひえっ!」
朝比奈さんが青ざめた。俺、顔に出てたかな?しかし朝比奈さんの視線は俺の後ろに向けられていた。ゆっくり振り返ると
「あんたらあたしがトイレ行ってる間に何してんの〜?」
魚をくわえたドラ猫を追い詰めた主婦のような形相をしたハルヒがそこにいた。おまえはコーヒーの飲みすぎだ。
さらに30分ほど経つと、朝比奈さんはベッドから起き上がりいつもの足取りで歩けるようになった。あのドリンク、栄養剤も兼ねていたんではないだろうか。
「まったくみくるちゃんおどかさないでよね!」
「涼宮さん、みなさん、お騒がせしましたぁ。」
保健の先生に頭を下げた。先生は生徒が無事回復したことに喜んでいたがその顔は疲労困憊であった。ようやくハルヒ台風から抜け出せたようなものだからな。しかしハルヒは保健室のコーヒーが気に入ったようで
「また来るわね!」
喫茶店の常連客のように言ってのけた。言われた先生は顔が引きつっていた。てかハルヒ、お前はここに来る様な病気や怪我などせんだろ、まったく。
部室へ戻る途中、
「先ほど部室で何があったんですか?」
と古泉が聞いてきた。小声で聞いてきた時点である程度分かってるんだろ、お前。俺は
「禁則事項だ」
とだけ答えた。古泉は肩をすくめて残念そうな顔をしていた。
次の日。
朝比奈さんの急病の翌日だというのに、市内パトロールは行われた。ただし午後から。ハルヒなりに朝比奈さんを気遣ったのかもしれないが、どうせなら完全に中止にして欲しかったね。
爪楊枝による組み分けで朝比奈さんとペアになったハルヒは満面の笑みで
「さあみくるちゃん!寝すぎて硬くなった体をほぐすわよ!」
と朝比奈さんの手をつかんで引きずるように歩いていった。ハルヒ、無理させてぶり返させるんじゃないぞ。
そして帰り際俺は朝比奈さんに言おうと思っていたことがあった。それは
「朝比奈さん、帰ったら必ずうがいしてくださいね。」
というアドバイス。風邪は万病の元と言いますからね。朝比奈さんは少し照れくさそうに
「えへ・・・はぁい。」
と答えた。朝比奈さんが家に帰って律儀に俺の言いつけを守ってうがいしている姿を想像すると不思議と顔がほころんでくる。うん、このアドバイス毎日言おう。俺はそう心に決めたのであった。
終わり