いろいろあった去年から年を越えて、すでに二ヶ月が経過している。  
 光陰矢のごとしとはよく言ったもので、時間が加速しているような気がするのは年明けしょっぱなの一月からそれなりのことをやっていた自覚があるからだろう。  
 寒気のピークも過ぎ、そろそろ春の足音が聞こえてきてもいい季節のはずだが、今の日本には四季がないらしく、山間にあるこの高校はまだかなり冷えていた。  
 秋に桜を咲かせたハルヒが望めば明日にでも蝉が鳴き出してもおかしくないのだが、幸か不幸かいまだに雪が降っているところをみると一応あいつにも常識というものはあるらしい。  
 ちなみに俺は夏が好きだ。世の女性達は皆こぞって薄着になるし、プールに行けば薄布一枚のあられもない姿を拝めるしな。解るだろ?  
 そんな俺のささやかな願いが通じたのかそれはやってきた。  
 ハルヒを中心とした、季節はずれの大型の台風が上陸したのだ。  
 確かに夏の風物詩ではあるがそんなものを望んだ覚えは毛頭ない。  
 俺は自分勝手な神様を怨みつつ、これから起こるであろう災厄に怯えながら今日も部室へと足を運ぶのであった。これ以上神様のご機嫌を害わないように……。  
 
 
 文芸部に間借りというより寄生しているSOS団のアジトには、団長を除いた他の団員たちがすでに揃っていた。  
「あ。こんにちは」  
 そう言って微笑む朝比奈さんが今日もかいがいしく、ハルヒに強要されたメイド姿で俺を出迎えてくれる。彼女の笑顔を今日も拝める幸せを噛締めつつ、俺は定位置となっている席のパイプ椅子を引いて腰を下ろした。  
「やあ、お待ちしていましたよ」  
 長テーブルにトランプを並べてブックカバーのかかった本を読んでいた古泉が顔を上げて会釈をした。  
「男に待っていてもらっても嬉しくねえよ」  
「相変わらずつれないですね」  
 お前は相変わらず如才のない笑顔だな。  
 冷えきった俺の身体をさらに凍りつかせるようなことをさらっと言いやがった。  
「それより、あなたに見ていただこうと思いまして」  
 そう言って目の前に五つに分けて並べてあるトランプに目配せをする。  
「なんだ? 手品でも始めたのか?」  
「……さすがですね。ええ、その通り手品です。涼宮さんの余興にと思いまして」  
 なぜ手品とすぐに解ったのかと器用に笑みを崩さないまま、不思議そうな表情をする。  
 ハルヒの憂さ晴らしに手品を覚えようとはまったく殊勝なことだ。さすが副団長といったところか。とてもじゃないが俺には真似はできんね。  
「最近は安定してきているとはいえ、定期的に涼宮さんを楽しませたほうが安心ですからね。我々としましてもこのまま閉鎖空間が発生しなければそれに越したことはありませんから」  
 その我々ってのはお前の所属する機関とやらのことか?  
 確かに、俺としてもあの閉鎖空間には二度と関わりたくない。定期的にハルヒの憂さ晴らしをしてやることで世界が平和になるなら安いもんだ。  
「そこで涼宮さんにお見せする前に一度あなたに見て頂けないかと思いまして」  
「遠慮しとく。どうせなら俺も一緒に楽しみたいからな」  
「それは残念。ではそのうち機を見て披露することにいたします」  
 古泉は肩をすくめて再びカバー付きの本に戻った。  
 カバーのせいで表紙は見えないが、でかでかと手品と書いてあるから解らないように隠しているんだろか。残念ながらばればれだぞ、古泉。  
 
 その古泉の奥では相変わらず無口な宇宙人がひたすら読書をしている。  
 何気なく何を読んでいるのかとタイトルに目をやって驚いた。そこには我愛称と書かれていた。俺の記憶が確かならばあれは愛していますとかそんな類の意味だったはずだ。  
 長門もついに恋愛に興味を持つようになったのかと感慨にふけっていると、  
「ニーハオ」  
 俺の視線に気付いたのかそれだけ言うとまた読書へと戻った。長門よ、いったいお前に何があったんだ?  
 しかし長門と一緒ならどこへ旅行しても通訳に困らないだろうな……いや、口数が少なすぎて余計に意思の疎通に齟齬が発生するかもしれん。  
 などとどうでもいいことを考えていると朝比奈さんが目の前に湯飲みを置いてくれた。  
「どうぞ。熱いから気を付けて下さいね」  
 俺は心から感謝しつつ、心のオアシスである朝比奈さんの淹れてくれた玄米茶で冷えきった身体を温めていた、その時、  
「まったく、ふがいないったらないわ!」  
 荒々しく扉が開かれ、いつにも増して不機嫌オーラを纏った女が辺り一面に不機嫌を振りまきつつやって来た。  
 突然現れたかと思うと肩を怒らせながらズカズカと団長席に向かい、床が抜けるんじゃないかと心配になる勢いで椅子に座るとそのまま後ろへ踏ん反り返る。  
 長門はそんなハルヒを一瞥すると、すぐにまた読書に戻った。一瞬、心地良い読書タイムを邪魔されたことに長門が怒ったように思えたが、気のせいか?  
「みくるちゃん、お茶!」  
「ふぁ、ふぁい!」  
 これ以上ない不機嫌な声でいきなり名指しされた朝比奈さんは手にしていたお盆ごと数センチ宙に浮き、健気にもハルヒの湯飲みにお茶を注ぎにかかる。  
「何が気に食わないのか知らんが朝比奈さんにあたるなよ。仮にも朝比奈さんは上級生だぞ?」  
「うっさいわね! 私は団長だから団員に敬語なんか使わなくてもいいのよ!」  
 鶴屋さんにも敬語を使ってる姿を見たことがないんだが、いったいいつ、誰に対してなら敬語を使うんだこいつは。  
「ど、どうぞ……」  
 朝比奈さんが腫れ物でも扱うかのように恐る恐るハルヒの前に湯飲みを置く。  
「ありがと」  
 ハルヒはぶっきらぼうにそう言うと湯飲みをむんずと掴み一気に飲み干した。  
 せっかく朝比奈さんが淹れてくれたんだからもっと味わって飲め。谷口ならラップを巻いた上に冷凍庫で永久保存するぞ。それはそれで朝比奈さんに失礼な気もしないでもないが。  
 
「ぷはあ! みくるちゃん、おかげで少し落ち着いてきたわ」  
「ほんとですか? よかったあ」  
 そう言って朝比奈さんはさっきまでの怯えた表情とはうって変わってその可愛らしい顔に満面の花を咲かせる。  
 ……朝比奈さん、あなたの笑顔ならきっと何十年と内戦の続く国にも平和をもたらすことが出来ますよ。少なくとも俺はあなたの笑顔を見るだけで全てを許せる広い心を持てるのですから。  
 即刻、総理大臣は朝比奈さんを外務大臣にでも任命す――、  
「バカキョン! 何みくるちゃんに見惚れてんのよ! まるで変質者みたいよ!」  
 お前全然落ち着いてねえじゃねえか。  
 それに言うに事欠いて変質者とはなんだ、変質者とは。 名誉毀損で訴えるぞ。  
 古泉、お前も肩を震わせながら「くっくっく」とか笑ってんじゃねえ!  
「これは失礼、あまりにも面白かったものでつい。いや、さすがですね。まるで夫婦漫才ほみへひふほふへ……いふぁいへふほ」  
 この口か! この口が言ってるのか! 俺は古泉のほっぺたを思いっきりひっぱってやった。  
「ふひはへん……ひどいですねえ。僕は率直な感想を述べただけですよ」  
 古泉は一つ咳払いをするとほっぺたをさすりながらいつもの笑顔に戻した。  
「ところで涼宮さん。なにやらご立腹のようですがどうかされたんですか?」  
「よくぞ聞いてくれたわ古泉君。さすが私が副団長に任命しただけのことはあるわ!」  
 そう言うとハルヒは腕組をしたまま団長席から長テーブルまで歩み寄ると、そのまま仁王立ちの姿勢で俺に質問をする。  
「キョン、あんたも観てたでしょ?」  
「何だ? 朝比奈さんの着替えなら今日は見てないぞ」  
「バカ、テレビよ!」  
「またロクでもない深夜の映画でも観たのか?」  
 もう映画作りは勘弁してくれ。  
「違うわよ。あんた観てないの? あれを観てないなんてあんた非国民よ!」  
 左手を腰にあてがって、右手で俺を指差した。  
 何の番組のことを言ってるのかさっぱりわからん。観ないだけで非国民扱いの番組ってなんだ。  
「ああ、わかりました」  
 と古泉。  
 
「柔道ワールドカップのことですね? 涼宮さん」  
「そう、それよ!」  
 ハルヒの話を要約すると、ゆうべ柔道のワールドカップというのが放送されていたらしい。あいにく俺は柔道にはまったく興味がないので、その時間は妹と一緒にアニメを観ていた。  
 ワールドカップというだけあって各国の代表が勝ち抜きの団体戦で競ったらしいが、日本は男女共に成績がいま一つだったらしく、それにハルヒが憤慨した、というわけである。  
「で、それがどうしたんだ? なんでお前が結果に憤慨する必要があるんだよ」  
「柔道って言ったら日本のお家芸でしょ。それなのに優勝できないなんて恥じだわ、恥じ!」  
 俺にどうこう言えた義理じゃないが、何も負けたくて負けたわけじゃあるまい。ぷんすかしているハルヒの愛国精神論に適当に相槌を打ちつつ右から左へ聞き流す。  
 そこにノックの音。  
「どーぞっ!」  
 熱く語っていたハルヒは突然の来客に対して苛立たしげに返答した。  
「失礼する」  
 入ってきたのは生徒会長だった。相変わらず長門とは違った意味での無表情に冷徹そうな顔をしている。  
 意外な来訪者に虚を付かれた顔をしていたが、ハルヒの口角は見る見る鋭さを増し、格好の憂さ晴らしの相手を見つけて笑顔を取り戻していく。  
「わざわざ敵地に乗り込んでくるとはいい度胸ね!」  
 釣り上がった眉に満面の笑みという器用な表情で敵を威嚇する。  
 会長はいきなりのハルヒの怒声にひとつ咳払いをすると、臆することなく淡々と喋り出した。  
「前回の機関紙は上手く捌けたようだが、あれはあくまでも文芸部の話だ。正式な文芸部員はそこの長門だけだろう」  
 そう言って部室の隅で読書をしている長門に目配せをする。長門は読書を中断して会長のほうを見ていた。  
「文芸部員でもない者がこの部室を利用する事など到底認められん。そこで我々生徒会としては即刻、文芸部員以外の者の退去を命ずる」  
 正論だが、前回ので決着したんじゃなかったのかよ会長さん。  
 
 ハルヒの表情が徐々に怒りへと変化していく。わなわなと肩を震わせ怒りの沸点へと達し今にも会長に掴みかからん勢いだ。  
 これも古泉の用意したハルヒへの余興かと思い対面へ視線を移す、よりも先に古泉は立ち上がっていた。  
「涼宮さん落ち着いてください」  
「落ち着けですって!? こいつは私達SOS団を潰そうとしてるのよ!」  
 古泉もハルヒの剣幕に臆することなく爽やかな笑顔のまま、怒りに震えるハルヒをよそに会長へと向く。  
「あなたの仰る通り我々が文芸部の部室に居座るのは問題があるでしょう」  
「なっ!?」  
 古泉の言葉にハルヒが驚きと怒りの混じった声を上げる。しかし古泉はそれをも無視して続ける。  
「しかし前回も同じような理由で我々に課題を出しています。そして我々はそれを見事に達成した」  
「ふん。だからそれは文芸部の存続が認められただけであって、決してSOS団とかいう同好会まがいの存在を認めたわけではない」  
「ええ、それは理解しています。ですがこれではフェアとは言えません」  
「何が言いたい?」  
「前回はそちらからの提案でした。ならば次は我々が課題を決める。これならお互いに納得がいきます。ですよね? 涼宮さん」  
 まるで三流の芝居を見ている気分だ。淡々と交わされる古泉と会長の会話はまるで用意された台詞を読んでいるかのようだった。いや、実際そうなんだろう。俺にはこの会長と古泉の関係が嫌というほど解っているからな。  
 長門は相変わらずの無表情だから解らんが、朝比奈さんはこのやりとりを目に涙を浮かべて見守っている。  
「えっ……、そ、そうね、その通りよ! 私達と勝負しなさい!」  
 いきなり話を振られたハルヒは一端頭を整理してから、腰に手を当てて会長に挑戦状を叩き付けた。  
 ハルヒの言葉が予想通りだったのか会長が笑みを浮かべる。眼鏡をくいっと上げてこの展開が予定調和だったかの如く会長がハルヒに質問した。  
「ふむ、よかろう。で、何で勝負するんだ?」  
 ハルヒはしばらく会長を睨んだ後、朝比奈さん、長門、古泉、俺とそれぞれ一瞥する。そして頭の上に電球でも浮かんだのか実にハレ晴レとした笑顔で高らかに宣言した。  
「柔道で勝負よ!」  
 その時のハルヒの目には間近に迫った春を思わせるように、いくつものダイアモンドが燦然と輝いていた。  
 
 
 鼻息荒く先頭を歩いているハルヒに連れられて現在SOS団は校内の柔道場へと向かっている。  
「いやはや、困ったことになりましたね」  
 隣を歩いていた古泉がハルヒには聞こえないように話しかけてきた。  
「古泉、一応確認しておくがこれもお前の仕組んだ余興の一つなんだろ?」  
 これから行われる事に頭痛を感じ片手でこめかみを押さえながら古泉に質問する。  
「ええ、その通りです。ですが上手くいったのは会長を部室に呼んで涼宮さんに新たな課題を与えるというところまでです。柔道で勝負をするというのは予定外ですよ」  
「じゃあお前の計画では何をすることになっていたんだ?」  
「ふふっ、それはまた次の機会の為に秘密、ということにしておきましょう」  
 胸糞の悪くなるような笑顔だ。  
「先程も言いましたが最近の涼宮さんは随分と安定しています。おかげで僕のバイトも減って楽になりました」  
「何が言いたい?」  
 こいつの焦点をぼかした話し方は未だに好きになれん。  
「つまり、これで閉鎖空間の発生確率が下がると思えば自然と足取りも軽くなりませんか?」  
 そう言って爽やかな笑顔を俺に向けた。  
 確かにその通りだ。夜中に寝てようが対処に追われる古泉にとっては死活問題なんだろう。俺が古泉の立場だったらと思うとぞっとする。  
 
 そのまま五分ほど歩いたところで目的地に到着した。  
 廊下の突き当たりに両開きの扉があり、その上に『道場』と墨で書かれた看板が掛けられている。解りやすい事この上ない。  
 扉の前には生徒会書記の喜緑さんがいた。俺達の姿を確認するとゆっくりと頭を下げてお辞儀をする。  
「お待ちしておりました。私達生徒会のほうで道場の利用については話をしておきましたので今は柔道部員もおりません。皆さんの柔道着もこちらで用意いたしました」  
 なんとも手際のいいことだ。俺達が部室からここへ向かっている間にそれだけの用意を済ますとは、さすがは生徒会と言ったところか。いや、喜緑さんなら長門並の力を持ってるわけだし当然と言えば当然なのかもしれんな。  
「ごくろう! でも感謝はしないわ。あんた達は敵なんだからね」  
 丁寧に対応をする喜緑さんとは裏腹に、我等が団長様は憮然とした態度で応対する。  
「着替えをするために部室も借りておきました。男性のかたはこちらでお願いします」  
 ハルヒの失礼極まりない態度を無視して道場横にある柔道部と書かれた部室を指し示す。  
「女性のかたには別の部室を用意しております。道場を挟んだ反対側にありますのでそちらでお願いします」  
「有希、みくるちゃん、行くわよ!」  
 ハルヒ達SOS団の女性陣は奥へと消えていった。  
 俺もさっさと着替えるかと柔道部の部室へ進もうとした時、長門と喜緑さんが道場の前で見詰め合っているのに気付いた。二人は何も言わずに見詰め合っている。何事かとしばらく様子を見守っていると、喜緑さんは長門に軽く会釈してハルヒ達の消えた方へと歩いていった。  
 なんとなく長門に尋ねてみた。  
「長門、テレパシーで会話でもしていたのか?」  
「……」  
 長門はいつもの無言の後、顔を俺に向け「気をつけて」と一言だけ告げ奥へと消えていった。  
 
 柔道部の部室に入ると既に古泉が着替え終わっていた。  
「お前、柔道の段なんて持ってたのか」  
 柔道着姿の古泉の腰には黒帯が巻かれていた。  
「ええ、機関での訓練の一環として柔道も習いますので。ちなみに二段です」  
「その機関ってのはスパイでも養成してるのか?」  
 超能力まで使えるんじゃ反則だぞ。  
「だったら面白いんですけどね。まあ、備え在れば患い無し、ですよ」  
 何の備えだか。  
 ネクタイを外しカッターシャツも脱ぎ捨て、ズボンのベルトに手をかけたところで部室の扉が開かれ、会長が入ってきた。  
「ふう。めんどくさい事やらせやがって」  
 事情を知っている者しかいないことを確かめると、生徒会長ではない本来の姿をあらわにした。  
「ご苦労様です」  
「古泉、解ってるとは思うが……」  
「解っていますよ。内申書のほうはおまかせください」  
 前回の生徒会室でのやりとりと同じだ。  
「で、あのバカ女はなんで柔道で勝負とか言い出したんだ? お前の計画してた――、」  
「おっと、それはまだ秘密にしておいてください。彼にはまだ内緒ですので」  
 そう言って俺にウインクをしてくる。  
 俺は吐き気を堪えつつ古泉を無視して着替えに専念した。  
 
「……おい」  
 俺はこの会長が好かん。俺はこいつらの計画には関わらないようにと、二人の会話を無視していたのだが、  
「おい、お前だよ!」  
 俺のささやかな願いもむなしく、どうやら俺が呼ばれているらしい。  
「何だ?」  
「あの女とはどこまでやったんだ? もう最後までいったのか?」  
 とんでもないことを言いやがった。俺がハルヒと? 冗談じゃない。  
「何を勘違いしてるのか知らんが、俺とハルヒは別に付き合っちゃいないぞ」  
 沈黙。俺が自分の台詞の問題点に薄々気付き始めたころ会長が切り出した。  
「おい古泉、ハルヒってのは涼宮のことだよな? 俺は別に涼宮のことを言った覚えはないんだが」  
 はめられた!  
「ええ、涼宮さんのことです。彼には自分と親密な関係の女性=涼宮さんという方程式が成り立っているのでしょう」  
 いつもの爽やかスマイルではなく、ニヤついた笑みを浮かべてやがる。  
 俺は脳をフル活動してこの危機的状況を打開する台詞を考えたが出てきた言葉は、  
「何とでも言え」  
 というなんとも情けない負け犬の遠吠えでしかなかった。笑いたければ笑え。しょせん俺の脳みそではこれが限界だ。  
 着替えの終えた俺は二人を置いて逃げるようにして部室を後にした。  
 なぜあの女という言葉にハルヒの顔がすぐに浮かんだのか。それまでの二人の会話がハルヒの事だったから……、というのは言い訳にしか過ぎないだろうな。  
 俺はそんな考えを一蹴し、猛烈な寒さに身を震わせながら道場へと足を運んだ。  
 
 
 道場に上がった俺に見覚えのある柔道着姿の女性が駆け寄ってきた。  
「おーい、キョンくんっ!」  
 SOS団名誉顧問、鶴屋さんである。  
「あれ、鶴屋さん? どうしたんですか」  
「あっははっ。なんか人数足りないとかで古泉くんに呼ばれたのさ!」  
 超のつく笑顔で俺の肩をばんばん叩く。  
「ハルにゃん達には悪いんだけど生徒会側の助っ人なんだよね。ま、あたしはどっち側でも面白そうだからいいんだけどさ!」  
 そう言って豪快に笑い出した鶴屋さんの長い髪は後ろで括られ、見事なポニーテールを作っていた。腰には真ん中に白線の入った黒帯が締められている。  
「鶴屋さん柔道やったことあるんですか?」  
「昔っから空手とか柔術やらされててさっ、護身術ってやつ? だからあたしは黒帯なのだっ」  
 と言って帯に指を掛けてクイックイッと動かして見せる。  
 この人の家からして納得だ。あの広い敷地に道場があっても全く違和感がない。おもわず、ひげを生やした白髪の頑固なお爺さんに稽古を受ける鶴屋さんを想像してしまった。  
「それよりキミ! 道着姿もなかなか様になってるねーっ。お姉さんますます惚れちゃいそうだよっ」  
 くったくのない天真爛漫の笑顔で今度は俺の両肩をばんばん叩いてくる。着馴れない柔道着が肌に痛い。  
 改めて鶴屋さんを見ると柔道着姿がよく似合っている。違和感がないと言うか何と言うか、普段から着馴れているんだろう。鶴屋さんのスレンダーな身体のラインが普段の制服姿以上にはっきりと見て取れる。着痩せするタイプなんですね、鶴屋さん。  
「んーっ? 何見惚れてるんだい? もしかして惚れちゃったのかな?」  
 ふいに俺の顔を下から覗き込む形で聞いてきた。その表情には先程までとは違った怪しい笑みが浮かんでいる。  
 予想外の行動に俺は混乱していたのだろう。普段なら絶対に言わない歯の浮くような台詞が無意識に口から漏れてしまった。  
「い、いやその、何て言うか素敵だなーって……、あ、いやっその変な意味じゃなくてですね? ポニーテールがすごく似合ってると言うか綺麗って言うかその――。」  
 気まずい空気が流れた。俺はいったい何を言ってるんだ? 怪しい笑顔を浮かべていた鶴屋さんが呆然とした顔をしている。  
 俺がポニー萌えなのは自分でも認めるが断じて他人に教える気はない、いや教えてなるものか!  
 自分の性癖、否、萌え要素を知られるのは母親にエロ本を発見される事に等しい。ましてや相手は同じ学校の生徒である。自分の萌え要素が全校に広がるようなことがあれば俺は即刻転校もしくは自殺を考えなければならないのである!  
 転校するならどこか遠くで一人暮らしか……、自殺するなら首吊りかな? などと考えていた俺は鶴屋さんの顔が俯いてしまっていることに気が付いた。  
 
「……」  
「……」  
 鶴屋さんと俺は何も言わず、ただ時間だけが経過していく。  
 どれくらい時間が経っただろう? 実際には一分も経っていなかったような気もするが、静寂を破ったのは鶴屋さんだった。  
「あははっ。キョンくんに褒めて貰えるなんて思ってなかったからさっ、びっくりしちゃったよ!」  
 再び俺を見上げる鶴屋さんの顔にはいつもの笑顔が戻っていたが、その顔はどこか赤く染まっているように見えた。  
「キョンくんは……ポニー萌えなのかい?」  
 ばれている! 早急に転校先か丈夫な縄を探さねばならない!  
「キミさえよければその……、さ、触ってもいいにょろよ?」  
 遠くで一人暮らしとなるとバイトを探さねばならないな。縄はコンビニで売ってたかな――、  
 って何!? 今なんと仰いましたか鶴屋さん。  
 真っ赤な顔に潤んだ瞳が俺を見つめている。その顔は普段見せる鶴屋さんからは想像できないほど愛らしく、どこか弱々しくも感じられた。いつも朗らかな笑顔で場を盛り上げる上級生が見せたその表情に、俺の理性という名のダムはいとも簡単に決壊する。  
 思考が停止した俺は鶴屋さんの長く美しいその黒髪へと、ゆっくり手を――、  
「うーっ、さっむいわねえ! 暖房くらいないのかしらここ!」  
 静まり返っていた道場に突如として響いたハルヒの怒声により、俺の手は鶴屋さんの髪に触れる寸でのところで停止した。  
「あれ? 鶴屋さん? なんでここにいんの?」  
 どうやらハルヒには気付かれなかったようだ。危うく古泉にバイトが増えたと小言を言われるとこだったが、世界崩壊の危機は免れた。  
「んーっ、残念!」  
 っと小声で言うと鶴屋さんはペロリと舌を出し、  
「続きはまた今度にょろ」  
 と言ってウインクをした後、ハルヒのもとへと元気よく駆けて行ってしまった。  
 鶴屋さん……、正直、たまりません。  
 
 
「鶴屋さんが生徒会側なのは残念だけど、うちは手加減しないわよ!」  
「望むところだよハルにゃん!」  
 鶴屋さんから事情を聞いたハルヒは鶴屋さんと肩を組みながら二人で「がはははは!」と豪快に笑っている。よほど相性が良いんだろう、なんとも微笑ましい光景だ。  
 鶴屋さんとバカ笑いしているハルヒを見ると、腰には鶴屋さんと同じく黒帯が巻かれている。真ん中に白線の入った女子用の帯だ。  
「ハルヒ、お前も柔道の段なんて持ってたのか」  
「あー、これ? 持ってないわよ」  
 じゃあ何で巻いてんだ。  
「格闘技は実力主義なんだから私が黒帯をしても許されるのよ。むしろ二、三本巻きたいくらいだわ」  
 もう何も言うまい。何本でも好きなだけ巻くがいいさ、聞いた俺がバカだった。公式大会なら怒られそうだが今は問題ないだろう。  
 とそこへエンジェルボイスが、  
「遅れてすみまーん」  
 眩暈がした。はちきれんばかりの胸を申し訳程度に柔道着が覆っている朝比奈さんが現れたのだ。  
 妄想、もとい予想はしていたが朝比奈さんの胸は規格外らしく、彼女にあてがわれた柔道着ではぎりぎり胸の突起物を隠す事しか出来ていなかった。  
 ハルヒの持ってくる衣装もきわどい服が多いが、意図していないにも関わらずこれほど胸を強調した姿はお目にかかったことが無い。  
 しかも中にシャツを着ているものの、俺の目に狂いが無ければノーブラである事が明らかだ!  
 こんな状態で試合をしたら胸の突起物はどうなるのか? 俺はおとなしく試合を観戦できるのか? 俺のアレはおとなしくしていてくれるのか? 様々な疑問が俺の脳裏を駆け巡った。  
「ふふーん似合うでしょ」  
 羞恥心で顔が赤い朝比奈さんから再びハルヒに視線を移す。  
 こちらも改めて見ると素晴らしい出来栄えで、朝比奈さんには及ばないものの平均的な女子高生としては大きいと言わざるを得ないハルヒの胸がその存在を強くアピールしている。サイズが少し小さいのかピチピチの柔道着がハルヒの抜群のスタイルの良さを際立たせていた。  
「……」  
 鼻歌を歌いながら朝比奈さんの髪を結い始めたハルヒから目を逸らすといつの間にか長門も道場に入って来ていた。  
 柔道着を着ていてもする事は変わらないらしく、壁際で正座して本を読んでいる。悲しいかな座っているせいで胸元がだぶつき、朝比奈さんとは別の意味で胸を強調させている。  
 こちらもシャツの下はノーブラだ。  
 心なしかうっすらと乳首が見え――、  
「……ケダモノ」  
 長門の会心の一撃により俺は心に深い傷を負った。  
 
 
 しばらく立ち直れない精神的ダメージを受けた俺は隅っこの方で体育座りをしていた。  
「ふむ。どうやら全員揃ったようだな」  
 会長が喜緑さんと古泉を連れてやってきた。喜緑さんも当然道着を着ている。  
 目ざとく落ち込んでいる俺に気付いた古泉が薄ら笑いを浮かべて歩み寄ってきた。  
「おや、どうされました? 随分とやつれたように見えますが何かあったんですか?」  
 うるさい、黙れ。今の俺に話しかけるな。  
「ふふ、あなたが落ち込んでいると涼宮さんの精神にも影響が出るのでやめて頂きたいのですがね」  
「俺の精神とハルヒに何の関係があるんだ。俺とハルヒは双子じゃないぞ」  
「ええ、確かに双子ではありませんが、それに似た魂の繋がりのようなものがあなた達にはある、と我々の機関は考えています。絆、とでも言いましょうか」  
「……殴るぞ、お前」  
「すみません。ですがこれが機関のお偉方の総意です。素晴らしい事じゃないですか、羨ましい限りですよ」  
 嘘つけ。  
「我々の仕事はあくまでも閉鎖空間を消滅させることでしかありませんが、涼宮さんの根本的な心の問題を解決できるのはあなただけです。この一年間であなたも実感されたはずですよ」  
 確かにこの一年間で俺は何度となくハルヒの力に振り回され、そのたびに死ぬ思いをして解決してきた。だが俺だけがハルヒに悩まされたわけじゃない。古泉も長門も朝比奈さんもそれぞれの立場で一緒になって解決してきたんだ。どうして俺だけと言える。  
「いいかげん素直になったらどうです? 必要とあらば我々機関総出でバックアップしますよ」  
「何のことか知らんがお前の機関とやらはそうとう暇なんだな」  
「恐縮です」  
 嫌味に嫌味で返されてしまった。  
「さ、そろそろ始まるみたいです。気を取り直して世界の平和のためにも頑張りましょう」  
 ……やれやれ。  
 
 
「さて柔道での勝負ということだが、勝ち抜きの団体戦でいいのか?」  
 道場の中央には全員が集合しており、現在ハルヒと会長によるルールの裁定が行われている。  
「そうね。でもそれだとうちが五人で二人多くなるわね」  
 SOS団が五人に対して生徒会側は助っ人の鶴屋さんを入れても三人である。確かにこれでは団体戦はできんな。  
「よろしいでしょうか?」  
 古泉が挙手をしてトップ会談に割って入った。  
「我々から一人生徒会側へ臨時で加わるというのはいかがでしょう。そうすれば丁度四対四で団体戦が可能になります。変則的ではありますが勝ち抜きではなく最終的な勝ち星の多い方が勝利、ということにすれば勝負も早く付くと思われます」  
 これまた古泉の考えたシナリオに書いてあるかのような台詞で淡々と提案した。  
「うーん……。そうね、でも団員を敵側に寝返らせるのは考えものね……」  
 珍しく柄にもない事を団長様が仰っている。一応ハルヒにも団員に対する愛情というものがあるらしい。  
「敵に塩を送るという言葉があるように、真に強い大将というのは敵に対しても寛大な心を持っているものですよ、姫」  
 中世の貴族のごとく優雅なお辞儀をしながらハルヒに進言した。  
「……その通りよ古泉将軍! 私の大事な団員を貸して貰えることを有難く思いなさい!」  
 つくづくハルヒを乗せるのが上手い奴だ。よりによってハルヒが姫とは身分不相応にも程がある。簡単に乗せられるハルヒもどうかと思うが、気分はすっかり時代劇の世界に突入しているらしく「おーほほほほほ!」と到底お姫様とは思えない下品な高笑いを上げている。  
 姫呼ばわりされて一人盛り上がっているハルヒに水をさすべく俺は重大な問題を突きつけてやった。  
「で、誰が向こうへ行くんだ?」  
「うっ」  
 現実へと引き戻されたハルヒは団員の方へ向くとそれぞれの顔を見比べ始めた。  
「はいはいはーいっ! ハルにゃんあっしから希望があるにょろ!」  
 団員を選別していたハルヒに鶴屋さんが挙手で呼びかけ要望を述べる。  
「キョンくんが欲しいにょろ!」  
 一瞬にして空気が凍りついた!  
 さっきの事があるぶん鶴屋さんの誤解を招くような言い方に冷や汗を掻いた俺に対して十四の視線が向けられた。  
 ハルヒからは訝しむような視線が送られ、朝比奈さんは何を勘違いしているのか頬を赤らめている。長門からは冷たい視線が送られ、古泉は意味深な笑みでニヤついている。  
 こいつ、さっきのも全部見てたんじゃないだろうな? 長門と喜緑さんは全てお見通しなんだろうな……とほほ。  
 
 終始疑いの目でハルヒに睨まれ続けたが、俺の反対を無視した鶴屋さんの強引な説得により俺が生徒会側に入ることにハルヒも渋々合意した。  
「ごめんよキョンくん。終わったらハルにゃんに謝っとくからさっ、一緒に頑張るにょろよ!」  
 誰が鶴屋さんの頼みを断れよう。あなたが望むなら例えハルヒに睨まれようとも敵側に寝返りますよ。後で死ぬほど大変な思いをするだろうが。  
 さて、ここでルールについて説明しておこう。  
 四対四の団体戦を行い最終的に勝ち星の多い方が勝利となる。団体戦と言えるのかどうかは一先ず無視してくれ。一試合につき制限時間五分の一本勝負で終了時にお互いが無得点、または同点の場合は引き分けとなる。  
 注目の組合せだが、ハルヒお得意のくじ引きにより厳正に? 決定された。  
 
 一回戦、鶴屋さん 対 朝比奈さん  
 二回戦、 会長   対   古泉  
 三回戦、喜緑さん 対   長門  
 四回戦、   俺   対  ハルヒ  
 
 なんとも言いがたい組合せである。  
 個人的には長門と喜緑さんの宇宙人対決が気になるが、鶴屋さんと朝比奈さんの試合はビデオで撮影すれば高値で売れるのではなかろうか。当事者じゃなければ俺も買う。  
 古泉と会長の試合はどうでもいいな。問題は四回戦だ。偶然にしては出来すぎている。まるで俺達の裏事情を理解しているかのような組合せだ。  
 
「恐らく、これも涼宮さんが望んだ結果でしょう」  
 壁に貼り付けた組合せ表を睨んでいるハルヒを除くSOS団員で集まっている。  
「だとしたらハルヒがお前達の正体を知ってることになるんじゃないのか?」  
「それはありません。前にもお話ししたように、もし彼女が我々の事を全て理解していれば世界はもっと非常識なものになっているでしょう。彼女はこの組合せを願った。それが偶然長門さんと喜緑さんの対戦になった。それだけですよ」  
 偶然ね。だが待てよ、今回はSOS団と生徒会の勝負のはずだ。ハルヒがSOS団の団長であるように生徒会の長は会長だ。それがどうして俺とハルヒが戦うことになるんだ?  
 会長とハルヒが戦うほうが合ってるじゃないか。俺はできれば朝比奈さんのほうがいいぞ。  
「それも偶然……とは言えませんね。涼宮さんには何か思惑があるのでしょう」  
「長門、一応聞くがお前が細工したわけじゃないよな?」  
「ない」  
 ハルヒ、お前はいったい何を考えてるんだ。  
「あの、涼宮さんは私と鶴屋さんにも何か思惑があるのでしょうか?」  
 不安そうな表情をした朝比奈さんが目に涙を浮かべている。朝比奈さんと鶴屋さんか……。  
「クラスメイトだから、じゃないですかね?」  
「そ、そうですよね。よかった」  
 そう言って朝比奈さんは安堵しきった表情を見せた。  
「そうとも言えない」  
「ふえ!?」  
 長門の言葉に朝比奈さんの表情が再び不安に早変わりする。長門、これ以上朝比奈さんを困らせるな。  
「どういうことです?」  
 と古泉。  
「涼宮ハルヒには明確な意図がある」  
「つまりこの組合せには全て意味があると?」  
「そう」  
 ハルヒがこの組合せを選んだ意味。長門達の正体とは関係なくハルヒが望んだ意図。偶然ではなくハルヒの意思……。  
「長門、教えてくれ。この組合せにはどういう意味があるんだ?」  
「……」  
 言うべきかどうか考えているのかしばしの沈黙の後、ゆっくりと俺のほうへと目線を向けると口を開いた。  
「涼宮ハルヒと」  
 ハルヒと?  
「あなたとの間における」  
 ……。  
「恋の障害の排除」  
 
「ただし、これは私の推測でしかない。でも高確率で当たっている」  
「なるほど。それなら全て納得がいきますね」  
 古泉、殴るぞ?  
「じゃあ何か? ハルヒが俺の事を好きで長門や朝比奈さんが俺と当たらないようにしたって事か?」  
 ありえん! あいつがそんな少女コミックのような思考回路を持ち合わせているとは到底思えん。  
 しかも長門の推測が正しいのなら朝比奈さんと長門が恋路の邪魔、つまり俺の事を思っているってことになるではないか! そんなわけないですよね? 朝比奈さん――、  
「……」  
 って何で頬を赤らめて下を向いてるんですか? どういうことなんだ長門――、  
「……」  
 って何でお前まで赤くなってるんだ!  
 古泉、そのニヤついた顔を今すぐやめろ。本気で殺意が芽生える。  
「私の推測が正しければ、彼もまた涼宮ハルヒにとって邪魔な存在ということになる」  
「……」  
 古泉、頼むからお前まで頬を赤らめて下を向かないでくれ。  
「さらに言うならば、あなたが生徒会側に行った事にも意味がある」  
 なに?  
「恐らく邪魔なのは……彼女」  
 と言って長門が指で指し示した。その先には――、  
「つ、鶴屋さん!?」  
「ほう、これはこれは」  
 朝比奈さんと古泉が同時に驚きの声を上げた。  
 俺が生徒会側に付いた事にも意味があったとは……。しかしそれなら全て納得がいく。  
 ハルヒは俺と鶴屋さんのやりとりを見たわけでは無いものの、鶴屋さんが俺に好意を抱いてくれている事に気付いていたのだ。  
 いや、俺の勝手な思い込みかも知れないがさっきの鶴屋さんの態度はそう思ってもいいだろう。  
 にしてもあの組合せにこんな意味があったとは。朝比奈さんと長門が俺に好意を抱いてくれているのは正直嬉しいが、ハルヒも本当に俺の事を思ってくれているのだろうか。  
 それよりも古泉との今後の付き合い方を考え直さねばならんな。  
 などと真剣に考えている間にも刻一刻と試合の時間が迫っていくのであった。  
 
 
「審判はキョン、あんたがやりなさい」  
「何で俺なんだ? 有段者の古泉か鶴屋さんがやったほうがいいだろ」  
 試合開始寸前になって各試合の審判を決めていなかったことに気付いた俺達は再び道場の中央で相談していた。そしてさも当たり前かのごとくハルヒが俺に審判をしろと言ってきたのだ。  
「一応、あんたはSOS団の団員だけど今は生徒会側の人間でしょ。もっとも中立の立場じゃない」  
 という理由らしい。俺がSOS団に有利な判定を下す可能性があるとは思わないのかお前は。  
「僕も涼宮さんの意見に賛成です。僕や鶴屋さんが交互に審判をしたのでは裁量に関して公平さが保たれない可能性がありますからね」  
 古泉は俺の方をちらっと見てなおも続ける。  
「その点、彼が全試合で審判をするのであれば判定の裁量に差が生じることもありません。それに彼の性格上どちらか一方に有利な判定を下す事はないでしょう。この一年間彼を見てきた我々が保障いたします」  
 そう言って古泉は他のSOS団員に目配せをする。朝比奈さんは「うんうん」と頷き、長門は無言のまま首で肯定する。  
 ハルヒも「その通りよ」とは言わないものの首を上下に動かしている。しかしな古泉よ、別に嬉しくもないがお前らが保障したところで相手が認めないだろそんなこと。  
「あたしもキョンくんで問題ないと思うにょろよ! キョンくんの真面目さはあたしも保障するさっ」  
 鶴屋さん。古泉と同じ台詞なのにあなたに言われると無性に嬉しくなるのは何故でしょう。生きててよかった。  
「どうです? 彼女もこう言っていますが」  
「異論はない。民主主義の原則は多数決だからな」  
「よろしいと思いますわ」  
 会長と喜緑さんもあっさりと古泉の意見に同調した。  
「ちょっと待て、四回戦はどうするんだ。誰が審判をやるんだよ」  
 俺は当然の疑問をぶつけた。全て俺が審判をやるなら四回戦の俺とハルヒの試合はどうやって裁くんだ。  
「私がやるわよ」  
 はい? 何を仰るハルヒさん。俺とお前の試合をお前が裁くとは何事か。  
「万が一にも私があんたに負けるなんてありえないでしょ? だったら、私でいいじゃない!」  
 かくして、またもやハルヒの独断と偏見により無事? 全ての舞台が整った。  
 
 
「みくるちゃん負けたら後でおしおきよ!」  
「ふえぇぇ」  
 今にも泣き出しそうな朝比奈さんにハルヒの容赦ない言葉が浴びせられる。  
「ふっふっふ。みくるーっ、悪いけど手加減しないわ。覚悟するにょろ!」  
「ひっ……ひぇっ」  
 やる気まんまんの鶴屋さんに対して朝比奈さんは既に白旗を上げている。とてもじゃないが勝負にはならんだろうこれ。朝比奈さんには悪いが有段者の鶴屋さんが手加減してくれることを願おう。  
 かくして、試合の火蓋が切って落とされた。落としたのは俺か。  
 刹那、俺の目の前をパーフェクトポニーが横切った。俺の開始の合図と同時に鶴屋さんが朝比奈さんに向かって突進したのだ。  
 一気に間合いを詰めた鶴屋さんは朝比奈さんの目前で停止し、やや顔を俯いた状態で両腕を左右に広げた。一瞬のことで状況を把握できていない朝比奈さんはキョトンとした表情で立ち尽くしたままだ。  
 鶴屋さんは俯いたまま不敵な笑みを浮かべ――、たと思った瞬間俺の視界から鶴屋さんが消えた。  
 人間業とは思えない素早さで朝比奈さんの背後に移動したのだ。不敵な笑みを浮かべたまま鶴屋さんは呆然としている朝比奈さんの背後から、左手で朝比奈さんの襟を掴み右手を股間に差し入れると頭を朝比奈さんお腰辺りにまで落とした。  
「ひっ!」  
 という朝比奈さんの悲鳴が聞こえたかと思ったら、  
「はわわわわ、ひえ〜!」  
 という奇声と共に朝比奈さんの体が宙に浮いた。いや、正確には鶴屋さんによって抱え上げられたのだ。そう、柔道技で言う肩車というやつだ。  
 本来は正面から抱え上げる技だったように思うが、背後から抱え上げているため肩車というよりもプロレスのバックブリッジと言ったほうがわかりやすいだろう。  
 鶴屋さんにより軽々と抱え上げられた朝比奈さんの体は弓反り状態になり、朝比奈さんの苦しそうな声が漏れた。  
「うぅ……降ろして〜……」  
「ごめんようみくるーっ。今楽にしてあげるからねっ!」  
 鶴屋さんは朝比奈さんの体を畳に向かってゆっくり降ろしていく。  
 これで一本だな。っと思ってたら、くるんっと朝比奈さんを俯けにして畳に降ろした。  
「ふぎゅ」  
 と言う朝比奈さんの可愛らしい声が漏れた。  
「ふっふっふ。お楽しみはこれからさっ」  
 鶴屋さんは何故か俺にウインクをしてくる。お楽しみがどういう意味かと俺が思案する間もなく、鶴屋さんは次の行動を開始する。  
 
 俯けの状態で転がっている朝比奈さんの背中に跨ると両足を胴体に絡め、両手を朝比奈さんの胸襟の辺りへ差し込むとそのまま横へ朝比奈さんもろとも回転したのだ。  
 「おおっ!」と俺は心の中で叫んだ。仰向けになった朝比奈さんの胸が鶴屋さんにより全開になっているのだ! 朝比奈さんの豊満な胸がこれ見よがしに天に向かって聳え立っている! しかもノーブラでシャツ一枚である。  
 当然のごとく仰向けになった事でシャツはピンと張り詰め、朝比奈さんの胸の突起物までもが「我ここに存在せり!」とばかりに自己主張している! 俺は周りの視線など一切気にせず朝比奈さんの突起物を凝視した。  
 しかし当然このままでは『押さえ込み』にはならず、このまま動きが無ければ『待て』をかけて引き離さねばならない。このまま見ていたいという心の葛藤も虚しく、鶴屋さんが動いた。  
 朝比奈さんの下敷きになっていた鶴屋さんは流れるような動きで右手側へ抜け出すと、今度は朝比奈さんの横から覆い被さる形で上に乗っかり左手を朝比奈さんの頭の下に、右手を股間に差し込んで横四方固に入った。  
 すかさず俺は『押さえ込み』を宣言した。このまま三十秒間経てば鶴屋さんの一本勝ちである。  
「みくるちゃん何やってんの! さっさと逃げなさい!」  
「そ、そんなこと言われても、動けませ〜ん」  
 朝比奈さんはハルヒの叱咤に何とか答えようとするものの完璧に決まった鶴屋さんの横四方固により全く身動きがとれない。懸命に逃れようと体を動かすも鶴屋さんは平気な顔である。  
「ふっふっふ。無駄な抵抗は諦めるにょろっ。それより……」  
 鶴屋さんはそう言って朝比奈さんの股間に差し込んだ右手を僅かに動かした、その瞬間。  
「っ!」  
 朝比奈さんの声にならない声が聞こえた。意図せず漏れた悲鳴とも嬌声ともつかぬ声を抑えようと朝比奈さんは両手で口を塞ぐ。  
「うぅ……つ、鶴屋さん何をっ……あぁっ!!」  
 再び叫び声を上げた朝比奈さんが今度は目の辺りを隠すが、僅かに見えるその頬は赤く染まっていた。朝比奈さんの両足は鶴屋さんの右手を挟んだまま強く閉ざされている。  
「ふふ、みくるは敏感だねーっ。こんなに強く締め付けちゃって……ここはどうかな?」  
 鶴屋さんはそう言って再度右手を先程よりもはっきりと見て取れる形で上下に動かした。  
「っ!!!!!」  
 朝比奈さんはしばらく大きく口を開けたまま固まってしまった。  
「あれ? もしかして軽くいっちゃったのかい? みくる」  
 固まってしまっていた朝比奈さんは徐々に息を吹き返し、  
「はぁっはぁっはぁっ……、鶴屋さん……はぁっはぁっ、何で、こんなこと」  
 息を荒げた朝比奈さんが朦朧とした目で鶴屋さんに尋ねる。俺も知りたい。なぜ俺がじゃっかん前屈みにならざるを得ない事をするのですか鶴屋さん。  
 
「キョンくんの目の前で醜態を晒させるためさっ」  
 鶴屋さんの口からハルヒには聞こえないような小声で驚くべき動機が語られた。俺の前で醜態を……って何でそんなわけの解らんことを?  
「みくるのこんな恥ずかしい姿を見ればみくるに幻滅するはずにょろっ!」  
 鶴屋さん、残念ながら幻滅どころか俺は俺の息子共々朝比奈さんに欲情してしまっています。ごめんなさい。  
「だから残りの数十秒、めがっさ気持ち良くしてあげるにょろっ、みくるっ!」  
 そう言って鶴屋さんは朝比奈さんの頭の下にあった左手を持ち上げると左腕のわきで朝比奈さんの頭を押さえる形にし、足を九十度に大きく開いて崩れ横四方固の形へと移行する。  
 そして顔を朝比奈さんの露になった胸へと落として突起物を甘噛みした。  
「ふあっ!」  
 朝比奈さんの甘美な声が響く。  
「みくるは胸も敏感だねっ。気持ちいいかい?」  
「そ、そんなこと……でも、変な感じ……っんあ!」  
 朝比奈さんは初めて味わう性感帯への愛撫により押し寄せる快感の波に戸惑っている様子だ。だが、朝比奈さんの顔は赤く上気し肌寒いにも関わらず大粒の汗を流している。  
「もっと気持ちよくなりたいかい?」  
 胸をひとしきり攻めた鶴屋さんは顔を胸から朝比奈さんの目の前へと移し、見詰め合う形で問いかけた。  
「……」  
 朝比奈さんは何も答えずに視線を反らした。  
「ふーん。まだ抵抗するんだ」  
 
「あっ」  
 朝比奈さんは鶴屋さんの言葉に一瞬抵抗をしたが鶴屋さんに敵うはずも無かった。  
 鶴屋さんは股間に差し入れていた右手を引き抜くと、すかさず朝比奈さんの両腕を掴み朝比奈さんの頭上で固定する。そのまま朝比奈さんの上に乗っかると固く閉じられている朝比奈さんの足の間に自分の両足を割り込ませ、一気に開いた。  
「ひっ!」  
 朝比奈さんは悲鳴を上げ逃げようとするが鶴屋さんの身体はびくともしない。  
「もう諦めなっみくる。それよりも……、ここはどうなってるかな?」  
 言葉を言い終えると同時に朝比奈さんの腕を固定していた右手を放し、大きく開かれた朝比奈さんの股間へと滑り込ませた。  
「うわぁ……。みくる、体は正直だねっ。パンツびちょびちょだよ?」  
「ちっ、違っ……」  
 朝比奈さんの言葉は鶴屋さんによって遮られた。  
「んああぁぁっ!!」  
 朝比奈さんの一際大きな声が響く。  
「何が違うのさっ! こんなに濡らしてっ!」  
「い、いやっ! やめっ……、ああああぁぁぁぁぁっ!!」  
 鶴屋さんの右手の動きが道着の中で激しさを増す。次第にピチャピチャという水を弄ぶような卑猥な音が右手の動きに合わせて大きくなっていき、朝比奈さんの股間に染みを作っていく。  
「すごーいっ! 何かいっぱい出てきてるよ? 中からどんどん溢れて来てるよみくるっ!」  
「っ! いやあああああああぁぁぁあぁっっっっっっ!!!!!」  
 朝比奈さんの絶叫がこだました。  
 両足はピンっと爪先まで伸ばされビクンと大きく体を仰け反ると、全身を痙攣させ口を大きく開けて酸素を欲しがる金魚のようにパクパクと動かす。そしてゆっくりと目が閉じられ朝比奈さんはそのまま気絶した。  
 失神した朝比奈さんをなおも攻め続ける鶴屋さんによってクチュクチュという卑猥な音だけが延々と道場内に響き渡る。  
「一本……」  
 諸々の事情で直立できず、前屈みの無様な格好のまま俺は鶴屋さんの一本勝ちを宣言した。  
 
 鶴屋さんと朝比奈さんの試合後、気絶したまま動かない朝比奈さんを鶴屋さんが保健室へと連れて行った。  
 そして今は俺が急遽提案した休憩時間によってトイレの個室へと駆け込んでいる。何をしてるかって? 聞くな聞かないでくれ。治まらないバカ息子を静めるためにもこの休憩時間が必要だったのだ。  
 それにしてもすごい試合だった。いや、あれを柔道の試合と言っていいのかどうか疑問だが、鶴屋さんの技は本物だった。豪快な肩車に流れるような連続の寝技。さすがは有段者といったところか。  
 後半のあれもすごい技だったが……いかんいかん、再び反応してしまう。古泉のにやけ面を思い出して俺は平静を取り戻した。  
 用を成した俺は水を流して清々しい気分で個室を出る。そこへ俺に続いて他の個室からも水を流す音が聞こえた。まさかと思ったのも束の間、古泉と会長が出てきやがった。  
「……」  
「……」  
「……」  
 妙に顔のテカっている三人は何も語らずに仲良く手を洗った。何も言うまい、何も言えまい。  
「古泉……。よく手を洗っとけよ」  
「……あなたも」  
 そんな次の試合を控えた男達の会話に俺は次の試合も審判をやらされる事を思い出して暗澹たる気分になるのであった。  
 

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