ある肌寒い日の授業後。掃除を終えたあたしが渡り廊下で一緒になったみくるちゃんと  
部室に向かっていると、奇妙な光景に出くわした。  
有希が、部室の前で一人佇んでいる。声をかけようとすると、寸前で有希の顔がこちらに  
向いた。その閉じられた口の前には、右手の人差し指が一本立っている。  
つまり、『静かに』という合図ね。  
 
『!』  
そのレアな行動に、あたしもみくるちゃんも一瞬絶句したけど、すぐ立ち直ったわ。  
状況から察するに、部室の中で何かが起きてるってことでしょ? これは事件よ、事件!  
あたしたちは足音を立てないようにしながら有希の傍までやってきた。  
 
「有希っ。一体どうしたの? 中に誰かいるの?」  
小声で尋ねる。  
「鍵が掛かっている」  
「中にいるのは?」  
「古泉一樹と、彼、の二人」  
「キョンと古泉君? 何かやってるのかしら」  
あの二人が部室で鍵をかける理由がわからないわね。今日は体育は無かったから  
着替える用事もないだろうし。  
あたしが考えていると、有希が言った。  
「彼は、ズボンを履いていない」  
「ああ、着替えしてるの? 放課後に着替える用事なんてあったかしら?」  
教室を出て行く時、キョンは確かに制服を着ていた。見ている限り、ジャージで帰る  
趣味があるわけでもなさそうだし、となると…  
 
「……まさかキョンの奴、みくるちゃんのコスプレ衣装を身に着けてるんじゃ  
 ないでしょうね」  
だとしたら死刑よ、キョン。いえ、それでは生ぬるいわね。刑の執行前にメイド服を  
着させて、『ご主人たま、あつーいみるくはいかがですか?』って言わせる微妙な  
羞恥プレイをさせてやるわっ!  
でも、そんなあたしの熱い想いに水を差すように有希が否定してきた。  
「着替えではない。彼はズボンを脱いだまま、何も履いていない」  
「はぁ? あいつ一体、ナニしてんのよ」  
「あ、あのぉ」  
みくるちゃんが会話に入ってきた。  
「長門さんなら、中の様子を簡単に調べられるんじゃないですかぁ?」  
有希ならっていうのがよくわからないけど。でも確かに、この娘ならそれくらい  
やってのけそうな気もするわね…  
「そうよ、有希。あの二人が何をしてるかここから調べられないかしら」  
「方法は、ある。でも」  
「でも?」  
「推奨はできない」  
「へ? 何でよ」  
「室内から、不穏な………気配、が感じられる。彼らはわたしたちに見られたくない  
 行為をしている模様」  
「…ええっと? 団員のプライバシーを尊重、とかそういうの?」  
「それは優先順位としては低い。わたしが当該行為を行なわないのは、わたしの  
 自律行動に支障をきたさないようにするため。わたしのため」  
…今日の有希はよく喋るわね。何を言ってるのかさっぱりわからないけど…  
「有希、わかりやすく説明して欲しいんだけど」  
「わたしは、一つの可能性を危惧している」  
「可能性?」  
「そう。放課後の部室。鍵の掛かった扉。密室に二人の少年。見られたくない行為」  
「ま…まさかっ!?」  
声を上げたのはみくるちゃんだった。えーっと。話が見えないんだけど…  
有希とみくるちゃんは何故か真剣な顔をして向き合ってる。  
もうっ! 勝手に二人だけでわかり合わないでよ!  
「ちょっと! 二人とも! あたしにもわかるように説明しなさいっ」  
「…涼宮さん。これは、つまり」  
「そう、これは」  
『ハッテン場(ですよっ)』  
 
あたしは腰が砕けそうになるのをなんとか堪え、二人と向き合った。  
「あ、あなたたち……意味わかって言ってる?」  
小さく、ミリ単位で頷く有希。  
「文献で読みましたぁ」  
みくるちゃん。何の文献よ、それは。『ハッテン場』なんて言葉が出てくる文献、  
古今東西探してもそうそう存在しないでしょうに。まあ、古今になくても未来なら  
わからないけど。…って、そもそもそういう問題じゃないわね。  
「あのねえ、二人とも。ハッテン場なんていうのは、公園のトイレとか宿直室とか、  
 そういう人気のないところで偶発的に発生する異常現象なのよ。  
 神聖なる我がSOS団の部室で、そんな神をも冒涜するような行為を、  
 仮にも団員であるキョンたちがするわけないでしょ」  
「でもぉ、じゃあキョン君はズボンを脱いで何してるんですかぁ?」  
「ぐっ…。そ、それは。そうよ! きっと野球拳でもしてるのよ!」  
あたしの、この素晴らしい推理に、しかし首を振る二人。  
「例の歌が聞こえない。よよいのよい、の掛け声も」  
「それに、ノンケなのに最初にズボンを脱ぐ人なんて怖すぎますよぉ」  
「ううっ…」  
確かに言われてみれば無理があるわね。  
……ちなみに、みくるちゃんの可愛らしい唇から出てくるエグい言葉は、  
この際気にしないことにした。  
 
じゃあ、キョンと古泉君は、部屋を閉め切って一体何をしているのかしら。  
再び振り出しに戻ったところで、中から二人の声が聞こえてきた。  
 
「道具はこんなところでしょうか」  
「ああ、色々あっても、実際に使うのはこれくらいだよな」  
「全くです。使い方がわからないものさえありますからね」  
 
道具? あの二人は、道具を使って何かやろうとしているのね。  
色々あるけど、実際に使うものは限られてくる、道具。何かしら。  
「きっと二人は結ばれるための準備をしているんですよ」  
……みくるちゃん、いい加減その発想から離れてもらえないかしら。  
「何を言ってるんですかぁ、涼宮さん!  
 二次元の作り話と違って、実際に同性で行為に至ろうとする時には、入念な準備が  
 必要になってくるんですよっ!?  
 あの二人、ていうか古泉君はそれをちゃんとわかっているから、  
 沢山の道具を用意したんです!」  
「あ、あの…みくるちゃん? 落ち着いて…」  
みくるちゃんのあまりに剣幕に、圧され気味になるあたし。  
初めてみくるちゃんのことを怖いと思ったわ……色んな意味で。  
「静かに」  
有希が言う。いや、一応小声で喋ってるんだけど…  
「彼らが何か話している」  
『えっ!?』  
あたしとみくるちゃんは同時に言うと、三人で耳をそばだてた。  
 
「んっ…。これは……。なかなか上手く入りませんね」  
「少しツバでも付けてみたらどうだ?」  
「こんな感じでしょうか?  
 …ああ、入りました。なるほど、乾燥してると入れにくいということですか」  
「乾燥してなくても入れにくいもんだけどな」  
 
えーっと。何を、挿れてるのかしら。うん、信じてる。信じてるわ、キョン。  
 
「くっ。随分硬いですね。すいませんが、少し拡げていてもらえませんか?」  
「こんな感じでいいか?」  
「ええ、よく見えます。どうも。これなら…よしっ。貫通しました」  
 
か、姦通!? キョン! キョン! あたしはちゃんとあんたを信じてるわ!  
きっと古泉君はあんたの邪眼で一分間だけいい夢見てるのよね!?  
今度は有希の方を見遣る。何時も通りの無表情だけど、心なしか顔色が悪いような  
気がする。  
「有希。キョンと古泉君は、一体何をしているのかしら。古泉君の方は夢でも  
 見てるようだけど」  
間違えてもみくるちゃんの悦びそうなことじゃないわよね。  
「古泉一樹は間違いなく一分の隙もなく睡眠中。  
 もし、仮に、何らかの間違いで、そもそも考えることさえ無駄なことであるが、  
 今のが寝言でなかった場合、古泉一樹は夢を見ない眠りにつくことになるだろう」  
饒舌な有希も、これはこれで頼もしいわね。  
「ああ、生命を賭して、愛する人と結ばれようとする二人の少年……  
 ロマンチックですねぇ…」  
みくるちゃんの頭の中では二人は既に命がけの恋愛をしてるらしい。  
もうっ。こういう間違った思想はちゃんと修正してあげないとね。  
 
「あのね、みくるちゃん。少年同士の恋愛なんて、二次元でしか存在しないのよ。  
 今だってキョンは古泉君の寝言にいちいち相槌を打ってるだけなんだから」  
「ふぇぇ? でも、ズボンを…」  
「今日は寒いから、古泉君が風邪を引かないように、背中に掛けてあげてるのよ。  
 キョンの奴、何だかんだで優しいんだから…」  
あたしの言葉に、小さく頷く有希。  
「ズ、ズボンを掛けるんですかぁ…?」  
「そうよ! 少し格好つける癖に微妙に外しちゃうところがキョンのいい所じゃないっ!」  
力強く言い切るあたし。小さく何度も頷く有希。  
「それは、確かにそうかもしれないですけどぉ…」  
悩み出すみくるちゃん。いけるわ、もう少しでこの娘を正道に戻すことが…  
よくわからないけど不思議と達成感を感じるわね。  
でも、そんなあたしの思惑を嘲笑うかのように、部室からの声が聞こえてきた。  
 
「で? この後どうするんだ?」  
「こうするんですよ」  
「おおっ! そういえばあったな、こういうの。  
 しかし普通に突き進むだけじゃだめなのか?」  
「こうした方が、より強く結び付けられるんですよ。  
 初めは少しだけ進んで、最初の位置まで戻して。  
 次はもう少し先へ進んで、同じ距離戻して。  
 まあ、これをやるには普通の時よりもかなり余分に長さが必要になるんですが」  
「ああ、確か半分だけ戻すっていうのもあったよな」  
「ええ、大分思い出してきたようですね」  
「おお、懐かしいな……。まあ、あれだな。その長さなら完全に戻しても余裕だな」  
「ええ、ご期待に沿えそうですよ」  
 
…寝言にしては随分と受け答えがスムーズね。何の話をしてるのか全く見えないけど。  
「こ、古泉君…。あなたっていう人は恐ろしい人ですぅ。  
 ノンケでもかまわないで食べてしまうなんて……  
 入り口と前立腺とS字結腸の三点同時責めなんて……ガチだガチだとは思ってました  
 けどぉ、そこまで人でなしだったなんてぇ。ひどすぎますぅ…」  
今の会話のどこをどう曲解したのかしらないけれど、ガタガタ震え出すみくるちゃん。  
ていうか古泉君はそういうケがあったの?  
「いわゆる美少年っていうのはみんな男の子が好きなんですよ?  
 知らなかったんですか、涼宮さん? 美少年は美少年同士付き合ってるんです」  
みくるちゃんが遠い……  
「朝比奈みくるの電波話はともかく、古泉一樹がガチというのはガチ」  
有希の声は静かなものだったけれど、いつもより体感で十度以上は寒い感じね。  
「まさか、有希。みくるちゃんの電波ゆんゆん話を真に受けてるんじゃないでしょうね?  
 大体、キョンが『懐かしい』って言ってるんだから、そんないかがわしいことしてる  
 わけがないでしょ」  
「しかし、朝比奈みくるの立てた仮説…二人が情事をしている…と仮定すると、  
 状況を最も適切に説明できる…気がしたりしなかったり」  
できないわよっ! ていうか何でそんな曖昧な言い方になるのよっ!  
「ちなみに予想通りだった場合、古泉一樹は七百四十万五千九百二十六の肉片に散る」  
怖っ! 有希怖っ!!  
「彼の方は二つのパーツに別れる。わたしは平成の阿部定になる」  
なるなっ!!  
「有希、しっかりして。 あなたはもっとしっかりした無口キャラのはずよっ」  
 
ああ、もうっ。これ以上不毛な議論をしてるといい加減こっちの頭もおかしくなって  
きそうだわ。  
 
「もういい。もういいわ。こうしましょう。  
 ノックをする。扉を蹴破る。キョンを見つける。キョンを叩きのめす。  
 あとはキョンの鎖骨でも折ってやって何をしていたのか問いただす。OK?」  
『ノックだけでいい(ですよぉ)』  
二人ハモりながら答えてくる。どことなく可哀想な人を見る目付きで…  
くっ。どっちかっていうと可哀想なのはあなたたちじゃないのっ。  
 
物凄く理不尽な何かを感じながらも、ノックをしようとする。  
その瞬間、聞こえてきたのは、やはりあいつの声だった。思わず手が止まる。  
 
―――そう、いつだって、あたしを突き動かすのも、止めるのも、あいつなのよ。  
 
「しかしつくづく、コレをハルヒに見られなくてよかったよ」  
 
突如自分の名前を出され、心臓が口から飛び出しそうになる。  
なっ!? コレってナニよ、キョン!  
 
「間違いなく一週間は物笑いの種にされるだろうからな」  
「僕はそうは思いませんね。むしろ涼宮さんなら、嬉々としてこの役割を引き受けて  
 下さったと思いますが」  
 
役割?えっと……  
「キョン君を責めることですね、きっと」  
みくるちゃん。いい子だから少し黙ってなさい。  
「しかし、他にあなたが嬉々として引き受ける役割があるか疑問」  
有希、人を痴女みたいに言わないで!  
 
「いや…それはそれで凄まじく恥ずかしいから却下だ。  
 …何だ、そのニヤけた笑いは。言っておくがな、ハルヒだからどうこう言ってる  
 わけじゃないぞ! 長門でも朝比奈さんでも同じことだからなっ」  
 
…キョンってば、何を急に怒りだしたのかしら。  
なんだか、照れてるような感じがするけど…  
 
「ええ、あなたの仰りたいことはちゃんとわかっていますとも」  
「わかってない。お前絶対わかってないぞ!  
 ……というかな。頼んどいてなんだが、できるだけ早くしてくれ…  
 あまり遅いとハルヒたちが来ちまうだろうし……コレはコレでかなりつらいぞ…」  
 
その後はなんだかよくわからないけど、『うー』とか唸り声みたいなのを上げてる。  
ちょっとキョン、何がそんなにつらいのよ?  
「キョン君の方から誘ったんですね…。ちょっとびっくりです。  
 でも…キョン君、本当は涼宮さんに責められたかったんじゃないですかぁ?  
 ああ、それとも責めたかったのかなぁ」  
そ、そんなわけないでしょみくるちゃん。  
「本命に対する想いを遂げられない時に、身近な対象に性欲をぶつける。  
 若い身空にはよくあること」  
有希まで何を言い出すのよっ。  
ていうか、あなたいつの間にかみくるちゃん寄りになってない?  
「大体ね、あの二人が何してるのかも未だにわからないのに、勝手にキョンを  
 飢えた狼にして、しかもそれをあたしの責任にするっていうのはどうなのよ」  
あたしの至極真っ当な反論に、静かに首を振る二人。  
「あたし、信じてます。涼宮さんならソドムの手先の古泉君からキョン君を救い出して、  
 あるべき未来の礎としてのアダムとイブになれることを」  
こ、この娘…。聞いちゃいないわ。しかもソドムって。さっきと言ってることが  
百八十度違うじゃないの。美少年は美少年と付き合ってるんじゃなかったの?  
あたしが言い返そうとしていると  
 
「…あなたが彼を古泉一樹から攫わないなら。あなたが彼を必要としないなら」  
 
唐突に、有希が告げた。  
 
「わたしが彼を奪う」  
 
!?  
 
「ちょ、ちょっと有希。待ちなさい! 駄目よ、許さないわ」  
 
―――そうよ、だって、キョンは、  
 
「キョンは、あたしのっ……じゃなくて、えっと、そう、その……これは団長命令よ!」  
 
―――キョンが、誰かのものになるなんて、耐えられない。  
 
「だから、キョンに迫ったりするのは駄目よ!! 絶対駄目なの!! わかった!?」  
 
―――だって、あたしは、キョンが、  
 
「だが断る」  
「なっ!?」  
「ありのまま、今起こったことを話す。『涼宮ハルヒが彼への態度を決めかねて  
 いると思ったら、古泉一樹が彼の貞操を奪っていた』  
 何を言っているのか、大体わかると思うが、わたしとしてもこのような事態は  
 耐え難い。頭、というか自律行動を制御する部分がどうにかなりそうである。  
 実は古泉一樹は彼のズボンの破れ目を縫い合わせているだけだとか、そういう  
 チャチなものでは、断じてない。  
 そういうわけで、わたしは彼を奪ってわたしのものにするつもりである…」  
 
………………。  
 
「……有希」  
「何」  
「…二人は、裁縫をしているということ?」  
「………………」  
「………………」  
「うかつ」  
 
あたしはノックをしないでドアを蹴破り半裸のキョンを見つけてそのまま叩きのめした。  
鎖骨は、まあ、勘弁しておいてあげるわ。  
 
―――――――――  
 
「というかな、ハルヒ。何で俺がしこたま殴られないとならんのだ」  
「うるさい。紛らわしい会話をして偉大なる団長様の純心を弄ぼうとした罰よ」  
「……意味がわからん」  
「わかってたら死刑よ」  
「……やれやれ」  
普段のキョンならもう少し言い返してきそうなところだけれど、あたしにズボンの修繕  
をしてもらってる手前、あまり強くは出られないみたいね。  
結局、蓋を開ければどうしようもないくらい、くだらない出来事だったわね。  
放課後、部室に来たキョンのズボン、そのお尻の部分の縫い目が破れていることに  
古泉君が気付いた。それを直すためにわざわざどこからか裁縫セットを持ってきた  
らしいけれど、これが『道具』ね。『入れにくい』のは針の穴に糸を通すってことね。  
『拡げて』いたのは生地の縫い目ね。暗くて見えにくかったらしいわ。  
みくるちゃんが三点同時責めって曲解したのはただの『本返し縫』。  
まったく。キョン、小学校の家庭科の内容くらい覚えておきなさいよ…  
それからね、言っておくけど、いくら破れたズボンを履いてるあんたがおかしくても、  
一週間も笑い続けたりはしないわ。せいぜい三日よ。  
 
ちなみにさっきまでトチ狂ってたみくるちゃんは、まだ制服のままだけど、いつも通り  
笑顔を浮かべながらお茶を淹れている。  
同じく殺意の波動に目覚めていた有希は、部室に入ってすぐに何故か持っていた男物の  
ジャージをキョンに手渡して、その後はずっといつも通り読書をしている。  
……さっきの二人は何だったのかしら。  
特に有希には、キョンのことで、何か大事な話をしなきゃいけないような気が  
するんだけど。さっきのゴタゴタで忘れちゃったわ。  
 
「ああ。そういえば、キョン」  
あたしは一つだけ残った疑問をキョンに投げかける。  
「さっきなんか唸ってたけど、あれ何で?」  
「……下半身が尋常じゃなく寒かったのさ」  
…ああ、そういえば今日は寒いわね。  
室内とはいえ、肌を剥き出しにしてれば、そりゃつらかったでしょうね……  
 
「できたわよ、キョン」  
結局、古泉君が縫っていたのは破れた部分の三分の一程度だったので、  
一度全部ほどいて、あたしが最初からやり直すことにした。  
…古泉君、実はあんまり器用じゃないのかしら。字もあまり上手ではなかったし。  
 
有希が本を閉じる音で、SOS団の活動が終了する。その時までに、あたしは  
ちょっとした算段をしていた。キョン、明日はあんたにひと働きしてもらうからねっ。  
 
―――――――――  
 
「というわけでぇ、一昨日行なわれた、『涼宮ハルヒの、キョンが男に取られるくらい  
 ならあたしが奪い取ってやるわ大作戦』は、一定の成果を収めたものだと思いますっ」  
ここはSOS団の部室。でも、今はお昼休みです。当然、涼宮さんたちはいません。  
今いるのは、古泉君と、長門さんと、あたしの三人だけです。  
「作戦の内容を見る限り、発案者の方の脳が溶けているとしか思えませんが、  
 結果的には成功としてしまってよいのではないでしょうか。  
 ほとんど長門さんお一人の功績だと言えますが」  
……脳が?  
「寒さに凍える彼の様子を想像し、心を痛めた涼宮さんは、即座に暖房器具を部室に  
 設置することを決意しました。まあ、そのストーブを昨日のあの寒空の下、彼に  
 取りに行かせるというのは、実に彼女らしい、素直でないやり方だったと思いますが。  
 ……それからさらに、昨日の下校時刻には、二人がいわゆる相合傘をしていたと  
 いうことも確認されています。  
 どちらの件も、一昨日の一件が少なからず影響したものとみていいでしょう」  
「こうやって、じれったすぎる二人の関係も、少しずつ進展するといいですねぇ」  
「ええ。ですが、決定的な出来事が起きるのはまだ先かもしれません。  
 何せお相手である彼の方は、誰もが認めるフラグ・クラッシャーですからね」  
ふ、ふらぐくらっしゃあですかぁ…  
「ええ、『機関』の上層部では、彼のことをフラグ・クラッシャーと呼ぶのか、  
 フラグ・ブレイカーと呼ぶのか、はたまたフラグ・デストロイヤーと呼ぶのかで  
 未だ揉めているようですが…」  
どれも同じじゃないですか…。ていうか皆さん暇なんですか?  
「まあ、それはともかく。実際のところ僕も途中まで、今回はひょっとしたら  
 決定的なことが起きるのではないかと少し期待していたんですが」  
 
そうなんですよね。作戦の本来の目標は、涼宮さんにキョン君への想いを  
自覚してもらって、そのまま告白なり何なりさせることだったんですけど…  
「まさかあそこまできて、長門さんがしくじるとは思いませんでした…」  
ついつい声に出してしまいます。  
「わたし自身も遺憾に思っている」  
長門さんが今日初めて口を開きました。  
「アドリブの最初のところはすごく良かったと思うんですけどぉ」  
そう、アドリブ。一昨日のあれは、事前に三人で打ち合わせ済みの寸劇です。  
最初に、キョン君のズボンを破ったのは、古泉君です。どんな凶悪な手管を使ったのか、  
想像もつきませんけど。そして、密室を作った後は、長門さんとあたしで涼宮さんを  
少しずつ脅かして、『キョンが古泉君に取られちゃうかも』って思わせるつもり  
だったんです。台本だってある程度準備してあったんですよ。  
ちなみに、作戦の立案は勿論あたしです。脳、溶けてなんていませんから!  
だから本当は、もっとじっくりと涼宮さんにキョン君への想いを確認して  
いってもらうつもりだったんです。でも、涼宮さんがなかなかあたしたちの  
作り話を信じてくれないから、作戦失敗かなあって諦めかけてたところで、  
長門さんが機転を利かせてアドリブで話してくれたんです。  
『わたしが彼を奪う』って。  
 
効果は覿面でしたね。涼宮さん、それまで割と冷静にツッコミばかりしていたのが、  
打って変わって凄い勢いで慌てだしましたから。  
でも、これでいけるかなって思ったところで、あの長門さんの長台詞です。  
 
「長門さん、僕も疑問です。何故、あんな形で真相をばらしてしまったんですか?」  
古泉君があたしと同じ疑問を投げかけています。  
「わたしは言語を媒介として情報を伝達するのが苦手。特に長く話さなければいけない  
 時はその傾向が顕著。だから」  
『だから?』  
「この時代のネットワーク上を検索して、適当と思われるテンプレートを使用した」  
……あれのどこが適当なんですかぁ。  
「しかし、ご丁寧に最後まで使い切ることはなかったのでは?」  
「必要なことだった。  
 あのテンプレートは最後まで使い切ってこそ妙味があるというもの」  
「じゃあ、何か他のこと言えば良かったじゃないですかぁ」  
あたしの正論に、長門さんは首を数ミリ、傾げました。  
「言うことがなくなった」  
…そうですか。  
 
「長門さん、最後に一つだけ、よろしいですか?」  
古泉君、まだ何かあるんですかぁ?  
「あのアドリブは、一体どこまで『演技』だったのでしょうか」  
 
……一体、何の話をしてるんでしょうか。  
 
古泉君の、その不思議な質問に、長門さんは結局答えませんでした。  
 
 
―――――――――  
 
ある冬の日の昼下がり。その時あたしは長門さんの言った『うかつ』という言葉を、  
そのまま信じていました。本当に彼女はあの時ミスをしてしまったのかどうかについて、  
あたしは疑いもしませんでした。  
 
……いえ、それ以前に、あれは本当に作戦遂行のためのアドリブだったんでしょうか。  
今となっては、それさえも疑問です。古泉君とあたしの企みに加担してくれたのも、  
もしかしたらあたしたちとは別の思惑を抱いてのことだったのかもしれません。  
……そう、多分この時にはもう、彼女は、彼のことを……  
 
長門さんの思いの丈が、どれほどだったのかを知るには、あたしにはもう少しの時間が  
必要でした。あの『言葉』が彼女にとっての宣戦布告だったのだとあたしが知るには……  
―――そう、年が明けるのを俟たなけばなりませんでした。  
 

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