「呼び出しに快く応じてくださってありがとうございます」
妻を人質にとられて大人しく参勤交代する外様大名のごとく生徒会室にやってきた俺に、喜緑さんは下級生相手では過剰とも思える礼儀正しさで頭を下げた。
「どうかこのエンターキーを押していただけませんか?」
まるでトレイの上のデザートを薦めるメイドのごとき軽々しさで、喜緑さんは俺の前にキーボードを恭しく掲げながら微笑み成分を3割ほど引き上げた。
「関係ない。彼を巻き込むのは許さない」
『憤怒』とさえ呼べそうな強烈いら立ちオーラを発しつつ、長門は無言で喜緑さんを睨みつけている。
「喜緑江美里が侵入してくるまで時間がない。
完全なかたちでの無力化は無理と判断した。でも可能なかぎり、無害化は出来た。
押して」
俺が迷わずエンターキーを押すのと、部室のドアが開くのはまったくの同時だった。
世界改変プログラムは作動した。
つまり、今この世界は今までのものとはまったくの別物ってことだ。
なにが変わった?
目の前には長門がいる。
その顔に眼鏡は装着されていない。
一瞬ホッとする俺だったが、いや、なにもかもがいつもの長門だってわけじゃなかった。
長門の、いつもなら短く切り揃えられているはずの髪、その髪型に変化が……
若干の期待と共に後ろに振り返る。
開け放たれたドアの向こうに喜緑さんがいるはずだからな。
そして、希望通りのその姿に、思わず俺の顔はにやけちまったね。
「まさかこのようなかたちに世界が改変されてしまうとは思いませんでした」
つぶやく喜緑さん。
その喜緑さんの、普段であれば肩にかかっているセミロングの柔らかな髪は、後頭部において水色のリボンでくくられていた。
そう、今まさに、俺はポニーテール姿の美少女アンドロイドに前後から挟まれていたのだった!
指で梳ったらさぞかし気持ちがいいであろうポニーテールを揺らしながら喜緑さんは言う。実にいい。
「つまりですね、『女性は人前ではポニーテールをしていなければならない』というのが常識な世界になってしまったんです」
なに、その俺専用ニルヴァーナ。
俺の感想はそのひとことに尽きた。
「前回の世界改変の期間中、涼宮さんはポニーテールをしていましたからね。
その残存データがこのようなかたちで作用してしまったんでしょう」
あのアナザーハルヒは実際にポニーテールを披露して俺を楽しませてくれたうえに、こんなお土産まで用意してくれていたのか。
今すぐ国民栄誉賞を授与したいくらいだ。
ふと見ると、長門と喜緑さんが揃って天井を見上げている。
季節外れの蚊でも飛び回ってるのか、なんて間抜けなことは俺だって考えないぜ。
これは例のアレだ。宇宙にいる親分と連絡をとってるんだろう。
顔を上下させるごとに跳ね回る長門と喜緑さんのポニーテール。
べっかんこう先生、ぜひ次回作のメインヒロインは再びポニーテールにしてくれ!
「統合思念体は今回の結果に満足している」
「長門さんに対してなんらかの処分がくだされることもないみたいですね」
当たり前だ!これが気にいらないなんてトンチキなことを言いやがったら、これからの俺のモノローグの『情報統合思念体』の部分を『精神異常者』に変えてやる!
3日間限定とはいえ、世界中がポニーテールっ娘だらけになるなんて、それこそ極楽浄土だ。
玄奘三蔵さん、すまんな。俺はあんたみたいな辛い旅もしてないのに天竺にたどり着いちまったよ。
これからの天国のような3日間に想いをはせてうっとりとしていた俺は、その時の長門の目に妙な色が宿っていたことには気付けずじまいだった。
「………」
「あのー、なぜここにいるんですか?」
「………」
「え?彼が部室にいなくて暇、ですか?いつもみたいに本でも読んでいたらいいじゃないですか」
「………」
「まあ、愚痴ぐらいなら聞いてあげてもいいですけど。
はあ、つまり長門さんは、ポニーテールのオンオフによって変化が一番激しいのは自分だから、彼の『ギャップ萌え』を期待できると予想したと」
「この結果は予想外」
「結局のところ今回の失敗原因は、彼のポニーテール萌えを過小評価していたことではないかと思いますが」
「まさか世界が元通りになったら寝込んでしまうとは想定していなかった」
「彼にとって、どれだけあの3日間がパラダイスだったのかが窺えますね」
「………」
「はい?『オーガストファンBOX』でも持っていけば元気になるかも、ですか。18歳未満へのお見舞いにそれはマズイのでは?長門さんじゃ購入できませんし」
「………」