文化祭や、その後にやってきたゴタゴタも終了し、はや冬の足音が山風と共に聞こえてくる今は、もうそろそろ十二月。  
 創立以来の古さを誇る旧館、この部室棟はその壁の薄さのせいもあって、屋内にいながら妙に寒々しい日のことである。  
 さて、俺たちがいる旧文芸室はいつになく静かだった。  
 室内は、遠くから聞こえてくる、運動部の熱血する声やブラスバンド部の音楽がわずかに響くばかり。戦場のような普段の騒がしさは無い。  
 理由は単純明快である。涼宮ハルヒがいないからだ。  
 ハルヒはHRが終わると、弾丸のように教室を飛び出していった。  
 俺が亀の歩みで部室に着いても、奴の姿は無かった。  
 気まぐれなあいつのことである。その内現れるだろう、何か厄介ごとを持って。  
 かくして、ハルヒという暴虐な嵐がやって来るまで、俺たちは束の間の静けさと平和を享受することになった。  
 俺は古泉とカードゲームに興じ、メイド服が実に良く似合っている朝比奈さんは可愛らしく編み物をなさっている。長門は……いつも通りである。  
 毎度いろんなことに巻き込まれてきたSOS団。というよりもっぱら俺だったが、しかし、そんな事態が毎日毎日律儀に訪れるわけはなく、大体、毎日のようにあれやこれやの非日常爆弾が炸裂していたら、俺の身がもたず心のほうはもっともたない。  
 たまにはこんな平和な日があっても良いだろう。  
 
 それはさておき、この静かな空間が功を奏したのか、古泉は普段よりもカードを上手く使ってくる。と言っても、それは比較論でしかなく、普段のものに毛が生えた程度である。  
 おい、にやにや笑うなよ、気持ち悪い。  
 寒気のするような古泉の笑みで、俺は急に室内の寒さを思い出した。  
 俺は暖を取ろうと、朝比奈さんが入れてくださったお茶を飲んだ。まだ湯気が立っているそれは、身体の中から暖めてくれるように感じた。  
 一息ついた俺は、何の気なしに団長席を見た。そこには、いつもの騒がしいハルヒはいない。  
 しかし、ハルヒがいないと、本当に静かで良いなー。  
 ……でも、少し静か過ぎるか?  
 おっと、いかん。少し呆けていた。ただでさえ締まりの無い顔なんだ。ぼんやりしていたらまぬけに見える。現に古泉の奴は、面白そうに俺を見ていた。  
 ええい、忌々しい。ゲーム再開だ。  
 俺はサイコロを振り、攻撃してターンエンド。まあ、この調子なら今日も俺の白星だろう。  
 古泉が策を寝る間、俺はいつもより広く感じる部室を見渡してみた。ずいぶん物が増えていることに、今さらながら驚いた。  
 そうか。よく考えたら、ハルヒや朝比奈さんたちと出会って、もう半年たつのか。  
 色々やらかしてきたもんだ。ハルヒが原因なものもあれば、そうでないものも含めてな。  
 ま、たいていはこうして俺たちがまったりと時を過ごしている最中に、あいつが突然飛び込んできて始まっ  
「みんな、聞いて! 朗報よ!」  
 部室の扉を勢いよく開け、ハルヒが現れた。満面の笑みを浮かべ、なぜか携帯電話を掲げている。  
 また、か。  
 こいつの言う朗報とやらが、俺たち、特に俺と朝比奈さんにとって朗らかな報告となったことなど実際ほとんど無いのだが。  
 
 今度は何だよ?  
「部室に暖房器具を設置する手はずが整ったわ!」  
 ハルヒは、せかせかと団長席へと歩いていった。そして、安っぽいオフィスチェアーに慇懃無礼といった感じで腰掛けた。  
「あ、はいはい」  
 朝比奈さんは反射的に立ち上がり、ハルヒの茶の用意を始めた。メイドの鑑ですね、朝比奈さん。  
「映画撮ったときにスポンサーになってくれた電気屋さんが提供してくれるって。去年の売れ残りを倉庫にしまったきり忘れちゃってて、処分に困ってる電気ストーブでよければって、さっき電話があったの」  
 鬼の首を取ったように話すが、ハルヒにわざわざ電話して、そんな申し出をするほど暇で親切な電気屋はないだろうから、どうせこいつがごり押しでねじ込んだのだろう。  
「だからキョン、あんたこれから店に行って貰ってきてちょうだい」  
「俺が? 今から?」  
「そ! あんたが今から!」  
 朝比奈さんがハルヒに湯飲みを渡す。ハルヒはそれを一気飲みし始めた。おいおい、それは風呂上りの牛乳じゃないんだぞ。味わって飲め。  
「お前、俺が毎日往復してる山道をもう一回降りて、しかも電車で二駅かかる電気店まで行ってから、おまけに荷物抱えてここまで戻って来いって言うのか?」  
「そうよ!」  
 湯飲みを机に叩きつけ、即答しやがった!  
「だって急がないと、おっちゃんの気が変わっちゃうかもしれないじゃない! いいからさっさと行ってきなさい! どうせ暇なんでしょ!」  
 この部屋にいる時点で、暇でない奴などいないような気がするが……  
「お前は暇じゃねーのか?」  
 俺がそう言うと、ハルヒは心外と言わんばかりの表情をして、  
「私は、これからしないといけないことがあるから」  
 ハルヒは、近くにひかえていた朝比奈さんのほうへと顔を向けた。ハルヒの表情は見えなかったが、また朝比奈さんをオモチャにするつもりではないのか。  
 ならば、ハルヒを止めるためにも俺が残って、古泉が代わりに行けばいいじゃないか。  
「古泉君は副団長で、あんたは平の団員なんだから、階級の低いほうがきりきり働くのはどこの組織だって同じよ。もちろん、SOS団もそのルールを採用しているわ」  
 古泉はそれを聞いて、光栄といわんばかりの表情をして見せた。いちいちムカつくヤロウだな。  
 長門を見ると、我関せずと読書をしている。こいつは対有機生命体うんぬんとは言え、女の子だ。それも谷口流に言えばAマイナーの。こんな寒空に出すわけにも行くまい。  
 朝比奈さん? 論外だね。あの愛らしい方に、そんな仕事を押し付ける男などいないだろう。第一、朝比奈さんは、何も無い所で転ぶようなドジっ娘だ。とてもそんなことはさせられない。  
 まあ、いいか。今回ばかりは、ハルヒもましな用件を取り付けてきた。ちょうど部室に暖房器具が欲しいと思っていたところだ。  
 朝比奈さんや長門に行かせるくらいなら、俺が行くさ。  
 
「わかった、わかった」  
「どうぞ、お気をつけて」  
 黙れ、古泉。  
「あ、私も行きましょうか?」  
 いえ、大変嬉しいですが、朝比奈さんをこの寒空に出すわけにはいきません。  
「みくるちゃんはいいの。ここにいなさい。雑用係はキョンの使命みたいなものなのよ」  
 横暴な団長様だな。ま、朝比奈さんを外に出さないってところだけは、同意しておこう。  
 俺は、椅子に掛けておいたコートを着た。窓の外は、雲が切れ間無く広がっている灰色の世界だ。寒そうだな。早めに片付けよう。  
「待って」  
 なんですか、朝比奈さん?  
 振り返ると、朝比奈さんがピンクのマフラーを俺の首に巻き始めた。  
「今日は冷えますから」  
 朝比奈さんはにっこり笑った。朝比奈さんの心遣いと、マフラーの柔らかな感触が嬉しかった。  
「どうも」  
 照れ臭くて、少しぶっきらぼうなお礼だったが、朝比奈さんは笑い返してくれた。  
「はーやーく! 行きなさいよー!」  
 やれやれ、団長様がお怒りだ。じゃあ、さっさとお使いを果たしてくるか。  
 部室を出ると、放課後の喧騒が廊下に響いていた。その中を、俺は一人歩き始めた。  
 窓の外は、曇り空だ。どうやら雨が降りそうだ。  
 
 
 さて、シーシュポスというものをご存知だろうか。  
 シーシュポスとは、ギリシア神話に登場する人物である。彼は罪を犯し、山頂まで岩を持って登るという罰を受けたそうである。  
 これで、現在の俺の状況を理解してくれると甚だ幸いである。  
 何の因果か、高台にある我が北高から下山しお使いに行くことになった俺は、電気ストーブの入った段ボール箱を抱え、再び登山をすることになった。  
 灰色がかった空から雨が降り始める中、俺は懸命に坂道を登り、どうにかこうにか学校に帰還することができた。  
 下駄箱の前まで来て、ようやく俺は腕の中の岩を置くことができた。それほどたいした重量ではなかったが、長時間抱えて歩くとやはり疲れる。おまけに雨にまで降られ、身体はすっかり冷えてしまっている。  
 家に帰るとき、またあの坂道を下山することを考えると、気分が滅入ってくる。シーシュポスも、ゼウス真っ青な力を持ったハルヒにこき使われている俺に同情してくれるだろう。  
 やれやれ…  
 
「あれれ、キョン君、お使いだったのかい?」  
「鶴屋さん」  
 軽快に走りながら、顔見知りの先輩が現れた。朝比奈さんの親友の鶴屋さんだ。  
「どーりで」  
 そう言うと、鶴屋さんは少し身を乗り出して俺のほうを見てきた。  
「何がです?」  
 鶴屋さんは何が面白いのか、にこにこと笑っている。  
「なんでもないっさー。ごくろうさん」  
 鶴屋さんは、俺の服を見ると、  
「んー、濡れてるねー」  
 コートのポケットからハンカチを取り出すと、俺の頭に乗せてくれた。  
「あ、ども」  
 俺は、鶴屋さんの意外な行動に間の抜けた礼をした。  
「じゃあねー! ハンカチなら、これと一緒に後でみくるに渡しといて」  
 これこれ、と強調するように朝比奈さんのマフラーを指差した後、鶴屋さんは走り去って行った。  
 相変わらず、挙動のよく読めない人だ。さばけた感じの良い先輩だが。  
 さて、と俺は気合を入れ直し、段ボール箱を抱え再び歩き出した。  
 
 階段などの障害を乗り越え、俺が部活棟に辿り着く頃、雨足はさらに強まっていた。  
 部活棟に響いていた喧騒は聞こえず、ただ雨音のみが静寂を壊していた。廊下には蛍光灯も着いておらず、部室棟は暗かった。  
 我らが根城の旧文芸室の扉を開くと、俺が出て行ったときとまったく姿勢が変わっていない長門がいた。  
「あれ、長門。お前だけか」  
 長門は俺を見てかすかに頷くと、再び本に視線を落とした。  
 俺は、段ボール箱を適当な場所に運び、床の上に置いた。あー、腰が痛い。運動不足だな。  
 さて、俺に命令した団長様とその太鼓持ち、そして部室専属のエンジェル朝比奈さんはどこに行ったのかねー。  
 俺はマフラーを外しながら長門に尋ねた。  
「ハルヒたちは?」  
 長門は俺のほうを向くと、俺の眼をじっと見つめてきた。  
 長門観察歴半年の俺は、長門が意思表示しようとしていると感じたが、何を伝えようとしているのかはわからなかった。いや、意思表示しようとしている、と俺が勝手に思い込んでいるだけかもしれない。  
 戸惑う俺の表情を見てか、長門は視線をそらした。そしてわずかに首を傾けた。  
 どうやらハルヒたちの所在は知らないらしい。  
 長門は何を伝えたかったのか、三人が今どこで何をしているのか。  
 少しは気がかりだが、さすがにかさばる荷物を持っての坂道登りは堪えたぜ。しかも同じ道を下校時に、また下りないといけないときた日にはなおさらだ。正直、体力の限界を感じている。  
 俺は寒さと暇に耐えかねて、電気ストーブの起動の準備を始めた。  
 段ボール箱を開け、電気ストーブ本体を取り出す。ストーブの電源プラグをコンセントにセットする。最後にストーブの調節ねじを回し、起動させる。来い来い来い来い来い。  
 電気ストーブはすぐに発熱を始め、俺は手をかざした。あー、手が冷てー。すっかり濡れネズミになっちまってるな。  
 ある程度身体が温まると、無性に眠くなってきた。俺は椅子にもたれかかって眠気と戦い始めた。  
 しかし、俺の肉体は休息しようとしていた。いつの間にか俺は机につっぷし、腕を枕にしていた。  
 疲れた……  
 俺は、長門をぼんやりと眺めながら意識を手放していった。  
 
 俺は、人の気配でぼんやりと目を覚ました。  
 あれ、俺はいつの間に寝ちまったんだろう。確か身体があったかくなって、長門を見てたら……  
 俺が薄っすらと眼を開けると、そこには大口を開けて慌てた様子のハルヒがいた。  
 俺が上体を起こしハルヒを見ても、あいつは妙な声を漏らしながら固まっていた。  
 俺は、寝ぼけ眼をこすりながら、  
「あー、お前だけかー?」  
「何よ。悪いの?」  
 ハルヒは妙な声を止め、いつもの調子で答えてきた。  
「悪くはないが、お前、俺の顔にいたずら書きとかしてないだろうな?」  
 一番の懸念事項である。俺は、顔を洗うようにしてぬぐってみた。幸いインクの臭いはしなかった。  
「しないわよ、そんな幼稚なこと!」  
「他の三人は?」  
 ハルヒは、机の上においてあったデジカメとビデオカメラを持って団長席に歩いて行った。夏の合宿のときみたいに、俺の寝顔撮ってないよな?  
「先に帰ったわ。あんた、なかなか起きそうになかったから」  
「で、お前は帰らずに残ってたのか?」  
「しょうがないでしょ。あんた寝てるし。部室に鍵かけて帰らないとだめだし」  
 ハルヒは窓を指差して、  
「それに、雨も降ってるし」  
 窓の外はすっかり夜の帳が落ち、おまけに雨まで降っていた。どうやら寝すぎたようだ。  
「返しなさい」  
 ハルヒは俺に向けて手を伸ばしてきた。  
 返すって、何を?  
「カーディガン!」  
 そこで、俺はようやく肩に掛けられたカーディガンの存在に気がついた。  
 肩から外そうとしたが、なぜかカーディガンは二枚掛けられていた。  
 ハルヒは苛立たしげに、上の一枚を俺から剥ぎ取った。  
 俺はもう一枚のカーディガンも脱いだが、ここで疑問が生じる。  
 一枚はハルヒの物で間違いない。だが、このもう一枚は誰のだ?  
 
 俺はなんとなくだが、長門の座っていた椅子に目を向けていた。長門らしくもなく、読んでいた本が机の上に置かれたままだった。  
 もう一人の候補たる朝比奈さんの衣装スペースに目が向いた。そこには、朝比奈さんのメイド服やナース服があった。  
 あれ、メイド服? 今日、朝比奈さんが着てらっしゃったのはメイド服。  
 って、待てよ。ということは、朝比奈さんが、俺の寝ている横で着替えをしてたのか。  
 くそ! どうして本当に寝ちまったんだ! 寝たふりをしておけば!  
「さ、とっくに下校時間だし、あたしたちも帰るわよ」  
 ハルヒは、俺の内心の苦悩を知らず声をかけてきた。ゲーテ先生も、若い頃はこうやって悶々とした日々を過ごしたのだろうか。  
「ああ」  
 俺は内心の動揺を隠しつつ、平然と答えられた。  
 俺は、持ち主不明のカーディガンを椅子に掛けた。明日、長門か朝比奈さんの手元に戻るだろう。  
「でも、まいったなあ。俺、傘持って来てないぜ」  
 それに、けっこう本降りだし。天気予報じゃ、降水確率十パーって言ってやがったのに。まったく、あてにならん気象予報士だ。  
「一本あれば十分でしょ」  
 ハルヒは、勢い良くカーキ色の傘を俺の前に突き出した。  
 
 さてさて、俺たちは青春の学生生活らしく、相合傘をして帰ることになった。  
 と言っても、相手はハルヒである。甘酸っぱいものや熱くたぎるものを感じるだろうか、いや感じるはずがない!  
 俺が傘を広げ、ハルヒがその中に潜り込む。そして、俺たち二人は歩き始めた。  
 ああ、北高名物ハイキングコースをまた下山するのか。俺はストーンズじゃないんだぜ。坂を下りるのにも体力使うんだ。なあ、シーシュポスさんよ?  
「もっとこっちに寄せなさいよ。あたしが濡れるじゃないの」  
「十分寄せてるだろ」  
 俺でも女の子を雨で濡らさないように善処はするさ。  
「あ、この傘、お前のじゃねーな。職員用って書いてあるぞ」  
「学校の備品だもん。生徒が使って悪いことなんかないでしょ。それとも何? 濡れて帰りたいってんなら、入れてあげないわよ」  
 そう言うと、ハルヒは俺から傘を奪い取って走り始めた。  
 まったく。せっかくストーブを貰って来てやったってのに、労りの言葉もなしか、この団長様は。  
 やれやれ……  
「待てよ」  
 俺はハルヒを追って走り始めた。  
 街灯の淡い光の中、ハルヒは俺のほうに振り返ってあっかんべーをした。  
 
 
 
“涼宮ハルヒの消失”に続く。  
 

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