「ふえぇーいやですぅー!」  
「ちょっと! 待ちなさいみくるちゃん!」  
 
 どうやら久々に始まったようだ。  
 我らがSOS団部室においてはさして珍しい光景ではなく、この部屋に足を運ぶ全員が見慣れている  
であろうワンシーンなのだが、この一年近くでハルヒの奴も大人になったと捉えていいのか、長らく  
この見慣れているはずのワンシーンを拝見していない。  
 俺は懐かしさに任せ、うっとりと眺めていそうになったのだが。  
 やはり、俺のヒーリングシンボル朝比奈さんが嫌がる姿というのは、どうにも落ち着かん。  
 ……てゆうか、これを見ても落ち着いてられる方が問題ありだと思うがな。  
 
「もうそのくらいにしておけ、ハルヒ」  
「うっさいわね!毎回毎回全く同じ台詞で止めようとしてんじゃないわよ、黙ってなさい!」  
 毎回と言うか、久しくこの台詞を口にしたんだが。  
 しかし、よくそんな悠長にあたかも微笑ましい光景を目にするかのようにしてられるな古泉よ。  
 嫌がる朝比奈さんの姿がお前にとっての癒しか? なんなら一度俺がお前を嫌がらせ……  
 ……聞き流してくれ。気持ち悪い。  
「それはそれは残念です。あなたになら苛め――」  
「やめんかっ」  
 とまあ、かの住谷氏も羨望の意を表するであろうゲイトークを繰り広げている間にも、ハルヒと  
朝比奈さんの新喜劇はまだ続いているようだ。  
「だめぇ〜お願いですからぁー!」  
「ったく往生際が悪いわね。大人しくなさいっ!」  
 朝比奈さんの抵抗が予想以上に激しく、ハルヒが段々と苛つき始めている。  
   
 おいおい、なんだかいつもより……いや、いつもというか久々なんだが……エスカレート  
しすぎじゃないか?  
 お、おい、ちょ、ハルヒ、それはいくらなんでも……。  
 さすがの古泉も度が過ぎていると感じたようで、席から立ち上がらんと机に両手を置いている。  
 顔が真剣には見えないのは気のせいだと言っておこう。  
「ハルヒ、いくらなんでも今日はちょっとやりすぎだ。大人しく朝比奈さんから離れろ」  
 とりあえず俺は、いきなり怒号を飛ばすのもどうかと思い、なだめるように言ってみた。  
「いつあんたがあたしに意見できる身分になったわけ? あたしに反抗してる暇があるならあんたも  
手伝いなさいよ! あんた団員その四なんだから!」  
 ……おい、今のはちょっとムカッときたぞ。  
 みくるみくる……いや、みるみる俺の頭に血が上っていくのがわかる。  
 いかん。落ち着け俺。この一年近くで成長しただろ? 一、三、五、七、十一、十三……OKだ。  
「いったいどうしたんだハルヒ。何か気に入らないようなことがあったんなら話してみろ」  
 よく耐えた俺。我ながら落ち着いた大人の発言だ。  
「だー、もう!大人しくしなさいってば!」  
 …って無視かよっ。いいのか? 俺の精神面の成長が盛大に盛り込まれた貴重な発言だぞ。  
「涼宮さん……僕としても、少々過激過ぎ……だと感じるのですが……」  
「なになに? 今日は古泉君まであたしに反抗するわけ!?」  
「長門からも何か言ってくれないか」  
「何か」  
 ……ダメだ。  
 
「ハルヒ、めずらしく古泉までこう言ってるんだ。そろそろやめにしないか?」  
「みんな揃ってうるさいわね!」  
 それは今の長門の台詞も含めてなのかハルヒ?  
「揚げ足取るようなこと言ってないで、あんたはとっとと手伝いなさい!」  
「びえぇ〜いやあぁー!」  
 な……あいつ……なんてことしようとしてんだ。ちょっと……まじでシャレにならん。  
 朝比奈さんの目に大粒の涙が浮かぶ。  
「……お、おいハルヒ」  
 これはまずい。  
「……えぐっ、うぐっ……えぐっ」  
 とうとう朝比奈さんが泣き出してしまった。当然だ。こんな卑劣な仕打ち、かよわい女の子なら  
誰だって泣くぜ。俺のマイスウィートエンジェルになんてことをしやがった。  
 ……「俺の」と「マイ」は同意義だなんてつっこみは、なしで頼む。  
 しかも泣き出した朝比奈さんを見て、ハルヒはとんでもないことを言いやがった。  
 
「何よまったく。泣けばなんでも許してもらえると思ってるのかしら。計算?」  
 このハルヒの一言で、懸命に頭に血が上るのを抑えていた俺の理性が飛んだ。  
   
 バンッ!!  
 俺は思いっきり両手で机を叩いて立ち上がる。  
「いい加減にしろハルヒ!!」  
 旧館中に響き渡るような大声で叫んでしまった。  
「……え」  
 ハルヒは、少したじろいだ様子で俺を見て固まっている。  
 おーこいつにもこんなリアクションができたのか。ちょっとしたサプライズだ。  
 古泉も朝比奈さんも、驚いた様子でこちらに視線を向けている。今ので朝比奈さんの涙は止まった  
ようだ。長門も顔をこっちに向けている。言うまでもないが、表情は変わらん。  
 ま、そりゃそうだ。なんせ俺自身が驚いてるからな。  
 こんなに大声で叫んだのは、これが初めてかもしれん。今晩は赤飯にしてもらおう。  
「な、なによ……いきなり大声で……」  
 ハルヒの言葉も、さっきまでの勢いはすっかり身をひそめている。  
 さて、これからどうしたもんか。といってももう後戻りできん状況だ。ハルヒにも今の叫びは  
効いてるようだし、俺らしからぬ行動だが、ちょっとこのテンションのまま特攻してみるか。  
「お前、いくら何でもやっていいことと悪いことがあるだろ! 今までのはまだ、ほんのちょっとだが  
可愛げがあったかもしれん。でも今日のは違うだろ! 誰が見てもいたずらの度を超えた行動だ!」  
「ふん、何よ! 相手がみくるちゃんだからそんなこと言ってかっこつけてるだけじゃないの!?  
早くみくるちゃんに手でも差し伸べて、さっさと胸を貸しt」  
「ハルヒっ!!」  
 またまた旧館中に俺の声が響き渡る。  
「ほんっとうるさいからやめてそれ!」  
 な……こいつ、また朝比奈さんに近づこうとしてやがる。  
「まだわからんのかっ!!」  
 俺は、朝比奈さんに近づこうとするハルヒの腕をぐっと鷲掴みにし、引き離そうと男の力で思いっきり  
引っ張ってしまった。いくらハルヒの運動神経が俺の数倍はあろうとも、腕力で男に勝てる訳がない。  
ハルヒは後ろによろめき、本棚に背中をぶつけた。  
 
「……痛っ」  
 ……やっちまった。  
 おい、なぜみんなそこで俺から視線を逸らす。そこはBの"視線を逸らす"ではなく、Dの"助け舟を  
出す"でファイナルアンサーだろうが。いいのか? 一千万だぞ?  
 ……何に出場してんだか。  
 とりあえず会場のみなさんにでも……。  
「いやあ、男として女性に手を出すのはどうかと……」  
 ……どうやらCの"非難する"でファイナルアンサーのようだ。  
 とりあえず俺は全身全霊をかけて逃げ出すのが妥当な線に違いない。  
「……ボコボコ」  
 長門、小声で言うな小声で。余計不安になるだろうが。今ならお前と喜緑さんのフュージョンでも  
逃げる俺には追いつけんぞ。  
 という訳ですまん古泉、今夜は徹夜でバイトがんばってくれ。  
 うん、それ、無理。  
 何か今、一生思い出したくない台詞が頭をよぎった気がするがああ究極にパニクってるな俺。  
「……何よこれ」  
 ハルヒはわなわなと肩を震わせている。  
「何すんのよ……バカっ!!」  
 そう言うなりハルヒは、団長机に置いてある自分の筆箱を取って、俺に渾身のストレートを投げつけて  
きた。蓋開いたまま投げるなよ、おい。  
 まあまあの至近距離でかなりの剛速球を投げられては、こちらもかわしようがない。モロに顔面に  
食らってしまった。  
 ……痛てえ。  
 しかも食らうと同時に中身が飛び出て、ペンやらシャーペンの芯やらが顔の色んな部分に当たるわで  
二重の痛みだ。  
 どっかの破戒僧が命掛けで編み出した必殺技を一瞬でマスターしやがったのかこいつは。  
 しかも遠当てかよ。  
 
「い……痛てえー……」  
「だ、大丈夫ですかぁ……キョン君……」  
「ふん。自業自得よ」  
 とりあえず目が両方とも痛くて、手で目のあたりを押さえる。  
「目が痛くて開けられん。消しゴムのカスとかが入ったようだ」  
「ちょっと僕が見てみましょう。手をどけてもらえますか?」  
「今は無理だ。目を開けるのはかなりきつい」  
「では、手だけでもちょっと下ろして下さい」  
 俺は古泉に言われるがまま手を目から離した。  
 ……しかし、こいつの言われるが侭になるというのは、なぜか抵抗を感じるよな。  
 
「……ひあぁ」  
「え……キョ…キョン」  
「……残念ですが、これは消しゴムでは……」  
 ん?なんなんだ、このリアクションは。声はしないが長門が近くに来たのもわかる。  
 俺が実は奥二重瞼だということに気が付いたのか? 朝の調子によっちゃあ、パッチリ二重に  
なることもたまにあるんだぜ。  
 ああ、そういえば手に少し水分が付いてるような……まさか、高校生にもなって痛くて泣いてしまった  
のか俺。なんて情けない……そりゃそんなリアクションが出て当然だな。  
「早急に病院へ行きましょう! 僕がタクシーを用意します」  
「ちょ、ちょっと待て。そりゃ高校生にもなって痛くて泣くなんて、頭も痛い子なのかもしれんが……」  
「……どうやら、手と顔に付いているのが涙だとお思いのようですね。少しそれを舐めてみて下さい」  
 俺は再び、古泉の言われるが侭にする。  
 ん?なんか鉄っぽい味が……なんだ、血か。  
 ………待て、今俺何つった?  
 ……血とかなんとか…って、血!  
「……そう。あなたの眼球から出血している」  
「眼球から、ですか。瞼の裏あたりであって欲しかったのですが、長門さんがそう言うのでしたら……」  
「うそ……そんな。あ、あたし……」  
 残念だが、古泉の言うとおり長門が言うのなら間違いないのだろう。  
 ……やれやれ、なんてこった。齢十六にして早くも失明か。  
「……や、やめてよ。そんな……あたしのせいで……キョンが」  
 こんな弱々しいハルヒの声を聞くのも今日が初めてだな。お前も今晩は赤飯だ。  
「そうですよ。まだ失明だと決まったわけではありません。一刻も早く病院へ向かいましょう!僕が  
おぶりますが、今日だけは我慢して下さい。たとえ拒否されようとも無理矢理おぶりますけどね」  
 その台詞、今だけは感謝する。たのむ古泉。  
「急ぎましょう」  
 古泉は、視覚を奪われた俺を手早く背中に乗せる。  
 そしてすぐに走りだそうとするが……  
「ちょっと待ってくれ」  
 俺は思い出したかの様に、走り始めた古泉を一瞬止める。  
 うん、やっぱこいつには一言言ってやらないとダメだ。  
 自分が原因でこうなったんだから、軽くパニクってるかもしれんしな。  
「ハルヒ、俺は失明なんかしない。安心しろ。だから自分を責めるな。そのかわり、朝比奈さんには  
後でしっかり謝っておけよ」  
「……キョン…うん」  
 今日で一番いい顔のハルヒが思い浮かぶ。  
 こいつも、いつもこんな弱々しい感じならすぐに惚れ……えぇい、アホか俺っ。  
 と、いまいましいことを考えている間にも、俺を乗せた古泉号はタクシーへと向かって走り続ける。  
 朝比奈さんは、血を見てからへなへなとその場に座り込んでいる……に違いない……多分。  
 ……見えねえからわかんないんだよ。  
 長門は……  
「……」  
 付いて来てくれているようだ。  
 長門、いつも心配かけてほんとすまない。  
   
 ……しかし、この目の痛さはなんとかならんのか……。  
   
   
     
   
「どう?みくるちゃん。落ち着いた?」  
「はい……もう大丈夫です。ひぁ……」  
「ちょっとちょっと、無理して立ち上がらなくてもいいわよ」  
「……でも、わたしだけこんな……情けないです」  
「まあ、確かに目から血を流してたのはあたしでも衝撃だったわ。でもまさか腰抜かすとはねー」  
「……ごめんなさい」  
「……ううん。謝らなきゃいけないのはあたしの方。さっきはほんとごめんね……みくるちゃん」  
「涼宮さん……だ、大丈夫です。もう全然気にしてませんからっ」  
「ありがとう。あたし、どうしちゃったんだろほんと……キョンにも、とんでもないことしちゃった」  
「キョン君……。涼宮さん、キョン君……大丈夫ですよね…目が見えなくなるなんてこと……」  
「……うん。大丈夫だと思いたいわね………いや、ダメよダメよ! あたし達がこんなんじゃ!  
あいつが、大丈夫だから安心しろって言ったんだし。きっと大丈夫に決まってるわ!」  
「そうですよね! 大丈夫ですよねっ。でも……なんだか羨ましいなぁ……信じてるんですね、  
キョン君のこと」  
「なっ……なに言い出すのよいきなり! そんなこと言えるくらいなら、もう大丈夫ね」  
「え……」  
「かなり時間食っちゃったし、今からあたし達も病院に行くわよ! 全力で走ればすぐ着くわね!」  
「走るんですかぁ?ひえぇ…」  
   
   
   
 かくして俺達三人は、無事病院へと辿り着いたわけだが。  
   
 なんだなんだ、この"救命病棟24時"というタイトルでも付きそうな俺の扱いは。  
 どうせなら、ガラガラ走るベッドに乗せられて急いで手術室に向かい、古泉と長門が走るベッドに  
付いて来ながら、ベッドに横たわる俺に必死に声をかけている。なんてのを経験してみたかったぜ。  
 ……そんな事態にならないことを切実に祈る。  
 
 残念ながらガラガラベッドには乗せられなかったが、やはり手術で眼球に刺さった異物を取り除き、  
なんやらかんやらすることになった。  
 全身麻酔初体験だ。何か今日は初めてなことづくしだな。赤飯の量は足りるだろうか。  
 ……急速に眠くなっていく。さすが全身麻酔。そういえば、麻酔がなぜ効くのか科学的に解明されて  
いないって話をどこかで耳にしたことがある。俺に世界で初めて麻酔の副作用が、とかは勘弁な。  
 まあ、ないだろ。  
 ………そろそろ意識がなくなりそうだ。  
 ……眠いな。  
 …。  
   
   
   
「ああ、こうして手術が終わるのを待っている時間というのは、とても長く感じられますね……」  
「……」  
「おや、いつものように本は持ってきてないんですか?」  
「このような状況で本を読むのは、不謹慎と判断した」  
「なるほど……そうかもしれないですね」  
「そう」  
「彼、大丈夫でしょうか。失明なんて……考えたくないですね……心配です」  
「……」  
「長門さんから見て、彼はどんな状態なんでしょうか」  
「……非常に危険な状態であると感じている」  
「……やはりそうですか。僕もそう思いましたが、信じたくはなかったですね……」  
「同意する」  
「無事を祈りましょう」  
「涼宮ハルヒと朝比奈みくるも、ここへ向かい始めた」  
「そうですか。間に合うといいのですが」  
「……間もなく手術が終わる」  
「……おやおや、どうやら間に合いそうにありませんね」  
「恐らく」  
「では、僕たちはそこの手術室の扉の前まで行きますか」  
「……」  
「おや、そっちは……長門さん、どこへ行かれるのですか?」  
「……トイレ」  
「ふふ…長門さんでも緊張されることがあるなんて、驚きです」  
 
 
 
「あ、出てきましたね。行きましょう」  
「……」  
「先生方、手術の方は……どうだったのでしょう」  
「お友達の方々ですね。結果は後ほど、病室でお知らせします。彼の意識が戻る時に、そばにいて  
あげて下さい」  
「わかりました。そういえば先生、彼の家族の方は来ないのですか?」  
「いや、それがですね。何度も呼ぶように説得したのですが……彼が、今は絶対呼ぶなと言って  
聞かないんですよ。どうしたんでしょうね。何か心当たりないですか?」  
「それは僕にはわかりかねますね。長門さん何かわかりませんか?」  
「……特に、それに関する情報は感知できない」  
「……そうですか。あとで彼に聞いてみるとしますか。先生、ありがとうございました」  
「では彼を病室に運びます。あなた達も、どうぞ病室へいらして下さい」  
「はい」  
   
   
 
「ん……ここは病室か?」  
 どうやら手術が終わったようだ。目は……眼帯と包帯が巻かれていてわからん。  
「気が付いたようですね。そうです。病室です。どうですか?気分は」  
「気分も何も、起きて最初に聞いたのがお前の声だという時点で、爽快とは言えん」  
「おや、それは残念です。長門さんに声を掛けてもらうべきでしたか」  
 全くその通りだ。  
 まあ手術中もずっと待っててくれたのは……ちっとは感謝してやる。  
「それはそれは、光栄ですね」  
 ニヤけ声で言うな。今のでチャラだな。  
「長門、ここにいるんだろ? お前もありがとな」  
「礼には及ばない」  
 いつもなら、ミクロン単位での表情の変化で長門の感情はある程度わかるんだが、それが見られない  
のは厳しいな。  
「そういえば先生が、あなたが家族の方を呼ぶのを拒否したと言っていましたが、なぜなんです?」  
「……いや、まあたいしたことじゃないんだが、ショック受けるだろうと思ってな」  
 このことに関しては詳しく説明しなくてもいいだろうと思って、俺は簡単に言った。  
 ……まあ、しかし詳しく言うとだな、要は妹のためだ。  
 あいつは……自分で言うのもなんだが、俺のことを異常に慕ってくれてると思う。まだ小さい  
そんな妹がだ、もし俺が失明したとして何の前触れもなくいきなりその事実を突きつけられたら  
どうなると思う? それが怖かったんだ。  
「……まあ、あなたがそう言うなら、そういうことにしておきましょう」  
 いつもの古泉の、肩をすくめるジェスチャーが想像できる。  
「では、先生にあなたが起きたら呼んで欲しいと言われていたので、今から呼びに行きますね」  
「……ああ」  
 そう言って、古泉の足音のあと扉が開いて閉じる音が聴こえた。  
 視覚が欠けていると、しゃべらないと何か物寂しいので長門にしゃべりかけることにした。  
「長門、ハルヒと朝比奈さんは病院には来てないのか?」  
「来ていない。今向かっている」  
「そうか」  
「そう」  
 ……なんとゆうか、いつもなら長門が無口なのはあたり前であって、俺も全然長門はそれでいいと  
思っている。しかし顔が見られないとなると……長門の口数の少なさが妙に目立つな。  
 ページをめくる音も聞こえないし、本も読んでないのか。  
「長門、今は本読んでないのか?」  
「読んでいない」  
「俺に気を使わず、読んでもいいんだぞ」  
「わたし自身の意志で読んでいない」  
「……そうか」  
「そう」  
 ……いかん、単発会話なのを妙に気にしてしまう。早急に目を完治させる必要がありそうだ。  
 
 そこへタイミング良く、助け舟を出すかのように古泉が先生を連れて戻ってきた。  
「呼んで来ました」  
 お前にしてはナイスタイミングだ古泉。  
「お疲れ様。よくがんばりましたね。気分はどうですか?」  
 先生が優しい口調で俺に言う。  
「ありがとうございました。はい、特に悪くはないです」  
「それはよかった」  
「早速ですが先生、彼の目の状態はどうなんでしょうか?」  
 古泉の問いかけに、先生は少し間を置いて答える。  
「はい……結果なんですが」  
 病室に、なんともいえない空気が広がるのを感じる。  
 まあ、大丈夫だろう。俺が失明とか、まるで現実感がない。  
   
 だが非情にも担当医の声は低く、暗かった。  
 
「………非常に申し上げにくいのですが……残念ながらあなたはこの先、もう目に光を感じることは  
ないと思われます……」  
   
   
 
 
 ……今なんつった?  
 ……光? 感じない?  
   
 
 
 ―――まじかよ。  
 
 
   
 光を感じないってことは、やっぱり……そうだよな。  
……失明以外ないよな。  
   
 病室の空気は凍りついている。  
 古泉も長門も何も言葉を発しない。きっと言葉を失ってるに違いない。   
 覚悟はしていたが……これはきつい。予想以上にショックかもしれん。  
   
 ……俺はこれからどうするべきだ? 長門、朝比奈さん、小泉……ハルヒ。  
 長門、せっかくお前の表情が読めるようになってきたのに、また振り出しに戻っちまったな。  
 朝比奈さん、その美しいお姿をもう二度と見ることができないなんて、酷すぎます。  
 古泉、お前の本当のキャラをちゃんとこの目で見てみたかったぜ。  
 ……ハルヒ、こうなる前に、お前には何か言わなきゃなんなかった事がたくさんあったような気がする。  
 これから、みんなに迷惑かけるだろうな。SOS団の活動にも支障が出るだろうし。  
 家族に何て言おうか。特に妹にはどういう言い方すればいいんだ。  
   
「……なんてことになってしまったんでしょう…」  
 ようやく、古泉が口火を切った。  
「お前たちがそんなに落ち込むことはない。俺は……まあなんとかやっていく。大丈夫だ」  
「何言ってるんですか。親しい友人が失明ですよ?僕もさすがにそんな状況で、いつものように笑って  
いることなんてできませんよ」   
「……そうか。すまんな」  
 やっぱり、俺も古泉もいつも通りには振舞えていない。  
「俺は、当分SOS団の活動を休んだ方がいいかもしれんな」  
 みんなもその方が活動しやすいだろうしな。  
「そのようなことは全員が望まない。今のあなたの目の状態を問わず、全員があなたの存在を必要とする。  
それは涼宮ハルヒに選ばれた人間としてではなく、一人の人間としてのあなた。わたし個人としても、  
そう感じている」  
「そうですよ。長門さんの言うとおり、僕にもあなたにいて欲しいと思っています。間違いなくみんな  
そう思うはずですよ。だからそんなことは言わないで下さい」  
 ……そうだった。  
 今はもうハルヒの観察者としての三人ではなく、それぞれがお互いに一人の人間として、友として  
接している。俺がこんな塞ぎ込んでてはいかん。  
 古泉、長門、ありがとな。  
「いえいえ、僕は思った通りのことを言ったまでですよ」  
「……安心」  
 こいつらと一緒なら、案外早く立ち直れるかもしれん。  
 ハルヒと朝比奈さんにも、変なところ見せないようにしないとな。  
 ……ん?そういえば。  
「……なあ。このこと、ハルヒに言ってもいいと思うか?」  
 そうだった。あいつに失明したことを知られるのは、かなり危険かもしれん。  
 あの五月の時以上の規模の閉鎖空間……なんてのは勘弁して欲しいしな。  
「……それが問題です。今涼宮さんがいないのは不幸中の幸いです。おそらく涼宮さんがこのことを  
知れば、閉鎖空間……どころではすまないでしょう」  
「すまない?どうゆうことだ」  
 閉鎖空間以上のこととなると……まあ、だいたい予想はつくがな。  
「なんせ、自分が原因で涼宮さんにとって大切なあなたがこのような事になってしまったんですから。  
自分への責務の念に押し潰されかねません」  
 頼むからこんな時くらいはその回りくどい言い方はやめてくれ。  
「だから、どうゆうことが起こるのかって聞いてるんだ」  
「……おそらく、世界改変が起こると僕は思います」  
「やっぱりそうか……でもな、それは俺の目が見える世界に改変されるってことだよな?」  
 もしそうなら……改変されてもいいと俺は思う。  
 しかし長門の言葉が、そんな甘い考えを打ち砕いた。  
「……そう。でもそれに加えた改変内容が、もう一つ考えられる。涼宮ハルヒは今、あなたに軽率に  
暴挙を振るってしまう自分に、多少ながら嫌悪感を抱いている。自分が変わらなければ、これからもまた  
このような事態が起こるかも知れないと危惧している」  
「……なるほど、そういうことですか」  
 おいおい、二人だけで理解しないでくれ。  
「涼宮ハルヒ自身の人格の大幅な改変が予想される」  
 ……ハルヒが、ハルヒじゃなくなっちまうってことか。  
 それは確かに……いいことではないかもな。  
 いや、そうなのか? あいつの唯一の長点である顔とスタイルの良さはそのままなんだぞ。その上で  
俺への被害がなくなるなら最高じゃないか。  
 ……本当にそう思ってるのか俺は。以前の俺なら間違いなく改変されることを選んだだろう。  
 しかし、今の俺はまがいなりとも、この非日常的な日常を楽しいとさえ感じてしまっている。  
 そして、今のあいつだからこそ俺は………えぇい、いまいましい。  
   
「正直、今回に関しては僕個人としては世界改変されてもいいと思っています。涼宮さんが変わって  
しまうのは思わしくないですが、あなたの目が見えるようになるのなら……まあ、機関は間違いなく  
反対するでしょうけどね」  
「わたしも同じように感じている」  
 ありがとよ。でもな、今はまだやっぱりハルヒには知られたくない。  
 いずれ知られてしまうことだってのはわかってる。けどな  
「今はまだ、ハルヒにはこのことは伏せておいてくれないか? 除々に気付かせて、ある程度心の準備が  
できてから知らせる方がいいだろ」  
「……なるほど、そうかもしれませんね。朝比奈さんには、後ほど教えておきましょう」  
 朝比奈さんもけっこうやばそうだな。今までにない、すさまじい動揺ぶりが見られるかもしれんな。  
 ……いや、見ることは、もうできないんだった。  
 えぇい、いかんいかん。さっき塞ぎ込まないって言ったばかりだろ俺っ。  
「……大丈夫」  
 長門、俺の心を読んだかのような発言は控えてくれ。心臓に悪い。  
 
 
 
 その後、しばらく俺たちは雑談をしていた。  
 普段となんら変わらない他愛もない話。だが今の俺にとっては、この『普段』がちょっと嬉しい。  
 失明が原因で、この『普段』が奪われるかもしれないという不安感が、やっぱり俺の中にある。  
 そんな中、話の途中で長門がいきなり言う。  
「到着した模様」  
 言い終わると同時に、勢いよく扉の開く音が聞こえた。  
「キョーン、来てあげたわよー!」  
 おいおい、ここが病院だとわかった上での絶叫か、それは?  
 どうやらこいつの脳内譜面には、フォルテッシモ以外の強弱記号は書かれていないようだ。  
「キョン君、大丈夫ですかぁ?」  
 たとえ姿は見えなくとも、そのお声だけで十分結婚を決意できます。  
「……もう、リアクション薄いわねー。せっかくあたしたち美人二人が来てあげたっていうのに。  
もっとわかりやすく喜びなさいよ」  
 どうやらこいつの中では、大して俺は嬉々としていないという選択肢はないようだ。  
 もちろん、朝比奈さんが駆けつけてくれたのは大いに喜ばしいことではあるが。  
 しかし、立ち直ってるようで少し安心した。あの弱々しいハルヒも捨てがたいが、やっぱりこいつは  
こうでないと………おい、今日はノー羞恥心デーだったか?  
 ……神よ、あなたは私の目だけでは飽き足らず、正常な思考回路までをも奪うおつもりですか?  
 古泉に言わせれば、神はハルヒだってことは今は考えないことにしておこう。  
 
「ハルヒ、朝比奈さん、わざわざ来てくれてありがとう」  
「ううん。とんでもないです」  
「似合わないこと言うんじゃないわよ。団長が団員の世話するのは当たり前なんだから。  
で、結果はどうなの? まあ、あんた自分で大丈夫だって言ったんだから、もちろん大丈夫よね」  
 ハルヒはまくし立てるように一気に言う。  
「……ああ、大丈夫だ。たいしたことはない。だが数日の間は目を開けられん」  
 ここは嘘も方便。すいません、朝比奈さん。  
「そうですか〜。よかったぁ」  
 
「……そっか。よかった…」  
 俺の嘘で安心したのか、いつもとは違う少し優しげなハルヒの言葉に、俺は少しだけ胸が痛んだ。  
 やっぱり心配してくれてたってことだよな。ハルヒも人の子だったってことだ。  
 ……まあ、悪い気はしないよな。強いて言うならちょっと嬉しい。いや、ほんっとにちょっとだぞ。  
 
 
 
 その後、担当医は俺に定期的に通院するよう告げ、病室をあとにした。  
 これからのことを詳しくは言わなかったのは、俺たちのやりとりを見ていて、俺がハルヒに  
失明したことを隠してるのを知っていたからだろう。いい担当医だ。  
 そして俺たちも雑談を早々に切り上げ、それぞれの帰路につくことにした。  
 目の見えない俺がどうやって帰ったのかというと、  
 ……不本意だがハルヒに手を引かれて送られたってとこだ。  
   
 病室で、解散宣言のあと「さ、帰るわよ」と言うや否やすぐに俺の手を取り、俺を引っ張っていった。  
 少し強引な引率だった気もするが、障害物や車などにはしっかり気を配ってくれていた感じだし、  
悪くはなかった。  
 その気の配り方を普段にも見せてくれればいいのだが。  
 まあ、古泉お墨付きの神であられる涼宮様に、それを望むのはおこがましいってもんだ。  
 
 そんなこんなでようやく我が家に辿り着いたにも関わらず、非情にももう一つの試練が俺を  
待ち受けていた。  
 妹だ。  
 俺は妹が寝たであろう頃を見計らって、覚悟を決め親に事実を話した。  
 ……親は泣いていた。俺もこの時だけは、ほんとに申し訳ない気持ちと悔しさでいっぱいになり、  
いつ以来だろうか、親の前で泣きそうになった。  
 しかしここからがその試練で、俺が親に話してたのをトイレの為に起きてきた妹に聞かれたのだ。  
 もう泣くわ喚くわ叫ぶわで、マジで大変だったんだぞ。  
 しまいには「キョンくんと同じになるぅぅ」とか泣き叫んで鉛筆を自分の目に突きつけたりするわで、  
 もう心臓が飛び出そうなくらい焦ったぜ。  
 そんなこんなで妹も泣きつかれて眠り、ようやく俺も就寝できるというわけだ。  
 ……はぁ、これから大丈夫かね俺。  
 とりあえず、みんなには落ち込んでるところを見せないようにすることを心掛けよう。  
   
   
 
「お客さん、着きましたよ」  
「あ、はい」  
 今、俺はタクシーで登校中である。別に急に小金持ちになったとかそういう訳ではない。  
 俺の失明が突然だったので、両親が仕事や色々予定があったのを休めなかった為だ。  
 それで、とりあえず今日は、ってことで本日限定のお坊ちゃま登校である。  
 ……しかし、タクシーで登校なんてめちゃくちゃ目立つだろうな。常にスポットライトから  
逃げ続けて十六年。そんな俺にとっては残酷な話だ。  
 ははは、そうだ、どうせ目が見えないんだから目立ってようが俺は知らなくて済むんだった。  
 ………。  
 ……OK、笑えないジョークだってのはわかってる。そこ、顔がひきつってるぞ。  
 
 運転手さんが手を引いて車から降ろしてくれる。  
「気をつけて行くんだよ」  
「はい、ありがとうございました」  
 ここまでは順調だ。  
 さて、ここからどうやって教室まで行ったもんか。SOS団員以外はまだ誰も俺の目のことを  
知らないわけだし。  
 足音と話し声から察すると、人の流れはあっちからこっちに向かっている。よし、ここは勇気を出して  
一人で初めてのおつかいといくか。  
 ……何を買いに行くんだか。  
 歩こうとしてすぐだ、登校時というシチュエーションにおいては以外な人物から声が掛かった。  
「手を出して」  
 その声の主はもしかして。  
「お、長門か?」  
「そう」  
 長門は、俺の手を引いて校舎があろう方向に向かって歩き出す。  
「まさか、校門で俺が来るのをずっと待っててくれたのか?」  
「部室で本を読んでいた。ここに到着したのは一分十八秒前」  
 長門なら俺が着くころを見計らって来るなんて造作もないってことだな。  
「そうか、ありがとな」  
「礼には及ばない」  
 これからは長門に教室まで連れてってもらうか。待ち時間がほぼゼロなんだから長門も苦には  
ならんだろう。  
 ……いかんいかん。さすがに自分勝手すぎる。こんなことまで長門に頼ってどうする俺。  
「しかし、お前いつも何時ごろに登校してるんだ?すでに部室って……早いだろ」  
「まちまち」  
 あまりに小さい長門の手に引かれながら、いつもの単発トークに花を咲かせているうちに教室の  
前までやってきた。  
「着いた」  
「そうか、助かったよ。わざわざありがとな、長門」  
「……いい」  
 長門の足音が遠ざかっていく。  
 俺は目の前にあるはずの扉の取っ手をまさぐりながら探し当て、扉を開ける。  
   
 ガラガラっ  
「おーす、キョ……ん? キョン!お前、その目どうし……のわっ!」  
「おっはよー、キョン!」  
 哀れな。お前の出番はもう終わりらしいぞ谷口。  
「おはよう、ハルヒ」  
 ハルヒは朝の挨拶を済ますと、さっと俺の手を取り俺を席へと先導する。  
 クラスメイトの「どうしたんだろ?」的な会話がちらほら聞こえるが、俺の目の包帯を見てなのは  
間違いないだろう。  
 とりあえず、登場するやいなやハルヒに押し退けられた谷口があまりにかわいそうなので、  
ハルヒに取られている反対の手を顔の前に持ってきて、すまん、というジェスチャーをした。適当に  
横を向いて。  
 ……谷口と国木田には、失明の事実を伝えておくか。  
 他のクラスの奴らにはハルヒと同じように、数日で治る事にしておいた方がいいな。ハルヒが事実を  
知ってしまう危険性が高い。  
「キョン、今日はあたしがあんたを先導してあげるから、動きたいときはあたしに言いなさい」  
「気持ちはありがたいが、席を立つ時は常にお前に宣言してから席を立たなきゃなんないのか?」  
「そうよ。てゆうかあんた、どっちにしろ誰かに言わなきゃ動けないじゃない」  
「……まあ、それはそうなんだが」  
「……あ、ごめん…」  
 何か急に以外な態度で以外な事を言い出した。  
「ん?何がだ?」  
「え?……いや……だ、だから」  
 なんだなんだ、気味が悪いぞ。その態度も台詞も。なぜこいつは謝っている?  
 普通に考えれば、そうだな……今ちょっと言い過ぎた、とかか。  
 こいつが? この罵詈雑言型有機生命体ハルヒが?  
 ……ないか。ないな。  
「なんだよ。はっきり言えよ」  
「あーもう! ちょっと言い過ぎたかなとか思っちゃったのよ! バカ? 普通わかるでしょ」  
 あった。  
「あーー謝って損したわ」  
「そうか。すまんな」  
「…はぁ。とりあえず無茶な行動はしないこと、いいわね。あんた、変〜に人に気つかうとこあるから  
あぶなっかしいったらありゃしないわ」  
 ハルヒといえども、俺に対してまがいなりにも責任ってものを感じてるんだろうな。  
 今思えば教室に入ってからのハルヒの行動や言動だって、こいつなりの精一杯なんだと俺は思う。  
 ……まあ、うん、悪い気はしないしな。  
 …応えてやるか。  
「なあハルヒ。消しゴム失くしちまったから買いたいんだが、購買まで付いてきてもらえるか?」  
 俺は筆箱の中の消しゴムの感触を指に確かめつつ言った。  
 
 
 午前の授業が終わると、ハルヒは  
「食べ終わったらすぐ戻ってくるから、おとなしくしてなさいよ」  
 と言って学食へと走り出した。どう聞いても母親が小さい子供に言う台詞だな。  
 俺はいつも通り弁当を広げ、谷口と国木田お互いの机を引っ付けてのランチタイムだ。  
「なあ、今、周りにけっこう人いるか?」  
 小声で二人に聞く。  
「ん〜まあ、割といる方じゃねえか? どうしたんだ?」  
「そうか。じゃあ食い終わったらちょっと教室出ないか? 話しておきたいことがある」  
   
 俺たちは昼食を済ますと早々に教室を後にし、屋上へ向かった。  
 寒さは覚悟していたのだが、風がない為か思ったほどのものでもない。  
「いや実はな、俺の目の事なんだが……」  
 俺は昨日の出来事を二人に話した。谷口は最初「うおっ」とか「まじかよっ」とか言って大袈裟な  
リアクションをしていたが、話が進むにつれ、段々と真剣になっていった。  
「……ってことなんだ」  
 話し終わってすぐは、二人の声が全くなかった。まるで俺一人しかいないような錯覚に陥る。  
「……そ、そんな……嘘でしょ?」  
 ようやく、国木田の声が聞こえた。  
「……あ…の………ロウ、涼宮のヤロウ!」  
 まずい、谷口はハルヒに対して憤りを覚えているようだ。  
「谷口、ハルヒだって悪気があってやったことじゃない。元はといえば最初に手をあげたのは俺だ、  
俺にだって過失はある」  
「で……でもよ、キョン。お前の人生を180度狂わされたんだぞ!?」  
「頼む、ハルヒには何も言わないでくれ。あいつにはまだ俺が失明したことを知らせてない」  
「……え?なんでだよ……」  
「まあ、いろいろだ。この事は当分、お前たちの胸の中だけにしまっておいてくれないか?」  
「……お前がそう言うなら、わかった。しかたねぇ、お前と涼宮の事に関しては俺たちは完全な  
部外者だからな」  
「恩に着るよ」  
「…ったく。とりあえず、失明してもお前はお前、キョンはキョンだ。俺たちに気を使うこたぁないし、  
俺も普段通りにいくからな」  
 この谷口の言葉はちょっと嬉しかった。やっぱお前らには話しておいてよかったよ。  
   
 その後すぐに教室に戻ったのだが、やはりハルヒはすでに自分の席に戻っていたらしく、いきなり俺に  
怒号を飛ばしてきた。  
「ちょっとキョン! どこ行ってたのよもう!」  
 なんかほんとに母親と子供だな。  
 俺は適当に理由をつけ、谷口と国木田に付いてきてもらってたから大丈夫だと言った。  
 渋々、過保護ママハルヒは子供の言うことを聞いてくれることにしたようだ。  
   
 午後の授業からも、黒板見られないノートも取れない俺が暇そうにしてるのを感じ取ったのか、  
ハルヒはよくしゃべりかけてきた。まあ、普段からノートなんぞ取ってないけどな。  
「ねえ、キョン。部室にさあ、ステレオコンポとか欲しいと思わない?」  
「コンポか、悪くはないな。なんだ? もしかして俺の目――」  
「あ、あーなんか音楽聴きたくなったのよねー」  
 急に焦りだして俺の発言に被せてきやがった。  
 まあ、部室に軽く音楽が流れてるのもいいかもな。そういえば、ハルヒの音楽の趣味ってどんなのか  
全く知らんな。そもそもこいつが音楽なんて聴くのか?  
 ……かくいう俺も人のことは言えんがな。最近の流行もんの曲とか全くわからん。  
「失礼ね。あたしのピアノの腕はバックハウスも目じゃないんだから」  
 なになに、後ろの家がどうしたって?  
「まあ教養の欠片もないあんたが知らないのは当然ね。有名なピアニストよ。今度あたしのピアノ  
聴かせてあげるから、楽しみにしてなさい」  
「そ、そうか。そりゃ楽しみだな」  
 こいつにそんな特技があったのか。まあ、もともとスーパーユーティリティプレイヤーな奴だから  
ピアノが弾けてもさほど不思議ではない。  
 しかし、ハルヒのキャラを考えるとピアノは………似合わんな。  
 ……まあ姿は、姿だけは、強いて言えば姿は……絵になりそうな気がしないでもない。  
「とにかく、そうゆうことであたしは授業終わったらあんたを部室に送って、その足でコンポの調達に  
行ってくるから」  
 
 
「キョン、行くわよ」  
 ハルヒは最後のチャイムが鳴るや否や俺の手を取り、そのまま引っ張っていく。  
 いつもなら走っているところだが……今日はゆっくりと歩いてくれている。  
「なあ、ハルヒ。調達って、どこで調達してくるんだ?」  
 こいつの場合、まともに買ってくるとは考えられん。  
「うーん、そうねえ……」  
「そうだな。軽音部に行けば、コンポまでとは言わんがラジカセくらいはあるんじゃないか?」  
「なるほど、いいわね。あんたたまにはいいこと言うじゃない」  
 ……な、なに言ってんだ俺っ。これじゃあコンピ研からPC強奪したハルヒと同じじゃないかっ。  
 ……いつの間にやら俺もハルヒの毒に侵されていたのか。  
 医者「自覚症状はありますか?」 俺「いや、ありません」 医者「どうやら重症のようですね」  
 ……えぇい、脳内お医者さんごっこなんぞどこで覚えた俺っ。  
 ………末期だな。  
 
 脳内で遊んでいると、いつの間にか部室の前まで来ていたようだ。  
 扉を開ける音がした。  
「着いたわよ。あ、小泉君、キョンを席まで連れてったげて。じゃ行ってくるから」  
 ハルヒはそう言うなり軽快な足音を鳴らしていった。  
「おや? 涼宮さんはどちらへ?」  
 古泉は、俺の肩を押して席へと誘導しながら聞く。  
「ああ、なんか音楽が聴きたいらしい。コンポかラジカセを調達してくるそうだ」  
「なるほど、そういうことですか。いやはや、いいですねぇ」  
 おい、何がいいんだ。目は見えないがお前がニヤけているのはしっかりと感じ取れるぞ。  
「……健気」  
 あまつさえ長門までもがおかしなことを言う始末。  
 とりあえず俺は話を逸らすことにした。  
「古泉、お前は何か音楽聴いたりするのか?」  
「そうですねぇ。僕が聴くのは……」  
 なにやら流行りのアーティスト、バンド名が挙げられている。今、古泉が挙げた中では3、4割程度  
しか知らん。  
「長…」  
「聴かない」  
 だろうと思ったぜ。話が早すぎるのは気にしないことにしよう。  
   
 ガチャ。  
 控えめな扉の音がした。この時点で朝比奈さんなのは確定だ。  
「……ご、ごめんなさい。遅れちゃい……キョ、キョン君っ」  
「ど、どうしました?朝比奈さん」  
 朝比奈さんはいきなり泣き出してしまった。  
「……う、嘘ですよね? えぐっ…キョン君の目、目がぁ……うぐっ」  
 そうだった。朝比奈さんには失明のことはまだ知らせてなかった。  
 昨日古泉が後で教えておくとか言ってたな。おおかた今日知ったってとこか。  
「残念ながら本当です。まあ俺は大丈夫ですから、朝比奈さんもそんなに落ち込まないでください。  
俺だって、そんな朝比奈さん見たくないですから。ね?」  
 俺はできる限り優しく言った。  
「えぐっ……キョン君……でも、でもぉ」  
「ほんとに俺は大丈夫ですから。もう泣かないで下さい。俺が困っちゃいますよ」  
「えぐっ……わ、わかりました。わたし……が、がんばりますっ」  
 必死に明るい声を出そうとしているのが愛らしい。しかし……朝比奈さんは何をがんばるのだろうか。  
 ……いかん、卑屈になっている。普段なら華麗にスルーだろ俺。  
「キョン君。涼宮さんには、まだ失明って言ってないんですよね?」  
 冷静を取り戻した朝比奈さんが聞いてくる。  
「はい。やっぱりあいつには、まだ言えそうにないですね……」  
「……そうですか。もし知ったら、きっとわたしたちよりもすごくショックなんだろうなぁ……」  
「ハルヒに悪気がないとはいえ、ハルヒ自身が原因ですからね……」  
「それもありますが、その相手があなただからというのも大きな要因になるかと、僕は思いますよ」  
 なんかもう、こういう真面目なシーンでの古泉の不真面目な台詞に慣れてきたぜ。  
「僕はいたって真剣です」  
「わ、わたしも、古泉君の意見は合ってると…思います。ご、ごめんなさいっ」  
 ……なんだなんだ、朝比奈さんまで。  
「同感」  
 長門、お前の一言はヘビーすぎるぞ。  
「まあ、とにかく。昨日も言ったように僕は涼宮さんに失明の事実を伝えるのは反対ではありません」  
「わたしも同じ気持ちです。涼宮さんが…すごくショック受けるのは見たくな――」  
「……いる」  
 長門が急に朝比奈さんの言葉を遮って言った。  
 ……そして、  
 
 ガシャッ。  
 
 扉の向こうで、何か重めの物が落ちたような音がした。  
   
 
   
 ――まさか。  
   
   
 ……いるのか?  
 ……まずい。  
 ………非常にまずい。  
 
   
 ゆっくりと、ひどくゆっくりと扉を開ける音が部室に響く。  
   
「……うそ……嘘、よね?」  
 声の震えているハルヒが、そこにいた。  
 
 ――最悪だ。  
   
 
「ハルヒ、落ち着け。俺は――」  
「……うそって言いなさいよ………早く…」  
「涼宮さん、落ち着いてくだ――」  
「…なによ……なんなのよこれ………何よ何よ何よ何よ何よ! もうキョンは死ぬまで何も見えないって  
わけ!? みんなの…あたしの顔ももう見れないっていうの!? そんなの……そんなの許されるわけ  
ないじゃない!!」  
「……ハルヒ、すまなかった。でもな……」  
「でも何? やめてよ…なんであんたが謝るわけ? 悪いのはあたしなんじゃないの? そうよ、あたしの  
投げた筆箱があんたを失明させたのよ!? あたしを憎めばいいじゃない!!」  
「ハルヒ落ち着けっ。俺はな、今日お前が俺を気遣ってくれてるのがすごく伝わった。嬉しかった。  
憎らしいと思ったことなんぞ一瞬たりともないっ」  
「……そうよ……あたしの…あたしのせいでキョンが……キョンがこんなっ…」  
 ……くそっ。まるで聞いてねぇ。  
「聞けっ!ハルヒっ。いいか、お前がそこまで責任を感じることはない。お前はいつも通り乱暴で  
無茶苦茶やって俺を振り回しながらここに居ることが、俺にとって一番いい事なんだよっ!」  
 今俺、すっげーこと言ったよな。  
「……そう。あたしって、あたしってそんな役目だったんだ。こんなに……こんなに悔みきれないくらい  
悔しい時も、何事もなかったように振る舞ってなきゃいけないんだ!」  
「違うっ! 卑屈に捉えるなっ」  
「何が違うのよ! わかんない……ちっともわかんないわよっ!!」  
 ……誰か教えてくれ。  
 ……俺は今こいつに…こいつに何を言ってやったらいい?  
 
「そうだ……キョン……今から…今から病院行くわよ」  
 ハルヒの足音が俺の方に向かってくる。  
「……なに言ってんだ。俺の目はもう医者では…」  
「あたしの右目あげるから」  
 一瞬、固まった。  
「……おい、なに言ってんだお前……」  
「……だから……あたしの…あたしの右目をあんたに移植したげるって言ってんのよっ!」  
「ハルヒ、冗談はよせ」  
「なに言ってんの? あたしは本気よ!」  
 ハルヒは乱暴に俺の手を取り、引っ張っていこうとする。  
「やめろっ!」  
 俺はハルヒの手を振り払う。  
 その手は、人間の体温とは程遠く高温を帯びているように感じた。  
「…なんで……なんでなのよ……あんたが見えるんなら、あたしの片目くらい………なんでわかんない  
のよあんたはっ!」  
 この一年で今、初めてこいつの涙声を聞いた。  
 目の前から遠ざかる足音。  
「ハルヒっ!」  
 思わず俺は、その足音の方向に走り出してしまった。先導者のいない俺は、勢いよく足を机の脚に  
引っ掛け、転ぶ。  
 だが、すでにハルヒの足音は扉の向こう側にあった。  
「……すまん、みんな。俺は……あいつを、ハルヒを止めてやれなかった……」  
「……ううん、キョン君は全然悪くない。だから……キョン君こそ自分を責めちゃダメです」  
「ええ……十分です。おそらく誰が説得しても同じ結果だったに違いありません」  
「あなたは最善を尽くした。結果が伴わなかっただけ」   
 ありがとよみんな。しかし……くそっ、あいつの涙声が頭から離れねぇ。  
 悔しさ、そして自分の無力さに対する怒りが俺の中に沸々と沸き上がる。  
 ……俺はハルヒに失明の事実を知られることを楽観視しすぎていた。こいつなら、ハルヒなら、  
なんだかんだ文句は言うだろうが結局は大丈夫だろうと。  
 ……だが、今俺の目の前にいたハルヒは……壊れそうだった。  
 失明を知った時の、ハルヒとハルヒ以外の三人のショックの差は、朝比奈さんの言った通り大きかった。  
 やはり原因が自分にあるというのは、想像以上にきついものがあるのだろう。  
 ……それだけか?  
 それだけでここまでの差が出るのか? 仮にもあのハルヒだぞ?  
 さっきの古泉の言葉が思い出される。  
 ……その相手が俺だから。  
 俺だからなんだってんだ。俺は人を鬱にできるほどの負のオーラは発していないはずだ。  
 じゃあどういう意味だいったい。  
 
 視点を変えてみよう。例えば俺以外の三人のうち誰かが失明したとして、ハルヒは今のように  
自分の目を差し出そうとするまでに思い詰めるか?  
 いや、ないな。やはり俺に対してだからなのか? ハルヒにとって俺は特別ってことで特別って  
いうことは俺はみんなとは違ってハルヒは俺のことが……えぇい、わからんっ。  
 ……わかるような気がしないでもないが、どーにも脳がそれを考えることを拒否している。  
 ……いかん、このままではとんでもない結論に達する予感がする。やめだ。  
 今はハルヒを立ち直らせることを考えよう。  
「残念ですが、涼宮さんを立ち直らせる機会はもうないかもしれません。先程の涼宮さんの状態では、  
おそらくもう明日まで……いや、あと数時間も……」  
   
 ――カッ  
 
 突然だった。暗闇でしかない俺の視界でさえ、段々と白くなっていく。  
「……もう来ましたか……早いですね」  
 みんなの声、そして全ての音がボリュームを下げていく。  
 
「キョ………わた…………キョ……にとって…………だか…ね」  
 
 ……くそっ。  
 
「……僕に………良い………あな…に……………から」  
 
 
 ……俺はもう今のハル…………ダメ…だ  
 
 
「……」  
 
 
 
 ……もう……意識……もた……  
 
 
 
 
「はあっ、はあっ……まさか0時限目に体育があったとは驚きだぜっ」  
 明らかに今の独り言に対して、哀れむ視線をこちらに向けている通行人にも全く構わず、俺は今  
全力で愛車のチャリンコを漕ぎ続けている。  
 いつも朝は大抵、妹のフライングボディアタックが強制的に俺を目覚めさせるのだが、今日は  
校外学習らしく、普段俺が起きる時間にはすでに妹は登校中という事態。で、起きる手段を失った俺は  
寝坊で遅刻寸前というわけだ。まあ、寸前というか……多分、間に合わん。  
 ……ったく朝から憂鬱にしてくれるぜ。早いとこ到着して、あいつの可愛い笑顔を見て気分を  
晴らさないとな。他のクラスメイトに対してはオドオドしちまうのに、俺だけには笑顔を見せてくれる  
から可愛すぎる。  
 心臓破りの坂をようやく征服し、我が学び舎へと辿り着いた。チャイムが鳴った。急いで靴を脱ぎ、  
上履きのかかとを踏みながら教室へ走る。まだ来るなよ岡部っ。  
 着いた。扉を開ける。そしてすぐさま教壇に目をやる。  
 ……。  
 よし、よくがんばった俺。岡部はまだ来ていない。  
「あ、おはようキョン。よかった、間に合ったね」  
 これだ。全速力で走ってきた疲れも一瞬で吹き飛ぶ、天使のような笑顔。もうこの為に学校へ来てる  
ようなもんだからな。  
「ああ、おはようハルヒ」  
 俺は席に着き、体を半身にして後ろのハルヒの方を向く。毎朝の習慣になった体勢だ。  
「なあハルヒ」  
「なに?」  
 朝のHRが始まるまで、俺たちはいつものように他愛もない会話をしていたのだが。  
「涼宮ー、あのさあこないだの課題なんだけど、俺忙しくてちょっとできなくてよぉ。ちょっとだけで  
いいから見せてくれないか? な?」  
 谷口が割り込んできて、二日ほど前に出された数学の課題を写させろとハルヒに言っている。  
「え? あ、う…うん。いいよ……」  
 ハルヒは困ったという感じでオドオドと下を向いて答える。  
「おい、谷口たまには自分でやれよ。それか俺の写すか? それなら一向にかまわんぞ」  
 俺は軽く谷口を牽制する。  
「……はいはい、涼宮の王子様にはかなわねえよ。誰かほか当たるわ」  
 一度、数学の教師に谷口がハルヒの解答を写したのがばれて、ハルヒまで減点されたことがある。  
 俺はそれから、ハルヒに解答の複写をせがんでくる奴をできるだけ追い返そうとしている。  
 ハルヒの気弱な性格につけこんで、こういう事を強要してくる奴が少なからずいる。  
 ……まあ、俺もハルヒに課題を写させてもらう時もあるけどな。いや、ほんとたまにだぞ。  
「あ、ありがとう……キョン」  
「いいってことよ。でもな、いつまでもこんなんじゃダメだぞ。ちゃんと「NO」って言えるように  
ならないとな」  
 それは日本人全体に言えることでもあるけどな。おっと、似合わず社会に目を向けてしまった。  
「う、うん。がんばってみるね」  
 ハルヒはほんの少しだけ頭をかしげ、嬉しそうに答える。それは反則だ、可愛すぎる……。  
 
 顔の作りは超絶美人の部類に入るし、成績も優秀。ここまでは完璧なんだが……どうにも気弱すぎるし  
人見知りも激しい。入学当初は、クラスの誰とも言葉を交わせなかったんだぞ。  
 しかし、やっぱりと言うべきかこのルックスの良さで、中学時代はハルヒとバラ色の中学時代を  
送ろうとした男どもが少なからず存在したらしい。しかし、ハルヒは告白されるとあまりの緊張と  
恥ずかしさに耐え切れなくなり、告白の途中でその場から逃げ出していたようだ。最後まで耐えて  
聞いたら聞いたで、その気弱さゆえに拒否することができず、すべてOK。しかししかし、今度は男と  
二人で並んで歩いているという状況に極度の緊張と恥ずかしさと覚え、逃げ出してしまいそのまま破局。  
一番長く続いて一週間、最短で五分というのは谷口の情報だ。  
 俺は入学したての時、もちろんそんなことはつゆ知らず、たまたま席がハルヒの前だったという  
地の利を生かして、お近づきになっておくのもいいかなと血迷った俺を誰が責められよう。  
 最初に話しかけた時は、ずっと下を向いてモジモジしながらあまりに小さい声でしゃべるもんだから、  
ちょっとイラついちまったもんだ。  
 しかしだ、まあこの一年いろいろあって、今俺とは普通に会話ができるように成長した。ほんの  
ちょこっとだが他のクラスメイトとも言葉を交わせるようにはなった。  
「あ、キョン、岡部先生来たよ」  
 俺は体を前に向け、朝のHRが始まる。  
 
 
   
 俺は机に突っ伏して寝たりハルヒに話しかけたりしながら、いつもどおりの退屈な授業をようやく  
終え、放課後という時間帯に突入した。  
「あたし掃除当番だから先に部室行っててね」  
「ああ、わかった。じゃあ後でな」  
「うん」  
 俺たちは同じ部活に入っている。  
 ……まあ部活というかなんというか、とりあえず俺とハルヒが作った部活だ。  
 ハルヒが俺とは少し会話ができるようになってきた頃、俺はこいつの気弱で人付き合いができない  
ところをなんとかしてやろうと思い、どこか部活に入ることを勧めた。  
「……ぶ、部活に? あたし……そ、そんなのできない……」  
 予想はしていたがハルヒは怖がって却下。そこで俺は二人で新しい部活を作ることを提案した。  
 ハルヒはそれにも最初は嫌がっていたんだが、二人だけならってことでOKしてくれた。  
 まあ、目的はハルヒの極度の人見知りと気弱さの改善だったから、俺は少しづつメンバーを増やして  
ハルヒと友達になってもらうつもりだったが。  
 俺は、なるべくハルヒでも話しやすいような奴を見つけ出し、説得して入部してもらった。最終的に  
三人、俺たちの部活に入部してくれた。  
 かなり無口で大人しいところが、ハルヒの第一段階の修行にぴったりだと思い、入ってもらった長門。  
 やはり男もいた方がいいと思い、顔もまあまあで物腰もやわらかい感じだったので入ってもらった  
のは古泉。しかし今となればこいつを入れたのは失敗だったぜ、まったく。  
 最後に朝比奈さん、やっぱり大人しい感じだったので……すまん、嘘だ。八割がた俺の趣味だ。なんと  
でも言ってくれ。  
 
 しかし、ハルヒのネーミングセンスには笑わせてもらったぜ。部の名前を決める時  
「これはお前の為の部活なんだから、名前はお前が付けた方がいい」  
 とハルヒに振って、ハルヒに命名させて出てきた名前が……。  
 ……SOS団。  
 これが俺たちの部の名前だ。何の略かというと……ぐはっ、無理だ、笑っちまって説明できん。また  
機会でもあれば説明することにしよう。  
 その後は、俺が偶然集めたはずの長門、朝比奈さん、小泉の三人全員からハルヒについての  
とんでも告白を受けたりと、まあいろいろあって今に至るわけだ。  
   
 俺はハルヒを教室に残し、一人部室へと足を運んだ。  
「おや、お一人ですか?」  
 古泉はチェスの駒を並べながら聞いてきた。  
「ああ、ハルヒは掃除当番だ」  
 俺は古泉の対面の席に座り、自分の駒を並べ始める。  
「なるほど、そうですか。それより最近はほんとにいい感じですよ」  
「何がだ?」  
「閉鎖空間ですよ。最近はよく眠れる日々が続いていますね。あの一ヶ月前の発生以来はまだ一度も  
出ていません」  
 一ヶ月前……ああ、谷口のせいでハルヒも減点された時か。ハルヒ、落ち込んでたもんな。  
「こないだ、涼宮さんがあなた以外のクラスメイトと言葉と交わすところも偶然拝見しました。順調  
じゃないですか」  
「ああ、いい傾向だと思う。もう俺に対しては自分から積極的に話しかけてくるしな」  
「はは、いや実に羨ましい。あんな可愛らしい人があなたにだけ、ですよ」  
「なに言ってんだ。ここのみんなにも自分から話しかけるだろ」  
「でも、積極的に、はあなただけじゃないですか」  
 あーもういい。こいつはどーしても俺とハルヒをくっつけたいらしい。俺も嫌ってわけじゃ  
ないんだが、なんていうか……まあ確かにすごく可愛いんだけどな。  
「お茶です。キョン君はい、どうぞ。古泉君もはい。長門さんもはいどうぞ」  
「「ありがとうございます」」  
 古泉と絶妙なハーモニーを醸し出してしまったのは今世紀最大の反省点になりそうだ。  
 こうして朝比奈さんの入れてくれたお茶で、俺と古泉はチェスで時間を潰し、長門は本を読む。  
 そこでハルヒが超ハイテンションでやっほー! とか言いなが……な、なに考えてんだ俺。ハルヒが  
そんなこと言うわけねぇ。……こほん、謙虚に静かに扉を開けて、自分の席にちょこんと座る。  
 こうしていつものSOS団部室の光景の完成ってわけだ。  
 そんな誰にしているのかわからない説明を終えると、扉が謙虚に静かに開けられた。  
 ハルヒが来たようだ。  
「ご、ごめんなさい。あたし、その……お、遅れて」  
「はいはい、なんでもかんでもすぐ謝らない。みんなには掃除当番だって言ってあるから大丈夫だって。  
いや、大丈夫というか別に何をするってわけじゃないんだから遅れるも何もないだろ」  
 俺はできるだけ優しい感じで言ってやった。  
 
「あ……うん。そうだね」  
 ああ、だからその斜め十五度スマイルはやめてくれっ。スマイル0円どころか金を出しても  
欲しいスマイルを何回も見せられれば、そりゃあんた、そのうち理性だって飛んじゃいますよダンナっ。  
 ……いかん、すでに別のところが飛んでしまっている。  
「チェックメイトです」  
「うおっ、いつのまにっ」  
 ゴトッ  
 俺は驚いた拍子にお茶の入った湯呑みを倒してしまった。  
「熱っ」  
「あ、キョンっ」  
 ハルヒが心配してすぐさま駆け寄ってきてくれる。  
「おやおや」  
「キョン君っ」  
「そのお茶の現在の温度は摂氏56度。さほど熱いと体感する温度ではないはず」  
 長門の言葉で冷静になった俺は、お茶があまり熱くないことに気付いた。  
「……よかった。キョン」  
 ハルヒはハンカチでお茶のかかった俺の袖を拭きながら、目を細めて言う。もう押し倒しても誰も  
文句は言わんだろ。  
「ありがとなハルヒ。ん、ちょっと茶の葉が目に入っ――」  
 
 ――!!  
 
 ……なんだ今のは、記憶の断片のような、いや、記憶というか夢の断片と言った方がしっくりくる。  
 それが一瞬頭をよぎった。それは……今、目に異物が入ったせいか目から血を流す俺。  
 それともう一つ……さっき俺が考えちまった全然違うキャラのハルヒ。  
 ……ふう。  
 きっと今日は疲れてるんだろう。早いこと帰って休んだ方がよさそうだ。  
「すまん、みんな。今日はもう帰ることにするよ」  
「……え。キョ、キョン……大丈夫?」  
「どうしたんですか。やはり先程のお茶ですか?」  
 みんな心配そうな視線を俺に向ける。  
「ああ、別になんでもない。じゃまた明日な」  
 俺はカバンを取り、部室を後にした。  
 
 しかし、さっきのはなんなんだ。夢にしてはリアルだが、実際の記憶に比べれば現実感に欠ける。  
 うーん、一年も宇宙人未来人超能力者に囲まれた生活のおかげで、とうとう俺にも何か能力が  
備わったのか。ハルヒ、とうとうお前の周りには一般人はいなくなってしまったぞ。  
 ……そうでないことを切実に願うぜ。  
 俺の凡人でありつづける才能をなめんなよ。  
 ……いかん、また意味のわからん日本語をぼやいている。  
 俺は足早に帰路に付き、もうこの事は考えないようにした。今日は早めに寝るか。  
   
   
 
 その後三日間は特にこれといったことはなく、いつもどおり平和な日常を送っていた。のだが……  
「お、ハルヒ、そういえばそのコート初めて見るな。新しく買ったのか?」  
「あ……うん」  
 昼休み、俺とハルヒは校庭の隅のグラウンドが見渡せる場所を陣取り、並んで座っている。野球を  
しているのをぼんやりと見ながら、ほのぼのトークだ。  
 普段俺は弁当でハルヒは一人で学食なんだが、今日は俺は弁当がないので、珍しくハルヒと一緒に  
学食で昼食を済ませた。ハルヒはいつも学食から教室に戻ると、そのまま一歩も教室から出ないのだが、  
いい機会なので学食から出てそのまま校内散歩をしようと提案した。  
「でも、もうすぐ暖かくなってくるんじゃないか? ちょっともったいないぞ」  
「うん、でも前のコートが破れかけてて……や、やっぱりもったいなかったかな……」  
 ハルヒは残念そうに下を向く。  
「うーん、ま、やっぱりいいんじゃないか。それ、可愛いデザインでお前らしいと思うぞ」  
「え、え?……あ、ありがとうキョン」  
 今度はうって変わって顔を赤くして照れている。プチカメレオンだな。これで可愛くなかったら  
口に出してそれを言っているところだ。  
 ……ひでぇな俺。こんなこと本当に口にすれば、ありとあらゆる罵声をハルヒに浴びせられ……  
 ――まただ。  
 またこないだと同じハルヒのキャラが頭に浮かんだ。どうも最近おかしい。  
 気を取り直して、今の暴言を深く反省しつつグラウンドに視線を戻す。  
 その時だった。  
 グラウンドであっちこっち飛び回っていた軟式ボールが、俺目掛けて飛んできていた。  
   
 ――ぐあっ。  
 
 痛てえ。  
「キョン!」  
 目に直撃しかけた。正確には右目より少し外側のあたりに当たった。って、また目かよ。  
 
『あたしの右目あげるから』  
 
 ――え?  
 
『えぐっ…キョン君の目、目がぁ……うぐっ』  
 
 ――なんなんだ。  
   
 こないだのより確実に現実味を帯びた夢の断片。  
 ……いや、もうこれは夢の範囲を大きく超えた感じ、実際の記憶に近い。  
「キ、キョン……大丈夫? キョン……」  
「ああ、大丈夫だ。心配するほどのもんじゃない」  
 少しクラクラする……頭に近い場所に当たったからか。  
 痛っ。  
   
 ――!!  
 
『……うそ……嘘、よね?』  
     『……健気』       『……残念ですが、これは消しゴムでは……』  
  『キョーン、来てあげたわよー!』  
            『急ぎましょう』  
 
 ――そうか、これは……  
 
    『あ、あーなんか音楽聴きたくなったのよねー』  
 『キョン君、大丈夫ですかぁ?』        『何すんのよ……バカっ!!』  
        『僕は涼宮さんに失明の事実を伝えるのは反対ではありません』  
 
 ――そうだった。  
 
 
『涼宮ハルヒ自身の人格の大幅な改変が予想される』  
 
 
 ――全部思い出した。  
 
 
「ハルヒっ、すまん、先に教室に戻っててくれっ」  
「え? キョン?」  
 俺はすぐさま部室に向かって走り出していた。  
 なんてこった。くそっ、これはいつからだ? 確か失明したのをハルヒに知られた日は……。  
 ちっ、七日間も気付かなかったのか俺は。  
 頼むぜ、いてくれよ。いるんだろ部室に。そしてこのことに気付いててくれよ。  
 あぶなかったぜ。たまたま短期間に二回も目に刺激があったから気付いたものの。  
 ……たまたまか? あまりにも話が出来過ぎてる。  
 そうか、あいつが操作したんだとすれば納得できる。俺に気付かせるために。  
 だとすればあいつは今確実に部室にいる。そして俺よりも早く気付いている。  
 くそっ。足遅せぇな俺。  
 息を切らしながら到着し、ノックもせずに勢いよく扉を開けた。  
「長門っ、お前は気付いてるんだろ!?」  
 部室に入るや否や、問いただした。  
「気付いているというのは語弊がある。正確には最初から知っていた」  
「知っていた? どういうことだ」  
「今のわたしは、この時間平面上のわたしではない」  
「時間平……そうか、俺に知らせるために未来から来たってことか?それで最初から知ってるんだな?」  
「違う。相違点が二つある。このインターフェイス自体はこの時間平面上のもの」  
 また俺には意味わかんねぇ話になってきた。  
「簡単に言うと、肉体はこの時間平面上のわたしのもの。記憶、思考に関してこの時間平面上のわたし  
ではない」  
「なるほど、中身だけ未来のお前ってことか」  
「そこがもう一つの相違点。この時間平面上から見て未来ではない。過去のわたし」  
「な……過去だと? ちょっと待て、じゃあなんでこのことを知ってるんだ」  
「過去といっても大幅な時間量ではない。今から言えばほんの数日前。正確にはあなたの手術が終わる  
直前の時間平面」  
「俺が失明するのを感じ取ったってわけか」  
「そう。手術がほぼ終了したのを見計らい、手術室内の医療機器の情報を解析、あなたが失明したことを  
知った。そうなれば涼宮ハルヒによって時空改変が起こること、そしてその改変内容は容易に予測  
できた。そこでわたしは未来のわたしと同期を取ることを申請し、精神をこの時間平面上のわたしと  
連結した」  
「……わかったようなわかんねぇような。しかし、よくそんなことできたな」  
「涼宮ハルヒの性格の内向化は、自律進化の可能性を著しく低下させる。情報統合思念体にとっては  
不都合。わりと簡単に申請は受理された」  
「……いや、そういう意味じゃなくてだな。お前、古泉と一緒に待ってたんじゃないのか? 古泉に  
何て言って来たんだ?」  
「心配ない。わたしはトイレに行っていることになっている」  
「……トイレって、まさか何日もトイレに入ってることにしてんのかよ」  
「この世界では数日でも、あちらでは数秒の出来事ということにしている」  
 
 そうか、俺が病室で意識が戻ったとき、長門もいたもんな。ここでの時間の流れがそのまま向こうでの  
時間の流れと同じなら、俺は手術が終わってから一度も長門に会うことはできないことになる。  
「それにしても、そんなめんどくさい事してまで、なんで過去からなんだ? 未来から来た方が先の事を  
わかってるからやりやすいだろうし、古泉の目を盗んでとかも必要ないだろ」  
「もし、あなたが時空改変に気付かなければ改変前の記憶を持ったわたしは未来に存在しない。あなたが  
気付かない可能性も否定できない。未来に頼るのは危険と判断した」  
 ……確かに、長門のアプローチがなければ俺は気付かなかったかもしれない。  
「改変されて、どれくらいから過去のお前だったんだ?」  
「改変から九分二十秒後」  
「ってことはほぼずっと過去のお前だったってわけかよ。俺が気付くのをずっと待つためか?」  
「それも一つの理由。もう一つは、再改変プログラムを早急に作成するため。わたしのようなインター  
フェイスが起こした改変なら、再改変プログラムは容易に作成できる。しかし、涼宮ハルヒによって  
改変された時空を元に戻すのは容易ではない。実際にその改変時空に身を置き、その本人がプログラムを  
組まなければならない。時間も大量に必要とする。睡眠中もプログラムの作成を進めていたとしても、  
一週間ほど必要」  
「なるほど、それで一週間たってプログラムが出来上がって、俺を気付かせようとしたわけか」  
「そう」  
「で、俺はどうすればいい?」  
「その前に、あなたは元の世界に戻りたい?」  
「……え?」  
 ……そうだった。世界を元に戻せば、俺は生涯視力を失ったままだ。  
 今までの癖で、無意識に元に戻す方向に行動してしまったが……どうなんだ?  
「あなたが望まなければ、再改変は必要ないとわたしは感じている」  
「お前の仲間は、ハルヒの今の性格は都合が悪いんじゃなかったのか?」  
「情報統合思念体としてはそう。でも、わたし個人としては……あなたの視力がある世界が望ましいと  
感じている」  
「……そうか。ありがとな、長門。後でお前も聞くことになると思うが、古泉と朝比奈さんも同じことを  
言ってくれたよ」  
「……そう」  
 みんながこう思ってくれてるのは、すごく嬉しい。  
 だが、俺はどう思ってるんだ? 元に戻したいのか?……自分でわかんねぇ。  
「あなたが元の世界を望むのであれば、これを涼宮ハルヒの身体に」  
 そう言って、長門が俺に渡してきたのは……元学級委員長のおかげで目にするのも嫌になった、  
アーミーナイフだった。  
 おいおい、これでハルヒを刺せってか。もっと別の方法はなかったのかよ。  
「大丈夫、負傷させることはない。プログラムが発動するだけ」  
 いや、そうわかっていてもだな……。  
「涼宮ハルヒ以外の有機生命体に使用すれば、実際に刺してしまうから注意して」  
「刺すかっ」  
 なんか、世界を元に戻すのに余計に覚悟がいるようになってしまったじゃないか。  
 
「答えを出すのはいつでもいい。よく考えて」  
「……ああ」  
「わたしは元の時間平面に戻る。後はあなた次第」  
「わかった、じゃあな。ありがとう、本当に感謝するよ」  
 長門に心からの礼を言い、もうすぐ午後の授業が始まる時間だというのに気付き、俺は部室を  
あとにした。  
 
   
 俺は世界を元に戻したいんだろうか。  
 再改変すればハルヒを元に戻せる……が、俺の視力と引き換えに、だ。  
 それに、ハルヒを元に戻してどうなる? 今のままでもみんなは変わらないし、ちゃんとSOS団  
だって存在してる。他の俺の知り合いも、元の世界と比べてなんら変化はない。  
 ……そうだ、元に戻す必要なんてないじゃないか。  
 俺の目が見えている方がみんなに迷惑もかけずに済む。  
 ……だがあの時、あの時も俺は平和な世界とあの可愛い長門を捨て、エンターキーを押した。  
 今一度エンターキーを押さなければ、あの時の行動は無駄になるような気がしてならない。  
 今だから思う。長門、古泉、朝比奈さん、それぞれがハルヒに対してなんらかの役割がある。  
 だとすると俺は、ハルヒが変えた世界に対してエンターキーを押すのが俺の役割、いや、使命  
なんじゃないかと。  
 ……そうだ、例え自分の視力が奪われようとも、俺はこれからもエンターキーを押し続けなれば  
ならない。それが、あの時エンターキーを押した自分に対して課せられた使命であり、けじめ  
なんだと思う。  
 俺は決意した。  
 
 
 本日最後のチャイムが鳴った。今日のそのチャイムは、授業以外の何か別の終焉を示唆するかの  
ように聞こえた。  
「ハルヒ、部室に行く前にちょっと付き合ってくれないか?」  
「え? あ、うん、いいよ」  
 俺はハルヒを屋上へ連れ出した。ハルヒは……嬉しそうに微笑みながら俺についてきた。  
「ねえ、キョン、ど、どうしたの? こんなことに来て……」  
 ハルヒは少し照れた様子で、少し俯きぎみで言う。  
 俺は少し間を置いて、長門から渡されたナイフを取り出し、ハルヒに向かって構えた。  
「……え? キ、キョン?」  
 さっきまでの嬉しそうな表情が、一瞬にして不安と恐怖の色に変わる。  
「……ハルヒ、すまん。ちょっとだけ我慢してくれ」  
「え?……ど、どうしたの? どうしちゃったの? キ……キョン……いや」  
 ハルヒは震え、懇願するように俺に言う。  
 ……くそっ。こいつのこんな表情、見てらんねぇ。  
「ハルヒ、信じられないかもしれないが痛みは全く感じない。本当だ。俺を信じろ」  
「……い、いや……どうして?……キョン……お、お願いだから……」  
「ハルヒっ。頼むから信じてくれっ」  
 ハルヒの可愛い顔に涙が伝う。  
 やめてくれ……なんで、なんでこんな思いしなきゃなんねぇんだよ。こんなハルヒを刺せるわけ  
ないだろうがっ。  
「……ぐすっ……キョン、キョン……ぐすっ…」  
 ちくしょう。わかってる、わかってるさ。刺しても本当に痛みはない。  
 でもな……そうだよ、世界を元に戻せば、こんなに可愛いハルヒがいなくなってしまうんだ。  
 なにもこんな思いまでして世界を元に戻さなくてもいいじゃないか。  
 今のハルヒは、朝比奈さんと比べても頭一つ抜け出て可愛いんだぞ。  
「……キ…キョン…ぐすっ」  
 ナイフを握る手に力が入り過ぎ、震えている。  
「……いや……いや…」  
 くそっ。  
 情けねぇ。  
「……すまなかった、ハルヒ。今のことは忘れてくれ……」  
 ……俺は、ナイフにカバーを被せ、ポケットにしまった。  
 ハルヒは呆然として、その場に座り込んだまま動かない。  
 俺はハルヒに背中を向け、静かに屋上の出入り口を開いた。  
   
 ……これで、よかったんだよな。  
 俺は自問自答する。  
 ……こんな思いを味わったんだ。誰も俺を責めるやつなんていないだろ。  
 長門、せっかく作ってくれたプログラムなのにすまない。  
   
 しかし、今のハルヒは元のハルヒとはほんと別人だな。まがいなりにも俺は朝比奈さんよりも  
可愛いとか思ってしまったんだからな。  
 女の子はやっぱ見た目も重要だが、性格の重要度をいやというほど思い知らされたぜ。  
 元のハルヒときたら、うるさくて乱暴で自己中で無茶苦茶で……まあ、でもいざという時だけ仲間の  
ことを第一に考えてくれて……ああ、俺が三日間意識が戻らなかった時もずっと泊り込みで看病して  
くれたっけ。  
 ……なんだこれは。なぜこんな、今の世界のハルヒを選んだ俺らしからぬことを考えているんだ。  
 いや、考えてるというか……自然に頭をよぎる。  
 これで……本当にこれでよかったのか?  
 
 なんだかんだ言って、俺はあいつの満面の笑顔を見ながら、投げ縄の如く振り回される毎日が  
楽しかったのかもしれない。  
 いつもあいつがとんでもない事を言い出して、それに振り回されて、けったいな事に巻き込まれて。  
 俺も文句は言うが、結局最後まで付き合って、で最後にまたあいつの笑顔を見て。  
 ほとんど笑顔か怒ってるかだもんなあいつは。   
 ああ、俺が失明したのを知られた時、初めてあいつが泣いてるのを見た、てゆうか聞いたんだっけ。  
   
 ……俺のために泣いてくれたんだよな。あの時は必死で、そのことに頭が回らなかった。   
 
 ハルヒに失明のことを隠してたのも、あいつには心配させたくなかったから。  
 ……だけじゃない。  
 ああそうだ……俺は、世界が改変されて俺の知ってるあいつを失うのが怖かったんだ。  
   
 じゃあなんなんだ? なぜ俺はハルヒを失うことに対して拒否感を覚えていたんだ?  
 俺にとってハルヒとはどういう存在なんだ?  
 ……同じだ。あの時と。  
 あの五月の閉鎖空間でも、俺は同じような問いを自分に投げかけた。  
 ハルヒは俺にとってただのクラスメートじゃない。  
 もちろん進化の可能性でも、時間の歪みでも、ましてや神様でもない。  
 ……そう、ここまでは、あの五月の時点ですでに解かれている。  
 要はその先。俺は持ち合わせてなどいないと言った、決定的な解答。  
 あれから十ヶ月近く傍でハルヒを見てきた。いろんなハルヒをだ。  
 笑ったハルヒ。そして怒ったハルヒ。はたまた戸惑うハルヒ。ちょっとだけ優しいハルヒ……。  
 他にハルヒをどういう風に形容すればいいんだ。  
   
 ……いや、違う。そういうことじゃない。  
   
 何か根本的に考え方を間違っている。  
    
 
『……や、やめてよ。そんな……あたしのせいで……キョンが』  
 
 
 ――俺は  
 
 
『……そっか。よかった…』  
 
 
 ――俺はどうしたい?  
 
 
『ちょっとキョン! どこ行ってたのよもう!』  
   
   
 ――俺はハルヒに対してどうしたいんだ?  
 
 
『…なんで……なんでなのよ……あんたが見えるんなら、あたしの片目くらい………』  
 
   
 
 ――俺はハルヒを……  
   
 
 
 
 俺にとってのハルヒ。  
 
 
 
 ……ハルヒ。  
 
 
 
 
 
 
 
 ……ハルヒ……会いてぇ。  
 
 
   
 ……ハルヒに会いてぇよ。  
 
 
 
 
 
   
   
 ――ああ、そうか。  
 
 
 
 
 
 
 ――そうだったのか。  
   
   
 
 
 
 
 ――アホだ俺は。  
   
   
 
 ――真性のアホだ。  
 
 
   
 
 
 なに難しいことを考えてんだ。  
 
 こんなに遠回りして、追い詰められて  
   
 ようやくこんな簡単なことに気付くなんてな。  
 
   
 
 
 
 ――そう、俺は  
 
   
    
 
 
   
 ――俺はハルヒのことが  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
       ――ずっと好きだったんだ。  
 
 
 
 
 
 
   
 
 俺は屋上から降りる階段をもう一度走って登る。  
 
 
 
 ――まってろハルヒ。  
 
   
 俺は今一度  
 
 
 
 
   
   
 
  ――お前を取り戻しに行く。  
 
 
 
 
 そして再び、俺は屋上の出入り口の扉を開く。  
 
 もう一度、エンターキーを押すために。  
 
 
 
 
 
 
 いつもどおりの平日の朝。朝日が窓から差し込み……なんてのは医学的に俺は体感できる状態にない。  
 俺は妹から手渡しで制服を受け取り、急いで着替える。  
「も〜キョン君早く早く」  
 足をジタバタさせて妹が急かしてくる。  
「あーもう、うるせぇ。これでも急いでるんだがな」  
 俺が着替え終わるや否や、俺の手を取り玄関へと直行する。  
「ま、待て待て。急いだらあぶないだろっ。ちゃんと障害物を気にして先導してくれ」  
「早くしないとダーメ。ハルにゃんが外で待ってるんだからー」  
「おい、朝飯はどう――」  
「とうちゃーく」  
 妹は勢いよく玄関のドアを開ける。  
 そしてそこには……  
「遅いっ! 遅い遅い遅い!罰金っ」  
 聞き慣れた、そして現在に至っては愛しいという感情すら覚えるあいつの声があった。  
 ハルヒは毎朝、登校がてら我が家まで足を伸ばし、俺を学校まで送ってくれている。  
「ハルヒ、毎日ありがとな」  
「あんたはそんなこと気にしなくていいの。黙ってあたしに送られてなさい」  
 今、ハルヒは俺のほぼ専属介護士かのような状態になっている。通学帰宅はもちろん、学校内でも  
ほぼ俺に付きっきりだ。  
 まあ嬉しいんだが、それだけでは済まず、何の連絡もよこさず我が家という俺の唯一のプライベート  
テリトリー内を侵してきやがるのは勘弁して欲しいぜ。俺があられもない行為の真っ最中だったら  
どうするんだ、まったく。  
 せっかくハルヒが無理矢理、俺とハルヒの携帯をラブ定額にしやがったんだから電話してから来い。  
 俺のプライバシーがなくなりかねん。  
   
 学校でもハルヒの専属介護士ぶりは極限を極めている。  
 今、教室の俺の席はハルヒの横になっている。横っていっても単なる横隣じゃあない。なんか急に  
めずらしく俺を置いて教室から出て行ったと思えば、ガガガガと何かを引きずる音と共に戻ってきた  
じゃないか。二人掛けの長机を持ってきやがったのだ。最初は教師たちもやめるようには言うのだが、  
ハルヒの奇人ぶりは北高に関わるすべての人間の常識になっているので、すぐに誰もなにも言わなく  
なった。しっかりしてくれよ、まったく。  
 そうそう、男子トイレの入室許可を取るとか言い出した時はマジで焦った。なんとか説得して  
止めたが、ハルヒは不満爆発だったな。  
 昼食は、ハルヒはいつも学食だったのだが、今は通学途中コンビニで買ってくるか、たまに自分で  
弁当を作ってきたりしている。  
 ……そう、俺と一緒に食べるためだ。しかも……こんな感じでだ。  
「今日は卵焼き、から揚げ、きんぴら、プチトマト、真ん中に梅干のご飯、どれ?」  
「……そ、そうだな」  
「早く言いなさいよ。あたしの食べる時間が減るじゃないの」  
「……じゃあ卵焼きで」  
「はい、口開けて」  
「な、なあハルヒ。俺の箸を卵焼きまで持っていってくれれば自分――」  
「早くしなさいっ」  
 ……とまあ、傍から見れば完全なバカップル状態なわけで。視覚がない分、恥ずかしさが半減される  
のが不幸中の幸いだ。  
   
 SOS団部室での俺の席もまた、今は長机での団長様の隣である。  
 俺がパソコンをいじれなくなったもんだから、ハルヒは古泉や長門に教えてもらって、ネット以外も  
そこそこ出来るようになった。長門が教えようとしたのがコマンドプロンプトだけだったような気も  
するが。きっと俺のいないところでちゃんと教えてたに違いない。ああ、きっとそうだ。  
「さあ、今日は昨日やりかけてたやつを完成させるわよ」  
 カタカタカタカタ  
 ん? なんだ? なんでその作業でキーボードを叩く音なんだ?  
 カタカタカタカタッカタカタカタ  
「……ハルヒ、それはコマンドプロンプトでやらんでいい……」  
「ん? そうなの? だって有希が……」  
「……あいつは特別だ」  
 古泉、なんで指摘してやらんのだ。  
「いやあ、おもしろかったんでつい」  
   
 最後のは余談だが、こうしてハルヒは無茶苦茶なりにも、ほぼ俺のためと言っても過言ではない毎日を  
過ごしている。  
 
 そして、今日も長門の本を閉じる音でSOS団の活動が終わり、それぞれが帰路につく。  
 俺はもちろん、ハルヒの手に引かれながら、だ。  
「今日はあんた、めずらしく一度も足引っ掛けなかったわね」  
 俺は情けないことに、一日一回は何かに足を引っ掛け、転びそうになるのだ。  
「そういえば、そうだな。ハルヒの献身的な介護のおかげかもな」  
「ん、よくわかってるじゃない。これからもその気持ちを大事にしなさいよ」  
 おそらく、お前が思ってる以上に大事にしてるはずだ。  
「大事にしてるさ。ハルヒ、いつもありがとう。本当に感謝してる」  
「……な、なに似合わないこと言ってんのよ。ほら、さっさと歩きなさい!」  
 お前への本当の気持ちを我慢してんだ。これくらい言わせてくれ。  
「俺は真剣にそう思ってるんだぞ」  
 ハルヒは照れているのか、無言になった。繋いでいる華奢な手が少し熱くなったような気がした。  
 少しの間、二人の足音のみの時間が続く。  
 そんな短い沈黙を破ったのはハルヒだった。  
「ねえキョン。あんたまた……夜に眠れなくなったりしてない?」  
   
 俺は元の世界に戻って最初の失明生活の数日間、夜中に目を覚ます日が続いた。目を覚ますと  
いっても、意識は戻るがもちろん目は見えていない。  
 睡眠中、俺はとてつもない恐怖感に襲われた。寝てようが起きてようが、俺の視界は暗闇一辺倒の  
世界。そして夜中、街中が静かになり音もしなくなる。  
 何も見えない聞こえない誰もいない状況。俺は生きてるのか死んでるのかもわからなくなり、  
恐怖と孤独で気が狂いそうになった。  
 手、足、そして体全体が異常に震え出す。経験したことのない痙攣。一人きりという状況に限界を  
感じた。そして、涙が止まらなかった。  
 俺は気が付くと、ハルヒに電話をかけようとしていた。  
『ちょっと……あんた今何時だと思ってんのよ……』  
 ハルヒの寝起きで不機嫌そうな声が耳に届いた。   
「ハ、ハル……ヒ……お、お…俺……お…俺…」  
 もう自分とは程遠い人物像だった。まともに言葉を紡ぐことすらできなかった。  
『キョン?……ちょ、ちょっと、ほんとにあんた?……』  
「も…もう……お、俺……こ…怖い……こわ…い…」  
『ちょっ…キョン……キョンっ!! 大丈夫、大丈夫だからっ! 今から、今から行くから待ってるのよ!』  
 俺はただひたすら待った。恐怖と孤独で自分が壊れないように必死で気を強く持ちながら。  
 早く、早く誰かに触れたい。  
 ハルヒの到着の早さは、目を見張るものがあった。  
 ……こんな夜中に、窓の外からハルヒの声が聞こえる。ああ、母親の声もするな。  
 震えは一向に治まる気配がない。  
 ドタドタと階段を登る足音。そしてすぐに俺の部屋のドアが開かれた。  
「キョンっ!」  
 聞きなれた声の主が俺との距離を瞬時に詰めた。  
「キョン、もう大丈夫……大丈夫よ」  
 ハルヒは、震えながら涙を流す俺の頭を抱え込み、優しくなだめてくれた。  
 ハルヒの腕の中は、とても温かった。  
「ハ、ハルヒ……俺…俺っ」  
「わかった、わかったから。今はあたしに甘えなさい……」  
 ハルヒの、俺の頭を撫でるという行為が、急速に安心感をもたらす。  
 体の震えが鎮まっていく。  
 自然に、自分の頭をハルヒの肩に預ける。   
「寝てても起きてても同じ……同じ暗闇なんだ。それに……みんなが寝ると、何も音がしないんだ」  
 俺は、しゃべることが出来るということを確認するように、ゆっくりと口を動かした。  
 俺の頭を抱える力が、少し強くなった。  
「キョン……そう。でも、もう安心しなさい。これからはあたしが付いててあげるから」  
「……ハルヒ」  
「これから、夜中にこんなことになりそうになったら、絶対あたしに電話すること。いいわね」  
「……いいのか? 俺、これから当分、毎日こうなるかもしれないんだぞ……」  
「そうなったらあんた、あたしが電話するなって言ってもどうせしてくるでしょ」  
「ハルヒ……ありがとう。ほんとにありがとな」  
「いいのよ。もう落ちついたでしょ、寝なさい」  
 俺は再びベッドに横たわり、眠りについた。  
 俺が寝るまで、ハルヒはずっと俺の手を握ってくれていた。   
   
 
 俺は足を止めて、この夜中の出来事を思い出していた。  
「ああ、もう大丈夫だ。最近はちゃんと眠れてる」  
「そう。ならいいわ。また……もしあんなことがあったら、電話してくるのよ」  
 この出来事で、よりハルヒに対する気持ちが強くなった気がする。  
 やべぇ、絶対近いうちに口が滑ってしまいそうだ。  
 いかん、でも今は……今はまだ……  
 
 
 ……そう、今はまだ言えない。  
   
   
 でも、いつか、完全に今の俺の状態が落ち着いたら言おうと思う。  
   
   
 ――俺のハルヒへの気持ち、すべてを。  
 
 
 俺は無意識にハルヒの頭を優しく撫でていた。  
 あの日の夜中、ハルヒが俺にそうしてくれたように。  
 華奢な手が、また少し熱を帯びた。  
   
 そしてその時、撫でている方の手が、いつもはないはずの後頭部の髪の突起に当たった。  
 
 
 ――ポニーテール  
 
 
 俺は一つの短い台詞を思い出した。   
 
   
 
 
   
 
 そう、今はまだ言えない。  
 
 
 
 
 だから、この言葉が今の俺の精一杯。  
 
 
 
 
 
 
 今度はありったけの気持ちを込めて。  
 
 
 
 
 
「なあ、ハルヒ」   
 
   
 
 
 
 ――あの時の台詞を  
 
 
 
 
 
「なによ」  
   
 
 
 
 
 ――今一度  
 
 
 
 
 
 
 
    
 
    「――似合ってるぞ」  
 
 
 
   
 今ハルヒは、どんな顔をしているのだろうか。  
 もし微笑んでくれているのなら、俺は少し嬉しい。  
 
 
 
 
 
 
                                 ――「二度目の選択」  
 

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