7月5日。2年になっても相変わらずSOS団は健在である。
下校時間になって、俺とハルヒは一緒に歩いていた。
他愛もない話をした後、
「じゃーね、キョン」
「ああ、また明日な」
と、ハルヒと珍しく普通のやり取りをした後、俺は横断歩道に向かった。
次の瞬間、俺の体は宙に浮いていた。
別に浮遊能力を発揮したわけではない。車に撥ねられたのだ。
それを理解した時、体に激痛が走った。
朝倉にナイフで刺された以上の痛みが俺の全身を支配する。
ブラックアウトしていく視界の中で、ハルヒが走ってくるのが見えた―
気が付くと、俺は自宅のベッドの上に寝転がっていた。
夢?いや違う。あれは確かに現実だった。ならこの状況はなんだ?
可能性は二つ。1つはハルヒの閉鎖空間。しかしこれは考えにくい。
もし閉鎖空間が発生したら古泉から連絡があるはずだし、今日のハルヒはむしろ上機嫌だったからだ。
となると、やはり―
「そう、ここは改変された世界よ」
妹や母親の声ではない。詮索をしなかったのは、声を発した人物に心当たりがあったからだ。
忘れるはずがない。2度も殺されかけたんだからな。
「―朝倉だな」
さすがに冷静ではいられない。注意深く周りを見渡すが、朝倉の姿は見えなかった。
「そんなに焦らなくても大丈夫よ。今の私にあなたを殺せる力はないから」
悪いが、2度も殺されかけた相手をそう簡単に信じる程俺は純情な心を持っちゃいない。姿も見せようともしてないしな。
「姿は見せられないのよ。今、私はあなたの精神の中にいるんだもの」
どういう意味だ。
「去年の冬の世界改変は覚えてる?」
当たり前だ。あんなことを軽々しく忘れる奴がいたら、俺はそいつをぶん殴ってやる。
「あなたにナイフを刺した時、私の情報をあなたに流し込んだのよ。
それが今回の世界改変であなたと話を出来るくらいまで力を持ったの」
「つまり、あの改変からお前は俺の考えを見てたのか?」
「うん、その通り。だから、昨日あなたが何を食べたとか、あなたが涼宮さんを思って何回自慰行為」
やめてくれ、お願いだ。それ以上言われたら俺は違う意味で死んでしまう。
精神的に殺しにきたか。
「と、そんな事を話してる場合じゃないわ」
そんな事扱いですかそうですか。
「世界改変が何故実行されたかわかる?」
予想はついている。おそらく―
「そう、あなたはあの事故で車に撥ねられた。そして死んだのよ」
ここまでは予想通りだった。しかし―
「あなたが死んだ後、涼宮さんが世界改変をした。
正確に言うと、その改変に他の三人の力が加わって今の世界になったの」
ま、まさか―
「長門さん、古泉一樹、朝比奈みくるも改変を手伝ってたという事。
でも、それが原因でまずい事になったわ。
長門さんだけじゃなくて余計な力が加わってしまったせいで、この世界は後1年でなくなるの」
「長門さんと他の二人は、いままでの事を忘れるのを拒んだ。それで涼宮さんの改変に手を加えた。
長門さんは知ってたはず。前にも改変してるしね。
おそらく他の二人も聞いたと思う。長門さんはそういう事をちゃんと話すはずだから。
つまり、あなたのいない世界なんていらないと思ったんじゃないかしら」
・・・。
「今は一年前の始業式。もちろん涼宮さんはそれ以降の記憶はないわ。多分前に起きた事は起こらない。涼宮さんが後悔してるからね。こんな事になるのならSOS団なんか作るんじゃなかったってね」
朝倉、世界を元に戻す方法を教えてくれないか?
「方法自体は難しい事じゃないわね。あなたが涼宮さんを説得するだけ。
最も、どう説得すればいいのかまでは知らないけどね。
でも解ってる?世界を戻すという事は、あなたは―」
言うな。覚悟はしていたしな。それに俺一人のために世界を巻き込むなんて出来るわけがない。
「そう。涼宮さんは学校にいるわ。あの部室にね。…まずいわね。あなたが前の日の記憶があるのを長門さんに気付かれたわ。
おそらく妨害してくるはずよ。本来私があなたの精神にいなかったらあなたも忘れていたはずだから。
しかも、改変前の記憶はあなたの場合今日1日しか持たない。
このまま明日になったらあなたは改変前の記憶はなくなる。
そうなったら世界が滅びるしかなくなるわ」
朝倉との話を終えて俺が家から出ると、古泉がいた。
「どうしても行くのですか?世界を戻したら、あなたはいなくなってしまうんですよ?」
「ああ、わかってる。だが、それでも行かせてもらう。
俺一人のために世界を滅ぼすなんてお断りだ。
それに、この1年3ヶ月がハルヒにとってなかった事になるのも嫌だしな。通らせてもらう」
古泉はすんなりと道を空けた。
「わかりました。あなたがそこまで涼宮さんの事を思っているとは。見直しました」
「あいつにSOS団の思い出を忘れて欲しくないんだ。絶対にな」
「そうですか。せめて、あなたが消える瞬間くらいは見届けさせてもらえませんか?」
俺と古泉は学校に向かった。途中、何故かポケットにナイフがあるのに気付く。
トイレに行くついでに朝倉に聞いてみた。
「なんでお前のナイフがあるんだよ!」
「いや、護身用にと思ったんだけど、駄目?」
…いや、わかった。必要とは思えんが一応礼を言っておく。
部室に着くと、長門と朝比奈さんがいた。
「ハルヒは何処にいるか知ってるか?」
「…屋上」
「まあ、キョン君。少し落ち着くためにもこれを飲んで」
ありがとうございます。ありがたくいただきます。
(駄目!それを飲んだら―)
朝倉の警告に気付いた時には、すでに俺に異常が起きていた。
「ごめんなさい、キョン君」
「そのお茶には、私が造った媚薬をいれてある。…ごめんなさい」
体が熱い。頭がくらくらする。いままで押さえて来た性欲が爆発してしまいそうだ。
「私達は、あなたが好き。だから、多少強引な手を使った。
今日が終われば、あなたは改変前の事を全て忘れる。そうすれば、私達はあなたともう少しいる事が出来る」
もう限界だ。これ以上抑えるのは無理だ。
大体こんな美人二人が俺の事を好きだと言っているんだ。そして媚薬まで入れたんだ。
襲ったって構いやしない。ああ、もう何も考えられん。
…なんだ古泉、人の邪魔すんじゃねー。俺は今からこの二人と―
次の瞬間、俺は倒れていた。頬が痛む。
「あなたの…あなたの涼宮さんに対する気持ちはその程度だったんですか!!」
―!
古泉に言われた一瞬、俺の頭の中を走馬灯が駆け抜けた。
始業式の時の突拍子のない一言から始まり、SOS団を作ったり、閉鎖空間でキスをしたり、病院で三日も俺の付き添いをしてた事が頭に流れてきた。
「すまん古泉、お前のおかげで理性が少し戻って来た」
「何故?媚薬の効果はあるはず。なのにどうして理性を保っているの?」
くっ、また理性が―そうだ。
俺は朝倉からもらったナイフを取り出す。
そして、ためらいなく自分の太股に刺した。
痛みはあるが、理性は完全に戻って来た。
「二人ともごめん。俺は、ハルヒにいままでの事を忘れて欲しくないんだ」
「そうですか。キョン君、一つだけ聞かせて。あなたは涼宮さんの事が好きですか?」
「はい。俺はハルヒが好きです」
「それが聞きたかったんです。…早く涼宮さんの所にいって下さい」
私もここで待機してます。その方があなたもいいでしょう?」
すまんな、気を使ってもらって。じゃあ行って来る。
「さよならは言わない。…いってらっしゃい」
屋上に上る途中、足の痛みが無くなっているのに気付いた。出血も止まっている。
「あなたの自然治癒力を活性化させたのよ」
ナイフの件もそうだが、ありがとう朝倉。
「べ、別にお礼はいらないわ。それより、涼宮さんを説得出来るの?」
出来る出来ないじゃない。やらなきゃいけないんだ。
そんな会話をしているうちに、屋上の扉の前に着いた。
スー、ハー。深呼吸をして扉を開ける。
髪の長い少女が、柵に頬杖をつきながら退屈そうに遠くを見ていた。
「間違いなく涼宮さんよ。髪が長いのは、まだあなたと話をしてないからね」
おい、と声をかけるとハルヒは鬱陶しそうにこちらを見た。
「なによ。こんな所に来るなんてあんたも変わり者ね。用がなかったら話し掛けないで」
思わず苦笑してしまった。予想通りの反応だったからだ。
「あれ?あんた確か、同じ組の、えっとキョンだっけ?ん―、なんだろこの感じ。
初めて会ったはずなのに前から知ってるような気がするの」
「そりゃそうだ。俺達はお前と一緒に色々やってきたからな。
毎週不思議探索パトロールしたり、島で古泉のどっきりに驚かされたり、文化祭では映画も造ったしな」
「そんな事してな―う、うう」
(その調子ね。もう少し刺激を与えれば涼宮さんは記憶を取り戻すわ。あと一息よ)
なら、駄目押しだ。
「ハルヒ。俺、実はポニーテール萌えなんだ」
「なに?」
「いつだったかのお前のポニーテールはそりゃもう反則なまでに似合ってたぞ」
「バカじゃないの?」
そして―あの時と同じく強引に唇を重ねた。
数秒後、俺はまた床と顔を合わせるはめになった。ああ痛え、今回は本当に払い腰を掛けてきやがった。
「キョーン、二度も団長のあたしにこんな不埒な真似をするなんて、覚悟は出来てるんでしょうね―って、キョン、なんであたし髪が長くなってるの?」
よし、まずは思い出してくれたか。さて、本番はここからだ。
「というかキョン、なんであんた生きてるの?あの事故でキョンは―」
「ああ、あれで間違いなく俺は死んだ。ここは、お前の―夢の中だ。その夢に、俺の魂が偶然引き寄せられたんだ」
「キョン、あたしあんたに言いたい事があるの」
言ってみろ。
「あたしね、キョンの事が好き。何時からかはわからないけど。はっきりそう思ったのはあんたが階段から落ちて入院した時。
あの時あんたの事すごく心配したんだから。もう目を覚まさないんじゃないかって」
…。
「でもね、あたし素直になれなくてね。結局自分の気持ちを伝える前にこんな事になって、すごく後悔してる。なんでもっと早くに言わなかったのかって」
「俺だってそうさ。なんでもっと早くにお前に好きだって言わなかったのかって後悔してる」
「キョンも同じだったのね。でも、遅すぎたの。キョンは死んだから。
…ねえ、このまま夢の中で過ごす事って出来ないのかしら。
もう現実なんてどうでもいい。キョンがいない世界なんていらないもの。もう全部忘れたい」
「…ハルヒ、本気で言ってるのか?」
「こんな事冗談で言うわけないじゃない。もう全部忘れたい―」
パン。屋上に乾いた音がなった。
「本当にいいのか。SOS団のみんなとの事も、俺の事も忘れた方がいいっていうのか!
いいか。これは俺からの願いだ、よく聞け。
俺は、ハルヒにいままでの出来事を忘れて欲しくない。絶対にな。お前に忘れられちまったら、俺の生きた意味が無くなる。
それに、お前にはSOS団を頼むと言ったはずだぜ」
「…わかったわ。団長が雑用のわがままを聞くなんて珍しい事なんだからね。感謝しなさいよ」
はいはい、わかりましたよ。
「その代わり、条件があるわ。…ぎゅって抱き締めて、キスして」
御安いご用です、団長閣下。
「ん……」
団長閣下の命令を実行した後、ハルヒが消えた。
「心配しないで。涼宮さんは元の世界に戻ったわ。今この改変世界にいるのはあなただけよ。ついでに言うと、もうそろそろこの世界は消滅するわ」
そうか。俺の役目は終わったな。
「本当に良かったの?放っておけば後一年生きられたのに。
あなたは死ぬのが怖くないの?」
最後だから言ってやる。怖いさ。怖くて怖くて仕方がない。
情けないよな。ハルヒ達にはあんな偉そうな事言っておきながら自分はこれだ。
だがな、後悔はしていない。俺の死を糧にしてハルヒはさらに成長するさ。
俺も側についていたかったがな。
「有機生命体なのに、自分よりも仲間の事を優先するなんて。理解出来ないわ。でも―
なんで涼宮さんや長門さんがあなたを好きになったのかはわかった気がする」
そう言うと、朝倉が俺の目の前に現れた。なんだ、お前実体化出来るじゃないか。
「大きな力を使うからこうしないと駄目なの」
お前、何をする気だ。
「私に残る全ての力を使って、あなたを元の世界に戻す。もちろん生きてる状態でよ。
私は長門さんより細かい制御が出来るから元の世界が壊れる心配はないわ」
「待て!そんな事したらお前が―」
「どうせ私は消えるもの。それだったらこっちの方が効率的なだけ。
全く、二度もあなたを殺そうとした私を心配するなんて―本当にバカね。
そこがいい所かもしれないけど。
涼宮さんや長門さんによろしくね」
「おい―!」
「最後に一つだけ!うまく言語化出来ないから情報の伝達に齟齬が発生するかもしれないけど―」
俺の耳にはこう聞こえた。
大好き。
7月7日。
あたしは丸一日寝てしまったみたい。団長たる私がこんな失態を犯してしまうなんて。
キョンが生きてたら何を言われたかわかったもんじゃないわ。
今日は七夕。おまけに流星群も見れるみたい。
そうだ。夜に東中で流れ星を見よう。あそこは竹があるから準備もいらないしね。
他の4、じゃなかった3人も来れるらしい。楽しみね。集合時間は8時よ。
午後12時。
あたし達はたっぷり流れ星を見た。 「じゃあこれで解散!」
あたしの解散宣言の後、みんなで帰ろうとした瞬間。
「すまん、遅れた。流れ星は―もう終わっちまったか」
聞き覚えのある声が聞こえた。ううん、きっと空耳よ。あいつはもう―
「おい!いくら遅れたからって無視はないだろ」
空耳じゃない。わかった、きっと古泉君のどっきりね。驚かせようとしたって―
あたしの考えは違った。古泉君も、みくるちゃんも、あの有希でさえも驚いている。
どっきりでもない。じゃあまさか―
「ただいま、ハルヒ」
ものすごい勢いでハルヒが抱き付いて来た。やめろ、苦しい。あと胸が当たっていて変な気分になるから少し離れろ。
「このエロキョン。何考えてるのよ」
お前が抱き付いて来たんだろうが。
「うるさいわねー。団長に口答えしたから罰金よ、罰金」
俺の財布をそんなに軽くしたいのかお前は。
罰金は勘弁してくれ。今度の週末荷物持ちなら引き受けるが。
「なーに、キョンあたしとデートしたいの?仕方ないわね、どうしてもって言うならいいわ」
やれやれ、改変世界での台詞は何処にいったのかね。
ま、いいか。今はまたハルヒ達と会えただけで満足だ。
朝倉―ありがとう。