朝比奈さん(大)に一日前の世界へ連れてこられた俺は、制服姿で一人夜の公園を訪れていた。  
 
 どうやら昨日、つまり俺が今いるこの時間、実はハルヒの力によって時間平面の改変が  
行われていたらしく、俺はそれを再改変するという大役を任せられてしまった。  
 行われていたらしいと言いよどんでいるのは、俺もその改変に巻き込まれていたからであり、  
それが実際どんな改変だったのか俺は全く教えられていない。  
 朝比奈さん(大)に聞いてもいつもの答えしか返ってこず、だがその時に少し悲しそうな  
表情を浮かべていたのが俺の心に大きく残っていた。  
 
 先ほど公園前で、この時間の長門に一丁の銃を渡された。  
 俺はこれを改変者に撃ち込むだけで、時空の再改変自体は長門がやってくれる事になっている。  
 だったら全部やってほしい気もするのだが、どうにもこの一発を改変者に撃つ事だけは俺が  
やらなくてはならないらしい。それが朝比奈さんの「規定事項」なのだそうだ。  
 全く持って物騒な話だ。ただの一高校生に銃撃戦を望まないでほしいよ、本当。  
 
 さて、悲しそうな朝比奈さんの表情に並んで、俺には気になる事がもう一つあった。  
 公園前でこの銃を渡してくれた長門は、かつて朝倉と対峙した時の様な雰囲気を俺に発してきていた。  
 簡単に言えば敵意である。  
「どうしたんだ長門。何か俺、お前にまずい事でもしたか」  
 俺の問いに長門は首をわずかに振り否定する。  
「あなたは間違っていない」  
 それだけ言うと、長門はその視線で俺に公園へ行けと強く訴えてきた。  
 ダメだ、どういう事だか今の長門には取りつく島が無い。長門とのコミュニケーションを諦めた俺は、  
銃をポケットに隠すと公園へと入っていった。  
 
 
 目の前には北高の制服を着た少女が立っていた。  
 ポニーテールにまとめあげられた髪型が恐ろしく似合っており、十人以上の容姿も伴っていて、  
集合体の中で頭一つ出たぽつりと光る存在のように感じ取れた。  
 
「……お前がジョンか。なんだか冴えない男だな」  
 少しだけ驚いた表情をみせる少女の、その腕の中には別の少女が抱かれている。  
 意識が無いのか、抱かれた少女は自分で身体を支えることもせずに、ポニーテールの少女に  
身体をくったりと預けていた。  
 ポニーテール少女はこれ以上無い優しい表情で抱いている少女の頭に手を添える。  
 黄色いカチューシャをなぞり、肩口で切られた髪をすき、その頬をそっとなでた。  
 
「ハルヒに何をした」  
 俺をジョンと呼んだ事も気になるが、そんなのは後回しにする。  
 まず俺がすべき事は、そこでポニーテール少女に抱かれているハルヒの安否を確認する事だ。  
 何故ハルヒがここにいる。一体どういう事なんだ。  
 
「大丈夫、眠ってもらってるだけさ。これからの事をハルヒに見られるのは、わたしにとっても  
お前にとっても宜しくないだろ」  
 少女は抱いていたハルヒを傍のベンチに優しく寝かせながら、ぶっきらぼうに答える。  
 その少女の姿に、俺は何か引っかかっていた。どこかで見覚えがあるような、そんな感じが付きまとう。  
 だがそれが誰なのか思い出せないし、それに今は思い出している余裕も無い。  
 
 俺は隠していた銃を取り出し、両手で少女に向けて構えた。  
 だが少女はその銃を見た途端、怯えるでもなく強がるでもなく、まるで記憶を手繰る老人の様な  
遠く優しい眼になりぽつりと何かを呟いた。  
 
 だが、そんな感慨深さを浮かべたのも一呼吸する程度の時間で、少女は様々な感情を混ぜ合わせた  
ドドメ色の様な複雑な眼差しをこちらに向けてくる。  
 そんな表情を浮かべながら、少女はあまりにも突然な質問を投げかけてきた。  
 
「ジョン。……お前、ハルヒが好きか」  
 
 あまりの質問に、俺の動きが全て止まる。もしこれが俺の隙を突く作戦だったのならば見事に  
成功していた事だろう。  
 だが少女は何もしてこなかった。ただじっと俺の答えを待つだけだ。  
 
 かつて自分に投げかけた質問を思い出す。俺にとって、ハルヒとは何か。  
「……ああ。俺自身まだよくわかってないが、多分、好きなんだと思う」  
 何故だろう。俺はどうとでも言えた質問に対し、気づけば今の正直な気持ちを述べていた。  
 
「そう」  
 微笑むような、悲しむような、色々と混ぜあったような感情を浮かべ。  
 少女はそれでも満足そうに頷くとハルヒからゆっくりと離れだした。  
 
 俺の銃の射線軸上からハルヒを外したあたりまで動き、ポケットから鈍く光るモノを取り出す。  
 それはかつて二度俺の命を奪いかけた、俺がもう一生見たくないと思う物品ランキングにおいて  
ダントツ一位を取る代物だった。  
 アーミーナイフを手にし、さっきまであれほど友好的に思えていた少女が厳しい視線を向けてくる。  
 
「どうした、撃たないのか」  
 少女がナイフをすっとこちらに向け、ゆっくりと近づいてきた。  
「お前がわたしを撃たなきゃ、わたしがお前を殺す」  
 その通りだ。だが、どうしても躊躇ってしまう。  
 人に向けて銃を撃つなんて行為、良心がある奴なら誰だって躊躇うはずだ。  
 カマドウマや、せめてあの時の朝倉ぐらい人間でないと感じられればいけるかもしれない。  
 だが、彼女から感じるものは違う。どこをどう見てもただの人間にしか思えないのだ。  
 いやむしろ自分に近いものすら感じる。  
 
 
 少女はナイフを握り締めながら、にっこり笑って話しかけてきた。  
「あなたを殺して涼宮ハルヒの出方を見る」  
 そして今度は腰にゆっくりと構え、暗く濁った笑みを浮かべる。  
「長門さんを傷つけるやつは許さない」  
 二度と聞きたくも無いアイツの台詞を聞かされ、一瞬にして全身に血が駆け巡る。  
 
「ジョン、今の気分にはどっちの台詞がお望みだ?」  
 体制を戻し、少女がナイフに口づけを与える。  
 引き金を引きかけ、それでもどこかで心の安全装置が銃を撃つ行為に制止をかけてきていた。  
 
 だがそんな俺の姿に少女は冷たい目を放つ。  
「……ここまで挑発してるのに、まだわたし撃つのを躊躇ってるのか。  
 やれやれ、期待はずれもいい所だな」  
 そう言い捨てると今度は無防備に俺に近づいてきた。俺は銃を更に向けるが、少女は気にも留めない。  
 そのまま傍まで近づいてくると、少女は空いた平手で俺の頬を思いっきり引っ叩いてきた。  
 
「ふざけるな! 言ってやるが、その気持ちは優しさなんかじゃ決してない。  
 今のお前は、ただ自分可愛さにダサい臆病風にふかれてるだけだ!」  
 驚く俺に、少女は俺のネクタイをハルヒのように掴むと、トドメとなる言葉を突きつけてくる。  
 
「お前がその銃を撃たないってことは、お前は自分の感情を抑えながらその銃を渡してくれた長門の事も、  
胸に悲しみを抱きながらここへお前を連れてきてれた朝比奈さんの事も、全く信用してないって事になるんだ!  
 その銃は時空改変のプログラムに過ぎない。本物の銃じゃない事はお前が一番よく知ってるはずだ。  
 その銃すら撃てないって言うんだったら、そもそもお前はあの時Enterキーを押すべきじゃなかったんだ。  
 そしてこんな馬鹿げた設定や怪しげな陰謀が渦巻く混沌とした世界じゃなく、あの長門が作った  
優しい世界の中で、みんなと仲良くただ平和に過ごしていればよかったんだよっ!」  
 
 
 何だコイツは。  
 何故、お前はあの改変後の『二日間』の事を知っている。  
 再改変の時ならともかく、あの『二日間』を知るのは俺だけのはずだ。  
 
 
「お前、長門が処分されるかもと聞いた時、ハルヒをたきつけてでも救いだすと言ったよな。  
 立派な決意だが、あの後雪山でお前はいったい何をした?  
 始めて会った時からずっと、お前は朝比奈さんを魔の手から護ってみせると思ったよな。  
 じゃあ朝比奈さんが誘拐された時、お前はいったい何が出来た?  
 自分には何の力も無いとかただの一般人だとか、そんなベタな言い訳で自分を言い聞かせるだけで、  
お前は何もしてないじゃないか!」  
 
 
 何だコイツは。  
 何故、お前はそんな事まで知っている。  
 一体何なんだ、お前は。  
 
 
「お前の考えなんて手に取るようにわかる。  
 お前が今まで口にした事、してきた事だってわたしには全部お見通しさ。  
 だからこそあえてお前に言ってやるよ。  
 結局お前は全て他人任せで、ただ楽しい所だけを味わいたかっただけなのさ。  
 あの時のハルヒや、冬の時の長門の様に、自ら動いてみようだなんて事は無い……退屈な男さ。  
 
 ハルヒや長門や朝比奈さんや古泉に甘えるのも、いい加減にしろっ! ジョン=スミスっ!」  
 
 
 そう言って少女がナイフを胸に突き出してきた。刃が俺の身体に触れるが、俺は避けられなかった。  
 決定的なまでに急所を衝かれたせいだ。ナイフにではなく、少女の発した言葉によって。  
 俺は少女のナイフを避ける事すら全く考えてなかった。  
 ナイフの柄が身体に当たった衝撃を受け、俺は何かを叫びながら少女に向けて引き金を引いていた。  
 
 そして身体に受ける衝撃の中、俺はここへ来るまでの事を思い出していた。  
 
 
- * -  
 全ての事の始まりは、春休みを迎える直前の事。  
 春の到来がもうすぐといううら暖かい時期だった。  
 
「あなたに話があります。そう、とても重要なお話が」  
 SOS団の活動終了後、いつも通りの爽やかな笑みを浮かべて古泉がこっそり告げてくる。  
 仕方なく古泉とゲームをちょっと整理してから帰るとハルヒに言い、三人が岐路につくのを見送りだした。  
 
「それで古泉、話ってのは一体」  
 五分ほど部室で時間を潰しながら簡単に片づけをした後、古泉と二人並んで下校する。  
 朝比奈さんとの下校という貴重な時間を割いてまでお前に付き合うんだ。これでくだらない話だったら  
簀巻きにしてそこの川へ投げ込んでやるから覚悟しておけ。  
 そう釘を刺すと、古泉は笑みの中にどうにも不思議な表情を浮かべてきた。  
「実はですね……今日に限り何というか不自然な、どこかに違和感を感じるんです。あなたはどうですか?」  
 違和感? ハルヒがまた何かをしたというのか。  
 今日一日の記憶をざっと思い出し、こうして古泉と並んで歩く今まで省みてから首を振った。  
 
「さて、残念ながら思い当たる節はない」  
 しいて言うならお前とこうして歩く事で、明日あたりお前の隠れファンからまた面倒くさい抗議を  
色々と受けそうだと予想できるぐらいしかない。  
「それは……申し訳ありません。それよりまたって、今までにもそんな事を裏でされていたのですか」  
 まぁな。色男に恋する乙女たちにはそれこそ色々あるんだろうよ。  
 ただ、その色々をこっちに当ててくるのは全くもってお門違いも甚だしい事だと言いたいね。  
 
 
「……今からあなたに失礼な質問をいくつか行いますが、許していただけますでしょうか」  
 失礼だとわかってて聞こうというのか、失礼な。まぁそこまで言うなら仕方がない。  
 違和感を探す為に必要なんだったら、一応我慢できるところまで我慢しよう。  
 我慢できなくなったら迷わずにその首を絞めるけどな。  
 突如吹いた強い風に身体を押さえつつ、目線のみで古泉に話を進めさせた。  
 
「ではお言葉に甘えて。……あなた、今好きな人はいますか?」  
 な、いきなり何てこと聞きやがるんだこのスカシ野郎は!  
 お前相手だと言うのに思わず顔が朱に染まりかけたじゃないか。  
 先ほどの契約通り、早速勢いに任せてハルヒ直伝のネクタイ首締めを古泉にかける事にした。  
 
「いえいえ、これでも僕は真剣に話しています」  
 なお問題だ。何たって好きな奴がいるかどうかがお前の違和感解消のネタになる。  
 そんなに聞きたきゃ教えてやる。  
 どんなに世界が間違っていても、お前の名前があがる事だけは未来永劫ない。それは確実だ。  
 だから、その事実を心に刻み込みつつおとなしく涅槃へ旅立つがいい。  
 サブタイトルは「超能力者よ永遠に」でどうだ。お前の人生を今すぐここで最終回にしてやろう。  
 
「降参、降参します。ですがこの質問は必要なんです。断言してもいいでしょう」  
 首を絞められ青くなりながらも、古泉がなおも真剣に話しかけてくる。  
 舌打ちをしながらも仕方無く、全力でネクタイを引っ張っていた手を離してやった。  
 渾身の力をこめて強く握り締めてやった結果、古泉のネクタイは痛々しくヨレヨレになっていた。  
 溜息をつきながら軽く引っ張り形を直してやる。最後に手のひらで胸ごと叩くと、ぶっきらぼうに一言返してやった。  
「そんなのいるか」  
 全く何だってんだ。  
 古泉のあまりの質問に頭をかき、風で乱れた髪を軽く整える雰囲気でその場を濁した。  
 
「なるほど。では、涼宮さんの事はどう思っていますか。あなたは涼宮さんが好きですか。  
 ちなみに友情とかの好きではなく、一人の恋愛対象としてどうかと言う意味で取ってください」  
「……なあ古泉。お前それ本気で聞いてんのか?」  
 額から目頭にかけてを手で抑えて頭を振る。真剣に頭が痛くなってきた。  
 コイツはいつから恋愛事情に耳を挟むゴシップ記者になったんだろうね。  
 そんな突っ込みに、しかし古泉は何処吹く風と爽やかさをそのままに携えしれっと返す。  
「もちろん。さっき以上に重要な質問だと僕は考えています」  
 あくまでいつもの爽やかな表情で、しかしその眼は確かに真剣なまなざしを向けてきていた。  
 何を考えている。一体どんな違和感を古泉は感じてるって言うんだろうか。  
 
 
「ハルヒの事は……Likeという意味でなら好きだ。気の合う親友以上の気持ちは、無い」  
 一緒に笑って、バカやりあって、楽しんで。ハルヒ程心を許している奴は今のところいない。  
 照れ隠しに顔を背けて答えると、古泉は更に突っ込んで質問してきた。  
「あなたは涼宮さんと閉鎖空間に閉じ込められた時、どうやってこの世界へ戻ってきました?」  
 言えるか、そんな事。思い出したくもない。  
 頼むからあの時の恥ずかしい記憶だけは呼び起こさせるな。マリアナ海溝あたりに永遠に沈めておいてくれ。  
 
「いえ。失礼ですが呼び起こしてもらいます。いいですか、もう一度お尋ねします。  
 あなたは何で、涼宮さんと戻ってくる為にそんな恥ずかしいと思える手段を取ったのですか?」  
 それは……朝比奈さんと長門のヒントから考えてさ。  
 その点に関しては間違いないし、お前の事だからそれぐらいは既に知っているんだろ。  
 
「はい。では更に続いて質問します。朝比奈さんや長門さんは、何故あなたに対してそのような行為、  
いえハッキリ言いましょう、涼宮さんに口づけを行うように示唆したのでしょう」  
 ハッキリ言うなバカ野郎。お前をマリアナ海溝に沈めるぞ。  
 言いたくないが、そんなの決まって……と思いかけ、言われてみれば確かに変だと感じた。  
 そういえば朝比奈さんたちは、何であんな事をさせようとしたのだろうか。  
 確かに古泉の言うとおり、普通に考えると少しおかしい。  
 
 
 まぁおかしいと言うなら、今二人で話している会話が電波な話である時点でいろいろとおかしいと  
突っ込むべきなのだろうが、古泉はそんな事はお構い無しに、その電波的な会話を続行してきた。  
 
 
「質問をかえます。あなたは朝比奈さんや、長門さんに対して好きという感情はありますか。  
 もちろん、ここで言う好きは Likeでは無く Loveの意味でとってください」  
 それならノーと言おう。  
 朝比奈さんや長門に対しても、今のところハルヒへの気持ちと同じ感じで接している。  
 
「それでは僕はどうです? あなたは、僕が好きですか?」  
「……古泉。頼むから不意打ちで気持ち悪い事を言うな。それだけは絶対無い」  
 なんでSOS団には朝比奈さんという至高の大天使をはじめ、ハルヒや長門と言った谷口的に  
Aランクの方々がいるというのに、よりにもよって男のお前なんかに走らないと  
「そこです」  
 ぶつぶつ漏らしていた言葉をさえぎって、古泉がここで始めて笑みを隠して聞いてきた。  
 
「今日一日のあなたの行動を見ていて、それを顕著に感じました。だからお伺いしたのです。  
 どうして男の僕より、朝比奈さんや涼宮さんたちの方が自然だと考えるのですか。  
 それこそ、どう考えたっておかしい話だと思いませんか」  
 
 一拍間をあけ、古泉は続けた。  
 
 
 
「だって、あなたは女性なんですよ?」  
 
 
 
 至極当然十数年前から当たり前の事を指摘され、わたしは何て反応すべきかと、髪を束ねている  
頭のリボンをいじりながら思考をめぐらせていた。  
 
 
 
- * -  
「……わたしが女で悪かったな。でもな古泉、そうは言ってもわたしは昔から女として生きてきてる  
わけだし、見ての通り身体の凹凸だって……まぁ朝比奈さんには負けるがそれなりにはあるし、来る  
もんだってちゃんと毎月来てる」  
 あまり男に言う会話じゃないが、古泉だったら問題ないだろう。  
 どうせ機関とやらは、わたしの身体の神秘のバイオリズムもご丁寧に監視しているんだろうし。  
 
「いえ、いま問題なのはあなたの身体ではありません。精神の方です。  
 例えば、あなたは僕に抱かれる姿を想像できますか。この際谷口さんや国木田さん、年上趣味なら  
岡田教諭とか荒川氏でも構いません。  
 誰かしらの男性に自分が抱かれる姿を、あなたは今すぐに想像できますか」  
 気色悪い事言うな。何でわたしが男なんかに抱かれなければならないのさ。  
 
「では、涼宮さんや朝比奈さん、長門さんではどうですか」  
 ……まぁ、お前に抱かれるぐらいなら、アブノーマルと言われようとわたしはそっちを選ぶね。  
 あのふわふわした天使に抱きついて一晩過ごせるなら悪魔に寿命の半分を渡してやったって構わない。  
「その時にはあなたが攻められる側ですか」  
 いや何でわたしが攻められ…………いや待て、さっきも思ったが確かにおかしい。何だこの変な感情は。  
 わたしはいつから、こんな女性同士で色々したいなんていう百合属性に目覚めたんだ?  
 こと恋愛に関しては、わたしはいたってノーマルな思考を持ち合わせていたはずでは無かったか。  
 
 
「古泉。まさかわたしがこの、何ていうか、百合属性に目覚めてるのが、お前の言う違和感なのか?」  
 考えたくない事だが、ハルヒがわたしとそういう怪しい関係になりたいと考えた末、わたしの  
萌え属性がこうなってしまった……とでもいうのだろうか。だとしたら勘弁してもらいたい。  
 いくら人とは違う道を進むハルヒでも、恋愛ぐらいは健全でノーマルな男女交際をした方がいいぞ。  
 
「かなり近い答えですが、僕の考えているモノとは少し違います。  
 僕はあなたが女性である事、それ自体が今回のダウトではないかと考えているんです。  
 あなたの正体は王女ではなく王子である。いえ、王子でないとおかしい。  
 そうでなければ、あの時の朝比奈さんたちのアドバイスに理由が見出せません」  
 
 それはまた随分と暴力的な考えだな。  
 つまり、わたしは実は男で、しかもハルヒと多少なりとも好意関係にあったと言うのか。  
 だからこそのあの時のあの────キス、行為が鍵になった、と。  
「ええ。突飛も無い意見ですけど、これが一番しっくりくる答えだと僕は思います」  
 
 
 
- * -  
「長門の意見は? お前の事だから既に何かしらアプローチをしてみたんだろ?」  
 こいつが何も手を講じずにわたしに話を振る事なんてまず無い。  
 ある事象に対して、誰がどの立場で何をできるか。  
 それを計算し実行するのがコイツの性分だという事は、既に何度も思い知らされている。  
 その頭の回転を何でゲームに活かせないのかは未だに謎だが。  
 
「ええ。ですが回答は得られませんでした。元々彼女は観察者の立場にいます。外敵要素からは  
SOS団を全力で護ってくれるでしょうが、涼宮さんの行為に関してのみ、彼女は常に中立の立場を  
取ります。僕達が異変に気づき、それを指摘した場合はちゃんと教えてくれますけどね」  
 確かにエンドレスなあの時はそうだった。でも今でもそうなのか?  
 わたしには今の長門がそこまで冷たい奴のままでいるとはとても思えない。  
 
「そうですね。涼宮さんの超常行為の結果あなたに甚大なる被害が訪れる場合、彼女は迷わず  
動いてくれるでしょう。ですが今回は別にこれと言って問題があるわけではありません」  
 いや、男子が女子にされるなんて十分すぎるぐらい問題だと思うぞ、普通。  
 
「とにかく僕ではダメです。そこで、あなたから長門さんに状況を聞いてみては貰えませんか。  
 あなたなら長門さんの真意も読めるのではないかと思っていますので」  
 
 全く何てこったい。  
 まさか今の今まで生きてきた、命短し恋せよ乙女な人生を全否定される日が来る事になろうとは。  
 顔の良し悪しはともかく、こう見えてこのわたしの頭の後ろでなびくポニーテールとか、こっそりと  
手入れしていたネイルケアとかには、わたし的に結構自信ある部分だったんだが。  
 この感覚が虚像だったとなると、流石のわたしでもちょっと落ち込むね。  
 
「いえいえ、そんなに悲観しないでください。  
 いい機会なので正直に言います。僕から見て、あなたはかなり魅力的な女性だと常日頃から思っていました。  
 涼宮さんや朝比奈さんとたちとは違い、あなたにはあなただけが持つ輝きというものがあります。  
 もしあなたが男性ではというこの見解が間違っていたなら、別の機会にもう一度、あなたにちゃんと  
告白する機会を与えていただきたいとすら、思っているぐらいです」  
 それだけは丁重にお断りする。  
 お前とラブラブに抱き合うぐらいなら、そこいらのカマドウマにでも乙女の純情を捧げるよ。  
 
 
「……でもまぁ、お友達としてぐらいなら、お付き合いをしてやってもいいけどな」  
「恐縮です、姫君」  
 そう言って古泉はいつもの紳士的笑みを浮かべてきた。  
 
 正直、その時の古泉の表情はちょっとだけ悪くないと思った。  
 
 
 
- * -  
「それで長門。何でわたしは女になっているんだ?」  
 
 次の日の昼休み。わたしは早速部室を訪れて長門に問いただしてみた。  
 昨日古泉と別れてからこうして部室に来るまでの間、わたしは本当に世界が改変されているのか考えていた。  
 しかし自覚も予兆もヒントも無いのにわかるわけがない。一般人を自負するわたしじゃお手上げ状態だ。  
 そこで仕方無くわたしは宇宙一頼れる名探偵の門戸を運命の如く叩いたのだった。  
 
 読書探偵長門。彼女は普段この部室で読書を行いながら、何か事件が起こったら即座に事件に  
かかわる全情報を収集、そこから導き出されるたった一つの真実をあっさりと導き出すという  
アガサ=クリスティもコナン=ドイルも真っ青な推理小説作家泣かせの超万能探偵である。  
 首をちょこっと横にかしげるこの長門に解けない謎など、全宇宙を探したところで──  
 
「…………?」  
──あー、たまにしかない。  
 
 長門は心底何の事だかわからないといった表情を数ミクロン単位で浮かべ、逆にわたしに対して  
無言の質問を色々と浴びせかけてくる。  
 つまりこれは、古泉の大胆大穴予想は全くもって大外れだったという事なのかしら。  
 思わず普段めったに使わない女性口調がぽろりと出てしまう。  
 わたしに似合わないのは百も承知だから、普段の会話では絶対使わないけどな。  
 
「えーっと例えばなんだけど、もしかしてこの世界は何者かによってこっそり改変されていて、その改変内容が、  
実はわたしは本来生物学上男性だったはずなのに、何故かこうして性染色体が女性のものにされてしまっているという、  
そんな可能性が万が一もしかしたらどっかにあるんじゃないかなぁって思って、だな」  
 とりあえず無言の圧力に押されながら昨日古泉と話した内容について告げてみる。  
 
「無い」  
 そんなわたしのうろたえを一刀両断するように、長門は短く答えた。  
 なんだ、やっぱり無いのか。つまりわたしは生まれた時から女性で間違ってなかったんだな。  
「わたしの感知できる範囲において、あなたの言うような改変は全く見受けられない」  
 
 そうか、ありがとう。変な事を言い出して悪かったな。  
 全く、これというのも古泉のせいだ。  
 もしかして昨日のアレは古泉流の告白か何かだったのだろうか。  
 とりあえず次に奴にあったら古泉カズキに名前を変えさせて、ごきげんようなサイコロでも振らせて  
恋の話でもさせる事にしよう。略してコイバナ、ふむコイバナカズキでも面白いな。  
 だいたい世界改変がそうそう何度も起こってたら、地球の状態がもたないよな。一回改変されるたびに  
一体どれだけの生態系が影響を受けているかわかっているのかと、そろそろ各方面団体から苦情が  
殺到してもおかしくない頃だと思っている。  
 
 
「………」  
 ふと、そこで長門が微妙な表情になっているのに気が付いた。  
 何かを伝えたいが、何を伝えるべきなのか、どうすれば伝えられるのかがわからない。  
 そんな風に見える。  
 
「どうした、長門」  
「……わたしに蓄積された全メモリにおいて、あなたは常にその姿を取っていた。  
 この星の記憶媒体に保存された内容を見ても、あなたの姿を今のままで捉えている。  
 全ての事象が、あなたの言うような世界改変など行われていないと立証している」  
 壁に貼られた写真を見つめながら、長門は本を椅子において立ち上がる。  
 そのままわたしに近づくと、長門はすっと手を小さく延ばし、わたしと視線を合わせながらも  
何処か遠くを見つめている眼を向けながら、わたしのセーラーの袖口をちょこんと小さく摘んできた。  
 
 
「だが────わたしの中の微小なノイズが、今のあなたを否定している」  
 
 
 
- * -  
 古泉と長門の意見の相違。まさに雌雄を決するわたしの正体。  
 普通なら迷わず長門にに全額賭けるところだが、今回はどうにも様子が違う。  
 無いと言い切った長門ですら、何かを感じているようだった。  
 
 さて、そうなると問題になってくるのはわたしの動く理由だ。  
 
 閉鎖空間に閉じ込められた時、わたしはハルヒとこの世界に戻りたいと思った。  
 女同士でキスなんてやらかしたのは、今でも忘れたい記憶の一つにあげられている。  
 
 わたし以外の全てが時空改変されたあの冬の日、あの時もわたしはこの世界を選択した。  
 微小な表情を浮かべてわたしにアプローチをしてきた、あの長門を消失させてまで。  
 
 もし古泉の言う通りわたしが女性であるこの世界が改変された世界だとして。  
 果たしてわたしは、わたしたちは、どんな理由でわたしが男である世界に戻さなければならないのだろうか。  
 わたし自身の記憶では、わたしはずっと女性として生きてきている。  
 世界消失の危機も、誰かによる悪意も、世界改変に取り残された人物とかも今のところは別に感じられないし、  
それを感じさせる気配すら今のところ見当たらない。  
 
 つまるところ、元の世界と思われる状態に戻す理由が、今のわたしには全く無い訳だ。  
 それなら本当に改変が行われたのか、その理由とか、そう言ったのがハッキリするまで、こうして  
のんびりしていてもいいんじゃないだろうか。  
 中庭にある大樹の影、小さな芝生に寝転がりながらわたしはそんな風に考え平和を満喫していた。  
 
 
 実際には、のんびりしている時間なんて殆ど無かったわけだが。  
 
 
 
- * -  
 わたしの真の姿を知る者は意外な所から現れた。  
 
「わたしにとって、あなたとは久しぶりになります。キョンさん」  
 下駄箱のラブコールで公園に呼び出されたわたしは、朝比奈さん(大)に抱きしめられつつそう告げられた。  
「また会えて、凄く嬉しい……わたしは、あなたと過ごしたこの時間をはっきり覚えていますよ」  
 そのいきなりの手厚く熱烈な歓迎に、流石のわたしも驚きを隠せないというより、もう少しで色々な  
ものが限界突破してしまいそうな気分に落ちていた。  
 これは一体どういう事でしょう。未来での挨拶方法は実はこんなに情熱的だったのですか。  
「そんな事ありません。ふふ、本当に、キョンさんなんですね。懐かしいです」  
 
 朝比奈さん(大)によるハッピータイムが終了した後、わたしは今回の件について聞かされた。  
 それによると、今この世界は古泉の予想通り改変されているらしい。  
「改変された時間平面範囲は前回と同じ、改変された瞬間より過去三百六十五日です。  
 この時代のわたしは時空改変の影響を受けてて、キョンくんの姿に違和感をもってません。  
 ですが、わたしのいる未来は改変されなかった。だからこうしてわたしが真実を伝えに来られたんです」  
 という事は、朝比奈さんはわたしの本当の姿を知っているんですよね。  
「はい。キョンさん、本当のあなたは男性です」  
 複雑な表情を浮かべて、朝比奈さんはわたしを見つめつつ答えてくれた。  
 そりゃまぁそうだろう。  
 男の知り合いが女の姿で居たらわたしだって驚くし、その相手に微妙な笑顔も浮かべてしまうだろう。  
 
 
「それて、犯人は誰なんです?」  
 今回は長門まで記憶化改変されている。正直どういう風に対処するべきかわたしは迷っていたところだった。  
 わたしが尋ねると朝比奈さんは自分のひざの上で組んだ両手を見つめながら教えてくれた。  
「今回の時間平面の改変を行ったのは涼宮さんです。それは間違いありません」  
 なんとまぁ、またアイツの仕業か。これは一度反省室でじっくり話し合う必要があるな。  
 わたしがそう考えていると、朝比奈さんは更に驚愕の事実を告げてきた。  
「ですが、涼宮さんにこの改変を思いつかせたのは別の人です」  
 何ですって?  
 つまり、時空改変のきっかけを作った真の黒幕は別の人物だと、そうおっしゃるんですか。  
「……はい」  
 なるほど。ではまずソイツから反省室に送り込みましょう。  
 それで誰なんです。そんなハルヒに要らん事を示唆したアホな奴は。  
 
「示唆した犯人は……キョンくん、あなたです」  
 
 ────何ですって? わたし?  
 
「はい。キョンくんが、今回の発端なんです」  
 はっはっはっ。オーケー。なるほど、よくわかりましたよ朝比奈さん。  
 とりあえず反省室へはどう行けばいいんだったか、わたしは世界地図を心に思い出していた。  
 
 
 
- * -  
「今回の改変は『女だけの秘密』が原因なんです」  
 すいません、おっしゃっている意味が全くわからないのですが。  
 
「キョンくんは下校時、いつも古泉くんと並んで帰っていました。  
 そして色々と話しては笑ったり、溜息を吐いたり、難しい顔をしたり。  
 正直、そういう姿をわたしにも見せて欲しかったなぁ、って今でも焼けるぐらいでしたよ」  
 わたしが、古泉と?  
 いつも古泉はわたしたちの後ろを付かず離れずで歩いてくるイメージしかないんですが。  
「だから、男のキョンくんの話です。で、わたしが思うように涼宮さんも考えたんでしょうね。  
 ある時ぽつりと言ったんです」  
 という訳で、朝比奈さん(大)による一昨日(改変前)の下校シーンをお送りしよう。  
 
 
 
- * -  
「ねぇ、そんなにいつも二人でさ、よく会話が続くわよね」  
 ハルヒは首だけ後ろに向けながら俺達に話しかけてきた。  
 なんだ突然。それを言うならお前らだって、いつも三人で色々盛り上がって話してるじゃねぇか。  
「そりゃそうよ。女の子には女の子だけの共通の秘密ってのがあるもんなのよ」  
 秘密ねぇ。まぁ俺たちも似たようなもんだから詮索はしないさ。  
 ただ俺と古泉の会話は決して男の友情とかではなく、ほぼ終始ハルヒ元気予報についてである。  
 やれ機嫌を取れだとか、次のイベントは何を始めようだとか、緊急事態ですとか、そんなのばかりだ。  
 まあ古泉が突然「いえね、このビデオの女優が朝比奈さんに似てかなり巨乳なんですよ」とか  
「高校卒業までにチェリーボーイも卒業したいですね」とか、まるで万年発情期の谷口の様なことを言い出したら  
それはそれで緊急事態に思えてくるが。  
 
「あら、キョンは女の子の秘密が気にならないの? ここだけの話、みくるちゃんとかマジで凄いわよ」  
 すまん、いきなり気になった。何がどう凄いんだか教えてくれ。  
 何だったら今から例の喫茶店で全額おごってやってもいいぞ。  
「本当? じゃあわたし達の先月の健康診断の結果と先週の日曜日の過ごし方、どっちがいい?」  
 やばい、そのカードはマジで魅力的だ。凄いぞ女の子の秘密。ビバ女の子の秘密。  
 ハルヒ団長、今日はメニューの端から端まで頼んじゃってもよろしいです。  
 
「ふえっ、涼宮さん、だめですよぅ! それどっちも秘密だって言ったじゃないですかぁ!」  
 朝比奈さんは声を大にし両手をばたつかせ顔を赤らめながら必死になってハルヒを止めにかかった。  
「だ、そうよ。という訳で、みくるちゃんの秘密はあんたが女の子になったら教えてあげるわ」  
 ハルヒはただ朝比奈さんをからかいたかっただけなのだろう。そんな慌てふためく様子に満足していた。  
 俺もその辺はわかっててボケた訳だが。  
 いや本当だぞ。  
 だからそんなドムホルンリンクルを監視する人の様な目つきで俺を見つめるな、長門。  
 
「俺が女性にか。そうだな、そうなったら色々教えてもらうよ」  
「そん時はもちろんアンタの秘密と交換よ」  
 俺の休日の過ごし方一つで朝比奈さんの神秘がわかるなら、そんなモノいくらでも教えてやるぞ。  
「キョンの? ……ふぅん」  
 
 
 
- * -  
 とまぁそんな事らしい。朝比奈さんの話を聞き終えたわたしは頭を抱えていた。  
 オリジナルのわたしは谷口以下のアホか。ハルヒを焚き付けてどうする。  
 どう聞いても「わたしの秘密が知りたきゃ女にしろ」と言ってる様なものじゃないか。  
 
 
 わたしが頭を抱えていると、朝比奈さんはわたしを包み込むように抱き寄せてくれた。  
 その柔らかな丘陵がわたしの顔を神秘の世界へと誘う。一体何をしたらこんな大山を保有できるのでしょうか。  
 ハルヒが真顔で揉みまくる気分がよくわかる。というか犯罪でしょ、これ。  
 ところでわたしは何故抱かれているのでしょうか。先ほどから様子がおかしくありませんか、朝比奈さん。  
 もしかして未来のわたしは朝比奈さんとここまで急接近していたのでしょうか。  
 パニックに陥ったまま未来のわたしに対してどうやって勲一等を送ろうかと考えていると、  
朝比奈さんはわたしを意外に強く抱き寄せたまま、ソレを告げてきた。  
 声も、身体も震わせながら、それでも強く抱きしめたまま。  
 
 
「いまから三十四時間後──明後日午前五時。世界の再改変が行われます。  
 そしてその結果──今のあなたは、そこで消失します」  
 
 
 
- * -  
 わたしは風呂の脱衣所で、洗面台に写る自分の姿を見つめていた。  
 そのままおもむろに着ていたパーカーシャツを始め、着ている物を全て脱ぎ捨てる。  
 
 おい、キョン。聞いたかい。  
 実はわたしは時空改変されて生み出された存在で、本物のわたしは男なんだってさ。  
 全くビックリしたね。よりにもよって男だぜ?  
 この自分では少しだけ可愛いかなと自慰的に考えてた顔も、  
これだけは誰にも負けて無いだろうと自負していたポニーテールが似合う髪も、  
トップの大きさではハルヒに僅かに及ばないがアンダー差では勝利している胸も、  
この冬についた分はちょっと夏に向けて頑張って絞ろうかと思ってた腰も、  
そしていつの日にか、心に決めた相手にこれを見せなきゃならないのかと  
時々見たり触ったりしては悶絶するほど恥ずかしむるココも。  
 全ては改変による虚像だったって事なんだよ。本当、驚天動地とはこの事だな。  
 
 冬とは全く逆の立場になった。あの時はわたしが世界を消した。  
 今度はわたし一人だけが消えることになる。  
 
 今まで改変する側に立っていたから気がつかなかった。  
 いや、あの夏休みの時に古泉はちゃんと言っていたはずだ。  
 記憶が消えて無ければ精神に支障をきたすと。  
 
 やれやれ────こいつは全くもって残酷な話だな。  
 
 古泉。確かに消えるべき人間は、消えるという事に気付くべきでは無いよ。  
 実際元のわたしも、世界を変える力の責務がこれ程のものだったとは考えてはいないだろう。  
 今回だけは、今回ばかりは古泉の意見に賛成する。  
 ハルヒには全てを隠したまま安定してもらい、こんな力は早いところ消失させるべきなんだ。  
 
 たった一人の気まぐれで人が出たり消えたりする。  
 そんな恐るべき事実、ただの人間が背負うにはあまりにも業が重すぎる。  
 
 わたしは震える自分を強く抱き締めながら、声を殺してその場にうずくまった。  
 
 
 
- * -  
 翌朝、妹がそろそろ部屋に起こしに来るだろう時間。  
 私は妹の期待に反し、既に部室の前まで登校して来ていた。  
 部室の扉を開けると、昨日の内に今日朝一番に来て欲しいと頼んでおいた長門と古泉、二人の姿があった。  
「こんな朝早くから僕たちに用件とは……もしやあの件の事でしょうか」  
 ああそうだ。お前達二人には話しておこう。  
 ちなみに朝比奈さんに告げないのは、朝比奈さん(大)にお願いされたからだ。  
 
 
「悪いが古泉、お前の告白は聞けそうも無い」  
 わたしの言葉に、古泉はその爽やかな笑顔を崩さない。だが、崩さないだけで、かなりのショックを  
受けたのは感じ取れた。  
「それは……本当に残念です。あなたを籠絡させる為だけに連日連夜洗練していた数多くの言葉が  
今この瞬間全て灰燼と帰してしまいましたよ」  
 そんな言葉は枯れ木にでも撒いておけ。  
 只でさえバイトが忙しいクセしやがって、連日連夜無駄に体力を減らすなバカ。  
「ははは。そう言ってあなたに心配して貰えるだけで、僕の努力は十分に報われました。  
 ……それで、現状はいったい」  
 わたしは朝比奈さんから聞いた内容を二人に伝えた。現状と、明朝午前五時に再改変が起こる事を。  
 
「なるほど」  
 一通りの説明を終えると、古泉と長門はそれぞれ思考を巡らせているようだった。  
「それで、僕たちはどうしたらいいんです。どうすればその再改変を阻止できますか」  
 いや何で阻止する。話を聞いてなかったのかお前は。  
 
「聞いていましたよ。ですが……僕は再改変には反対です。  
 確かに『組織』がこの事実を知り、それが正しい世界の姿だと判断すれば再改変を望む事でしょう。  
 でもそんな事はどうでもいいんです。  
 今あなたに知ってもらいたいのは、組織としてではなく、僕自身があなたの消失に反対という事です」  
 古泉が組織を無視した発言なんて、雪山での約束以来ではなかろうか。  
 
「わたしも反対する」  
 古泉に続けて長門も口を開く。  
「あなたの言う話はあまりに不確定。何一つ論理的ではない。  
 今の話は、朝比奈みくるの証言が正しいと仮定した上で成り立つ仮説に過ぎない。  
 よって、あなたという存在の維持継続をわたしは主張する」  
 
 二人にしては珍しく感情を表に出し、反対の意思を伝えてきた。  
 どちらもレアすぎるイベントに、これだけで世界が滅亡するんじゃないかと不安になるぐらいだ。  
「あまりにばかげています。何故あなたは自ら消失しようとしますか。あなたが消える理由など何処にも無い」  
「認めない。そのような行為、わたしがさせない」  
 わたしの考えを読み取ったのか、二人がなおも食い下がってくる。だがわたしは静かに首を振った。  
 ありがとう、二人のその気持ちだけで十分だよ。  
 
「確かに不確定だしばかげてると思う。だからこそ、朝比奈さんが言う通り世界が改変されているのか、  
その調査を頼みたいんだ。そして本当に改変されていたとしたら──」  
 古泉を見つめ、長門を見つめる。  
 わたしはかつて二回、元の世界を選んだ。ならば今度も、元の世界に戻す為に動こう。  
 
 たとえわたしが消失するとしても。  
「──わたしは、世界を元に戻す」  
 それがEnterキーを押し元の世界を選んだわたしの、あの世界の長門たちに対するけじめだから。  
 
 
 
「それに、そんな悲観する事も無いさ。まだわたしが消えると決まったわけでもないんだし」  
 朝比奈さんのミスだったって事もある。大人になってもおっちょこちょいみたいだからな、あの人。  
「だからさ。二人ともいつも通りに頼むよ、な」  
 
 古泉。できるだけお前は笑っていてくれないか。その方がわたしも落ち着く。  
「……………………わかりました。ですが僕が反対なのは覚えておいてください」  
 わかっている。しっかりと心に刻み込んでおくよ。  
 
 長門。お前は、まぁいつも通り空き時間はここで本を読んで待機していてくれ。  
 それと調査の方はお前がメインになると思う。ハルヒの力で完璧に改変されているんじゃ、それを  
感知できるのはお前ぐらいなもんだろうから。  
「了解した」  
「頼むな」  
 その言葉に長門は本当に小さく頷く。その姿にわたしは思わず長門の頭を軽くなでていた。  
 
「おやおや、これは珍しい。できれば僕にも何かご褒美がいただけたら頑張れるんですけどね」  
 後ろから早速いつもの口調で言葉がかかる。うるさい、そんな小気味良い口調で何をねだる。  
 そんなに言うなら後ろからわたしを抱きしめろ。今この瞬間だけ許してやるからさ。  
 わたしは振り向きもせずそう言い捨てた。  
 
 少しして、私の脇下から両手が回され、お腹の辺りでそっと二つの手が重なり合った。  
 背中にゆったりとした、それでいて文字通り包み込むような温もりを感じる。  
 同時に頭をなでていた長門もわたしの胸へと軽く寄りかかってきた。  
 わたしは長門を片手で軽く抱き、もう一つの手で頭をなで続けた。  
 
 朝から一体どういう構図なんだろうね。  
 妙に安らかな気持ちを分け与えられながら、わたしはただこの状況に苦笑していた。  
 
 
 
- * -  
「珍しく早いじゃない。どうしたの」  
 教室で顔を合わせるなりハルヒは言い放った。  
 まるでわたしが早かったら、どこかで天変地異でも起こりそうな言い方である。実際起こってるんだが。  
 
「何、たいした事無い。今日は早起きした方がいいって朝の星座占いでやっていたのさ」  
「へえ。起きなきゃ見られない朝の星座占いを見て、それを実践する為早起きしたわけ?  
 随分と器用な事するじゃない」  
 そういう勘だけは鋭いなお前。探偵モノなら意義ありと矛盾を突っ込まれてる場面だ。  
 軽く溜息を吐きながら、わたしは今の気持ちを少しだけ正直に告げた。  
 
「本当の事を言えば、ちょっと気分が滅入っててな。あまりぐっすりと眠れなかったのさ」  
「アンタでも滅入る事なんてあるんだ」  
 失礼な。このわたしの繊細でナイーブなハートはお前の行為にいつも傷ついているんだぞ。  
 何だったら胸に手を当てて確かめてみるといい。でも揉むのはかんべんな。  
「……ふぅん、本当みたいね。なんだったら話ぐらいなら聞いてあげるわよ。これでも団長なんだし」  
 それはありがたい。そうだな、明日になっても欝だったら聞いてもらう事にするよ。  
 
 そう。明日、な。  
 
 
 
- * -  
 午前中の授業は正直言って何も頭に入らなかったし、そもそも聞いてもいなかった。  
 そして迎えた昼休み。カバンから愛用弁当を取り出したところで、意外な訪問者がわたしの元を訪れた。  
「こんにちは。少しお時間よろしいですか」  
 朝比奈さんとは違ったふわりとした感覚を振りまく生徒会書記の二年生、喜緑さんである。  
「どうしました。またハルヒが何かやらかしましたか」  
「いいえ、今日はあなたの事で。立ち話もなんですし宜しかったら」  
 そう言って自分の手にある可愛らしい巾着を見せてくる。どうやらお弁当のようだ。  
 喜緑さんはタンポポの綿毛のように淡く微笑むと、お弁当を持ったわたしを生徒会室まで連れ出した。  
 
 
 生徒会室の中では意外な人物が待っていた。そこにいたのは生徒会長でも古泉でもなく、  
「………」  
 三点リーダーで会話する器用な宇宙人、長門だった。  
 
「長門さんは自らの意思で時間連続体との同期を断つよう申請し、受理されています。  
 なので長門さんは現在、自分の過去とも同期できません」  
 そうか、そういえばそうだったな。長門は未来を知る事を放棄した。それは自分が選択し生きていく為。  
 だがそれは同時にこの時代の自分へ同期申請してくる過去とも同期を取らないという事になる。  
 つまり、今の長門は自分の記憶でしか過去を持たないのだ。  
 
「ごめんなさい」  
「何故謝るんだ。わたしからすれば長門の選択は至極当然、正しいと思っている。  
 過去は同期し再体験するものではなく、自分の記憶の中で思い出にするものなんだから」  
 そうだろと尋ねると、長門は数ミクロン単位で小さく、しかし意志を現して頷いてきた。  
 
「ですから、代わりにわたしが三百六十五日以前のわたしと同期し、あなたの本当の状態を確認しました。  
 結論を言いますと、この世界は確かにあなたの言う通りに改変されています」  
 
 これで確定か。そうなるといよいよこの世界を元に戻す為に動かなければならない。  
 
「朝比奈さんの異時間同位体から状況を伺いました。元の状態に戻すには次元の再改変と、それ以外に  
あなた自身への再改変も必要になります」  
 わたし自身にも?  
「はい。あなたに対しては記憶操作以外の改変も行われています。ですからあなたに対しては別に  
改変プログラムを注入する必要があります」  
 という事はまた注射だか銃弾だか甘噛みだかを受ける必要があるわけだ。  
 その三択ならぜひとも甘噛みでお願いしたいね。  
 
「残念ですが、注入するのはわたし達ではありません」  
 では誰が行うんですか。あまり変な人に変な事をされたくは無いんですが。  
 わたしの質問に、喜緑さんは長門の方を向く。  
 長門は憂鬱げに一度だけ瞬きをすると、わたしが一番驚くと思われる再改変者の名を告げた。  
 
 
「ジョン=スミス。つまり本物の、あなた」  
 
 
 再改変後の未来から、男のわたしがやってくるのだそうだ。  
 まぁ誰のせいでこんな時空改変が行われたのかを考えるなら、当然の選択だろう。  
 自分の不始末ぐらい自分でつける。それがわたしのけじめってものだ。  
 そのけじめのせいで、SOS団設立のときはとにかく振り回された気がするけどな。  
 
「本物と会えるってわけか、面白い。ついでに今回の件について色々文句を言ってやるかな」  
 
 思いもがけない展開に、わたしは少しだけその時が楽しみになってきた。  
 だってそうだろ。本物の自分に会える機会なんて、そう滅多に無いもんだぜ。  
 折角だし、わたしが常日頃思っていることを全部ぶつけてやろうじゃないか。  
 
 
 
- * -  
 放課後になり、わたしは部室へと足を運ぶ。わたしにとってこれが最後の部活となる。  
 部屋にいたのは長門と古泉だけだった。SOS団きっての天使と悪魔の姿が見えない。  
「涼宮さんが何かを思いついたようです。先ほど朝比奈さんを連れて廊下を歩く姿を目撃しましたよ」  
 一体何を企んでるのやら。折角の最終日なんだから朝比奈さんの淹れてくれる甘露なお茶を心いくまで味わいたかったのだが。  
 
 そう思いカバンを投げてお決まりの定位置に座ると、横からカーディガンを纏った腕がそっとお茶を差し出してきた。  
「あなたの期待に添えているかわからない」  
 何とまあ長門にお茶を淹れてもらうなんて、部室では初めてではないだろうか。  
 一口すすり、ゆっくりと味わう。朝比奈さんのとは違うが、これはこれで格別の味だった。  
「ありがとう。美味しいよ」  
「そう。よかった」  
 仄かに満足げな表情を浮かべ戻ろうとする。とその背にゲームを持って戻ってきた古泉が声をかけた。  
「たまには長門さんもどうですか。このダイヤモンドというゲーム、三人で遊んでこそ面白いんですよ」  
 
 一時間ぐらい経過しただろうか。  
 長門の驚異的なゲーム展開の隙間を縫いながらわたしが駒を動かしていると、部室の扉が激しい音と共に開いた。  
「全員わたしに付いてきなさいっ!」  
 扉を開けた正体の第一声である。声の主が誰かなど今更語ることも無いだろう。  
 後ろからひょこっと顔を覗かせる特級天使、朝比奈さんを従えてハルヒは満身の笑みを浮かべて告げてきた。  
 
 ハルヒが主語の無い会話をするのはいつもの事で、わたしがそれに突っ込むのもまたいつもの事だ。  
「……何処へだ」  
「来ればわかるわ! 古泉くんはそれお願い。キョンはコンロとヤカン、有希は冷蔵庫のビニールを持ってね」  
 言われて気づく。そういえば部室の隅に何やら丸められた長いものが置かれていた。  
 古泉がそれを持ち、長門が冷蔵庫からペットボトル等が詰まったコンビニ袋を取り出す。  
 仕方なくわたしもコンロとヤカンを持ってハルヒパーティに加わる事にした。  
 
 ハルヒを先頭にSOS団は校舎の中を歩いていく。  
 わたしは銀紙で覆われた何かを持って後ろに付いて歩く朝比奈さんにこっそり聞いてみた。  
「これは一体何が始まるんですか」  
「えへっ、それは秘密です。でもすぐにわかりますよ」  
 そう言いながら朝比奈さんが、男子の殆どと一部の女子(わたしを含む)を至上の快楽へと堕とすぐらい  
小悪魔的な清純さと浄化された愛くるしさを兼ねた強烈なウインクを見せてくれた。  
 何だかもうそれだけで満足してしまいそうである。実際かなり満足しました。  
 
 連れてこられたのは本館屋上だった。校舎をはじめ、かなり広域な街並みを見下ろす事ができる。  
 ハルヒの指示で、古泉が持ってきていた大きなビニールシートのゴザを広げて四隅を重石で留める。  
 後はそれぞれが持ち歩いていたものを中心に置けばセッティング終了だ。  
「って何なんだ、この屋外簡易宴会場は」  
「折角の小春日和なんだから花見をするの! 桜はまだ咲いてないけど、何も桜だけが花見の対象じゃないわ」  
 校舎の屋上で一体何の花を見るつもりだ、お前は。  
 ハルヒは両手を広げ、その全身で風を感じながら街並みを見下ろした。  
「何かを一輪ずつ見る必要なんて無いわ。こう見渡して春を感じ取れたら、それはもう花見なのよ!」  
 そうでしょ、と言いながら首だけ振り向いて笑いかけてくる。  
 さすが小春日和、色々な部分に春を運んでいるようだ。ハルヒの名を含む言葉はダテじゃない。  
 
「涼宮さぁん、キョンさぁん。準備できましたよー」  
 朝比奈さんの爽やかな呼びかけにわたしたちが振り向くと、既に三人の手には飲み物が用意されていた。  
 中心には朝比奈さんが運んでいたモノの銀紙が剥がされ、サンドイッチや卵焼きなど、色とりどりな軽食が姿を見せていた。  
「遅いと思ったら、アレを作ってたのか」  
「そういう事。ほらキョン、あんたも飲み物を持ちなさい」  
 
 どうぞと古泉に紙コップを渡され、朝比奈さんにジュースを注いで貰う。  
 ハルヒも飲み物を持つと、コホンとワザとらしいせきをしてから  
「それでは、SOS団の色々に向けて! カンパーイッ!」  
 声につられてメンバーも思い思いの乾杯を告げた。  
 って色々って何だオイ。いやそれより乾杯の音頭早すぎだろ。もっともったいぶれよ。  
「いいのよ! 挨拶よりも楽しむ事が大事なんだから。……それともわたしの話をじっくり聞きたい?」  
 全身全霊をもって遠慮させてもらおう。お前の事だ、何を言い出すかわかったもんじゃない。  
「何よそれ。折角わたしとみくるちゃんで作ったサンドイッチ、あんたにあげないわよ」  
 それは困る。どう考えても今日一番のメインディッシュとなるであろうそのサンドイッチは  
周りに並べられたスナック菓子なんか眼じゃないぐらい、何より心惹かれる存在なのだから。  
 
「いっぱいありますから、どんどん食べてくださいね」  
 朝比奈さんがにっこり笑ってサンドイッチを二つ差し出してくる。  
「あ、そっちわたしが作ったヤツ。はぐはぐ……しっかしみくるちゃん、本当料理上手いわね」  
 朝比奈さんのその愛らしい手で作り出されたサンドイッチなら、どんな物だって美味しくて当然だ。  
 そして料理の腕は確かなハルヒが作ったサンドイッチも、これまた期待以上の味を見せ付けてくる。  
 一言で言うなら、うまかった。  
 
 そういう訳で長門、そんな貴重なサンドイッチを普段の生活の二倍再生の如く凄い勢いでパクパク食うな。  
 もっとありがたがって味わって食べるんだ。そうしないとわたしの分が無くなるじゃないか。  
「別にいいじゃない。有希の食べっぷりってわたし好きよ。  
 それにこういうのは弱肉強食なのよ。キョン、サンドイッチが食べたかったら実力で奪い取るのみよっ!」  
 その意見には賛同する。わたしの家庭では大皿おかずは取ったもの勝ちが食卓ルールだ。  
 こうしてわたしとハルヒが本格的に参戦し、サンドイッチ争奪戦はここに熾烈な争いを見せるのだった。  
 
 
 
- * -  
 とことん花見で騒ぎ倒し、夕暮れと共にみんなで下校する。  
 駅前で別れ際、ハルヒがすっと近づいて聞いてきた。  
「どう、楽しかった?」  
 おかげさまでな、随分心がハレた。  
 心地よい場所で、美味しいものを食べながら、仲間達と騒ぎ会う。  
 今日のコレは、ハルヒなりにわたしの憂鬱を考えてくれた結果なんだと判り、わたしは素直に感謝した。  
「ありがとう。照れくさいが、本当に嬉しかった」  
「……どうやら悩みはまだあるみたいね。明日じっくり聞いてあげるから、覚悟しなさいよ」  
 そう言うとハルヒは駅の中へと入っていってしまった。  
「それじゃみなさん、また明日」  
 朝比奈さんが幸せの花吹雪を振りまきながら深くお辞儀すると、「涼宮さん待ってくださぁい」と慌てて  
駅の中へと追いかけていってしまった。  
 
 
「朝比奈さんに話さなくて良かったのですか」  
 古泉が聞いてきた。  
 ああ。あの人は今回の事については知らない方がいい。  
 どうせ記憶も一緒に改変されてしまうのなら、朝比奈さんにぐらいは笑っていてもらいたい。  
 悲しんでくれるのはお前達だけで十分さ。そうだろ? 古泉、長門。  
 わたしの言葉に古泉は長門に視線を送り、長門は目線で飲み頷いた。何だその合図は。  
 
「さあもう帰った帰った。わたしはこれから色々と準備で忙しいんだから」  
 そう言って二人を反転させてそれぞれの帰り道へと身体を向けさせた。  
「……組織は既に今回の件を知っています。僕はここで別れたら、もうあなたに会う事はできないでしょう。  
 失礼ですが、もう一度だけ考えを」  
「言うな」  
 トーンを落とした言葉と共にこちらを振り向こうとした古泉を、わたしは静かに止めた。  
 
「もう決めた事だ。何も言うな。でないと朝抱きしめさせた分を返してもらうぞ」  
「どのようにです」  
 このように、だ。  
 言葉と共にわたしは古泉の背中を思いっきり抱きしめてやった。今日は抱きついてばっかりだな、わたし。  
 これで明日があった時には、お前の隠れファンに呼び出されるのは確実だろう。  
 
 そのまま一分ほど抱きしめた後、わたしは身体を離すと古泉の背中に語りかけた。  
「頼む、古泉。こっちを振り向かずに、このまま行ってくれ」  
「……わかりました。それでは、また明日」  
 古泉はそのままゆっくりと歩き出し、姿を小さくしていった。暫くして、古泉の前に黒塗りの車が停止する。  
 扉を開けて乗り込むと、車はゆっくりとこちらに尻を向けて走り去っていった。  
 
 
 
- * -  
「長門。お前はこれからどうするんだ」  
 古泉と違い、長門には重要な役割がある。今回、再改変を行うのが長門の仕事だ。  
 最初は喜緑さんが行う手はずだったのだが、昼休みの話し合いで長門が自分からすると言い出したのだ。  
「予定時刻まで待機」  
 そうか……それじゃ、よろしく頼む。  
 わたしの言葉に、しかし長門は何も返してこなかった。  
 
「……先ほどから、数多のエラーが発生している」  
 長門が淡々と告げてくる。  
「わたしの中に、今件における否定が次々とあがってくる」  
 更に淡々と長門が告げてくる。だがそれは表面上だけだ。  
 長門の内部では今、数多くの二律背反な計算が流れているに違いない。  
 
 わたしは長門を引っ張りよせると、朝のように強く抱きしめつつ頭を撫でてやった。  
 ありがとう。わたしの為にそこまで悩んでくれて。  
 その気持ちは凄く嬉しいし、また長門にそんな気持ちが生まれたという事は喜ばしい事だ。  
 わたしとの記憶を消した後も、その気持ちは忘れないでいてほしい。  
「それが、わたしのお前への望み。そのエラーを、お前に生まれた感情を大切にしてくれ」  
「大切にする。……できればもう一度、あなたと図書館に行きたかった」  
 小さく頷き、長門もまたわたしの事を抱きしめ返してきた。  
 
 
 そのままわたし達はただただだじっと抱き合っていた。  
 ……わたしが、ここが駅前だと思い出すその時まで。  
 
 
 

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