「疲れた」  
帰宅しかばんを放り投げベッドに突っ伏した俺の口から自然と言葉が漏れた。  
ベッドの上で丸まっていたシャミセンが迷惑そうににゃうんと鳴く。悪いな、邪魔して。  
普段着に着替える気力もない。ごろんと仰向けになるとすぐにまぶたが重くなる。  
晩飯はまだだし、一眠りするのも悪くないか、などとぼんやり考えながら、意識が夢の中へ沈んでいった。  
 
ちゅっ。  
「ん……」  
眠りの淵から徐々に覚醒していく。微妙に頭が重いのは、疲れているからか。  
頭を振りつつ身を起こした俺がぼうっとベッドに腰掛けていると、  
「キョンくん、晩ごはんー」  
横手からいきなり妹の声がした。いつの間に部屋に入ったんだ?  
顔を横に向けると、シャミセンを抱いた妹がにへらっと笑っていた。  
いたずらが成功したような笑い方だな。顔に落書きでもしたんじゃないだろうな。  
顔を撫で回す俺を見ていた妹は、  
「キョンくんってふしぎー」  
「何がだよ」  
「にゃははー」  
質問に答えずアホみたいな笑い声を上げたかと思うと、シャミセンを抱えたまま部屋を出ようとする。が、  
「あ」  
言い忘れていたことがあったのか、扉を開けたところでくるっと振り返った。  
「おかあさんがお弁当箱持ってきなさいって」  
「ああ」  
返事する俺に満足したのか、  
「シャミー、シャミー、ごはんだにゃあ」  
妹は自作のごはんの歌を歌いながら部屋を出て行った。  
 
起きぬけで食欲はあまりないんだが、食うもんは食わないとな。  
背伸びをひとつして、放りっぱなしだったかばんを拾い上げる。何か忘れているような。  
記憶の糸を手繰りつつ、手はかばんを漁り、目的の物を探り当て――  
「うっ」  
ずっしりと手が感じた重量が、俺の記憶の糸を一気に手繰り寄せた。  
なんてこった。おふくろが作った弁当のことをすっかり忘れちまっていたとはよ。  
一瞬、このまま突き出そうかとも思ったが、何を言われるかわかったもんじゃない。  
今日はもう、これ以上の厄介事は願い下げだった。仕方ない。  
「……食うか」  
晩飯が控えている状況に思わず嘆息をつくと、俺は箸を取り出した。  
 
弁当を速攻で平らげたあとに晩飯も腹に入れるのは、寝起きの胃には非常に辛かった。  
しかし俺はおふくろに余計な気を回させないよう、やってのけた。孝行息子と呼んでくれ。  
 
メシ食ったらフロだ。今日の疲れを洗い流して明日に備えないとな。  
タオルを引っ提げて浴室に入り、椅子に座る。こっからは流れ作業だ。俺はボディソープを手に取った。  
 
「ふう」  
体を洗って頭も洗う流れ作業の末に、俺は湯船に浸かっていた。  
あふれ出る湯の音が心地いい。気が緩む。今日初めて心の底からリラックスできている気がする。  
腕を湯船の縁にもたれ掛かるように広げ、中空に上がる湯気を眺める。  
「今日は色々あったな……」  
起床直後はなかったこととして、鶴屋さんのショーツも拝めたし朝比奈さんの白い三角形も拝めた。  
喜緑さんのブラと谷間、ふとももには目を奪われ、抱きつかれたときの感触や匂いもたまらなかった。  
ハルヒはやっぱりグラマーだったし、不本意ながら顔を上向けて目を閉じたときの顔は可愛かった。  
朝比奈さんに抱きすくめられたときに後頭部が感じた柔らかさは、最早感激物と言ってもいいだろう。  
耳に息を吹きかけられたことも、こうして振り返ってみると天にも昇るような出来事だ、って、  
「エロいことばっかじゃねえか」  
自嘲してみたものの、俺も健全な高校生であるからして、浮かんでくるのはそんなのばかりだった。  
もちろん弁当をくれた阪中や長門を忘れているわけではないが、いかんせん刺激的過ぎた。  
そして体の一部が健全な高校生らしい反応を見せても仕方のないことだと思われる。  
「……」  
とりあえず、立ち上がった、足でな。息子さんは疲れとは関係ないのかとっくに勃起している。  
やるか。こうなったらやるしかないよな。俺は湯船から上がって椅子に再び座った。  
普通なら部屋でブツでも見ながらすべきなんだが、シャミセンがウチに来てからというもの、油断すると  
妹が部屋にやってきてご対面、なんて可能性もあった。実際、もう妹は寝ただろうと見越して始めたときに  
寝ぼけた妹が部屋にやってきて、危うくバレそうになったことがある。それ以来、風呂場も活用していた。  
 
当然風呂場にブツなど置いてあるはずもないため、使うのは俺の頭の中に住んでいる妄想さんだ。  
手を添えて、妄想に身を委ねる。刺激が多かったからか、すぐに妄想が形になった。  
本人が知ったらどう思うかわかったもんじゃないが、  
『キョンくん』  
妄想は朝比奈さんの姿形をしていた。すみません、朝比奈さん。  
 
『キョンくん、何を謝っているんですか?』  
下着姿の朝比奈さんが嫣然と微笑んでいた。  
『あ、もしかしてわたしでエッチなことしようとしているんじゃありません?』  
少し怒ったそぶりを見せてから、蕩けるような笑みを浮かべる。  
『キョンくん、エッチなんだから、もう』  
朝比奈さんが近寄ってきて、耳元に息を吹きかけた。  
熱っぽい吐息のあとに、唇が耳に触れるぐらいの距離で囁く。  
『でもキョンくんなら許してあげます。わたしの身体でしちゃってください』  
そう言って顔を離した朝比奈さんは、後ろに回ると背後から抱きついてきた。  
柔らかい感触が後頭部に押し付けられる。  
『わたしの胸、気持ちいいですか? 触ってみて』  
朝比奈さんの手に導かれて、後ろ手に双丘へたどり着く。  
『んっ……そう、でももう少し優しく、ね?』  
胸を揉まれた朝比奈さんがやんわりと諭す。  
『あふっ、キョンくん、そこ、そこをもっと揉んでくださぁい』  
 
しばらく嬌声を上げ続けた朝比奈さんは、上気した顔で肩口から顔をのぞかせた。  
『わたしばっかり楽しむのもずるいですよね』  
そのまま正面に回りこんできて、体育座りの姿勢でぺたっとお尻をつける。  
見せ付けるように脚を開くと、白い三角形があらわになる。  
『どうですか? もっと近くで見てもいいんですよ』  
三角形が近づく。ふとももの付け根との境界線がいやらしい。  
『キョンくんに見られていると思うと感じちゃいます……』  
頬を赤く染めた朝比奈さんが、手を顔に当ててうつむく。  
『あんっ、やだ、息を当てないでくださ、ひゃんっ、うう』  
身体を捩じらせて快感に耐えていた朝比奈さんは、  
『もうっ、わたしだってやられてばかりじゃありません!』  
膝を着くとお尻を揺らしてにじり寄ってきた。  
 
『うふ。わたしでこんなに大きくしてくれているんですね。うれしいです』  
朝比奈さんが手を伸ばして掌におさめる。  
『熱い……これがキョンくんのなんですね……』  
もの欲しそうに潤んだ瞳でじっと見つめてから、朝比奈さんは軽く手を上下させた。  
『わっ、びくって跳ねました、いま』  
少し驚くも、楽しそうに再びこすり出す。  
『これで気持ちよくなってもらえているといいんですけど』  
すごくいいです、朝比奈さん。  
『そうですか? それならもっとがんばっちゃいます』  
朝比奈さんがこする速度を上げる。朝比奈さんにしてもらっていると思うとすぐに込み上げてくる。  
『イッちゃいそうですか? キョンくん』  
汗を滴らせながら、朝比奈さんが聞いてきた。うっ、もうそろそろイキそうだ。  
『イクならわたしの胸にかけて……』  
朝比奈さんが激しくこすりながら胸を寄せてくる。星型のホクロが見える。  
限界に達しようとしていた俺は、朝比奈さんの胸目掛けて熱い精子をぶちまけ――ガランっ。  
 
「ねえ、キョンくん。わたしもいっしょにおふろ入――え」  
俺が今にもイキそうなところに乱入してきたのは、裸の妹だった。  
妄想の朝比奈さんが掻き消える。残ったのは息子に手を当てている俺だ。  
妹はまじまじと俺と脈打つ局部を見比べていたが、振り返ると、  
「おかあさーん、キョンくんのおちんちんがはれて大きく」  
「だああっ、余計なことを言うな!」  
手が届く位置だったため、座ったまま慌てて妹を浴室の中へ引っ張り込む。  
「ひゃうっ!」  
引っ張られ濡れる床に足を滑らせた妹が、支えを探そうと手をばたつかせ、  
「うあ」  
俺の息子を握り締めた。妹のひんやりとした柔らかい手が刺激してくる。  
妹が来なかったら数秒で発射していたであろう俺は刺激に耐え切れず、  
「きゃんっ!」  
盛大に射精してしまっていた。  
 
射精の快感を覚えながらも、俺は呆然としていた。  
俺はイク際に「きゃんっ!」などという悲鳴を上げたりはしない。普通、無言だ。  
その声を上げたのは、ビクンビクン跳ねるペニスからほとばしる精液を顔に受けた、  
「キョンくんなにこれぇ」  
妹だったのだ。  
 
顔どころか上半身を白く汚した妹は顔に付着した精液をすくい取って鼻に近づけた。  
「うえー、変なにおい」  
まだ立ち直れていない俺をよそに、妹は精液を見て首を傾げる。  
「これ、キョンくんのおちんちんから出たよね。白いおしっこ? キョンくん病気なのー?」  
「いや……」  
ようやくそれだけうめいた俺だったが、妹は違う部分に注目していた。  
「あ、キョンくんのおちんちん元に戻った。よかったねー」  
無邪気にはしゃぐ妹を見ながら、俺はどうしたものかと思っていた。  
事故とはいえ実の妹に顔射した兄。最低である。朝よりひどい。  
とりあえず、したくないが説明だけはするしかないか。  
うっかり口でもこぼされたら、俺の人生が終わるのはともかく、妹にも迷惑がかかる。  
ちらっと妹の裸を見る。毛すらまだ生えてない。つるぺたなのは言うまでもない。  
性教育は最低あと一年、早い気もするが、仕方ない。  
「洗い流すぞ。それからちょっと話がある」  
シャワーを手にした俺は、妹に声をかけた。  
 
 
説明は難航するかと思われたが、意外と小学生というのは進んでいるらしい。  
「それくらい保健で習ったもん」  
体をきれいに洗った妹は男の生理現象を説明する俺にあっさり理解を示した。  
「じゃあ、なんで珍しそうにしてたんだよ」  
「見たのは初めてだったから」  
そうだろうな。初めてじゃなかったら、おふくろが卒倒するぞ。  
妹は子ども扱いされたと思ってか、怒って顔を膨らました。  
「わたしはまだだけど、ミヨちゃんとか生理きてるんだよ!」  
「ミヨキチが?」  
確かにミヨキチなら来ていてもおかしくないが……いや、これ以上深入りはやめておこう。  
生々しすぎる。  
「ほれ、湯船に浸かって百数えなさい」  
「むー。キョンくんもいっしょに入るの!」  
「わかったわかった」  
ここは妹に従っておくのが無難だ。新たな弱みを握られてしまった俺はうなずき、唯々諾々として従った。  
 
「――で、なんでお前と一緒に寝なきゃならないんだ?」  
風呂から上がり寝巻きを着て自室に戻った俺に「いっしょに寝る」とパジャマ姿の妹が宣言してきた。  
当然、俺が疑問を呈しても不思議ではあるまい。それに対する妹の返答は、  
「なんでも」  
取り付く島がないとはまさにこのことだ。子どもってのはどうしてこう、頑固なんだろうな。  
あまり付け上がらせるのはまずいと思いながら、今日のところは折れておく。  
「俺は宿題を片付けないといけないから、先にベッドに入ってなさい」  
学年末が近いとはいえ、まだ宿題はあった。平常点ぐらい取っておかないと、シャレにならないからな。  
「はーい」  
元気よく声を出して、妹がベッドに潜り込む。シャミセンがそんな妹をからかうように上で跳ねた。  
「きゃっ、シャミー、くすぐったいー」  
シャミセン、しばらく妹の世話を頼む。俺は机の上に広げた教科書に集中することにした。  
 
そう量も多くない宿題が片付いたのは、一時間ほど経った九時半過ぎのことだった。  
普段ならまだまだ就寝する時間ではないのだが、今日は疲れもたまっているようだから寝ておくか。  
途中から部屋が静かになったことに気付いていた俺が振り返ると、  
「すぅ……」  
やはりと言うべきか、妹は睡魔に負けてとっくに夢の住人と化していた。シャミセンご苦労。  
電気を消し、俺も妹を起こさないようにベッドに滑り込む。手狭になったからか、シャミセンは  
ベッドの下に潜り込んで寝ることにしたらしい。億劫そうにベッドから降りた。  
俺は妹の安らかな寝顔に一言、  
「おやすみ」  
と告げると目を閉じた。押し寄せる睡魔に抗う気などなく、俺も数分後には妹と同居していた。  
「むにゃ、キョンくん大好き……」  
 
 
「生徒会書記としての立場は建前で、あなたを今日ここに呼んだ理由は、本当は……」  
残りの言葉を余韻に残して口を閉ざし、喜緑さんはまぶたを伏せ顔を上向けた。涙が頬を伝って流れる。  
俺は喜緑さんのつややかな唇に目が釘付けになっていた。それしか見えなかった。  
魔法にかかったかごとく抱く力を強めると、俺は顔を少し傾け、目を閉じて、顔を寄せ――  
「ん……」  
唇と唇が合わさった。ほのあたたかく柔らかい感触が伝わってくる。  
夢中で喜緑さんの唇を味わいつつ目を開けると、喜緑さんも惚けたように見つめ返していた。  
揺れる瞳の色に、俺はさらに唇を重ねる。さっきよりも荒々しく。  
「んっ、んん……ぅん」  
喜緑さんもおずおずと、それから積極的に応じてくれる。いつしか舌と舌とが絡み合い、淫らな音を  
出すようになっていた。俺の首に回された喜緑さんの腕から力が徐々に抜け、代わりに俺が  
完全に喜緑さんを支える形になる。顔を離すと、唾液が糸を引いた。  
 
「はぁ、はぁっ、はぁ……うれしいです」  
しばらく胸を上下させていた喜緑さんが潤んだまなざしと共につぶやいた。  
「喜緑さん、俺なんかでいいんですか?」  
俺の問いかけに喜緑さんは、言葉の代わりに優しくついばむキスを頬にくれる。触れた部分が熱い。  
そのまま耳元に唇を這わせて、そっと囁いてきた。淫猥な誘いを。  
「わたしを抱いてください……」  
言葉が麻薬のように脳に染み込み、危うかった均衡が崩れる。頭の中が真っ白になった。  
「喜緑さん!」  
欲望に衝き動かされた俺は、喜緑さんを思いのままに押し倒した。喜緑さんの身体を間に置くように膝をつき  
片手を顔の横について身をかがめる。乱暴に唇を奪うと、喜緑さんも熱い吐息と舌で応えてくれた。  
喜緑さんの口腔を蹂躙しながら、空いた手がもどかしく喜緑さんの制服に伸びていく。手探りでリボンを  
探し当て解くと、ハルヒが朝比奈さんに以前やっていたように肩から制服を脱がせようとした。  
しかし女物の制服の勝手がよくわからない。どうやって脱がせればいいんだ? 理性が戻り焦り始めた俺に、  
「んぅ……んっ、自分で脱ぎ、ます」  
喜緑さんがキスを止めて申し出てくれた。素直に従う俺の下で、喜緑さんが身じろぎをする。把握した俺は  
喜緑さんを助ける形で腕を地面と喜緑さんの身体の隙間にもぐりこませ、身を起こす支えにしてもらう。  
半身を起こした喜緑さんは、肩を狭め腕を抜き取り器用に制服を下ろした。腰の辺りに制服がだぶつき  
それがまた絵も知れぬ淫靡さを醸し出す。白いブラジャーが映え、その下のふくらみに目がいってしまった。  
ブラジャー姿になった喜緑さんは、両手を後ろに回しかけたところで、俺のそんな視線に気付いたらしい。  
「外して、もらえますか?」  
上目遣いで懇願されるほどそそるものはない。言葉を受け、俺は顔を上気させた喜緑さんの背中に手を回して  
ホックに手を掛けた。喜緑さんも俺の首元に手を伸ばし、ネクタイを緩めにかかる。互いに互いの衣服を  
脱がせつつも、自然と顔を寄せ合い、キスに移行していた。喜緑さんの唇といつまでも触れ合っていたかった。  
 
「あまり見ないでください……」  
胸元を手で隠した喜緑さんが、俺の無遠慮な視線を受けて顔を逸らした。  
小脇には脱ぎ捨てられたブラジャーやネクタイが散乱している。ブレザーは喜緑さんの柔肌を  
傷つけないよう、地面に敷いてあった。俺はボタンを上から二つ外したワイシャツ姿だ。  
 
俺は無理に喜緑さんの手をのけようとは思わなかった。それよりも、顔を逸らせて覗いた  
うなじの色っぽさに欲望をくすぐられる。思いのままに顔を喜緑さんの首筋に寄せて、唇を押し付けた。  
「ひぁ」  
短い声とともにびくっ、と喜緑さんの身体が跳ねる。妙に色っぽい。喜緑さんの驚きの声が俺には新鮮で  
もっと聞きたいという思いを強く喚起させた。首筋から肩のラインにかけて、執拗に責める。  
「ふぁっ、ああん」  
徐々に艶を増す喜緑さんの声がますます俺を刺激してきた。舌も使って喜緑さんの肌を愉しむ。  
少し汗ばんでいた喜緑さんの肌は、ほんのりとした味を舌に伝えてくる。うなじに顔をうずめて  
息を吸うと、甘酸っぱい喜緑さんの香りが鼻腔を通り抜けた。先程のお返しに、耳元に囁く。  
「喜緑さん、いい匂いです」  
喜緑さんは顔を真っ赤にして、無言のまま俺の腕をやんわりとつねってきた。  
 
つねられた腕が心地いい。甘える喜緑さんの仕草は、暗に先を求めているように思えた。  
喜緑さんの要求に応えようと思った俺は、顔をうずめたまま手をゆっくりと喜緑さんの乳房に伸ばす。  
「っ」  
健気にもまだ手で胸元を隠していたのか、喜緑さんの手と手が触れ合った。喜緑さんの喉が軽く鳴る。  
一瞬、身体を硬直させた喜緑さんだったが、  
「……して、ください」  
言葉と共に手をどけてくれたのか、ワイシャツ越しに喜緑さんの手の感触が残った。  
その手つきは俺の身体を撫でるようないやらしい手つきで、あまりに淫猥であえて意識しないでおいた  
勃起中の下半身が痛いぐらいにズボンを押し上げる。が、気持ちは喜緑さんの乳房に向かっていた。  
改めて手を伸ばす。柔らかいものに行き当たるのを期待していたが、手が擦れたのは想像より固……い?  
「ひぅっ!」  
剥き出しの背中に蜘蛛でも降ってきたような奇妙な声を喜緑さんが出す。もしかしてやっちまったか?  
顔を上げた俺が目にしたのは、咎めるように少し冷めた視線だった。  
「いきなり乳首は……刺激が強すぎ、です……」  
「す、すみません」  
平謝りに謝り倒す俺に、喜緑さんは顔を逸らせつつ、まぶたを伏せた。  
「恥ずかしいですけれど、ちゃんとわたしを見て、してください」  
 
身を起こした俺の視界には、喜緑さんの白い肌と双丘が映し出されていた。  
ツンと立ったピンク色の突起が目を引く。むしゃぶりついて舐め回したい。そう俺の本能が告げる。  
しかしさっきの冷めた視線を忘れるほど俺の理性は飛んじゃいなかった。それに喜緑さんの形のいい乳房が  
俺を誘っている。ならば俺のすべきことは、ひとつだった。  
「きれいなおっぱいです、喜緑さん」  
「そ、そんな恥ずかしいこと言わな、あぁんっ」  
乳房に手をかけた俺に、喜緑さんがせつなく身を震わせる。漏れ出た声がかすれがちに尾を引いた。  
下から優しく搾るように指を絡ませると、喜緑さんの乳房がたわんだ。ふにゅっ、と柔らかい触り心地が  
指にまとわり付く。生暖かい。力を加えると、先端の突起がますます強調されて見えた。  
「はぁっ、なん……で、いつもはこんな、ひぁっ、こんなに感じない、のに……」  
乱れる喜緑さんに、嗜虐心を煽られる。乳房を揉みしだきつつ、声をかける。  
「いつも自分でおっぱいを揉んでるんですか?」  
「なっ……そん、あぁっ、い、言わせない、で」  
かぶりを振っていやいやする喜緑さん。その仕草は肯定しているに等しい。  
気をよくした俺は、少し力を強め乳房の弾力感を愉しむ。  
「なるほど。だからこんなに感度がよくて柔らかいと」  
「い、やぁっ……あまりつよ、ひゃっ、強くされる、と、わたし」  
「どうなるんです?」  
と言いつつ、わざとさらに強く力を込め、乳首も人差し指でそっと撫でた。  
「――ぁっ!」  
喜緑さんが声とは言えないような音を漏らして、目を見開いた。口も開いたまま、声を発しない。  
四肢がぴんと伸びて、硬直した。  
 
自失したかと思うほど喜緑さんは固まっていたが、息継ぎと共に失っていたものが戻ってきた。  
「っはぁっ、はぁっ」  
荒い息をついて呼吸を整える喜緑さんに、聞いてみる。  
「気持ちよかったですか?」  
「……いじわる」  
返事は目尻に涙を浮かべた喜緑さんの拗ねた物言いだった。いじらしい姿に征服欲が湧き起こる。  
いい加減、我慢していたが限界だ。喜緑さんに覆いかぶさる。  
「やっ、あふぅっ!」  
おもむろに乳房に吸い付くと、喜緑さんが甘い声をついた。舌で乳首を探し当て上から下からねぶる。  
乳房の柔らかさとは対照的に、張った乳首は舌に存在を主張してきた。甘い匂いが鼻をくすぐる。  
舌先で転がしては音が立つぐらいに強く吸い付き、軽く乳首を甘噛みしてもみた。  
「あっ、吸っちゃだ、だめっ、あぁっ!」  
甘噛みにこらえきれず喜緑さんが一際大きな喘ぎ声を上げる。断続的に響く声を耳にしながら  
俺は喜緑さんを跨ぐ姿勢から片膝を動かし体を喜緑さんの脇にどけ、手を下のほうへ持っていく。  
だぶついた制服を越え、スカートの中へ潜る。つつっと太腿をなぞり、やがて喜緑さんの下着に辿りついた。  
擦り付けるように脚を合わせていた喜緑さんに割り込み、指を中心部分に這わせる。  
そこはショーツの上からでもわかる、じっとりとした濡れ具合だった。  
 
湿った喜緑さんのあそこに、俺は抑制していた理性が緩むのを自覚した。これでもよく持ったほうだ。  
乳房を責めるのをやめ、顔を上げる。喜緑さんの乳房は、吸い付いていた部分が赤らんでいた。  
「あぁんっ、も……もうやめ……え?」  
喘いでいた喜緑さんが、突然責めが止んだことに疑問を投げかけるも、  
「ぁあっ!」  
ショーツを撫で上げると再び嬌声をあげて腰を浮かした。濡れている部分をショーツ越しにさすって  
刺激しつつ、俺は喜緑さんの太腿を割るようにゆっくりと片膝を入れた。ついでもう片方の膝も。  
股を割って入りスカートをめくり上げると、ブラとお揃いの白いショーツが現れる。  
もっとも白いと言っても、分泌液で濡れた部分は半透明になっていて、それがまた淫靡さに華を添えていた。  
顔をうずめる前に、喜緑さんの表情を窺う。首をもたげてこちらを見ていた喜緑さんは、自分がおかしく  
なるんじゃないかという不安感と、もっと快感を得たいと思う貪欲な心が同居しているように俺には思えた。  
揺れる喜緑さんの表情に昏い愉悦を覚えながら、俺は喜緑さんの太腿に手を置く。  
「あ、あの、ズボンを下ろさなくてもいいんですか……?」  
見当違いのことを言う喜緑さんへの返事として、半透明の部分に口付けをした。  
「ひっ! そ、そんなと、こっ……汚いの、あぁっ、に……やめっ」  
喜緑さんが制止の言葉らしきものを言うが、俺は喜緑さんを味わうのに夢中だった。  
汚いかどうかはともかく、甘さとも甘酸っぱさとも違う女の匂いが俺をひどく興奮させてやまなかった。  
鼻面をショーツにぐりぐり押し付けて匂いを堪能し、口は愛液で濡れそぼったショーツ越しに喜緑さんの  
女の部分を圧迫する。喜緑さんの声のトーンが一段と上がった。  
 
「どうして、ああ……わたし、腰が勝手に、動いて、止まらなくて……」  
顔を押し付ける行為に最初は戸惑い半分だった喜緑さんも、いつしか腰を押し付けて自分から  
快楽を得ようとしていた。締め付ける太腿に窒息死されないように押さえ込まなければならなかったほどだ。  
そうして喜緑さんを感じていた俺だが、当然欲求が込み上げてきた。そして抑える必要もなかった。  
「喜緑さん、直にさせてください」  
端的に言い俺の唾液と喜緑さんの淫液でぐしょぐしょになったショーツに手をかけ、勢いよく下ろした。  
茂みがまず目に飛び込み、先程まで俺がショーツ越しに刺激していた箇所もあらわになる。  
乳首と同じような色合いのそこは、愛液に濡れて卑猥さが増していた。愛液の量の多さに茂みの一部が  
べっとりと張り付いているのも、性欲を湧き立てる。  
「お願い、します……わたしももっと、気持ちよくなりたいです」  
喜緑さんも素直に心情を吐露する。自分の状態を一番わかっているのは喜緑さん自身に違いない。  
気持ちを確かめ合い、俺は喜緑さんに顔を寄せて、愛液まみれの部分に触れた。残り少ない理性も  
かなぐり捨て、喜緑さんを思うがままに味わう。むわっとむせ返るような女の匂いを出すそこを舌で  
舐めると、喜緑さんの肢体が突っ張り、喜悦の声を出した。滾々と溢れ出る愛液も舌で舐め取る。  
指で割れ目を広げると、濡れててらてらと光る内部がのぞいた。舌を差し込み、愛液を掻き出す。  
憑かれたように貪り続ける俺に、喜緑さんも絶え間ない喘ぎ声で応えた。  
粘膜と粘膜の触れ合いがぴちゃぴちゃと淫猥な音を立て、二人に興奮を呼び起こす。  
互いに限界寸前だった。  
「わたし、わたし、もう……」  
喜緑さんの哀願に呼応し愛撫を止めて立ち上がり、ベルトに手を掛けた。脱ぐ時間すら惜しいぐらい  
乱雑にズボンを脱ぎトランクスも一気に下ろす。屹立したペニスが顔を覗かせた。  
 
「それが、わたしの中に……?」  
出てきたものを見て、喜緑さんは不安を隠せないようだった。  
しかし俺に行動を委ねてくれたのか、じっと横たわったまま俺を見上げていた。  
喜緑さんの視線を受けながら俺は再び膝を着き、股の間に割って入る。  
「挿れる前に……」  
滑りをよくしておこうと、喜緑さんの濡れた中心部に擦りつけた。  
「あっ、熱い……それに、はぁんっ、わたしのと擦れて、ヘンな、感じ……」  
「……気持ちいいです、喜緑さん」  
今までがずっと責める立場だっただけに、ぬめぬめとした喜緑さんのそこと擦り合わせただけで  
頭の中がからっぽになりそうだった。淫液が絡みつき潤滑油の働きをして、徐々に擦れる速度も上がり  
滑らかになっていく。先走りも出ているに違いない。二人の分泌液が摩擦で白く泡立つ。  
だめだ、気持ちよすぎる。まだ中に挿入もしていないのに、射精感が込み上げてきた。まずい。  
このままだと挿入前に射精してしまうと察した俺は、動きを止めた。  
「あ……」  
喪失感を覚えてか、喜緑さんが物欲しげに濡れた瞳を向けてくる。最初の不安はどこかへ  
飛んでいってしまったらしい。続きを求める女の媚びを漂わせていた。  
 
「いきます」  
「はい……う、くぅっ」  
挿入の準備が整った俺は、喜緑さんに一声かけてから挿入を開始した。  
少しずつ喜緑さんの中へ入っていく。受け入れる喜緑さんは、さすがに苦しいのか  
我慢するように目をぎゅっと閉じて、耐えていた。挿入している俺も、中の狭さと締め付けにうめく。  
どろどろの愛液と肉が熱を持ってまとわりつき、俺を絞り上げようとしていた。  
それでもなんとか、根元まで挿入を終える。  
「大丈夫ですか?」  
俺の言葉に、喜緑さんはゆるゆるとまぶたを上げた。  
「……中が、いっぱいで……少しきついです」  
弱々しく微笑んだ喜緑さんは、手で俺の頬をそっと撫でる。  
「でもなんだかうれしくて……あったかくて……だから、平気です」  
喜緑さんの返事を聞いて、俺に急に感情が押し寄せてきた。愛しい、と思う心が。  
つながったまま顔を寄せ、俺は喜緑さんにキスをした。喜緑さんも、優しく受け止めてくれた。  
しばらく唇を合わせたまま、時が過ぎるのに身を任せる。  
そして二人の呼吸を合わせて、俺は腰を動かし始めた。  
 
「あぁっ、動いてる……はあっ…ん……」  
ゆっくりと出し入れを始めると、喜緑さんの瑞々しい唇から音が次々と発せられる。  
抑えきれなくなった快楽に身を任せた喜緑さんは、ふわりとした髪を揺らしながら全身で  
快感を味わっていた。汗で首筋に張り付いた後れ毛が見え隠れする。動きに合わせて乳房が  
小刻みに上下し、喜緑さんの手は、細い腰をつかんでいる俺の手と重なるように置かれていた。  
喜緑さんの快感を示すように、締め付けがますますきつくなって、俺の射精欲も高まる。  
「どう……です、か?……あんっ、わたしの中、は」  
喘ぎながら淫らな問いをする喜緑さんに、俺は徐々に速度を上げながら、答える。  
「すごく熱くて、たまりません」  
俺の返事に、喜緑さんは淫蕩に染まったとろんとした瞳で俺を見てきた。  
「わたしも、熱くて……は…ぅんっ、太いのが、奥を突いて……」  
うわごとのように言いつつ、重ねられた手に力を添えてきた。  
「もっと、あぁんっ、感じさせて……壊れるぐらい、に」  
清楚な印象のカケラも残っていない淫らな誘いかけに、理性が消し飛ぶ。  
喜緑さんの細い腰をしっかりと抱えた俺は、欲望のままに腰を打ち付けだした。  
結合部から愛液が飛び散り、卑猥な音が喜緑さんの嬌声に重なる。  
「はぁんっ、中が、擦れて……わたし、んんっ」  
快感を少しでも逃すまいと喜緑さんの腰が妖しくくねって、俺の突き上げに同調する。  
突き上げるたびに角度が変わって、まとわりついた肉が収縮を繰り返し締め付け押し寄せる。  
頭の中が肉を味わうことで満たされ、獣のように喜緑さんと俺はまぐわう。  
「なにかが、はぁっ、きて……ぁ…んっ、ヘンになり、そう、です……」  
目を閉じ、唇から甘くて熱い喘ぎ声を出す喜緑さん。涎が唇の端から滴り落ちる。  
限界が近いのか喜緑さんがぎゅうっと俺の手を握り締めてきた。爪が皮膚に食い込む。  
「うっ」  
鋭い痛みに、急激に俺も臨界点に上り詰めていくのを感じた。口から叫びが突いて出る。  
「喜緑、さんっ、俺、もう!」  
俺の叫びに、喜緑さんが声を振り絞った。  
「出してっ、わたしをいっぱいに、してくださいっ」  
本能的にか、ますます締め付けが強まる。絶頂に向け俺は力を振り絞り、喜緑さんの中を抉る。  
受け止めていた喜緑さんの喘ぐ間隔が狭くなっていき、先に弾けた。  
「ああっ、だめっ!」  
顔を仰け反らせてビクッと身を震わせ、乳房を突き出すように背を弓なりにする。  
声と共に腰に痙攣が伝播し、俺を咥え込んだまま強烈な締め付けをしてきた。うっ、俺もダメだ。  
最奥を突いていた俺の限界があっさり突破する。下半身に神経が集中し、頭の中が真っ白になった。  
「ああああっ!」  
吼える俺の声と同時に大量の白濁液が喜緑さんに叩き込まれた。ビュクビュクと何度も  
発射される精液が、喜緑さんの中を満たしていく。想像を絶する快感が押し寄せ、俺を攫った。  
 
「はあっ、はあっ」  
気を失いそうな快感を得た俺は、荒い息をつきつつ喜緑さんの胸の中に倒れ込むように体を預けた。  
喜緑さんはそんな俺の背に腕を回し、優しく抱きしめてくれた。  
 
「気持ち、よかったです」  
喜緑さんが、倒れ込んだ俺の耳元に囁いた。熱い吐息が耳をくすぐる。  
「中に、たくさん入っていて……これが、あなたのなんですね」  
顔を横に向けると、喜緑さんが慈愛とも表現できそうな柔らかい表情で俺を見つめていた。  
「喜緑さん……」  
俺のつぶやきに、喜緑さんはそっと目を閉じて、唇を心持ち尖らせた。  
手を伸ばし、喜緑さんのほつれた髪をすいてから俺は肩を抱き寄せ、キスをした。  
 
顔を上げた俺は、瞳を潤ませたままの喜緑さんに、素直な気持ちを告げた。  
「……まるで、夢みたいです」  
俺の言葉に、喜緑さんはふわりと中空を漂いそうな微笑みを浮かべた。  
「ごめんなさい、夢です」  
 
「……え?」  
何を言われたか咄嗟に理解しかねた俺に喜緑さんは、  
「正確には違いますけれど、現実世界であなたが眠った状態にあるのは確かです」  
そう言って、微笑んだまま言葉を紡いだ。  
「ごちそうさまでした」  
その言葉で喜緑さんの情報操作が解除されたのか、俺は全てを思い出した。  
しかしあまりの急展開に、頭が働かない。射精した直後のように放心状態だった。  
呆然とする俺を尻目に喜緑さんは腰を動かして、未だつながったままだった結合部をするりと抜け出た。  
「あんっ」  
抜くときに可愛らしい声をあげた喜緑さんは、覆いかぶさっていた俺をやんわりと横にどけ  
ぺたりとあひる座りをすると、スカートを自分の手でたくし上げた。どろりと溢れ出る精液。  
その様を興味津々に見ていた喜緑さんは、顔を俺に向けた。  
「すごいです。こんなにたくさん出てます」  
流れ出る精液を俺もぼんやり眺めていたが、我に返った。  
「よくも情報操作を――」  
食って掛かろうとした俺の体が動かなくなる。くそっ。  
「今回の情報は有効活用させていただきますので、ご安心ください」  
とても股間から精液を流しているとは思えない笑顔を見せ、喜緑さんは固まっている俺に近寄ってきた。  
「それではまた学校でお会いしましょう、気持ちよかったです」  
視界が暗くなる。目元に感じる体温から、手で目隠しをされたのだと推測した。  
次いで顔の前方から何かが迫ってくるのを感じ取る。顔に当たった生暖かい空気は、喜緑さんの、呼吸、か?  
 
――ちゅっ。  
 
軽くキスをして、顔が離れた。目を隠していた小さな手がどけられる。  
「喜緑さん、なぜ目隠しなんか――」  
俺は身を起こしながら今まで情愛を交わしていた相手の名前を呼び、疑問を投げかけたところで止まった。  
なぜなら、そこにぺたりと座りこんでいたのは、  
「キョンくん……もう一度、するの?」  
あどけない顔にそぐわない女の色香を漂わせ、精液まみれの顔でこちらを見つめる妹だっ……た……?  
「うわああああああああああああっ!」  
 
 
「あああああっ!」  
ガンっ!  
「――――っうあぅっ!」  
ベッドから跳ね起きた俺は顔を何かに激しくぶつけて悶絶した。  
手で顔を押さえてごろごろベッドを転がる。痛いなんてもんじゃない。大げさかもしれんが星が見えた。  
大体、俺が天井まで跳ねたわけじゃあるまいし、何とぶつかったんだよ、いったい。  
 
しばらく転がっていたが、なんとか痛みも引いてきた。  
依然顔に手を当てたままだったが、身を起こし目を開け、指の隙間から部屋の中を窺う。  
特に何もないし空中に何かぶつかるような物体があるわけでもない。なんだったんだ?  
そう思ったとき、俺の耳が声を拾った。  
「……ひっく、うぅ」  
押し殺した声だった。まるで顔に手を当てて泣いているような、って。  
俺の脳がようやく正常に動き始めた。昨日俺は誰と寝たんだっけ? それはだな、  
「大丈夫か!?」  
答えを瞬時に導きだすやいなや、顔の痛みも忘れて、俺はベッドの端から下を覗きこんだ。  
そこにはベッドから転げ落ちたのか、顔を押さえて泣いている妹がいた。  
「キョンくん、ぐすっ、いたいの……」  
慌ててベッドから降りて、妹の容態を確かめる。妹の顔から手をどけた。  
「げっ」  
妹の手の平に、赤い血がついていた。量はそれほどでもないが、立派な血だ。  
妹の顔を見た俺は、それが鼻血だと理解した。鼻骨がどうこうというわけではないらしい。助かった。  
「この血、わたし、の……?」  
だが妹は、手の平に付着した血を見て、さらに鼻をすすり出した。目にみるみる涙が浮かぶ。  
決壊して盛大な泣き声を上げる前に治療をしようと思った俺は、妹を抱き上げた。  
目指す目的地は、洗面所だ。まず顔を洗わせて、それから救急箱か? ティッシュでも詰めるか?  
とにかく、妹を小脇に抱えたまま、俺は部屋を出た。  
 
「ふう……」  
制服に着替え終わった俺は、ベッドに寝転がっていた。  
幸い、妹の鼻血は大したことなかった。ティッシュを詰めておけば、家を出るまでには止まるだろう。  
問題は俺だな。アドレナリン全開で治療をしていたからか、途中から鼻血がうつりやがった。  
そういうわけで鼻にティッシュを詰めて寝転がっているのだが、止まるかどうか微妙だった。  
頼むから止まってくれよ。間抜けなツラを晒したくはないぞ。  
 
「キョンくん、なんで大きな声を出しながら起きてきたの?」  
ランドセルを背負った妹が、歩きながら俺を見上げてきた。鼻血はなんとか止まった。  
さて、なぜだったかな。悪夢か何かを見たのだと思うが、記憶に残っていない。  
「わからん」  
端的に答えてから、逆に疑問が沸き起こった。  
「それより、なんでお前は俺の顔を見ていたんだ?」  
「えっ? えーっと、それはね、んーと……」  
中々答えを言わない妹は、自分の頭を軽く叩いて舌を出した。  
「てへっ」  
誤魔化す気か。ま、いいや。大した理由じゃないだろ、どうせ。  
「あまり刺激すると、また出るぞ、鼻血」  
適当にからかいながら話を切り上げようとしたが、別に言うことがあったのを思い出した。  
朝からのドタバタのせいで、すっかり忘れていた。危ないな。  
「おい、昨日のことは絶対誰にも言うなよ」  
チャリを押しつつ声を潜めて、俺は妹に念を押した。  
キョトンと瞬きをした妹は、  
「昨日のことってちゅうのこと?」  
「それもあるが、別のだ」  
「んー」  
忘れたんじゃないだろうな。そう思った俺だったが、杞憂だったらしい。  
人差し指を口に当て、斜め上の空を見て考えていた妹が唐突に、  
「あ、キョンくんがせーえきをわたしの顔に」  
「だからそれを言うなと言ってるんだ!」  
チャリが蛇行するのもおかまいなしに、手を伸ばして妹の口を塞ぐ。  
「むぐーむぐぐ」  
ジタバタ抗議する妹だったが、死活問題な俺にはそれどころじゃない。  
今の誰にも聞かれてないよな? 聞かれていたら一巻の終わりだ。  
周囲を見渡す。幸い誰もいなかった。ほっとして手を離す。  
「ぷはっ、キョンくん、いきなりなにするのー」  
こっちこそいきなり何を言うんだと言いたいぐらいだよ。  
「絶対、口に出すなよ」  
殺気でもにじみ出てるんじゃないかと思うぐらいの剣幕で言うと、妹はこくこくと首を縦に振った。  
 
角を曲がったところで、妹が口を開いてきた。  
「キョンくんもミヨちゃんのこと、誰にも言わないでね」  
「言うわけないだろう」  
男の口から誰それの生理がどうこう、なんてのは最低クラスの下ネタだ。品位を疑われる。  
「キョンくんに知られたなんて知ったら、ミヨちゃん恥ずかしくて死んじゃう」  
なら、最初から言うなよ。俺も変に意識してしまうじゃないか。  
待ち合わせ場所に立ってこっちに手を振っているミヨキチの姿を見止め、多少の憂鬱を覚える。  
妹はそんな俺を面白そうに見ていたが、昨日に引き続き下手くそなウィンクをすると、  
「いってきまーす」  
と駆けていった。  
 
チャリを自転車置き場に置いて坂を上がる俺の足取りは、軽いとは言い難かった。  
昨日の心労を考えるだけで憂鬱になってきたからな。  
ハルヒの処罰ってなんなんだろうな。無茶なことでなければいいのだが、ま、無理か。  
 
いっそのこと回れ右して坂を下ってしまうのもいいかもな、と思い始めたとき、  
「キョンくんっ、いい朝だねっ」  
やたら大きな声に合わせて右肩が叩かれた。かなり痛い。  
声だけで誰だかわかっていたが、振り向く。想像通りの人物がいたので、挨拶をした。  
「おはようございます、鶴屋さん」  
「どしたいっ? あまり元気ないね」  
原因を知っているのにわざと聞いてくる鶴屋さんを、はぐらかす。  
「鶴屋さんが元気ありすぎなんですよ」  
「あははっ」  
本当によく笑うお方だ。  
 
「今日も日直ですか?」  
横に並んできた鶴屋さんに、当たり障りのない話題を振る。  
「んー、違うよっ? なんで?」  
「いつもは朝比奈さんと登校してるって朝比奈さんから聞いたので」  
俺の返事に、鶴屋さんはさらっと、  
「キョンくんと一緒に登校したかったから、みくるには黙って来たのさっ」  
「俺と?」  
意外な言葉に耳を疑う。今まで一度も鶴屋さんと登校したことはなかったのだが。  
鶴屋さんは至極真面目な顔で、  
「あたしじゃダメかなっ?」  
いや、そういうわけでは、と答えかけたところで鶴屋さんの性格を思いだす。  
鶴屋さんは本気のような顔で冗談をおっしゃるお方だった。と、いうことは――  
俺の頭が素早く回転して答えを導き出すと同時に、背後から寄ってくる足音に気付く。バレバレだ。  
「わっ!」  
精一杯張り上げた声とともに、俺の左肩がトンと押される。  
鶴屋さんの反対側、俺の左側からひょっこりと頭をのぞかせたのは、  
「ふふー、驚きました?」  
いたずら笑いを浮かべた朝比奈さんだった。  
 
「みくるぅ、キョンくんわかってたみたいっさ」  
「そんなぁ」  
鶴屋さんの言葉に朝比奈さんが残念そうに肩を落とす。がっかりする仕草もいいね。  
落ち込ませっぱなしもなんなので、非を鶴屋さんにも分担してもらうことにする。  
「鶴屋さんも、もうちょっと俺を騙せるような嘘をついてくれないと」  
「おや、あたしはそれなりに本音混じりだったんだけどなぁ」  
からかいを込めた鶴屋さんの言葉は、どこからどこまで本気なのかわからない。  
朝比奈さんが立ち直るまで、俺はどう応じていいものやら悩むことになった。  
 
鶴屋さんはそんな俺の反応を楽しんでいたようだが、復活した朝比奈さんにひょいと顔を向けた。  
「それよりみくる、キョンくんに渡す物があるんだよね?」  
「あ、うん」  
かばんを開いて何か探し始める朝比奈さん。俺に渡す物だって?  
朝比奈さんがくれる物なら、なんだってありがたく頂戴する気でいた俺だったが、  
「あの、これを受け取ってください」  
差し出された物に対しては、さすがに戸惑いを覚えざるを得なかった。  
花柄のデザインの布に覆われている小さめの物体は、  
「お弁当、ですか?」  
「はい」  
ふんわりした笑顔をくれる朝比奈さん。笑顔につられて受け取ってしまう。  
朝比奈さんお手製のお弁当だ。本当なら感涙してもいいぐらいなのだが、内心複雑だった。  
長門も今日、作ってきているはずであるからして、そもそも朝比奈さんも聞いていたのでは?  
「長門さんは長門さん、わたしはわたしです」  
朝比奈さんにしては珍しく、きっぱりと言い切った。俺の胃はひとつしかないんですが。  
「キョンくん、モテモテだねっ。お姉さんまぶしいっ!」  
茶々を入れる鶴屋さんに朝比奈さんが顔を赤くする。こういうときの鶴屋さんは水を得た魚だな、まったく。  
 
弁当をしまい込んだ俺だったが、サプライズはこれだけではなかったらしい。  
「あ、朝比奈さん?」  
朝比奈さんが突然、俺の左腕を抱えてきたのだ。  
「こうしちゃダメですか?」  
顔を赤くして上目遣いで聞いてくる朝比奈さんに、俺が否と言えるはずがなかった。  
抱えられた腕に胸が押し付けられているどころか、挟まれているように思える。  
『わたしの胸、気持ちいいですか?』  
不意に昨日の妄想を想起してしまい、慌てて振り払った。大丈夫なのか、俺。  
 
 
こうして左腕を朝比奈さんに抱えられたまま、登校を続けることになった。  
右側を歩く鶴屋さんがひたすら囃し立ててきて、言われるたびに朝比奈さんが顔をうつむかせる。  
間に挟まれる格好になった俺は、両手に花の状態でありながら、平静を保つことに専念していて  
楽しむどころじゃなかった。朝もお風呂にお入りになるタイプなのか、密着した朝比奈さんから  
シャンプーの匂いが漂ってきたりして、俺をダメ人間に変えようとしていたからな。  
俺がひとえに理性を保ったままでいられたのは、鶴屋さんのおかげだと言っても過言ではないだろう。  
鶴屋さんがいなくて朝比奈さんと二人っきりだったら、通学者もいる公道とはいえ、どうなっていたやら。  
 
時間的な区分では語ることができないようなひとときの末、ようやく校門に辿りついた。  
ええと、そろそろ解いてもらわないと、全校生徒に目をつけられて襲われそうなんですが。  
朝比奈さんにアイコンタクトを試みる。お願いします、朝比奈さん。  
だが朝比奈さんは俺のアイコンタクトに応えないどころか、  
「うわ」  
逆にぎゅうっと俺の腕を抱きしめてきた。胸と言うよりおっぱいの感触が襲いかかってくる。  
朝比奈さんは俺を悶死させる気なのだろうか。ダメ人間一歩手前でこらえつつ、朝比奈さんを見る。  
よく見ると、朝比奈さんはどこか別のところに目をやって、睨みつけているような感じだった。  
何を見ているんだ? おっぱいを頭から追い払いながら、朝比奈さんの目線を追う。  
朝比奈さんが見ていたのは、  
「阪中……」  
昨日と同じく校門の前でかばんを抱えていた阪中だった。  
 
阪中もこっちに気付いていて、おどおどしていた。朝比奈さんに睨まれているからか。  
いくら昨日のことがあるからと言って、朝比奈さんの態度は褒められたものじゃない。  
朝比奈さんを諭そうと俺は口を開いて言葉を発しようとするも、  
「こーら、みくるっ。大人気ないよ!」  
「きゃっ!」  
その前に鶴屋さんが朝比奈さんの頭をぺちっと叩いて諌めてくれた。  
腕を離して頭を押さえた朝比奈さんはほおを膨らまし、  
「だって……」  
と抗議の文句を並べかけたが、再度鶴屋さんに頭をはたかれて黙り込む。  
「うう」  
「キョンくん、うちのみくるがごめんねえ」  
「いえ……」  
代わりに謝る鶴屋さんに口ごもっていると、鶴屋さんは見事なウィンクをくれた。  
「あとは若いもの同士、仲良くおやりよっ。行くよみくる!」  
「ふええ、キョンくん、お弁当食べてくださいねー。残したら今日も冷凍茶ですよー」  
鶴屋さんにずるずる引っ張られるようにして、朝比奈さんは校門をくぐっていく。  
鶴屋さんにだけは逆らわないようにしよう。消える朝比奈さんを見て俺は固く誓った。  
それにしても、今何かぶっそうな言葉を朝比奈さんの口から聞いた気がしたのだが、ま、気のせいだな。  
 
朝比奈さんと鶴屋さんの姿が見えなくなるまで見届け、俺は阪中に顔を戻した。  
呆然としていた阪中は、俺が見ているのに気付いてぎこちない笑いを返してくる。  
今日は阪中の用件もわかっているので、手でそれとなく合図をしてから校門をくぐる。  
校門をくぐったところで、阪中が追いついてきた。歩を進めながら声をかける。  
「よっ」  
少し軽かったかな、とも思ったが、阪中は別にどうとも思わなかったらしい。  
「おはよ」  
挨拶を返して、俺の斜め後ろを着かず離れずといったぐらいの距離でついてきた。  
それっきりで沈黙が場を占める。黙々と歩く俺と阪中だったが、なぜか悪い気はしなかった。  
 
「で、今日もなんだよな?」  
昨日と同じく人気の少ない場所で、俺は振り返って阪中に問いかけた。  
「うん、でも……」  
かばんに視線を落としたままどこか歯切れが悪い。阪中の言葉尻を捉えて聞き返す。  
「でも?」  
「さっき朝比奈先輩がお弁当食べてくださいって言ってたのを耳にしたから」  
ああ、そのことを気に病んでいたのか。にしても朝比奈先輩ってやけに新鮮な表現だな。  
俺は正直に言うことにする。  
「確かに朝比奈さんからもらったし、あと長門も作ってきてくれているはずだ」  
「だったら」  
「だからと言って、せっかく作ってきてくれた物を受け取らない理由にはならないな」  
少しずるいと思いつつも、阪中に吹っ切ってもらうため付け加える。  
「それにハルヒが作ってきた物なんだろ? 阪中が気にすることじゃないさ」  
「え? あっ」  
すっかり忘れていたらしい。みるみる顔が赤くなる。  
「そ、そうなのね。わたしったら余計な気を回しちゃって」  
慌ててかばんから包みを取り出し、俺に差し出してくる。  
俺が受け取ったのを確認すると、目線を下向けたまま、そそくさとかばんを閉じた。  
「昨日言われたことは涼宮さんに言っておいたのね。だからそんなに豪華じゃないと思うの」  
相変わらず上ずった早口で言うと、阪中はくるっと振り返って俺に背を向け、  
「じゃ、行くのね。またあとで」  
と俺が返事する間もなく、去っていった。  
 
阪中が角を曲がり見えなくなったところで、俺は手元に残った弁当を見ながらひとりごちた。  
「とはいえ、三つか……」  
贅沢な悩みだとは思うが、腹に全部入るか心配になってきた。今日は体育もない。  
不安を抱えつつ俺も教室に向かうべく、包みをしまい込んで歩き出した。  
 
靴箱を開けるとそこには弁当箱があった。  
ま、そりゃそうだよな。長門が約束をたがえるはずがない。昨日と違い長門はいないようだが。  
かばんに弁当箱を入れ、上履きに履き替える。靴を靴箱にしまい教室へ向かうかと振り返ると、  
「うおっ!」  
長門が立っていた。いつの間にだ?  
「最初から」  
いや、俺の認識でも誤魔化されていない限り、いなかったぞ。  
ま、それはいい。それより長門が現れたという事実のほうが重要だ。  
長門の様子も昨日から少しおかしいからな。今も俺を見つめる視線にわずかに色がついているように思える。  
 
「何か言いたいことがあるのか?」  
「喜緑江美里のこと」  
問う俺に長門はぽつりと言って、俺の反応を窺うようにじっと視線を注いできた。  
「喜緑さんがどうかしたのか?」  
長門の意図がわからなかった俺は、無難な返事をする。  
そんな俺に長門は、大掃除で本棚を整理、処分したほうがいいと提案したときに見せたような  
どことなく悲しそうな色を含ませた瞳で見つめ返してきた。ええと、ここは俺が何か言うべきなのか?  
必死で頭をめぐらす。すると朝比奈さんの『長門さんだって怒ります』という言葉を思い出した。  
現に昨日の長門はハルヒの実演後、怒っているように見えた。なんだかわからんが、謝っておくか。  
「昨日はすまなかった。喜緑さんのことは誤解なんだ」  
謝った俺に、長門は悲しみの色を消して口を開きかけ、  
「……」  
何も言わずにつぐんだ。長門が言いかけて止めるなんて初めて見た。どうなってんだ?  
怪訝に思った俺は、長門の視線が少しずれていることに気付いた。これまた珍しい。そう思っていると、  
「おはようございます」  
突然、背中から声がかかった。その声に聞き覚えがあるどころか、噂をすればなんとやらってヤツだ。  
振り返った俺が見たのは、話題の中心人物、にっこりと笑った喜緑さんだった。長門が見ていたのも彼女か。  
喜緑さんはそのまま会釈を送ると、俺と長門の横をすり抜け校舎の中へと消える。  
すれ違ったときに髪からふわっと漂った香りは、相変わらずいい匂いだった。  
 
喜緑さんがいなくなって話も続けられると思った俺は、長門の言葉を待った。  
しかし、しばらく待ってようやく長門が声に出したのは、  
「そう」  
という応答で、長門は無表情に俺を見つめたまま、  
「お弁当、食べて」  
「あ、ああ」  
それだけを言うと俺に背を向け、まるで初めからいなかったかのように音もなく  
喜緑さんを追うように校舎の中へ入っていった。なんだったんだ?  
 
 
何か俺を中心にしてぐるぐると回っているような感じがする。  
それともこれもハルヒが中心にいて、俺は衛星よろしく回されているのだろうか。  
ま、そう考えたほうがいいか。一般人たる俺に注目が集まるとも思えん。  
非日常的な何かが起こったわけでもない。気にするだけ無駄だ、今のところは。  
 
ぐだぐだ考えながら、俺は今日も一年五組の教室に入った。  
谷口と国木田に絡みたい気分だったので、だべっている二人に近寄って声をかける。  
「よう、谷口。相変わらずバカやってるか?」  
「誰がバカだ、アホ。お前のほうがよっぽどバカやってるだろうが」  
谷口が心外だとばかりに言ってくるが、心配するな。俺もお前も差のないバカだ。  
「あ、キョン。バカと言えばこないだ谷口さ」  
国木田もバカ論議に加わってきた。何も考えずにこういう話をする時間が案外大切なのかもな。  
 
チャイムが鳴るまで二人とだべり、頭をすっきりさせた俺は自分の席に戻った。  
「ハルヒ」  
「なによ」  
後ろの席に座っていたハルヒは、無愛想ではあったがそれほど機嫌が悪いわけでもないらしい。  
「昨日の俺の処罰は考えたか?」  
席に腰を下ろしつつ、問いかける。ハルヒはどうでもよさげに手にしていたボールペンを一回転させ、  
「案は出たけどひとつに絞れないのよね。どっちにしても、発表するのは部室でよ」  
「いっそのこと、処罰しないってのはどうだ?」  
「バカ。そんなの聞き入れるわけないでしょ」  
ナイスアイディアだと思ったんだが、却下されては仕方ない。だがハルヒもあまり乗り気じゃないみたいだな。  
ハルヒなら嬉々として処罰の内容を全部並べ立てるぐらいはしてくるはずだ。  
「結局、あの書記の人とはなんだったの?」  
そのハルヒが質問を返してきた。ったく、昨日言うべき内容をやっと言えるのか。  
「喜緑さんはな、生徒会長が企んでいることを教えてくださったんだ。それはな――」  
 
「――というわけで、お前が見たのは貧血で倒れた喜緑さんを俺が介抱している場面だったんだよ」  
古泉との打ち合わせ通りの内容を告げ終える。ハルヒはボールペンをピコピコ上下させていた。  
「ふうん、最後の部分が少し足りない気もするけど、ま、いいわ」  
鋭いな。しかし俺も喜緑さんから明言されたわけじゃないから、告白されたとはとても言えん。  
「それにしても、生徒会長も腹心の部下に裏切られるなんて情けないわね。あたしなら」  
と言いかけて、何かを思い出したのか俺を見たままアヒル口で黙り込む。なんなんだよ。  
「なんでもない」  
いきなり不機嫌になりやがった。なんだってんだ、まったく。  
沈黙が生まれたが、間を埋めるように丁度担任の岡部が教室に入ってきた。助かったぜ、岡部。  
もたれていた壁から離れて前を向くと、HRが始まった。  
 
ハルヒの不機嫌さはHRが終わる頃には鳴りを潜め、特に気にならなくなっていた。  
あまり不機嫌だとこっちまで不景気になってくるから、好都合だ。さらに言えば、昼休みが近づくにつれ  
俺に余裕が徐々になくなってきたから、ハルヒに気を回さなくていいのはありがたかった。  
何せ弁当三つ食ってから喜緑さんに会う約束があるんだからな。余裕もなくなってくるさ。  
 
そしてあっという間に昼休みだ。かばんを机の上に出し、考えた末出した結論に従うことにする。  
さすがに三つは誤魔化しきれん。だから見晴らしのいい場所で一人で食おう。これが結論だった。  
谷口と国木田には、適当に断ればいい。毎日必ず一緒に食っているというわけでもないからな。  
よし、行くか。そう思い席を立ったときだった。  
「どこ行くのよ、キョン」  
いるはずのない人物が俺を制止した。振り返る。ハルヒがいた。  
「学食へ行かないのか?」  
いつもなら、昼休みが始まると同時に教室から飛び出していたはずだ。  
ハルヒは自分の机の上に出してあった包みを指差し、  
「今日はお弁当」  
そう言って、にやりと意地の悪い笑みを俺によこした。  
「あたしも同席させてもらうわよ」  
最悪だった。  
 
教室の外に出るに出られず、さりとてハルヒと二人で席を囲むなんてのは論外だ。  
「今日は涼宮さんも一緒に食べるの?」  
机を合わせながらのんびりと国木田が声を出す。  
「おいおい、どうなってんだ? キョン」  
俺が説明して欲しいぐらいだよ、谷口。  
溜息を押しとどめ弁当を取り出そうとかばんに手をかけ、ふと考えが脳裏をよぎり手を止めた。  
ここで三つ全部弁当を出していいのだろうか。谷口と国木田にバレるのは覚悟しているが、ハルヒはどう思う?  
だが、全部食べないのも不公平だ。ハルヒは俺が阪中と長門からもらっていることは知っている。  
最後の一つは、おふくろが作った弁当として誤魔化すか。仕方ない。  
しかしこの躊躇が命取りになった。  
「怪しいわね。かばんの中を見せなさい」  
ハルヒが横から手を伸ばして俺のかばんを奪い取りやがったのだ。  
「おい、やめろ!」  
俺の抗議もむなしく、次々に机に出されていく弁当箱。  
「ひとーつ、ふたーつ、みーっつ」  
皿の枚数でも数えるように数字を声に出しながら、ハルヒは包みを取り出していき、  
「……よっつ?」  
手に取った四つ目の包みに困惑気味の声を上げた。終わった。  
ハルヒは包みを置くと、丁寧にもかばんを閉じて机の横に引っ掛けてくれた。  
俺の位置からハルヒの顔は見えない。だが谷口の驚天動地とでも言いたげな表情で  
俺はハルヒがどんな顔をしているのか想像がついた。国木田が同情の視線を俺に寄せてくれる。  
「キョン、なぜお弁当が四つもあるのか説明してくれるわよね?」  
振り向いたハルヒは、口元が不自然なまでに引き攣った最高級の笑顔をしていた。  
 
 
それからしばらくはまさに悪夢だった。  
追及してくるハルヒに谷口が何を血迷ったか加担しやがり、日和見を決め込んでいた国木田の背後で  
阪中が今にも卒倒しそうな青ざめた顔を見せ、同席していた佐伯や成崎、大野木が心配そうに声をかける横から  
垣ノ内が調子よくしゃしゃり出てくるも瀬能、西嶋、剣持のトリオに撃墜され、柳本が迷惑そうに  
ちらちらこっちに視線を送ってくる傍らで日向がいつでも仲裁に入れるように腕まくりをし、その二人の横で  
のほほんとお茶をすすっている鈴木と感覚を共有してか、机に突っ伏した手島は午睡を楽しんでいた。  
おい山根、なんだそのカメラは。お前いつから写真部に転部したんだよ。ローアングルから撮るな。  
教室に残っている一年五組の生徒全員を巻き込む形でハルヒの公開処刑はしめやかに行われ  
なんとか阪中のことはハルヒも自制してくれたものの、朝比奈さんと長門の件はつまびらかになってしまった。  
二人とも、すまん。  
 
「で、これがみくるちゃんのお弁当なわけね」  
花柄の包みを指すハルヒに、精根尽き果てた俺はうなずいた。  
「けっ、いいよな。北高の天使様から直々のお手製弁当だ。あーあ、俺の出会いはどこにあるんだか」  
これ見よがしに谷口が悪態をつく。返事をする気力もない俺は包みを解き、中から現れた  
小さめの可愛らしい黄色い弁当箱のふたも開ける。げっ。  
「うわ」  
国木田も緊迫感のない驚きの声を上げた。朝比奈さんリモコンスイッチで時限爆弾ですか?  
弁当の具自体は、ごく普通と言ってもよかった。朝比奈さんのことだ、おいしいに違いない。  
問題は海苔で『I Love Kyon』や『みくる』『キョン』を相合傘に入れた図をデザインしてあったことだ。  
ふたに張り付かないよう、わざわざラップを掛けてある当たりに朝比奈さんの気合を感じた。  
上下逆さまをそれぞれ向いている魚のてんぷらは、『キス』と『スキ』か? なんてベタな。  
「みくるちゃん、やるわね……」  
一悶着あるかと思っていたが、なぜかハルヒは感心した様子を見せ、自分の弁当をつっつきだした。  
文句が出なかったようなので、俺も朝比奈さんの心づくしに感謝しつつ頂くことにする。  
うん、うまい。卵焼きが俺の好みより少し甘口だったが、それも朝比奈さんらしい味と思えば納得だ。  
弁当箱が小さめだったこともあって、あっという間に食べ終えた。  
 
次に手繰り寄せた阪中の弁当は、慎ましいものになっていた。ただ、手を抜いてあるどころか  
煮物を中心にさらに手を掛けられているのを感じた。昨晩のおかずの残り物ならいいんだが  
新規に作ったのだとすると、この味のしみこみ具合はやばいぞ。一体どれだけ時間を掛けているんだ?  
「ちょっとキョン、あたしにも味見させなさい」  
味わっていると昨日の谷口よろしくハルヒが言ってきた。俺のために作ってきた弁当を分けるわけないだろ。  
「うるさい。これと交換よ」  
と、ささっと箸を使って阪中が作った弁当から里芋を奪うと、卵焼きを押し付けてきた。  
すぐにひょいと里芋を口に放り込んだハルヒは、  
「すご」  
とだけ言って、無言と化した。食われた物を奪い返すわけにもいかなかった俺は、大人しく  
ハルヒの卵焼きを口に運ぶ。咀嚼する。嚥下した。  
あまり感想は言いたくないが、うまかった。  
 
そろそろ俺の腹もきつくなっていたが、まだ長門の弁当が残っている。  
昨日の注文に応えてくれていることを期待して、包みを解いた。  
「……」  
弁当箱の上にスプーンが乗っていた。みんなの視線がスプーンに集まる。嫌な予感がして、ふたを開けた。  
「長門……」  
中身は、カレーだった。俺の想像が正しければ、レトルトじゃないカレーだ。  
長門流のジョークだと思いたいが、どうなんだろうな。スプーンを手にしながら、そう思うしかなかった。  
 

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