『涼宮ハルヒの赤色』  
 
ひときわ小気味のいい音が、部室中に響き渡った。  
音を立てた主は、何事も無かったかのように、閉じた本をかばんにしまう。  
条件反射とは恐ろしいもので、音が耳に入ると共に俺は広げたゲームを古泉と片付け始め  
朝比奈さんも編み物をする手を止めて、湯飲みを下げるためにいそいそと立ち上がった。  
まあ、要するに、今日のSOS団の活動はこれにて終了の運びとなったってわけだ。  
 
ハルヒもパソコンの電源が切れたことを確認すると、  
「じゃ、今日はこれでおしまい。また明日ね」  
かばんを手に提げ、片付けをする俺たちを尻目に、いの一番にノブに手を掛ける。  
つくづく一番が好きなやつだ。しかもハルヒの場合、最初から最後までトップでなければ  
我慢のできない性格なのである。ウサギもカメも気に食わない女、それが涼宮ハルヒだった。  
そんなハルヒは、扉を開けながら顔だけ後ろを向けて、  
「みくるちゃん戸締りよろしく!」  
「はあい」  
着替えでどうしても最後になってしまう朝比奈さんに声をかけ、返事に満足してさっさと出て行った。  
まるで思い残すことなど何もない、と言いたげな見事な去りっぷりだ。  
夏休みもそれぐらいの思い切りの良さを見せりゃ、何回も繰り返すことにはならなかったのによ。  
いまさら愚痴っても仕方の無いことではあるが、思わずそう言いたくなりそうになったぞ。  
 
俺が文句を自制しているうちに、長門の帰宅準備が完了していたらしい。  
椅子からすっと立ち上がると、足音も立てずに開け放たれた扉へ歩み寄った。  
「長門、またな」  
なんとなく声をかけると、動きを止め、振り向いてきた。  
表情に乏しい顔が俺を見つめてくる。そうだな、むしろ文句を言いたいのは長門のほうだった。  
俺は一回きりの記憶しかないが、長門は一万五千何回かの二週間をすべて覚えてるんだもんな。  
言っちまえよ、長門。たまには不平の一つでもこぼさないと、ストレス溜まるぞ。余計なお世話かもしれんが。  
俺の考えを理解したのか、長門は首をわずかに上下させて向き直り、廊下へと歩を進めた。  
下校中のハルヒに直接文句を言いに行くつもりだったらすごいんだが、そんな長門は想像もつかない上に  
長門といえども、俺の心を読めるわけがない。さっきの首肯はただの挨拶で帰宅しただけである。  
「さて、それでは僕も」  
片付けを終えた古泉が、俺と朝比奈さんに会釈を送った。  
俺は応える代わりにかばんを持った。靴箱まで付き合うのも悪くないだろう。  
「朝比奈さん、いつも鍵当番すみません」  
今日の授業内容を忘れても、朝比奈さんに挨拶をするのは忘れん。  
「いいんです。キョンくん、また明日部室で」  
朝比奈さんは、とびきりの笑顔で応えてくれた。  
その笑顔に和まされつつも、俺の脳内は自分の言葉に不安を覚えていた。  
 
自分の言葉、つまりそれは朝比奈さんの鍵当番に関してだった。  
不安の原因は鍵の閉め忘れではもちろんなく、朝比奈さん自身のことだ。  
SOS団の活動は大抵下校時刻までに終わるとはいえ、ハルヒや長門ならともかく  
朝比奈さんのような愛らしいお方を、おひとりで最後に帰らせるのは忍びない、というか危ない。  
このことを強く認識したのは、日が暮れるのがめっきり早くなってきてからだった。  
朝比奈さんは未来人ではあるが、未来的な防衛システムを携帯しておられる様子もなく  
そうなれば単なる女子生徒だ。現にこの付近は、坂下に女子高があるからか不審者の噂が絶えない。  
寒くなってきたこの季節にまでご苦労なこった、と俺自身は思っていたのであるが  
日常的に朝比奈さんが鍵当番をしていることに気付いて、顔が青くなった。  
 
当然、俺は朝比奈さんにエスコート役を申し出てみた。しかし、  
『気持ちはうれしいんですけど、大丈夫です』  
と断られてしまっていた。どうやら朝比奈さんとしては、俺と二人きりで下校するとマズいらしい。  
俺としても心当たりがないわけではなかったから、それ以上強く出られなかった。だが、  
『なんなら僕が送って差し上げましょうか』  
などとほざいた古泉には、即効で却下を出しておいた。古泉と朝比奈さんが並んで下校する姿が  
気に食わないのは飲み込むとしても、それ以上に『機関』が俺の信頼に足りる存在ではない。  
不審者と『機関』、どっちがマシかと問われれば、俺は間違いなくどっちもダメだと断言するに違いない。  
答えとしては不適当かもしれんが、問い自体が間違っているのだから仕方ないだろ。  
 
それで安心できるわけもなく、ならば、とハルヒに集団下校を提案したところ、あっさり切られた。  
『キョン、あんた心配しすぎ』  
心配しすぎることのどこが悪い。ハルヒ、お前の尺度を朝比奈さんに当てはめるな。  
そう抗議したのだが、聞く耳持たずを貫かれた。なんでも朝比奈さんを待つのが嫌だからではなく、  
『プライベートってもんがあるでしょ』  
SOS団の外での自由はなるべく尊重するからだとさ。ハルヒから尊重なんて言葉を聞くなんてな。  
『うっさい。あんただってSOS団が終わったあと、用事があったりするんじゃないの?』  
そんなものない、下校するだけだ、と返事しかけて、そうでもなかったのを思い出した。  
まあ、朝倉の件がそうそう何度もあってたまるか、と思わんでもないが。  
 
最後に残ったのは長門であり、長門が朝比奈さんと帰ってくれるのであれば、俺の不安など  
荷を下ろすどころか消すに等しいのだが、長門は良くても朝比奈さんが遠慮しそうである。  
どうもあのお方は、長門に対して苦手意識を持っているようで、会話しているのを見たことがないほどだ。  
ほかにも、独断専行でハルヒ抜きに三人や四人で帰ったらどうだと提案してみたが、  
それは古泉も朝比奈さんも、長門でさえも気が進まないらしく、俺も言ってはみたものの  
実行することに関しては消極的だった。  
 
要するに、宙に浮いたまま今日を迎えているのである。  
 
 
「どうしたんですか? 浮かない顔をして」  
思考の海に潜り込んでいた俺をサルベージしたのは、古泉だった。  
って顔を覗くな。近いぞ。俺は心持ち身を反らせつつ答えた。  
「いや、朝比奈さんのことでちょっとな」  
「ああ、その件ですか。あなたも気苦労の絶えない方ですね」  
さわやかな顔で言うなよ。お前も関連性ゼロってわけじゃあるまい。  
それともあれか、朝比奈さんが変質者に襲われてもお前は平気ってわけか。  
「そんなわけありません。愛らしいあの方の顔が恐怖で歪むのは想像するに耐え難いものがあります」  
なんか怪しい表現だが、望んではいないらしいな。  
古泉は無駄な微笑みを浮かべ、  
「第一、朝比奈さんの身に何かが起これば、涼宮さんが黙ってないでしょう」  
当たり前だ。ハルヒのことだから、大爆発じゃ済まないぞ。俺もハルヒに加担しているだろうが。  
「それは僕たちの望む事態ではないのです。これがどういう意味か、あなたならわかると思いますが」  
「ってことは、つまり」  
すでに朝比奈さんの周囲に、『機関』の手が回っているということか。  
「そう受け取ってもらってもかまいません」  
別の意味で不安だ、それは。なんのためにお前の提案を却下したと思ってんだ。  
髪をさりげない仕草でかき上げた古泉は、  
「大丈夫ですよ。彼女の部屋に盗聴器や隠しカメラなどを仕掛けているわけではありませんので」  
いきなり盗聴器や隠しカメラときた。お前らの尺度が俺には気になるぞ。  
 
「それより僕が気になるのは、涼宮さんです」  
靴箱から靴を抜き取りながら、不意に古泉が話題を変えてきた。  
「ハルヒがどうかしたか?」  
少なくとも俺はどうしたとも思わん。  
「いえ、そろそろ退屈なさってきているのではないかと思いましたもので」  
まあ、夏休み以来、行事を追っているだけでSOS団的な何かをしているわけではないしな。  
古泉の発言には、一理あった。でもだからってどうしろってんだ。  
「さて、どうしましょうか」  
ごまかすな。それと含み笑いはやめろ。  
「失礼。ですがこれでも悩んでいるんですよ」  
古泉は上履きを靴箱の中へ移し変えつつ冗談のような口調で言うと、  
「僕は少々用事があるので、今日はこれで」  
手をひらひらさせて校舎をあとにした。  
 
 
意味深な古泉も気になるし、朝比奈さんはもっと気になる。  
ハルヒはそもそも年中、目を離しておけない。  
あまり気にならないのは長門ぐらいなもんだ。  
ったく、俺の周りはどうしてこうなんだろうな。  
 
世の中の不合理さについて脳内会議を開いて激論を交わしながら坂を下っていると、  
『――のよ』  
前方から声が聞こえてきた。カーブになっていて、姿は見えない。  
『知らない』  
ハルヒ?  
その声は、俺の耳がおかしくなってない限り、ハルヒのだった。  
まさか長門が本当に申し立てをしてるんじゃないだろうな。なわけねーか。  
相手の声は聞き取れない。むしろハルヒの声がバカでかいから聞こえてくるだけだと言っておこう。  
それにしてもなんとなく出て行きづらくなっちまった。会話が終わるまで待つか。  
『うるさい』  
取り付く島がないハルヒを耳にしたのは、久々だ。教室でも相変わらず無愛想だが  
ここまでぶった切ることはしない。他のクラスメイトが敬遠して話しかけないだけとも言うが。  
『邪魔』  
いったい相手は誰なんだ。ハルヒに声をかける酔狂な人物はよ。  
 
完全に聴衆モードだった俺を巻き込んだのは、ハルヒだった。  
『っ――なにすんのよ、この変態!』  
「変態だと!?」  
それを聞いた俺は思わず叫んでいた。変態、不審者、変質者と俺の脳内を単語がぐるぐる回る。  
この野郎。朝比奈さんじゃなく、ハルヒを狙ってきたのか?  
「ハルヒ!」  
下り坂であることも忘れ、俺は思いっきり駆け出した。  
加速をつけてカーブを曲がり、視界に入ったのは――  
「キョン?」  
俺の声を耳にしたのかこっちを向いたハルヒと、  
「なんだ?」  
北高の制服を着て手をさすっている、見覚えのない男だった。  
「ってどこが変態なんだ!」  
俺は勢いのまま殴りかかろうと思っていたのだが、そうも行くまい。  
慌てて急停止しようとしたが、ついた勢いは簡単に止まってくれなかった。  
「だああっ」  
無理をしたせいか、前のめりに転がり込んでしまった。いてぇ。  
 
 
起き上がった俺は脱兎のごとくその場から逃げ出したい気持ちに駆られていたが  
なんとか踏ん張り、ハルヒと会話していた男子生徒を観察した。  
大人びた、やけにハンサムな男だな。俺に見覚えがないことからすると、上級生か。  
スポーツマンという感じはせず、そうだな、計算もプライドも高い野心家という印象だ。  
男子生徒は俺の出現で気をそがれたのか、  
「とにかく、オレは諦めないからな」  
そう言い捨てて、身を翻し坂を下っていった。  
 
残ったのは俺とハルヒだ。  
「あいつは誰なんだ?」  
俺の問いかけにハルヒは、口を開けたが、言葉が見つからなかったのかすぐに閉じた。  
俺に背を向けて、  
「知らない」  
突き放すように言ってくる。  
「知らないわけないだろ。何を言われたんだ? 何をされかけ――」  
「うるさい」  
一言の下に切って捨てると、  
「帰る」  
続く言葉を口の中に飲み込んだ俺を置き去りにして、ハルヒは歩き去った。  
一体なんなんだ。  
 
「あれ、キョンくんどうしたんですか?」  
呆然と突っ立っていたら、後続集団が俺を捕らえたらしい。  
振り向くと、制服姿の朝比奈さんが首を傾げていた。  
「いや、それが――」  
俺は一部始終を話した。もっとも大したことは話せないのだが。  
そして話を聞いていた朝比奈さんも、何がなんだかさっぱりお分かりになられない様子だった。  
決着がつくとは思わなかった俺は、これからを考えることにして、  
「朝比奈さん、偶然会ったんだし、今日は途中まで一緒に帰りませんか?」  
そう言った。偶然の部分を強調して、だ。  
勘違いだったにしても、このまま朝比奈さんを放って帰る気はさすがにない。  
朝比奈さんも心細さを覚えていたのか、  
「そ、そうですね。偶然会いましたし途中までなら……キョンくん、お願いできます?」  
自身を納得させるように言い訳をすると、俺のそばに寄ってくる。  
騎士の役目を仰せつかった俺は、ほんの少しの役得を意識しつつ、駅前まで朝比奈さんと並んで帰ったのだった。  
 
 
翌日である。  
教室に入った俺は、朝っぱらの眠気がいきなり吹っ飛んだ。  
俺の椅子に勝手に座り、後ろの席にいるハルヒに話しかけている野郎がいたからだ。  
昨日、下校中にハルヒに話しかけていた奴で間違いないだろう。  
教室の雰囲気はどこかよそよそしく、ちらちら窓際後方を見ては小声で話をしている女子もいれば  
俺が入ってきたのを見て、ちょいちょいと指で『なんとかしろ』的なジェスチャーを送ってくる谷口もいた。  
肝心のハルヒは、肘を突いて窓の外を見ているらしく、表情は窺い知れなかった。  
 
谷口に応えてやる謂れはなかったが、俺の席を占有している以上、声をかけざるを得ないな。  
俺は教室の戸を閉めると、かばんを肩から引っ提げて、歩み寄る。  
「あの、すみません。そこ俺の席なんでどいてもらえませんか」  
先輩だと思われるため、一応敬語だ。口調がぞんざいなのには、目をつぶってもらいたい。  
「ん? ああ、済まなかった」  
その先輩らしき男子生徒は、意外と折り目正しく、非礼を詫びて立ち上がった。  
立ったところで俺のことに気付いたらしい。  
「君はたしか昨日の……そうか、涼宮さんのクラスメイトだったのか」  
そう言って、不躾な視線を俺に送ってくる。少しムカが入った。  
「そうだとしたら、なんなんです?」  
詰問調になった俺に、その男は肩をすくめた。  
「特に何も。君が涼宮さんのカレシでもない限りはね」  
いきなりカレシときた。って、まさかこの男。  
俺がある想像を思い浮かべ、眼前の男は俺の想像通りのことを言い出した。  
「そうさ、オレは涼宮さんにカノジョになってもらおうと思っているんだ」  
 
俺の感情は驚きより呆れが先んじた。こんな人種がまだ北高に残っていたとは。  
ハルヒの奇行の数々をこのお方は知らないのだろうか。  
とりあえず、俺の立場を明確にしておこう。  
「俺は、涼宮が作った同好会の団員です」  
俺の言葉に、男が眉を動かす。ハルヒもぴくっと動いた気がするが、気のせいだろう。  
「同好会……名前はSOS団だったか。君はあれのメンバーなのか」  
SOS団のことは知っているのか。それならハルヒのことも色々知っていてもおかしくなさそうなもんだが。  
「勘違いしてもらっては困るな。オレはちゃんと涼宮さんのことは知っているつもりだ」  
ハルヒがそばにいるのもおかまいなしに、その男は堂々と言いのけた。  
「なぜなら、オレはそんな涼宮さんの変人性を含む全てに魅かれたんだから」  
 
アホだ。  
俺やたぶん他のクラスメイトもそう決め付けたに違いない。男は朗々と語り出した。  
「きっかけは、涼宮さんと付き合った経験のある奴から話を聞いたことだった」  
ハルヒは無反応だ。窓の外を見たまま、動きやしない。  
「そいつは三日でフラれたそうだ。『普通の人間の相手してるヒマはないの』と言われてね」  
それなら俺も谷口から入学早々聞いた。北高生にもハルヒと付き合っていた人がいたのか。  
ま、北高には、東中からの生徒も相当数来ているから、別段おかしい話でもないのではあるが。  
「そこまでなら、オレもどうとも思わなかった。だがクラスメイトにあと四人、フラれた奴がいた」  
男は手の平を広げる。  
「一クラスに五人だ。さすがにオレも変だと思い、独自に調査を行ってみた」  
と、ポケットを漁って手帳を取り出した。ぺらぺらとめくりだす。  
「三年は八人、二年は十五人、一年に至っては二十人だ。内訳は、男子四十名、女子三名」  
数字もすごいが、それを調べ上げたアンタも相当なものだ。女子三名も気にならんと言ったら嘘になる。  
手帳から顔を上げた男は、  
「ちなみにこの一年五組で涼宮さんと付き合っていた人間は――」  
クラス内を見渡しながら、そう言いだした。  
釣られて振り向いた俺の視界に、わざとらしく口笛を吹いている谷口が入った。  
薄々そうじゃないかと思っていたが、やっぱりそうか、谷口。今度パンでもおごって慰めてやる。  
「プライバシーに関わるから、やめておこう」  
男はそう言って、手帳を閉じた。ハルヒのプライバシーは侵害しまくっている気がするんだけどな。  
 
男はそれからも、ハルヒの奇行や、誰とも付き合わなくなったことなどを挙げ、  
「意を決して昨日、オレは涼宮さんに告白したんだ」  
ああ、昨日のはそれか。  
「すげなく断られた。理由も教えてくれなかった」  
どうでもいいが、ハルヒはこんな話を堂々と自分の前でされて平気なのか?  
「しかしオレは納得していない。まだ諦めるわけにもいくまい」  
いきなり男は俺に向かって右手を出してきた。握手なんかする気は、俺にはないぞ。  
「キョン君、君はオレのライバルだ。お互いがんばろうじゃないか」  
唐突にライバル認定されても困る。それに俺のことは何も知らないんじゃなかったのか。  
「ブラフだよ。涼宮さんが気になっている男がどんなものなのか、オレも気になったのでね」  
なんのことやら。俺にはさっぱり心当たりがないね。  
「それはおかしいな。オレの調査では、涼宮さんが誰とも付き合わなくなった理由は――」  
「SOS団の活動が忙しくなったからに決まってるでしょ」  
窓の外を見ながら、ハルヒがつぶやいた。  
 
ハルヒはうんざりした口調で、  
「だいたいね、恋愛感情なんてのはね、一時の気の迷いよ、精神病の一種なのよ」  
これまた懐かしい持説を持ち出してきた。  
「男なんかどうでもいいわ。今はSOS団があればそれでいいの」  
「それは一種の矛盾だな」  
ハルヒの言葉を男が切って捨てた。当然ハルヒは面白くない。  
初めてこちらを向き直った。仏頂面で俺たち二人を睨みつけてくる。  
「なによ。なんか文句あるわけ?」  
男はハルヒの睨みを余裕で受け流し、ニヒルな含み笑いを漏らすと、  
「SOS団には誰がいる? このキョン君だ」  
俺の肩をぽん、と一叩きしてきた。  
「キョン君のいるSOS団があればそれでいいと言い、他方では男なんかどうでもいいと言う」  
これが矛盾でなくてなんなのか、とばかりに大げさにアピールする。  
「オレの目には涼宮さんが自分に言い聞かせているか、自分を誤魔化しているようにしか見えないね」  
辛辣な言葉でありながら、ハルヒを見つめる男の表情は優しく下級生を諭す先輩のようだった。  
 
言われたい放題のハルヒだったが、俺はすぐに十倍返しぐらいしてくれるものと思っていた。  
だから、ハルヒが下唇を噛んでうつむき出したのを見るに至って、俺は驚きを隠せなかった。  
一体どうしちまったんだ、ハルヒ。俺が言ったら完膚なきまで叩きのめしてくるくせによ。  
 
男は視線をハルヒから俺に戻した。  
「キョン君、君も涼宮さんと似た者同士なのかもしれないな」  
「俺とハルヒのどこが似てるって言うんですか」  
俺の反論に、男はさりげない仕草で髪をかきあげると、  
「分からないならいいさ。もう時間だ、またあとで会おう」  
会釈をして、教室を去っていった。またあとで、ってまた来るつもりなのかよ。  
男が去った教室はざわざわしていたが、すぐに担任の岡部が来てHRが始まった。  
岡部が文化祭が近づいたことやクラスの出し物が決まっていないことなど、連絡事項を告げる中  
俺はさっきの男の言葉が妙に耳に残っていた。  
ハルヒと俺が似た者同士? まさかな。ありえん。  
そのハルヒは黙りこくって、何かを考えている様子だった。  
 
「災難だな、キョン」  
食堂に特攻したハルヒを尻目に、俺はいつものように国木田や谷口と昼食を取っていた。  
またあとで会おう、などと言っていた男は結局それから姿を見せずじまいだ。  
「むしろお前のほうが災難なんじゃないのか?」  
「なんのこった」  
俺の切り返しに、谷口がそらっとぼける。国木田が口をもぐもぐさせながら、  
「涼宮さんと付き合ってたんでしょ?」  
「なんのこった」  
「谷口、目が泳いでるぞ」  
指摘に谷口はあっさり諦め、両手を上げた。  
「仕方ないだろ、涼宮はかわいかったんだから」  
それに関しては、俺も異存は無い。おふくろの作ったこの卵焼きの美味さと同じぐらいにな。  
 
「で、どれだけ持ったの? 五分?」  
ブロッコリーを口に放り込みつつ、国木田が痛いところを突いてきた。  
谷口が心外だとばかりに、口を開く。  
「ちげーよ。俺はちゃんとコクって、ちゃんとデートして、」  
「ちゃんとフラれたと」  
国木田が絶妙なタイミングで合いの手を入れた。  
「……ま、そうだ。例の校庭落書き事件の前日にコクって週末にフラれたから、四日ぐらいか」  
谷口がなにげなく言った内容に、俺は危うく口の中の物を噴き出しそうになった。  
なんつう偶然だ。いや、必然か?  
「落書きを手伝うように言われなかったの?」  
「なかった。涼宮が勝手にやって終わりだ」  
国木田に返答した谷口は、何かに思い当たったらしく、  
「そういや落書き事件の翌日か、『あんた北高に知り合いいる?』だかなんだか聞いてきたな」  
「へえ。その頃から北高に興味あったんだ、涼宮さん」  
「かもな。俺にはあいつの考えてることなんかわからん」  
そう言って、弁当に箸を伸ばす。唐揚げを口に運ぶと、谷口は俺を見てきた。にやりと笑う。  
「キョン、涼宮を大切にしてやれよ」  
「……なんのこった」  
次にとぼけるのは俺の番のようだった。  
 
「ハルヒ、あいつとあれから遭遇したか?」  
放課後、部室に向かう途中、俺は横を歩いているハルヒに話をふった。  
「あの二年の男? してないわね。学食でも会わなかったわよ」  
『知らないわよバカ』とでも返ってくるんじゃないかと思ったが、案外素直に答えてくれた。  
それにしても、やはり先輩だったか。三年かとも思っていたが、二年とはね。  
ハルヒは正面を向いてすたすた歩きながら、  
「陳腐な口説き文句なら飽き飽きしてるから無視するけど、ああいうのはやりにくいのよね」  
弱音とも取れる言葉を吐いた。珍しいな。  
つられて俺はつい、心にも無いことを言ってしまった。  
「お前のお望み通りの変人じゃないか。あの先輩みたいな人材を探してたんじゃないのか?」  
「あたしはストーカーを募集した覚えは無いの」  
ストーカーとはひどい言われようだ。少しは先輩に同情したくなった。変人と言った俺も俺だが。  
 
「キョン」  
渡り廊下に出たところで、ハルヒが声をかけてきた。  
「なんだ?」  
「キョンにとってSOS団って、なんなの?」  
唐突な質問だな。なんなのかと言われても、そいつはちょいと複雑な問いだぞ。  
「いいから答えなさい」  
ハルヒは真剣な顔をしていた。  
「そうだな……」  
廊下を渡りながら、考える。ハルヒが巻き込む形で入団させられたSOS団だ。  
学校のある日は毎日参加しているが、今まで俺にとってなんなのか真面目に考えたことは無かったな。  
かと言って、俺が経験した内容をベースにしてそのままハルヒに伝えるわけにもいかん。  
「ひとことで言うと、高校生活を面白くしてくれる場所かな」  
階段を上りきったところで、俺はそう答えた。当たり障りのない答えだが、仕方ない。  
ハルヒの視点に立って考えたら、高校生五人が集まってわいわいがやがやしているだけだと思ったのでね。  
騒いでいるのも実質ハルヒだけだがな。ただの仲良しグループみたいだ、俺たち。  
「ふうん」  
気の抜けた返事をするハルヒ。もう部室は目の前だ、話はこれで終わりだろう。  
「じゃあさ」  
そう早合点した俺だったが、ハルヒは足を止めて続きを言ってきた。  
ニ、三歩ハルヒより先行した俺は、顔だけハルヒに向ける。ハルヒが口を開いた。  
「あたしはキョンにとって、なんなの?」  
 
お互いの動きが、はたと止まる。  
ハルヒは俺の一挙一動をも逃さないとばかりに、じっと睨みつけていた。  
その表情は間違っても『団長』や『クラスメイト』などという答えは求めていない様子だ。  
どう答えればいいんだ、おい。  
 
「あれ、涼宮さんにキョンくん。どうかしたんですか?」  
救いは階段を上がってやってきた。  
ハルヒの後ろから来たのは、制服姿の朝比奈さんだった。助かった。  
「いえ、なんでもありません」  
「あっ、こらキョン!」  
ハルヒが責め立てるように声を上げるが、ここはうやむやにするに限る。  
俺は朝比奈さんに笑いかけると、顔を正面に向ける。部室までものの数歩だった。  
朝比奈さんもここにおられることだし、ノックする必要はないだろう。  
そう判断した俺は、大股で部室の前まで歩くと、ノブに手を掛けて勢いよく扉を開け――  
ガンっ!  
中々景気のいい音がして、開きかけた扉が止まった。背筋が凍りつく。  
扉が途中で止まったのは、扉の前に障害物があるからであって、この場合の障害物ってのはつまり、  
「……」  
内側から力が加えられ扉が開き切ると、そこには長門が立っていた。鼻の頭とおでこが少し赤い。  
 
「な、長門、すまん!」  
「へいき」  
平謝りする俺に、長門は抑揚のない声でつぶやくと、片手で顔を覆い隠した。  
俺が壁になっていて、ハルヒと朝比奈さんからは長門の仕草は見えなかったに違いない。  
数秒後、長門が手をどけると、赤みは消え失せていた。相手が長門で不幸中の幸いだった。  
「それより」  
治療を終えた長門が半身をずらして、部室の中へ俺たちを誘う。  
「お客さま」  
「客?」  
聞き慣れない単語に中を一瞥すると、古泉の向かい側、いつもは俺が座っている椅子に誰かが座っていた。  
誰かとぼかす必要があるかどうかも疑わしいが、パイプ椅子に座っていたのは、  
「失礼させてもらっているよ」  
昨日ハルヒに告白し、今朝俺たちの教室に騒ぎを持ち込んだ二年の先輩だった。  
 
「どういうつもりなのよ」  
同じく中を覗いたハルヒが開口一番、不機嫌さを隠しもせず、先輩に詰め寄った。  
「誰の許可を得てここにいるの?」  
怒っているな。そりゃ自分の庭を荒らされでもすりゃ怒るか。八つ当たり気味なのは気のせいだろう。  
先輩は組んだ脚を組み替えると、手の平を上向けて対面に座っている古泉に向けた。  
「オレはちゃんと涼宮さんに用があると彼に告げてここにいる」  
古泉がうなずく。  
「涼宮さんのお知り合いのようでしたので通したのですが、いけませんでしたか?」  
「……古泉くんがそう判断したのなら、仕方ないわね」  
やけにあっさりと引き下がったハルヒは、先輩の横を素通りして、団長席にかばんを置いた。  
長門はいつの間にか指定席で読書をしており、朝比奈さんはお茶の用意を始めている。  
今日はメイド姿を拝めそうにないな、と思いつつ、俺は予備のパイプ椅子を手に取って  
先輩の横、長門と向かい合う位置を陣取り、パイプ椅子を広げた。  
 
「それで、なんの用なのかしら」  
ぞんざいにハルヒが言った。さっさと追い出したい気持ちを隠そうともしない。  
「オレがここに来る用事と言ったらひとつしかない」  
先輩は席を立って、渋い声でハルヒに宣言した。  
「涼宮さん、オレと付き合ってくれないか?」  
 
俺は朝の件があったため、いきなりの告白にも平然と構えることができた。  
昨日の今日で再び告白するこの先輩の頭の中身はどうなっているのか、少し案じてしまったほどだ。  
しかし他の団員はそうはいかなかったらしい。  
朝比奈さんは湯飲みを抱えたまま目をぱちぱちさせて、聞こえた内容の意味が把握できていない様子だった。  
古泉も軽く驚きの色を混ぜた笑みで先輩を見上げている。  
そして長門は、本から顔を上げて俺をじっと見ていた。俺を見ても何も出てこないぞ、長門。  
 
ハルヒも度を過ぎる常識外れに、眉をひそめた。  
「あんた、もしかして罰ゲームか何かで告白を強要させられてるんじゃないでしょうね」  
「失礼な」  
先輩がハルヒを咎めたてるように非難の声を上げる。  
「オレの気持ちを罰ゲームだのなんだのと、茶化してもらいたいくない」  
さっきのハルヒ以上の真剣さで、先輩が言葉を続けた。  
「オレは涼宮さんのことが本当に好きなんだ」  
 
ハルヒを好きなのはいいとして、この脈絡のなさはなんなんだ。  
正攻法で行くと相手にされないゆえの変化球なのかもしれないが、ただの暴投にも思える。  
すべてハルヒの関心を引くための策略だとすると、この先輩は紙一重の存在だ。  
 
「あたしはあんたなんかこれっぽっちも好きじゃないの、分かる?」  
ハルヒが親指と人差し指の間隔をミリ単位にして、にべもなく断る。  
「涼宮さん、君が中学校時代に付き合っていた人は、全員好きな人だったのかい?」  
「……違うに決まってるじゃない」  
未だに硬直している朝比奈さんを互いの視界に入れながら、先輩とハルヒが応酬を交わす。  
「正直に言おう。オレは昨日告白したとき、断られるとは思ってもいなかった。中学校時代からの類推でね」  
先輩の言葉には理に基づいた重さが感じられた。  
「断られるにしても、付き合ってからの話だと思ってたんだ。それなら自分が足りなかったと納得もいく」  
ま、そう思っても不思議じゃないよな。何せ、断ることをしてこなかったんだから。  
先輩は姿勢をずらし斜に構えると、ハルヒを見据えた。  
「涼宮さん、なぜ君は変わってしまったんだ? 理由を聞かせてもらえるかな」  
 
場が沈黙を占めた。ふくれっ面で黙り込むハルヒに微動だにしない先輩。  
目を瞬かせる朝比奈さんに無害な笑みの古泉。俺を見つめたままの長門、そして俺。  
ふと、俺はこの場にいないほうがいいのではないかと思った。特に意味はない。  
ただなんとなくそう思っただけだ。そうだとも。  
 
そうして続いた沈黙を破ったのは、ハルヒではなかった。いや、きっかけはハルヒだったのであるが。  
ハルヒはふくれっ面のまま、視線を先輩からずらして別の空間に送った。かと思うとそっぽを向く。  
ハルヒの行動にうるさい古泉が見逃すはずはなく、ハルヒがそっぽを向く前に見た場所に視線をやる。  
遅れて朝比奈さんも、古泉に続いた。長門は最初から動かす必要がない。  
最後に先輩が、ゆっくりと振り向いた。怜悧さも漂う端正な顔立ちがあらわになる。  
ハルヒ以外の全員の視線が、俺に集中していた。  
 
「なるほど」  
何が分かったのか定かではないが、先輩はぽつりとつぶやいた。  
「なるほど」  
自問するようにもう一度つぶやく。  
いたたまれなくなって、俺が何か話しかけようと口を開きかけたそのとき、  
「理解した。いや、初めから分かってはいたことだが、確信を持てた」  
先輩が俺に向かって声を発した。内容は俺の想像の範疇外である。そもそも俺に言っているのかも怪しい。  
次いで先輩は振り返ってそっぽを向いたままのハルヒを見ると、朝比奈さん、古泉、長門と順繰りに視線を送る。  
最後に俺を再び見て、さっき谷口が浮かべたような笑みを見せてきた。  
「また会うこともあるだろう。先輩としての忠告だ。お互いもう少し素直になるんだな」  
「ちょっと!」  
ハルヒの制止にも振り返らず、先輩は颯爽と部室を出て行った。  
 
「……なんだったんだ?」  
先輩が去っていった扉を見ながら、俺は正直な気持ちを吐いた。  
漢字一文字で挙げれば、風だ。鳥でもいい。あっという間の出来事だった。  
 
「今のって告白ですよね、きゃっ」  
振り返ると、今更気付いたらしく朝比奈さんが頬に湯飲みを当てて顔を左右に振っていた。  
どうでもいいですけど、その頬に当ててる湯飲み俺のです。  
「みくるちゃん、お茶!」  
ハルヒがぶっきらぼうに告げると、どっかりと団長席に着いた。  
「あっ、ごめんなさい、今すぐ」  
朝比奈さんが慌てて、ポットに駆け寄った。急須にお湯を入れだす。  
パソコンの電源に手を伸ばしたハルヒは、頬が少し赤かったような気がするが、気のせいに違いない。  
長門は何事もなかったかのように読書に戻り、古泉はかばんから何か箱状のものを取り出すところだった。  
ゲームだろうと目測をつけ、俺はさっきまで先輩が腰掛けていたパイプ椅子に移動する。  
初っ端にインシデントがあったものの、SOS団の日常が始まった。  
 
 
そして今日も長門の本を閉じる音で、一日が終わった。  
三々五々に片付けを始める中、いつものようにハルヒがかばんを提げて席を立つ。  
そのまま帰るものだとてっきり思っていたのであるが、  
「キョン」  
ハルヒが俺に声をかけてきた。  
「いっしょに帰りなさい」  
各人の片付けをする音がはたりと止まる。真意を探るような古泉と朝比奈さんの目がハルヒに集まった。  
長門だけ俺を見ているのはどういう意味合いなのか、問い詰めたいところではある。  
その俺はと言うと、ハルヒが何をする気か心当たりがあったため、必死で頭を働かせていた。  
たぶんあれだ、部室に入る前に俺がうやむやにした質問、あれの答えを聞くつもりだ。  
俺に答える気などない、少なくとも今のところは。  
「わかった」  
だから俺はこう付け加えたのさ。  
「昨日は先輩だから良かったが、変質者だったら目も当てられないしな。ついでだからみんなで帰るか」  
「えっ?」  
ハルヒが虚を突かれた隙に、俺は動きを止めていた三人にアイコンタクトを送った。  
 
「そ、そうですね。今日はメイド服も着てないですし、みんなで帰りたいなあ」  
真っ先に朝比奈さんが同調してくれた。さっきといい、助かります。  
長門は何も言わず、ハルヒに向けて首を小さく縦に振った。  
最後に古泉が安っぽい苦笑を浮かべて、  
「安全のためにも、団員の親睦を深めるためにも、全員で帰るべきでしょう」  
とってつけたような意見を述べた。  
どこか残念そうな響きにも聞こえたが、それは考えないことにする。  
 
立ち直ったハルヒは俺を睨んでいたが、ふっ、と力を抜いた。  
「わかったわ。みんなで帰りましょ。団員の親睦を深めるのも大事よね」  
決断すれば早いもので、  
「さっさと片付けなさい。すぐに出るわよ。遅れただけ日が沈んでいくんだから」  
ハルヒは俺たちを急かしだした。ゲームは古泉に任せ、俺は朝比奈さんの手伝いに回る。  
急須を洗いに行った朝比奈さんの代わりに湯飲みを並べていると、  
「キョン」  
ハルヒが耳打ちしてきた。  
「これで誤魔化せたと思わないことね」  
「なんのこった」  
平静を装って湯飲みを並べて置く作業を続ける俺に、ハルヒが宣告した。  
「いつか答えは聞かせてもらうわよ」  
そう言って、ハルヒは身を翻した。  
そのいつかがずっと先になってくれることを願いつつ、俺は湯飲みを片付けながら  
どうやってこの集団下校を足がかりにして団員での集団下校を定例化しようか、考えていた。  
 
 
余談ではあるが、後日、俺は古泉をとっちめてやった。なぜだって?  
ったく、大した役者だぜ、あの伊達メガネの先輩はよ。  
 
(おわり)  
 

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