珍しく部室に一番乗りしたのは俺だった。ハルヒや朝比奈さん、古泉どころか風景の如く常に  
そこにいる長門さえいない。  
 今は静かだが、どうせすぐに騒がしくなるだろう。そう思いながら、鞄を置いた瞬間にそれは  
聞こえて来た。  
「ふふふっ……」  
 本気で血の気が引いた。この声を忘れるわけがない。俺はこいつに二度も殺されかけたのだ。  
椅子に座るのを中断し、血眼で周囲を見回すが誰も見当たらない。  
「……いるのか?」  
「そうよ、気のせいじゃないわ、キョンくん」  
 楽しそうな声が部室に響く。間違いない。朝倉涼子。長門のバックアップとして存在していた  
インターフェース。何をとち狂ったか、俺を殺そうとし、長門が作り変えた世界でも俺を刺した  
あの女だ。  
「どういう事だ。お前はあの時……」  
 そう、俺はあの時確かに見た。長門によって塵と消えた朝倉の姿を。  
「あんまり甘く見ないで欲しいわね、キョンくん。長門さんに情報連結を解除される寸前に、私  
を構成する情報の破片をあちこちに飛ばしたのよ。一つ一つは微細なものだったから、長門さん  
でも追いきれない。ま、再構成するのに随分時間はかかっちゃったけどね」  
 楽しげに言葉を続ける朝倉。俺は強く唇を噛んだ。今の俺はライオンの眼前に間抜けにも飛び  
こんだウサギも同然だ。しかも、どこにいるかも解らない。声は確かにするのに姿はどこにもない  
のだ。  
「念のために訊いておくが何の用だ?」  
「あの時の続きに決まってるじゃない。あなたを殺して涼宮ハルヒの出方を見る」  
 くそ、やっぱりそれかよ。俺はじりじりと下がる。あの時みたいにドアそのものがなくなるかも  
しれないが、何もしないよりマシだ。  
「じゃ、死んで」  
 その時、黒い影が俺の視界に飛び込んで来た。  
 
「うおっ!?」  
 俺は顔のあたりに飛び掛って来たそれを反射的にはたき落とした。  
 べちゃっ  
「いったーいっ!」  
 ……へ? 俺はつい今しがた床に叩き落したものをマジマジと見た。  
 体長15センチほどの、やけに頭が大きく手足の短い、平たく言うとSD化した朝倉。よたよたと  
起き上がると、シャーペンみたいなちんまいナイフを振り上げてふふふと笑う。  
「やるわね、キョンくん。でも、これで終わりよ」  
 いや、朝倉。シリアスな顔してるとこ悪いけど、っていうか、人形みたいにやけに目鼻口が大きい  
んで迫力も何もないぞ。  
「えいっ、えいっ!」  
「いてっ!いててっ!」  
 朝倉のナイフがちくちくと俺の脚を刺して来る。ハルヒのシャーペン攻撃とほぼ同等の威力に悲鳴  
を上げて逃げ惑う俺。  
「やめれやめれ!」  
「おとなしく観念しなさい、キョンくん!」  
 緊張感にかける殺し屋から俺が逃げてると、ドアががらりと開いた。おお、長門。これは一体  
どうなってるんだ!?  
「予想通り」  
 無表情に呟く長門。そのままかがみ込んで、ひょいと朝倉の襟首を掴んで持ち上げる。  
「あ、こら、やめなさい、長門さん!」  
 手足をじたばたとさせる朝倉。危ないからナイフは取り上げておこう。  
「朝倉涼子の情報再構成には今朝方気づいた。ただし、危険性は極小。彼女の飛び散らせた程度の  
情報量では完全な再構成は不可能。今の彼女は自分の体と衣服を構成する程度の情報量しか持ち  
合わせていない」  
「じゃ、前みたいな非常識な事は出来ないわけか?」  
 それで俺をまた殺そうとするとは大した執念と言うか、現実を把握出来ていないというか。いや、  
一度思い込んだ事をそう簡単に修正出来ないのかもしれない。朝倉は長門と違って、明るく面倒見  
のいい委員長だったが、それは朝倉がそういうものとして構成されていたからだ。たとえ表面は無  
表情でも、今や情緒的な面では長門の方がよっぽど発達しているのかもしれない。  
「しかし、人形にしか見えんな、こりゃ」  
 俺は長門がつまみあげてる朝倉をつんつんとつついた。こうして触ると感触も生物というより  
人形に近い。  
「やんっ、おっぱい触らないでよ!」  
「す、すまん!」  
 膨らみなんて殆どないじゃねーか。多少理不尽なものを感じながら謝る俺。  
 と、その時ドアが勢いよく開いた。ぎょっとして振り返ると、そこにいたのはこういう時に一番  
現れて欲しくない奴。  
「ごっめーん、遅くなって……って、何よ、それ?」  
 ハルヒは長門が摘み上げてる朝倉を目ざとく見つけて、そう訊ねた。  
 
 ハルヒは長門が手にしたミニ朝倉を目にすると、つかつかと無遠慮に歩み寄り、無造作に取り上げ  
た。お前、そうする前に人に許可を求めようとか思わないのか?  
「何この人形?何で有希が持ってんの?……ひょっとしてキョンのプレゼント?」  
 妙に険のある目で俺を見るハルヒ。何だ、その目は?俺が何をした?朝倉も人形のふりをする事を  
選択したのか、身動き一つしない。  
「いや、それはその、な。ゲーセンの景品だよ。妹の土産にと思って」  
 咄嗟にデタラメを並べる俺。なかなかいい線いってる言い訳だと思うが、ハルヒはまだ胡乱な目で  
朝倉を見ている。  
「ふーん……でもこんなキャラ見た事ないわね。それにこれ、北高の制服に似てない?」  
「……偶然だろ、よくある制服だし」  
「かもしれないけど、なんかどっかで見た事あるような顔よね、これ」  
 しげしげと朝倉を至近距離で見つめるハルヒ。さんざん眺め回した後、口を開く。  
「これ、何て名前のキャラなの?」  
「あさく……じゃなくて、あー、あ、サクラ?」  
「何よ、その疑問形は?どっちにしても知らないけどね、そんなキャラ」  
 そう言うと、いきなり朝倉の頭と胴を掴んでねじり出すハルヒ。首が取れるだろ、首がっ!  
「な、何よ、そんなに焦らなくてもいいじゃない。このぐらいで壊れたりしないわよ」  
 面食らうハルヒ。お前は知らないし、知って欲しくもないが、ナマモノなんだよ、そいつは!  
 ぺたぺたと朝倉を触っていたハルヒだが、何かに気づいたのか急に素っ頓狂な声を上げた。  
「あれ、これ制服と体が別々になってるじゃない!脱がせられるみたい。よく出来てるわねー」  
 待て、お前、何をするつもりだ。止める間もなく、朝倉の制服に手をかけて脱がせ出すハルヒ。  
拷問の次は羞恥プレイとは、お前は何か朝倉に恨みでもあるのか?  
「へっへっへっ、口で嫌がってても体は正直だぜ」  
 お前はどこのエロ親父だ。たちまち朝倉の制服を引っ剥がすハルヒ。心なしか朝倉の顔も赤い。  
さっき首を捻られたせいかもしれんが。  
「うわっ、下着までつけてるわよ、この人形!殆ど凹凸のない体型のくせに生意気ねー」  
 俺は見た。そう言われた瞬間、朝倉の額に漫画みたいな青筋が浮かぶのを。まあ、大きい頃は  
スタイル良かったからな、こいつ。そして、長門がなぜか心なしか勝ち誇ったような視線で朝倉  
の胸を見下ろしている。  
 ぐにぐにと朝倉の体のあちこちをまさぐるハルヒ。うーん、昔の朝倉ならともかく今のサイズ  
ではちっとも興奮しないな。と、その時、ハルヒの手が上から下に移動していく。  
 やめろ、ハルヒ!そこから先はシークレットゾーンだ!  
「ひゃんっ!」  
 部室に急に響いた声に思わず手を止めるハルヒ。ぽかんとした顔で俺を見る。  
「……何、今の声?」  
 俺が答えに窮していると、長門がすっと手を挙げた。  
「私」  
「有希が!?何で!?」  
「何となく」  
「そ、そう……?」  
「そう」  
 問い詰めようがなくなったのか、その後しばらく朝倉を弄んでいたハルヒだが、やがて飽きたのか  
無造作に机の上に放り投げる。お前、もう少し丁寧に扱えよ。  
「それにしても、遅いわねーっ、みくるちゃんに古泉君。ちょっと捕獲して来るわ!」  
 そう言って部室を飛び出していくハルヒ。相変わらず騒がしい奴だ。  
「……おい、朝倉、生きてるか?」  
「ううっ、もうお嫁に行けないわ……」  
 机に体ごと突っ伏して、しくしくと泣く朝倉。行く気があったのか。その後、立ち上がり、ハルヒ  
がとっちらかして制服を短い手足で苦労しながら、えっちらおっちらと着込む。やれやれ。  
 俺は溜息をついて、長門に目を向けた。  
「これからどうする?」  
 
「彼女の情報連結を再度解除するのが、一番早くかつ安全」  
 長門が無表情に淡々と続ける。朝倉がぎょっとした顔で長門を振り仰ぐ。  
「いや、そう言ってもなぁ」  
 現状の朝倉は危険という言葉とは程遠い。言動が多少物騒だがネズミより安全だろう。  
「何よ、キョンくん。同情なら受け付けないわよ」  
 朝倉、だからそのサイズとデフォルメされた顔じゃ、怒っても迫力がないんだよ。  
「あなたの好きなようにするといい。私は彼女の処分について意見は持たない。主流派も急進派も  
今の彼女に重きは置いていない」  
 どうでもいいって事か。ほぼ完全に消滅させられた後に執念で甦ったってのに冷たいな。  
自分を殺そうとした相手にこんな事を思うのはバカみたいだが、俺は少し朝倉に同情した。本人は  
不本意だろうが。  
「妹の土産って事になってるから、今日のところは持って帰る。いずれ機会を見て、お前のところに  
連れて行くよ」  
「そうして」  
「ちょっと、私の意見は!?」  
 抗議の声を上げる朝倉の意見は、二対一で否決された。その後、朝比奈さんと古泉をとっ捕まえて  
戻って来たハルヒとの間で何やかんやあったのだが割愛しておく。  
 
「キョンくん、お帰りーっ!」  
 家について自室に戻り、朝倉入りの鞄を置いた俺の耳に、馴染みの声が飛び込んで来た。胸元に  
シャミセンを抱えた我が妹だ。  
「ねーねー、キョンくん、お土産はーっ?」  
「お土産?」  
「ハルにゃんが電話して来たのー。キョンくんがお土産持って帰るってー」  
 どうしてそんな事をわざわざ電話して伝えるんだ、あいつは!  
「ねーねーっ、お土産のお人形はーっ?」  
 しかも人形って事まで言ってやがる!俺は仕方なく鞄の中から朝倉を取り出した。帰る途中で  
ずっと狭いだの暗いだの汚いだの文句言ってうるさかった朝倉だが、今は静かに人形を装っている。  
「わーいっ、キョンくん、ありがとーっ!」  
 とても年齢二桁とは思えない喜び方をする我が妹。ちょっと将来が心配だよ。っていうか、足を  
持ってぶんぶん振り回すなよ!  
「シャミーっ、新しいお友達だよーっ」  
 妹は朝倉の顔を、シャミセンの顔に近づける。二度ほど舌でぺろぺろとやるシャミセン。猫の舌  
だと痛いだろうなぁ、などと思っていると、不意にシャミセンがかぷりと頭に噛み付いた。  
「…………ッ!」  
 ぴしっ、と朝倉の顔が凍りついた。何かを必死でこらえてるのがわかる。妹は暢気に「シャミーッ、  
仲良くしないと駄目だよーっ」などと言っているがそれどころじゃない。  
「あ、そうだ、待っててねーっ」  
 妹がそう言ってとたとたと部屋から出て行くと、俺は急いでシャミセンから朝倉を救出した。うわ、  
よだれでべとべとになってやがる。  
「いったあああいっ!」  
「大声出すな!」  
「だって痛いんだからしょうがないでしょ!」  
「俺だってお前に刺された時はなぁ」  
「何の事よ、それ?」  
 ああ、そうか、ここのお前は知らないんだな、それ。などとやってると妹が戻って来た。手には  
クレヨンの箱を握っている。  
「何だ、そりゃ?何する気だよ?」  
「その子にお化粧してあげるのー」  
 無邪気に笑う妹。助けてと目で訴える朝倉。すまん、お前が土産の人形という事になってる以上  
俺のしてやれる事は何一つないんだ。  
 その後、さんざんクレヨンで朝倉を蹂躙した妹が、「お風呂入れてあげるねーっ」と朝倉を拉致  
し、溺死寸前まで湯船につけたりと苦難は続いた。合掌。  
 
 
で、その後、このちっこい朝倉がどうなったかというと………  
 
「キョンくん、おせんべい取って」  
 自分の体ぐらいある湯飲みを抱えて、ちびちびとお茶を飲んでいた朝倉がそう言った。俺は半分  
にせんべいを割って差し出す。  
 それを受け取ると、朝倉は体全体で抱えるように持ち、ちみちみとかじり始める。  
 
ごらんのようにまだいるんだ、俺んちに。  
 
「私はキョンくんを殺すために来たの!そのためにはこうして身近にいるのが一番だわ!」などと  
朝倉は主張してるが、本当は単に居心地よくなっただけなんじゃないのか、他に行くあてもないし。  
 おまけに面倒見のよい性格として設定されていたせいか、俺が宿題などやっていると机の上にちょ  
こんと腰を下ろしてあれこれと注意してくる。正直ちょっとうっとうしいんだが……。  
「ほら、キョンくん、そこ計算ミスしてるわよ」  
 あーっ、はいはい。消しゴムかけると朝倉はそれでよろしいと頷く。つーか、殺すってどうやって  
殺す気かね?力がないからハサミも持てないし、自力じゃ俺のベッドにも上がれないくせに。口では  
物騒な事言いつつ、実行する可能性が限りなくゼロなんで俺もついつい長門のとこに連れて行くのが  
面倒になっちまうんだよな。  
 それと、俺が朝倉を連れて行けない理由はもう一つあって……  
「あーっ、サクラちゃん、ここにいたーっ」  
 俺が適当にでっちあげた朝倉の偽名を言いつつ、妹が入って来た。朝倉の顔が青ざめる。こいつが  
妙に朝倉の事を気に入っちまって、連れ出そうにも連れ出せない。朝倉が俺を殺すより、朝倉が妹に  
息の根止められるって可能性の方が高いよな、どう見ても。  
「サクラちゃん、何でいっつもいなくなっちゃうのかなー?不思議だねーっ、キョンくん」  
 ああ、不思議だ、不思議だ。決して命の危険を感じたそいつが脱走して来るわけじゃないだろうな、  
うん。時に妹よ、手に持ってるボロキレは何だ?  
「うんとねーっ、サクラちゃんの服を作ったから着替えさせてあげるんだーっ」  
「服!?」  
 それが服なのか?何だ、あさく……じゃなくてサクラは空襲で焼け出されて命からがら逃げ出して  
来たという設定なのか?  
「ぶーっ、キョンくんの意地悪。いいもん、サクラちゃんと遊ぶもん。おいでーっ、サクラちゃん」  
 ひょいと朝倉を掴む妹。「いやあああっ!」という朝倉の絶叫が聞こえて来そうだ。  
 俺はこめかみを指で押さえた。心配の種が一つ増えちまったなぁ。そして、いつもの台詞を呟いた。  
「やれやれ」  
 

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