ドアを閉めて一人になると、今までの喧騒が嘘みたいな静寂が訪れる。
はめ殺しの窓から外を見ると相変わらず吹雪いているのに、この部屋には振動の一つも伝わってこない。
まるで窓の外がテレビの向こう側みたい。
そんなことをふと思ったのもつかの間、
あたしは身体の要求するままに従ってベッドに飛び込んで
うつ伏せのままシーツに埋もれた。
フリーサイズのTシャツの裾がめくれあがってはしたない格好になるけど気にしない。
ついさっき麻雀して遊ぼうなんて言ってた割に気だるさを感じる。
「思ってるよりも疲れてるのかな。」
冷静に考えれば当然のような気もする。
コース上で普通にスキーして遊んでたのにワケも分からないまま遭難して、雪山を当てもなく彷徨ったんだから。
偶然見つけたこの館に避難して身の安全は確保できたけど館の主は不在だし、山荘で待っている鶴屋さんとも連絡が取れてない。
そんな緊急事態にもかかわらずあたしは焦りなんてちっとも感じない。
SOS団のみんなと一緒なら何だって何とかできる気がする。
なんてったって、みんな頼りになるあたしの部下達だかんね。
もしかしたらこれも古泉くんの仕込んだ推理ゲームの一環なのかも。
そんな楽観的な思考ができるくらいの余裕がある。
でも遭難してから時折見せる古泉くんの真剣な表情を思い出すと、やっぱりマジなんじゃないかなって思えてくるのよね。
さっきからこの思考のループの繰り返し。
いい加減考えるのも面倒で眠りの底へ滑り落ちる寸前のことだった。
「ハルヒ」
ドアの向こうでキョンの声がした。
眠気なんて一気に吹き飛んでベッドから飛び起きた。
慌てて乱れたTシャツの裾を直して、化粧台の鏡に向って髪を即行で整える。
ちょっと前までは男子の前だからって特別に気遣ったことなんてなかったけど、
コイツの前は変に意識してしまう。
「なによ。あたしもう寝ようと思ってたんだけどっ」
慌しく身だしなみの最終チェックをしながら、それを悟られないようにあえてぶっきらぼうに返す。
自分でもちょっとやりすぎたと思うくらいそっけない態度だったから、追い返しちゃうかもしれないなんてちょっと後悔した。
「すまん。ハルヒ、話があるんだ。入ってもいいか」
こんな時間に話って何よ?
事態の打開策に関する話?
それとも、怖くて一人でトイレに行けないとか馬鹿みたいなこと言い出すのかしら。
そうじゃなかったら……、個人的な相談?
時間にすれば5秒にも満たない間だったけど、
考えがまとまらない内にドアの向こう側のキョンは、こちらの返答を待たずドアを開けて部屋に進入しようとしてきた。
「ちょっ、女の子の部屋に無断で入ってくるなんて反則なんじゃないの? 公序良俗と風紀の乱れは許せないって、あたしさっきも言ったわよねっ」
大慌てでドアに取り付いてキョンの進入を阻む。
ドアを境にして押しくら饅頭をやる形になったけど、キョンはあまり力を入れてこない。あくまでも落ち着いた調子でドア越に話してきた。
「大事な話なんだ。二人きりで話がしたい。」
強引に開けようとするもんなら徹底抗戦してやるつもりだったけど、こんな風に言われると拍子抜けになる。力が抜けると、それに応えるようにキョンがドアを開いた。
対面したのはいつもの変わり映えのしないバカキョンに違いなかったけど、強烈な違和感があった。
「あんたどうして制服なんか着てんのよ?」
キョンはなぜか北高の制服をバッチリ着込んでた。食堂で解散するとき風呂上りのTシャツとパンツのラフな格好だったから、部屋に戻ってからわざわざ着替え直したことになる。
遭難先の館で制服姿であたしの部屋を訪れる意味が分からない。
完全に展開から取り残されてしまった私の横をすり抜けて、キョンはまるで自分の部屋のように我が物顔で部屋の奥まで進んで平然とベッドに腰掛けた。
なんでそこに座るのよ。椅子なら化粧台の前にあるじゃない。
「どうしたんだ? 突っ立ったままで。こっちに来て座れよ。落ち着いて話ができないだろ」
非難する暇もなくキョンは信じ難い台詞を続けた。
何よ。ツッコンでほしいからそんなカッコしてきたんじゃないの?
ツッコミは見事に無視されたし、シチュエーションばかりか会話のペースまでおかしくなってる。
今夜のキョンはちょっと変よ。さっきまではそんなことなかったのに。
「大事な話ってなんなのよ? あんたちょっと雰囲気がいつもの違うわよ?」
動揺を隠すように私は仁王立ちで腕を組んだままキョンを見下ろしたが、キョンはあくまでもあたしが座るまでは話をするつもりはないらしく、ベッドで自分の傍をポンポンと叩いた。
キョンのくせにこの余裕綽々な様子は何? 気にいらないったらありゃしない。
けどこのままじゃ埒が明かないから座るだけ座ってやることにした。キョンが指定した所よりもずっと遠くの場所に。
「で、大事な話って?」
妙な雰囲気に呑まれないように、睨む一歩手前の勢いで眉を吊り上げてまっすぐに視線を送ってやる。
いつものキョンならこれでちょっとは怯むんだけど、今夜のキョンはやはりおかしい。
自分でも刺々しいと分かる視線をやんわりと受け止めてドキッとするくらい穏やかな視線を返してくる。
こんな優しげな目でじっくり見つめられたことなんてあったかな……。
夢の中で変な怪物が学校で暴れまわったどさくさにまぎれてコイツに強引にキスされたとき、キス直前の顔がこんな表情してたような気もするけどあれは夢の中の話だもの。
「ああ、どうしても今伝えておきたいことがあってな。こんなときに言うことじゃないって自分でも分かってはいるんだが」
えらくもったいぶるじゃないの。
でも見慣れないキョンの表情を見てると私の勢いはどんどん削がれて、不覚にもついにあたしの方から視線を外してしまった。
そのちょっとした隙をついてキョンは更に信じられない奇行に走った。
手を伸ばしても届かない距離に座ったはずなのに、一体どんな技を使ったのか気配を殺していつの間にか距離を詰めてなんとあたしの髪に触れてきた。
「髪、まだ濡れてるぞ。ちゃんと乾かさないと。」
街に出るとこんな感じでベンチで座ってるバカップルがいちゃついているのがよく目に入ってくる。
髪なんて触られてもこそばゆくて気色悪いとしか想像できないあたしは、目を覚ませとばかりにバケツの水でもぶっかけてやりたくなるくらいで、自分がこんなことされることを考えたこともなかった。
っていうか、こんな状況下でなけりゃ問答無用でカウンターとって張り倒してやったのにっ。非常時に非常識なやり方で迫ってくる今夜のキョンは反則よ!反則っ!
「え? え?」
目を見開いたままひたすら視線が落ち着かないあたしは、さぞかし滑稽に写っていると思う。
キョンは私が固まって何もできないことにいいことに、調子にのってそのまま髪を撫でてきた。
男子に髪を撫でられる感触は想像していたのと随分違う、……悪くない。
しかも相手がキョンでこんな風に優しく撫でてくれるのならば、……気持ちいいかもしれない。
思わず目を細めてその心地よさに流されそうになるけど、あたしの中で生き残っていた一握りの理性が寸でのところで踏みとどまらせた。
よく考えなさいよ。そもそもキョンはこんなに露骨にやさしくないし、キザったらしいことを言ったりやったりするヤツじゃない。
馬鹿のくせに理屈っぽくて、額に皺を寄せながらも何かとあたしの無理に付き合ってくれる。そんな飾り気のないところが、……ちょっと良いヤツだったりするのよ。
そうよ、あたしはこんなキザキモ男は叩き潰してやりたいくらい嫌いなのっ。
逃げていた視線がなんとかキョンに戻った。柔と剛の視線の応酬が再開される。でも、今度は怯まない。危なっかしくはあるけど。
「キョン。あんた女の子の髪を触るってどういう意味があるか分かっててやってんの?」
「俺に触られるのは嫌か?」
キョンは一転してびっくりするくらい不安そうな表情になった。
今夜のキョンの行動はあたしが設定した予想の二段くらい上を飛び越えて行く。
「い、嫌じゃないけど。こういうことは、そのっ、気軽にやっていいことじゃなくて……。それより話! そうよ、あんた話をしにきたんでしょ?」
あたしは流れを切ろうとしたのに、キョンは待ってましたとばかりに乗じて一気に身を乗り出した。顔と顔の距離がみるみる内に10センチを切る。
このときあたしはなぜか目を瞑った。本来ならパンチの一発、二発と一緒に罵声が飛び出すのに。肩を竦めて目を瞑っただけ。
音もなく暖かく柔らかい感触が唇に灯る。
夢の中でキスされたときあっけにとられたまま間抜け面で目を見開いたままだった。
あれが悔しくて今度はちゃんと目を瞑って……、なんて心のどこかで準備していたから反射的にこんな行動をとったんじゃないかと自己分析すると恥ずかしくて堪ったもんじゃない。
キスの衝撃と気恥ずかしさのダブルパンチであたしの心臓は除夜の鐘も一分で突き終るようなペースで早鐘を打っていた。
キョンの唇は名残惜しいくらいにすぐに離れたけど、すぐに場所を耳元に移すといままでもったいつけていた言葉を滞りなく囁いた。
「ハルヒ。好きだ」
目を開けると優しいキョンの顔。
好きと言う言葉が鼓膜に染み渡ると同時に身体の芯に火がついたみたいに火照りだした。
これだけドキドキしてればきっと鼓動が伝わってるだろうし、顔なんて見せられないくらいに赤くなっちゃってるに違いない。
キョンはこんな表情しない、そもそも制服を着てるのがおかしいと言い張るあたしは完全になりを潜めてしまっていた。
「本気なの? でも、いきなりこんなことするなんてびっくりするじゃないのよ。」
「すまない。でも、おまえの可愛い顔を見てたら順序が逆になっちまった。おまえのことが好きだ。」
今度は好きと言ってからキスをしてきた。短く、毎回少しずつ位置を変えるついばむ様なキスに思考が奪われて頭の中に靄がかかる。
キョンは左手であたしの後頭部を守るように抱くと、ゆっくりと体重をかけて覆いかぶさってきた。
キスの雨を止めて今度は長く口付けると、舌を割り込ませようとしてきた。
「っ!?」
思わず身体が硬直して拒んでしまう。
「コラッ、エロキョン! 大人しくしてると思って調子乗りすぎ。って、きゃっ!」
何とか顔を逸らして押しのけることに成功したと思ったら、いつの間にかキョンの手のひらを滑り込ませてシャツの上から胸を触りだした。
ブラは付けてないからキョンの手のひらの感触がリアルに伝わってくる。
大きな手のひらでゆったりと触られるのは嫌……、じゃないんだけど、
なんていうかさっきから随分と女の子の扱いに慣れてるみたいで、ちょっと不安にもなる。
あたしの前じゃ朴念仁のフリして実は結構遊びなれてるってワケ?
今あたしにしてるような感じで他の子をたらしこんでると思うと、沸々と怒りが湧き上がってきた。
いや、キョンが女たらしだってあたしが勝手に決め付けてるんだけどさ。だけど、いくらなんでもこんな一方的なのってないんじゃないの?
「やっ……、嫌ッ!」
再びキョンの顔が近づいてきたけど、今度はベッドのスプリングの反動をつけて勢い良く押しのけた。
何とか間合いを作って、リアクションを待たずに思い切り左の頬をひっぱたくと、キョンは情けないくらいあっけなく後方に倒れこんだ。
そうよ。こうやって先手をとっていかないとあたしじゃないわ。
ようやく自由になった身体を見ると、Tシャツが捲くれ上がって下着が露になっていた。
信じられないことにキョンは同時進行で下からも手を入れようとしていたらしい。
こンの遊び人っ!
「あんたねっ! いくらなんでもいきなり過ぎよ。人の気持ちも考えないで、次々と……、その……。と、とにかくねっ、寛大なあたしでも怒るわよ!」
途中余計なことを思い出したせいでしどろもどろになっちゃったけど、ビシッと指差してなんとか体裁を整える。……ちょっと、いや、かなり強引な気もするけど。
それでも意外に効果はあったみたいで、キョンは尻餅をついたまま情けなくあとづさる。
「ご、誤解だ。ハルヒ、怒らないでくれ。うわぁあぁ!」
錯乱したようにキョンは立ち上がって転がるようにして部屋を飛び出て行った。
キョンのあまりの狼狽ぶりに今度はこっちが慌てて
「ちょっと!」
後を追って廊下に出ようとドアのノブを引くと、やけに大きな扉の音が聞こえた。
(本編合流)