図書館。静かな空気が流れていく。
いつもなら絶対読まないであろう、そこそこ長めの本のページを捲る。
穏やかな、初春の木漏れ日。
もう、春になるのか。と、らしくもない感慨にふける。
ふと、こつんと肩の辺りに心地よい重みが。
隣を見れば、可愛らしく頬を赤く染める人がいる。
恥ずかしそうに上目遣いで、こちらを見て……
「……ョンくーん! 朝だよーっ!!」
「ぐはぁっ!?」
……妹の乱暴な起こし方により、その夢は覚めた。
『Parallel can't be reality』
「おう、キョン。なんだぁ? 朝から機嫌悪いな」
登校途中の、嫌がらせとも言える長い坂で後ろから声をかけられた。
「わかってるなら、ほっといてくれ」
今の俺は、考え事でお前に構ってる暇はないんだよ。谷口。
「お前が考え事なんてなぁ。涼宮がまた無理でも言ったんだろ?」
残念ながらハズレだ。俺の頭を渦巻いているのは、今朝の夢のことだった。
何かがモヤモヤと引っかかる。
まったく、普通の夢であったと思ったんだが、何故こうも引っかかってるんだ?
別に何か変なところはなかったよな?
隣に誰かいたところまでは覚えているんだが……
「それとも、とうとう涼宮にでもコクる決心がついたか?」
「そんなわけあるか、アホ」
うるさい谷口を撒いて、俺は一足先に教室に向かう。
もうすぐ春になるというのに、まだまだ寒い。
中途半端に寒いよりは、いっそのこと寒さを感じないぐらいの極寒のがマシだろうに。
……いや、やっぱりやめておこう。あの雪山遭難は流石にもう嫌だからな。
とにかく、早く放課後にでもなってマイスイートエンジェル朝比奈さんの心身ともに温まるお茶を飲みたいものだ。
そうすれば、何故か引っかかる今日の夢のことも頭から離れるであろう。
だが、その考えは甘かったとすぐに知ることとなる。
頭の引っかかりがとれるばかりか、3倍増しぐらいで引っかかるぐらいにな。
まず後から考えれば、始めに違和感を感じたのは、ハルヒからだった。
「おはよう、キョン」
席に座るなり、満面の笑顔でこちらを見てくる。
この表情は、また何か企んでいるな……
頼むから、周りに迷惑をかけるような計画だけは立てないで貰いたい。
「今日ね、すっごい名案思いついたのよ! 宇宙人、異世界人、超能力者を見つけられるようなすっごいの!」
そうか、そうか、わかったからネクタイを離してくれないか。
「なによ、もっと喜びなさいよ。……まあいいわ。今日は絶対部室に来ること! 来なかったら死刑よ!」
はいはい。死刑にはなりたくないから、行きますとも。
どうせお前が言わなくても、行っているだろうしな。
「そう、それならいいわ」
ハルヒがネクタイを解放すると同時に、チャイムが鳴った。
席に着く。さて、一時間目は何だったっけな。
――俺がそんな呑気なことを考えている間にも、事態は進行していたなんてその時の俺が気付くわけ無かった。
何かが起こっているらしい。と気がついたのは放課後になってからだった。
いつものようにドアをノック。甘い朝比奈ボイスが返って……こなかった。
残念。まだ来てなかったようだ。
ドアを開け、中に入る。
「おや、今日はお早いですね」
いつものムカツクぐらい眩しいスマイルをこちらに向けてくる古泉。
窓辺では長門が本を読んでいた。いつもの光景である。
仕方がないので自分でお茶を入れた。うむ、不味いな。
だが少しばかりは体は温まっただろうか、というときになってハルヒがドアを壊さんばかりの勢いで入ってきた。
「ごっめーん! 遅くなっちゃって。さあ、全員いることだし会議始めるわよ!」
ちょっと待て、全員って。
朝比奈さんは、今日は休みなのか?
しかし、その問いにハルヒが出した答えは、信じられないものだった。
「朝比奈? 誰よ、それ」
訝しむような冷たい目線を、俺に送ってきた。
一瞬、目の前が真っ暗になった。
「い、いや、朝比奈さんだよ、ほら! メイド服を着て、SOS団の萌え要因の……」
「はあ!? ふざけてんの、キョン? そんな奴知らないわよ?」
そんなわけないだろ? だって現にあそこにメイド服が……!?
結論から言おう。掛かってなかった。
朝比奈さんのコスチュームは全て、無くなっていた。
嘘だろ? そんなまさか!?
助けを求めて長門の方を向く、その瞳は何も語ってこない。
古泉? お前は!? 頼りたくもないが、そうわがままも言ってられない。
古泉は少し、目を見開いていた気もしたが、いつもの笑顔でこういった。
「朝比奈さんですか……? 僕も存じませんね。夢でも見てたのではないでしょうか?」
足に衝撃が掛かった。
俺が膝をついたんだと気がついたのは、少したってからだった。
まさかだ……ありえん。
朝比奈さんの存在が、消えちまっただと……!?
その後のハルヒによる会議も、俺には上の空だった。
あまりにボーッとしているもんだから、流石にハルヒも心配になったらしい。
「あんた、調子悪いんじゃない? 帰ったら?」
哀れんだ目でそう言うので、お言葉に甘えて帰らせて貰うことにした。
もう、何かを考えられる余裕はないからな。
帰り道、自失呆然気味でチャリを押していると携帯が鳴った。
――長門有希。
画面を確認した俺は、すぐに電話に出た。
「もしもしっ!?」
「……いつもの公園に。なるべく早く来て」
簡潔な内容ではあったが、これほどまでに嬉しい知らせもなかった。
チャリにまたがり、全速力でペダルを漕ぐ。
途中、警察が喚いていた気もするが、不可抗力ということで許して貰いたい。
公園には長門だけでなく、古泉までいた。
「すみませんね。あの時は涼宮さんの方に味方しておかないと、おそらく拙かったでしょうから」
俺を見るなり、そう古泉は言った。
ってことは、お前……
「朝比奈みくるのことなら覚えています。とはいっても、長門さんのおかげみたいですけど」
長門を指さす。俺は長門へ向き直る。
……一体、何が起きているんだ? 長門。
「……消滅したのは朝比奈みくるだけでない」
淡々と、いつもの口調で長門は告げる。
「おそらく、未来人の存在全てが消滅したと考えられる」
「何だと?」
「今日午前5時30分頃、涼宮ハルヒが世界を改変した。おそらく無意識下だと思われる
わたしは、それに気がつき、あなたと古泉一樹の記憶を改変よりガードした」
……なんで、また、そんなことを?
「あなたは気がついているんじゃないですか? 今日の涼宮さんの言動に不審な点があったことを……」
今日? 今日のハルヒ……?
――今日ね、すっごい名案思いついたのよ! 宇宙人、異世界人、超能力者を見つけられるようなすっごいの!
……待て、いつもと何かが変わっている。
そして俺は、気付きたくない真実を悟ってしまった。
「……未来人が、いない」
「そういうことです。涼宮さんはすでに、未来人を信じなくなっていたのですよ。
その結果、ここに未来人は存在しない。つまり朝比奈みくるが消失したのです」
それにしても何故だ? ハルヒは何故、未来人を信じなくなった?
「原因は未だ不明。しかし、時間から推測するに、夢で何かが起きた可能性が高い」
夢……か、くそっ。夢ごときで朝比奈さんの存在が左右されちまうのかよ!?
「それは違う」
長門が俺を諭すように言う。
「涼宮ハルヒの思考パターンが、夢などで変更されるとは思えない。何物かの干渉、および操作の可能性がある」
「僕もそう思います。涼宮さんが夢ぐらいで、未来人を否定するなんて想像がつきません」
……そうか。そうだよな。
ハルヒが夢ぐらいで、こんなことをするなんて思えないよな。
にしても、誰だ? ハルヒに影響を加えている奴は……
「わからない。……しかし、このままだと、私も危ない。
よってあなたたちに記憶の改変に対する対抗プログラムを付加したい」
長門が見上げてくる。わかったよ、腕を出せば良いんだろ?
やれやれ。これでまた一つ、長門特性のナノマシンが増えちまうわけだ。
しかし、長門の噛み付きも懐かしいな。
もしかして、あの改変世界以来か?
犬歯が刺さるむず痒いような感触と、柔らかな唇の感触。
数秒ほどあって、長門が俺の腕から離れた。
「次はあなた」
古泉の方を向く。……何だか、古泉も長門に噛み付かれると思うと癪だ。
古泉が腕をまくり、長門の方へ差し出したその時だった。
「!?」
長門の目が見開く。どうした!?
「……ごめんなさい。間に合わなかった」
何があった。と、聞くまでもなく、何があったか解ってしまった。
古泉の足が、消えかけている。
「おやおや、どうやら超能力者も涼宮さんに拒絶されてしまったみたいですね」
笑顔で言っている場合か! 古泉!?
「僕なら大丈夫ですよ。超能力が無くなっても、僕自身は現実に残るでしょうし。
記憶は無くしてるかもしれませんが、あなたの手助けにはなれると思いますよ。
どちらにしろ、今回は僕の超能力があっても、意味をなさないでしょうしね」
そんな問題じゃない! と言ってやりたかったが、もうすでに古泉はそこから消えていた。
「……つい先ほど、何物かの涼宮ハルヒに対する干渉を確認した」
呆然とする俺の隣で、長門がつぶやいた。
「お前は、消えないでくれるよな? 俺の側にいてくれるよな?」
不安に駆られた俺は、思わず、長門に聞いていた。
しかし……
「残念。それは不可能」
長門が手を出す。――透けていた。
「っ!?」
「わたしの力を最大にして、改変を遅らせることしかできなかった。もう数分も持たないと推測される」
言ってる間にも、ゆっくりと指先から長門が光の粒となっていく。
「待ってくれ! 長門、頼む! 俺はどうすればいいんだ!?」
耐えきれず、長門を抱きしめる。
しかし、腕はスゥーッと長門を貫通した。
「……あなたに賭ける」
消えゆく長門は、俺に告げた。
「今回は私は何も出来ない。あなたの判断に全て任せる」
腕が消え、足が消えていく。
「待て、俺に任せるって? 何をすべきかなんて……」
「大丈夫。あなたなら、きっとあの人を……」
下半身が消え、上半身も……
「どういうことだ? 長門!? お前、何か知っているのか!?」
「犯人を特定、その人の名は……」
消えゆく口が、音の無い言葉を紡いだ。
一番、俺が知っている言葉のように思えた。
しかし、それを確認するすべもないまま、俺は意識を失った。
夢を見た。
図書館。静かな空気が流れていく。
いつもなら絶対読まないであろう、そこそこ長めの本のページを捲る。
穏やかな、初春の木漏れ日。
もう、春になるのか。と、らしくもない感慨にふける。
ふと、こつんと肩の辺りに心地よい重みが。
隣を見れば、可愛らしく頬を赤く染める人がいる。
恥ずかしそうに上目遣いで、こちらを見て……
――いや、違う。
その顔は、悲しそうなものへと変わった。
今にも泣き出しそうな、脆く弱いもの。
ふと、重なる。
イメージが、大量に俺に流れ込む。
誰だ?
誰だ?
誰だ?
濡れた子犬のような瞳で、俺を見つめているのは――――
「!?」
目を覚ました。
堅い床。見慣れた風景。
「ここは……部室か!?」
現状を確認しようと思い、ドアを開けようとしたが……
「なんだよ……これ……」
進めない。
窓の外を見る。不気味な灰色。
こんなところは、記憶に一つしかない。
そう、閉鎖空間だ。
しかし、あの時の閉鎖空間と違うのは、俺が一人でいること。
そして、神人がいないこと。
どうしろっていうんだ!?こんなところで……
その時、ドアが、開いた。
そこに立っていたのは……
「ハルヒ……」
「キョン、今からあたしのとっておきを見せてあげる!」
満面の笑みの、ハルヒだった。
「ちょっとハルヒ、お前、どうやってここに……」
「いいから、あんただけに見せてあげるわ。とても面白いことよ!」
ハルヒは油性マジックを取り出すなり、床に奇妙な模様を描き始めた。
嫌な予感がした。
俺の推測だが、このハルヒは宇宙人、および未来人、超能力者を信じていない。
しかし、残る一つはどうだろうか?
『異世界人』の存在は、こいつは否定しているだろうか?
「でーきたっ!」
俺が恐ろしい結論に至るのと同時に、ハルヒの模様――おそらく、魔法陣が出来上がった。
そしてこれは、異世界人を呼び寄せるためのもの。
その異世界人はきっと、今までハルヒを操ってた奴……
「待て! ハルヒ! 呼ぶなっ!!」
「異世界人よ! 現れなさいっ!!」
ハルヒが望んでしまったのは、俺が叫んだのとほぼ同時だった。
――……マジかよ。冗談じゃないぜ。
今回の全ての黒幕が、まさかお前だったとは……
なあ、どういうつもりだよ? 『俺』……っ!!
ハルヒが召還しちまった異世界人。それはまさしく俺だった。
目の前に立っている、もう一人の『俺』。
俺の数年後はこうなっているだろうと思えるような、成長した姿ではあったが。
「よぉ、キョン。そしてハルヒ」
もう一人の『俺』は笑顔で、手を挙げた。
「ジョン……やっぱ、あんたジョンだったのね!?」
笑顔のハルヒが、『俺』に抱きついた。
「どういうことだ……」
俺は『俺』に聞く。
「まあ、説明するから待ってろ。ハルヒがいたら、まじめな話もパーになっちまう」
「ちょっと、ジョン! それ、どういう意……味…………」
『俺』が手をかざすと、ハルヒは眠りに落ちてしまった。
「ハルヒに何をしたっ!?」
「そうカリカリするなって、こいつが聞いたらマズイだろ?」
あくまでにこやかな態度を崩そうとしない『俺』
「さて、まずどこから話そうか? 全部種明かししてやるから、静かに聞いとけ」
『俺』が話した内容はこうだった。
『俺』は、平行世界から来た。
どの世界かというと、お前の感覚からして去年の12月20日。つまり俺たちがある選択をした日の世界だ。
判るよな?俺。そう、お前はEnterキーを押したんだよな。
ここまでくれば、どういうことか判るだろう。
『俺』は、あそこで分岐したお前自身。つまりEnterキーを押さなかったお前なんだよ。
あの世界で『俺』は平和な高校生活を送っていた。
もちろん休日にはSOS団があって、ハルヒがいて、古泉がいて、朝比奈さんがいて……
そしていつも、『俺』の傍らには有希がいた。
俺は文芸部に入って、いつもあいつと一緒にいたんだ。
何故って?俺なら判るだろ?
とにかく、『俺』は自分の生活を楽しんでいたわけだ。
だけどな、『俺』の時間で1週間前、お前で言うと、3年も未来の話になるな。
……そんなに驚くなよ。平行世界だと時間の流れが違うんだ。
そういう『俺』も、最近知ったことだけどな。
『俺』は朝倉から告げられたんだ。『この世界が無くなる』ってな。
どういうことだか判らなかった。『俺』は、自分の世界が現実だと思っていた。
しかし、現実はお前の世界の方だ。『俺』の世界はパラレルでしかない。
そして『俺』の世界は、段々現実世界から離れていくに従って、存在率を低くさせていった。
現実から離れるほど、その世界は『あり得ない』ことになるからな。
『俺』は考えた。どうすれば『俺』や、世界が存続することが出来るか。
どうすれば、有希とこれから先も過ごしていけるのか。
馬鹿な脳みそフル回転させて気付いた答えがこれだ。
――現実世界が無くなれば、こちら側の存在率は高くなるんじゃないかってな。
そこで朝倉に協力して貰って、ハルヒの夢に忍び込んだ。
ジョン・スミスだって言ったら、簡単に心を開いて貰えたさ。
そこからハルヒをうまく説得し、たまに催眠術を交えて、まず未来人を消した。
時空の流れを乱されると、やっかいなんでな。
次に、超能力者。ハルヒの異常を感知されたら、困る。
そして宇宙人だ。
一番やっかいそうに思えるが、長門はこちらに干渉できないだろうって俺は思った。
なぜなら、『俺』の世界はもともとは長門が望んだ世界。
心の奥に無意識にあるこの世界を、長門は潰すことが出来るほど器用じゃない。
……俺、わかるか?
ハルヒがこの世界を壊したくなるぐらい退屈にするための、最後の行動をさ。
それはな……
「お前が消えることだよ、俺」
言い終わるかどうかというタイミングで、『俺』は刃物を振りかざしてきた。
ちょっと待て、見覚えあるぞ、そのナイフ!
『俺』までもが、それを使うのか!?
「ああ。朝倉がどうしてもこの型を使えって言うもんだからな」
それは判った。しかしだな、何故俺を殺そうとする?
「だから、お前が死ねば、絶対ハルヒは世界を改変するんだよ。
そしたらそれに紛れて、『俺』の世界の存在率を高めて現実にするってわけだ」
だからって、何も殺すことはないだろう!
危ないから振り回すな、追いかけてくるな!
「お前が死んでいるところを見れば、ハルヒは絶望に落ちる。そしたら確実に改変するだろう?
『俺』にしては、よく頭が回った方だと思ったんだがな」
それに……と、『俺』が一旦言葉を句切る。
次に見た表情は、俺の知らない、『俺』だった。
「『俺』はお前を許す気がない。有希の気持ちに気がついてた癖に、ハルヒなんかを選びやがったお前をな……」
ハルヒ? 俺が、ハルヒを選んだ? どういう意味だ?
「お前はこの世界を選んだ。有希を捨ててだ。可愛いあいつに寂しい想いをさせて、こちらを躊躇いなく選んだ。
俺の気が知れないよ。やれやれだ。だからな、これは有希の気持ちを裏切った俺への罰だ」
危ない。と悟ったときには、すでに右腕を軽く切られていた。
「やっぱり、『俺』じゃお前は殺せないか。仕方ないな」
笑顔を浮かべた『俺』は、ハルヒの元へと向かう。
そしてなにやらつぶやいたかと思うと……ハルヒが目を開けた。
だが、目がおかしい。虚ろで、生気がない。
「キョン、さよならだ。ハルヒがお前なんていないと願えば、それで終わりだ」
くそ……催眠術かっ!?
長門もいない、古泉もいない、朝比奈さんもいない、そしてハルヒは……敵。
俺が、凡人の俺が敵うはずなんて無い。
最後の望みをかけて、俺は名を呼ぶ。
「ハルヒっ!!」
しかし、まったくハルヒは応えてくれなかった。
「残念だったな。まあ、諦めてくれ。俺という存在は残るから安心しろ」
……嘘だろ?
俺、こんなところで終わっちまうのか?
しかも、最後の最後はハルヒに存在を拒絶されてだぞ?
……あり得ねぇ。こんな人生の終わりなんて、認めたくない。
誰でもいい。助けてくれ……
俺は、まだここにいたいんだ。
俺はSOS団で、まだやりたいことがあるんだよ……
だから……
「ハルヒ!望めっ!」
「助けてくれっ! 長門っ!!」
――情けないな。俺。
最後の最後まで、長門に頼っちまった。
……しかも、一般人の長門にまで助けられるとは、俺、情けないな。
「長門……?いや、お前は、有希か……!?」
『俺』が困惑して見つめる先、『俺』に抱きついた長門。
それに驚いて手を離したのか、ハルヒは床に転がっている。
そして俺は、まだ、ここにいる。
「……やめて。お願い」
長門は……『あの世界』の長門は、小さく、掠れた声で言った。
「有希、だけど……」
「いい。やめて」
震えた声は、思わず抱きしめたくなるほどに、弱々しかった。
その濡れた瞳を見て、俺は頭の中で何かを結んだ。
――そうか、あの夢は、長門だったんだ。
目の前でうなだれる『俺』。そこに歩み寄る長門。
「懐かしい……あなたは、こっちを選んだ、あなた?」
頷く。小さく笑い、長門は続ける。
「わたしは偽物。消えるのは仕方がないこと。だから、いい」
……長門、お前。
長門は、笑ったまま、泣いていた。
「有希っ! そんなこというな。お前だって本物の長門有希だ」
『俺』が叫んでいる。だけど長門はかぶりを振った。
「いい。私たちが消えるのは、そっちの言葉で言えば規定事項」
そう言うと、『俺』の手を取って、長門は言った。
「帰ろう。私たちの世界に。最後まであなたといられれば、わたしは幸せだから」
『俺』は悲しげな笑顔を浮かべたまま、その言葉に頷いた。
『俺』と長門の足下が光る。
「……お別れだ。俺。……悪かったな。じきに元通りに戻るから」
「ちょっと……待てよっ!」
俺は何かを『俺』に伝えようとする。だけど上手く言葉に出来ない。
何かを伝えたくて、でも伝える言葉が見つからない。
長門に言わせれば「情報の伝達に齟齬が発生するかもしれない」というところだろうか。
俺がどう言おうか迷っていると……
「……あなたは、この世界のわたしを大切にしてあげてほしい。涼宮さんとかのこともあると思う。だから、出来るだけでいい。
わたしは、『わたし』から生まれた。わたしの気持ちは『わたし』と一緒だから」
キラリと、指が光る。
さよなら、と唇が紡いで、二人は元の世界へと帰って行った。
後に残るものは何もない。あいつらがいた形跡なんて、微塵も残っていなかった。
部室に残っているのは、俺とハルヒだけ。
……それを確認した直後、色々あって疲れた俺は、すぐに意識を手放した。
次の日、ハルヒも世界も元通りになっていた。
俺は今、窓の外を眺めて、あの二人のことを考えている。
授業なんて上の空だ。もう2年生になるのにいいのかね?
あいつらに伝えようとして、伝えられなかったこと。
俺は、あの長門を捨てて、こっちに帰って来たワケじゃない。
俺は、こっちの長門が、あの長門と同じになることを願ってたんだ。
俺の頭じゃ上手く説明できないが、あの長門は、長門の夢みたいなもんだ。
なりたいと思った自分。それがあの長門なんだろう。
だったら、夢の長門に付き合うより、こっちの長門を夢に近づけるために手伝うのが俺の役割ってもんだ。
それと、『俺』は俺が躊躇いなくこの世界を選んだと言ったが、それも違う。
俺だって、あの世界に、あの長門に未練ぐらいあったさ。
でないと、『俺』の存在が無くなっちまうだろ?
あの二人が幸せになれたのかは、俺は一生判らない。
あっちの世界があと何年持つかも、俺には計算できるはずがない。
ならば、あいつらが幸せに過ごすはずだった時間の分だけ、俺たちは幸せに過ごさないとダメだろう。
まあ、まずはとりあえず……
戻ってきた長門に、あっちの長門が指につけてたものは婚約指輪かどうか聞いておく必要がありそうだ。
(終わり)