思い出す。一年以上前。  
俺はストーブを取りに二駅離れた商店街の電気店まで行って、  
帰りに雨が降ってきたんだったな。  
 
部室に帰るとお前だけがいて、俺はストーブをつけて暖を取った。  
すぐに眠ってしまって、たぶん、その後でお前はカーディガンをかけてくれた。  
 
その三週間後に起きた大事件を、俺はいつまでも忘れないし、  
あの幻の世界でのお前のことだって忘れない。  
 
忘れない。  
 
今も寒い、あの時よりもずっと。  
俺は白く息を吐く。水色のマフラーを少しきつめに巻きなおして。  
 
ここに長門有希はいない。  
もう帰ってこない。  
 
朝比奈さんがいつか未来に帰ってしまうのは分かっていたけど、  
お前の方が先だなんて、予想もしてなかった。  
 
何となくだけどな、お前は普通の女の子になって、  
ずっと俺たちの近くにいてくれる気がしていたんだ。  
 
いや。半分は叶ったんだな。  
お前はもう俺にとって人間でしかなかったから。  
別に俺だけがそう思っているわけじゃないはずだぜ。  
 
けれど、残りの半分はもう叶わないんだ。  
それは、どんなことをしても出来ない。  
…こんな言い方はしたくないが、これも既定事項だったのか?  
 
この数日を思い出す。  
ひらり。と何かが俺の鼻先に乗る。  
確かめるよりずっと早く、それは溶けてなくなってしまった。  
 
雪。  
 
 
 
十一月。  
今年も文化祭は大盛況に終わった。それは去年の比じゃないくらいだったさ。  
俺たちはハルヒの号令のもと、ダンスを取り入れたバンド演奏、という  
前衛的かつ革新的なことをやってのけ、『朝比奈ミクルの冒険 episode00』に続く第二弾、  
『長門ユキの逆襲 episode00』も殺人的スケジュールをぬって完成を見た。  
「去年の作品に負けないだけじゃダメなの。それを塗り替えて伝説に残る  
 くらいじゃないとSOS団の活動としては失格ね」  
とハルヒは言い、事実その通りになったと思う。  
俺の職業は学生だったはずなのだが、このときばかりはミュージシャンかタレントか、  
はたまたADのどれかを名乗っていてもあながち間違いじゃなかっただろう。  
相変わらず映画にはプロットというものがなかったし、  
行き当たりばったりで撮影は進行したのだが、それでいて去年よりずっと  
完成度が高くなったのはなぜだ?ハルヒ的変態パワーで片付けていいものかね…。  
そしてバンド演奏。俺はベース担当だったが、願わくば金輪際やりたくないことのひとつである。  
防音壁である長門宅(もちろん壁は情報操作によるたまものだろう…)に連日押しかけて、  
深夜までセッション。昼間の撮影で疲れているのもお構いなしだ。  
まぁ確かに、やりがいは満点をつけられるし、はっきり言えば最高に楽しかった。  
だが疲労度は軽々と臨界点を突破してくれた…勘弁してくれ。  
ハルヒよ、高校生活も半分を過ぎたことだし、そろそろパワーセーブのしかたを  
覚えてもいいんじゃないか?  
ハルヒパワーか。確かにすごいぜ。衰える気配がない。  
だがある角度から見ると、確実に力は減っているのだと言う。  
今年もクラスと部活で役者を演じ、さらにはバンドでドラムまでやって  
俺に同じく満身創痍の超能力者、古泉一樹はこう言った。  
「今や涼宮さんの力はもうほとんどが失われてしまいました。  
 事実、閉鎖空間はこの三ヵ月に渡って全く発生していません。  
 そうでなければ、僕が今ここでこうしていることなんてなかったでしょうね。  
 とっくに倒れて、今頃病院のベッドかもしれませんよ」  
「このまま無くなるのか?」  
「えぇ、おそらくは。そうなれば僕の能力も消えるはずですし、  
 『機関』も必要がなくなります。解散…するかどうかは、まだ分かりませんが」  
敵。と言い切ってしまえば簡単だが、対立する共闘勢力との抗争は、春から夏にかけて  
激しく火花を散らし、残暑の季節にはようやくもっての決着を見た。  
そこで俺はかつてないほどに神経をすり減らし、またこの部室の誰よりも  
多くの働きをしたと言っても過言ではないのだが、まぁ長々と言うまい。  
ハルヒが自分の力にあの時気付いたのかどうか、それは分からずじまいだ。  
見た目にはそんな素振りは露ほども見せないが…。  
一連の非日常が終盤に向かっている事を、俺は今や感じずにはいられなかった。  
いや、実はもう終わっているのかもしれない。  
古泉が言ったように、この三ヵ月間はほとんど奇妙な出来事に遭遇しなかった。  
ハルヒはそれでもあらゆる企画を持ち出して、俺たちを飽きさせなかった。  
俺たちはもう何も言わなくても簡単なことなら互いを分かるくらいになっていた。  
 
全てはもう大昔のような春の日、ハルヒが俺をここに引っ張ってきた時に始まったんだ。  
俺は部室を眺めた。数え切れないくらい多くのものがあるいは置いてあり、あるいはかけてあり、  
あるいは飾ってあった。今ではこの部屋全体が宝箱のようなものなのかもしれない。  
 
部員を眺める。まずは今話したこいつ、古泉。未だに飽きずに俺とゲームをしている。  
ここにあるすべてのゲームを何周もして、それでもオセロが置いてあった。  
白が黒になって、黒が白になる。  
現実と非現実をくるくると回って、俺たちはまだこうしていられる。  
次にお茶汲みとおもてなしのプロフェッショナルにして俺の永遠の女神、朝比奈みくるさん。  
ほほえましくも編み物をしていて、今年はセーターに挑戦しているようだった。  
あまりに古風だが無粋なツッコミをする奴は壁に数十回頭をぶつければよろしいので、  
俺はそんなこと言わない。彼女がそこにいる。心が洗われる。それだけでいいのさ。  
三番目。長門有希。一体今まで何千冊の本を読んだのだろう。  
こいつは四年前の七夕よりも前から本を読んでいそうだし、  
千じゃ桁が足りていない、なんてこともあるかもしれない。  
 
長門は俺を見た。きらりと光が反射するその目には、感情が鮮明に浮かび上がっている。  
たとえSOS団以外の生徒がそれを見ても、長門が変わったことは明らかだろう。  
中でも一番の変化は…本当に時たま、週に一度くらいの頻度で笑うようになったことだ。  
なにかおかしい事があった時、と言うよりは、  
こうして部室がいつまでも続きそうな平和な空気に包まれている時。  
そんな時にこいつは、多分自分でも気付かない間に笑っている。  
あの改変された世界で、幻の長門が見せた笑みよりももっと薄い、  
口角がわずかに横に微動するくらいの微笑みだったが。十分すぎるぜ。  
全員が変化してはいたが、こいつが五人の中で一番変わった。それは間違いない。  
統合思念体だかも予想外なんじゃないのかね。こいつが笑うようになるなんてのはさ。  
デフォルト無感情が基本仕様なのに、それを崩すことになって今頃彼らが何を思っているのかはさっぱり分からないが。  
最後に団長様こと涼宮ハルヒ。今やこいつが憂鬱になることなどは滅多になかった。  
何か企んでいたり、パワーをチャージしている時ですらにこにこして、  
二年になって以降、クラスに対しても積極性を出すようにまでなった。  
そう。おかげでクラスの出し物まで忙しかったな。  
俺はあまり関わり過ぎないようにしたはずなのだが。  
知らぬ間にどこまでも人を引っ張ってしまうのがハルヒの本分であり、  
それによって俺はここにいる。かつ自分で望んでここにいる。  
この部屋には愛着なんて言葉じゃ足りない思い入れがあった。  
俺は死ぬ間際でもなんでもないが、目をちょっとでも閉じれはすぐにいろんな事を思い出せるぜ。  
SOS団結成、第一回市内パトロール、閉鎖空間、野球大会、七夕、カマドウマ退治、孤島での殺人まがい事件。  
終わらない夏休み、世界が変わりかけた映画撮影、最初のライブ、ゲーム対決。  
世界改変、アメフト試合、雪山遭難旅行、メガネ君と朝比奈さん誘拐事件。  
文芸部ごっこに幽霊騒ぎ。進級にともなう新入部員騒動。海外古城ツアー。  
そして最大の騒動になったあの一件。その余韻のような体育祭、最後に空前絶後の文化祭…。  
俺は時に慌て、驚き、振り回され、がむしゃらに走り回り、ひとつひとつを何とか乗り越えてきた。  
今だから言える。  
どれも楽しかった。これ以上楽しいことなんかないってくらいだ。  
俺はSOS団が好きだ。いちばんかけがえのないものだ。  
 
いつも通りの放課後。  
今年の秋は去年よりずっと早く涼しくなって、もうストーブがつけられていた。  
まぁ、この暖かさの源はストーブだけじゃないだろうね。心理的なものもあるのさ。  
「今年は雪が思ったより早く降りそうね」  
ハルヒが出し抜けに言った。外は晴れていたが、これだけ冷えてくれば、  
確かに十二月頭には初雪がちらついてもおかしくない。  
「雪が降ったらパーティしましょう!」  
何だそれは。これからクリスマスまで行事がないから言ってるのか。  
「何だっていいじゃない、初雪パーティよ。場所は去年のクリパみたいにここでいいわね」  
ちょっと待てよ。いくら生徒会長が別の人になったからって、  
そう何でもかんでも許されると思ったら大間違いじゃないのか。  
「だから、料理を振舞ってあげれば問題ないでしょ?  
 何をそんな心配してるのかあたしには理解できないわ」  
そうか。はい分かった。クセで止めちまうんだ、すまん。  
まず一度そうしないことには、俺の自己同一性というか、そういうものがズレちまう気がするんでな。  
ハルヒが言い出したことが実行されないなんて事がこの期に及んでそうそうあろうはずもないさ。  
あまりに枠外電波な発言はしなくなっていたし、  
俺は俺で、嫌々付き合うなんてこととは縁遠くなっていたからだ。  
SOS団でできる行事ならなんだってしてやるのさ。  
思い出は多いほうがいいもんな。  
…だが待て。  
「初めて雪が降った日ってのはちと曖昧すぎやしないか。  
 俺も予備校がある日とかぶっちゃまずいぜ」  
そう。二年生になって変わったことのひとつにこれがある。  
季節が秋に変わる頃、とうとう俺は予備校に行くようになり、  
志望を文系の国公立に定めて、少なくとも一年の時よりは机に向かう時間が増えた。  
まぁもっとも、一年の時に俺がどれだけ机に向かってたかなんてのは…言わなくても分かるだろ。  
そんなわけで、全ての日がオールオッケーとはいかず、  
週に二日は都合のつかない日があるというわけである。  
 
「あぁ、それなら多分大丈夫よ。七分の二でしょ?開いている日は確率的には勝ち越しじゃない。  
 なら問題ないわ」  
色々とツッコミどころがあるが…ここは抑えて、  
「古泉や長門、朝比奈さんの都合もあるだろ」  
「僕は大丈夫ですよ。特別な用事はありませんから」  
即答。そうかそうか。お前はいいよな暇人で。  
予備校なんぞ行く必要もないとは、やっぱ特進クラスは出来が違うぜ。  
「それはどうでしょうね。時にあなたの頭の冴え具合には目を見張るものがありますよ」  
勉強に関しての話をしたはずなんだがな。  
ハルヒに関するあれやこれの対処がいくらできたって、履歴書には何にも書けん。  
「まぁそれはそれとして、朝比奈さん、長門さん、ご予定はいかがですか?」  
日時未定の行事に都合がつくか訊かれて答えられる人間なぞそういないと思うが。  
というか、古泉。なぜお前が二人に次を振ってるんだ。  
「あ、私はたぶん…大丈夫です…受験も終わったし」  
朝比奈さんは推薦で無事に進路が決まったらしいが、  
はて、あなたは未来に帰らないのでしょうか。  
このままこの時代に残ってくれるなら、俺としては何も言う事はないのですが、  
それでは大人朝比奈さんが過去に来るはずはなく、色々なことがわやくちゃになってしまう…のではないか?  
さて、三人目。  
「へいき」  
長門は予想通りの答えを返した。  
言い方こそ抑揚がないが、瞳には嬉しさを思わせる輝きがあった。  
「じゃぁ全員大丈夫ね!決定だわ!鶴屋さんも呼べるといいわね」  
その辺は問題ないのではなかろうか。何となくあの懐かしのクリスマスパーティの再現ムードだしな。  
鶴屋さんはSOS団のスーパーサポーターでありヘルパーだった。  
事実鶴屋さんには今や『SOS団超名誉顧問』の称号がついており、腕章も進呈された。  
普通の人であればガラクタ扱いだろう代物も、鶴屋さんならば満面の笑みと共に受け取ってくれる。  
さすがとしか言いようがない。  
 
その後しばらくは初雪パーティの企画会議が開かれ、  
つまりそれはさっきまでと大差ない時間の延長戦だった。  
やれやれ。  
いや、全然負の感情はないぜ。  
この言葉はもはやポジティブな時にまで発動する口癖になってしまったんだ。  
またとんでもないことをやってくれるんだろ、ハルヒ。という期待の意味をこめて。  
 
あっという間に終業の鐘が鳴り、俺たちは時間を惜しむように帰り支度をする。  
なに、明日になればまた会える、それまでしばしのさよならさ。  
鞄を持った俺の肩を、とんとんと指がつついた。  
長門である。小さくか細い外見は、一年の時から成長していないように見えるが、  
それも仕様なのかは定かでない。重要なのは内面だから大した問題じゃないさ。  
「話がある」  
まっすぐ俺を見て、  
「家に来てほしい」  
ハルヒたちは先に部室を出て、鍵を閉めるために外で待っている。  
「キョン!有希!早くしなさい」  
ハルヒの声がして、俺は慌てて答える。  
「あぁ!今行く。…長門、また何かあるのか?」  
こく。とうなずいた。  
 
寒空の夕闇の下を五人で駅前まで降りて、それから俺たちは解散した。  
自転車置き場に向かった俺はチャリを早々にひっぱり出し、  
手で押して長門のマンションに向かう。  
オートロックのボタンを押して、帰ったばかりの長門から  
「上がって」  
と何度聞いたかわからない返事を聞き、俺は七階まで上る。  
長門の家のインターホンを押す前に、かちゃりと扉は開いた。  
長門は何も言わずに中へ入り。俺もそれに従った。  
 
この部屋は今年度に少しずつ生活感を増していた。  
文化祭準備期間中連日ここに来ることになったハルヒが、  
「有希ももうちょっと女の子らしく部屋を飾ったらどう?」  
などと勝手に部屋を改造し始めたためだ。  
とはいえ長門のイメージを崩すようなものがあるわけではなく、  
落ち着いた雰囲気のランプとか、ラックとか、そういうものが中心だった。  
俺は腰を下ろして淡い色のコタツ布団に入った。  
中はほのかに暖かく、丁度いい温度だった。  
「お茶の用意をする…待ってて」  
と言って長門はキッチンに向かった。  
この一連の流れは久し振りだった。  
SOS団全員でここに来ると、まずそんなことにはならないからな。  
 
数分して長門は戻ってきた。盆に急須と湯飲みを載せて。  
懐かしいやり取り。そう、こいつはこう言うんだ。  
「飲んで」  
あれが一年半前だとは到底思えない。飲みますとも。  
一生分と言えば大げさだろうが、何年も経ったように思える。  
「おいしい?」  
同じ答え方をなぞらえているのは、こいつなりの遊び心なのかな。  
「あぁ、うまいぜ。お代わりをもらうよ」  
あの時と同じように三杯を飲んだ後で、俺は言う。  
「話って、何だ?」  
また何か長門の周りで異常な事態が発生した、と言うのなら  
俺は喜んで助けてやるつもりさ。しばらくそういう事態ともごぶさただしな。  
だが、長門は何も言わない。  
あの時ならばこの後に「うまく言語化できない」とかそんなことを言った気がするが、  
今回は本当に黙り込んでしまい、それはなぜなのか、よく分からない。  
いまさら言い出すことをためらうようなことなんてあるのか?  
事実SOS団員の悩み事は、全員がそれを共有して解決してきた。  
これまでいくつも乗り越えて、俺はここにいる。  
だから何だって言ってくれ、覚悟はできてる。  
そんな俺の思いを悟ったのか、長門はようやく口を開く。  
まっすぐ、俺の目を見据えて。  
 
「私はあと十日で統合思念体の意識に戻る」  
 
…。  
長い沈黙が訪れる。  
何と言った?すごく重要な事を淡々と言ったのは分かったが、  
その意味を咄嗟には理解できない。  
夜になっていた。  
季節と室内の様子も、俺たちの周囲も、また俺たち自身も変わった。  
それはこうして毎日を繰り返すことで、確実に、少しずつ。  
変わる。そう。  
長門は変わっていった。いい方向に。  
ハルヒだってそうだし、朝比奈さんも、古泉も。  
そして俺も。  
「長門…お前…」  
「分かりやすく言うと、私はあと十日で永久に地上からいなくなる」  
いや、長門。補足なんかいらない。俺はまだ理解しようとしてないからな。  
一時的に思考能力が停止している気がする。時間が止まっている気がする。  
「帰るって…?」  
やっと出てきた言葉がそれだったが、自分でその言葉を聞いていたかよく分からない。  
「涼宮ハルヒはまもなく完全にその能力を失う。  
 統合思念体は自立進化の可能性をわたしという端末を通すことで探っていた。  
 思念体の想定とは大きく異なる変化をわたしはした。  
 それこそが思念体の求めていたもの。自律進化の可能性。  
 無を有にする。そのアルゴリズムはわたし自身に刻まれている」  
長門は喋った。あの時俺に語ったように。  
 
同じように俺は理解が追いつかない。さっぱり分からない。  
「お前がいなくなる必要なんてないだろ」  
感情の抑制がうまくいっていなかった。実際、俺は思わぬ大声を出してしまった。  
「思念体がこの星にこれ以上関与する必要はない。  
 私がいた形跡を残す必要もない」  
俺は何も言わなかったが、長門は続けた。  
「あなたに選択を求めることがある」  
こいつが早く言い切ってしまおうとしているように感じたのは、気のせいじゃないはずだ。  
「わたしがいた記憶を残すか否か。わたし自身は消えるが、私に関する記憶を残すかどうかは、  
 あなたにその選択を委ねる。私に関わった全ての人の、記憶を」  
…。  
待てよ。何だよ急に。  
反則だろ。  
「お前が残ったっていいじゃねぇか。それで思念体が困るようなことなんかないだろ」  
「わたしが残ればまだ宇宙に多く存在する意識体が、涼宮ハルヒが宇宙に影響していた時期の痕跡を求めて  
 いつかこの星に何らかの危害を及ぼすかもしれない。  
 涼宮ハルヒの力がなくなる今、これ以上思念体がこの星のバランスを乱す必要はない」  
そんな勝手な話があるか。今までだってさんざん引っ張りまわしたじゃねーか。  
それで突然身を引くなんて俺は認めないぜ。ハルヒの力をまたひっぱり出して…。  
「涼宮ハルヒの力が再び覚醒する見込みはない。彼女は成長した。  
 それにともない未知の能力は力を弱めた。この半年間は特にそれが顕著だった。  
 そしてわたしもこの半年で大きく変化した。わたしはあなたたちといられて幸福だった。  
 思念体の一端末が感じる感情として、予測範囲を大きく超え―」  
「ちょっと待て。俺はそんなの認めないぞ。  
 お前がいなくなるだって?笑わせるなよ。  
 そんな冗談ちっとも面白くないぜ。突然すぎるだろ」  
「朝比奈みくるの言い方を用いれば、既定事項」  
「何でだよ。まだ時間はあるはずだろ?こんなのあんまりだ。  
 お前だって望んでないはずだ。あの時…去年の暮れからずっと、お前はここにいたいと思っていたはずだろ?」  
「わたしの意思は思念体には重要でない。必要なのは私に記録された情報。その解析」  
それさえ渡せばお前は残ったっていいじゃないか。  
「できない。私がそうしたくても思念体自身には感情がない。決定は絶対」  
最後までお前の親玉とは分かり合えそうにねぇな。何考えてやがるんだ。  
頭いいんだろ?それこそ俺の想像もつかないほどに。  
それで人の感情は欠片ほども分からないのか?  
こんな結末を用意するな。  
ふざけるなよ。  
俺はまだ長門にいてほしいんだ。  
こいつのいない部室なんて想像すらしたくない。  
「それを伝えておきたかった」  
長門は言い終えた。目の光は憂いの色だ。はっきりと分かる。  
表情には現れなくとも、こいつの目にはこいつの言葉以上にたくさんの思いが記されている。  
こいつはまだ部室にいたいんだ…普通の、一人の、女子高校生として。  
「…ハルヒたちには言うのか」  
「言わない。あなたが言うならそれでかまわない。  
 今全てを話してしまっても、どうにかできる事ではない」  
「朝比奈さんに時間跳躍の許可をもらって過去のハルヒに―」  
「個人的な願望による時空移動の許可が下りないのはあなたも分かっているはず」  
分かってるさ。それでも何とかしたいんだよ。  
もっと早く手は打てなかったのか。  
「決定が下りたのは昨日のこと」  
腹を立てたってどうにもならないが、俺は拳が震えてしまうのを止められなかった。  
「お前がいたかどうか、その記憶を持つかどうか選べって言ったな」  
「そう。あなたに委ねる」  
「俺がいらないなんて言うと思うのか」  
「…」  
俺だけじゃない。SOS団の全員が即答で記憶を残す方を選ぶ。  
命をいくつ賭けたっていいぜ。万物の法則がいくら乱れようとこれだけは確かだ。  
「だから、記憶は残してくれ。絶対に俺たちはお前を忘れるつもりはないんだから…」  
「…わかった」  
 
「ハルヒたちには言うぞ。お前がなんて言おうとな」  
「それもあなたに委ねる」  
「長門…」  
「…」  
俺は何か言葉を探す。普段無駄に減らず口をきく俺だったが、  
こういう時に引き出しがうまく開かないのは、なぜだ。  
「泣きたくなった事ってあるか」  
ぶしつけに訊いた。  
こいつは泣きなどしない。そんなことは分かってる。  
むしろ自分への言い訳かもしれない。俺が今どんな状態かなんてもはや分からない。  
「長門…」  
「ごめんなさい」  
「なんで謝るんだよ…お前は全然悪くないだろ」  
「他に言葉が見つからない」  
「いいんだよ」  
「ごめんなさい」  
こんなベタな展開は俺が一番嫌いなことだった。  
別れとか、そんな安上がりなネタで泣くのなんか、かっこ悪いだろ。  
そう思っていた。  
でもそんなこと考える以前に、どうしようもないほど悲くなっていることは否定できない。  
 
帰り道、俺はどんな風だったか覚えていない。  
何も考えていなかった、ただ流れる景色を見ていた。  
空気は身を裂くほど冷たかったのに、そんな実感がなかった。  
 
翌日。俺は最悪の気分で目を覚ました。  
自分のすべきことをぼんやりと考えて、家を出る前には気持ちを切り替える。無理矢理にでも。  
「ハルヒ、放課後部室でみんなに話がある」  
「何よ、珍しいわね、あんたがそんなこと言うなんて」  
「大事な話だから絶対休むなよ」  
「団長が休むわけないじゃない」  
ハルヒは何言ってんだこいつ的な目を俺に向けていたが、この場は気にしまい。  
授業は案の定上の空で、そのくせ時間ばかりやたら長く、  
間に今までの出来事ばかり考えてまた感傷的になるのをどうにか抑えなければならなかった。  
 
放課後。  
長門はいなかった。分かっていて休んだのだ。  
俺は話を切り出す。未だに認められない現実を。  
「長門がいなくなる」  
最初は気体である空気が半分無理に固体になったような雰囲気。  
すぐさまハルヒは  
「何いってるの?有希がいなくなるってどういうことよ」  
と言っていたが、それを俺は手で制して話し出す。  
長門がいなくなる。もう会えない。  
長門はもといた場所に戻らなくちゃならない。  
それは会いにいける場所、とか、そういうものとは違うんだ。  
死んじまうわけじゃないから余計にややこしい。  
古泉と朝比奈さんは事情を知っているから、  
話を半分も聞かないうちに状況だけは飲み込めるだろうが、  
やはり昨日の俺と同じようにだんだん悄然としてくるのが分かった。  
それを見ているのはやっぱり辛かった。  
問題はハルヒだ。どう説明すればいいだろう。  
「有希がいなくなるって?転校?海外に行くとか?」  
だから、そういう単純な理由じゃないんだ。  
「キョン、いつかあんたが言ってたことなの?  
 それなら全力で反対するってあんた言ってたじゃない」  
「違うんだよ。今度はどうにもならないんだ。  
 お前がどうやったって、覆せないことがあるっていう、数少ない例だ」  
ハルヒはその時何かを感じたようだった。  
 
それが何なのかは俺にもこいつにもわからないだろうが、  
本能的な部分。あの無駄に鋭い勘が働いて、  
長門がいなくなるという言葉の意味を何とはなしにつかんだのだと思う。  
「でも…あたしはそんなの認めないわよ。  
 だって急すぎるじゃない。わけわかんないわ!」  
「俺だって意味不明なんだ。長門がいなくなる必要がどこにあるんだよって言いたい。  
 だがな、ハルヒ。遅かれ早かれこういう時は来るんだ。  
 それが…思ったより少し早かっただけなんだ。たぶん」  
自分を納得させるようにそう言った。ハルヒに分かってもらおうなんて思っちゃいない。  
実際、俺だっていつになったらそれを受け入れられるかわからない。  
十日か。短すぎるだろ。  
何か、できることはないのか?  
いなくなる事がわかってるんならさ、せめて長門のためにもう少し何かできないのか?  
「有希に望みを訊いてみるのはだめかしら」  
お前、ずいぶん切り替えが早いんだな。  
「だって、それが万一本当なら、いなくなってから後悔したって遅いじゃない。  
 分かっているだけましってものよ。  
 今から一日だって、有希を悲しませちゃだめなんだからね!  
 これは団長命令よ。逆らったら死刑じゃ…済まないんだから」  
俺たちはその後の時間を話し合いに費やした。  
就業時間になって長門の家に向かう。もちろん全員でだ。  
長門は予想通り家にいた。今まで何をしていたんだろう?  
今日学校には来たんだろうか。  
 
長門をできるだけ一人にしないこと。  
 
それが俺たちのまとめた意見だった。  
その上で望みを聞いてやる。何だって聞いてやる。  
「有希、パーティの予定を早める事にしたの。  
 そう、あなたの名前、雪と同じ読み方じゃない?  
 だから、今日から騒ぐのよ!主役はあなた。  
 これまでみくるちゃんばっかりいじりすぎたからね、  
 たまには有希が主役になったっていいじゃない」  
「そうですよー。私はもう当分いいです…十分です」  
朝比奈さんは苦笑いした。おそらく本心だ。というかこの方は本心以外を言えようはずもない。  
長門は黙ったままだった。俺はハルヒに続く。  
「お前がしたいことを何でも言えばいい。  
 俺たちが全部実行するから。な?」  
普段の俺らしさとか、そんなもんはかなぐり捨てて言う。  
時間は戻らないんだ。遡ればいいとかそういう問題じゃない。  
今の俺たちが一緒にいられる時間は、この時しかないんだから。  
長門は嘘をつかないから、本当にもう会えなくなるんだろう。  
SOS団全員がそろう事はそれ以降、無くなってしまう。  
「パーティ」  
長門はつぶやいた。やっと出てきた言葉。  
「そうよ!さぁ、さっそく始めましょう!」  
「準備しましょう。いろいろ用意してきましたから」  
古泉がにこやかに言った。こういう時に限って口数が少ないなんて反則だぞ。  
 
去年のクリスマスの何倍も楽しい夜だった。  
やったことはあの時とほとんど変わりなかったが、  
それがあの頃を思い出させてよかったんだ。  
あの時俺はこの世界を大事にしようと思った。  
このSOS団を、自分から守ろうと思った。  
事実、今までずっと俺なりに頑張ってきたし、結果今がある。  
後悔なんてまったくないんだ。だから今回だってそうしてやる。  
 
終わり際、深夜も近くなって、俺たちはようやく解散する…。  
「明日からも何かしましょう!とびっきり楽しいのをね!」  
ハルヒは一点の迷いもなく言った。  
「これがしたいっ!っていうのある?有希」  
当たりまえだが全員が事情を知っている事を長門も知っていた。  
だから余計な疑問とかは、もう誰も何も言わない。  
長門は、すこし逡巡するようにぼーっとした後で、  
「いつも通りでいい」  
と言った。俺は妙に安心して、何だか笑ってしまう。  
長門らしいよ。  
「そんなんでいいの?本当に?」  
ハルヒが訊き返す。  
「いい」  
長門の目がはっきりと本心を伝えていた。  
こんなに真っすぐな瞳を俺はそうそう知らない。  
こいつは感情が生まれるのがゆっくりだった分、誰よりも正直だ。  
 
翌日からまた日常が始まる。  
全員が昼休みに部室に来ていた。  
「あら、奇遇ね。みんながこの時間に集まるなんて」  
奇遇でも何でもないよな。長門、笑ってやっていいんだぞ。  
放課後の予行練習のように俺たちは三十分とわずかな時間を共に過ごす。  
朝比奈さんの緑茶を飲んで、古泉と無駄な会話をして、  
ハルヒはまた団長机の前で何か調べていたが…何か。何する気だ?  
「今日はフレミングの誕生日だそうよ!だから祝うの。誰がなんと言おうとね!」  
フレミング…中学あたりの記憶をひっぱり出そうとするが、  
文系を志して数ヶ月が経過した俺の脳にそんな記憶が残っていると思うかい?  
「左手の法則はあなたもご存知でしょう?」  
古泉がにこりと言った。知らないと言うのもとぼけるのも何だな…。  
「とにかく、三六五日あればそれは常に誰かの誕生日なのよ!」  
閏年生まれの人のことを微妙にすっとばしてハルヒは宣言する。  
と、言うわけで―放課後は昨日に引き続き理由のないことを祝うパーティが開催される。  
これのどこが日常なんだと言いたいが、ハルヒが何もしないでいられるわけはないのは、  
火を見ずとも明らかなので、俺は黙って準備にいそしむ。  
朝比奈さんは化学教師ルックなコスプレをハルヒによってさせられ、  
どこかから持ってきたフラスコに緑色の液体を入れて振っていた。  
まぁ、間違いなくそれは緑茶であろうね。  
久々に新しい衣装を拝めたので俺としてはご利益あることこの上なしだ。なむなむ。  
この日は鶴屋さんと谷口国木田までを引っ張り込んでの宴だった。  
料理を用意できる余裕はなかったのでほとんど買出しだ。  
 
「長門さん、満足しているでしょうかね」  
もう大分西に傾いた陽を眺めながら、買出しに出た俺と古泉は話す。  
「だといいんだがな。ハルヒが何かやってくれるのはありがたいんだが」  
「彼女が一番日常を求めていたんですね。  
 統合思念体は変化の兆しを見極める必要があったわけですが、  
 長門さん自身はそんなことを望んではいなかった。  
 そうなれば自分自身が…いなくなってしまう。  
 それをどこかで感じていたんでしょうか」  
ちょいと喋りすぎだぜ。それは長門に訊かないと分からないしな。  
俺たちにできることは、長門が喜ぶ日常を一緒にすごすことだけだろ。  
「そうですね。つい余計なことまで喋ってしまうのも悪いクセです」  
俺の減らず口と一緒だな。  
「えぇ。僕らの分を長門さんがいくらか請け負ってくれればいいんですがね」  
 
「いやっほー有希っこ!元気かい?  
 ハルにゃん、今日はお招きありがとねぃ!」  
鶴屋さんはいつだって100%の喜色で俺たちに接してくれる。  
それは今のSOS団に一番必要なものだったし、俺たちはそれで安らいだ。  
 
「何で急にパーティなんだ?」  
谷口がポテチを食べながら訊いた。いいだろ、何だって。  
「お前もすっかりわけわかんねぇよ」  
「まぁいいじゃんか谷口。僕はけっこう楽しいよ」  
国木田が変わらぬ優等生発言で答えた。  
 
「明日も明後日もやるわよ!  
 なんか今あたしはすっごくパーティ三昧したい気分なのよ!」  
ハルヒは片付けも早々にそう言ってのけ、鶴屋さんとともに気勢をあげた。  
長門は朝比奈緑茶を両手でゆっくりとすすっていた。  
長門の周りだけ穏やかな空気が流れていて、つかの間俺は見た。  
いつかと同じように、やわらかく微笑するその表情を―。  
そうか、こんなんでも喜んでくれるんだな、お前は。  
急に俺は楽しさが二乗された。連日のパーティも大歓迎だ。  
 
特別な事件は何も起きず、開かれるのは謎の連日偉人パーティ。  
過去の映画二作やいつかの文芸部冊子をあらためて見て爆笑したり、  
最近完成したらしいThe Day Of Saggitarius Wをコンピ研の連中も交えて  
対戦したり(もちろん長門の独壇場だったのは言うまでもない)  
バンド演奏を急遽またやったりして…俺たちはすごく贅沢な時間を過ごしたと思う。  
 
思えば長門は俺の非日常の発端であり、命の恩人であり、  
最後の頼みの綱であり、大切な仲間だった。  
あんまり後ろめたいことは考えない。考えたってしょうがない。  
すべて終えた後でそんなことはいくらでも考えられるからな。  
 
三日目の夕方。  
終業の鐘と共に、この日も俺たちの日常は終わりを向かえる。  
冬至に向けて夜がどんどん近くなる。それと共に気温が下がっていく。  
五人揃っての下校も、あと何日もないのか。  
そう思うとこの一歩がすごく貴重に思える。  
「じゃあな」と長門に言うと、こくっと頷いて踵を返す。  
今日もこれでよかったのかと思うが…長門はそういう普通の日常を一番  
求めていた事を思い出した。あの幻の世界で長門がどんなだったか。  
 
家に帰って一通りの日課をし、俺はベッドに座っていた。  
寒いな。今年の寒さはどうかしてる。毛布を肩の高さまで持ち上げる。  
シャミセンは今はこの部屋にいない。まだ暖まってないしな…。  
携帯が鳴る。  
長門有希。  
こいつから電話をかけてくることなんて今までに何度あったろう。  
無意味な電話をもっとしてくれてよかったのにな。  
俺ももっとそんな話をしてもよかったかな。  
「もしもし?長門か?どうした?」  
「あと一時間」  
「え?」  
「あと一時間二分二十三秒でわたしは情報結合を解除される」  
「だってあと一週間―」  
「うそ」  
「…う…そ…?」  
「そう」  
「どうして…?」  
「つらくなる」  
「お前…それでいいのかよ」  
「いい」  
「ハルヒたちには?」  
「言わない。あなたも言わなくていい」  
「待てよ!いいか…今からそっち行くから!  
 とりあえず、待ってろよ!」  
 
俺は家族の声をすべて無視し、三十秒後に自転車に乗っていた。  
あの日―。長門が挟んだ栞を見つけたあの日の何倍も気持ちが焦っている。  
ろくに上着を着ないで出たからさみぃ…。  
でもそんなことはどうだっていい。急げ。  
チャリをもっと速く漕いで身体を温めればいいんだ。  
いや…そのほうが寒い。速度が上がるんだから当たり前だ。  
吐く息が馬鹿みたいに白い。初雪か。まだ降らないのか?  
十五分。最短記録だ、間違いなく。  
俺はオートロックのナンバーを押す。返答がない。  
自動ドアを見るとその向こうに長門がいた。  
…まだ制服なのかよ。着替えればいいのに。  
水色のマフラーを巻いていたが、コートを羽織っていない。  
風邪引くぞ。  
「長門…」  
「あと四十五分十二秒」  
俺は黙って長門の手を引いた。図書館は遠いな。第一こんな時間じゃ開いてないか・・・。  
あの公園に行くか。そうだ。そうしよう。  
冷たい夜の街を二人で走る。人通りが全然ない。  
長門の手も冷たい。その冷たさが何だか憂鬱だ。  
すぐに到着する。もちろん人は誰もいない。  
いい加減寒かった。せっかく暖まった身体も休息に冷えていく。  
「長門は寒くないのか?」  
吐息が即座に真っ白になる。  
「へいき」  
「ほんとか?」  
「へいき」  
平気には見えないぞ。いや、寒さは本当に大丈夫なのかもしれないけどな。  
今の長門の感情が波を打っているのは明らかだ。  
ただでさえ表情で表すことが困難なのに、あふれ出そうとする気持ちが多すぎて  
どうしたらいいのか全く分からないような…そんな感じだ。  
「何で嘘なんかついたんだよ」  
さっきも訊いたが他に思いつかなかったから訊いてみる。  
長門はうつむいて、きらりとした瞳で地面を見つめていたが、  
「最後は…」  
 
「あなただけにいてほしかった」  
 
何年か跨いだような重みのある言い回しだった。  
そうか…。  
そうだよな。  
 
長門の願望か…。  
 
…分かってた。そんなのずっっっっっっっっと前から分かってたさ。  
でも俺は気付かないフリをしていた。  
そうさ。もうバレバレだろうと、そうし続けた。  
俺が応えるような反応をしたら、きっと何かよくないことが起こっただろうから。  
ハルヒが閉鎖空間を作るとかじゃなくて、今までのSOS団が変わってしまう気がして…。  
だから何もできなかった。俺は恐れた。そしてそれを俺は言い訳にしてきた。  
自分の本当の気持ち。そんなものが俺のどこにあるのか、もう分からない。  
日常と非日常の間で奔走し、色々なことを考え、四苦八苦するうちに、  
考えることすら止めてしまっていた。  
今さら考え直せって言っても、時間が足りないぜ…。  
こんなに早いなんて思わなかったよ。  
 
「ごめんな」  
いつかハルヒに言ったことよりいくらかマシなことしか言えない。  
やれやれ。相変わらず俺は二年も経つのに何も変わってない。  
何か言ってやれよ。たくさん言いたいことがあったはずだぜ。  
「こっちの責任」  
…だから、お前は何にも悪くないんだ。そうやって一人で背負い込むのは悪い癖だぜ。  
「もっと何かできればよかったな。くそ。急すぎるんだ」  
「…」  
「いや、だから長門は悪くないんだからな。すまん。  
 感謝してもしきれないくらいだ。今まで何度長門の世話になったか…」  
「いい」  
「ありがとな、今まで楽しかったよ」  
それに…いや、もっと何か言えないのか俺は。  
 
何度も助けられた。  
俺が長門に返した恩じゃ到底たりないくらいに。  
SOS団の危機には、いつもこいつがいてくれて、信じられないような状況も、  
もうどうにもならないような絶望状態も、軽やかに救ってくれた。  
何も言わず、ただ一人で。  
 
そんな日々が限界に達して生まれたあの世界。  
そこでも俺はお前の気持ちを裏切った。  
長門が真っすぐに俺に向き合ってきたのに、俺はこっちに帰ってきた。  
決断に後悔はない。でもあの長門の記憶はいつまでも消えないんだ。  
そしてこっちの長門だ。  
とうとういなくなってしまう、元の長門有希。  
また俺は何もせずに長門を見送ろうとしている―。  
 
何か暖かいものにくるまれる。  
 
ふいに長門はマフラーを俺の首に巻いてきた。いつの間に外したんだろう。  
「寒くないのか?」  
「へいき」  
同じやり取り。最後まで助けられっぱなしかよ。  
長門の吐息には色がほとんどない。俺限定で着色されてるんじゃないだろうかと疑うほどだ。  
「疲れてないか」  
「…ない」  
「今まで、色々あったよな」  
「あった」  
「楽しかったか?」  
こく。はっきりと頷く。俺は妙なざわつきを感じる。何だろう。  
「そうか…よかった」  
何言ってんだ。しかも今笑ってないか俺。らしくない。  
まぁそんなものはもうどうだっていいんだ。  
うまく言語化できないか、まさにそんな状態だ。  
まだ去年の年末がフラッシュバックする。すっかり変わっていた世界。  
現れた長門の願望。三日間。今回と同じか。  
苦労の末に押したエンターキー、そこから長く伸びた今。  
 
「あと十四分二十―」  
 
…。  
 
細い。  
始めにそう思って、次に冷たいと思った。  
何でこんなことしてるのか分からない、問題じゃない。  
今まで誤魔化してきたすべてを、これで帳消しにできるわけないけどな。  
肩を通して、何か新しい気持ちが伝わってくる。  
こいつが過ごしてきた五年近くのことを俺は考えた。  
長かったのか、短かったのか。  
 
その間、こいつは本当に誰かと近くにいる事があっただろうか。  
人間に近付きすぎて、でも本当の人間ではなくて、その狭間で、こいつは一人だったか。  
SOS団での活動を、どこにでもありそうな日常を、長門は「楽しかった」と言った。  
それだけで十分か?これでよかったのか?  
震えているのは俺か、長門か。  
「…」  
長門は何も言わない。俺は表情を見れない。  
こちら側に抱き寄せているからで、小さな頭は首の横にあるからだ。  
「言語化」  
「うん?」  
「言語化…できない」  
「思うように言えばいいんだ」  
そうさ。お前はもうすっかりそうできるようになったじゃねぇか。  
そこらの誰かさんより、よっぽど人間味にあふれてるぜ。俺が保証する。  
「…うれしい」  
頬に冷たさを感じた。  
ふたつ。  
 
雪  
 
「降ってきたな」  
「ゆき」  
「あぁ、雪だな」  
「わたしの名前」  
「ゆき か」  
「最初の日に見た」  
「そうか…」  
 
雪ってこんなに綺麗だったか?  
それとも俺が今まで見ていたのは、雪という名前のニセモノだろうか。  
そして、こんなに悲しい粒だったか?  
…こんな場当たりドラマ的な展開、募集しちゃいないぜ。  
「ありがとう」  
「ありがとう」  
違和感を覚える。軽いものがさらに軽くなるような―  
 
「長門!」  
 
あの時朝倉が消えたのと同じ。  
足元からサラサラと砂粒、結晶になるような、これは…  
 
情報結合解除―。  
 
…早いんだよ、ばかやろう。  
 
「今までありがとう、感謝している」  
「感謝してるのはこっちだ!もっと分かってやりたかった!  
 ごめんな!もっと、もっと…」  
「いい。わたしには十分。あなたは…やさしい」  
自分の目が何を見ているのかよく分からない。  
雨か?雪か?長門か?真っ白な世界。  
 
「俺はお前を忘れないからな!死ぬまで忘れない、いや、死んでもだ!  
 ありがとう、本当にありが・・・」  
 
ばか。何だよその顔は。笑ってるのか。らしくねぇぞ。  
ちゃんと笑えてるじゃねぇか。今まで笑えるのに隠してたのか?  
 
手が空をかすめる。  
 
長門がいなくなる。  
 
「伝える」  
 
長門は薄く微笑んだまま  
 
「ありがとう」  
 
―雪。  
初雪か。  
出来すぎだ。こんな展開は認めないって言ったじゃないか。  
俺は夜のベンチで一人だった。  
ここで待っていても誰も来ない。  
…。  
ありがとう、長門。  
忘れないぜ。  
・・・。  
俺は泣いていた。自分でもよく分からないくらい泣いていた。  
長門はもういない。永遠に現れない。  
こんなのってないぜ。  
同じ考えをぐるぐると巡る。ばかだなほんとに。  
 
伝える。  
 
ありがとう。  
 
 
 
 
雪が降っている。  
雪が積もっていく。  
息が白い。寒い。  
俺は長門のことを考えていた。  
ゆき。  
長門有希。  
 
あなたに選択を委ねる。  
 
俺は忘れない。長門有希を。  
そしてこの初雪を―。  
 
 
 
―ゆき―  
 
(了)  
 

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