わたしの、長門さんに次ぐ監視対象であるところの彼は、情報統合思念体もさまざまな見解をもつ不思議な存在です。
ある意識は一般的人類の範疇を逸脱する存在でもないと、なかば無視しています。
ある意識は涼宮ハルヒの情報創造を収束させてしまう存在として、問題視しています。
ある意識は涼宮ハルヒが情報フレアを発生させる際のトリガーが彼なのではないかと、重要視しています。
ある意識は、彼が周囲の他存在に極めて大きな影響を与えていると考え、興味深くその動向に注目しています。
このように多種多様な考察をされている彼なのですが、さて、わたし個人が彼のことをどのように考えているのかというと、これは結構微妙なものになってしまいます。
ご存知のとおり、彼は統合思念体を破滅へ導く鍵、すなわち『涼宮ハルヒをたきつけるキーワード』を所有する唯一の存在です。
情報統合思念体を牽制することができる稀有な存在が単なる一有機生命体であるという事実は、統合思念体にとってみれば相当腹に据えかねるものでしょう。
そして、統合思念体の端末にすぎないわたし、喜緑江美里も当然、当初は彼に対して表面に出しこそしませんがそういう考えをもって当たっていました。
ところが現在、わたしが彼という存在に対し当初と同じ認識を維持しているとはいえない状態なのです。
ここは長門さんのマンション、その自室のリビングです。
この場にいるのはわたしと長門さん、彼とその娘さん、この4人です。
これから4人でこたつを囲みながら、ある事項を決議する会議が行われます。
進行役を仰せつかったわたしがまず発言。
「えー、ではこれより第1回家族会議を開始します。
議題はこの子の正式名称について。いくつかの候補を提案、議論ののち、正式なパーソナルネームの決定をおこないたいと思います。
どなたか異論のある方はみえますか?」
そう、今回の会議は、長門さんと彼のお子さんの名称を決定するためのものです。
文句のある方もおられないようで、3人して無言でわたしの次の言葉を待っています。
もっとも、うち2人は無言がデフォルトなんですけど。
「では始めます」
スタートです。
早速長門さんが挙手。
長門さんの前には
『幸せをつかむ女の子の名前』
『ひと目でわかる赤ちゃん名前辞典』
『名づけの常識、非常識』
『世界をおおいに盛り上げる子どもの名前』
など、さまざまな名づけ解説本が置かれいて、本人のやる気の高さを窺わせます。
ところで最後の本、著者は誰なんです?
「わたしは一般的な命名方法を提案する」
「と、言いますと?」
「両親の名称から特定文字を選定、組み合わせることによって子どもの名称を決定する方法」
そうきたか……
「長門さん。それはやめましょう」
わたしは当然却下します。
「………」
長門さんは「わたしの考えに文句があるの?」といった思考を視線に込めてわたしの顔を凝視してきます。
だってしょうがないじゃないですか……
「ある事情により、その方法は実現不可能です」
「………」
「無理です。駄目です。お願いですから納得してください」
わたしが彼のことを『彼』としか呼ばないあたりから、そのあたりの事情を察してくださいよ……
わたしの意見は単純明快です。
「『このこ』とかでいいんじゃないでしょうか。いつもそう呼んでるんですし」
「いや、いくらなんでもそれは……」
わたしの提案に彼は難色を示しました。見れば、長門さんも彼と同意見のご様子。
「名称はその人物の一生を左右しかねない重要な要素。熟慮せずに決定するのは問題」
「そうですか?パーソナルネームなんて個体の識別さえできればそれでいいんじゃないでしょうか」
一生を左右、と言われても、この子は人間の子どもとは違ってインターフェイスですから、すでにほとんど自己を確立しています。
今さら、パーソナルネームによって認識可能なほどの影響が出るとは思えま
「これだから『売らない笑ウせえるすまん』は……」
「ちょっと長門さん!今ボソッとひどいこと言ったでしょう!」
「気のせい」
「気のせいなわけないでしょう!?なんでしたら聴覚野の記録ログをお見せしましょうか!?」
「長門、喜緑さんにはいろいろお世話になってるんだから、もうちょっと、こう、仲良くやっていかなきゃダメだろ」
わたしと長門さんがヒートアップするのを見かねたのか、彼が仲裁に入ってくれました。
しかも、ちょっとわたし寄りの言葉選びです。
こういった常識的フォローを誰に対してもサラリとやってのけることが出来るのが、彼の魅力ですね。
「………」
長門さん、ちょっと不機嫌ぎみですが、これは同情の余地なし、ですよね。
「参考までに聞いておきたいんですけど、喜緑さんの名前ってどうやって決めたんです?」
彼の質問。
そうですね。インターフェイスのパーソナルネーム考案なのですから、過去の類例を紐解くのは有意義なことといえるでしょう。
「わたしの場合、デフォルトの表情が『微笑み』ですから、僅かな笑み、ミリ単位の笑み、と想起していき『笑ミリ』という具合に決定しました」
「苗字は静岡県産高級新茶『喜緑』から借用」
横から長門さんが妙な追加を!?
「違います!なぜ自分の名前にお茶の銘柄を使わなくちゃいけないんですか!?」
「あなたの特徴を的確にあらわしているから」
新茶の名前であらわされてしまう特徴ってなんなんですか!?
「わたしの特徴?」
「お高くとまっているので普通の人が手を出すことはない」
「失礼なことを言わないでください!これでもクラスや生徒会の中でも自然に溶け込んでいるんですよ!
長門さんこそクラスメイトともう少し会話を増やす努力をするべきでしょう」
「……『女ペ・ヨンジュン』は口うるさい」
「ボソッと言ってもしっかり聴こえてますから。あなたのわたしに対する侮蔑表現は今のものを含めて13件目ですよ!」
「だから長門、どうしてそう、喜緑さん相手には好戦的なんだ?」
そうです。もっと言ってあげてください。
って、なんでそんなライバルを見るみたいな目を向けてくるんですか。
「………」
長門さん、ちょっと不機嫌ぎみ。
長門さんがわたしを攻撃、わたしが反論し、そして彼がフォローをいれる。
ここ数日のわたしたち3人の会話パターンは大抵こういったものです。
最近では彼の存在がわたしの拠りどころとなっているといえるでしょう。
「ハハ……」
あら、今まで口を開かなかった娘さんがなにやら発言を?
ちなみに『ハハ』というのは彼女特有の長門さんの呼び名です。
「ハハ、叔母さんを攻撃対象にするのは望ましくない」
「………」
「………」
「………」
この発言には、その場にいた全員が言葉を失いました。
もしかしてわたし、この子にかばわれてます?
「叔母さんは家族。円満な家庭環境の構築のため、家族間での敵性認識は破棄すべき」
こ、この子ったら、母親と違って常識的に育って……きっとお父さんのいいところが似たんですね。
これでわたしのことを『叔母さん』と呼ばなければ、最高に可愛いお嬢さんなんですけど……
「………」
長門さんは我が子の顔をじっとみつめていたかと思うと、わたしに向きなおり、そして
「……ごめんなさい」
と、言いました。
って、えっ!?長門さんがわたしに謝罪した!?
な、なにがおこったんです?これってわたしの知覚にジャミングでもかけられてるんですか!?
「喜緑さん。長門のことは俺からも謝ります。本当にすみませんでした」
さらに彼までが連帯責任を負って、わたしに頭を下げているじゃありませんか!?
彼が、わたしを、気遣って、くれて?
な、なんというか逆に申し訳ないくらいです。
「い!いえいえ!全然気にしておりません!ふつつか者ですが!今後ともよろしくお願いします!」
お、おかしいです!
言語野が安定した活動を行ってくれません!
可及的速やかなメンテナンスの必要性を感じます!
「そうだ。せっかくこいつは喋れるんだから、こいつ自身に決めてもらえばいいんじゃないのか」
わたしの情動が普通値を脱しているうちに、彼が自分の娘の顔を正面から見据え、話を進めています。
「……チチ、なに?」
「お前さ、もし自分に名前を付けるとしたら、どんな名前にする?」
彼の質問。
「………」
長門さんは無言。
「………」
わたしは自分のパラメータを平常値に戻すため格闘中。
そして彼女は
「……えみり」
…………
!?この子、今『えみり』って言いました!?
自分の名前の候補として!?
なんで!?
「えっと、喜緑さんと同じ名前にしたいのか?」
「………」
彼女、無言で頷きました。
わたしと同じ名前……
って、わたしはなにを動揺しているんですか!?
先程、パーソナルネームにとりたてて重要な意味なんてないって考えてたばかりじゃないですか!?
「何故?」
「一般的な命名方法のひとつとして、友好的な関係にある存在の名称を使用する、というものがある。それに準じた」
「………」
長門さんが、こちらにチラリと目を向ける。
その長門さんに、お子さんは言葉を重ねます。
「わたしは『えみり』がいい」
…………
これってつまり、わたしは彼の子どもになつかれている、ということなんでしょうか?
彼の子どもに……
「その、喜緑さん。名前、貰っちゃってもいいですか?」
「……いい?」
彼と長門さんが確認をとってきます。
個体の識別という、パーソナルネームの第一義からすれば、同一名称の使用には反対すべきでしょう。
ですが、このときのわたしにはこの案を却下することができませんでした。
「わ、わたしは構いません!どうぞ好きなだけ使ってください!」
「そう」
「ありがとう、叔母さん」
「ありがとうございます、喜緑さん」
…………
な、なぜでしょう?
さきほどから思考に予測不能のノイズが発生しています。
発生のタイミングと、その際の状況パターンを統計をとって分析。
その……彼に気を遣われた瞬間に、このようなことになっているようです……
一体、どうして?
結局、この子の名前は『えみり』に決定しました。
どのような文字をあてるのか、というのはまた後日に議論するということになりましたけど……
さて、今わたしはえみりと一緒に長門さんのマンションに向かう途中です。
今日はわたしの子守担当曜日だったので、今まで二人で生徒会室にいたんです。
えみりは一般的な3歳児とは一線を画して聞き分けのいい子なので、世話をするほうとしても助かります。
本当に素直でかわいい子ですね。
この子の世話をしていると、時折思考にノイズが発生します。
「わたしもこんな子どもがほしい」という不毛なノイズが。
…………
いえ!そんな!彼との間に子どもが欲しいなんて思ってませんよ!
彼はわたしにとって、あくまで監視対象でなければいけないんですから!
そうですよ!長門さんのように観察対象と不必要に馴れ合うなんて、もってのほかです!
…………
長門さんの……ように……彼と……