ほんのささいな事で現実の認識など崩れてしまう。
俺は数々の経験からそれを体得していた。
―はずなのに。
目を覚まして顔を洗い、リビングに下りる。
しばらくぼーっとしていたが、何かに気付く。
違和感。
俺は名前をいくつか呼んで、家の中を歩き回った。
誰もいない。
開けていなかったカーテンを開ける。
いつもならば白い陽光が痛いくらいに降りそそぐのだが―。
光がない。
曇りとか雨とか、そういうことじゃないんだ。
空がもはや空とは言えない色になっていて、俺は思い切り動揺する。
閉鎖空間か?
それとも何か違うように思えた。これは勘でしかないが。
俺は急いで部屋に取って返し、携帯をつかんで画面を覗き込む。
アンテナは立っていない。試しに誰かにかけて…メモリがない。
これは夢か?
ついこの前まで俺は何をしていたっけ。
服を着て外に出る。朝飯はパンだけで済ませる。
制服とどちらにするか迷ったが私服を来てチャリに乗る。
とりあえず通学路をたどることにする。
道に人はだれもいない。空は真っ暗。
それなのに街並みは普通に見渡せる。何なんだ。
自転車置き場―。
硬貨を入れるまでもないと思った。自転車やバイクがまったくない。
山登りだ。これまでの最短記録で正門に到着する。
正直、頭が真っ白でまともな思考形態を維持しているとは言いがたい。
これは夢か?
学校の敷地内に入ったが人はいない。
昇降口から校舎に入る。上履きに履き替える。
まず行くべきは…。
開けなれたドアを開けて1年5組の教室に入る。
一瞬、いつぞやの夕暮れを思い出したが、広がる景色はもっとダークだ。
生きものがいる気配がない。時が止まっているような感じ…と言えば近いだろうか。
俺は教室を出て走り出す。
ハルヒの手を引いて走ったことを咄嗟に思い出したが、ここにあいつはいるのか?
俺は教室を見て回る。4、3、2、1組。
6組。長門の顔がよぎるがやはりだれもいない。
…9組。そこに微笑み野郎の姿もない。
2年校舎。鶴屋さんと朝比奈さんのクラスも空っぽだ。
…全教室を見たが誰もいない。
俺は次の場所に行くのが怖かった。
そこに誰もいなかったら俺はどうなるんだ?
SOS団部室。
旧館への道のりがやけに長く感じるのは俺が自然と歩調を緩めているからか。
一段一段階段を上がる。季節はいつだ?
3階に至る。これは夢か?
部室前。ノック。返事はなし。
ドアに手をかけるのがためらわれる。
誰もいなかったら?
かちゃ。
…誰だ?
初めて会った気がしない。
俺は記憶喪失にでもなったか。
「お前は誰だ?」
「お前こそ誰だ」
そこには俺がいた。
鏡があるのかと思って、すぐさまそんなことはないと気付く。
「ここは何なんだ」
「ここは俺の空間だ」
「なぜ俺はここにいるんだ?」
「なぜお前が向こうにいるんだ」
「意味が分からないぞ」
「分からなくていい」
「俺が向こうに行く」
「ちょっと待て!どういうことだ」
「さあな」
俺は一人に戻った。
俺はどこかに消えた。どこに?
また5月のあの日がフラッシュバックする。
パソコンの電源―。
シーク音は…しない。モニターに文字が…出ない。
次に思い出したのは12月の改変世界。
本棚からあの本を探す。あった。
中に栞も…ある。
裏に何もなかったらどうする?
見てから考えればいいだろう。
…
「俺はお前だ」
閉じこめられたのか?なぜ?
突然すぎてわけがわからないぞ。
部室から出よう。
学校からも出て。
通学路を引き返す。
夢でも閉鎖空間でも改変世界でもないのか?
あいつは誰だ?
この世界は何でもありだった。
無限ループ、情報制御空間、タイムリープ、異次元転移…
今回は何だ?ノーヒントか?
以外にも落ち着いている俺がいた。
むしろこれは俺自身の問題のような気がしていた。
何か忘れている―。
俺は記憶を順に紐解いていた。
通学途中のベンチの上だ。
思い出せたのはどこまでだ?
年末―改変世界。
それを正す時になにか…あった?
…俺はどこにいたのだっけ?
そしてさっきの俺はどこに行ったんだ?
「考えすぎだ」
「まったくだな」
「…」
「なぜいる?」
「お前を助けに帰ってきたんだよ」
「どういうことだ?」
「世界がわやくちゃになりすぎた」
「…」
「今再改変の最中だ」
「誰かがやってくれてるのか」
「あぁ」
「それはよかった」
「それまで時間がある」
「時間か」
「あぁ。少し話さないか」
「何が訊きたいんだ」
「別に。お前はもう覚悟が出来てるからな」
「お前は誰なんだ?」
「俺はお前さ、期間限定のな」
「どういうことだ?」
「一時的に時間がふたつになっている」
「…」
「だから俺がいる」
「長門か」
「そうだ」
「あいつは1人で頑張りすぎた」
「分かってるじゃないか」
「今度は俺が頑張る番だ」
「あぁ」
「お前はどうなるんだ?」
「消えるさ、模造情報だからな」
「ここは何なんだ?」
「処理終了までの待合所みたいなものだ」
「お前はさっきどこへ行ったんだ?」
「お前の代わりに階段から落ちたんだ」
「…」
「いずれわかる」
「そうか」
「だがな」
「何だ?」
「ここから帰ったお前は、ここの記憶を持たない」
「そうなのか?」
「あぁ。こんな場所に用はないだろ」
「お前はここの住人なのか?」
「今はな。俺が消えればここも消える」
「それでいいのか?」
「役割だ」
「そうか…」
「そろそろだ」
「…」
「忘れるな」
「?」
「お前も頑張るってこと」
「あぁ」
「よし」
「…」
「じゃぁな」
空が光る。
世界が白くなる。
窓から光が入る―。
シャリ、シャリ、シャリ。
誰かがリンゴを向いている―。
(了)