『ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上』
なんてことを言ったのは遠い昔だったような気がする。
それこそ、数年も前のような、そんな過去。
ここに入学してからのこの数ヶ月、今まで生きてきた中で一番充実している。
宇宙人や未来人や超能力者と出会えたわけじゃないけど、仲間に――あいつに出会えた。
色々理由をつけて、嫌そうな顔をしてるのに連れまわすことに愉しさと小さな幸せを見い出し、それに何とも言いがたい感情が付いてきたある日。
あたしの日常が、突如として打ち砕かれた。
坂道を登る。ひたすら歩く。
そういえばキョンは、この坂道について何やら文句を言っていたわね。
この程度で音をあげるなんて情けない。
一度、SOS団筋力トレーニングをするべきね。主にキョンのために。
みくるちゃんには――そうだわ、レースクイーンの格好をさせましょう。
ついでに大きなパラソルを差させて手を振らせる。ある種の萌えの境地ね、これは。
次なる企画に思いをはせながら、一年五組の中へと入る。
「……あれ?」
ほんの少しだけ間の抜けた声をあげてしまった。
違和感。
あるべきものがない、あるのが当たり前なのに見当たらない、変な感じ。
教室を間違えてしまったのか、と一度廊下に出てプレートを確認する。
一年五組で間違いない。
それなのに、どうしていないの?
あたしの疑問は一気に爆発し、窓際で談笑している男子生徒二人へと突進する。
「ちょっとあんたたち!」
声をかけると二人は肩を震わせ、恐る恐るあたしの方を向く。
「キョンはどこにいったの?!」
すると二人は顔を見合わせると疑問に満ちた瞳であたしを見た。
何よ、ケンカ売ってるの?
次なる言葉を投げかけようとしたとき、信じがたい言葉が耳に届く。
「誰だよ、そいつ」
「誰って……」
頭を鈍器のような物で殴られたような感覚。
怒りよりも先に驚きがあたしを襲う。だってこんなこと、普通ありえないじゃない?
混乱しつつもキョンの本名を告げて同じ質問をして回る。
けれども反応は何も変わらない。知らない、という音声があたしの耳に入ってくる。
「いいわよ、もう!」
キョンの悪友二人に愛想をつかして他のクラスメイトに質問を投げかける。
でも、あたしの望んだ答えは誰からも返ってこなかった。
「……ふん、そういうこと」
クラスぐるみであたしを騙しているに違いない。
あたしを騙そうだなんていい度胸してるじゃないの。
この調子だと、主犯はキョンね。そうに決まってる。
見つけたらネクタイ掴んで縛り上げて謝らせてやるんだから。
浮かんできた笑いを押し殺しながら次のターゲットの元へと向かう。
キョンが消えた理由を知ってそうな、我が団員のところへ。
「古泉くん!」
ドアを開ける手にも力が入る。
当然のように教室中の視線があたしに集まるけれども、彼の姿はない。
もしかしたら、教卓の下にでも隠れているんじゃないかしら。
ずかずかと教卓まで歩いていこうとしたそのとき。
「あなた、涼宮さんよね」
目の前に立ちふさがる女子生徒。
名前は知らないけど、委員長とか呼ばれていたはず。
ちょうどいいわ。あんたに聞いてあげる。
「古泉くんはどこ?」
すると委員長は困ったような表情を浮かべるとあたしを見て
「そんな人、このクラスにはいないけど」
委員長の言葉を受けて、一斉にうなずく九組面々。
……ああ、そう。こいつらもグルね。
キョンの奴、九組にまで勢力の手を広げてたなんて侮れないわね。
「ふん、いいわ。覚えてなさい」
非協力的な九組にそんな言葉を残してやって、あたしは次の団員のもとへと急ぐ。
まさか、みくるちゃんまでいなくなってるとか、そんなことないでしょうね。
お目当ての教室を見つけ、引き倒すような勢いでドアを開ける。
いた。
ほんの少しだけ笑みを浮かべてつかつかと彼女のほうへ歩いていく。
「みくるちゃん!」
「はっ、はい!」
びくりと身を固まらせてあたしを見上げる。
久しぶりに見る瞳の色。これは、初めて会ったときに見た色に似ている。
何かよくない予感が胸をよぎった。
そんな予感は払拭して、あたしはみくるちゃんの背後をとる。
「なんですか…?」
怪訝そうな声でたずねるみくるちゃん。
あたしは反応がどうだなんて構うことなく、とりあえず制服の上から豊満なバストをこれでもかというくらい揉んでやる。
「あふっ……やっ、やめてくださいっ!」
誰がやめるものですか。キョンが言ってもやめないわよ。
……それにしても大きいわね。揉み応えがあるわ。
乳房は母性の象徴だとかのたまう奴もいるけど、やっぱり男って大きい方がいいのかしら。
キョンだって例外じゃないわよね。男なんだし。
あいつの、あたしを見る目とみくるちゃんを見る目に違いがありすぎるのよ。
どう違うのかって、詳しく説明はできないけど……でも、確かに違うの。
……って、違う違う。今はそんなこと改めて考えてなくてもいいじゃない。
必死にあたしから逃げ出そうと抵抗するみくるちゃん。
そういえば。
数日前にキョンがいつだったか撮っていたみくるちゃんの写真を、よりにもよって部室のパソコンに隠しているのを発見したことをなんとなく思い出した。
もちろん、写真は全部某国秘蔵コレクション4巻(年齢制限版)の銀色生物セクシーショットに差し替えてやったわ。団長の許可なく私的利用に使うなんて言語道断。この程度で済んだことを喜ぶことね。
銀色生物の胴体を思い返しながら制服の中に手を突っ込んですべすべの肌の感触を味わいながら撫で回していると、か弱いながらもしっかりとした声があたしの耳に届く。
「あのっ……あなたは、誰ですか…!」
瞬間。あたしは手を止めた。
――あたしのことが、わからないの?
言葉を飲み込み、一歩後ずさる。
キョンも古泉くんもいない、みくるちゃんはあたしのことを知らない。
ということは。
SOS団は存在しない…?
「そんな、こと」
認めない。
ようやく見つけた小さな幸せ、壊させないんだから。
拳をぎゅっと握り、乾いた唇を舐める。
まだ、諦めちゃいけない。諦めるわけにはいかない。
「あの……」
か細い声が聞こえた。声の主は潤んだ瞳であたしを見ている。
……キョンが肩入れする理由がほんの少しだけわかった気がする。確かに、かわいいもの。
――そんなこと、今はどうだっていい。
静寂から一転してざわつき始めた教室。もうここに用はない。
あごを引き前を見据えて最後の砦へと急ぐ。
あたしの――あたしたちの、部室へと。
ドアを蹴り開ける。大きな音を立てて数秒前までドアだったものは床へと落ちていった。修理はキョンにさせればいい。このあたしに心配をかけさせた罰よ。
中には有希がいた。有希は相変わらず無駄な動きを最小限に抑え、一瞬だけあたしの姿を確認するとすぐに読書へと戻った。
この子は、変わっていない。少なくとも、あたしに対する態度は。
部室の中に足を踏み入れず、有希にたずねる。
「あたしが誰だかわかる?」
「涼宮ハルヒ」
即答。有希の返答に安堵するあたし。
ようやく部室に入ると早速パソコンを立ち上げた。有希はといえばあたしには感心なさそうに本を読んでいる。
ここがあたしの知っている場所なら、パソコンなら、きっとあのフォルダがあるはず。
マウスを操作してお目当てのフォルダが隔離されている場所を開く。
でも。そこにあたしの期待していたものはなかった。
「嘘、でしょ?」
あたしの某国秘蔵コレクション以下略がない。
……誰か消したの?
有希がそんなことするわけないでしょうし、でもそれなら一体誰が?
「有希」
画面から目をそらすことなく声をかける。返事はないけど構わず続ける。有希は聞いているはず。
「あたしの前にパソコンを構ったのは誰?」
「あなたが初めて」
膝が震えた。寒気がしてくる。目の前がぐるぐると回りだす。
そんなはずがない。あってほしくない。あたしの不安が形になっていく。
「ここは、何部?」
手がひどく湿っている。声が震えなかったのは奇跡に近い。
「文芸部」
「……そう」
全ての感情を押し殺すことで、かろうじて声は出せた。
そこから学校を出るまでの記憶は一切ない。
落ち込む気持ちに活を入れて、次に向かうのは敵の本拠地。
何度か行っているから場所は完璧。惑うことなく歩いて、あの角を曲がればもう見えて――
ない。なにも、なかった。
あるべきはずのキョンの家は空き地になっていた。
あたしとキョンを繋ぐものがなくなった。
「……これは夢。悪夢だわ。そうに決まってる」
自分に言い聞かせるようにつぶやく。
あと数分もすれば目が覚めて、あと数時間もすればキョンに会える。
――そうじゃなきゃ、困るの。
やり残したことがたくさんある。
伝えてない言葉もたくさんある。
出し切れていない感情だって、まだまだある。
なのに。なのに、どうして?
キョン。あんたはどこにいるのよ。
死にたくなかったら、早く出てきなさい。
今なら心優しい団長は、半殺しで許してあげるから。
市内をくまなく歩き回ること数時間。太陽はとっくに沈んだ。やる気がないわね。
最後に向かったのは東中学。行っていない場所はここだけ。
……でもこんな場所にキョンがいるはずない。
そう思っても、可能性がわずかにあるならば行かなくちゃ。
とにかくキョンに会いたい。
締め上げて、どうしてあたしの前から逃げたのか問い詰めないと。
はやる気持ちをおさえてひた走る。
三年前にジョンに出逢った場所へと向かうべく全力疾走していると足音が聞こえた。
こんな時間にこんなところにいるなんて、さては不審者ね。
どう先制攻撃してやろうかと地味に痛そうな技を思い浮かべていると。
「ようやくきやがったか」
あたしの思考は停止した。感情がおさえきれなくなる。
「なんでそんな情けない顔してるんだ?」
懐かしい声。そして、あたしが一番聞きたかった声。
「夜の一人歩きは、いくらおまえでも危ないぞ。早く帰ったほうが――」
声を遮り、あたしは胸に飛び込んだ。
あっけにとられていようがなんだろうが気にしない。
「……ハルヒ?」
訝しげな声。あんたの知ってるあたしは、確かにこんなことしないでしょうね。
「気の、迷いよ」
逃げられないようにシャツをぎゅっと掴み、あたしは言ってやる。
「これは都合のいい夢よ」
どちらかと言うと、あたし自身に言い聞かせてるのかもしれない。
「夢の中での、一時の気の迷い」
手が、動いた。それは高く掲げられる。
殴られるかもしれない、と思ったあたしは身を固まらせた。
でもその手はあたしの頭に優しく降りてきて。
「ああ。そうだ。これは夢だ」
髪を梳きながらそんなことを言う。
――どうして怒らないのよ。どうしてバカにしないのよ。
あたしの頬を伝う、熱いもの。悲しくないのに流れ出ている。
「ハルヒ、おまえ…」
「……なんでもない」
キョンのシャツで涙をぬぐうと表情を引き締めて向き直る。
こほん、とわざとらしく咳払いをして一言。
「キョン。これは夢よ」
「おまえがそう言うんならそうかもしれないな」
物分りがよくて結構。
キョンの腕をしっかりと掴む。それを重点にして背伸びをする。
お互いの距離が縮まって、キョンの表情を脳裏に焼きつけるとあたしは目を閉じた。
晴れ渡る空。うるさいくらいに囀る小鳥たち。
夢のおかげで弾む気持ちを抑えて教室のドアを開けた。
勢いがつきすぎてものすごい音を立てて外れた。誰か直すでしょう。
幸か不幸か、そのおかげで教室中の視線があたしに集まる。
でもただひとりだけ。
あたしに視線を向けず、ぼんやりと外を眺める生徒がいた。
――そうでなくっちゃ。それでこそ、よ。
あたしはそいつのほうへと迷わず歩いていく。
かけるべき言葉、とるべき行動。
家からここに来るまでに何度も考え却下して、練りに練ってある。
息を吸い込み、手を腰に当て、あたしは朗々と宣言する。
「夢の再現、してみる気はないかしら?」