その日の不思議探索は、都合の良いことに早めの切り上げとなった。
ハルヒのことだ、特に理由もなく、ただの気紛れだろう。腹が減ったのかもしれん。
普段ならこのまま帰るのだが、宿題で図書館に用があったので寄っていくことにした。
ついでなので、長門も誘ってみる。
「……そう」
それは了承の合図でいいのか、長門?
以前に比べればマシになったとは言え、相変わらず表情の分かりにくい奴だ。
『 長門有希の返答 』
俺の調べ物はすぐに終わった。
適当な本の該当箇所を写しただけだが、教師だってそれ以上は求めていないだろう。
そんなわけで本来ならもう帰っても良いのだが、そうもいかない事情がある。
事情とはもちろん、隣で一心に本を読み続けている長門の存在である。
ここぞとばかりに鈍器のように分厚い本のページを捲っている。
誘った手前、先に帰るのは気が引けるが、これは閉館まで動く気配は無さそうだ。
仕方なく、以前古泉に勧められたミステリーの短編集を読んで時間を潰すことにした。
…………、
……………………おおっ!?
切りの良いところまで読み終わり、ふと顔を上げると周りはシンとしていた。
もともと専門書の区画のため人も少なかったのだが、今は俺たちの他に誰もいない。
予想以上に小説に嵌っていたようで、まったく気が付かなかった。
もちろん隣を向くと、相変わらず本を読み続けている奴がいる。
文字を追う瞳とページを捲る手以外は、ほとんど動かない。
ここまで没頭できるのは少しばかり羨ましいと思う。
「お前、本当に本が好きだよな」
ぽつりと呟いたのは無意識で、返事を期待したものじゃなかった。
そもそも長門は必要なこと以外は、ほとんど喋らないキャラだ。
必要を感じない場合は沈黙か、良くても「そう」「いい」程度だろう。
それどころか完全に黙殺されてもおかしくない。
しかし予想に反して、長門はページを捲りかけた手を止めると、こちらに顔を向けてきた。
書架に囲まれ薄暗い中で、長門の黒瞳が一層深い色を湛え、じっと見つめてくる。
静まりかえった館内で、時間までも止まったような錯覚を覚えた。
どれだけ時間が経っただろうか。
ゆっくりと長門が口を開いた。
「…………好き、」
────っっ!!
脳が弾け飛んだかと思った。
長門よ、……そりゃ反則だろ。
ばくばくと暴れ出した心臓を必死に宥め、冷静になろうと努める。
もちろん、長門の言った「好き」が読書のことを指しているのは分かっている。
しかし分かっていてなお、この破壊力。
理性回路がすべて焼き切れてしまったかと思った。
長門と言えば冷めたもので、再び読書に戻っている。
俺はとてもじゃないが読書など出来る状態ではなく、寝るふりをして机に突っ伏した。
……こうしていれば、赤い顔を見られなくて済むだろう。
お決まりのBGMと閉館のアナウンスが流れてきた。
俺も何とか表面的には復活を果たし、長門に出ることを促す。
名残惜しげに読み途中の本を見る姿に、どうにかしてやりたいと思うがどうしようもない。
背表紙の貸し出し禁止マークに殺意を覚えたのは、後にも先にもこの時だけだろう。
長門を送り届けるため、自転車を押して夜道を歩く。
もちろん、こいつにボディーガードなど必要ないのは分かっているが気分の問題だ。
道中、まったく会話は無かった。
しかし不思議と居心地の悪さはない。
むしろ静かな時間が心地好いくらいだった。
やがて長門のマンションが見えてきた。
さすがに用もなく上がり込むつもりは無いのでお別れだ。
最後くらいは、少し会話をしたいと思う。
本、読み途中で残念だった。
「……いい」
まあ、幸い明日も休みだから、また行けば良いだろ。
「……そう」
相変わらず長門の言葉は少ないが、十分満足だった。
意味もなく苦笑が漏れた。
じゃあな、と別れの挨拶をする。
……返事を期待したものじゃなかった。
しかし自転車を漕ぎ出そうとした俺の背中に、長門から声が掛かった。
「──じゃあ……また明日」
振り返ると、既に長門はマンションの中へと消えていた。
自転車に跨ったままで思考は停止し、長い時間そのまま呆然としていた。
長門、……明日って何だよ。
ようやく石化が溶け、へなへなと自転車にしなだれ掛かる。
心臓がバクバクと脈打つ。頭がクラクラとする。
どうやら俺は、どうにかなっちまったようだ。
人通りの少ない夜道で良かった。……赤い顔を誰かに見られずに済むだろう。