季節はすでに春となり、暖かくなりつつあった。俺たちを凍えさせていた冬の息遣いは、  
他の月より数日少ない2月の終わりと共に、すでに消え去ったようだ。校庭の花壇に植わっ  
ている草花は芽吹き、この高校の周辺にある梅の花は、ほとんど散ってしまっていたが、  
それになりかわり、桜の花の蕾が、以前より確実にふくらみを増していた。   
 
 俺は、上機嫌だった。どうしてかと言うと、あとわずかな日数で春休みが始まるからだ。  
 ただ惜しむらくは、その期間の短さだ。俺は春休みの延長申請をしたいぜ。なんならハルヒに  
そう念じてもらおうか。  
 しかし、去年の夏休みのようなことにでもなれば、やっかいだな。うんざりするほど  
繰り返し過ごした、夏休み最後の2週間の大部分は、記憶に残ることはなかったとはいえ、  
俺はもうあんな経験はごめんだぜ。  
 
 文芸部部室のドアまでたどり着くと、俺はお約束な展開に遭遇するわけにもいかないので、  
その防止策としてドアをノックした。  
 返事はなかったが、俺はそのまま、ガチャリとドアを開いた。常日頃、ハルヒの乱暴な  
扱いを受け続けているそのドアは、損害賠償請求訴訟をハルヒに起こすこともなく、けなげ  
にもドアとしての役目を果たしている。ただし、以前より確実に立て付けが悪くなっている  
ようだが。  
 
 ドアを開けると、団長のハルヒ以下、全員がそろっていた。  
「遅いわよ!キョン」  
 のっけからハルヒの怒声を浴びることになった。なんでお前はそんなに不機嫌そうなんだ。  
というのも、声だけでなく、ハルヒの不機嫌サインの一つであるアヒル口が、彼女の口元  
に出現していたのだ。彼女のアヒル口は、ある限定条件下でのみ出現する。その限定条件とは  
何か、は教えない。俺も深く考えないようにしたい。習うより慣れろの格言のごとく、俺の  
実体験に基づいた経験則だ。  
 そこで俺は、今日1日における己の行動を振り返ってみたが、ハルヒを不機嫌にさせるような  
ことはしていないはずだ。  
 
 部屋の中を見回すと、メイド姿の朝比奈さんが、俺に給仕をするため、かいがいしくお茶の用意をして  
くれている。ただ、なんとなく表情が硬い。俺が目を合わせようとしても、すぐそらしてしまう。  
 なんなんだ、いったい。と怪訝に思い、脳細胞から記憶を取り出そうとしても、俺には、  
朝比奈さんに何かいけないことをしたというような、額縁に入れて、和室で飾るべき記念的な  
経験を再生してくれるメモリの、持ち合わせはなかった。  
 俺はポーカーフェイスを保ちながら、朝比奈さんがお盆に載せて、お茶を持ってきてくれたところで、  
「朝比奈さん。いつもありがとうございます」  
 感謝の気持ちを表しつつ、目を合わせようとしたが、  
「い・・・、いえ!ど、どういたしまして」  
 あわてて自分の席まで引き下がり、目を合わせようともしてくれない。  
 
「ねえ、キョン。みくるちゃん、今日はずっとそんな感じなの。あんた、まさかみくるちゃんに  
なにかしてないでしょうね?」  
 ハルヒはアヒル口から、ちょっと崩した福笑い、あるいはひょっとこのような笑みへと表情を  
変化させていた。  
 まずい、第2段階に移行している・・・。  
「するわけないだろ。まだなんにもしてねえよ」  
「まだって何?これからするって事?」  
「言葉尻を捕らえるな。それは言葉の綾って奴だ」  
「綾でも何でもいいから、あんたの願望を聞かせてくれない?みくるちゃんとしたいの?それとも  
したくないの?」  
 すでに質問が見当違いな方向に変わっていた。おい、そんなこと言えるわけないだろ。  
 するとハルヒは、まるで縮地法を使ったかのように、一瞬で俺の眼前まで迫ってきた。  
「ねえ、教えなさい」  
 まことに不本意ながら、ハルヒとやり合っていた。すると突然、朝比奈さんが立ち上がり、  
ドアの方向に掛け出し、顔を覆いながら外へ出て行った。  
 唖然とするSOS団の面々。長門も少し驚いているようだ。  
 あっけにとられていたが、ハルヒは団長としての責任感からか、すぐさま朝比奈さんの後を追って  
部室を出て行った。  
 呆然として取り残される団員3名。  
 
 なんとか落ち着きを取り戻した古泉が、こちらに向き直り、スマイルをかすかに歪ませながら、  
「あなたも罪な人ですね」  
 とぬかしやがった。・・・なんのことだ。  
「本当におわかりにならないんですか?朝比奈さんはあなたに恋をしてしまったんですよ。  
でも未来人としての義務感から、おおっぴらにあなたにアタックするわけにもいきません。  
それなのにあなたは、涼宮さんと楽しそうにじゃれ合っていた。彼女は、それに耐えられ  
なくなって、出て行ってしまったんですよ」  
 訂正したい部分はあったが、俺は古泉にしゃべらせるがままにしていた。  
「あなたは涼宮さんだけでなく、朝比奈さんまで虜にしてしまった。果報者ですよ」  
 ぶん殴ってやろうかこいつ。だが、やめた。こいつを殴っても仕方ない。  
 だが、朝比奈さんがそんな気持ちを抱えていたなんて、知らなかった。  
 思えば、ハルヒが閉鎖空間を作り出して、現実世界と逆転させそうになったイベントを  
経験して以後、朝比奈さんは、あきらかに俺との間に一線をひいた。それからは、俺との仲が、  
これ以上親密になるとまずいと彼女が判断すると、身をひくようになった。  
 
「朝比奈さんの心を救えるのは、あなたしかいません」   
 古泉は、恋愛もののドラマのような、くさいセリフを吐いた。  
「朝比奈みくるの現在における精神は不安定。精神の再起動をさせる必要性を認める」  
 長門も同調するように俺を促した。しかし、朝比奈さんはどこにいるんだ、長門。  
「本来ならあなたが、探し回るべき。それが王道。でも今日は教える」  
 なんだよ、王道って。長門、ギャグで言ってるんじゃないよな。それとも、お前はとうとう  
図書室の本を読破し尽くして、最近はドラマの原作にまで手を出しているのか・・・。  
 
 俺は、長門から朝比奈さんの居場所を教えてもらうと、ためらうことなく朝比奈さんの鞄に  
制服一式と自分の鞄をつかみとり、学校の外へと駆けだした。目指すは朝比奈さんの自宅  
マンションだ。待てよ、ということは朝比奈さんはメイド服姿で家に帰ったのか・・・。  
 
 俺は、長門に教えられたとおりに朝比奈さんのマンションまでたどり着くと、ドアの前に立ち、  
インターホンを押した。  
「はい、どなたですか」  
 沈んだ声が聞こえる。  
「俺です。朝比奈さん、話があるんです。入れてもらえませんか?」  
「え?キョン君?どうしてここに」  
 あわてたような声に変わりつつも、  
「どうぞ、入って」  
 ドアを開けてくれた。  
 おじゃまします。靴をそろえて脱ぐと、俺はおずおずと朝比奈さんの部屋に立ち入った。  
「あ、お茶入れますね。」  
 そう言って、朝比奈さんはキッチンに向かった。もちろん今はメイド服姿でなく、部屋着を着て  
いらっしゃる。何を着ても似合い、かつかわいらしい。  
 朝比奈さんが、お茶を持ってきてくれると、俺は制服と鞄を提示すると、丁重にお返しした。  
「どうもありがとうございます。でもごめんなさいね、わざわざ持ってきてもらって。それと  
途中で帰っちゃってごめんなさい」  
 ええ、俺もびっくりしましたけど、それはいいんです。でもハルヒたちが心配してましたから  
明日、あやまってやってください。それに俺も心配してますから。  
「キョン君優しいね。でもキョン君がそんな風に優しくしてくれるから、わたし・・・、もうどうにも  
ならなくて・・・。あなたへの思いが抑えきれないの」  
──彼女の気持ちが、痛々しいほどに伝わってくる・・・。この思いを受け止められるかわからないが、  
彼女を悲しませないようにしなくては・・・。  
 
 この後俺は、呻吟しつつも言葉を紡ぎ出し、彼女を説得し、なおかつ精神を落ち着かせることに  
成功した。  
 
「そうですね。わたし、もう遠慮することはないですものね。これからはもうちょっと素直に  
なってみることにします」  
 おい、俺は何を言ったんだ?妙に積極的になっていらっしゃる。これはこれでまずいような・・・。  
 
「じゃ、じゃあ朝比奈さん、おれはそろそろ・・・」  
 妙な空気を感じ取り、辞去しようとすると、  
「キョン君、今日は迷惑かけましたから、せめてものおわびに夕食を食べてってください」  
 いや、でも悪いですから、と遠慮しようとするが、朝比奈さんも引かない。今日は押しが強いな。  
それに朝比奈さんの手料理には、三つ星レストランよりも俺にとっては価値があるし・・・。まあ、  
早い話がご馳走になることになったんだ。誘惑に負けて・・・。  
 
──夕食は、朝比奈さん特製のカレーだった。もちろん長門のようなレトルトではなく、カレー粉を炒める  
ところから始めるという本格派だ。  
「どうぞ、食べてください」  
 いやー、おいしいですね、このカレー。でも結構辛いですね。  
「うん、辛い方が色々ごまかせるし」  
 ん?何か今、不穏当な発言をなさったような。ま・・・、まあ気のせいだな。俺は食べることに夢中に  
なっていたので、聞き間違えたんだろう、と断定した。  
 俺は、おかわりまでして、テーブルに出されたものをすべて平らげた。食後のお茶をいただいて、  
しばらくくつろいでいると、体に異変を感じた。何故だか体の奥から熱いものがわき出ていくような。  
 時間がたつにつれて、体の火照りが止まらなくなった。  
──その後、記憶が抜け落ちた・・・。  
ただ、俺が正気を失う間際に、朝比奈さんが笑みを浮かべていたのが最後の記憶だった。  
 
 朝日が差し込み、まぶたをこじ開ける。目が覚めると、俺は自分の部屋の布団にいた。  
──ああ、夢か。そう、夢だよな。  
 
 気にすることもなく、俺はいつものように登校した。  
 
 
 途中、古泉が横を通り過ぎていったが、すれ違いざま  
 
「昨夜はお楽しみでしたね」  
 
 
終わり  

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