「キョンくーん」
窓枠の形に切り取られた朝日を瞼の裏で受けながら、夢と現実との間で綱引きを続けていると、そんな声が聞こえてきた。
「朝だよー!」
折角夢のほうが優勢だったのに、妹のでかい声で一気に現実に引き戻される。
「ねーねー、起きてよー」
身体を揺すってくる。まるで電車に乗っているようだ。逆に気持ちいいぞ、妹よ。
「もー!」
ごそごそと布団の上に登ってくる。いつもの事だ。
「起きてって、」
身体が一瞬軽くなる。恐らくフライングボディープレスをかましてくるのだろう。いつもの事だ。
ま、どうせこいつは軽いし、丁度いい寝起きのマッサージに……、
「ばー!」
「ごふぉ!」
なりゃしねえよ! ってか重!
「痛えなおい! 一体何食ったら一日でそんな体重に……」
布団をめくり上げ飛び起きた俺の目の前にいたのは、小さな妹ではなく、かつて通っていた中学の制服を着た見知らぬ少女だった。
「……何だ、まだ夢か」
いかんな。こないだ谷口に借りた幼馴染系のエロ本の影響が如実に現れているあたり、俺の脳はゼロヨンコースと同じぐらい直線構造をしているらしい。
とりあえず捲くれた布団を被り直し、いざ現実世界へと旅立たんとしていたのだが、
「もー、キョンくん! 早く、起きないと、お母さん、怒ってるよ!」
「ぶふぅ! わ、分かった! わかったから、俺の上で飛び跳ねるな!」
肋骨が折れかねない勢いで飛び跳ねる少女を布団の上から下ろし、ベッドの上から転がり落ちた。
少女は心配そうにそんな俺を見下ろしている。結構美少女っぽい。
というか、やっぱり知らんぞこんな奴。
「……えーっと、どちら様ですか?」
取り合えず尋ねてみると、少女は小鳥のような首を可愛らしく傾け、
「キョンくん、寝ぼけてるの? ……まあいっか。ほら、早く支度しないと遅刻しちゃうよ」
とだけ言うと、廊下の先に消えていった。
俺はといえば、あーこりゃどうせまたハルヒが何かしでかしやがったな、という悟りきったチベット僧並の潔さでそう結論付け、取り敢えず学校に行く支度を始めるのだった。
質素な朝飯を平らげ、洗面所で歯磨きをする頃になると、いい加減この少女の正体にも気付いていた。
隣で親の仇を討つような勢いのまま歯を磨いている少女は、どうやら我が妹らしい。
言われてみれば声がそのまんまだし、顔のパーツも割とそのまんまなのだが、何せ全体的な大きさが違いすぎる。
三日あわざれば刮目して見よと言うが、昨日までちんちくりんもいいとこだった奴が一日でこんなに育つなんてお兄ちゃんビックリだ。
これがハルヒと出会う前なら今頃俺は病院に行って精神安定剤をバケツでがぶ飲みしていただろうが、今更こんな事で薬に頼るほどやわな鍛え方をしちゃいない。
「……? どうしたのキョンくん。髪の毛、変かな?」
「い、いや。別に変じゃないと思うぞ」
しかし俺も所詮は人の子。すっかりお年頃になってしまった妹に対して、ぶっちゃけどういう対応を取ればいいかさっぱりわからん。
というか、こいつ今いくつなんだ?
「……お前、今中学何年だったっけ」
「え? 三年生だよ?」
訝しげな視線で俺を見ながらも、いつもより少し落ち着いた声で答える。
「俺って、今高校一年生だよな」
「……そうだけど。キョンくん、大丈夫?」
本気で心配そうだった。
実際全然大丈夫ではないのだが、ここは一刻も早く学校に行って、宇宙的もしくは未来的或いは超能力的な解決方法を探さねばならない。
「キョンくん」
いつの間にか、妹の湿った手が頬に触れている。ハルヒと同じぐらい大きな黒い瞳が、心配げに揺れながら俺の顔を映していた。
「本当に、大丈夫?」
何だこいつ。昨日まで若干心配なほどガキっぽかったのに、いつの間にやらすっかり大人っぽくなって、というか結構かわいい顔してるじゃ……
「とう!」
「ちょ、キョンくん!?」
変なことを考えようとしていた自分の頭を脊椎反射で鏡に叩き付けた。妹は凄まじく引いているが、全くノープロブレムだ。
「ちょっと自分の顔に腹が立ってな。俺ぐらいの年齢になると良くある事なんだ。お前も気をつけるんだぞ」
「そ、そうなんだ……」
これ以上考える事に危機感を感じた俺は、心配そうな視線を背中に受けながら、廊下を走り抜けて玄関を飛び出した。
「ハルヒ!」
「な、何よ」
教室に入るや否や息を荒げて肩に掴みかかる俺に、珍しく心底驚いているようだ。
「俺の妹と会ったことあるよな?」
「はあ? ……そりゃ、会った事あるけど」
「幾つぐらいだ?」
「いくつ?」
「妹の年だ。幾つぐらいだった?」
「……私達の一つ下でしょ? あんたが言ったんじゃないの」
俺を見る目が、こっそり病院を抜け出してきた重病人を見る目になっている。
「ちょっとキョン。あんたゴミ箱の中に入ってたハンバーガーとか食ったんじゃないでしょうね?」
食うか。
それはともかく、どうもここでは本当に妹は中三って事になってるみたいだ。別に期待していたわけではないが、やっぱり幻ではなかったらしい。
飛行機程度なら離陸させる事が可能なぐらいの盛大なため息をつきながら、自分の椅子に座り込んだ。
背中から「ちょっと! こらキョン!」とかやかましい声が聞こえてきたが、それに答える気力も出ず、机の上に崩れ落ちる。
放課後は、部室直行だな……。
「長門!」
「わかってる」
打てば響くとはこの事だ。いっそバッテリーでも組んで甲子園目指さないか?
「それはまた今度」
そうだな。それより妹の事だ。長門は本を閉じて静かに声を紡ぎ始める。
「今日午前二時四十二分、涼宮ハルヒによる局地的な世界改変が行なわれた」
「俺の妹だな?」
「そう。事前に察知しバックアップを取った私と、元から改変に組み込まれていないあなた以外の記憶は全て塗り替えられている」
という事は、朝比奈さんや古泉もちっこい妹の事は知らないのか。
「しかし、これは本質的な世界改変では無い」
「……どういう事だ?」
「あなた達で言う所の、夢のような物だと考えた方がいい。正しい軸にある世界は凍結され、保存されているため、いつでも戻る事が可能」
それは朗報だ。いつでも戻れるんなら、今すぐにでも戻りたいもんだね。主に俺の精神的健康のために。
「ただし」
長門はようやく灯った小さな火を吹き消すように、若干低い声色で続ける。
「あなたが、キーとなる何らかのアクションを取らなければならない」
やっぱりな。そんな上手い話が無いってことぐらい分かってたさ。要するに、俺がいつもの通り東奔西走しないといけないわけだろ?
「そう」
長門は朝露に耐えかねた葉の様に少しだけ頭を上下させると、再び本を開きなおす。
俺は本日二度目の盛大なため息をつくと、窓に寄りかかって景色を眺めることにした。
中学校は、どっちの方向だったかな。
「先日、涼宮ハルヒは帰宅途中に、あなたの妹と十分程度接触している。それが今回のトリガーになっているのは間違いない」
たそがれていた俺の背中に、小さな声が掛けられる。
「鍵は、あなたの妹自身が握っていると思われる」
まったく、あいつはハルヒに何を吹き込んだんだか。
本日三度目にして最大のため息をついていると、それに答えるようなタイミングで囁きが響いた。
「がんばって」
ちょっと楽しそうじゃないか、長門。
「あれ? キョンくん、何やってるの?」
久々に足を運んだ中学校の通学路。一人でお前を待っていた、とはさすがに言い辛い。
「昔の友達にちょっと用があってな。今帰りか?」
「うん」
「じゃあ、一緒に帰るか」
「うん。いいよー」
笑った顔は小さい時のままだな。
だけどいざ並んで歩くと、足取りも落ち着いていて、背丈も俺の胸くらいまではあるのがわかる。年相応、かもな。
「お前さ」
「え?」
「か、彼氏とか、いるのか?」
何でこんな娘の帰りが遅いのを心配する父親みたいな事聞いているのか自分でもさっぱりわからんが、何とか慣れない大きさの妹と会話しようとして出てきた言葉がこれだった。
「えー、そんなのいないよー」
少し照れたようにしながら顔の前で手を振っている。正直その姿は朝比奈さん張りに可愛かったもので、俺は半ば本気で心配になっていた。
「本当か? 変な奴につきまとわれたりとかしてないだろうな?」
「もー、何言ってるのキョンくん。大丈夫だってば」
そう言いながら、首を横に振っている。下ろしたままの髪が揺れて、いつも使っているシャンプーの匂いが鼻先を掠めた。
こいつ、本当にあのちんちくりんか? ハルヒの奴が適当にでっちあげたんじゃないだろうな?
疑わしく思うと同時に、本来の目的に気付いた。男の心配をしている場合ではないのだ。何とか元の大きさに縮めてやらんと、それこそ谷口のように変な男が寄ってくるかも知れん。
「お前、最近ハルヒに会ったか?」
「あー、うん。昨日駅の方で会った……ような気が、する、かな」
「その時、何話した?」
「え? えーっとねー……あれ? 何だったっけなー? うーんとね、忘れちゃったみたい」
てへっ、と言いながら自分の頭を叩く。なかなか様になってるじゃないか。ポスト朝比奈さんも夢じゃないぞ。
……じゃなくて。どうやらそう簡単に答えを教えてはくれないらしいな。
「……何か最近不満に感じてる事とか、あるか?」
「不満? うーん、特に無いけど、強いて言えば最近キョンくんがあんまり遊んでくれない事かなー」
冗談っぽく笑った顔が、小さな妹と重なった。やっぱり俺の妹で間違いないみたいだな。
俺も苦笑でそれに答える。
「もう俺と遊ぶような歳でもないだろ? 何か他にないのか?」
「本当に何も無いってば! 大丈夫だよ、そんなに心配しないで」
朗らかに笑う顔は、いつもの能天気な妹のものだったから、俺は「そうか」と呟く事しかできなかった。
家に帰って夕飯を食いながら、妹とずっと話していたのだが、結局鍵とやらの手がかりは全く掴めなかった。
「シャミー、おいでー」
幸いな事に妹は俺のように捻くれることも無く素直に成長していたらしく、若干落ち着いた雰囲気になっているものの、基本的に小学生の時と大して変わってはいないようだ。
実際の妹もこんな風に成長してくれれば、兄としては言う事無しなんだけどな。
てな事を考えながら、とりあえず風呂に入って無駄に疲れた今日一日を洗い流そうとしていると、脱衣所から篭った声が聞こえてきた。
「キョンくーん、お風呂使ってるのー?」
「使ってる。もうちょっと待て。すぐ洗っちまうか、ら……」
こちらの返答を待たずにいきなりドアが開き、シャミセンを抱えた妹が入ってきた。
素っ裸で。
「おま、おま、ちょ、と」
「ごめんね。もうすぐ見たい番組始まっちゃうから、一緒に入らせて」
「いや、服、服を……」
「シャミも洗ってあげるー」
妹はしゃがみこんで嫌がるシャミセンをスポンジのように泡立てている。
俺は釣り上げられたのにクーラーボックスにさえ入れられず陸で息果てようとする魚のように必死で呼吸した後、慌てて背中を向けた。
なかなか大きいじゃないか。朝比奈さんほどのホームラン級ではないものの、十分安打だぞ。……って、何を考えているんだ俺の脳。
だってあのちっこい妹だぜ。しかも二親等だ。別に裸なんて見たところで何のことは無い。
というか一回出ればいいじゃないか。そう。そうしよう。また後で入ればいいさ。よし、振り返るぞ。頑張れ俺。視界に入るものなんて所詮脳の刺激に過ぎないんだからな。
「キョンくん、ちょっと横にずれてー」
そうだな。風呂から出るにはまず横にずれるのが基本だもんな。
「あー、ちょっと狭いねー」
そうだな。二人で入るには、ちょっと狭いよな。
「……って、何でお前浴槽の中に入ってるんだ!」
「だって、もう身体洗っちゃったんだもん」
ねー、と言いながら胸の前に抱いたシャミセンを撫でている。
そう、胸。決して小さくない胸だ。むしろベストだ。しかも中三だ。まだまだこれからだぞ妹よ。下半身もまあまあ……
「せい!」
「ちょ、キョンくん!?」
自ら浴槽に頭を打ち付けた。やっぱり妹はドン引きだし、シャミセンもネズミかと思ったら海苔かよみたいな目を俺に向けてきた。
「蚊がいたんだ。風呂場に蚊なんて最悪だぞ。全身刺されちまう。お前も気をつけろよ」
「う、うん……」
これ以上ここにいるのはもう本当にまずい事になりそうだったので、一人と一匹の同情の視線を浴びながら、俺は浴槽を飛び出した。
結局もう一度風呂に入る気も起きず、部屋で天井を見上げていた。
あの無駄に成長してしまった小娘を、どうやったら元のちびっこいのに戻せるんだ?
別に大きいのが悪いとは言わんが、成長するならもっと正しいプロセスを踏んで大きくなってもらわないと、こっちが逆に困っちまう。
ハルヒは何か考えがあって妹を大きくしたのは間違いないし、俺の記憶がそのままだと言う事は、その理由に俺が関わっている事にも間違いないだろう。
俺に、何をして欲しいんだろうか。
しかし、いくら考えた所で、赤点ギリギリの頭では良策も浮かばなかった。
……よし、こんな時は寝るのが一番だよな。俺の埃を被った脳みそも、少し整理すれば人が住める程度にはなるだろ。
大あくびをかましながらベッドに入ろうとした所で、かすかに扉を叩く音が聞こえてきた。
「キョンくん。起きてる?」
ノックをするようになったのか。随分進歩したもんだ。
「起きてるぞ」
少し間が空いて、ピンクのパジャマを着た妹が、神妙そうな面持ちで部屋の中に入ってきた。何かあったのだろうか。
「どうした? シャミセンでも逃げ出したのか?」
あいつなら放っといてもその内帰ってくると思うぞ。そう言っても、妹は黙って首を振るだけだ。
「おい、大丈夫か? 具合でも悪いんじゃないか?」
何だか心配になって傍によると、成長してもやっぱり小さな手で、俺の手を握り締めてくる。
「私、来年から高校生なんだ」
つぼみの様にゆっくりと口を開いた。
「あ、ああ。そうだな」
「北高に入りたいな」
「そうか。俺でも入れたんだから、お前なら楽勝だろ」
「北高に入ったら、私もSOS団に入ってもいい?」
「いや、悪い事は言わん。それは止めといた方がいいぞ」
プライベートなんて無いに等しいからな。四十六時中どこぞの万年晴れ頭団長に連れまわされるのは、妹でなくても同情する。
しかし、軽い調子の俺の声を聞いて、妹は顔を俯けた。
「どうした? どっか痛いのか?」
くそ、女の身体の事はよくわからん。何かの病気とかじゃないだろうな。
どうすればいいかわからずに、とりあえず背中をさすってやっていると、
「私とは」
漏らすような声が耳を打つ。
「私とは、もう遊びたくない?」
「……何の話だ?」
「さっき、お風呂場でもすぐどっか行っちゃうし。昔は水かけっことかしてくれたのに」
たしかにこいつが低学年の時ぐらいまでは、たまに一緒に入って遊んでやっていたが。
「いや、もうお前もそんな歳じゃないしさ、俺と一緒に風呂なんか入りたくないだろ?」
「最近、休みの日はいっつもいないし」
ハルヒにしょっちゅう連れまわされてるからな。
「普通の日でも、疲れたとか言って、あんまり相手してくれないし」
トラブル続きの毎日なんだよ。
「夏の旅行にも、連れてってくれなかったし」
見所と言えば殺人事件ぐらいのもんだったけどな。
「SOS団にも、入っちゃダメだって言うし」
拗ねた様な顔も、やっぱり小さい時のままで、俺は少しだけ笑ってしまった。
「あのな」
そのまま妹の手を引いて、ベッドの上に座らせた。その隣に腰を下ろしながら、続ける。
「たしかに最近あんまり構ってやれなかったけど、別にお前と遊ぶのが嫌なわけじゃない」
面倒だけど、やたらと懐いてくる妹だ。可愛くないわけが無いさ。遊んでやるぐらい、まあ、別に何てことない。
「でもな、いくら俺でも、いつでもお前と一緒に遊べるわけじゃないんだ」
妹は拗ねたように口を尖らせたまま、顔を俯かせている。
「俺には、自分の友達がいるからな。わけが分からん奴らばっかりだが、まあ楽しいのには違いない連中だ」
「じゃあ、私も一緒に……」
「ダメだ」
あんなマトモでない連中ばかりの集まりに妹を置いておけるか。危なっかしくてしょうがない。
それにお前は、
「お前はな、自分の友達と一緒に、俺たちより楽しい事をして遊べばいいんだよ。そんでもって、俺より疲れて、俺が相手して欲しそうにしてても無視するぐらいで丁度いいんだ」
乾ききっていない頭を、わしわしと撫でてやる。まだまだガキだな。
「でもな、どうしても暇な時とか、何となく退屈な時は、遠慮しないでバンバン言え。俺が嫌がったっても無理矢理にでも引っ張っていけばいいし、風呂にだって入ってきて構わん」
ガキの裸なんて見たところで、何てことはないもんな。しかも二親等だし。
「別に無理して大きくならなくたって、俺もハルヒも朝比奈さんも長門も、古泉だって、いつでもお前と遊んでやるから」
それだけ言うと、折りたたまれていたタオルを取り出して、頭をきちんと拭きなおしてやる。
そうして油断させている隙に脇の下に手を入れて、思いっきりくすぐってやった。
「……ぷっひゃははは! や、やめてよ、ぷふっ! きゃはははは!」
止めてやらん。妙な事で拗ねたお前が悪いんだ。
さっきまで俯いていた顔は、楽しそうな笑顔に変わっていた。
やっぱりまだまだガキだな。
妹は散々笑いまくり、今はベッドの上で丸まったまま寝息を立てている。
部屋に運んでやろうとも思ったが、やっぱり止めだ。俺だって疲れてるしな。それに、そこまでしてやる義理も無い。
あくびをしなおして、そのまま妹の横に潜り込むと、微かに温まった布団の中に身体を沈める。
いつもとは少し違う匂いのする布団は、いつもより少し寝心地がいい気もする。
瞼を閉じる直前、横から呟くような声が聞こえたが、それが夢なのか現実なのか、もう俺にはわからなかった。
翌朝。
昨日と同じような窓枠の形の朝日を浴びて、俺は目を覚ました。
布団の中には、俺の他にもう一人、見慣れたちっこいのが丸まったまま寝息を立てている。
「ほら、朝だぞ。起きろ」
「……う……うー……ぁれ? キョンくん?」
目をごしごし擦っている。あんまり擦ると結膜炎になるぞ。
「お前な、いつの間に入り込んできたんだよ」
「えー? えーっとねー……てへっ」
「ごまかすんじゃありません」
とてもポスト朝比奈さんにはなれそうも無い妹をそのまま担ぎ上げると、一緒に下まで連れて行く。
「キョンくーん! おーろーしーてー、おろしてよー!」
妹の楽しそうな悲鳴を耳の傍で聞きながら、今日の朝飯は何かな、などと考えていた。
「ちょっとキョン、あんたそこに座りなさい」
「言われんでもそこは俺の席だ」
朝一で暴走族も真っ青のガンつけを俺に披露してくれるハルヒの言葉に従って、自分の席に腰を下ろした。
「昨日、妹ちゃんに会ったわ」
「そうか」
「そうか、じゃないわよこの甲斐性無しが!」
教室の空気が一瞬凍りつく。声がでかいぞハルヒ。
「妹ちゃんはこんな事を言っていたわ。『キョンくんね、最近遊んでくれないの。やっぱり小学生とじゃ、遊んでもつまんないのかなー?』ってね!」
似すぎだぞ。声帯模写もできるのかお前。
「私は申し訳なくなって、こう言ったわ。『お兄ちゃんはね、私達と遊びすぎて、きっと疲れちゃってるのよ。ごめんなさいね。あなたがもうちょっと大きかったら、いつでも私達と一緒にお兄ちゃんで遊びまれるのにね』って」
回想シーンの声が綺麗過ぎるぞ。あと微妙に格助詞が変わってる。
「そしたら、妹ちゃんなんて言ったと思う? 『早く大きくなりたいなー』だって。正直可愛すぎて抱きしめてあげたわよ」
そりゃどうも。
そこまで一息に言うと、ハルヒは心臓を射抜く勢いで俺に指を突きつけた。
「というわけで! 妹一人満足に可愛がれないあんたには、週末活動停止の刑よ! 今月一杯は休日を妹ちゃんのためだけに使いなさい!」
それは願ってもない申し入れだ。財布の中身が軽くならずに済みそうだしな。だけど、
「お断りだ」
ハルヒが石になれと言わんばかりに睨みつけてくる。今更そんな顔されたってビビりゃしないんだけどな。
「妹はな、俺と違って出来がいいんだ。馬鹿な兄貴がいなくたって、楽しい事ぐらい自分の力で見つけるんだよ」
兄バカと言いたければ言うがいいさ。だけどハルヒは一瞬目を見開いた後、夏の太陽のように厚かましい笑顔でこう言っただけだった。
「負けてられないわね」
まったく、小学生相手に対抗意識燃やせるんだから大した奴だ。
ま、小学生一人のために世界を作り変えたりするやつだもんな。そのぐらい当然か。
「ありがとうな」
「ん? あんた今何か言った?」
さあな、聞き間違いだろ。
「「いってきまーす」」
「お前も遊びに行くのか」
「うん!」
「どっちの方だ」
「あっちだよー」
駅の方角を指差している。
「じゃあ、後ろに乗れ」
「あー、いけないんだー。二人乗りはダメなんだよー!」
「馬鹿もん。いいか、こんなのはな」
指差しながら俺を非難する妹を片手でつまみあげて、無理矢理後ろの荷台に押し込み、ヘルメットを被せてやる。
「バレなきゃいいんだよ」
少しだけ重いペダルを漕ぎながら、普段通らない裏道を通って、駅の方まで走って行く。
シャツを掴む妹の手は、昔より少しだけ大きくなっていた。