気の遠くなるような三日間を過ごした俺は病院のベッドで目を覚ました。  
一頻り心配してくれたSOS団の面々と色々話したりもしたし、とりあえず翌日の検査も  
無事に終え、めでたく退院、帰宅することが出来た。  
その頃はまだ俺も動転していたのだろう、何せあれだけのことがあった後だしな。  
 しかし、翌朝学校へ向かう道すがら、俺の脳裏にはある疑問が湧き上がってきた。  
 
 何か重要なことを忘れている気がする。  
 
 いったい何だこの違和感は? 必死に思い出そうとして前頭葉のあたりに薄く光が灯り  
始めるのだが、寿命を終えた蛍光灯が消えるように一瞬にして記憶の海馬奥深くに飲み  
込まれてしまう…、そんな繰り返の後に、少しずつピントが合ってきた。今まで何故気付か  
なかったのかも不思議なくらいだ。  
 
 俺がどうしても思い出せないもの。それは……  
 
「ようっキョン!」  
 後ろからポンッと肩を叩いたのは谷口。  
「もう平気なのか?」  
 いつもの脳天気面とは違って、多少は心配してくれるような面持ちで話しかけてきた。  
「ああ、もう何ともないさ。全く心配いらないそうだ」  
 という俺の答えにホッとしたのか、普段通りの谷口顔に戻って  
「しかしよ、何でもない階段から転げ落ちてそのまま病院送りなんて、つくづくオマエもドジ  
だよな」  
 ケケケ、と笑いながら再び俺の肩をポンポン叩いてきやがった。  
 あれは別に俺のドジで転げ落ちたわけでもないし、実際そんな体験をした記憶もない  
んだが、まあ、こいつに言えるわけでもないので、適当に話を合わせておくことにする。  
 
 ところで、記憶が無いと言えばさっきまでの話なんだが、俺の記憶から溢れ落ちてしまっ  
ている断片を、無駄なことと思いつつも訊いてみることにした。  
「なあ谷口、ちょっと尋ねたいことがあるんだが─────」  
「はあっ?」  
 俺の疑問を投げかけた後の、谷口の素っ頓狂な声と、人を哀れむような視線が痛い。  
ああ、やっぱり訊かない方が良かったかな……。  
「キョン、俺が忘れるのはともかく、オマエがそれを覚えてねぇってのはマズイだろーよ。  
もしかして記憶喪失なのか?検査結果に問題無かったってのは間違いなんじゃないか?  
再検査してもらった方がいいんじゃないのか?」  
 などと、本気で心配そうな目をしてきやがった。  
 
 俺にとっちゃ病院の検査なんてどうでもよくて、あの長門が言ってくれた「大丈夫」の言  
葉ですっかり安心していたが、いくら相手が谷口だろうとクエスチョン・マークを三つも入  
れて問われると、些か心配になってくるのも否めない。  
長門の情報操作も時々大雑把なところがあるしな……。  
 
 教室に着いて、国木田も交えて話の続きをしたが、返ってくる反応は大差無いものだった。  
 
「すっかり大丈夫みたいね」  
 HR直前に教室に入ってきたハルヒが、満足気に席に着いて声をかけてきた。  
「なあハルヒ、おまえがこんなこと覚えてるかどうかも疑問だが、俺にとっては大事なこと  
なんだ」  
 と前置きして、谷口達に訊いたのと同じことを尋ねてみた。  
「さあ、どうだったかしらね。訊いたことがあるような気もするけど、覚えてないわね」  
 おそらく北高に入学してからの八ヶ月、最も付き合いが深いであろうこいつでさえこんな  
調子か。これじゃ他のクラスメイトに訊いても収穫が得られないのは火を見るより明らかだ  
ろうな。  
「そんなことは別にどうだっていいのよ!それより…」  
 ハルヒは俺のネクタイを掴んで引き寄せると、悪戯っぽくニヤリと笑い  
「クリパの出し物はちゃんと考えてるんでしょうね?全然ウケないものだったら追加で罰  
ゲームもやらせてアゲルからね」  
 どうでもいいってことはないだろ。俺にとっちゃ少なくとも、トナカイの被り物で演じなけりゃ  
ならない芸よりは深刻な問題だぜ。  
 
 そして授業中もずっと俺は落ち着かなかった。どうしても思い出せない記憶。単なる  
ド忘れではなく、覚えていて当然、いや、絶対に忘れてはならないようなことが、そこだけ  
スッポリと抜け落ちてしまってる気がしてたからだ。  
 もしかして俺はまだ何らかの精神攻撃を受けているのだろうか…?それとも何かの理由  
で、ハルヒが無意識に改変してしまった別世界に迷い込んでしまっているのか?  
 
 そこはかとない不安が俺を押し潰しそうで、いたたまれなかった。  
 
 ─────  
 
 こういうときは長門に訊くに限る。  
 
 昼休みのチャイムももどかしく、急いで文芸部室に向かった。今日の部室には“いつもの”  
長門が居るはずだ。  
 部室の前に立ち、ここはもう、いつもの…今までの世界なんだと、心に固く信じ、大きく深  
呼吸してドアを開け  
「長門、訊きたいことがある」  
 見慣れた光景がそこにはあった。部室の隅で一冊で枕にも事足りるほどの分厚いハード・  
カバーを読んでいた長門が静かに顔を上げる。  
 
「こんなこと言うのもアレなんだが、例の三日間の情報操作には何も問題は無かったよな?」  
 息を切らしながら問いかけた俺に、長門は無表情な漆黒の瞳で  
「問題無い」  
 とだけ答えた。そんな無表情ぶりに「ああ、ここはやっぱりいつもの世界なんだな」と少し  
ホッとしつつ、俺は言葉を続けた。  
「じゃあ、それ以前のことに関してはどうだ?何かが変わっちまったとか、俺の記憶が改竄  
されたとか…」  
 長門は一体何がおかしいのか理解できない…とでも言いたげな雰囲気で2ミリ程首を傾げ  
「あなたはいつものあなた。心配するようなことは何も起きていない」  
 
 いや、よく考えてみると、そもそも俺はいつ“その”記憶が無くなっちまったのかさえ思い出  
せない。あの事件の前までは覚えていたのか、それともハルヒが初めて俺の前に現れたあ  
たりで既に無くしちまっていたのか、あるいはそれ以前から……?  
 
 一頻り捲し立てる俺の言葉を聞き終えると、長門もようやく何が言いたいのか理解できた  
ようで、ハードカバーを閉じ、真摯な瞳でこちらへ向き直った。  
「そうではない、…あなたにはもともとその記憶は無かった…と推測される」  
「と言うことは、ハルヒがその必要性を感じていないから俺の記憶が無くなった…ってワケで  
もないんだな?」  
 いくらなんだってそれはデタラメすぎるってもんだ。横暴にも程があるしな。  
「その件に関して涼宮ハルヒは影響していない…と推測される」  
 いつもと違って長門の口調は今ひとつ自信無さ気だ。  
「長門、おまえにしては珍しいな。どうして全部推測なんだ?」  
「………」  
 答えにくいことなのか、長門は少し躊躇したように間をおいて  
「…それは、この世界より更に大きな存在の力が働いているから…と推測される」  
 また推測か  
「大きな力…? 古泉の居る『機関』や朝比奈さんの来た未来や、おまえが属する情報思念  
体とやらよりも…なのか?」  
 俺は俄に、足にまとわりつくような恐怖を感じていた。  
 
「何者なんだそいつは?」  
 
「………」  
 長門は暫く黙ったままだった。俺に伝えて良いものかどうか考え込んでいるのか、或いは  
情報思念体とやらと相談でもしているのか、無言で無感情なその目の中でブラック・ホール  
のような瞳だけが微妙に揺れていた。  
 
 やがて、長門は一言だけこう言った。  
 
「…作者」  
 
 
 
やれやれ、誰か俺の本名を教えてくれ。  
 
 
 
 
終わり。  
 

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