『
始めに、こんな気味の悪い手紙を出してしまったご無礼を、丁重にお詫び申し上げます。
このような物は、おそらくあなたにとって迷惑以外の何者でもないでしょう。
ですが、私にはどうしても、この手紙を書かずにはいられませんでした。
どれほど愚かしい事かというのは、自分でも十分理解しています。
それでも私は、あなたの事が、好きになってしまったのです。
』
「なあ、ハルヒ」
晴れた日の休み時間。待ち望んでいた令状が出た警部補のような足取りで教室を出て行こうとするハルヒを呼び止めた。
「何よ」
「今週の日曜も、市内探索するんだよな」
今日は金曜だから、日曜というのはつまる所明後日の事だ。
「はあ?」
ハルヒは急に喋れなくなったオウムを見る目で俺を睨みつけてくる。
「何言ってんのよキョン。そんなの当たり前じゃない。ていうかむしろ常識の域よ」
どんな業界の常識だよ。
「じゃあやっぱり、日曜は晴れてたほうがいいと思ってるか?」
「そりゃそうよ。曇りだと何となくスッキリしないし、雨なんて降ったらあんまり歩き回れないでしょ」
そんな事もわかんないの、と腕を組んで馬鹿にしたように俺の事を見下していた。
この調子じゃ、こいつに頼るのは無理そうだな。ため息をつく俺を見て、ハルヒは眉を僅かに動かした。
「何よ。何か用事でもあるわけ?」
いや、特には。
「……じゃあ何でいきなりそんな事聞いてくんのよ」
ハルヒはそれこそ尋問する刑事のような勢いで歩み寄り、俺のネクタイを掴み下ろす。顔が近えぞ刑事長。
「答えなさい」
そんなぎらついた目を向けられても、本当に何も無いんだからしょうがないだろ。
疑いがありありと浮かんだ目で睨みつけてくるハルヒに対して、俺は何故か言い訳じみてしまっている言葉を重ねつつ、どうしたもんかね、と足りない頭を悩ませていた。
『
もちろん、付き合って欲しいなどという事は、少しばかりも考えてはおりません。
あなたが何を一番大切にしているかという事は、きっと誰もが知っているでしょう。
ただ、何もせずに捨て置くには、この思いは少しだけ重すぎて、私はそれを持て余していたのです。
ですので、もし許されるなら、たった一つだけ、私の我侭な願いを聞いて欲しいのです。
』
間の抜けたような鐘の音が鳴り響く事数回、ようやくHRが終了したのを確認して、ドーピング後のベンジョンソンも真っ青の勢いで教室を飛び出した。
後ろからハルヒの声が聞こえてきたが、無視しとく。悪いなハルヒ。お前より早く部室に行かなくてはならんのだ。
途中で古泉のクラスに立ち寄った後、部室棟まで一気に駆け抜けた俺は、ノックの音もそこそこに部室の扉を開け放ち、
「長門」
もはや描き上げられた絵の如く窓際の風景の一部と化している長門に声をかける。
「……なに」
撫でるように黒い瞳を動かし、俺の顔を見つめてきた。
「明後日の天気を、聞きたいんだが」
長門は少し首を傾げた後、
「他の時間軸の私とは同期していないので、絶対的な未来を知る事は不可能」
「ああ、そんなのは別にいいんだ。お前の予測を聞かせてくれ」
少なくともテレビのニュースキャスターよりは確実性のある天気予報を聞かせてくれるはずだ。
「わかった。明後日は、快晴の確率が八十二パーセント、曇りの確率が十三パーセント、雨の確率が4パーセント、未確認隕石群が飛来する可能性がゼロコンマゼロゼロ……」
「待て。そこまででいいぞ長門」
何だかあんまり聞きたくない言葉が混ざり始めていたような気がする。
長門は、何か言いたげな目を向けてくる。その視線を受け流しながら、一応聞いてみる事にした。
「やっぱりさ、無理矢理天気を変えるってのは、まずいんだよな」
「……不可能ではない。しかし、以前も言った通り推奨はできない。将来的に多大な影響を及ぼす事象になりかねない」
そりゃそうか。ハルヒのミラクルパワーにしても、力づくだしな。あいつを無理矢理焚きつけないで正解だったのかもしれん。
「何か、あったの」
非常に珍しい事に、長門が自分から問いかけてきた。ボイスレコーダーを買ってこなかった自分の不手際に内心舌打ちしつつ、
「いや、別に何も無いぞ」
正直にそう答えた。特に何にもありやしないってのは本当の事だ。
「ただ、さ」
窓の外は、嫌味なくらい晴れ渡っていて、俺はそれが少しだけ腹立たしかった。
「たまには雨でも降らないかな、なんて思っただけだ」
長門は小さく「そう」と呟いただけだった。
『
私の容姿は、あまり他人に自慢できるものではありません。
昔から地味だと馬鹿にされてきた自分の姿に、コンプレックスさえ抱いています。
そんな私は、友達と歩くときでさえ、他人の視線についつい怯えてしまうのです。
ですから、異性の方と歩いた事など、一度もありはしませんでした。
』
翌日。
結局明日の予定は、「朝九時に駅前集合よ! 遅れたら罰金ね!」なんていう団長の言葉で決定してしまった。
まあ、別にそれは全然構わないというか、構わなすぎてもう腐ったブドウのように発酵していたので今更文句などありはしない。だが、
「あぁー、キョンくーん、勝手にチャンネル変えないでよー」
妹の手からリモコンを奪い取り、チャンネルを泥臭い昼ドラからニュースに変える。小学生が昼ドラなんか見てちゃいけません。
リモコンを奪い返そうとするうちに、いつの間にか俺にじゃれ付く事が目的となってしまった妹の相手をしていると、天気予報が流れ始めた。
俺たちの住む市内には、見事な晴れマークがついている。くそ、少し横の市は傘マークなのに。
「あ! 明日も晴れだって。良かったねシャミー!」
シャミセンが迷惑そうに喉を鳴らした。俺も鳴らせるもんなら鳴らしてみたいもんだね。
「ちょっと輪ゴム取って来てくれ」
そう妹に頼みつつ、テーブルの上に乗っているティッシュを何枚か取り出すと、丸めて包んでいく。
「キョンくん、何作ってるの?」
妹は素直に輪ゴムの箱を持って俺の傍に戻ってくると、手の中を覗きこんできた。
「……てるてる坊主?」
正解。商品は輪ゴムな。好きなだけ持っていくがいい。
「でも、明日は晴れだっていってるよ?」
俺たちぐらいの年代になると、決まりきった事項を覆す事に快感を見出すようになってくるんだ。
妹は首を横にぐらぐら揺らしながらてるてる坊主を見つめていたが、やがて笑顔になって「私も作るー」とか言い出した。
気付けばティッシュの箱は空になっており、テーブルの上には様々な形のてるてる坊主が並んでいた。
ちなみにその内の八割は、途中で調子に乗って作った力作のキリン型てるてる坊主の材料となっている。
無くなったティッシュをスーパーまで買いに行かされる前に、自分の部屋の窓にそれらを吊るしていった。
全部、逆さまにして。
『
それでも、私は憧れてしまったのです。
あなたと肩を並べて辿る、学校の坂道を。
もうお気づきかと存じますが、願いというのは、他でもありません。
あなたと一緒に、たった一度だけ、並んで歩きたいのです。
』
まあ別にてるてる坊主なんて信じていたわけではないが、翌朝は雲一つ無い快晴だった。風はやたらと強かったのだが。
やっぱりキリンがまずかったのだろうかと思いつつ、いつものように自転車を飛ばして駅前に着くと、いつものように既に皆揃っていた。
「はい、キョン」
何だよその手は。
「財布出しなさい」
いつもの事だ。
最近自分の奢りで皆の腹を満たす事に快感すら覚えてきた俺は、このままで人生いいんだろうかという哲学的な危機感を抱いていた。
「そのぉ、いつもごめんね、キョンくん」
気まずそうに目を伏せながら、朝比奈さんは言った。いえいえ、あなたのためなら財布の一つや二つ空になった所で何とも思いませんよ。
「お陰さまでいつも一食分経費が浮いてますからね。非常に助かります」
キモいウィンクをしてくる古泉。お前は正座しろ。
ハルヒは満面の笑みで千二百円のパフェを貪り、長門は黙々とハンバーグセットを小さい筈の胃の中に溶かし込んでいく。俺はその腹の辺りをこっそりとつついた。
「長門」
ハルヒがパフェに夢中になっている今がチャンスだ。
「今日のクジ、操作してくれないか」
長門はフォークを持ったままちらりと俺の方を見て、「誰と」と聞いてきた。
俺がそれに答えると、少し考えるように瞬きを止めた後、かすかに頷く。
「長門さんにまで頼んで僕とペアを組んでくれるなんて、どういった風の吹き回しですか?」
いつもより若干カジュアルな格好をした古泉と並んで、公園のベンチに座っている。正直全然嬉しくない。
「あなたが僕に心を開いてくれたのだとしたら非常に光栄なのですが、どうやらそうではないようですね」
笑顔で自己完結させる古泉の方を見ずに、俺は空を見上げていた。
「雨、降らなかったな」
古泉も、それに倣って顔を上に向ける。
「……そうですね」
「行かないのか」
「行けません。一方的なものとは言え、約束ですから」
それが正しい事なのか、俺には判断できなかった。
「きっと、待ってると思うぞ」
「かもしれませんね」
それ以上は、何も言えなかった。古泉も口を開こうとはしない。
雨は、まだ降らなかった。
『
ですが、私とあなたが並んで歩いたら、おそらくあなたまで不愉快な視線に晒される事でしょう。
なので、登校する時や放課後などの、人の多すぎる時間では、私にはあなたと歩く資格すら有りません。
例え休日だとしても、道行く人の視線を想像するだけで、あなたに申し訳なくなってしまいます。
そして、私はあなたにそんな目を向けさせてしまう私自身を、きっと恨んでしまうでしょう。
』
「あーあ、結局今日も収穫なしだったわね」
そう言うハルヒは、しかしどこか満足そうでもあった。そりゃまあ一日中遊んでればな。
「キョン君、何だか今日は元気無いですね。疲れちゃった?」
「いえいえ、そんな事無いですよ」
朝比奈さんが俺を心配するかのように、袖をそっと握ってきた。いつもならそれだけで心身ともにベストコンディションなのだが、今日の俺にはぎこちなく笑い返すことしかできなかった。
古泉の方を横目で見ると、いつもと変わらないにやけた面のまま、ハルヒと来週の予定について語り合っている。
ムカつく。俺がこんな事を思うのはお門違いだという事は分かっていたが、それでも、そう思わずにはいられなかった。
「キョン君……?」
朝比奈さんの戸惑うような声を聞いて、頭を振る。
古泉だってそう悪い奴じゃない事ぐらい、とっくにわかってるさ。誰も悪くなんて無いことも。
だから俺は、晴れたままで暗くなり始めた空を睨みつけた。気の利かない奴め。くやしかったら雨の一粒ぐらい降らしてみろよ。
その時、朝比奈さんが摘んでいるのとは逆の袖を、誰かが引っ張った。
「隣町で、雨が降り始めた」
長門は落ち着かせるような声色で俺に語りかける。
「今日は風が強い。多分、もうすぐ……」
不意に、冷たさを感じた。手のひらに水滴が落ちているのが見えた。
「ん? 何よ。晴れてるってのに、どうして雨なんて……」
ハルヒが声をあげる。古泉は笑顔を消し、少しだけ呆然としていた。
「古泉!」
雨がアスファルトを叩く音が聞こえる。
「傘持ってるか!?」
古泉は首を横に振る。
それを見た俺は目の前のコンビニに飛び込むと、新品の傘を一つ買った。今更傘の一本奢るぐらい、安いもんだ。
「持ってけ」
古泉に少し高目の黒い傘を押し付ける。
「いえ、しかし……」
「約束なんだろ」
古泉は僅かに目を見開いたが、すぐにいつもの腹立たしい笑顔に戻ると、剣を授与された騎士のような仕草で傘を受け取った。
「あなたは、お人よしですね。本当に、心からそう思います」
余計な事を一言だけ言うと、雨の中を駆け出していく。
霞んでいく後姿は、非常に悔しい事に、少しだけ嫉妬してしまうぐらい格好良かった。
『
だから、明後日の日曜日。何時でも構いません。もしも雨が降ったなら、校門の前まで来てください。
霧のような雨と、大きな傘が、私の容姿を隠してくれるでしょう。
もちろん、来ていただかなくても一向に構いません。
それでも私は、一つの結果を得た事できっと満足する事ができます。
では、乱筆且つ乱文ではありますが、ここまでで失礼させて頂きます。
あなたが気を使うといけないので、私の名前は書かない事にします。多大なるご無礼、どうかお許しください。
』
俺の靴箱の中にそんな手紙が入っていたのは、金曜の朝の事だ。
白くて小さな封筒は、朝比奈さんからにしては地味すぎたし、長門にしては遠まわし過ぎで、ハルヒに至ってはありえない。
これはまさか、と思い微かに興奮していた俺は、そのままトイレの個室に入り中身を最後まで読んでしまった後で、封筒に小さな紙がクリップで留められているのに気付いた。
『
この手紙を、あなたのお友達の古泉一樹君に渡して下さい。
こんな事を頼むのがいかに失礼かという事は、百も承知です。
ですが、古泉君の靴箱にこの手紙を入れる勇気が、どうしても私にはありませんでした。
もし誰かに古泉君の靴箱に手紙を入れる私の姿が見られたりしたら、
そしてもし私と同じような誰かが、この手紙を古泉君より先に見つけたら。
万一にも、この手紙が古泉君の元に届かない事があれば、私の思いが無駄になってしまいます。
それはとても怖くて哀しくて、辛いのです。
その時、古泉君と親しくしているあなたの事に思い至りました。
涼宮さんという恋人が既にいらっしゃるあなたなら、変な誤解も受けにくいのではないか、
そして何よりあなたがとても信頼できる人だという事を、私はある人から聞いて知っていたのです。
それらを踏まえた上で、このような失礼を働かせて頂いています。
独りよがりな考えだという事も、理解しているつもりです。
それでもどうか、この手紙を、あなたの手から、古泉君に渡してもらいたいのです。
なにとぞ、よろしくお願いいたします。
』
その下に、俺の名前が敬称をつけて書かれている。
恋人という二文字に修正印を押したい気持ちが大いにあったのだが、それよりも、手紙の内容について考えなければならなかった。
日曜が晴れだという事を知っていた俺は、手紙を見てしまった責任も手伝って、何とか雨を降らせられないもんかと頑張っていたわけだが、まあ結果的に、
「もう! 小泉君何で昨日急に帰っちゃったのよ!」
「本当に申し訳ありませんでした。急に用事ができてしまったもので」
古泉は神妙そうな顔でハルヒの説教を受けていた。
まあ、そういうわけで、隣街の雨が強風に煽られてこの辺まで飛ばされ、結果的に雨は降ったわけだ。
窓の外は、昨日の雨を忘れたかのようにからからに晴れきっていた。なかなか気の利く奴だ。流石に今日も雨ってのはちょっとな。
「涼宮さんのお説教は、なかなか迫力がありますね。彼女に対して萎縮しないあなたの事を、少し尊敬しますよ」
いつの間にか、向かいには古泉が腰掛けていた。
「そうそう。傘を返さなくてはなりませんね」
「別にいらん。こんな日に傘持って帰ったら変な目で見られるだろう」
「それもそうですね。では、部室に置いておきましょう。いざという時に使えばいいでしょうしね」
古泉はいつものように落ち着いた笑顔で朝比奈さんの淹れたスーパーロイヤルグリーンティーを啜っている。
部屋の隅には、わざわざ持ってきたのであろう、昨日の傘が立てかけられていた。
「……役に立ったか?」
「はい?」
「傘だよ。その、結構大きかっただろ」
手紙には確か、大きな傘って書いてあったからな。
「……いえ、余り役には立ちませんでしたね」
古泉は、心底愉快そうな顔でこちらを見ながら笑っている。
「彼女も一本、傘を持っていたものですから」
俺は机の上に何となく相合傘を書くと、片方に古泉の名前を入れ、もう片方には、手紙にうっすらと消した跡が残っていた彼女の苗字を書き入れた。