「ここは一体何処なんだ…?」  
 
 辺り一面がまるで霧に包まれているようで全く視界が効かない。いつぞやの閉鎖空  
間のような灰色世界とはうって変わって、見渡す限りの真っ白な世界だ。  
 
ここは一体……?  
 
 ─────  
 
「会うとみんな泣いちゃうだろうから…」  
 
 と、こっそり俺だけに別れを告げて行ってしまってから、どれくらい経ったのだろう…。  
歳をとると十年が一年のようなスピードで過ぎてしまったり、昨日のことが一年前の  
ことのように遠く感じたりするもんさ。  
 ハルヒよ、『別れ』っていうのはな、きちんと伝えないと、取り残された方はそこだけ  
ポッカリと穴が空いてしまったような気がして、かえって寂しいものなのさ。でも、おま  
えがそんなこと知らないはずもないだろうし、本当はやっぱり、おまえ自身が泣いちま  
うのが怖かったんじゃないのか?  
 
 
 そして今、俺がみんな───つまりSOS団員の面々───に最後のお別れ…  
という立場になっている。  
 
 まず最初に口を開いたのは古泉だった。腕を組んで伏し目がちではあるが、寂しさ  
をこらえて無理に笑顔を作ろうとしているのが見え見えだ。  
「以前にもお話ししましたが、こんな時だからこそあえて言わせて頂きますす。あれから  
僕なりに色々考えましてね、実際のところ涼宮さんではなくて、“神”なる存在はやはり、  
あなただったのでは?という結論に…、いえ、無理がありますね。気にしないで下さい」  
 
 なんだそりゃ?どういう理屈だ?唐突にも程がある。それこそこんな時に言うことで  
もないだろうが。  
 古泉は右手を前に振り出しながら  
「いや失礼。これで本当にお別れですね。すぐに…と言うわけにはいきませんが、恐ら  
く僕もそう遠くない未来、そちらに行くことになるやもしれません。その時はまた宜しくし  
てやってください」  
 そして俺の手を握り  
「すずみ…いえ、ハルヒさんとお幸せに」  
 相変わらず友情吹いた口振りだが、こういうときは暑苦しく感じない。最後には耐えき  
れず溢れ出す古泉の涙を見たとき、「ちょっとオマエのことを邪険にしすぎたかな。すま  
ん古泉」と、心底思ったよ。  
 
 顔をくしゃくしゃにしてボロボロ泣いているのはやっぱり、幾つになっても永遠のマイ・  
スウィート・エンジェル朝比奈さんだ。しばらくぶりの再会だが、この朝比奈さんはいつ  
の時代から来た朝比奈さんなだろう?  
度々お会いしていた大人の朝比奈さんよりも幾分年上にも見えなくもない。  
「ひっく、キョンくん、SOS団としてみんなで過ごした時期…すごく楽しかった。ひっく…  
一生忘れられない思い出です。…もう会えなくなっちゃうんですね…ふぇーん…」  
 更にしゃくりあげながら  
「ひっく、奥さんに会えたらよろしく伝えてくださいね」  
 こんなに朝比奈さんに別れを悲しんでもらえるなんて、俺は果報者です。このまま死  
んでも良いくらいです。朝比奈さんの言葉、ハルヒにもちゃんと伝えます。たぶん。  
 
「…………」 これは長門。無言なのは相変わらず。  
 あれから何十年も経ち、その無表情の中にも随分と感情が表れるようになったな。普  
通の人では気が付かないけれど、SOS団員なら気が付くほどに。そして長門の表情専  
門家と自負している俺にはハッキリ解ったさ。  
その沈黙の奥で、長門は号泣してくれている…と。  
 長門には何度も助けてもらったよな。でも今回の別れは抗えない、いや、抗っちゃい  
けないんだ。解ってくれるよな。  
「…そう」  
 別れ際、数ミリ頷いた長門の目から一縷の涙が見えたような気がしたのは俺の自惚れ  
…じゃないよな?  
 
 
 ─────  
 
 右も左も区別が付かないような白い霧の中を当て所なく進んでいくと、視界の先だけ  
まるでスポットライトが当たったかのように、ぼんやりとだが霧が晴れ、そこにはあぐら  
をかいて座っている女の後ろ姿をとらえることが出来た。  
 ハルマゲドンのように盛大に現れ、さんざん俺のことを困らせ、大学卒業後にはめで  
たく(?)俺と結婚し、その後何十年間も俺の前に居座り続けたあの女だ。天国に行っても  
忘れられない姿だね。見間違うわけないさ。  
 
「遅いじゃない、キョン」  
 振り向き様の一言めがこれだ。久し振りだってのに。  
「待ちくたびれるところだったわよ!」  
「こういう場合、あんまり待ち焦がれられてもゾッとしないね」  
「ふふん、ここまで来てまだそんな減らず口が叩けるわけ?罰金払って貰ってもいいのよ」  
 そう言うハルヒの口振りとは裏腹に、その笑顔はとても嬉しそうだった。  
 
「待たせたな。まあ俺も向こうでは色々あったしな」  
 隣に腰を下ろし  
「どうだいハルヒ、ここの居心地は?面白いことはあったかい?」  
 と訪ねると、少し考えたような素振りをしながら  
「…まあまあね。悪くはないわ」  
 こんな風に嘯くときのハルヒはそこそこ満足してる…ってときだ。平和すぎて退屈でもし  
てるんじゃないかと心配したが、あながちそうでもなかっらしいな。  
 
 改めて視線を前に向けると、その先は湖畔になっているのか、それとも海辺なのか、  
水面が闇のように深いく、まるで宇宙の縁にでも座っているようにさえも感じる。  
 
「みんながよろしく言ってたぞ」  
「…懐かしいわね。みんなはまだ元気でやってるのかしら?」  
 ああそれなりに元気だったさ。未だに気苦労が絶えない性格の古泉はだいぶ老けこん  
じまってたけどな。まあ俺に比べれば幾分マシだとは思うがね。  
「ふん、なによソレ?あんたは今までの人生が楽しくなかったとでも言いたいわけ?」  
 怒ってるつもりらしいが、顔は楽しそうだな。おまえも歳をとって人間がまるくなったん  
だろう。出会って間もない頃のツンツン顔と比べれば、対象にならない程に素直で優しい、  
いい表情じゃないか。  
「なに人の顔見てニヤニヤしてんのよっ?」  
 俺の胸ぐらを掴み上げてくるところは相変わらずだがな…。  
「で、どうなのよ?」  
 
 今さら訊かれるまでもないさ。俺の答えはそう、高校一年のあの時から既に決まってる。  
 
「楽しかったさ」  
 
 蝶の羽ばたきのような穏やかで清々しい風が二人の頬を撫でる。相変わらず辺りは白  
い霧に包まれたままだったが、お互いの顔がソフト・フォーカスで見えるような距離感が  
心地いい。  
 
 
 ─────俺はあの時の、ハルヒと別れを告る少し前の日の会話を思い出していた。  
 
「なあハルヒ」  
 ハルヒは黙ったまま顔だけ俺の方に向けた。  
「今更だが… いや、今だからこそ言うが、長門と朝比奈さんと古泉の正体なんだけどな」  
 と話し始めたとき、ハルヒは「フフッ」と小さく笑って静かに口を開いた。  
「…宇宙人、未来人、超能力者、って言いたいんでしょ? わかってたわよそれくらい」  
 
 意外…ではなかった。実のところ、もしかしたら気が付いていたんじゃないか…とは思っ  
ていたから。  
「で、どの辺りから気が付いてたんだ?」  
「…実はね、最初から」  
 なんだって!?  
「── ってのは嘘だけどね…」  
 そう言ってハルヒは一瞬悪戯っぽい顔をしたかと思うと、教室の窓から雲を眺めるよう  
な懐かしい目線で話し始めた。  
 
「確かに有希もみくるちゃんもちょっと変わってるな…とは最初から思ってたわ。絶妙なタ  
イミングで転校してきた古泉くんなんて怪しすぎるし…」  
 おまえが勝手に『怪しい』っていうレッテルを貼ったんだろが。  
「でもね、いつだったがキョンが話してくれたでしょ? あの三人がそれぞれ宇宙人、未来  
人、超能力者だってこと」  
 ああ、あの世界が腓返りを起こしそうになった日のあとの……。  
「でも、あの時は全く信じてなかったじゃないか?」  
 俺が世界を人質に断腸の思いで打ち明けたってのに。  
 
「そうね…、あの時は笑って悪かったって、…少しだけは思ってるわよ」  
 少しだけかよ。まあ、こいつがこんなに素直に謝るなんてのも悪い気分じゃないな。  
 
「でもね、一度言われるとやっぱり気になるじゃない?その後それとはなしに気にしながら  
見ちゃうのは仕方ないでしょ?それで気が付いたのよ。  
考えても見なさいよ。野球大会の時の連続ホームランとかどう考えたっておかしいでしょ?  
アメフトを観に行ったときもそう。有希が何か呪文みたいなのを唱えると、あり得ないことが  
起きたり、あり得るはずのことが起きなかったり…… ああ、このコは魔法使いかなにかな  
んだわ…とか思っちゃうのも無理はないと思わない?  
ううん、それ以外でも物凄い知識や、体格からは想像できない運動能力とか見ても解るわよ  
普通じゃない…って」  
「なんだよ、全部バレてたのか……」  
「当たり前じゃないっ!あたしの洞察力をなめてもらっちゃ困るわね」  
 フンッと鼻を鳴らすハルヒ。  
 
「あとみくるちゃん…  
みくるちゃんなんか何回も目撃したわよ。あり得ない場所に居る違うみくるちゃんをね!」  
 ああ、やっぱりね……そうとう迂闊です朝比奈さん……。  
「古泉くんはとうとう確証は得られなかったけどね。でもキョンが話してくれたキーワードに  
当てはめると、この人は超能力者なんだろうな…てのは思ってた。そうなんでしょ?」  
 ハルヒの洞察力がスゴイっていうのは前々からわかっていたけど、こうもあからさまになっ  
ちまうと、なんかこっちが情けないような気もするね。  
 
「そうかい、でもなんで気が付いてるってことをバラさなかったんだ?」  
「うん、何となく…ね」  
 少し寂しげに目を伏せながら続けた。  
「だってみんなあたしにバレないように必死になってるみたいだったから、何となく突っ込  
んじゃいけないところかな…って思って。  
触れられたくない部分に触れられるのって誰でもイヤじゃない?その後関係がギクシャク  
するのも気まずいし……下手したらあたしのところから去って行っちゃうような気もしたし」  
 去っていく…てのはまずあり得ないだろうが、こういう気遣いの仕方は“らしい”かもな。  
 ハルヒは天を見上げ、  
「だったらこのまま一緒に遊んでた方が楽しいじゃない。せっかく宇宙人・未来人・超能力  
者があたしの周りに現れたんだもの。  
だから途中から『宇宙人・未来人・超能力者探し』はやめて、それからは不思議な事件探  
しに切り替えたのよ」  
 ああ、なんだろうねこれは?ホッとしたようなガッカリしたような… 果たして俺の今まで  
の苦労は報われていたんだろうか。妙に納得したのは確かだが。  
 
 その頃からか?古泉が『最近は閉鎖空間の発生率が減少している』とか言い始めてた  
のは…。  
 
 暫く感慨深げにしていたハルヒは突然俺の胸ぐらを掴んでを引き寄せ、まるでオヤツを  
盗み食いした子供に問い糾すように  
「ところでキョン、あんたはなんなのよ?」  
「何がだよ?」  
「有希もみくるちゃんも古泉くんもあんたには正体明かしてたんでしょ? うん、見てれば  
判るわ。いつも四人でコソコソやってたものね。  
実はね、そんなあんたたちを見てて、いつも羨ましく思ってたの。…いえ、それはいいの」  
 どっちなんだ?  
「たまたまあたしが目を付けた三人が宇宙人、未来人、超能力者なんて、『流石あたし』な  
て思ってたけど、よく考えたら三人とも、あたしがキョンと知り合った後から現れたんだもん  
ね。もしかしたらあの三人を集めてくれたのはキョンなんじゃないかしら…って思ったりもし  
たのよ」  
 断じてそれは無い。それこそまさしく濡れ衣だ。…と思う。  
 
「答えなさいキョン… あんたはいったい何属性なの?」  
 更に俺の襟元を掴んで引き寄せる。おまえは人に問い糾すときは一生それなのか。  
「さあキョン、この際だから白状しちゃいなさい!」  
 さて、なんなんだろうね?以前、古泉が俺のことを『神かも…』とか言ってたような気もす  
るが、とてもじゃないが俺にそんな自覚も責任感も無いしな。  
 とりあえずその手を離してくれ。このままじゃ話もできん。すぐ熱くなるところは歳をとって  
も変わらんなまったく。  
 
 時も時だし、全てをありのままに打ち明ける決心をした。あの時より更に詳しく。  
三人の正体のこと、それぞれの目的のこと、そしてハルヒは『時空の歪み』であり『進化の  
可能性』であり『神的存在』であるとされていたこと。ハルヒが何か問題を起こすと、その度  
に俺がフォローに追われて七転八倒していたこと─────。  
 
 そして最後に、「今まで話してやれなくてごめんな…」と。  
 
 ハルヒは驚いたと言うよりは神妙な面持ちだった。これもまあ俺の予想した範囲内だな。  
「ふーん、あたしって自分でもある程度解っていたつもりだったけど、それ以上に凄かったの  
ね…確かにあの頃のあたしがそんな“能力”を持ってるって自覚してたら、それこそ勢いに  
任せて世界を滅ばしちゃってたかもね。実際そんな夢も見たことあったし」  
 いや、それは夢じゃなくてホントにヤバかったんだがな…。  
「やっと俺の言うこと信じたのか?」  
「ここまできてあんたが嘘を言うとは思えないし、振り返ってみれば十分信ずるに値するわ」  
 
「あたしはね、てっきりあたしが言い出した我が儘をみんなが…特にキョン、あんたが中心  
になって不思議な力で叶えてくれてるとばかり思ってたわ。猫型ロボットみたいにね。  
……でも、全く正反対だったなんて……」  
 
「どっちにしろ…迷惑かけてたことには違いないわね」  
 伏し目がちに目を反らすように呟いた。日に二回もハルヒの口からこんな素直な言葉が出  
てくるのは天然記念物の朱鷺並みに珍しい。脳内ハルヒ語録に永久保存しておく価値は有  
りそうだな。  
 
 
 
 ─────そして別れの当日  
 
「それで、どうなんだ?」  
 俺はハルヒの肩を抱き上げながら  
「今までおまえはかなり突っ走ってきたけど、幸せだったか?」  
「…もちろんよ。あたし以上の幸せ者なんて、あたしと結婚したあんたくらいよね…。  
キョン、あんたはどうなの?」  
「そりゃもちろん。俺以上の幸せ者なんて─────」  
「ばか」  
 
 プイッと横を向こうとしたハルヒの顔を押さえて、それから永い口吻けを交した。  
別れのくちづけを……。  
 
 幾許かの時が過ぎ、どちらからともなく唇を離し、  
「…なあハルヒ、本当にもうやり残したことは無いのか?」  
「そうねぇ…、あたしももう歳だし、ほどほどにしとかないとね」  
 あれだけのことをやっておいて『ほどほど』とは、地獄の閻魔様様も呆れるだろうさ。  
しかし、悲しみを隠せないでいる瞳に、いたたまれなくなっちまって、つい  
「おまえなら、今だったらまだ─────」  
 言おうとした俺の唇に静かに人差し指ををかざして、ハルヒは首を横に振った。  
「ううん、キョンが最後にそうやって泣いてくれるだけで十分」  
「ば、ばか!俺は別に泣いてなんか……」  
 気が付くと俺の頬には既に幾筋もの雫が溢れていた。もちろんハルヒの頬にも。  
 
「それにね、あたし思うんだ─────」  
 ハルヒは大きく息を吸って、最後に精一杯の笑顔で  
 
 
「あの世ってのも、面白そうじゃない!」  
 
 
 
 
 
終わり。  
 

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