期待を込めて自分の勉強机の引出しを開けた経験をもっている人間ってのは、少なくないんじゃないだろうか?  
 
別に、“三日前の自分と、六日前の自分の姿が目の前から消える経験”なんてものがなくても、ほんの少しだけ期待をこめて引き出しを引いた人間というのは、俺以外にもいるんじゃないのかと思いたい。  
 
勿論引出しを開けたからと言って、そこにはタイムマシンなど置かれているはずもなく、俺は今日も極々一般的な高校生活というものを営む破目に陥っている。  
しかし、全く信じることが出来なかった赤服のじーさんの存在よりも、子供の頃の俺にとって青狸の存在の方が、幾分か現実的に思えていたことは揺るぎ無い事実だった。  
 
 
 
 
 
気持ちの良い木漏れ日が、我等が北高部室棟に降り注ぐ。  
 
この学校で唯一の文芸部員である俺は、日当たりの良い文芸部室で欠伸をともないながら、ゆっくりと伸びをする。  
文芸部なんてものに所属している俺ではあるが、入部以来、文芸的な活動をした記憶と言うものは頭の中に全くといって良い程存在しておらず、先程まで寝床となっていた机の上にある分厚い本もただの枕代わりである。  
何故、俺が文芸部などという弱小文化部の部室なんかに居るかと言うと、そこにあるのは単純で面白くもない理由のみである。  
 
何故だか知らないが、この学校では帰宅部というものが許されておらず、形だけでも何かの部活に所属しなければならない。  
迷った末に、俺が選んだのが新入部員0で廃部寸前だったこの文芸部である。  
まあ、たまに暇をつぶしたりするには丁度良い空間だ。  
 
 
 
「今日は良い日になってほしいもんだな」  
そんな既に人生を悟ってしまったサラリーマンのような台詞をぽつりと呟く。  
最も「良い日になって欲しい」なんてことを言ったが、既に時間は放課後であり、実質的な帰宅部員達は家路につく時間である。  
では、半ば帰宅部員の俺が何故こんなところにいるのか?  
そこには明確な理由がある。  
それは……そのまま家路についたとすると十中八九──もっと確立が高いかも知れん──校門で悪いことが起きそうだったからである。  
いつものようにチャイムと同時に帰宅を敢行していたら、確実にあいつに捕まっていただろう。  
──黙ってたら美人なのにな。  
俺は教室で常に俺の背後を陣取っている生徒に思いを巡らせ、深く溜息をついた。  
 
 
 
「……あなたは、今日一日ろくな目にあうことはない」  
突然。  
その声が聞こえてきたのは本当に突然だった。  
 
な、なんだ?とうとう俺の頭がおかしくなったか?幻聴か!??  
 
 
「あなたは30分後、後頭部を殴打される」  
無機質なその声が続けて部室に響きわたる。  
「40分後には窒息寸前にまで追いこまれる」  
 
──what's?この展開はなんだ、ドッキリか?この声はいったい誰のものだ?  
俺の頭上を馬鹿みたいな数のクエスチョンマークが駆け巡っている。  
 
 
「誰だ!変なことをいいやがるのは。出て来い」  
 
掃除用具入れがガタリと、音を立てた。  
 
 
「…………私」  
「………………」  
「気に障った?」  
 
 
 
 
 
 
 
それが、俺と彼女の出会いだった。  
 
 
 
 
制服の淡いブルーが印象深い。春だと言うのに彼女はカーディガンを羽織っていて、その色がいっそう青を引き立てていた。  
見なれた青いスカートと、胸元で結ばれた赤いリボンが白地の部分に映えていた。  
──なんで青についてこんなに描写してるんだ、俺は?普通の北高制服じゃないか  
 
「だ、誰だ?」  
「どこから来た?」  
「何しに?」  
「どうしてそんなところから?」  
全ての質問を挙げていたら日が暮れてしまうだろう。疑問の数は限りがなかった。  
 
 
「私は…………狸ではない」  
いや、それは見りゃ分かる。どっからどう見たとしても狸には見えん。  
「そんなことは……どうでもいいこと」  
いや良くない、良くない。なるべくで良いから、分かりやすく俺に説明をしてくれ。  
「私はあなたを恐ろしい運命から救いに来た」  
「さっき言ってた30分後にどうたらってやつか?」  
 
注視しないと分からない程、微細に目の前の少女が首を振る。  
「あなたは歳をとって死ぬまで、ろくな目にあわない」  
今までの人生、大して良いことがあったとは言えないが……これからの人生まで勝手に決め付けない欲しいもんだな。  
「どうしてそんなことが分かる?」  
 
 
目の前の少女は俺の疑問に答えてくれる気はないのか、その視線を一点に集約していた。  
昼休みに購買にて購入した和菓子、件の青狸の好物のあの和菓子。銅鑼焼きだ。  
「食いたいのか?」  
 
再び彼女の首がこ微細に動く、気のせいだろうか先程より意思がこもっている様に思える。  
俺が、袋ごと手渡すと、まるで初めて見たもののように彼女の口がおそるおそる動いた。  
「美味いか?」  
「ユニーク」  
「どういうとこが」  
「ぜんぶ」  
「……そうか」  
 
 
 
…………  
 
 
 
どれだけの時間がたっただろうか?銅鑼焼きを完食した目の前の少女が沈黙を破る。  
 
「私は、この銀河を統括する情報統合思念体によって作られた対有機生命体コンタクト用“ネコミミつき”ヒューマノイド・インターフェース」  
……先程から非常に気になっていた事なのだが、彼女の短い髪のその頭には何故か黒い動物の耳を象ったような物体が付着していた。  
なんでわざわざネコミミがついてるんだ?俺にはネコミミ属性はないぞ。  
 
 
「だいじょうぶ」  
目の前の少女がこちらを見つめる。眼差しは今まで比べようがないほど真摯だ。  
「取り外しが可能」  
 
 
……さいですか。  
 
 
さて、疑問は殆どと言って良い程解決していない。それどころか、むしろ増えているかも知れない。  
でもまず初めに聞かなければいけないことがあった。  
「あんたの名前は?」  
 
「長門有希」  
 
──ナガえもん か。  
未来からやってきた猫型ロボットならぬ、宇宙からやってきたネコミミつきヒューマノイドインターフェース。  
我ながらネーミングセンスというものがない。  
 
「そう呼んでもらっても構わない。固体名称は些末な問題」  
おっと、知らないうちに声に出して呟いていたらしい、長門が微細な反応を返してきた。  
 
 
 
「さっき俺の人生が分かるようなことを言っていたな。それはなんでだ?」  
「同期の結果」  
──同期?  
 
「あなたは今から8年後に生涯の伴侶を得る」  
「誰が相手だ?朝比奈さんか?」  
 
俺は若干の期待を込めて憧れの先輩の名前を出す。  
朝比奈さんこと、朝比奈みくるは北高のアイドルだ。  
入学式に見かけた可憐なその姿に一発で惚れこんだ俺だが、彼女にはなんとファンクラブまで存在しているようで──よく現代にそんなものがあるよな……──そんな人を将来の伴侶候補としてあげてしまうのは自惚れも良い所かもしれない。  
 
「違う」  
長門の無機質な声が続き、聞きたくはなかった言葉をその口から紡ぎ出した。  
「涼宮ハルヒ」  
 
涼宮ハルヒ……いつもいつも不機嫌顔で、何かしらの問題ごとを俺にもたらしてくれる女だ。  
以前“あんたのものはあたしのもの、あたしはあんたの……何でもないわよ!!”なんて本家も真っ青な利己的な理論を展開していたことからもどんな人間か推測できるというものだ。──後半は何やらゴニョゴニョ言って聞き取れなかったけどな──  
 
俺が現在部室に留まっている理由もあいつのせいだ。  
腰巾着の古泉一樹とともに野球大会をやるとか何とか喚いていたので、部室に寄らないで帰宅の途についていたら、校門のところで首根っこつかまれて無理やり参加させられていただろう。  
 
「俺はあいつのことが好きじゃない」  
「これがあなたの結婚写真」  
 
嘘だ。何かの間違いだ……  
「帰ってくれ!そんなもん信じられるか」  
気がつけば俺は怒鳴り声をあげていた。  
 
 
 
「…………そう」  
長門は無表情に掃除用具入れの戸を開くと、小柄な身体をしまいこんで扉を閉めた。  
その表情が少しだけ寂しそうに見えたのは、多分俺の気のせいだろう。  
 
 
 
 
 
「くそっ!!!!」  
自分への叱責と、知りたくもない未来を知ってしまった怒りをぶちまける。  
拳をテーブルに叩きつけたら、驚くほどの音がした。  
 
 
 
──コンコンっ  
控えめなノックの音。掃除用具入れからのものではない、普通のドアからだ。  
「はい?」  
投げやりな態度で返事をする。  
「失礼します」  
舌っ足らずな雰囲気のその声に、俺は姿勢を正した。  
グラマラスなボディーに、見るもの全てを虜にしてしまいそうな笑顔。朝比奈さんが扉の前に佇んでいた。  
「すっごく大きな音がしましたけど、大丈夫ですかー?」  
 
何と答えるべきだろうか  
 
「えーっとですね……そこの扉からいきなり宇宙人が飛び出してきて……俺の人生絶望みたいなことを言われまして……ははは、夢だと思うんですけどね」  
うん、殆ど曲解することなく事実が伝えれたな。  
問題は、多分さっきの出来事は高確率で、夢ではないと言うことだけどな。  
 
 
「ふふ。怖い夢を見たんですね」  
朝比奈さんが興味深げに掃除用具入れを開ける。当たり前のように、そこにはモップや箒の姿しか見当たらない。  
「大丈夫、キョン君は幸せになれますよ」  
貴方が俺の花嫁になってくれれば、どんな苦難がこの身に降り注ごうと俺は幸せでいられる自身がありますよ。  
「でも、凄い空想力ですね。小説家になったら大成するんじゃないですか」  
 
朝比奈さんが微笑んでくれた。  
それだけで、「今日一日ろくな目にあわない」と言うことの反証には充分だった。  
 
 
 
 
 
 
──まあ結果から言うと、その日はろくな目にあわなかったけどな  
 
 
 
 
 
「30分後、後頭部を殴打とか言っていたな……」  
朝比奈さんが去り、一人になった部室で頭をフル回転させる。  
この部屋に凶器になりそうな鈍器というものは多分ない。  
たまに枕になってくれる分厚い本達が、本棚には陳列されているが、ガラスの窓はそれらの落下を防いでくれるだろう。  
 
ということは、暴漢でも押し入ってくるのだろうか?  
馬鹿馬鹿しいと思いつつ、ドアに鍵をかける。念には念をいれることが重要だろう。  
 
時計の針はもう少しで、先刻から30分を迎えようとしていた。  
 
「やっぱり俺の夢だったのか……?」  
椅子に座りこむと、グラウンドの方からランニングする陸上部の掛け声や、野球部のものだろうかバットの快音が聞こえてきた。  
 
 
時計の秒針がじれったい速度で進んでいく。  
30分まで、あと、10……  
 
3…  
2…  
 
 
 
「ぐはっ」  
ガラスが砕け散る大きな音が耳に届いたことまでは記憶している。  
多分、俺が意識を失ったのと、ほぼ同時だったんだろう。  
薄れいく意識の中。俺は長門の言っていた事が事実だと悟った。  
 
っつ……  
俺は後頭部に出来あがったこぶを撫でながら立ち上がる。  
 
窓からボールがつっこんでくるなんて反則だろ……  
 
 
「……当たっちまった」  
俺は長門の予言どおり30分後に頭部を殴打された。  
 
床に凶器の硬球野球ボールが転がっている。そして、その側には長門の置いていったアルバムがあった。  
 
 
 
これには俺の未来が映っているはずだ……  
俺はおそるおそるそのページを開いた。  
 
18歳──涼宮ハルヒの家庭教師のお陰で無事に国立大学に入学──  
22歳の時──涼宮ハルヒと供に会社を起こす──  
27歳の時──ハルヒの考案した商品がヒット、会社急成長──  
29歳の時──株価が大暴騰を起こし、会社更に成長──  
 
……くそっ本当にろくな目にあってな………い、か?  
目を瞬いてみるが、アルバムに貼られた写真に変化はない。  
写真をよく見てやる。  
そこに映る俺は、どの表情もやれやれと言った顔をしていたが、なんだかとても幸せそうに見えてしまった。  
 
 
 
「…………困る」  
「うぉっ!?」  
いつの間にやら掃除用具入れの扉が開いていて、目の前には長門が立っていた。  
「涼宮ハルヒには自律進化の可能性があり、あなたと結ばれることによってその可能性が消滅する。その為、情報統合思念体はあなたの未来を改変し、可能性の消滅を防ぐことを望んでいる。それが私がここにいる理由」  
なんというか、ご都合主義というか。なんかここまでの話とその話に違和感があって、言い訳がましくないか?  
「…………気のせい」  
嘘をつくな、嘘を。ほら、目を反らすんじゃない。  
 
 
 
 
いや、確かに今の俺はハルヒを好きではないんだが……  
「それに、私という個体もあなたが一人身でいて欲しいと望んでいる」  
長門が真っ直ぐこっちを見ていた。吸い込まれてしまいそうに澄んだ瞳だ。  
 
 
 
 
 
 
 
「すいませーん!!ボール取りに来ましたー」  
聞き覚えのある声とともに、ドアがノックされる。  
 
その声に俺は鳥肌がたってしまった。朝比奈さんの時とは大違いだ。  
「あら?開かないわね。蹴破っちゃおうかしら」  
その常識を欠いた発現で、扉の前の人物推測が確信へと変化する。  
 
扉を開けたいとは全くもって思わなかった。  
ひょっとすると俺にホームランボールをぶつけてきたのもこいつなのかもしれない。  
 
しかし、扉が破損したら後々面倒なことになるだろう。  
ああ、畜生。  
俺は悪態をつきながら、扉を開けた。  
 
 
 
 
開いた扉の向こうにいたのは誰かって?言うまでもないだろ?涼宮ハルヒだ。  
 
 
 
「ってなんで、あんたがここにいるのよ」  
俺の姿を見た途端、ハルヒはかぶっていた猫を脱ぎ捨てた。  
「ここが文芸部だからだ」  
「その娘は?」  
ハルヒは目ざとくも長門の姿を見つけたらしい。  
「…………」  
「あー、えーっと……」  
なんと説明したらいいんだろうか?馬鹿正直に言ってもからかいの種にされるだけだろう。  
「……転校生」  
ボソリと長門が呟いた。ナイスフォロー、長門。  
「ふーん。それで、あんた今暇?」  
納得したのか、していないのか、よく分からない不機嫌顔でハルヒがこちらを見つめてくる。  
「暇じゃない」  
別段用事なんてないのだが、危険を察知して俺は嘘をついた。  
「まあ、どっちでもいいわ」  
いや、よくないだろ。人の話を聞け。  
「我がハルにゃんズのピンチなのよ」  
ハルにゃんズ──こいつの作った野球チームだったか?  
「メンバーが足りないから特別にあんたを参加させてあげるわ」  
 
「断る」  
「何よ!キョンのくせに生意気よ」  
“俺のくせに”とはどういう意味だ。人格の全否定か?  
「ともかくあんたには参加してもらうわ」  
「そもそも俺は野球なんかまともに出来んぞ」  
「そんなことどうでもいいのよ」  
 
ハルヒは俺のネクタイをつかむと、信じられないような力で引っ張り出した。  
「さ!行くわよ!」  
うおっ、止めろ!首が締まる!!死ぬ!!死ぬ!!  
 
 
40分後に窒息寸前……  
 
ヤバイ、マジヤバイ。離せハルヒ!かなり息苦しくなってきた。  
 
 
いじめっ子に追い詰められた主人公はどうするのか?  
解答は明白だ。青狸に助けを求めるのだ。  
「ハルにゃんがいじめるよ……助けて……ナガえもーん」  
かすれた声で呟いてみる。  
我ながら情けない、俺はいじめられた弱気な少年か……  
 
本棚に並べられた分厚い本を興味深げに眺めていた長門がこちらに向かって、歩みを進める。  
 
 
「大丈夫」  
長門の声にハルヒが振り向き、首にかかっていた圧力が消える。  
「バッドの情報を改変した。あなたでもホームランを打つことが可能」  
 
 
いや、そこは問題じゃないだろ!  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
幾分弱まった首の負荷に感謝しつつも、去っていった長門の方に目をやる。  
まるで宝物でも扱うかのように、大事そうに本棚に手をかけている小さな姿が目に入った。  
 
──あいつは本当に頼りになるのか?  
 
 
これから俺はやりたくもない野球に参加させられ、予言どおりろくでもない一日を過ごすことになるようだ。  
 
 
やれやれ……  
俺は大きく溜息をつくと、晴れ渡った青空を仰いだ。  
 
 
 
〜the end〜  
 

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