『涼宮ハルヒの影響』 注:アニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』準拠  
 
「あなたには、感謝すべきなんでしょうね」  
古泉の声が俺の耳に入ってくる。その声がいつもより湿っぽさを含んでいるのは  
さて、梅雨入りもそう遠くないからだろうかね。  
「僕のアルバイトも、しばらく終わりそうにありません」  
お前に感謝される謂れなどない。俺は俺のやりたいことをやっただけだ。  
その話はもう蒸し返さないでくれ。特に古泉、お前の口からはな。  
顔を合わせずあさっての方向を見ながら、俺はだんまりを決め込んだ。  
そんな俺をどう思ったか、  
「とにかく、あなたと涼宮さんにまた会えて光栄です」  
投げかけられてた声が、急に上から降ってきた。  
視線を送ると、いつの間にか古泉は立ち上がっていた。  
「また放課後に」  
古泉は、顔だけこちらを向いて会釈を送ると、去っていく。  
その背中に、俺はこっそりと、絶対古泉には聞こえない声量でつぶやいた。  
「……また後でな」  
 
 
「どう?」  
ギターを弾き終えた女子生徒が、隣に腰掛け頭を揺らせていた女子に向き直った。  
演奏終了とともに頭を揺らすのを止めた女子の髪が、ふんわりと落ち着く。  
肩の線で髪を揃えている女子は、問いに目を輝かせて、首を上下に振った。  
「うん、すっごくいいと思う。わたし歌いたくなっちゃった」  
甘い声を弾ませて、感想を述べる。興奮しているのか、顔が上気していた。  
しかし、ふとその顔が少し不思議そうな表情に変わる。  
「でも貴子先輩、どうしたの? いつもと曲調が違うよね」  
貴子先輩と呼ばれた女子は、抱えるギターに視線を落とし、  
「この曲さ、あたしが昨日、夢の中で弾いてた曲なんだ」  
「夢の中?」  
首を傾げる女子に、貴子先輩はうなずきを返して続ける。  
「そ。普通はね、夢で弾いてても覚えてないんだけど、この曲は違ったの」  
手でコードを抑え、  
「朝、起きてからギターに触ってみたら、体がひとりでに動いて」  
再現するかのように、軽くギターを流し始める。  
「気付いたら一曲全部弾いてた」  
言葉とは裏腹に、途中で弦を押さえて演奏を止めた。  
そのまま貴子先輩は、真剣なまなざしで、横の女子を見つめる。  
「ねえ榎本さん、いいえ、美夕紀ちゃん。バンド組んでみない?」  
 
 
放課後。榎本さんは軽音楽部の部室の扉をくぐっていた。  
音量を下げてはいるが、それでも様々な音が耳に飛び込んでくる。  
中にはすでに何人かの部員がいて、それぞれの楽器を思い思いに弾いたり叩いたりしていた。  
「おはよ、瑞樹、まいまい」  
榎本さんは、そのうちの二人に近寄って、声をかけながらかばんを下ろした。  
手近に置いてあったギターケースに手を掛け、中からギターを取り出して腰掛ける。  
「おっはー」  
パッドで音を抑えたドラムを叩いていた活発に見える女子、瑞樹が応えると、  
「みゆみゆ、おはよ」  
ベースを抱えて楽譜とにらめっこしていた女子の舞も顔をあげて返事をした。  
 
「一曲やっとく?」  
榎本さんが腕ならしに軽くギターを弾いたあと。  
スティックをくるくると回しながら、瑞樹が軽く提案してきた。  
舞はノリ気のようで、いそいそとアンプの電源に手を伸ばす。  
「あ、その前に少し話したいことがあるの」  
「ん? なに? ミユきち」  
瑞樹の問いかけに、  
「あのね、貴子先輩がバンド組まないかって」  
榎本さんは、先程言われたことを、二人に聞かせた。  
「中西先輩が?」  
電源に手を掛けたまま意外そうな声を出す舞に、  
「へー、貴子がねえ。どういう風の吹き回しなんだろ」  
面白そうにスティックをお手玉する瑞樹。  
そんな二人に、榎本さんはおっとりと自分の意見を述べた。  
「わたしはやりたいな、って思ってるんだけど、二人はどう?」  
「んー、あたしは貴子の話を聞いてから決める。まいまいは?」  
いたずらっぽい笑みを浮かべながら、瑞樹は舞に話を振った。  
「えっと、みゆみゆがやりたいのなら」  
あまり自己主張しないタイプなのか、舞はおずおずと申し出る。  
「ありがと。それじゃ先輩が来るまでやろっか?」  
返事を聞いた榎本さんは、咳払いをひとつふたつして、立ち上がった。  
舞を待って瑞樹がスティックを打ち鳴らし、演奏が始まった。  
 
瑞樹のドラムと舞のベースに合わせて、榎本さんがギターを弾きながら歌声を披露する。  
鼻から抜け切らない声が、二人で歌っているような余韻を残す。  
おちゃらけた印象の瑞樹は、目を笑わせながらも正確にリズムを刻んでいき  
舞のベースは、真面目そうな雰囲気そのままに、曲を支えていた。  
そんな三人の演奏に、いつの間にか、ほかの軽音楽部員は音を出すのをやめて聴き入っていた。  
 
「ふう」  
既存の曲だったが一曲を終え、榎本さんが一息をつく。  
「みゆみゆ、今日は調子いいみたいね」  
舞がショートカットの前髪を指ではじいてから、ほんのり微笑んで感想を言う。  
瑞樹もスティックを置いて、親指を立てる。  
聴衆と化していた部員は、口笛を吹いたり、楽器の音で感想を伝えてきた。  
「さんきゅ」  
榎本さんが感謝の言葉を述べたとほぼ同時に、部室の扉が開いた。  
そこに立っていたのは、ギターケースを担いだ貴子先輩だった。  
 
部内の雰囲気が少しよそよそしくなる。  
それを気にした様子もなく、貴子先輩は、演奏を終えたばかりの三人に足を向けた。  
外にはねた髪を揺らして近づき、ギターケースを床に下ろす。  
榎本さんに向けた顔には、笑顔が浮かんでいた。  
「あたし外で聴いてた。美夕紀ちゃん、やっぱりいい声ね」  
「貴子先輩……」  
普段、部内では見せない笑顔を見せてくれた貴子先輩に、榎本さんはうれしくなる。  
「ふうん、貴子、ずいぶん変わったね」  
それに横槍を入れたのは、瑞樹だった。目を細めて、  
「話はミユきちから聞いたよ。バンド組みたいんだって?」  
「そうよ、瑞樹」  
笑顔を消して、売り言葉に買い言葉とばかりに、視線を送り返す。  
瑞樹も視線を受け止めて、不敵に唇の端をゆがめる。  
「理由を聞かせてもらえる?」  
瑞樹の詰問に、ふいっと視線をそらせて、  
「美夕紀ちゃん、そのギター使ってもいい? あたしのはアコギだから」  
「あ、はい」  
榎本さんからギターを受け取ると、ストラップを調節して、肩から提げる。  
アンプを調整して、エフェクターも確認してから、軽く音を鳴らす。  
ピックを手にとってひとつ深呼吸をすると、指をギターの上に滑らせた。  
 
しなやかな指がギターの上を這う。  
まるで音が指の動きより先に出てきていると錯覚するほど、高速のピッキングが繰り広げられる。  
イントロらしき部分が終わると、リズムギターに切り替えて、貴子先輩は歌いだした。  
ハスキーな声が響き渡る。その歌声は榎本さんと比べるととても上手とは言えなかったが  
情熱だけは、負けないものがあった。にじんで、飛び散る汗とともに、歌い続ける。  
 
一番が終わって、間奏に入ったときだった。  
突然ベースの音が曲に加わった。貴子先輩が視線を送ると、舞がギターに合わせて  
コード弾きをしていた。目線をベースに落として、曲についていく。  
次いでハイハットを刻む音がした。瑞樹がにまにま笑う。そのまま二番に突入した。  
初めて曲を聴いたとは思えないほど、舞と瑞樹は曲に合わせ楽器を演奏し  
ベースとドラムが加わわることで、曲に厚みが出た。  
榎本さんもいつの間にかコーラスで参加していて、四人は息の合ったプレイを見せる。  
一体感が部室を覆った。  
 
ギターの音が止まるとともに、誰からともなく拍手を始めた。  
全員に広まって、しばらく四人に対する賛辞が贈られる。  
当事者の四人は、お互い上気した顔を見合って、曲をやり遂げた達成感に浸った。  
 
落ち着いてから、貴子先輩は瑞樹に向かって口を開きかけた。  
「あたしは――」  
「ストップ」  
スティックで貴子先輩の口元を指し、沈黙させる。瑞樹は立ち上がって歩み寄り  
スティックを束ねて左手に持ち、右手を差し伸べた。  
「貴子、よろしく!」  
「瑞樹……」  
瑞樹の手を握り返したその上から、榎本さんと舞の手が置かれる。  
「貴子先輩、がんばろ!」  
「中西先輩、よろしくお願いします」  
二人の言葉に、中西先輩は空いた手で目尻を拭いながら、うなずいた。  
「二人とも、わたしのことは貴子でいいよ。同じメンバーでしょ?」  
 
 
六月末――  
 
「あなたが長門有希ちゃん? みくるからよーく聞いてるよっ」  
髪の長い、朝比奈さんのクラスメイトの鶴屋さんが横の長門になにやら話しかけている。  
長門は我関せずといった面持ちで、サンドイッチを頬張っているけどな。  
ちなみにここはファミレスである。ハルヒの思い付きにより参加した  
野球大会も無事一回戦で棄権、今は昼飯を古泉を除くみんなで取っているところだ。  
そこの妹、もうちょっとゆっくり噛んで食べなさい。ハンバーグが喉に詰まるぞ。  
朝比奈さん。微笑んでないで、少しは妹に注意してやってください。  
ジャージ姿の北高の天使にアイコンタクトを試みていると、  
「みんな、じゃんじゃん食べてよね。ここはキョンのおごりだから!」  
おいハルヒ、勝手に決めんな。俺は承諾した覚えはないぞ。  
谷口や国木田を含め、八人分の昼飯なんざ普通なら払ってられん。  
そう、普通ならな。  
俺は懐を確かめ、抗議を口に出さずまあいいや、と思った。  
懐にはなぜか、それなりの臨時収入が舞い込んでいたからである。  
上ヶ原パイレーツの健闘を祈ろう。  
 
 
「わ、なんかお隣さんにぎやか」  
舞が後ろから聞こえてくる声に反応して、ちらちらと後ろを向く。  
「どれどれ?」  
それにつられて、瑞樹が横から身を乗り出す。  
「あ、クラスメイトのみくるちゃんじゃん。ってことは、例のSOS団とやらかな」  
体を横倒しにしたまま手を振ると、みくるちゃんも気付いたのか、手をにぎにぎしてきた。  
「もう、それよりわたしたちの話をしないと」  
スプーンを置いた美夕紀が釘を刺した。  
グラスに入ったコーラを飲み干して、貴子が口を開く。  
「バンド名は、みんなの頭文字を取ってENOZでいい?」  
「榎本のE、中西のN、岡島のO、財前のZでENOZね。でもどうせならZO――」  
「それは却下」  
座り直して発言しかけた瑞樹に、向かいの貴子が冷たく告げる。  
「わたしもそれはちょっと」  
「冗談だって、じょーだん」  
舞の追随に、瑞樹は軽く舞にデコピンを食らわした。  
「いいよね、この名前で」  
美夕紀がまとめるように言うと、全員うなずいた。  
 
「当面の目標は、やっぱ文化祭?」  
コーヒーに砂糖を継ぎ足しながら、瑞樹が質問する。  
「あたしはそのつもり」  
「全曲オリジナル?」  
答える貴子に、バナナパフェを口に運びながら美夕紀が言えば、  
「そういえば、あの曲の名前聞いてなかったかも」  
舞もプリンに添えてあったさくらんぼを手にとって、つぶやく。  
「その二つは、話し合いで決めましょうよ」  
「話し合いで決めるなんて、貴子丸くなったね」  
「……瑞樹、殴るよ」  
間髪入れずツッコミを入れた瑞樹に、貴子は握りこぶしを固める。  
『あははっ。長門っちいい食べっぷりだっ!』  
「おや、鶴にゃん」  
向こう側の声に気を取られたふりをして、瑞樹はそらっとぼけた。  
 
「あの曲がオリジナルだから、全部オリジナルがいいな」  
間を継いだ美夕紀の希望に、  
「あたし作詞も作曲もできないよ。ドラムのアドバイスならできるけど」  
「わたしもベースだけ」  
瑞樹と舞が、声を揃える。  
「美夕紀はできる?」  
気を取り直した貴子の言葉に、美夕紀はスプーンを口に含んだままうなずいた。  
「じゃ、あたしと美夕紀で作ろっか。ベースとドラムは任せるよ?」  
「うん」  
「任された」  
請け負う二人を見て、話題を次に移す。  
「それじゃあとは、あの曲の名前ね」  
「貴ちゃん、候補ないの?」  
スプーンを振って美夕紀が訊いてくる。  
「God blessかGod knows。サビの部分の歌詞」  
「神が祝福を与えたもうと神のみぞ知る、か。貴子意外と詩人じゃん」  
コーヒーカップを傾けて、笑いながらからかう瑞樹。貴子は淡々と切り返す。  
「あたしが思いついた歌詞じゃないの。曲を弾いてたら自然と浮かんできて」  
「そんなことあるんだ」  
舞が感心したような声を出し、プリンを一口すくった。飲み込むと、  
「わたしは、God knowsのほうがいいかな。祝福はちょっと大げさだと思う」  
「まいまいの言うとおりかも」  
美夕紀が舞を支持し、瑞樹もそれで決まりとばかりにコーヒーカップを置いた。  
「ほかに意見ないの?」  
貴子が訊くと、三人とも首を振った。瑞樹が代表して気持ちを代弁する。  
「だってこの曲、貴子がいちばん知ってるんでしょ?」  
『こらキョン! あたしに黙って勝手に追加注文するんじゃないの!』  
 
 
七夕の翌日の放課後である。  
「笹っ葉、片づけといて。もう用無しだから」  
そう俺に告げると、ハルヒはさっさと帰ってしまった。  
どうも調子が狂うな。しおらしい姿のハルヒを見てるとよ。  
ま、あいつのことだから、しばらくすればまた元に戻るだろう。  
俺にできることは、笹の葉を片付けることぐらいなもんである。  
真実をあいつに告げるわけには、どうもいかないらしいからな。  
それに片付けも、後回しだ。朝比奈さんもいないし、訊きたいことがある。  
俺はチェスの駒を手の中で遊ばせながら、顔を盤面から横向けた。  
視界に淡々と読書をしているショートカットの頭をみとめ、口を開いた。  
「なあ、長門――」  
 
 
「あれ、みくるちゃん。どうかしたの?」  
かばんを提げて部室に向かう途中、瑞樹はみくるちゃんに遭遇した。  
窓から運動場をぼんやり見て、悩ましげに溜息をついている。  
「ふえっ? あっ、岡島さん」  
呼びかけられ、慌てて振り向いたみくるちゃんに、  
「気になる先輩でもいるのかな?」  
瑞樹はにやにや笑いながら手で望遠鏡を作って運動場を見る。  
かと思えば、わざとらしく手を打って、  
「あっ、違ったか。みくるちゃんが気になるのは、一年のキョンく――」  
「わわわっ、違います違います」  
両手を顔の前で振って否定するみくるちゃん。  
「顔赤くして言っても、説得力ないなあ」  
瑞樹の言葉に両手を頬に当てる。その仕草が肯定していることに気付き、  
「……誰からキョンくんの名前を聞いたんですか?」  
「ん、鶴にゃん」  
あっけらかんと暴露する瑞樹。  
「鶴屋さん、言わないでって言ってたのに……」  
顔をうつむかせて、体をふるふる震わせる。  
「まあまあ、鶴にゃんも悪気があったわけじゃないから。じゃねー」  
みくるちゃんの肩をぽんと叩いて、瑞樹はすたすたと歩き去った。  
 
 
「まいまい、おはよーさん」  
「あ、みっきー」  
瑞樹が部室に入ると、舞がベースの手入れをしていた。  
「ミユきちと貴子はまだかい?」  
きょろきょろと部内を見渡す。その仕草に舞は笑いつつ、  
「まだみたい」  
「ふうん。ま、いいや。軽く腕慣らしといきますか」  
かばんをそのへんに放り投げて、瑞樹はスティックを手に取った。  
 
しばらくして、美夕紀と貴子が二人揃ってやってきた。  
「ごめんごめん、遅れちゃって」  
美夕紀が手を合わせて舌を出す。  
「遅い! あたしが来てからもう三十分経ってるよ」  
バスドラをどかどか叩いて瑞樹が抗議をする一方で、  
「なにかやってたの?」  
下級生に手ほどきをしていた舞が戻ってきた。  
「新曲の調整」  
と貴子が舞に答え、MP3プレイヤーを差し出した。  
「聴いてみて。ベースとドラムは参考程度にリズム取りで入れてるだけだから」  
受け取った舞は、こくりと首肯してから試聴しだす。  
一回目は目をつぶって、一音たりとも聞き漏らすまいと集中していた。  
やがて曲が終わったのか目を開けると、今度はベースを手にとって、二回目は曲に軽く合わせる。  
満足したのか、曲が終わると、  
「はい」  
瑞樹にプレイヤーを手渡した。瑞樹も同様に二回、曲を通して聴く。  
 
「うん」  
うなずいてヘッドホンを外し、スティックを置いた瑞樹は、貴子にプレイヤーを返す。  
感想を知りたそうな美夕紀と貴子をよそに、舞とアイコンタクトを取った。  
笑いかける舞に、瑞樹は近寄って舞の肩を抱き寄せる。  
息もぴったりに瑞樹は堂々と、舞ははにかんで、二人にサインを送った。  
上向きに立てた親指を。  
 
胸をなでおろした美夕紀に、舞が質問してきた。  
「この曲、みゆみゆが作詞した?」  
「うん、でもどうして?」  
「だって……」  
美夕紀の返事に舞はちらっと貴子を見やる。  
「なに?」  
貴子の不思議そうな顔を、いつもの人が見逃すはずがなかった。  
「そりゃ貴子がこんな甘いあまーい恋の歌を書くわけないし」  
「わっ、みっきーそこまで言わなくても」  
瑞樹の口をふさごうとする舞。  
その二人の様子を見て、貴子は額を押さえてうめく。  
「あんたたちね……」  
 
「もう。わたしは貴ちゃんの作曲のイメージに沿って作詞したのに」  
呆れ気味の美夕紀に、瑞樹のいつもより滑らかな口がすべった。  
「自分の経験も投影させたんじゃないの?」  
「え」  
意表を突かれた風の美夕紀に対して、舞も何か思い当たることがあったか、人差し指を立てた。  
「そういえばみゆみゆ、好きだった先輩が転校しちゃったんだよね」  
何の気なしにぽつりと漏らす。  
「みゆみゆ、先輩と映画行ったり抱きしめあったり、そこまで進んでたんだ」  
「ま、まいまい!」  
顔にぱっと朱色が散った美夕紀の肩に、瑞樹が手を乗せた。  
「詳しい話を聞かせてもらいましょうか」  
「え、え?」  
美夕紀は慌てふためいて、救いを求めるかのように貴子に視線を送った。  
貴子はそんな美夕紀に苦笑を見せ、  
「そうね。曲に感情移入するためにも、知っておくべきね」  
「た、貴ちゃん……」  
最後の綱がふっつりと切られた。喜色満面の瑞樹が顔を近づける。  
「ミユきち、覚悟っ!」  
「ひええええっ」  
 
 
俺の日常はというと、SOS団の活動がほとんどを占めているわけであり  
SOS団をイイワケにするのもなんだが、それでもあれだけ散々不可思議な体験をしたあとで  
いざ勉強に取り組もうとすると、あまりやる気が湧かないのも無理はないと思う。  
いや、これは嘘だ。どちらにせよ、俺が勉強に正面切って取り組んでいたとは思えん。  
つまり何が言いたいのかというと、期末試験が終わった。あらゆる意味で。  
明日からは試験休みだが、休み明けに返ってくる答案に記された二桁の数字のことを思うと  
これは休みではなくて、自己内省のための時間なのではないかと思えてくるから不思議だ。  
ああ、このささくれ立った気持ちは癒してもらうしかない。それも早急に、だ。  
そう思い俺は今日も部室の扉をノックした、のではあるが、  
「どうぞ!」  
扉の向こうから返ってきた声は、俺の期待していた朝比奈さんではなかった。  
「なんだ、ハルヒお前だけか」  
「有希もいるわよ」  
扉を開け、落胆を隠さなかった俺に、ハルヒはパソコンを操作しながら投げやりに答えた。  
たしかに、長門も定位置で読書をしていた。ここは言い直しておくべきだろう。  
「なんだ、ハルヒと長門だけか」  
そう言いながら、俺は部室の扉をくぐった。朝比奈さんが来るのを心待ちにしつつ。  
 
 
「体調悪いの? 喜緑さん」  
三時間目のテストが終わって、沈んだ表情で席に座っている女子に、舞は声をかけた。  
難関の数学を終えて、気持ちに余裕ができた途端、周囲に目が行き届き始めたのだ。  
喜緑さんは、いつも大人しい、目立たない子だったが、舞とはそれなりに会話する仲だった。  
喜緑さんは首をふるふる振って、目線を机に向ける。  
「喜緑さんのことだから、テストが悪かったわけないし、悩み事?」  
今度は首を振りもせず、かといってうなずきもせず、じっと机を見ていた。  
なにやら複雑な事情があるらしい、と判断した舞は、深入りしないことにしたらしい。  
「あの、わたしでよければいつでも相談してね」  
微笑みとともにそう言って、次のテスト勉強でもしようと背を向けた。  
すると、その背中に小さいけれどもはっきりした声が届いた。  
「財前さん、ありがとう」  
自分の席に向かう舞の足取りは、軽かった。  
 
 
「合宿?」  
「そ」  
問い返した舞に、貴子が弦を調節しながら端的に答える。  
期末試験も終わり、今日から軽音楽部は部活動を再開していた。  
「軽音で毎年行ってるのとは別ってこと?」  
「あたしは行ったことないから知らないけど、そう」  
そんな二人の会話に、美夕紀が加わってきた。  
「そういえば、貴ちゃんは去年不参加だったっけ」  
「興味なかったからね」  
どうでも良さそうにあいづちを打つ。  
「今はともかく、当時は協調性なんかどうでもいいと思ってたから」  
「貴子中学ぐらいからずっと荒れてたもんね」  
訳知り顔で瑞樹が首を突っ込んできた。貴子は耳元のピアスに軽く触れ、  
「まあ、ね」  
物憂げなつぶやきを漏らした。  
 
憂鬱なムードは十秒たりとも続かず、あっさり貴子は気持ちを切り替えた。  
「ともかく、夏休みに入ったら合宿ね」  
「どこで?」  
舞がきっちりと確認してくる。  
「あたしん家でどうかな? ミニスタジオあるから」  
さりげなく言った貴子に、美夕紀が目を丸くする。  
「貴ちゃん、すごい」  
「そんなことないって。親が音楽関係なだけ」  
貴子は手をぱたぱた振るが、舞も初耳だったのか、しきりに目を瞬かせていた。  
知っていたのは、瑞樹だけだったようで、  
「んじゃ、今度またあたしのドラム運んどくね」  
世間話をするような口調で言う。  
「瑞樹は知ってたの?」  
「あれ、言ってなかったっけ?」  
美夕紀の疑問に、瑞樹は貴子の肩を抱き寄せ、ピースサインを送った。  
「あたしと貴子は、お隣さんで幼なじみだよー」  
ノリについていけないのか、貴子は微妙に顔をひきつらせていた。  
 
 
コイツはなぜここにいるのだろう。  
「ねえねえ、キョンくんね、わたしのこと置いてこうとしたんだよ」  
俺は置いてこうなんて思ってなかったさ。最初から連れて行く気すらなかったんだからよ。  
コイツとは妹のことであって、妹とは俺の妹のことであって、ここはフェリーの中だ。  
夏休みに入って早々、我らSOS団は合宿を敢行することになったのである。  
行き先は海の孤島だ。なんでも古泉の親戚に島ごと買い取って別荘を建てた豪気な人がいるらしい。  
真偽はともかく、ハルヒがそんなオイシイ状況を逃すわけはなく、そうしてこうなったのだった。  
ちなみに妹はバッグの中に潜り込んで侵入を試みていた。俺が寸前で発見したまでは良かったが  
中身をどこにやったか黙秘権を発動する妹の口を割らせるのに時間がかかり、荷物を取り戻したら  
取り戻したで、今度は妹が俺の袖を離しやがらなかった。時間だけが刻々と過ぎていく中、  
これ以上遅刻しては迷惑がかかると思った俺は、妹の随行を許可せざるを得なかったのだ。  
妹の哀願に折れたのでないことは、明記しておきたい。  
「大歓迎でしたのにねー」  
「ねー」  
朝比奈さん、そう言ってもらえると助かります。妹をかわいがってやってください。  
俺は妹を構うよりも、目を輝かせているハルヒのことを構っておかなきゃいけない気がするのでね。  
 
 
『はい』  
インターホン越しに声がする。  
「中西先輩の友人の榎本と財前と申します」  
美夕紀が答えた。すぐ横にいる舞ともども、ギターケースを背負い、バッグを提げている。  
『待っててね、すぐ行くから』  
そう言い残し、ふっつりと途切れる。  
「おっきな家だね」  
舞が家を見上げながら感嘆する。  
三階建ての一戸建てで、裏庭までついているようだった。  
「瑞樹の家もあっちの広そうな家だもんね」  
美夕紀の視線の先には、貴子の家に負けず劣らずの敷地を誇る家があった。  
「わたしたち、ひょっとして場違い?」  
少々不安になりながら舞が言ったときだった。  
「ようこそ!」  
玄関の扉が開いて、中からTシャツにハーフパンツの動きやすい格好をした瑞樹が顔を覗かせた。  
「さあさ、突っ立ってないで入った入った」  
いつもの瑞樹節にほっとした二人は、言われるままに貴子の家に入った。  
 
 
「ま、自分の家だと思ってくつろいでよ」  
「瑞樹、あんたが言うな」  
タンクトップ姿の貴子もすぐ後ろに控えていた。  
「おじゃまします」  
美夕紀はかぶっていたつば広帽子を取って、サンダルを脱いで上がった。  
舞もキャップを脱いで、靴に手を掛ける。脱ぎながら、顔を上げた。  
「お家の人は?」  
「旅行中。一週間ぐらい帰ってこないかな」  
と貴子は言い、  
「スタジオはこっち。階段が急だから気をつけて」  
二人が靴を脱いだことを確認して背を向け、先にたって案内した。  
 
機材の豊富さと防音が完備されてある地下スタジオに感嘆の溜息を漏らしつつ  
美夕紀と舞は、ギターケースからそれぞれの楽器を取り出し始めた。  
「この合宿でGod knowsとLost my musicは完璧にするとして」  
貴子が立てかけてあったギターを手に取りながら発言する。  
「美夕紀の作った三曲目も、通しでできるようにしないと」  
「ミユきち、どんな曲を作ってきたの?」  
シンバルの位置を調節しながら、瑞樹が美夕紀に声を投げかける。  
「えっと、少しスローテンポなバラードっぽいの」  
バッグを漁ってMP3プレイヤーを見つけ出し、美夕紀が差し出した。  
「あ、貴子に渡して再生してもらって、みんなで聴いたほうがいいよ」  
ガラス越しの機材を、瑞樹は指差した。言われた通り、貴子に手渡す。  
「待ってて」  
ギターを置いた貴子が、扉の向こうに引っ込む。  
しばらくすると、スピーカーから音楽が流れてきた。  
「自分の歌声をこうして聴くのって、少し恥ずかしいかも」  
照れて言う美夕紀に、  
「わたしはみゆみゆの歌声大好きだよ。もっと自信持って、ね?」  
舞が微笑んで、勇気付けた。  
 
 
「あと二曲作って、文化祭では五曲演奏できるといいんだけど」  
椅子に座って、コーラの瓶を一気飲みしてから、貴子がうそぶく。  
湯上りの濡れた髪を手で撫で付ける。時刻は夕方を過ぎていた。  
「んー」  
タオルを首にかけて、冷蔵庫をごそごそ漁りながら瑞樹が声を拾った。  
「貴子とミユきちで一曲ずつ作ればいいんじゃない?」  
「もちろん、そうするつもり。でもどんな曲にしようかなって」  
目的のものを探し当てた瑞樹は冷蔵庫を閉めてからプルタブに手をかけ、  
「一つのテーマについて、それぞれ曲を書いてみたら? 例えば夏とか」  
小気味いい音とともに、開け放つ。  
「それもいいわね……って瑞樹! それビールでしょ!」  
「ん? それがどうかした?」  
と言いつつ、瑞樹は口をつけた。こくこくと喉を鳴らして、缶を空にしていく。  
「どうかしたって、あのね」  
貴子は呆れ顔を見せる。それをよそに、あっという間に瑞樹はビールを飲み干した。  
「っぷは! 貴子って変に固いとこあるよねー」  
空き缶を置いて、にまにまと笑う。  
「ま、そこがいいんだけどさ」  
瑞樹の言葉に、貴子はそっぽを向いた。  
 
ほどなくして美夕紀と舞がお風呂から上がり、リビングに全員が集合していた。  
「同じテーマで別々の曲を書くの?」  
グラスに入ったビールを両手で包み込むように持った美夕紀が問い返す。  
美夕紀の隣には舞が座って、ビールをちょこちょこ飲んでいる。  
「そう、瑞樹は夏とかどうって言ってたけど」  
一人だけ断固と拒否してコーラを飲んでいる貴子が、横目で瑞樹をちらっと見た。  
「夏、夏ね。うん、それでいいと思う」  
顔を少し赤らめてはいるが、はっきりした口調で美夕紀は応答する。  
「じゃあ、決まりね。美夕紀よろしく」  
「よろしくー」  
何本目かわからないビールを空けつつ、瑞樹が陽気な声を出す。  
「瑞樹、もうビールはやめときなさい」  
クギを刺す貴子に、  
「貴ちゃん、お母さんみたい」  
ビールを飲んでいた舞がぽつりと言った。  
 
 
長門は明日の天気予報でもするような口調で言った。  
「今回が、一万五千四百九十八回目に相当する」  
 
 
「だいたいね、みゆみゆ――――すぅ」  
話の途中で、舞はこてんと美夕紀の腕の中へ倒れこんで寝息を立て始めた。  
憔悴した顔の美夕紀と貴子が互いに顔を見合わせて溜息をつく。  
「あははははっ」  
一人けらけら笑っていたのは瑞樹だ。  
「瑞樹、なんで舞にまたビール飲ませたのよ!」  
吠える貴子に、瑞樹はぴっと人差し指を立てた。  
「そのほうが面白いと思ったから」  
「全然面白くないよ……同じ話を何度も何度も」  
舞を椅子に座らせてから、テーブルに突っ伏して美夕紀がうめく。  
「せっかく曲ができたから貴ちゃんの家に集まったのに、もうへとへと」  
「ミユきちごめんごめん」  
「謝る気ないでしょ、瑞樹」  
貴子の瑞樹を睨みつける視線も、いつもより弱々しかった。すぐに視線を落とす。  
「今日はもうダメ。寝ましょ」  
「賛成」  
顔はうつぶせたまま、手を上げて美夕紀が意思表示をする。  
さすがに悪いと思ったのか、瑞樹が言葉を重ねてきた。  
「まいまいはあたしが責任持ってベッドまで運ぶから」  
「よろしく。美夕紀、あたしの部屋に来る?」  
「うん……」  
目をこすりながら、重たい体を起こして立ち上がる。  
貴子は美夕紀に肩を貸して、二階にある自分の部屋に向かっていった。  
 
それを見届けた瑞樹は、  
「さて、まいまいを運ばなきゃ」  
腕まくりをして、舞の脇下と膝裏に手を通して、お姫様抱っこを試みる。  
「わっ、重たい」  
舞が聞いたら叩かれても文句を言えないようなことを言いながら持ち上げると  
よろよろと寝室へ運び、ベッドの上に乗せた。瑞樹は一仕事終えて、あくびをかみ殺す。  
「あたしも寝よ」  
 
 
「う……ん」  
目を覚ました舞は、半身を起こしてぼーっと中空を見たあと、  
「いたたた」  
顔をしかめ、手でこめかみを押さえた。  
「また二日酔い……?」  
目を閉じて痛みに耐え、落ち着いたところで目をゆっくり開く。  
最初に飛び込んできたのは、『8:15:49 8/21』というデジタル時計の文字列だった。  
「お水……」  
つぶやいて首を横向けた舞の視界に、  
「え」  
ショーツ一枚で舞の隣に寝ている瑞樹の姿が入った。  
「え?」  
視線を下ろすと、舞自身もショーツ一枚で、しかも際どいところまでずらされている。  
「まいまい、もっと……」  
瑞樹が寝返りを打ちながら寝言を漏らしたのが、決定打となった。  
「ええええええええっ!?」  
舞は思いっきり叫び、叫んだ自分の声に頭痛を覚え頭を抱えた。  
 
「どうしたの、まいま……い……」  
叫び声を耳にして、リビングからやってきた美夕紀の声がしぼむ。  
眼前に広がる光景に言葉を失ったようだ。  
「みーずーきー!」  
すぐ後ろに立っていた貴子が事情を察知して、部屋の中へ踏み入る。  
「起きろ!」  
「貴ちゃん、あまり大きな声出さないで……」  
舞の頭を抱えながらの嘆願に、瑞樹を揺さぶっていた貴子は声を抑えた。  
「ご、ごめんなさい」  
「んー、なに?」  
それと同時に首謀者が髪をかき乱しつつ、むっくりと起き上がる。  
怒り顔で自分の肩をつかんでいる貴子を、呆れている美夕紀を、そして頭を抱えている半裸の舞を見たあと、  
「貴子」  
「なによ」  
「襲うならもっと優しくして」  
瑞樹は頭をはたかれた。  
 
 
「ったく」  
朝食を終え地下スタジオに移動しても、まだ貴子は愚痴っていた。  
「そういやさ」  
瑞樹がスティックを選びながら真面目な口調で言った。  
「貴子、あんたギターの腕めっちゃ上がってない?」  
「あ、わたしもそれ思った」  
美夕紀の追随に、貴子は戸惑いを見せて、  
「あたしは普段通りの練習しかしてないけど?」  
「でもこないだ会ったときより、断然上手かったかも」  
舞も二人を支持する。  
「実感ないけどみんながそう言うなら……」  
貴子は首を傾げつつ、ギターを抱えなおした。  
 
「それじゃ、わたしの曲から流すね」  
美夕紀の曲がスタジオ中に流れる。  
夏らしい、アップテンポで爽快なイメージが漂う曲調に  
海、金魚、太陽、スイカ、花火、水着、浴衣、お祭り、恋、と夏を楽しむ歌詞がちりばめてあった。  
一人の女子高校生が、等身大の自分を表現している印象を強く与えて、曲が終わった。  
「うん、かわいい感じが夏っぽくていいかな」  
「休みが終わる前に海と花火大会にいこっか、みゆみゆ」  
瑞樹と舞がそれぞれの感想を述べる。  
その二人に笑いかけてから、美夕紀は上目遣いに貴子を見る。  
「貴ちゃん、どうかな? 重なってなかったらいいんだけど」  
貴子は心配ないよとでも言うように、笑みを返す。  
「美夕紀らしい曲ね。大丈夫、あたしはちょっとコンセプトが違うから」  
「ミユきちが心配しなくても、貴子はミユきちみたいに素直じゃないって」  
茶々を入れる瑞樹を貴子は睨みつけてから、ふっと力を抜いた。  
「そうね、瑞樹の言うことは間違ってないわ。あたしの曲を聴いてみたらわかると思う」  
そう言うと、ギターを立てかけて、譜面らしきものを取り出す。  
「美夕紀、曲に合わせて歌ってくれる?」  
「うん。でも少し読む時間をとらせて」  
譜面を受け取った美夕紀は、譜面の上に目を走らせた。そのまま黙読が続く。  
 
「貴ちゃん、覚えたけど……」  
しばらくして顔を上げた美夕紀は、少し困惑気味の表情をしていた。  
「ま、とりあえず歌ってみて」  
貴子の催促に、美夕紀は立ち上がってストラップをたすきがけする。  
マイクの位置を調節してからサインを出し、舞と瑞樹が見守る中、曲が再生された。  
 
 
曲に合わせてギターをコード弾きすることで美夕紀はリズムを取る。  
イントロでリズムを取りきり、美夕紀は歌いだした。  
ロックらしい、勢いのある曲で、一気に歌い続ける。  
歌詞は夏の思い出を回想しながら、楽しかったことを挙げていくものだった。  
しかしサビの終わりで一変する。  
「楽しい夏 終わりたくない Endless summer」  
そう言葉に乗せると、間奏に入った。  
と同時に舞と瑞樹が怪訝な顔する。そのメロディはイントロのリバースになっていた。  
イントロを半分まで逆弾きしてから、再生ボタンを押したように元の流れに戻る。  
そして二番が始まった。微妙に内容が違うものの、楽しい夏の思い出を振り返っていく。  
サビの終わりに美夕紀はそっと言葉を吐いた。  
「わたしまだ やり残してる Endless summer」  
空虚感を残して、ギターソロに移行する。リズムギターの美夕紀は  
リードギターの貴子のパートを支えるように演奏する。何度も何度も繰り返される夏を  
印象付けるようなメロディが続く。  
 
三番に入っても、また夏の思い出を振り返る内容の歌詞が続いていた。  
楽しい出来事しか綴られていないその歌詞は、もどかしさに満ちている。  
やがてサビに入って、また終わりがきた。  
「いつまでも あなたと続く 永遠の夏、」  
そこで曲が止まる。美夕紀は目を閉じて顔をうつむかせ、息を吸い込むと、  
「でも」  
顔を上げて目を見開いて、力強く続きを声に出した。  
「ごめんねわたし間違ってた あなたが教えてくれた」  
「どんな楽しい日々でさえ きっと未来には勝てない」  
各パートが再開される。  
「だからわたしついていくよ 輝く思い重なるように」  
「闇の果て超えて 弱い魂どこまでも抱きしめていて」  
「わたし覚悟してる たとえ運命が夢だったとしても」  
「嘘はやめて これからのことを話すって決めたから」  
「終わりは新たな始まり Ends summer.」  
 
 
終わらない夏が終わったのは、もう二ヶ月以上前のことである。  
もっとも、夏が終わりを知らず流れていたことを認識しているのは、俺を含め少数だ。  
さらにそれを実際に体験した者となれば、俺の知っている限りにおいては、  
「待つがよい」  
全身に漆黒をまとい、窓の縁に足をかけている長門ぐらいなものだろう。  
ちなみに今は、自主制作映画『朝比奈ミクルの冒険 Episode00』の撮影中だ。  
朝比奈さんのクラスメイトで友人である、鶴屋さんの家を借りて撮影を行っている。  
今週末には文化祭が始まるってのに、本当に間に合うのかね。  
ファインダー越しに長門を捉えつつ、俺は『超監督』の腕章をつけているハルヒをちらっと窺った。  
上機嫌この上ない。やれやれ、こいつの頭の中はどうなってるんだろうな、ホント。  
 
 
「今日はレコーディングしない?」  
文化祭で演奏する五曲を通しで演奏したあとに、貴子が提案をする。  
文化祭に向けての自主練習期間として、軽音楽部としての活動は任意参加になっていた。  
そこでENOZメンバーは貴子の家に集合して、最終練習をしていた。  
「そういえば、わたしと貴ちゃんが作った音源しかなかったね」  
美夕紀が初めて気付いたとばかりに、声を上げる。  
「あたしとまいまいのアレンジ込みで、だいぶ変わってくると思うよ。ね?」  
「うん、しよ」  
瑞樹が舞に振ると、舞も賛成の意を示した。それを見て貴子は、  
「それじゃGod knows, Ends summer, パラソルDays, 星のパズル、Lost my musicの順で」  
「こっちはいつでも」  
舞がベースを抱えてやる気を見せる。  
「舞、気が逸りすぎ。録音の準備をするから五分ぐらい遊んでて」  
ギターを立てかけ髪をかきあげると、貴子はスタジオを出て行った。  
勢いが空回りした舞は、すとんと椅子に座って、ベースを見つめる。  
「ミユきち、そのペットボトル貸して」  
「どうぞ」  
スティックを置いた瑞樹が差し伸べた手に、飲みかけの水を渡す。  
喉が渇いていたのか勢いよく飲み干す瑞樹を横目に、美夕紀は軽く背筋を伸ばして貴子の帰りを待った。  
 
 
「ちょっとがんばり過ぎちゃったかなあ」  
夕日も山の向こうへ消えかけ、辺りが薄暗くなる頃。  
美夕紀と舞は、貴子の家を辞し、帰宅途中にあった。  
「みゆみゆ、喉大丈夫? けっこうリテイクしてたけど」  
歩きつつ心配そうに、舞が美夕紀の顔を覗きこむ。  
「これくらいなら全然平気。明日一日歌わなければ大丈夫」  
のど飴を舐めながら美夕紀が答える。  
その声は、普段よく声を耳にしてる人間ならわかる程度のかすれ具合だった。  
「文化祭までまだ三日もあるし、余裕余裕」  
そう言って立ち止まる。舞の顔を見てにっこりと微笑んだ。  
「ならいいんだけど……あまり無理しないでね」  
舞の気遣いに、美夕紀はウインクを返す。  
「ありがと。それじゃまた明日学校で」  
お互いに手を振り合って、二人は自宅へ向かう道にそれぞれ歩を進めた。  
 
人気の少ない道を黙々と美夕紀は歩く。  
そして角を曲がったところで、美夕紀は眉をひそめた。  
前方の電柱に人影がもたれかかっているのを見たからだ。  
なにやらぶつぶつとつぶやいている。  
「酔っ払いさんかな……」  
小声で美夕紀は言うと、絡まれないように反対側の端っこを歩く。  
それでも、近づくにつれて、耳が勝手に声を拾った。  
「僕が動かざるを得ないのを知っていて傍観するとは、全く底意地の悪い未来人だ」  
比較的若い人間のようだった。声もしっかりしていて酔っている様子もない。  
「互いの規定事項なら朝比奈みくるにでも下してやらせればいいんだ、忌々しい」  
言葉に聞き知った名前を捉えて、美夕紀は思わず視線を送った。  
自分と同世代ぐらいの男が、美夕紀の視線を受け止め、返してきていた。  
背を預けていた電柱から離れると、その男は美夕紀に近寄ってくる。  
「榎本美夕紀」  
逃げようか声を上げようかどうしようか迷っていた美夕紀は、名前を呼ばれて困惑する。  
「なぜわたしの名前を……? それにさっきは朝比奈さんの名前も」  
疑問に、その男は含み笑いを浮かべた。電柱の影からもう一人姿を現す。  
「悪いね。それは禁則だ。それに中西貴子の分もある。手短にやらせてもらおう」  
 
「……あれ?」  
周囲を見回しても、人の姿はなかった。ギターを背負って立ち尽くす美夕紀がいるだけだ。  
「気のせいかな」  
瞬きを数回してから、目を覚ますように首を細かく振ると、美夕紀は再び自宅へ歩き始めた。  
 
 
文化祭当日。  
天恵が下り、奇跡的にそこそこのレベルで完成の目を見た自主制作映画は  
今ごろ視聴覚室で絶賛放映中である。タイムテーブルを見たから間違いない。  
俺は頼まれても観ようとは思わんがな。  
普通に文化祭を楽しむことにした俺は、襲いくる眠気を蚊柱にチャリで突っ込んだときの  
リアクションのように振り払いつつ、廊下を練り歩いた。お、長門のクラスか。  
衣装の本来の使い方をしている長門を見物しようと、俺は長門の教室を覗いてみた。  
「あなたは、四十三秒後に友人二人と会い、その一分後に衣装の感想を述べる」  
長門が水晶に手をかざしながら、占っていた。魔法使いのような格好でだ。  
「三分十四秒後に友人の誘いを断り、五分九秒後に空き瓶をびん入れに捨てるだろう」  
やけに具体的な占いだな。それは占いというより、予言なんじゃないだろうな、長門。  
ほどほどにしといてやれよ。  
 
 
「貴ちゃん……」  
瑞樹に付き添われ、右手に包帯を巻いてやってきた貴子を見て、舞が泣きそうな声を出す。  
貴子は心配するなと元気付けるように、微笑みながら右手を掲げる。  
「舞、あたし大丈夫だから。大げさに包帯巻かれちゃったけどこんなの全然平気」  
「でも、まいまいも平気って言ってて扁桃炎で入院したんだよ! 病院に行って検査しようよ!」  
舞の返事に貴子は顔を一瞬曇らす。気丈にもすぐ立ち直り、  
「とにかく、大したことないから。それより実行委員を呼び止めておいてくれてありがと」  
すぐそばに立っていた男女二人の実行委員を見据える。  
「あたし、出れます」  
「中西さん、その怪我じゃ演奏なんて」  
顔見知りなのか、実行委員の女子生徒が名前を呼んで諌める。  
「それにボーカルの人も病気で出れないんでしょう?」  
「あたしが美夕紀の分まで歌います」  
譲らない貴子に、女子生徒は首を振る。  
「実行委員として、許可することはできません」  
「なんでよ!」  
食って掛かる貴子の勢いに押されながらも、  
「せ、生徒の健康に関わることだからです」  
「自分の体のことは自分がよく知ってます!」  
貴子は包帯を巻いた右手も使って手振りをすると、  
「ギター弾けるとこを見せればいいんでしょ!? ギター取ってくる!」  
身を翻して、駆け出した。  
「やめるんだ!」  
「貴ちゃん!」  
男子実行委員と舞が追いすがって、押しとどめる。  
「離してよ!」  
「ダメだよ、貴ちゃん! わたしたちならいいから!」  
貴子の体にしがみついて、必死に止めようとする舞。  
そのとき、ずっと押し黙ったままだった瑞樹が口を開いた。  
「貴子」  
 
 
瑞樹の声に、貴子は動きを止めた。  
「無理してこれからを台無しにしたらどうすんの」  
いつになく優しい声で瑞樹が諭す。  
「あんた、音大志望なんでしょ?」  
うなだれる貴子。瑞樹が言葉を続ける。  
「文化祭が終わっても、ENOZが終わるわけじゃないから」  
「でも……」  
口ごもって優柔不断な面を見せる貴子に、瑞樹は、  
「いいからさっさと」  
近寄って貴子の右手を軽くひねりあげる。  
「病院に行け!」  
「痛い! 痛いからやめて!」  
顔を歪めて本音を出した貴子を見て、  
「実行委員さん、あとはよろしく」  
瑞樹は手を離して男子実行委員の肩を叩いた。  
我に返った実行委員は、右手をさする貴子をうながす。  
二人の実行委員に支えられて、おとなしく貴子は保健室へ歩き出した。  
 
貴子を見送ると、舞がぽつりと言った。  
「せっかく作ったオリジナルの曲だし、貴ちゃんやりたかったんだろうね」  
「貴子は変に真面目だから、ミユきちのために、とでも思ったんじゃないの」  
半ば呆れ口調で瑞樹はぼやいた。  
「そんなことをしてもミユきちが喜ぶわけないのに」  
「わたしたちにも気を使ってたみたいだしね……」  
空気が沈む。  
重くなった空気を取り払おうと、舞が声を弾ませた。  
「みっきー、これからどうする?」  
「んー、クラスの出し物の焼きそば喫茶でも応援にいこっかな」  
「わたしのとこは、見世物屋だったかなあ」  
わざとらしいぐらいに元気な声を出す舞の背後から、  
「なんだったら、代わりに出よっか?」  
急に声がかかった。  
二人が振り向くと、そこにはバニーガールがいた。  
 
 
「あなたは、たしか……」  
「涼宮さん」  
瑞樹がすぐに名前を挙げる。  
「オリジナルの歌なんでしょ? もったいないじゃない!」  
バニーがうさ耳を揺らして熱演してきた。  
「ギターも弾いたことあるし、歌も歌えるわ」  
仮入部時に手ほどきをして実力を知っている舞は、  
「あなたならできるでしょうけど、でも――」  
肯定しつつも反論を言いかける。その舞に被せるように、  
「うん、あなたならできるかも。お願いできる?」  
瑞樹が返事をした。  
「みっきー?」  
疑問符を掲げる舞をよそに、話をどんどん先に進める。  
「涼宮さん、あなたは先に軽音楽部の部室に行っててちょうだい。場所はわかるよね?」  
うなずくバニーにうなずき返すと、  
「よし、あたしたちは準備で寄るところがあるから。それじゃ、部室で!」  
舞を引っ張って一目散に駆けだした。  
 
「ちょっとみっきー! どういうこと?」  
「いいからいいから、早く保健室に行くよ!」  
物を言いたげな舞を適当にあしらって、瑞樹は廊下を走る。  
途中で何度か『廊下走るな』の貼り紙を通過しながら、ものの数十秒で保健室にたどり着いた。  
ノックもせずに戸を引く。  
「瑞樹? それに舞……」  
中には先ほど連れて行かれた貴子が椅子に座っていた。  
ずかずかと中に入って、瑞樹は宣言する。  
「涼宮さんに歌ってもらうことにしたから」  
「は?」  
問い返す貴子に、瑞樹は一字一句繰り返す。  
それでも把握しかねた貴子は、さらに聞き返した。  
「涼宮さんって、あの涼宮さん?」  
「そ、あたしたちと同じ東中出身の涼宮さん」  
「そう……」  
少しの間考え込んでいた貴子は、傍らに置いてあったギターケースを瑞樹に手渡した。  
「うん、涼宮さんなら。あたしからもお願い」  
 
 
「どういうこと?」  
保健室を後にして軽音楽部の部室に向かう道すがら。  
舞は納得のいかない顔で再度、すぐ後ろを走っている瑞樹に答えを求めていた。  
「舞は涼宮さんについて、何を知ってる?」  
「何って……なんでもできるけど、ちょっと変わった人ってぐらいしか」  
答えに問いを出されて、困りつつも素直に答える。  
その返事に、瑞樹はギターケースを背負いなおす。  
「あたしは一学年上だったけど、中学時代の涼宮さんを知ってるから分かるんだ」  
前を見据えて、走りながら言葉を継ぐ。  
「涼宮さんと貴子はある意味似たもの同士なんだ、って」  
「似たもの同士?」  
「そ、現状に常に不満を持っていたところとかさ。ま、涼宮さんのほうがすごかったけど」  
振り返った舞に軽く笑いかけると真顔に戻り、  
「それでね、後輩として北高に入ってきてからも、相変わらずだなあと思ってたんだけど」  
前方に男子生徒の行列を見とめ、少し右によった。  
「ある日を境に、やりたいことを見つけたみたい。ちょうど貴子がENOZを見つけたみたいに」  
『焼きそば喫茶 どんぐり』の看板を横切る。  
「だからあたしは涼宮さんと貴子を重ねて見てる。貴子も少なからずそうだと思う」  
突き当りを右に曲がって、奥へ進んでいく。  
「だからさ、まいまいも涼宮さんを認めてあげてよ、ね?」  
最後は息切れか、やや苦しそうに言い切った。  
そんな瑞樹に、舞は笑顔で応えた。  
「うん」  
 
部室に入ると、バニーが足を組んで椅子に座っていた。  
MP3プレイヤーからの音を本物の耳で聴きつつ、楽譜を眺めている。  
二人が入ってきたことに気付いたか、顔を上げてイヤフォンを外した。  
「あ、遅かったじゃない。これがあなたたちの曲よね? いい曲ね」  
走りっぱなしだった瑞樹は、息を整えると、  
「そうだけど、人のかばんを勝手に漁――」  
「時間ないんでしょ? 小さいことを気にしてちゃダメよ」  
瑞樹の言葉を途中でさえぎり立ち上がる。  
「それで、本番までどれくらいだっけ?」  
「一時間ちょっとで体育館に移動かな」  
舞の答えに、折れ曲がったうさ耳を手でいじって考え込む。  
「うーん、それはいくらあたしでも全曲は無理ね。それにこれ、全部ツインギターよね?」  
「うん、本当はもうひとり、ボーカル兼リズムギターの榎本さんって人がいるの」  
「わかった。ちょっと待ってて、もうひとり連れてくるから」  
と言って、バニーは台風のように走り去っていった。  
残された二人は、ただあっけにとられていた。瑞樹がつぶやく。  
「……やっぱ失敗だったかも」  
「あはは」  
舞が苦笑を漏らした。  
 
 
しばらくして戻ってきたバニーは、魔法少女を連れていた。  
「長門有希」  
そう名乗ったきり、口を閉ざして突っ立ったままだ。  
「有希、ギターよろしく!」  
有希がこくっと首を縦に振った。  
 
次いでバニーは瑞樹と舞の二人を見た。  
「あたしね、二曲ぐらいが限度だと思うのよ。どの曲にする?」  
「一曲は、バンドを結成するきっかけになったGod knowsを」  
迷わず言った瑞樹に、舞もうなずく。  
「もう一曲は、どうしよ?」  
「二曲だけだと、バラードの星のパズルはちょっと向いてないかな」  
舞が楽譜を広げて悩む傍らで、その中の一つの楽譜に有希は視線を置いていた。  
「有希、Ends summerが気になるの? でもそれ難しいのよね」  
「そう」  
有希の視線を追ったバニーが言うと、ゆるゆると視線を譜面から外す。  
結局、瑞樹が結論付けた。  
「夏の歌は両方入れなきゃ意味がないから、Lost my musicかな」  
「それがいいね」  
舞も賛成票を投じる。  
その結果とともに、バニーが声を上げた。  
「じゃ、あとは練習あるのみよ!」  
 
「歌うのとギターを弾くのを同時にするのって、けっこう難しいのね」  
「涼宮さんのパートはリズムギターだし、難しいならコード弾きでいいよ」  
「ごめんなさい、そうさせてもらうわ」  
 
「長門さん、なんでそんな完璧にできるの? どこかでギター習ってた?」  
「……」  
 
「うーん、満足のいくものにできなかったわね」  
一時間後、バニーの耳は普段より心持ち垂れ下がっていた。  
「気にすることないよ。通しでミスなしでできるようになっただけでもすごいって」  
瑞樹がスティックを置いて心の底からの賛辞を送ると、  
「一時間でこれだけできて残念がられると、こっちが形無し」  
舞も素直に心境を語る。  
「さ、もう行かないと。みんな楽器持っていくのを忘れちゃダメだよ」  
スティックをしまいこんだ瑞樹が立ち上がる。  
そして、笑顔とともに言った。  
「いい演奏にしよう!」  
 
 
バニーガール姿のハルヒと黒ずくめの長門がステージの上に立って熱演を繰り広げた文化祭は  
もう二ヶ月以上前のことになる。あのときは、まず予想だにしなかった出来事に度肝を抜かれ  
次いで楽曲の良さに半ば圧倒された。短い時間ではあったが、いつの間にか俺の横にいた  
舞台衣装の古泉とともに、演奏を楽しんでいたのは確かである。ハルヒの歌声も  
まあ、人並み以上に上手かったしな。少なくとも俺より上手いのは間違いない。  
 
ところでなぜ、唐突に二ヶ月前の、さらに言わせてもらえば去年の出来事である  
文化祭のことを思い起こしているのかというと、答えは俺が今、チャリをこいで向かっている先にあった。  
お、見えてきたぞ。いつもの集合場所がな。  
 
「遅い! まったくなんであんたはいつも最後に来んの?」  
チャリを置いて駆けつけた俺を頭ごなしに怒鳴ってきたのは、ハルヒだった。  
「時間には十分間に合ってるだろ。早く行き過ぎても、待ち時間が退屈なだけだ」  
そうハルヒに答えた俺は、残りの面々を眺める。  
そして何よりも挨拶をすべき人にしかるべきことをした。  
「朝比奈さん、こんにちは」  
俺の挨拶に、朝比奈さんは寒い空気も一気にぬくもるような笑みを返してくれる。  
「こんにちは、キョンくん」  
これだけでも今日ここに来た甲斐があったというものだ。  
ちなみに残りの面々は、長門と古泉、それと、  
「やあ、キョンくんっ! 今日はいっしょに参加させてもらうよっ」  
いつも元気な鶴屋さんだった。鶴屋さんは朝比奈さんの肩を抱いて、  
「あたしとみくるは前回クラスの出し物で忙しかったからね。今日は楽しみなのさっ」  
俺の脳裏に、ウェイトレス姿の鶴屋さんと朝比奈さんの絵が浮かぶ。あれはいいものだった。  
もっとも過去のイメージより、現実に目の前にいるお二人のほうがいいのは疑いようもない。  
朝比奈さんの今日のお召し物は、自沈しそうなほどもこもこなもこもこだった。  
ライブハウス内はかなり暑くなると思われるので、すぐにお脱がれになられることだろう。  
 
そう、ライブハウスだ。  
決して今日は不思議探検なんぞをしにきたのではなく、別の用事で集合したのである。  
誰のライブかというと、  
「さあ、みんな集まったしENOZのライブを見に行くわよ!」  
ハルヒが宣言してくれた。  
 
 
集合地点から電車に乗って太陽の沈む方向へ揺られること十数分。  
去る年末には光で着飾ったであろう、大きな街に俺たちは降り立った。  
「転校以来、こちらのほうには来たことがありませんでしたね」  
古泉が今さら転校生属性を思い出したかのように、周囲を見回す。  
「古泉くんは、もっぱら東なの?」  
「ええ、それか北口ですね。大抵のものは揃いますし」  
ハルヒと古泉がそんな会話をするのは、なんか違和感があるな。  
「あたしとみくるは、服とか買いにけっこう来てるよねっ」  
鶴屋さんの言葉に、朝比奈さんが控えめにうなずく。  
俺は腐るほど来たことがあるに決まっているので、質問される必要性もないのだが  
もう一人を取り残したままにするのはやりきれない感じがしたので、俺は長門に声をかけた。  
「長門、お前はここに来たことあるか?」  
ないという答えを半ば信じていたのだが、  
「ある」  
「何をしに?」  
意外な答えに、俺は思わず問い返していた。  
長門は俺をじっと見つめて、ぽつりと言った。  
「食べ歩き」  
 
ライブハウスは駅から徒歩数分の場所にあった。  
入り口を降りていくと、肌寒そうなラフな格好をしたもぎりの人が立っていた。どこかで見たような顔だ。  
「おっ、涼宮さんと長門さん。待ってたよー」  
鶴屋さんほどではないが、元気たっぷりのその人に見覚えがあるのも当然で、  
「瑞樹! 今日のライブ楽しみにしてるよっ」  
「まかせてっ、鶴にゃん」  
ハイタッチを鶴屋さんを交し合ったのは、ENOZのメンバーの人だった。  
瑞樹と鶴屋さんが呼んでいたことから類推すると、ドラムの岡島瑞樹さんか。  
文化祭時にハルヒが紹介していたのは下の名前だけで、その後挨拶に来たときも  
名前は告げなかったが、今日のチケットにフルネームが書いてあったから覚えていた。  
「みくるちゃんと涼宮さんのオトモダチの人もようこそ! えっと、そこの人はたしか古泉君だよね」  
「初めまして、岡島さん」  
古泉が当たり障りのない笑みを返す。  
なぜ面識のある俺がハルヒの友達扱いで、初対面の古泉は名前を覚えてもらっているんだ?  
理不尽を嘆いていると、  
「さあさ、中に入った入った。一応チケットもぎらせてね」  
岡島さんがライブハウスの中に手を差し伸べた。  
 
 
「わあ、人がいっぱい」  
中は高校の軽音部員がライブをするにしては十分すぎるキャパシティを備えているようだったが  
すでに人だかりで敷き詰められていた。百人じゃきかんな、これは。  
「前のほうに行きましょ」  
ライブハウス内を一瞥してそう言うと、ハルヒは雪山で雪を掻き分けたときと同じように  
猛然と群集に割って入った。どう考えても迷惑行為だぞ、それ。  
だが客のほとんどは北高生であるらしく、ハルヒの姿を捉えると、避けるように道を譲ってくれる。  
果たしてこれでいいのだろうかと思いつつ、俺たちもハルヒの後を追って、いちばん前を確保した。  
正確には女性陣が最前列で、俺と古泉はその後ろ、という布陣だ。  
「みくるー。服脱いだほうがいいよっ。もっと暑くなるからね」  
「うん」  
軽装の鶴屋さんに言われて、朝比奈さんは冬毛を脱いだ。  
飾り気のない、動きやすそうな服だったが、朝比奈さんの魅力を持ってすれば  
服などはまさに飾りだ。たとえジャージ姿でも映えるに違いないね。  
 
薄着になった朝比奈さんに癒されていると、  
「お持ちしましょう」  
さりげなく古泉が朝比奈さんに手を差し伸べていた。申し訳なさそうにしつつ、服を手渡す朝比奈さん。  
しまった、俺も目を奪われてないで言えばよかった。古泉の株が上がったのもなんとなく気に食わん。  
内心地団太を踏んでいると、視線が俺に刺さった。なんだ?  
視線を追っていくと、ダッフルコートを脱いで制服姿になった長門が俺を見つめていた。  
ええと、その視線はどういう意味なんでしょうか、長門さん。  
意図はよくわからなかったが、とりあえず俺は問いかけた。  
「持とうか?」  
首を縦に振って渡してきたコートを受け取る。手に提げるや否や、  
「これも持ちなさい」  
ハルヒも上着を押し付けてきやがった。  
おいおい、いくら屋内だからって半袖は冷えるんじゃないのか?  
「いいのよ、その分ライブであったまるから」  
ステージを見ながら、ハルヒは答える。  
ライブはまもなく開幕のようだった。  
 
 
ライブハウス内が薄暗くなる。  
最前列の俺たちには、ステージに上がる四人の姿が見えていた。  
ほどなくしてステージがライトアップされる。  
 
「みんな、今日は来てくれてありがとう!」  
ステージ上で、ギターを肩から提げた女子生徒が声を張り上げていた。  
暖色系の色を基調にした大人びた格好が、よく似合っている。  
以前会ったときは包帯を巻いていた右手で、マイクに手を掛けておられた。  
どうやらそれぞれの立ち位置は、以前の文化祭のときと同じらしい。  
リードギターでリーダーの中西さんは、マイク越しに呼びかける。  
「ENOZでの一年間を、今日のライブに全部詰め込んだから、聴いてね!」  
歓声が上がった。俺たちからは主にハルヒと鶴屋さんがそれに加わっている。  
朝比奈さんも「岡島さんがんばってー」と精一杯声を出していた。  
 
中西さんは歓声が一段落すると、他のメンバーに視線を送った。  
スティックを握っている岡島さんは、余裕の表情で応えていた。いたずら笑いがいいね。  
フードつきの服を着てベースを抱えている財前さんは、少し緊張しているのか、ぎこちない笑いを返す。  
最後にボーカルの榎本さんとうなずき合う。榎本さんは色こそ白を基本にしていたが  
ノースリーブにハーフパンツのかなり活動的な格好だった。  
おとなしめの人だと思っていたから、これにはびっくりだ。  
 
うなずきとともに、榎本さんにマイクが渡ったようだ。  
視線をうつむけて、ギターを見つめるような感じで、深呼吸をひとつする。  
勢いよく上げた顔には、満面の笑顔が浮かんでいた。  
「それじゃ、一曲目! God knows!」  
榎本さんの合図とともに、再び歓声が上がり、岡島さんがスティックを振るった。  
聞き覚えのあるイントロだったが、いきなり俺は圧倒された。  
長門のギターも常識はずれなほどに上手いものだったが、中西さんのギターも  
それに劣らないどころか、全身の動きがあるだけ長門より上手く感じたのだ。  
まるで文化祭で演奏できなかった分も楽しんでいるような、軽快なギターさばきだった。  
観衆も凄さに押し黙って、演奏にただ聞き入っていた。  
そしてイントロが終わり、榎本さんが歌声を乗せた。  
 
 
俺は以前聞いたことのある甘い地声から、ロックには不向きなんじゃないかと  
勝手に思っていたのであるが、榎本さんの歌声はそんな俺の想像を塗り替えてくれた。  
楽器の勢いにも負けずに、ギターを弾きながらよく通った声を響き渡らせる。  
要所要所で入る中西さんの低音でのコーラスとも息が合って、バンドとしての  
一体感を強く感じた。ベースの財前さんも曲が始まってリラックスしたようで  
ドラムの岡島さんを始め、メンバー全員にアイコンタクトを送って、リズムを生み出している。  
岡島さんは前回より派手めに体を動かしつつ、実に楽しそうにドラムを叩いていた。  
 
それはまさにENOZが一つになった瞬間だった。  
 
静まり返っていた観客もどんどんボルテージが上がって、盛り上がりっぱなしだった。  
さすがに長門は微動だにしていなかったが、古泉は足でリズムを取って体を揺らしていたし  
朝比奈さんもハルヒや鶴屋さん、場の雰囲気に飲み込まれて手を振っていた。  
俺も手に抱えているハルヒと長門の服がなかったら、手を振りかざしていたかもしれん。  
それだけ、ENOZの演奏は、共感を場に振りまいていた。  
最近裏読み傾向が強くなっていた俺の心に、ストレートに感動が届いたのは久しぶりだった。  
 
のではあるが、やはり俺の心はどこか冷めていたのだろう。  
小さな違和感を覚えたのは、四曲目のEnds summerが演奏されているときだった。  
その歌詞の内容に、俺はどこかで経験したことのあるような、むず痒さを感じたのだ。  
それだけなら気のせいで済ますこともできたのだが、長門と古泉がこちらに意味ありげな  
視線を送っているのを見ては、気のせいと言い張るのは無理だろ。  
 
「何かあったのか?」  
Ends summer後のMC中に、俺は小声で横の古泉に話しかけた。  
古泉は長門に目配せを送って、  
「次の曲の後に十分間の休憩があるようです。話はそのときに」  
俺の耳元にささやきかけてきた。息を当てるな、気持ち悪い。  
「今は純粋に曲を楽しみましょう」  
要するに、今すぐに危険が迫ったりする類のものではないらしい。  
願ったり叶ったりだ。俺はいったん頭から違和感を追い払って、ライブに再び専念した。  
 
 
「ハルヒ、少し席を外してくる」  
五曲目のパラソルDaysが終わって休憩時間に入るとすぐ  
俺は預っていた上着を差し出しながら、ハルヒに声をかけた。  
興奮覚めやらない様子のハルヒは、素直に上着を受け取りつつ、  
「あ、それじゃドリンクもらってきて。この半券で一つもらえるみたいだから。あたしコーラ」  
抜け目なく紙切れを代わりに渡してきた。ま、いいか。  
「鶴屋さん、朝比奈さん、よかったら飲み物取ってきますよ」  
お二方にも声をかけ、注文とともに半券を受け取った。  
本当は朝比奈さんにも来てもらうべきなのだが、鶴屋さんにがっちり抑えられてる上に  
席を外してもらう上手い口実が考え付かなかった。  
俺は背を向け、カウンターらしき場所を目指して観客の間をすり抜けていった。  
 
「それで?」  
ペットボトルを小脇に抱えて、俺は後からやってきた古泉と長門に話を振った。  
「あなたもお気づきになったと思いますが」  
古泉も手にペットボトルを提げ、口を開いた。周囲の喧騒に合わせてか、いつもより声が大きい。  
「彼女たちの曲の一部に我々が以前、経験した内容を想起させる部分があります」  
「ああ、Ends summerは、一万五千……何回か忘れたが繰り返されたあの二週間のことだな」  
「一万五千四百九十八回」  
長門が的確にフォローを入れてくれ、古泉はうなずきを返した。  
「ええ、そしてGod knowsはどうやら、あなたと涼宮さんが二人きりだった閉鎖空間での出来事のようですね」  
「そうなのか?」  
言われてみればそんな気もせんこともないが、俺にはわからなかったぞ。  
「涼宮さんの精神的専門家の僕にはわかります。あれは涼宮さんの心理の発露です」  
「正確には、涼宮ハルヒの心理を汲み取って、中西貴子が自身の経験と比較、融合させてできたもの」  
長門の補足に、古泉は合点が言ったのか、大げさに手を打つ。  
「なるほど、あの歌詞を書いたのは、中西さんでしたか」  
「そう、そして涼宮ハルヒと関連の薄い曲は、榎本美夕紀の手によるもの」  
そういえば、長門は以前、文化祭でENOZの曲を演奏したんだったな。  
それなら、知っていてもおかしくないか。  
「二曲目のLost my musicはどうなんですか?」  
古泉と長門はなおも情報交換を続けていた。  
「中西貴子が作曲して、榎本美夕紀が曲のイメージ通りに作詞したと思われる」  
「トレースのトレースですか。だからGod knowsやEnds summerと少し毛色が違うんですね」  
「そのLost my musicってのは、いつのハルヒなんだ?」  
なんとなく質問をしてみたが、古泉は苦笑をした。  
「それは知らないほうがいいと思います」  
 
なぜ知らないほうがいいのか、困惑する俺に、  
「そう気にしないでください。トレースのトレースですし、僕も確信があって述べたわけではないので」  
古泉は、いつものように含みを持たせてきた。  
その癖はあまりよくない癖だぞ、古泉。  
「矯正するよう努力します。とにかく、結論としては、特に問題ないかと」  
あっさりと言ってきたが、それだけじゃ納得できん。  
「ハルヒの心理を歌詞や曲にできるんだろ? 中西さんに危害が加わったりしないのか?」  
俺の問いかけに、古泉は首を振った。  
「涼宮さんの心理自体は、以前申し上げたように常識人の範囲を逸脱しません」  
少し口調を強めて、続きを言う。  
「言い方が悪いかもしれませんが、能力を持っていない涼宮さんは誰の興味をも引かないのです」  
「そうか」  
俺は当たり障りのない返事をするしかなかった。  
なんだか中西さんに失礼な感じがしたからな。  
 
会話が止まった合間を見計らったように、長門が声を発した。  
「中西貴子に危害が加わることのない点に関しては、情報統合思念体も合意している」  
淡々と告げる。  
「ただし、中西貴子の曲は涼宮ハルヒに一種のフィードバックを与えていると考えられる」  
「フィードバック?」  
「涼宮ハルヒから発信された情報を受け手である中西貴子が楽曲として構築、涼宮ハルヒに返す流れのこと」  
噛み砕いて説明してくれた長門は、  
「そして、それによって涼宮ハルヒに好影響をもたらした点は看過できない」  
「要するに、長門の親玉はどうしたいんだ?」  
休憩時間もそう長くない。ぼちぼち戻らないとハルヒがうるさいぞ。  
急かした俺に配慮したのか、  
「観測対象に組み入れる」  
長門は端的に結論付けた。  
「そうか」  
今度もそう言うしかないだろ。ただし俺はこう付け加えた。  
「じゃあ、戻って残りのライブを楽しむとするか」  
 
 
戻った俺にハルヒは遅いとどやしつけ、ペットボトルを奪い取ると再び上着を持たせてきた。  
休憩時間ギリギリだったらしく、鶴屋さんと朝比奈さんに飲み物を渡したところで  
照明が下げられ、ステージ上がライトアップされた。  
 
「ここからは最後まで一気に行くから、みんなついてきてね!」  
榎本さんの呼びかけに、歓声が応える。  
「まずは秋の三曲、見つめてHappy Life、REJECT?、Energy injection行きます!」  
岡島さんがスティックを打ち鳴らして、曲が始まった。  
休憩の合間に脱いだのか、榎本さんと同じくノースリーブ姿になった財前さんが  
派手なパフォーマンスをすることもなく、マイペースを保ち続ける。  
躍動感溢れるプレイをしているのは、もっぱら中西さんと岡島さんの二人だ。  
しかしバラバラというわけでもなく、静と動の関係が一つに融和してグルーヴ感を演出していた。  
もちろん、んなことを冷静に考えながら演奏を聴いていたわけもなく、ただ圧倒されていたのだが。  
 
先程の長門と古泉の話の通り、曲によっては、あの出来事に関する内容か、と思い当たるふしが  
あるものもあった。例外なくアップテンポな曲で、荒削りだが魅力にあふれた曲だった。  
古泉はトレースと言い、長門も中西さんの経験を踏まえて曲を作っていると言っていたから  
中西さんなりのアレンジが加わっているのだろうが、それにしても激しい曲ばかりだ。  
全曲この調子だと途中でへばってしまう可能性が高く、そこは榎本さんが作った曲が  
うまく緩衝材となってくれていた。かわいさを感じる曲で、普段そんなに音楽を聴かない俺でも  
すんなりと入り込めそうなポップロックだった。  
 
ちなみにハルヒの心理状態どうこうに関しては、俺は深く考えないでおいた。  
覗き見をするのはルール違反だろ、やっぱ。俺だって隠したいことの一つや二つはある。  
そんなことよりも、一生懸命演奏しているENOZのライブを楽しむほうがよっぽど健全だ。  
みんなと盛り上がりながらライブで聴く機会は、そう何度もあるもんじゃない。  
ぴょんぴょん跳ねている朝比奈さんを見ながら、俺はそう思ったのさ。  
ハルヒと鶴屋さんも、どこにそんなパワーがあるのかと問いたくなるぐらいはっちゃけているな。  
長門、お前もたまには声をからして叫ぶぐらいしてみたらどうだ。無理か。  
 
 
最後の曲、One's melancholyを演奏しきったENOZの面々は、余韻に浸っているようだった。  
観客である俺たちも、感情を共有して、押し黙る。  
口を開いたのは、中西さんだった。  
「ありがとうみんな、最後まで付き合ってくれて」  
完走した者だけが経験できる喜びがその顔に浮かんでいた。  
「三年生になったばかりの頃には、ライブができるなんて思ってなかった、ううん」  
かぶりを振って、  
「こんなあたしがバンドを組むなんてことすら思ってなかった」  
柔らかい微笑みとともに、他のメンバーを順々に眺める。  
「このENOZは、あたしにとっての居場所。大切な、かけがえのないもの」  
観客に視線を戻し、  
「あたしはもうすぐ高校を卒業するけど、この一年は、そして今日のこの日は一生忘れない」  
目を潤ませながらにっこりと笑った。  
「みんな、ありがとう!」  
今日一番の大歓声がライブハウス内を包んだ。  
朝比奈さんなんかは、もらい泣きして鶴屋さんの肩をハンカチ代わりにしていた。  
そして、どこからともかくアンコールの声が聞こえてくる。  
あっという間に全員に伝播して、場内はアンコール一色になった。  
顔を見合わせるENOZのメンバーだったが、岡島さんが口を動かして、何かを伝える。  
残りの三人が、うなずいた。  
 
中西さんに代わって、涙をぬぐって榎本さんが口を開いた。  
「アンコールさんきゅ。二曲、演奏したいと思います」  
歓声が再び上がる。  
「でもその前に、スペシャルゲストを紹介します」  
後ろで岡島さんが、なにやらいたずら笑いを浮かべておられる。  
「みなさんの多くは文化祭でわたしたちの演奏を耳にしたと思います」  
財前さんがこっちを見ているような気がする。  
「そのとき、病気や怪我で欠場したわたしと貴ちゃんの代わりに出てくれた二人がいました」  
中西さんの視線は、確実に俺の前に立っている誰かと誰かを捉えていた。  
「今日のライブがあるのも、その二人のおかげです」  
そして榎本さんが、名前を挙げる。  
「涼宮ハルヒさんと長門有希さんのお二人です!」  
 
「え?」  
拍手と歓声が上がる中、寝耳に水だったハルヒは間抜けな声を出した。  
長門はまったく動じず、ただ佇んでいる。  
そしてステージ上の四人は、今度はなぜか俺に頼み込むような視線を注いでいた。  
どういう意味ですか、その視線は。俺はハルヒのマネージャーじゃないですよ。  
そう思ったのだが、俺は戸惑っているハルヒの肩に手を置いた。  
振り向くハルヒに、俺はこう告げたのさ。  
「行ってやれ」  
 
ステージの上の人となったハルヒと長門は、榎本さんから紹介を受け場を沸かせていた。  
ハルヒと長門の分、空いたスペースに俺と古泉が入り、最前列での見物となった。  
ハルヒにも緊張というものが存在していたのか、ぎこちない応対だ。  
もうちょっと気のきいたことを言ったらどうだと思うのだが、それは俺が観客だからであって  
実際ステージの上に立つとまた違うんだろうな、きっと。  
何も言わない長門に比べれば、マシなのではあるが。  
榎本さんのMCの傍らで、残りの三人は機材を動かして準備しているようだった。  
 
「お待たせしました」  
準備オーケーの合図が出て、榎本さんはそう言った。  
と言っても、ものの二、三分ってところだ。  
中西さんのマイクスタンドが榎本さんの横に並べられ、榎本さんのギターがなぜか  
長門の肩から提げられていた。  
「アンコールの二曲は、God knowsとLost my musicを文化祭バージョンでやります!」  
ハルヒと長門から了承を得て、コラボとなったわけだ。  
歓声が巻き起こる中、ハルヒは榎本さんと、長門は財前さんと並んで立った。  
榎本さんの微笑みに促され、後ろを向いてハルヒが岡島さんに合図をする。  
岡島さんがスティックを振りかぶり、ハイハットが打ち鳴らされ――  
 
俺もこの日のライブを一生忘れないだろうね。  
 
(おわり)  
 

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