やや深夜に近い時間帯。こんな時間に徘徊する輩は通報されて然るべきである。
というわけで心ならずも早足になってしまう俺がいる。言っておくが、国家権力の厄介になるようなことは断じてやってない。
しかしまあ、こう深夜に外出しているというだけで妙な背徳感を覚えるというか。
急に自分の業の深さについて反省したい気分になったりしたりするものなのさ。何の業かは知らんが。
そしてそれは、思いがけず知り合いに出遭ってしまうことで最高潮に達する。
あまりにも突然の邂逅に俺が間抜けな声を漏らすと、野郎も似たような反応をよこした。
「やあ、奇遇ですね」
しかし一瞬でテンプレ通りの微笑に戻る。一向に変化が無いのは、俺に不快感を与えることも仕事内容に含まれるからなのか。
超能力少年、古泉一樹。
どうだかね。いつかみたく待ち伏せしてたんじゃねえのか。
「今回ばかりは本当に偶然ですよ。次からはどうかわかりませんが」
軽く鼻を鳴らしながら、俺も待ち伏せの線はないなと思っていた。そうでなければあんな罰の悪そうな顔をするはずないさ。
「こんな時間に何やってる?」
「散歩、とでもいっておきましょうか」
何だ、その嘘ついてる感丸出しの投げやりな言い訳は。真相を言え。
「知らない方がいいことかもしれませんよ」
「胡散臭い言い方だな。むしろ疑えと言っているように聞こえるぞ」
古泉の微笑みは、今にも俺のお得意の台詞を呟きそうな苦笑に変わる。
失礼な奴だな。そう言うように俺を誘導したのはお前だろうが。
「ええ、全くです……ですが、あなたにはもう少し疑心暗鬼になってもらった方がいいとも思うのですよ」
「どういう意味だ」
「知っての通り、僕の所属する機関はこの時代の俗人が寄り集まっている集団です」
質問に答えろよ。
「長門さんのように高次な存在でもなく、朝比奈さんのように現在よりは豊かであろう人々でもなく……最も人間臭い連中ですよ」
だからどうしたっていうんだ。
「率直に言いましょう。涼宮さんに注目する陣営の中で、自他ともに信用ならず、かつ最も血腥いのはうちです」
「……」
俺が今まで出会った機関の人々、森さんに新川さん、多丸さん兄弟。
彼らが影でゴルゴ13のような殺し屋稼業を請け負っていると考えても、特に違和感がないのが怖い。
何よりも恐怖を感じたのは、殺し屋の単語から最初にイメージされたのがメイド服でライフルを構える森さんの姿だったということだ。
いよいよ、次に会ったとき視線を合わせて会話できる自信が無い。
「加えて、僕たちの最終目的は“涼宮ハルヒの沈静化”――派閥によって語弊はありますが」
長門の親玉は進化の可能性が云々ぬかしている。噛み砕くと、どうやら、古泉ら機関とは明らかに目的を異としているらしい。
「SOS団を離脱する者が出るとすれば、それは僕ですよ」
「例えば、僕は今まで密談をしていたのかもしれません」
SOS団にとって不都合な内容のね、と古泉は続けた。
「もしくは、僕は機関の内乱に巻き込まれている最中で、ついさっき何人か始末した後なのかもしれない」
右手を胸の前にかざす。もちろん何もない。サスペンスなドラマ的演出なら血が滴っているところだろうが。
黙っている俺を真に受けているものだとでも解釈したのか、古泉は肩を竦めて軽く笑う。
「例えばの話ですよ」
ここにきてようやくのフィクション発言か。結局、何が言いたかったんだお前は。
さあ、何でしょうね。古泉の表情は実に曖昧だ。
「しかし――僕はいつ裏切ってもおかしくない立場にいる。そのことさえ覚えておいていただければ一安心ですよ」
では、とだけ言い残し、古泉は俺の横を抜けていく。言いっ放しか。俺の意見を聞くつもりはないようだな。
だが断る。
俺も大概負けん気が増長しているらしい。ハルヒが伝染ったか。
「待て」
散々偽悪的な言動をしておいて、お前はハルヒ的なスパイキャラにでもなるつもりか。
ふざけるなよ。だったら俺は王道的なヒーローになってやろうじゃないか。
「お前が敵に回ろうが、もしくは追われる身になろうが……覚えとけ、ハルヒは必ずお前の味方をする」
あいつは団員を簡単に見捨てたりしない。わかってないとは言わせないぜ、副団長殿。
「俺はそんなハルヒについていくだけだ」
一度動き出したハルヒに、拒否権など無用の長物だね。SOS団における規定事項のはずだ。
「そして長門も、朝比奈さんもだ」
忘れるな、古泉。
「お前にちょっかいをかけたがる連中は、割とたくさんいるってな」
さて、いつも細めてばかりの目を見開いているが……こいつは何を思ってるんだろうね。
古泉は見慣れた微笑に戻る。「ありがとうございます」とだけ言うと、何か含んだ顔つきになり、
「お礼に……と言うのもおこがましいですが、少し良いことを教えましょう」
ほう、期待しないで聞いてやろう。
「かつて、一度だけ機関を裏切って味方すると言いましたね」
いつかの雪山のか。
「どうやら嘘になりそうです」
「何だと」
「いえ、味方をしないというのではありません」
人をひっかけておいてずいぶん満足そうに笑いやがる。お前の家系は詐欺師を生業にしているのか。
「この先、裏切るのが一度だけでは足りなくなったら……僕は何度でも裏切りますよ」
SOS団のためにね――そう言う古泉の笑顔から不快感を感じることはなかった。
ああ、そうさ。何だかんだと言ってはいるが、古泉が良い奴であることはとっくに感づいてる。俺は性善説信者だしな。
しかし裏切ってばっかりだな、お前は。今だけで何回、裏切るって単語使ったよ。
「それともう一つ」
「あまり僕の言うことは信用しない方がいいかと」
おい、このやろ、まだ言うか。
俺は古泉を軽く小突くつもりで肘を突き出した。そして古泉は「おっと」と大袈裟なリアクションでそれを避ける。
ただ、それだけのはずだった。
「あ」
古泉の手から紙袋の取っ手が滑り落ちたのは、全くの偶然だ。
落ち行く紙袋、瞠目する古泉、呆ける俺。
紙袋の中身がぶちまけられる。
そして俺と古泉の時間が止まった。
ああ、そうか、お前。
もっともらしいこと言ってるフリして、とりあえず俺を煙に巻いてさっさと帰りたかったんだな。
紙袋から零れ落ちた“それら”を見ながら、俺は古泉に新たな親近感を覚え始めていた。進んで獲得しようとは思わない代物だったが。
そこには――まあ、その、アレだ。
高校生が買ったらいけないような雑誌が散乱していた。
「ええと、その、何だ」
「はい」
「見なかったことにする」
「助かります」
とはいえ、一度見てしまったものを忘れるなんて、それこそ世界改変でもしない限り不可能なことで。
その後、俺と古泉はハルヒ他SOS女子団員に内緒で男の勲章と呼べる物品を交換し合うようになった。、
それだけは、今までもこれからも、本当に内緒の話だ。
「ところで、あなたこそ何用ですか」
「散歩、とでもいっておこう」