―当該対象の発生を確認。情報戦開始。空間を閉鎖する。  
―おっと、この空間ならば僕の力も限定的にですが使用できるようですね。これで十分、と判断されたのでしょうか。もっとも、威力は閉鎖空間の十分の一程度ですが…。  
―ふえぇ、キョン君たちは大丈夫なんですかぁ?心配です…。  
―問題ない。ここは私の情報制御空間。  
―接近しています。朝比奈さんは隠れていてください。…来ました!  
 
 
これは、あの終わらない夏のある一つのシークエンスで起きた出来事。  
なお、この記憶は上書きされたため、当該情報を知るのは私、長門有希だけである…。  
 
 
『夏の夜』  
 
 
ハルヒは震えていた。  
全くもってこいつらしくないこと甚だしいのだが、SOS団の団長殿は俺の腕にすがりついている訳で、ハルヒの震えが俺の腕を通して伝わってくる。気分がでるかって?とてもそんなもんじゃない。  
あるいは、震えているのは俺のほうかもしれん。恐怖で頭の芯が痺れていやがる。  
「キョン……怖いの……?」  
俺はハルヒの肩を抱いた。ハルヒは鼻先を俺の胸に押し付ける。  
「キョン……寒い。」  
確かに、さっきから酷く寒い。真夏だっていうのにだ。  
あんなものを見ちまったからかな。  
どうなっちまったんだ?長門、古泉、なぜ電話にでない?  
ここは…あの閉鎖空間なのか?  
話を少し前に遡らせる。ことの発端は、やっぱりハルヒだ。  
 
俺たちは現在、同じ夏休みの二週間を繰り返している。長門によれば、もう12000回は超えたとかだ。ハルヒによってSOS団のスケジュールは多忙を極め、今夜も俺はSOS団の活動にかり出された。  
今日は、肝だめしだ。長門に確認したが、なにが起きるわけでもないそうだ。怖がる朝比奈さんの御姿を目に焼き付けるぐらいしかやることはなさそうだ。  
だが、集合場所の墓地に来ていたのはハルヒだけだった。おい、長門、古泉、朝比奈さんはどうした?  
「それが来てないのよ!携帯にかけたって三人とも出やしないんだから。全く、SOS団の活動を何だと思ってるのかしら。これは重罪よっ!」  
ハルヒは怒り心頭といった様子だ。おいおいハルヒ、重罪どころか、そいつは異常事態だぜ。嫌な予感が頭をよぎる。冷静になれよ、俺…。  
どうするんだ、ハルヒ?  
ハルヒは暫く思案顔だったが、何かを思いついたように、ぱっと顔を輝かせた。うおっ、まぶしっ。  
「こうなったら仕方がないわ!二人で行きましょう。あたしとあんただけでっ。みんなが来たら罰ゲームよ!」  
こうして、俺の悪夢のような夜が始まった、というわけだ。  
 
夜の墓場は、墨を流したみたいに真っ暗だった。夏だってのに寒気がするのは気のせいだろう、たぶん。  
いや、断じてびびっているわけじゃないさ。俺は幽霊なんて、これっぽっちも信じちゃいないからな。問題は、俺のとなりで元気はつらつで歩いている奴が、ひょんな気を起こさないか、ってことさ。  
例えば…幽霊に会いたいとかな。  
俺の心配をよそにハルヒは楽しそうだ。おいハルヒ、あんまり先に行くなよ―  
俺が言いかけたそのときだ。  
凍りついた、言葉が出ねえ。体温が一気に三度は低下する。  
視界の隅に、ちらりと映った影。長い髪、その下でゆれる冷たい笑い顔。一瞬でその影は消えた。だが…  
心臓の動悸が激しくなる。  
朝倉、涼子。  
なぜ、ここにいる?  
 
青ざめて立ち止まる俺を、ハルヒは不思議そうな顔で見てやがる。  
「どうしたの…あー、キョン、ひょっとして、怖いんでしょ!!」  
畜生、極上の笑みを浮かべるんじゃない。なんだ、しかも、その照れたような笑い顔は。  
「しかたないわね、ほら、手つないでやるわよ。」  
ハルヒは俺の手をとると、素直じゃないんだから、とかわけの分からんことを呟いている。  
おい、ハルヒ、今の見なかったのか?  
「へ、なにが?」  
…いや、なんでもないんだ。きっと俺の見間違いに違いないさ。そうに決まってる。  
「なーにぶつぶつ言ってんのよ!行くわよっ、キョン!!」  
 
朝倉の亡霊は、その後も俺の視界に現れては消えた。なぜかハルヒにはまったく見えていないみたいだが。  
四回目に朝倉の笑みが闇に浮かんで消えたとき、俺は思わず叫び声を上げそうになった。  
ああ、びびってたさ。心からな。  
長門とも、古泉とも連絡がつかないんだ。今朝倉が襲ってきたら、俺はまな板の上の夏野菜だ。満遍なく刻まれてカレーに使われちまう。  
唯一の頼りはハルヒだ。俺が襲われたらトンデモパワーを炸裂させて朝倉を撃退してくれるやも知れん。  
ってなわけで、俺はハルヒの手をしっかり握り締めていたさ。  
いつのまにか、ハルヒと俺の距離は縮まって、今じゃぴったりくっ付いている。ハルヒはといえば…俺の肩に肩を寄せて、なんだか赤い顔で俯いている。って、そりゃあ朝倉の亡霊が見えないわけだ、おまえ、下しか見てないだろ!  
再び闇に浮かぶ朝倉の姿。そして―  
消えた。  
俺はハルヒの手を握り締めて走り出した。頭がおかしくなりそうだ、早くここから出たい。  
「ちょ、ちょっとキョン!!どこいくのよ!」  
「どこでもいい!」  
墓地の向こうに、壊れた寺が見えてきた。古寺で、今は使われていない。くそ、この際だ。  
俺はハルヒを連れて寺に飛び込んだ。はずれかれた扉を閉め、閂を内側からかける。  
「はあ…はあ…。」  
 
大丈夫か、ハルヒ―  
と言いかけて、俺はぎょっとした。ハルヒさん、そんなに熱っぽい目をしてどうしたんです?  
「そっか…、ここなら人は来ないわよね…。い、いいわよ、キョン…。」  
えーと、なにか勘違いしてないか?  
「うん、勘違いしてた。有希や、古泉君や、みくるちゃんが来なかったのは、あらかじめ相談していたからでしょう?あたしったら…ホント、鈍かったわ。」  
違う、そうじゃなくてだな―  
「いいの!なにも言わなくていいわ。あ、あ、あたしだってキョンのことが―す、好きだものっ!!」  
ハルヒが飛びついてきて俺は床に倒れこむ。おいおい、マジか?どうする、俺!  
「んっ、んん…。」  
ハルヒのキスが口を塞ぐ。積極的だな、ハルヒ。本来なら頭がぐらぐらと沸騰するだろうが、今の俺の頭は恐怖で凍り付いているんだよ。  
「ぷはっ…。」  
ハルヒは俺に腕を絡めた。腕から振動が伝わってくる。どうやら震えているようだ―いや、これは俺の震えか?  
「は、はじめてだからさ、き、き、緊張してるのよ!少し、怖いのかも…。」  
ハルヒの顔は上気してピンク色だ。興奮を隠し切れない様子。  
「キョン……キョンも怖いの?」  
ああ、怖いさ。大人になるのが、じゃないぞ?  
俺はハルヒの肩を抱く。ハルヒは鼻先を俺の胸に押し付けてきた。  
「……寒い。キョン…。」  
俺もなんだか寒気がする、夏だってのにな。  
「お願い、暖めて……。」  
―って、寒いならなんで服を脱ぎだすんだ!  
「キョンも脱いで…。」  
激しい動悸。心臓が破裂しそうだ。長門、古泉、なぜ連絡がつかない?  
「キョン、大好き…。」  
まったく、俺もだよ、ハルヒ…。  
俺は考えるのをやめて、ハルヒと抱き合った。ハルヒの体は柔らかいな、と思ったことを覚えている。  
 
 
「ううっ……朝か。」  
不思議と生きている。俺は脱ぎ捨てていた服を着ると、ハルヒを起こした。  
「ハルヒ、朝だ。服着ろ。」  
「んん…、だめ、キョン…もう入らないよ…。」  
どんな寝ぼけ方をしてやがる!俺はハルヒを揺さぶって目を覚まさせ、服を着せた。  
なんとなく互いに気まずくて、目をあわせられない…だが、ハルヒは俺の手を握って放さなかった。  
 
「大丈夫ですか?」  
寺の古ぼけた扉が開く。  
そこには、古泉、長門、朝比奈さんが並んで立っていた。  
「いかがでしたか、涼宮さん、肝だめしは。」  
古泉がにこやかに笑っている。ハルヒは顔を赤らめた。  
「そ、そうね。素敵な一晩だったわ。そうね、それに免じて、肝だめしに来なかったことは許してあげるっ!…全く、いつから計画してたの?」  
古泉は肩をすくめる。  
「そちらの方に、昼間のうちに頼まれましてね。いやぁ、実に大胆な手口ですよね。二人きりになるためにとは。」  
嘘つけっ!断じて俺はそんな相談はしていないぞ。  
「キョンくん、涼宮さんとお幸せに…。」  
朝比奈さん、やめて下さい!  
「……。」  
…長門、後で聞くことがあるからな。  
長門はかすかに頷く。  
ハルヒは上機嫌な顔で立ち上がった。  
「さー、今日はこれで解散っ!あたしは家でグッスリ眠りたいわ。じゃね、キョン!」  
やれやれ。  
 
 
ハルヒが帰ってから、俺は三人のSOS団員に話を聞くことにした。おい、今回の騒ぎはなんだったんだ?  
「あなたの予想通り。涼宮ハルヒの能力によってあなたに危機が迫っていた。」  
朝倉涼子か?  
「そう。」  
なるほど、やはり俺が見ていた朝倉の姿は、幻覚ではなかったのか。  
「最初に長門さんが指摘したんです…。肝だめしをすると、本当に幽霊が現れるって。」  
ハルヒが望むからですよね、朝比奈さん。  
「そうです。でも、涼宮さんの望みは幽霊が出ることじゃなかった…あなたが怖がって、涼宮さんと手を繋いだり、体をくっつけることだったんです。」  
男女の役割が逆じゃないですか?  
「涼宮さんに怖いものは有りませんからね。そのため、あなたが怖がればいい、と望んだのでしょう。そして、あなたが一番恐れているものが現れてしまった…。朝倉涼子です。  
そこまで長門さんは予測していました。」  
古泉が続ける。  
「僕らは、あらかじめ肝だめしの場所である墓地に待機していました。長門さんはそこを情報制御空間にし、閉鎖空間に近いものを作ったのです。出現するであろう、朝倉涼子と対決するために。」  
しかし、おまえらがどこに居たのか、俺にはさっぱりわからなかったぞ。  
「…あなたと涼宮ハルヒのまわりに情報シールドを展開した。私や朝倉涼子の姿が見えないように。  
朝倉涼子があなたには一瞬みえたのは、あなたを媒介として朝倉涼子が出現した瞬間。私の空間に取り込んだから、直後には消えたはず。」  
ああ、その通りだ。  
「朝倉涼子は、計五回ほど出現しました。ほとんど片付けてくれたのは長門さんです。獅子奮迅の働きでした。僕の限定された能力では、僅かに手助けが出来た程度です。  
五回で済んだのは、涼宮さんに、あなたを怖がらせる理由がなくなったからです。あなたの肝が、本当の意味で試されていましたから。」  
古泉、下ネタはやめろ。朝比奈さんが赤くなって俯いてるだろ。  
やれやれ。  
…いずれにせよ、助かった。ありがとな、長門。  
「…いい。」  
古泉も。  
「いえいえ、どういたしまして。」  
朝比奈さん。  
「そんな、いいですぅ…あたしは役に立ってませんから。」  
…たしかに。  
こうして、俺の夏の悪夢は終わりを告げた、というわけだ。  
 
 
その夜、墓場で―  
髪の長い、若い女がひっそりと立っていた。  
「あーあ、もう少しだったのにな。」  
女はそう言って薄く笑うと、足の方から夜の闇にとけていって…  
消えた。  
 
 
終わり  
 
 

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