「手を」
「は?」
いつもの放課後、文芸部室のくたびれたパイプ椅子を引いて立ち上がった瞬間、
今しがた閉じた本を小脇に抱えたままの長門が宣言した。
長門の本を閉じた音がした後はいつものように三々五々と解散していくSOS団は、
今日に限って俺と長門が一番最後だったりしたわけだが、
「手を」
すい、と右手を出した長戸が俺の手を取る。
左手がすうと追随して俺の左手を固定する。
いつの間にやら本は傍らの机に置かれていた。
「おい長門」
かぷ
手相やら占いやらなら朝比奈さんに……といいかけた俺の口は思いっきり固まった。
長門が俺の左手を咥えている。
ちゅ ちゅ ちゅぅ ちゅっ
「……ぷぁ」
無限にも等しかろうという沈黙が通り過ぎた後、長門は俺の薬指を解放した。
「ななななななな長門っ?!?!」
谷川流だけが表現できるであろう俺の大混乱振りを無視して長門が状況を解説する。
長門の唾液でぬるりと風を受ける薬指がもっと舐めてくれとまてコラ俺。
「同期した」
は?
「貴方の内部にいる私と同期した。蓄積エラーを消去し解析するためには必要なシークエンス」
「貴方の精神構造に影響を与えないため、貴方の内部の私は貴方との接触を全て夢として無意識下に格納している」
「しかし無意識に私との交歓を蓄積することは貴方の精神に某かの影響を与える可能性が大」
「よって今の同期によって貴方から無意識の圧迫を除去した」
……おう、長門。なんかよくわからんがまた俺はお前に迷惑をかけているのか?
「問題ない」
「もともと私がお願いしたこと」
「貴方は夢の時間を私に分けてくれている」
長門が比喩表現を使うなんて初めてじゃあるまいか?俺は長門の成長をもろ手を挙げて歓迎すりゃいいのか?
それとも俺はなにか大事なことを見逃しているのか?
「んっ」
長門がぶるっと全身を震わせて、自分の身体をきつく抱きしめた。
膝が砕け、そばのパイプ椅子にかしゃりと腰を下ろす。
「だ、大丈夫か長門?」
「……同期が完了した。彼女と私は経験を共有した。
私と彼女は同根存在であり彼女の経験は全て私の経験と同値」
よ、よくわからんが……
長門の頬が上気している。いやいや、夕日にあてられて赤く染まっている。
ながと?ながと?なにがオキテイルノデスカ?
「貴方が夢の中で彼女=私に何をしたかを了解した。
私は経験の多様さに驚き呆れている。情報統合思念体にも理解しきれるとは思えない密度」
膝をもじもじと擦り合わせながら長門が続ける。
ながとさん?いったいなにをオッシャッテイルノデスカ?
「貴方の無意識が彼女にしたことであり貴方が気に病む必要はない。
これは私=彼女が欲した情報」
長門さん?俺は今本棚の後ろのエロ本を見つけられたときより動揺しているのですが分かりますか?
なんかものすごく大事なことを俺の了解無しに暴かれてる気がするのですが?
「問題ない。忘れて」
そういう長門の頬の赤みは夕闇が支配する文芸部室内でも容易に見て取れた。
……長門らしくもない、何をそんなに照れて
長門の視線が俺を射抜く。きゅっと吊りあがった眉はヘの字に、眉間には怒りではないしわをよせて
「あなたの性的妄想は驚嘆すべき破廉恥さ」
宇宙人製対有機生命体コンタクト用 ヒューマノイド・インターフェースは。
なにか俺の知らないところで俺の妄想をゲットしたかのように全身真っ赤になって
違う、多分
俺が夢の中で彼女=長門にしたことを自分=長門の経験として追体験しているのだ。
まさに、今。俺の目の前で。
「んんんっ」
ぶるっ、と長門が全身を振るわせた。
普段の表情からは想像もつかない、惚けたような蕩けたような瞳の色が
俺を捕らえて離さない。
な がと……だい じょうぶ……か……?
伸ばした俺の右手を長門が握り締める。そのまま長門は頬をすり寄せて、小さくつぶやいた。
「……キョンくんのえっち……」