「はい」  
 
 
 
 ある晴れた暑い日のこと。  
 涼宮ハルヒがジュースを買った。  
 それが全ての始まりであり、おそらく結末となるのだろう。  
 
 そう考えていた時期が、俺にもありました。  
 
 ……なーんてな。  
 
 
 
K:……何の陰謀だ?  
 
  思い返せば幼少のころから妙な知恵がついていて、端から見ればさぞ気味の悪いガキンチョだっただろう。  
  例えば毎週体育座りで鑑賞していたヒーロー番組。  
  今まで空気だった幹部級キャラが活躍し出すと「ああ来週からいなくなるんだな」ということが漠然ながらわかってしまった。  
 
  そう、俺にはわかるのだ。誰かが普段しないようなことをやり始めるのは、何かしらの悪い兆候だと。  
  尚且つ目の前にいるのは俺に災厄を運搬することを天職としている暴走トンデモ女であり、威力は倍増であり、確実だ。  
 
  即ち。  
 
  涼宮ハルヒが俺にジュースを差し出すなどあってはならない事態なのである。  
 
  罠か?  
 
  罠なんだろ?  
 
  きっとそのジュースは「いやあ最近食品分野にも進出したんですよ」とかのたまうどっかの怪しげな巨大企業の新商品か何かだ。  
  飲んだ途端に理解しがたい味がするんだろう。「いやあ何分初めてなもので」などという言い訳は通用しねえぞ。  
  責任者を(ry  
 
 
H:キョンは固まっている。二の句が継げないって表情のままずっとこっちを凝視してる。  
  あ、あんまり見ないでよね。気味が悪いったらありゃしないわ。  
  そもそもあんたの顔って基が間抜けにできてるから、目を大きくしたぐらいじゃカッコつけにもならないのよ。  
  ……だからっ、こっち見んな!  
 
 
K:あっ、顔背けやがった。  
  ハルヒは俺の目どころか顔すら見ようとはせず、こちらからだと表情の読めない絶妙な角度をキープしている。  
  くっ、なかなかやるな。俺に決して表情を見せないことで感づかれまいとする作戦か。  
  きっとハルヒの顔には邪悪な笑みが血の池地獄のごとく広がっていることだろう。  
 
 
H:何よ、まだ取らないの?  
  ……って、あ、あたしの顔を見てる!?  
  何よ何よ、ジュースでも見てなさい!  
  それより上げっぱなしで腕が疲れちゃうじゃないの。まったくもう、キョンって本当にグズ!  
 
 
K:ハルヒの腕が震えている。  
  野郎、俺を嘲ってやがる。  
  ご丁寧に顔まで赤くして、そんなに耐えるのが辛いなら大音量で笑ってもいいんだぞ? その方が気が楽になる、気がする。  
  しかしあくまでも戦うというなら、いいだろう、展開を変える最良の手段はあきらめないことだ。MMRのキバヤシもそう言ってる。  
  考えろ、敵の思考を読め、論理を展開させろ!  
  ……ゴメン、暑いから無理。  
 
 
H:暑いわ。  
  こんな日に、本当、何してるのかしらあたし。  
  あー、こんなことなら自分でさっさと飲んでおけばよかったわ。むしろ、何でバカキョンにあげようなんて思ったのかしら。  
  思いついたら即実行があたしの主義だけど、今回ばかりは恥ずかしく思うわ。  
  すべて夏の暑さのせいね。  
  だいたい団長であるあたしがくれてやるって言ってるんだから、下っ端は大人しく受け取ってればいいのよ。  
  全然わかってないわね、キョン。  
 
 
K:もしや、俺は試されているのか?  
  これさえも何らかのアレなのか。俺が起こすアクションで世界がどうにかなっちまうとでも言うのか。  
  ――それはない。こんな日常的な一コマに変態的妄想が介入する隙間など全くないし、そんな気配も全くなかった。  
  しかし、だったら、ハルヒは俺に何を期待している?  
  ……俺にだって、わからないことぐらい、ある……。  
 
 
H:……俯いちゃった。キョンの表情はもうわからないけど、嬉しそうな顔じゃなかったのはよくわかっている。  
  失礼な奴。このあたしがジュースを買ってあげたっていうのに。というか、そんなに驚くことでもないでしょ。  
  雑用の労いにたまにジュースを買ってあげただけじゃない。いつもは奢らせてばっかりだし、ってそれは遅れてくるキョンが悪い。  
  でも、確かにいつものあたしなら、こんなことしないかも。  
  戸惑っちゃうのも、仕方ない……のかな……。  
 
 
K:何だろう。俺のステイタスには断じて超感覚能力などないが、ハルヒの発する温度が微妙に下がった気がする。  
  やばい、今俺が感じているのは寒気だ。こんなにも暑いというのに。  
  思い出したくもないが、古泉の野郎は言っていた。ハルヒをこの状態にしておくのは、マズイと。  
  こいつがこんなオーラをまとうのは……憂鬱? 退屈?  
  前者はいろいろ封印したい記憶なのでナシの方向でいこう。後者であるならば、何かに飽きたということに――  
 
  待てよ。  
    
  こう考えてはどうだろうか。  
  ジュースを差し出し、俺の戸惑いを観察すること――この行為自体が涼宮ハルヒの新たな暇つぶしであったとしたら。  
  発想の転換というやつだ。今の俺にはコロンブスが乗り移っているに違いない。見ろ、卵は底を潰して立てるんだ。  
  だったら何も恐れることはない。ハルヒの目的は充分達成されているではないか。どうだ、俺のこの間抜けっぷりは。  
  なるほど、俺の観察にはもう飽き飽きしてるってわけか。  
  フッ……。  
  俺の負けか。ハルヒ、まんまとお前の術中にはまっちまったぜ。  
  そして俺は、この状況における「屈服」を暗示する行動に出ることにした。完敗だぜ。  
  ハルヒがホールドアップし続けるジュースに手を伸ばし、  
 
 
H:…………っ!?  
  急に指に変な感触がしたと思ったら、キョンの奴、今度はジュースに手をかけたまま固まっている。  
  というか、あたしの指ごと掴んでるじゃない。  
  な、な、何してんのよ、キョン!  
 
 
K:取れん。  
  ハルヒ、奢ってもらっておいてすまないんだが、ジュースを握る力を大幅に緩めてくれないか? 取れないぞ。  
  そう申請すると、ハルヒの表情はみるみるうちに変化していく。  
  もはやいちいち解説するのが面倒になるくらい、喜怒哀楽の闇鍋パーティといった混在ぶりだ。  
  最終的にはふっきれたような笑顔に固定され――  
 
 
 
「ふんっ、甘いわよキョン! この暑い日に、あんたなんかにジュースを奢るとでも思ったわけ?」  
 そう一気にまくしたてながらプルタブを破壊し、ジュースを垂直に立てんばかりの角度で口に流し込み始めた。  
 そりゃないだろう。  
「こっちだって暑いんだ!」  
 俺はハルヒからジュースを奪取し、奪還されないうちに飲み干した。うっ、半分も残ってねえ。量が少なくて味もろくにわからん。  
 ふう、と息を吐き俺はハルヒに「残念だったな」というニヤリ笑いをくれてやる。  
 だがハルヒは驚愕と当惑がコーヒーとクリームのように渦巻く表情で目を見開いている。何のアクションもない。  
 どうかしたのか、と訊く。暑すぎて思考がまとまりやしない。ん? もしや俺が何かしたのか?  
 ようやく思い出したかのようにただでさえ暑いというのに(ホント、ご苦労なことだ)赤みの明度を増幅させてこっちに来る。  
「バカキョン!」  
 そして俺から空き缶を取り上げると地響きを伴いそうな勢いで歩き出した。  
 おい、過半数も飲んでおいて怒るなって。どれだけいやしん坊万歳なんだ。  
 
 ――しかし、だ。  
 
 この仕打ちを加算するといささか癪ではあるが、ジュースをわけてもらったときに口にする台詞は決まってるんだよ。  
 
 ごちそうさん、ハルヒ。  
 でもって、  
 
 
 
「ありがとう」  
 
 

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