「何言ってるんだキョン、それは以前の話だ。今の長門有希はAAランク。眼鏡を外したのが効いたな」
成る程、俺は谷口と同じセンスの持ち主というわけか。非常に複雑だ。
それにしてもAマイナーから三階級特進とは、殉職どころの騒ぎじゃないな。
昼休み、何故か話題は谷口の美的ランキングの話になった。
俺が何となく長門の話題を出すと、上記の通り、谷口が最新版の情報提供をしてくれたわけだ。
「あれで少しでも感情を出してくれれば、AAランクプラスにしてもいいんだがな」
ふっ、甘いな谷口。やはりお前は、ちっとも分かっちゃいない。
あいつは見かけよりもずっと感情が豊かな奴だ。
それを知らずして、長門の何たるかを語って貰っては困るね。
「でもまあ、長門有希はキョンのお手つきだからなぁ」
「そうなのキョン? でも納得かな。キョン、ああいうタイプ好きだもんね」
待て谷口、あれは貧血だと言ったはずだ。勝手な捏造をするな。
国木田、何を納得してるんだ。人の嗜好を勝手に決めるな。
『 長門有希の否定 』
放課後、SOS団の部室に顔を出すと、長門が一人で分厚いハードカバー本を読んでいた。
もはや見慣れた光景である。
しかしまあ、長門の正体を知っていても、こうして見ると普通の女子生徒にしか見えん。
やはり何も知らない他の人間からは、寡黙な文学少女と見られてるんだろう。
実際、教室で一人静かに本を読んでいる姿は一枚の絵のようにすら見える。
それもやはり長門の整った顔立ちがあってこそだ。
隠れファンが多いというのも頷ける。
……いかん、アホ谷口や国木田のせいか、妙に意識してしまっている。
「……AAか」
思わず声に出してしまった。
もちろん小さな呟きでも、長門に聞こえなかったはずはない。
こいつなら100キロ先の針が落ちる音を聞き分けても驚きはしない。
とは言え、まったく意味をなさない言葉だ。聞き流されると思っていた。
だからこの後の長門の行動は、完全に俺の予想外だったと言える。
長門は顔を上げると、ぱたんと本を閉じた。
こいつが読書を中断するのは珍しい。余程のことと言っても良い。
そのままの体勢で、じっと俺を見上げてくる。
さて、谷口を始め多くの人間が勘違いしているが、表情から長門の感情を読み取ることは可能だ。
これでも長門の表情鑑定では世界一どころか宇宙一を自称する俺だ。
その俺がプライドに掛けて断定しよう。長門は稀に見る不機嫌さだ。
……何故?
深く澄んだ黒曜石の瞳で、じっと見つめられ動けなくなる。
その視線に、俺だけでなく周囲の時間まで縫い止められてしまったのではないかと錯覚する。
長い停滞の後、ゆっくりと長門が口を開いた。
「……違う」
何が? と訊き返すタイミングを逃して、俺は棒立ちのままだ。
長門は音も立てず椅子から立ち上がると、これまた音も立てずに近寄ってきた。
ぴたり、と俺の数十センチほど手前で立ち止まり、再び黒曜石で射抜いてくる。
「AAじゃない」
だから何が?
今度こそ訊こうと思った矢先に、長門に腕を掴まれ──、
むにゅ、
……世界が一瞬にして反転。閉鎖空間が発生した。
夏への扉、幼年期の終り、闇の左手、人間の手がまだ触れない、宇宙をぼくの手の上に……
部室の本棚に並ぶ、読んだこともないSFタイトルが頭を駆け巡る。
それほど混乱している。
何が起きたかは……察しろ。
伝えようにも、あいにく俺の思考能力は軒並みシステムダウン中だ。
「── JIS L4006」
何だその暗号文は? 俺の分かる言語で喋ってくれ。あと、この状況を説明してくれ!
「この国の工業規格。ファンデーションのサイズはトップバストとアンダーバストの差で決まる」
……えっと、長門さん? 何をおっしゃって……
むにゅ、
うおっ!
「Aを差10cmとし、2.5cmごとにアルファベット順に表示を変えていく」
いや、あのその、長門さん……、その、手が、その……、
「AAはAより小さい差7.5cmを指す」
むにゅ、むにゅ、
「AAじゃない」
……いや分かった、分かりましたから……その、長門さん、
「……AAじゃない」
むにゅ、むにゅ、むにゅ、
「……AAじゃない、」
だから長門さん、俺的には非常にこの状況は端的に言って嬉しいのですけれども、
……その、この状況で涙目になられると、誰かが来たとき──って、涙目!?
むにゅ、むにゅ、
「……AAじゃ、ない」