「つい先程、あなたは死にました」
さて、あなたというのは二人称で、基本的に目の前にいる人間を指す。
と言うことは、この場合、あなたというのは俺のことである。
ここで『俺とは誰か』というアイデンティティー問題について論じるつもりはない。
とにかく、あなたと呼ばれているのは俺で、その俺は死んでしまったらしい。
何を馬鹿な、と笑い飛ばすことは出来ない。
目の前の男が手品師ならば良かったが、あいにく俺が知る限りそんな器用な真似は出来ない。
何の前触れもなく、突然俺たちの目の前に現れた手際は、瞬間移動としか言い表せない。
男の名前を古泉という。
『こちら』の世界にいるハルヒにベタ惚れな古泉ではなく、『あちら』の機関に所属する古泉だ。
ということは、こいつの言葉に嘘はない。
久々に会う古泉は、キャラに合わない至って真面目な顔だった。
『 長門有希の憧憬 』
「『こちら』のあなたが死にました。同時に、今までにない規模の閉鎖空間が出現しました」
なるほど。そっちにも俺はいたんだな。で、死んでしまったと。
「そうです。今までいわゆる脳死状態が続いていましたが、先程、心停止を起こし息を引き取りました」
意外と冷静ですね、などと言うが当然だ。
実感なんてまるで無い。
死んだと言われても、そうですか、と納得するしかないだろう。
脇にいた有希が近付いてきて、俺の袖をそっと握った。
腕が震えている。
怖がる必要は無い、と言おうとして止めた。
何てことはない。震えているのは有希ではなく俺の腕だった。
自覚はなかったが俺は動揺していたらしい。
俺たちの様子を見て、古泉が現れてから初めての笑みを浮かべた。
ああ、何とでも言え。
俺からも言わせてもらうが、お前もそんな顔をしている方がお似合いだ。
「それはどうも」
悠々と演技たっぷりに頭を下げる。変わってない。
「それで俺はどうなる? 死ぬのか?」
俺を掴む有希の手が、ぎゅっと強くなる。
「いえ、こちらの世界のあなたと、今ここに居るあなたは、同一ですが別の存在です。影響はありませんよ」
双子みたいな物ですよ、と付け加えるが、その喩えには疑問符が付く。
「先程申し上げたとおり、閉鎖空間が発生しました。それも急激に勢いで拡大中です」
「ハルヒの仕業か?」
「もちろんです」
閉鎖空間は、ハルヒの心理状態により発生する。
俺の死とハルヒの心理状態など関係ない……などとは言えない。
有希と付き合うようになって、『あちら』にいたころのハルヒの行動が、色々と分かるようになっていた。
口には出さず、心の中でハルヒに謝る。
「機関はまったくの無力です。世界が改変されるのは確実です……あるいは、世界は滅びるかもしれません」
記憶にある灰色の世界と、青く光る巨人を思い出す。
「あなたが死んだ世界に涼宮さんは絶望し、価値を見失った。だから世界は捨てられようとしています」
灰色に塗りつぶされていく世界を幻視する。
「われわれに、それを止める手立てはありません」
やれやれ、とお決まりのジェスチャーを行う。
僅かに口元が引きつっている気がするのは、俺の気のせいだろう。
「……それで、お前はその忙しいときに、わざわざ何しに来たんだ?」
まさかこの世界に逃げてきたわけではないだろう。
「ええ、大事な用がありまして」
そう言うと古泉は、それまで以上に、にっこりと笑った。
「一発殴らせてください」
答える間もなくストレートが左の頬を襲った。見かけによらず力がある。思わずよろめく。
「すいません、僕も人の子なので、理性と感情の折り合い付けが難しいのです」
古泉は悪びれもせず、笑顔のままで、しれっと言い放った。
何か言おうとする有希を片手で制して、古泉に向き合う。
「ひとつだけ訊かせてくれ」
痛む頬を押さえたくなるのをプライド頼りに必死に我慢して、自称『限定的』超能力者に問い掛ける。
「どうやってお前は、こっちに来れたんだ?」
「長門さんのお陰ですよ」
その質問を予測していたように、素早い回答。
無意識に確信していた答えが返ってきた。
古泉は、ちらりと有希を見る。
びく、と有希が警戒するのが伝わる。
怖くない、と伝えるために、頭を軽くぽんぽんと叩いてやった。
何となく、終わりが近いことを感じた。
「僕は個人的に、あなたのことが大好きでした。もちろん、友人としてですよ?」
別の意味だったら問答無用で殴り飛ばしている。
まあ、友情という意味では……言われて悪い気はしない。
「ありがとうございます」
「もっと色々と言いたいこともあったのですが……すいません、忘れてしまいました」
嘘吐け。お前がそんなタマか。
「長門さん、僕の友人をよろしくお願いいたします。彼は、とても良い人です」
「……知ってる」
やや怯えながらも、芯のある強い声。
古泉は一瞬、驚きに目を見開いた後、これはこれはと肩をすくめた。
その姿を見ていたら、なぜか目頭が熱くなった。
「それではさようなら、キョン君。最期に話ができて良かったです」
こちらの僕によろしく。
そう言うと唐突に電波障害にあった映像のように、乱れて消えた。
最後まで笑顔のまま。
こんな状態に至っても、こいつの真意だけは分からないままであった。
自分の死を告げられるという貴重な体験に対する感動は冷め切っていない。
だが妙な確信の元、俺は旧式のパソコンへと向かった。
席に着くと同時に、ピコンと間抜けな音を立てパソコンが起動した。
OSは起動せず黒画面のまま、入力待ちカーソルだけが点滅をしている。
いつまで経っても、それ以上の変化は現れない。
埒があかなかったので、こちらから話し掛ける。
『久しぶり』
やや間があって、
YUKI.N> ごめんなさい。 _
何が、と返そうと思ったが、あえて流すことにした。
おそらくだが、あまり時間は無いだろう。
貴重な時間を不毛なやりとりで消費したくはない。
『もう会えないと思っていたから、驚いた』
間、
YUKI.N> そちらの世界には、もはや私を阻む力の持ち主はいない。 _
YUKI.N> だから、手間と時間さえ掛ければ対処プログラムの作成は十分可能。 _
『じゃあ、今まで何で放置していた?』
再び間、
YUKI.N> あなたが望んだ結果を優先した。 _
無意識に有希に目をやる。
有希は少し離れた位置から、哀しそうな顔でこちらを見ていた。
なんでそんな顔をするんだ。お前は笑っていてくれ。
『そうだな。これは俺が望んだ結果だ。すまない、迷惑を掛けた』
間が開く。
YUKI.N> いい。それに迷惑じゃない。 _
カーソルの点滅がスライドする。
YUKI.N> それに、これはわたしが望んだ結果でもある。 _
『お前が?』
長い間があって、
YUKI.N> わたしは”長門有希”とは同期不能。彼女と記憶や感情を共有することはできない。 _
間、
YUKI.N> でも、あなたと一緒になれて、わたしは嬉しいと感じている。 _
また間があった。
最初は伝えるのを躊躇っているのかと思っていたが、言い知れぬ不安が襲ってきた。
『大丈夫なのか、長門』
YUKI.N> 大丈夫、あなたには迷惑を掛けない。わたしに任せて。 _
不安は確信に変わり、怒りに変わった。
そうじゃない、俺が心配しているのは……
お前のことだ、と打つよりも先に、、
YUKI.N> 長門有希を好きになってくれて、ありがとう。 _
涙が溢れた。
すとん、と胸から何かが落ちた。
ディスプレイの向こう側で、無表情の長門の顔が、ほんのわずかだけ緩んだ気がした。
また間が開いた後、誰もが知る有名SFタイトルのパロディが表示された。
YUKI.N> may android dream of electric sheep? _
ぶつん、と唐突にディスプレイが真っ暗になった。
同時に本体から煙と異臭が漏れ出す。
どうやら骨董品のパソコンに、とうとう寿命が来たらしい。
その壊れたパソコンが、『長門』に重なって見えて、俺は泣いた。
正直な話、俺は『長門』には恋愛感情を抱いていない。
でも、あいつは俺の大切な『仲間』だった。
長門だけじゃない。古泉も、朝比奈さんも、ハルヒも……
みんな、俺の大切なSOS団の仲間だった。
涙は乾いていなかったが、気持ちは徐々に落ち着いてきていた。
我ながら薄情だと思う。
哀しかったが……いや、哀しかったから、彼女に触れたかった。
有希はディスプレイが見えない所に立っていた。
「……わたしが見てはいけない」
声は小さいが、強い口調で言う。
「わたしは彼女を知らないけど、わたしは彼女の邪魔してはいけない」
そう言って、煙を上げるパソコンを向く。
細く上がっていた煙は、対処をする必要もなく、自然に消えていった。
そしてプラスチックの燃える嫌な臭いだけが残った。
「有希……何でお前も泣いてるんだ?」
「……ごめんなさい」
有希は泣いていた。
相変わらず表情の動きは小さいが、それは号泣だった。
「わたしには泣く権利なんて無いのに……でも、何故だか分からないけど、すごく哀しいの」
ごめんなさい、と謝る。
ごめんなさい、ごめんなさい、と泣きながら誰かに向かって謝り続ける。
そんな有希を、俺はそっと抱き締めた。
「ごめんなさい……ごめんなさい、長門さん。……ごめんなさい、ごめんなさい、」
腕の中でも、有希はもう一人の自分に向かって謝り続けた。
有希の体温を感じたら、なぜか再び哀しみが湧いてきた。
俺も再び泣いた。
泣きながら、みんなに謝った。
謝っていたのに、いつの間にか別の言葉に変わっていた。
その言葉こそ、SOS団には相応しい気がした。
……ありがとう、ありがとう、ありがとう、
あれから数週間が経った。
我ながら本当に薄情だと思う。
俺は何事もなかったかのように日常に戻っていた。
教室で国木田や谷口と馬鹿をして、度が過ぎると朝倉さんに怒られて。
ちゃっかりテスト勉強などもしたし、合間には当然、有希と遊んだりもした。
そんなこんなで試験週間も終わり、久々に部室に顔を出すことになった。
今日はハルヒと古泉が部室に遊びに来る。
朝比奈さんも鶴屋さんと一緒に顔を出してくれると言う。
残念ながら、いまだにメイド服にはなっていない。今度こっそりハルヒに進言しよう。
有希は掃除で遅くなると言うので、独りで先に行くことにした。
鍵を開け中に入ると、一瞬だけ……懐かしい風景が見えた気がした。
もちろんそんなのは幻でしかなく、瞬きをすると、もはや見慣れた文芸部の部室が戻ってきた。
そう、ここはSOS団の部屋ではなく、文芸部の部室だ。
あれから、だいぶ物も増えた。
あまり顔を出さないが、部員も数人増えた。
今月末には機関誌の締め切りも控えている。
外部への委託原稿の回収、編集作業、そして何より自分自身の原稿の推敲が残っている。
あとハルヒの無茶のせいで、今更になって数ページの不足が発覚している。
どう対処するかが、目下の悩みの種だ。
忙しくて、過去にしがみついては居られない。
少し寂しいが、それが現実である。
鞄を置こうとして、机の上の見覚えのないフロッピーに気が付いた。
ラベルも何も無い真っ黒な外観。妙に無機質な印象を与える。
有希の席だが、あいつの忘れ物だろうか。
好奇心に負けた。
部費で新たに購入した激安パソコンに電源を入れ、OSの起動後にディスクを差し込む。
フォルダを開くと、中にはテキスト形式のファイルが四つ入っていた。
『無題1.txt』『無題2.txt』『無題3.txt』『無題4.txt』
首をひねりつつ番号に従い順に開いていく。中身はどれも短編の小説だった。
幻想的な語り口の、幽霊を自称する『私』の話。
何かを暗喩させる表現が多く、ひどく難解である。
ただし、この世界で俺にだけは、何となくではあるが理解ができた。
当たり前の自然現象を奇跡と呼び、それを自分の名前にした不思議な少女。
四番目のテキストは、それまでと比べ分かりやすい内容だった。
『私』は自らの意志で、二人の『私』に分離する。
初め二人は同一に語られるが、徐々に別の人物として描かれるようになる。
物語の最後。
降りしきる雪の中、『私』は棺桶の中へと入って行き、長い眠りにつく。
そこで『私』は、もう一人の『私』の夢を見て、そっと笑う。
テキストはそこで終わる。
フォルダの名前は『原稿』となっていた。
作者の名前は書かれていない。
まあ、書く必要など無い。誰の作品なのかはすぐに分かった。
いつも部室で本を読んでいたあいつは、正真正銘、文芸部の部員だ。
困ったときはいつだって、黙って助けてくれる、そんな奴だった。
涙は出なかった。
これで本当に最後だと分かったが、なぜか笑いたい気分だった。
腹の底から、何かムズムズした物が込み上げてきた。
「ありがとう!」
叫んだ。
手加減なしの音量が、部屋の中で反響する。
外の連中は驚いただろうが知ったことじゃない。
果たして俺の声は、あいつに届いただろうか。
──さて、取り敢えず話はこれで終わる。
この不思議で恥ずかしく独りよがりで意味不明な出来事は、もちろんフィクションである。
もし事実だと信じたあなたには、『サンタクロースはいない』ということを教えたいと思う。
サンタだけではない。驚くべきことに、宇宙人も未来人も超能力者もいないのだ。
何てつまらない世の中なのだろう、と絶望するのはまだ早い。
世の中には、そんな不思議に頼らなくても、ユカイなことが山のように溢れている。
学園生活でユカイを見つけられないという方がいたら、是非とも文芸部のドアを叩いて欲しい。
部員その他含め一堂、心から歓迎すると共に、ユカイな日々を約束しよう。
※編集長注
再三注意したとおり、機関誌を勧誘ポスターと混同しないように。
読者の皆様、文芸部をよろしくお願いします。興味のある方は、是非とも部室までお越し下さい。
(文芸部 XX年度 新入生歓迎臨時特別号より 名称等に一部生原稿を使用)