めぐり合わせの悪い日というのは、いつだって唐突にやってくるものである。
曰く。たまたま目覚ましのアラームが故障していて遅刻するかどうかの瀬戸際を飛び越した時間
に目が覚めたこと。
あまりにやばい時間になっていたため、朝メシを完全に食いっぱぐれた事。
さらにはかばんの中に弁当の包みを入れ忘れた事。その他にもあるぞ、3限目の授業が体育で、
しかもよりにもよって持久走をやる羽目になったこと。
と、まぁ運命の神様とか言うのが本当に実在するのなら、逡巡なしにその後頭部を勢い良く張り
倒してやりたくなるような事件が頻発した結果。
4限終了のチャイムを聞いたあと、俺の体力気力ゲージは完璧かつ徹底的なまでにエンプティ
ゾーンのラインを割り込んだところまで低下しきっていたわけだ。俺がいったい何をした?
谷口と国木田がいつもの調子で机をこっちに寄せてくるが、動く気力も湧いてきやしねぇ。まるで
死に瀕したオットセイみたいに机にあごを乗せ、全身の力を弛緩させて倒れたまま無為に時間を
すごそうとする。
「ほほぉー。キョンよぉ・・・運が悪かったなおい?」
「ほんとだよね、まるで良くあるコントみたいな受難っぷりかも」
うるせぇ。今話しかけんな。今は激しすぎる空腹感をどーやってごまかして今日一日を過ごすか
ない知恵を絞りつつ思索してるとこなんだ。つか、いい匂いさせるんじゃない。谷口、その鮭の切身
を美味そうに口にするとこを今の俺に見せるな。
国木田よ、俺とお前は同期の親友だろ?後生だからそのコロッケをこっちにまわせ。何も口にしな
いままだと、ほぼ完璧かつ徹底的に俺のスタミナは完全枯渇する。・・・って無視かよ。この野郎。
「まぁ、キョンは普段この程度の受難なんか打ち消して余りあるほどの幸運を甘受してるわけだし
たまには空腹でへばるのもわるくないんじゃない?」
にこやかな笑顔で非情な宣告をするのはやめろ国木田。谷口もしたり顔で同意するんじゃない。
こいつらの友情がこんなモンだなんて思いもしなかった。俺はもう悲しくて涙が出そうだぜこんちく
しょう。
もうかくなる上は仕方がない。補給を受けられないのであればせめて体力の消耗を避けねばガス
欠での討ち死にを避けることができなくなる。昼休みは寝て過ごす。SOS団での活動も、今日だけは
冬眠よろしくぱったり崩れ折れて休息モードですごさせてもらおう。緊急避難だ。やむを得まい。
俺がこういう苦境にあるときに、われらが団長殿はどうしてるのかというと・・・。ハルヒは基本的に
学食の愛用者だ。だからアイツは4時限目が終わるとすったか駆け足で学食へと急行する。故に今
この苦境にある俺に救援物資を差し入れてくれるような奇跡はまったくもって、完全無欠なまでに期
待できそうにない。
今の俺なら、ハルヒがなんで学食の愛好家になってるのかの事情も理解できる―――さすがにあ
の家政婦がやっつけで片付けて作る飯を食う気にはなれなかったのかもしれないしな―――から、
まぁその辺に文句をつけるつもりもないのだが・・・ハルヒよ。俺は今日ほどお前が弁当派でなかったことを悔やんだことはないぞ。
何気に時間割に視線を向ける・・・ああ、家庭科の授業もないんだっけか。奇跡の差し入れも期待
できんということか。おお神よ、怒りと悲しみに駆られるままに一発殴らせてもらっていいですか?
というわけで、まさに生き地獄の体裁をとっていた昼休みの時間が無事終了した後の5限目。現国
の授業も耳にとどかねぇ・・・のは空腹に理由があるわけではないのだが。それにしても律儀に鳴く
な、腹の虫。今日一日くらいだまって冬眠しろ。俺だって好きで断食してるわけじゃねぇんだからよ。
と、俺がそんな愚にもつかない戯言を脳内で展開しつつ芋虫よろしく机に伏してたとこに真後から
唐突な不意打ちがやってきたのは、いつものことである。シャーペンの芯くらいしまってからつつけ
ハルヒ。ちくちくしてちと痛いから、ほんとに。
「えらくバテまくってない?ホント。まさか風邪がぶり返したとかいうんじゃないでしょうね?」
ハルヒの声色に、なんというか・・・心配のようなものが浮かんでいるのは気のせいだと思う。まぁ
返事しないのもなんなので、先生が板書に集中してる隙を見計らって返事でもするかね。
「いろいろあってメシを食いっぱぐれてるんだ。腹がへって気力が沸かんだけで、風邪がどうこうと
かとは無関係だ」
「はぁ?アンタ学食とか使わなかったの?」
「金をおろし損ねてたんだ。財布の中身に小銭しかないんで食うに食えなかったんだよ」
・・・そのなんだ。馬鹿を見るような視線を俺の背中に照射するのは勘弁しろ、ハルヒ。ただでさえ
もう体力気力その他は枯渇寸前の状態なんだ。このままその視線を浴び続けると消耗の果てに見事干からびてこてっと倒れて朽ち果てるかもしれん。
かくて、いつもより長いというか長すぎる時間が経過した果てにつつがなく本日の授業、無事終
了。掃除当番にあたってなくて助かった・・・SOS団の部室に行けばお茶請けの菓子モノとかがある
かも知れない。飢えをしのぐための緊急避難だ。もし発見したらありがたく独占賞味させていただこ
う。
俺がのたくた旧館に続く渡り廊下を歩いて、やっとの思いでたどり着いたSOS団の部室のドアには
・・・こんな妙ちきな張り紙が掲示されていた。
『本日、男子団員は部室内で最低1時間以上の待機を命じる。無断で帰ったら死刑だから。団長』
・・・ハルヒよ、お前は鬼かと叫びたいぞ。俺は。
ドアをあけ、部室内に転がり込んでいつもの席に腰を下ろす。いつも窓際を占拠して読書にふける
長門の姿も、SOS団専属の天使兼妖精兼お茶酌みメイドの朝比奈さんも、当然かの暴虐団長殿も
部室内にいやしない。そこに微苦笑を浮かべつつ席についてるのは、イカサマスマイル野郎ただ一
人である。
「これはこれは・・・見事な衰弱ぶりですね」
「うるせぇ。俺だって好きでばてきってる訳じゃねぇぞ」
古泉の野郎に返事を返してから、俺は机につっぷして全身を弛緩させる。もうまじめに体力がな
い。ここは部室内で最低限の体力温存に勤めるしか、俺が生きて家に帰る方法はないなとか考え
てたところ・・・。
「・・・団長命令よ!キョン!古泉君!いますぐこのドアを開けなさいっ!」
遠慮呵責なしの超大声が、なんの容赦もなしに俺の耳に飛びこんでくる。・・・ってまて。よく考えろ
?常日頃のハルヒはこの古い部室のドアを遠慮なく叩き壊しかねない勢いで押し開けるのが普通
であって、断じて他人にドアの開閉を命じる人間ではない。
んで・・・さらにだ。
ドアの向こうからなにやら香ばしい匂いが漂ってくるのは、いったいどうなっているのかね?
・・・結論から言おう。ドアの向こうにいたのは我がSOS団の誇る女性団員の連合軍であった。それ
だけではないぜ?
その連合軍はそれぞれが、手に大きなトレイをもっていて・・・。そのトレイの上にのっかってるのは
パーティの席で食うには充分すぎるほどのBLTサンドとかクッキーとかクラブハウスサンドとか・・・
ああ畜生。よく焼けた鶏肉からただよう匂いが遠慮なく腹の虫を活性化させやがるじゃないか。
「これはこれは・・・またお茶会で供されるには豪勢なものばかりですね。涼宮さん」
「まぁね?今日はSOS団の今後の活動指針を決定するために、食事会を兼ねたディスカッションに
することにしたのよ。ちょっと量が多くなってるけど、有希がよくたべるでしょうしあたしも食べるし、
ついでに・・・心底飢えてるどっかの馬鹿もいるしね?」
・・・どっかの馬鹿ってのは俺のことか、ハルヒ。
というか、なんだな。どうこうと余計な言葉をつかってごまかしを言う気力もないから、俺は今から
妄言を吐く。妄言だからすっきり忘れろ、俺も吐いたら即忘却のかなたに妄言を流すから。
「心底、助かる・・・。ありがたく味わって食わせてもらうぜ?」
きょとんとした後、一拍の間をおいて・・・眩い真夏の灼熱の太陽張りの笑顔になる団長殿の姿
が、えらく楽しそうに見えたのは俺だけじゃないよな?
「ったりまえじゃない!どっかの馬鹿の作る手抜き粥より美味しいってことは保障するわ!」
「・・・わたしはあまり自信がないんですけど、お口に合えばいいかなーって」
「栄養、量、味に問題なし・・・食べて」
長門、朝比奈さん。・・・あと、ついでじゃなくて。まぁなんだ・・・ハルヒ。
今日の朝からの不運の連続も、ここで全部埋め合わせになると思えたのは俺だけじゃないよな?
俺は心のそこから三人に感謝をしつつ、ハルヒの顔を見ながら・・・古泉の手を軽くけん制のため
に払ったりして、クラブハウスサンドの皿を独占することにする。
どんな顔をしてこいつを作ってたのかを俺は知ることができない。だが・・・ハルヒの満足そうな笑
顔を眺めつつ、よく焼けた鶏肉を味わうのは悪くないさ。そう、悪くない。
まぁ、あまりに欲をだしすぎて晩飯の事をすかっと忘れ、オフクロからニヤニヤ笑いまじりに冷やか
される羽目になったりするのは・・・予想外だったけどな?