その日、部室には、俺とハルヒ、そして、いつものイスに腰掛け、いつものように
窓際でハードカバーを黙々と読んでいる長門がいた。
朝比奈さんは進路指導。古泉はバイトらしい。大方、例の機関とやらの用事だろう。
ハルヒは、パソコンに向かって何かしている。ネットサーフィンでもしてるのだろう。
静かなのはいいことだ。
で、俺は、他に何もすることがないので、長門から勧められた文庫本を本棚から取り出して
読んでいた。SFだがこれが中々面白い。
「ねぇ、キョン?」
邪神が目覚めたようだ。
「……なんだ?」
「テレパシーってあったら良いと思わない?」
テレパシーだって? こいつはいきなり何を言ってるんだ?
そう思いつつも、しかし、ハルヒの考えそうなことだ、と思い直す。
そうさ、こいつはいつも超常現象を捜し求めてる。
だから、超能力に興味を持つのも、当たり前って言えば当たり前のことだからな。
しかし、テレパシーね。そんな能力に、その辺の人間がほいほい目覚めたら
とんでもないことになるじゃないか。それをハルヒが望まないことを祈ろう。
「テレパシーがあれば、人の心が読めるのよ? とても便利だと思うわ」
「だが、相手もテレパスなら、お前の考えていることも、筒抜けになるんだぞ」
「うーん、そうね。じゃあ、あたし一人だけがテレパスってのがいいわ。
こう心で念じて相手を見ると、相手の考えていることが解るわけ」
そう言って、ハルヒは唇を片方だけ吊り上げ、レーザー光線でも出しそうな瞳で俺を睨んだ。
まずい。よく解らんが非常にまずいような気がする。
ハルヒよ、まさか本気でそれを望んじゃいないよな。
そんなことを望んだら、俺の、あーんな朝比奈さん妄想や、こーんな朝比奈さん妄想を知ることに
なるんだぞ。お前はそれでいいかも知れんが、俺は困る。非常に困る。
つか、そんなのをハルヒに知られたら、生きてここから出れないような気さえする。
長門、何とかならんか?
「あ、キョン? 今、有希のこと考えたでしょ。いやらしい」
なぜ解る? 俺は一度もハルヒから視線を外してないだろうが。
むむ、事態は悪化の一途を辿っているな、たぶん。
これ以上、ハルヒがテレパシー能力の獲得を望まないようにしなくてはならない。
ハルヒテレパス化、それは断固否定せねばなるまい。そうしないとたぶん俺の身が危険にさらされる。
「あのな、ハルヒ」
「なによ?」
「テレパシーってのは、精神感応ってやつだろ?」
それは、つまり、相手の心を感じるってことだ。心なんてものは自分でもよく解らない、
曖昧模糊なものだ。他人の心ならなおさらだ。だから、他人の心を、自分が理解できる
ように知ることは、たぶん不可能だ。本を読むようなもんじゃないだろうからな。
仮に、他人の心を感じたとする。それは、どう感じるだろう。自分とは違う自我意識。
他人の思考、記憶、それらが自分の心に流れ込んできたとき、何を持って区別できる?
お前が、テレパシー能力を発揮して、俺の心を感じたとする。そうすると、お前の中に俺の意識が
入り込む。それは、お前の中に、お前の意識と俺の意識が同時に存在するようなものだ。
さて、お前の能ミソは、どちらの自我意識を自分の自我だと認識するんだろうな?
我ながら詭弁だな、そう思いながら、俺は思いついたことをそのまま喋っていた。
「そんなの決まってる……」
そう言ったハルヒの声を聞いたような気がした。
次の瞬間、立っていられないほどの眩暈を感じて、慌てて、その辺に手を置く。
なにか物凄い違和感だ。胸や尻に妙な圧迫感と痒み。そして、身体が思うように動かせない。
どうしたんだ、そう思って顔を上げると、視線の先に俺がいた。
なぜ俺の眼前に俺がいるんだ?
その俺は心配そうに俺を見ている。やばい、パニックになりそうだ。
目の前の俺は、心配そうな表情を浮かべつつ、言った。
「どうした? 大丈夫か、ハルヒ」
ハルヒ? 何を言ってるんだ? 俺は俺だ。
そう思いながら、自分の身体を見下ろし、目を疑った。
なんてことだ。俺はセーラー服を着てるじゃないか。これは一体どういうことだ。
何が起きたんだ? 俺以外に俺がいて、俺がセーラー服を着ているだなんて。
まさか、また、ハルヒが何かしでかしたのか?
思わず、長門の姿を探し、声を掛ける。長門は、椅子に座ったままで俺を見つめていた。
ハルヒに聞かれちゃまずいのかも知れないが、そんなことを気にする余裕はない。
「おい、長門。これは一体……」
最後まで言葉が出なかった。これはハルヒの声だ。
「あー、ああ。あ、い、う、え、お」
間違いない。聞きなれた声とちょっと違うように感じるが、これはハルヒの声だ。
と言うことは、まさか……。
「おい、本当に大丈夫か? どうしたんだ一体?」
目の前の俺が心配そうに寄ってくる。慌てて両手を前に突き出し、目の前の俺を制して言う。
「待て、ちょっと待て。俺はハルヒじゃない」
「何だって?」
きょとんとした顔、間の抜けた声を上げて、目の前の俺が立ち止まる。
「思い出せ、さっきまで俺が言ってたことを。いや、お前が言ってたことか」
「俺が言ってた? 何だ? テレパシーの話か?」
ぽかんとした表情の俺。その、目の前の俺の表情が徐々に変わっていく。驚愕の表情へ。
「World of Ptavvs」
そう言ったのは長門だった。って、ラリー・ニーヴンかよ。